教育史研究と邦楽作曲の生活

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「教育情報回路」概念の検討(10)―おわりに

2015年02月23日 19時52分42秒 | 教育会史研究

 長らく連載しました「「教育情報回路」概念の検討」、本日で結論です。出典を示す場合は以下のように表記してください。
  ↓
 白石崇人「「教育情報回路」概念の検討」教育情報回路研究会発表資料、於・東北大学、2012年11月25日。
または
 白石崇人「「教育情報回路」概念の検討」教育情報回路研究会発表資料、於・東北大学、2012年11月25日(「教育史研究と邦楽作曲の生活」http://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170、2015年2月13~23日)。


 おわりに

 以上、「教育情報回路」概念の検討とそれによる教育会史の試論的叙述を試みた。「教育情報回路」概念は、確かに教育会史研究を進めている。しかし、研究の進展とともに明らかになった課題も多く残され、教育会の歴史的意義を十分に明らかにしたとはまだ言えない。史料的水準もまだまだ高めていかなければならない。
 教育会は、1870年代の各地域において形成された学事協議・教員講習・教育研究の機能を継承し、1880年代に民権結社とは異なる組織体として成立した。その後、教育会は、教員・教育行政関係者・学者・教育ジャーナリストなどの教育関係者を組織化し、地域の教育情報を集積して、時事案件に関する輿論形成へと動員した。各地域単位および全国規模でそれぞれ形成され始めた各教育会の教育情報回路は、1890年代半ば以降、その機能を充実・多様化させるとともに、それぞれ連絡関係を形成していく。また、とくに1900年代以降、教育会同士にとどまらず、中央・地方の学務当局や議会、および各種教育運動とも連絡関係を形成・強化して、社会的地位を確立していった。1910年代以降は、教育会の系統化が全国的に進められるとともに、郡市町村教育会が地域の他機関・組織と連携して活発化し、教育情報回路の機能充実が見られるようになった。1930年代以降になると、教育会は学務当局の教員統制の影響を強く受け、その教育情報回路ごと総力戦体制へと取り込まれていく。1940年代には、戦時下に全学校教職員を正会員として職能団体化したが、それゆえに戦後の教職員の待遇改善要求に応え切れず、教員組合との勢力争いに敗北して解体されるに至った。一部の教育会は1950年代以降にも活動を続けているが、現在に至るまで、戦前に形成された教育情報回路の規模や機能を完全に取り戻すことはできていない。
 教育会は、主に明治期から昭和戦時期までの間、日本全国の教育関係者を組織化・動員し、様々な教育情報を集積・変容・循環させる教育情報回路を全国各地に張り巡らせて、時事案件への対応へと活用した組織といえる。また、教育会の情報回路は、中央・地方の教育政策過程や教育運動に接続し、教育関係者の組織化や教育思想・政策・制度等の形成へと深く具体的に関与したものと思われる。いわば、教育会は、地域の教育関係者・教育情報を多様性を保ちつつゆるやかに統合し、独自の価値観や方策を形成して、日本独自の教育社会・文化を構築した主要な組織の一つなのではないか。

[了]

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