(以下、白石崇人『保育者の専門性とは何か』幼児教育の理論とその応用2、社会評論社、2013年に所収しております)
保育者・教師には誰でもなれるわけではない。これは、必ずしも知識・技術面での問題だけで言うのではない。古来より、保育者・教師には、優れた人格と行動が必要とされてきた。現在も、昔ほどではないが、やはりある程度の人格・行動を求められている。
なぜ保育者・教師は、優れた人格・行動を求められるのか。それは、保育者・教師の人格・行動は、保育・教育方法の一つであり、保育・教育内容の一部であるからである。保育者・教師は、自らを人間のモデルとして、子どもへ示していく。より優れた保育・教育をするためには、優れた教材や教育方法だけでなく、保育者・教師自身の優れた人格・行動も必要である。「子どものモデルになる」ということは、保育者・教師が保育・教育方法及び内容としての自らの人格・行動を自覚し、自らそれを教育課程の中に取り込んで、実行することである。
ここでは、保育者の人格・行動様式(習慣)が、保育上どのような意味を持つか論じる。まず、潜在的カリキュラムの理論について確認し、保育者の人格・行動様式がどのように教育的影響力を持つか明らかにする。次に、誘導保育の理論を参照しながら、保育者が子どものモデルになることの意味について明らかにする。
1.保育者という保育方法・内容
(1)潜在的カリキュラムとは
保育者は、保育方法・内容を駆使して保育する主体であると同時に、自らが保育方法・内容でもある。この考え方を理解するために、潜在的カリキュラムという概念を確認しておきたい。
潜在的カリキュラム(隠れたカリキュラム、ヒドゥン・カリキュラム、hidden curiculum)とは、教育課程や計画などの顕在的カリキュラムとは別に、無意識・無意図的に被教育者へ伝わる知識・行動様式・思考様式などの内容、およびその過程である。例えば、ある保育者が子どもたちには協力の大事さを口頭で伝えながら(顕在的カリキュラム)、同僚保育者と反目し合い、協力し合わないため、子どもたちに「協力とは、先生の前ではしなくてはならないが、本当はそれほど大事ではないのだ」という暗黙のメッセージを発してしまうようなことをいう。この例のように、潜在的カリキュラムにはプラス・マイナスの両面があり、それぞれポジティブ潜在的カリキュラム(PHC)・ネガティブ潜在的カリキュラム(NHC)と呼ぶ。とくにネガティブ潜在的カリキュラムは、非教育的・反教育的経験を含み、顕在的カリキュラム以上に影響力を持つことも多い。
保育者は、月案・週案・日案などの顕在的カリキュラム(教育課程)を常に編成し、実行していく。潜在的カリキュラムを含めて教育課程を編成することは困難である。潜在的カリキュラムは、事実の中に隠れており、容易には認識できないものだからである。しかし、潜在的カリキュラムの認識・意識化には、子どもの実感から学習経験を広く捉え直すという重大な意義がある。教育目的・目標の実現を形式的なものに止めず、本当に実現するためには、潜在的カリキュラムを意識することは必要である。
潜在的カリキュラムは多様である。例えば、園風(校風)、園舎・保育室・遊戯室(教室)等の雰囲気、施設設備、クラスの子どもなども潜在的カリキュラムとなりうる。言い換えれば、潜在的カリキュラムは、非教育的・反教育的なものも含む保育環境の教育的意義であると言える。そして、この潜在的カリキュラムのうちで影響力の大きいものは、保育者自身である。
(以下、続く)
<主要参考文献(続きの内容の分も含む)>
倉橋惣三『幼稚園保育法真諦』東洋図書、1934年(『幼稚園真諦』倉橋惣三文庫①、フレーベル館、2008年)
佐藤学『カリキュラムの批評―公共性の再構築へ』世織書房、1996年。
森上史朗・吉村真理子・後藤節美編『保育内容「人間関係」』新・保育講座、ミネルヴァ書房、2001年。
橋川喜美代『保育形態論の変遷』春風社、2003年。
江川玟成・高橋勝・葉養正明・望月重信編『最新教育キーワード137』時事通信社、第12版2007年。
浜口順子編『事例で学ぶ保育内容〈領域〉表現』萌文書林、改訂版2008年(初版2007年)。
ヴォルフガング・ブレツィンカ(小笠原道雄・坂越正樹監訳)『教育目標・教育手段・教育成果―教育科学のシステム化』玉川大学出版部、2009年。
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