教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

唐澤富太郎の日本教員史像―師範タイプの克服を目指して

2008年02月26日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 このところ読んだ本を読みっぱなしにしていたので、ここらでその内容を整理していきたいと思います。読書後の内容整理をするのは、思考を深めると同時に、後々になって論文や授業を作成する際、非常に有益な参考資料になるためです。今やるのは、論文や授業作成に生かしたいからです。このブログに書く理由は、①読者へ参考資料を提供することもある、②検索が容易になる、③要点を整理する一つの動機になる、④ブログ更新を促進できる、といったところでしょうか。

 今日は、唐澤富太郎『教師の歴史―教師の生活と倫理』(唐澤富太郎著作集第5巻、ぎょうせい、1989年)の内容を整理しようと思います。制度と実態の両面から分析された通史的研究であり、戦後における日本教員史研究の出発点ともいえる著作です。同著での主な問題関心は、なぜ「師範タイプ」が生まれてきたか、師範学校を中心として解明するところにあります。
 同著は、創文社から1955年に出版されたものを、加筆修正したものです。1955年出版のものは、唐澤氏が東京教育大学で日本教育通史の講義をするにあたってまとめた『日本教育史』(1953年)を発展させ、さらに専門的な「近代教育史三部作」を構想した時、その第1作としてまとめられたものです。「近代教育史三部作」というのは、『教師の歴史』(1955年)、『学生の歴史』(1955年)、『教科書の歴史』(1956年)の3つです。唐澤氏の教育史研究は、日本人の形成史を人間像の展開と捉えて、各時代ごとにどのような人間像を理想とし、どのように目指したかという観点から構想されたものでした。この『教師の歴史』も、時代ごとの理想的教師像を制度よりも実態の面から明らかにし、教員たちがその像の実現をどのように目指したか明らかにしたものです。同著で取り上げられている各時代ごとの理想的教師像には、「士族的教師像」「師範タイプ」「教育労働者」が挙げられます。
 最初に挙げられた「士族的教師像」は、明治5(1872)年の学制頒布以降から明治19年ころまでのものです。これは、近世以来の寺子屋師匠像と連続しており、生徒に厳格な態度をとって村人・父母・生徒からの尊敬され、天職・聖職としての教職観に支えられた教師像でした。当時の教員をこのように回顧する者が多いことや、士族出身者が多かったことから、当時の代表的な理想的教師像として取り上げられているようです。なお、明治政府は、寺子屋師匠の知識・技術・出自を否定して教員養成を始めたのであり、士族的教師像と寺子屋師匠像との連続性は単純なものではありません。また、当時(というより近世にも)、そのような教員ばかりだったわけではありませんでした。
 次に挙げられた「師範タイプ」は、明治19(1886)年の師範学校令以降から昭和20年代前半の師範学校制度の終結までのものです。これは、天職・聖職としての教職観を引き継ぎつつ、明治13(1880)年前後の徳育重視の教育政策から準備され、初代文部大臣・森有礼の師範学校改革によってその原型が作られた、順良・信愛・威重の徳性を重視する教師像でした。「師範タイプ」は、兵式体操や寄宿舎などの師範学校教育による「軍隊式」養成や、政治活動禁止の諸法令による政治的圧迫をともないました。この時期の教師は、期待される役割のわりに、適切な地位や俸給をなかなか保証されませんでした。これらの結果、「師範タイプ」は、「着実」「真面目」「親切」などの長所をもちましたが、同時に「内向的」「裏表がある」「偽善的」などの短所をもつにいたりました。
 最後に挙げられた「教育労働者」は、昭和20年の敗戦以後のものです。これは、大正期の人文主義や教員の地位低下、昭和期の新興教育運動・教員組合結成などにおいて準備され、戦後の教員組合運動において目指されたものです。そして、聖職的教職観を否定して労働者としての教職観にもとづき、「現代職業人」としての性格を追求しようとする教師像でした。この教師像を代表的に説明するものとして、昭和26年宣言の日本教職員組合(日教組)「教師の倫理綱領」が挙げられています。
 このように、同著は、「士族的教師像」から「師範タイプ」への変遷に聖職的教職観の連続性を見出し、「師範タイプ」から「教育労働者」への変遷に近代的職業人としての自覚の芽生えを見出す、という近代日本教員史の歴史像を描きました。この歴史像は、今では日本教育史研究者の間の通説となっていると思います。また、同著では、後に発表された近代日本教員史研究に通じる内容が、思っていた以上に表現されているということに驚きました。なお、唐澤氏は、これらの教員像について、どれかを最も理想的なものとして選ぶのではなく、それぞれの良いと思われる要素を抽出して、現代(1955年または89年時点という意味での現代)における「正しい教師像」を構想しようとしています。それは、「人間形成者としての教師」「精神技術者としての教師」「近代職業人としての教師」として3つの要素に整理されるものでした。これらの内容はここでは説明しませんが、これは、唐澤氏の提示する理想的教師像であり、1955年(または1989年)における一つの教師像でしょう。
 同著は、戦前師範教育の生んだ「師範タイプ」を克服する教員像を追求したものでした。同著は、戦中以来師範教育に深く携わった唐澤富太郎氏によって、戦前の師範教育の頂点であった東京高等師範学校の伝統を引き継ぐ、東京教育大学という新しい教員養成の現場において、戦前師範教育を克服して新しい教員養成の実践を生み出す課題を背負って形成されたものだと思います。唐澤富太郎『教師の歴史』にまとめられた教師像(およびその基礎としての教員史像)は、戦後から1950年代にかけての教員養成の実践的課題に応えようとしたために生み出されたといえるのではないでしょうか。そうだとしたら、我々は、形成後50年を経た時代に求められる教員養成の実践的課題に基づいて、教師像(教員史像)を捉え直す必要があるのではないでしょうか。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今日の結果報告 | トップ | 石戸谷哲夫の日本教員史像―教... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

教育研究メモ」カテゴリの最新記事