教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

メディア概念

2006年03月24日 18時06分08秒 | 教育研究メモ
 今日は、普段より異様に早い時間に目が覚める。午前6時ごろ登校。まず、学振の年度末報告書を作りました。〆切は4月20日(しかも受付は1日以降)なので気が早いようですが、受入研究者の佐藤先生が近い内に完全に引っ越してしまうとのことで、先生がいなくなる前に仕上げないといけないのです。というのも、受入研究者のコメントと印鑑(もしくは自著)が必要なので。基本的に考えて書く必要があるところは、掲載論文・学会発表のリスト、研究実施状況の概要、受入研究者のコメント(これは私が書くのではないのだけど)の三点。なかでも研究実施状況はA4一頁程度の文章を書く必要があります。研究実施状況は、私は本年度に活字化した論文の解説を中心に書きますが、論文を並べてみると意外に自分の研究の進捗状況がわかる。なんだか研究が少しだけ前に進んでいる実感が少しだけわいてきました。8時ごろひとまず完成。あとは先生のコメントだけ。
 
 報告書を書いた後、昨年の教育史学会第49回大会のシンポジウム・コロキウムの記録と、メディア史の入門書である有山輝男・竹山昭子編『メディア史を学ぶ人のために』(世界思想社、2004年)を使って、教育会研究におけるメディア概念の意義を、ぷちぷちパソコンで書いていました。有山・竹山編によると、メディアという概念の意味は多様でありますが、最近ではだいたい三つの意味に絞られてきたそうです。第一の意味は、「あいだに入ったり、媒介する作用や実体」という一般的な意味で、あまり広く適用範囲を取るとメディア概念を使う意味がなくなるので、基本的には人と人とのコミュニケーションにおける媒介作用・実体を意味するようです。第二の意味は、「印刷、音声、視覚などを媒体として区別する」こととありますが、ちょっとわかりにくい説明です。文脈から、媒体としての印刷・音声・視覚、と言い換えれば良いかなと理解しました。新聞・ラジオ・テレビといった具体的なメディアは、印刷・音声・視覚というメディアが社会的変化を受けて実現したもの、というように捉えられるようです。第三の意味は、「何か別のもののためのmedium(媒体、媒介手段)」という意味です。この意味でのメディアは、新聞やテレビなどに限らず、政治的権威を表す宮殿や凱旋門、伝統的価値を再確認する媒介手段としての儀式など、かなり広い対象を含みます。この入門書では、第一・第三の意味は広すぎるので、第二の意味におけるメディアの歴史的研究を行い、その後第一・第三の意味におけるメディア史研究に切り込もうとしています。教育史研究においては、昨年の教育史学会大会で分析概念としてメディアが喧伝され、今井康雄氏のように教育の再定義をするためのメディア概念を使用したり、辻本雅史氏のように近世と近代の教育史や学校教育と「知の伝達」一般を連続させる方法的概念として使用したり、佐藤卓己氏のようにマスコミュニケーション学の内容と教育学の内容を直接リンクさせたり、梶山雅史氏のように教育会研究の分析概念として使用したり、様々な使用例が見られました。
 ともかく、メディアという概念は、現実を説明しているようで実体のよくわからない概念です。まあ、メディアが機能するときは「見えなくなる」(テレビを見ていることは、テレビそのものを見ているのではなくて、テレビに映った映像を見ている、とか)ので、把握し難いことはメディアそのものの特質なのかもしれません。とにかく捉えがたいものなので、メディアを使うときは、きちんと限定・定義して使わないといけません。「これはメディアです」と言うだけでは何の意味もないので、どういうメディアかということを言わないといけません。もちろん、「メディアだ」と誰かが言わなければ誰も気づかない訳で、「メディアだ」ということそのものは意味があることです。「教育会はメディアだ」と言うことによって、教育会研究にメディア研究の方法や視点などを適用可能になるわけです。ただ、「メディアだ、って言えるのか?」という問題もありますから、具体的実証が伴わないと価値は半減してしまいます。上記の通り、梶山氏の教育会=メディアという仮説も、「メディアだ」と言っている意味において価値がありますが、「ホントにメディアなんですか? メディアって言っていいんですか?」という批判(疑問?)に耐えることはできましょうか。うーん。どうでしょうか。
 先日申し立てを出した私の教育史学会投稿論文は、結論が3つあるのですが(もちろん相互関連してる結論です)、その中の一つは「教育会はどういうメディアとして分析できますか?」という問題に対する私なりの答えでもありました。掲載決まってくれると、皆さんにも披露して批判を受けることもできるし、今後研究を発展させていくのに非常に都合がいいんですけどもねぇ(もう2度も掲載不可をくらっているので不安ばりばりです(笑))。
 
 まあ、そんなこんなでまとまらないレポートらしきものを作り(最後の方は書いてないけど)、久しぶりに運動へ。一時間の運動後、汗を流しに帰宅。洗濯物を干して昼過ぎに再度登校。昼飯を食べて、広大の図書館に資料収集に出かける。地方教育史の教育会論文を集めつつ、教科教育学関連の本を借りる。
 さらに、ふと思いついて、来年度から主任指導教員としてお世話になるY先生のところへ、来年度の予定を聞きに行くついでに、先日18日に発表した博論構想のレジュメをもって行く。渡してから気がついたけど、当日先輩方にもらった意見を反映させて書き直したレジュメをもっていけばよかった… 後悔先に立たず。
 
 まあいっかー(^^;)。
 ちなみに今日Y先生と話した感じでは、ちゃんと指導してくれそうで少しホッとする。問題は専門外であることと、問題関心が違うこと。
コメント
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