教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

PD申請への不安

2006年03月29日 18時49分15秒 | Weblog
 今日は、昨日がんばりすぎて寝坊しました(笑)。午前0時半ごろ帰宅したのですが、それから作曲をしてケリがつけられず、午前3時ごろ寝ましたので。実は先日、あるところから作曲を依頼されたので、急に作曲活動に復帰したというわけです。2時間程度やって40小節ほど作りましたが、うーんボツですね。
 そんなことで寝坊して、作曲のことで頭をいっぱいにしながら昼頃出校。2週間くらい前に論文執筆のため借りていた本をとりあえず返そうかなと考えつつ、必要部分を見ただけだったので、少し読もうと思いました。それで、藤原喜代蔵『明治大正昭和教育思想学説人物史』第一巻明治前期編(東亜政経社、1943年再版(湘南堂書店、1980年復刻))を少しと、スペンサー(三笠乙彦訳)『知育・徳育・体育論』(世界教育学選集50、明治図書、1969年)の解説、赤塚徳郎『スペンサー教育学の研究』(東洋館出版社、1993年)の序論、を読みました。藤原著は、教育思想学説の歴史を、人物に焦点をあてて、かつ政治・経済・学術・宗教・文学・思想その他と関連させて、叙述した著作です。ここまで広範な叙述をした教育思想学説史はないでしょうから、期待していたのですが、藤原氏の評論調の叙述がどぎついのと、単純な歴史観(戦前の歴史観ですから仕方ないのですが)にはついていけないので、結局目を通すだけにしました。スペンサーの教育思想に関するものを読むときの視点は、明治日本においてどのようにどんな影響を与えたのか、ということを知りたかったのですが、自由民権運動との関係と訳著の簡単な紹介しかなかったので、こちらも期待はずれ。
 さらに『教科教育百年史』の昨日の続きを読んでいたのですが、それよりもふと6月〆切の日本学術振興会特別研究員(PD)の申請のことが気になり、読書そっちのけで思索にふけることに。うーん、博士論文もまだ書いていない(書けるかどうかもわからない)のに新しい研究計画を立てなくてはいけない、という状況には、なんだか変な気分です。やりたいことはあるのだけど、PDにふさわしいかどうかはよくわからない。さすがに相談できる人がいないのは不安。ちょっと考えないとなあ。DCのときに申請したままではダメだろうし。DC経験者はPDにも受かるという根拠のない噂は聞いたことがあるけれど、はたして大丈夫だろうか?
コメント
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