本来ならば3月中旬に藍の種まきをするのですが、今年は遅れてしまいました。でも四月以内ならばそれほど心配はありません。種まき前に育苗する畝をミニ耕運機で耕しました。事前にトラクターで耕していたのですが、粘土質ですので土がおにぎり大の粒になっています。それをミニ耕運機で細かく砕いて種まきしやすいように砕きました。また、雨が降っても脇に流れてくれるように鞍型に畝を作りました。
ミニ耕運機で土を細かく砕いて、藍を育苗する畝を作る
トラクターは広い畑では効率よく耕してくれますが細かくは土を砕いてくれません。そこでミニ耕運機の登場です。車軸耕運ではなくロータリー耕運なので楽です。ミニ耕運機の後に付いて行くだけです。方向転換の時だけハンドルに少し力が必要です。ロータリーを逆回転するとさらに細かく土を砕いてくれるのですが、遅くなるため今回は正回転で通しました。
のんびりと耕運作業 藍苗を避けて耕運 土を細かく耕す
ある程度耕運すると肥料を蒔きました。そして、再度ミニ耕運機で耕して肥料と土をかき混ぜました。そして、次に培土板を使って藍の種を蒔く畝を鞍型に整形しました。これで種まきの準備はできました。数日後、藍の種まきを体験したい親子がやって来ます。
土の上に肥料をばらまく 培土板で畝を鞍型に整形
草刈りをしていると足の底につんつん当たるものがありました。タケノコです。周辺を見渡すとあちらこちらにタケノコが出ていました。タケノコが出る季節になったのです。そう言えば、数日前に行った交流館でタケノコをたくさん売っていたのを思い出しました。
タケノコ、つるはしで掘り起こして息子夫婦に贈りました。あく抜きが大変でしょうが食べてくれる思います。余れば、実家や近所に分けるのではと思います。
つるはしを使って足元のタケノコを掘り出す
今回掘り起こしたタケノコは食べたり贈りますが、今後出て来るタケノコは全て蹴り倒しい処分します。そうしないと我家前の畑は竹林になってしまいます。今後一ヶ月位はタケノコを蹴り倒す作業になります。もったいないような気がしますが、全て食べるには多すぎますので。なおタケノコ数本をもう少し成長させて、皮だけを採集しようと思います。細工に使えないか考えています。
息子夫婦などに贈ったタケノコ 贈るタケノコを段ボールに
そろそろ、藍,綿,小豆などの種まきをしようと思います。それらの種まきをする広めの畑をトラクターで耕しました。数日前に雨が降り続いていたため少し湿っています。しかし、仕事などで忙しいため早めに耕しました。
普段は耕運機で耕すのですが、早く効率的に耕すため今回はトラクターを使いました。天気も良くのんびりと耕しました。五月連休までには藍や綿の種を蒔きます。また、初夏になると小豆などの種を蒔きます。さらに、秋には小麦の種を蒔く予定です。
やや湿った畑をトラクターでのんびりと耕運
ところで、去年藍を栽培していた畝にびっしりと藍が芽生えていました。自然に落下した種から芽生えたのだと思います。せっかくなので、その芽生えた藍も育てようと思います。そのため、芽生えている藍は耕しませんでした。
江戸時代、田布施は藍染めが盛んでした。そして、藍の栽培も盛んだったようで郷土館に栽培歴が残っています。その栽培歴によると田布施では3月に種を蒔きます。少し遅れてしまったため、すぐに種まきを済ませようと思います。
芽生えた藍は耕さず 畑全体の耕運完了
私は電子工作が好きでしたので、学生時代によく秋葉原行きました。当時私は東池袋に住んでいました。そのため、秋葉原に行くために丸ノ内線の大塚駅で電車に乗りお茶の水駅で降りました。そして、今回歩いたようにお茶の水から昌平坂学問所横を通って秋葉原に行きました。帰りは逆コースで東池袋に戻っていました。当時はオーディオブームでたくさんのオーディオの専門店がありました。その専門店をすり抜けながら秋葉原街に向かったものでした。
昔も今も広告が派手な秋葉原のビル街
私が学生時代の秋葉原は真空管,オーディ,電子部品,通信機などの電子製品を得る店が軒を並べていました。私が初めて秋葉原に行ったのは18歳の時でした。まだ東京の生活に慣れていなかったので、今は亡き叔父さんや叔母さんに連れられて行きました。秋葉原で初めて買ったのは電線を切るニッパーです。今も使っています。
総武線の昌平橋 レンガの万世橋駅跡 秋月電子
当時も今も秋葉原で一番多く通っているのは秋月電子です。私が学生時代に開店したお店です。当時は真空管からトランジスタやICに切り替わっている時代でした。その時代の変化を象徴するお店だと思います。今もパソコン部品、IC部品、測定器などを売っており、通信販売もしているようです。
メイドカフェ街 懐かしのラジオデパート JR秋葉原駅
秋月電子を少し過ぎた場所は、かつては広瀬無線など通信機のお店がたくさんありました。しかし、今はメイドカフェ街になっています。メイド服を着た女の子がお客を誘っていました。11年前にメイドカフェがどんな所か一度だけ入店したことがあります。続いて秋月電子と同様に、今でも行くラジオデパートに行きました。小店舗の集りですが、次々にお店が撤退しているのは寂しいものです。最後にJR秋葉原駅に行きました。かつては、駅前広場でたたき売りをしていました。駅舎が新しくなると共に、たたき売りも無くなりました。
懐かしいお茶の水、神保町、秋葉原を巡る
満開の桜がひらひらと風に乗って散り始めました。いわゆる桜吹雪です。我家のベランダに桜の花弁が散らばっています。掃除しても次から次へと花弁が落ちてくるため数日間放置しようと思います。花が散り切ったら掃除機で吸い取る予定です。でも掃除機の袋がすぐにいっぱいになるため、替えの袋を用意する必要があります。毎年の行事です。
我家のベランダに落ちて来る桜吹雪、まだまだ落花しそう
桜があまりに見事に花を散らすので、その他の花を忘れてしまいそうになります。桜と同じような色のハナカイドウです。大き目で少しばかり控えめな花です。騒々しい桜と比べておしとやかです。また、ハナズオウは濃い紫色が特徴です。色が濃いためと遠くから目立ちます。
ところで、交流館に寄りましたが駐車場がとても混んでいました。桜の下に御座を敷いて座り込み、飲み食いしながら談笑している方々が多くいました。平和です。
おしとやかなハナカイドウ 濃い紫のハナカイドウ 賑わう交流館の桜
ところで、一方でに忘れ去られそうな花もあります。我家ではグミとブルーベリーです。共に地味な花で鮮やかさはまったくありません。桃を除いて綺麗な花にはあまり美味しい実は付きません。一方で花は地味でもグミもブルーベリーも美味しい実を届けてくれます。その美味しい実は初夏まであおずけです。
赤い実が美味しいグミの花 紫の実が美味しいブルーベリーの花
桜が満開になり春を実感する季節となりました。でも一方で雑草も目に見えて茂るようになりました。これはもう草刈りしないではいられない季節になったことを示します。
桜の満開は草取りスタートを意味します。満開の桜を遠目にみながら草取りを始めました。まだ背が低い雑草ですが、今さぼると後で痛い目をあいます。この日に備えて先月整備した草刈機を納屋から取り出しました。そして畑の草刈りを始めました。
まだ背が低い雑草を刈り取る、後日耕運予定の畑を
最初に、郵便屋さん,新聞屋さん,ガス屋さん,宅急便屋さんなどがやって来る玄関前の草刈りをしました。晩秋の落葉などがまだ残っているため、そして人目があるため最初に草刈り整理しました。
続いて、花壇周りの草取りをしました。ラナンキュラス,チューリップ,水仙,アネモネなどが咲いている花壇です。来月早々球根を掘り起こすなど片付けしなければならない花壇です。
玄関前に垣根下の草刈り 花壇周りの草刈り完
お茶の水界隈を巡っているとお腹がすきました。そこで、JRお茶の水駅近くを眺めることができるお店の二階に入りました。その窓側に座って運ばれてきた料理を食べました。そこから下を見ると、JRお茶の水駅から神保町に向かう広い道がみえました。正面を見ると道の向い側に下倉楽器がありました。そして、その近くに金管楽器専門の楽器店がありました。学生時代の私を思い出しながら、のんびりと料理を食べました。
お茶の水と秋葉原の間にある昌平坂学問所(湯島の聖堂)
私が学生時代、ピアノ,金管楽器,そしてドラムなどはとても高価でした。また譜面も安くありませんでした。唯一手に入れたのがギターでした。左手でフレットを押さえ、右手で弦をはじくのです。いろいろ練習してトレモロができるようになりました。コードをいくつか覚えました。
しかし、就職をきっかけに止めました。一番の原因は爪です。クラシックギターは爪を伸ばして弦を弾きます。爪を伸ばしていると仕事に不都合だと分かったためです。そのギターをまだ持っていますが、今は楽器ではなく単なる飾りです。青春時代の記念品です。
道を見下ろしながら食事 懐かしの下倉楽器 神保町に伸びる道
食事が終わると、これまた学生時代に通い続けた秋葉原に向かいました。JRお茶の水駅を過ぎて、丸の内線お茶の水駅を通り過ぎ、聖橋のトンネルを抜けました。そのトンネルは、雨除けになるためか当時は浮浪者が寝泊まりしていました。当時、その浮浪者を避けるようにしてトンネル内を歩いたものでした。
聖橋のトンネル 通勤していた会社の本社 昌平坂学問所の石垣
聖橋のトンネル付近を歩いていると、私が勤めていた会社の元本社ビルが見えてきました。この元本社ビルで発表をしたことがありました。その後、不景気になり赤字になったため会社はこの本社ビルを手放しました。
トンネルを抜けると、昌平坂学問所(湯島の聖堂)の石垣が現われました。今でも漢学,習字,俳句,儒学,和歌など日本文学の講習会が開かれているようです。敷地内を散策したことがありますが巨大な孔子像が置かれていました。
懐かしいお茶の水、神保町、秋葉原を巡る
去年の田布施さくら祭りは交流館付近が会場でした。そのためか、交流館近くはすれ違いもできないほど混雑していました。たまたま帰国していた娘達とさくら祭りを楽しみました。川辺には隙間がないほど人が座っていました。仕方なく、図書館からかなり下流で休憩しました。
今年は会場が役場より北側にある詩情公園に移ったため、交流館付近はそれほど混んでいませんでした。桜をのんびり楽しむことができました。
役場近くの詩情公園はどこも混雑、お店はどこも行列
5年前の田布施さくら祭りでは、郷土館として織物体験コーナーを出展しました。スタッフが足りないため田布施農工高校の生徒さんにボランティアで手伝ってもらいました。私は子供達に簡単な織物を教えました。そして、我家から持ってきた運搬車(郷土館号)に子供達を載せて公園内を回りました。コロナ惨禍の前のことです。
桜並木と田布施役場 少年少女合唱団 たくさんの出店
ボーイスカウトコーナーに立ち寄りました。今は活動していませんが、私は東京で20年位前に指導者の一人でした。田布施町のボーイスカウトには、指導者として活躍している同級生がたくさんいます。その一人と話し込みました。近年入隊する子供が少なくなっているそうです。そのため解散した隊も少なくないとか。柳井市も一つの団だけが残っているとか。
賑やかな子供向け玩具のお店 田布施川ではカヌー体験
コロナが明けて久しぶりに東京お茶の水に行きました。お茶の水にある病院で人間ドッグを受けるためです。コロナ前には毎年行っていました。五年ぶり位でしょうか。お茶の水は、昭和40年代私が学生時代に拠点にしていた場所でした。当時学生街と呼ばれていました。明治大学,中央大学,日本大学,専修大学など、また女子大もありました。
また、学生でありながらジャズを演奏していた関係で、同僚とこの近くの楽器店にも入り浸っていました。お金のない学生でしたので、楽器はとても買えませんでした。しかし、見るだけでも楽しい楽器店でした。当時の下倉楽器店は今でもあります。またレコードをよく買っていたDisk Unionも健在でした。
学生時代うろついていた神保町の古本屋街
JRお茶の水駅を出るとそそくさと歩いて病院に行きました。私が学生時代は確か古めかしい病院でした。50年位前の事ですが、私の友達が入院したため見舞いに行きました。50年後この病院に人間ドッグで来るようになろうとは当時は思いもよりませんでした。
2時間位の検査でした。今回はあらたに脳のMRI検査を受けました。巨大なドーナツ状の筒に頭を入れました。ギンギンガンガンする音がしましたが、次第に眠くなってしまい。肩を叩かれて目が覚めました。後日結果を送ってくるとのこと。
人が多いJRお茶の水駅 人間ドッグを受けた病院 受験した明治大学
人間ドッグが終わると病院を出ました。時間があるため懐かしいお茶の水街を歩きました。明治大学が近くにありました。古い建物はもうありませんでした。実は53年前この大学を受験しました。ところが、とても寒くて体調を崩してしまいました。何と鼻血がポタポタと止まらなく受験どころではありませんでした。拭けば拭くほど解答用紙が赤く染まってしまうのです。気が動転してしまいました。当然ながら受かりませんでした。そんな淡く辛い思い出です。
神保町古本屋通り 校舎が立っていた場所 日本大学の校舎
実はその頃日本大学に入学が決まっていたのです。さらに下宿先も決まっていたのです。しかし、何か納得できず別の学校に入りました。関係した方に大迷惑をかけました。日本大学の一年分の学費をすでに納めていたため、日本大学の金ボタンと帽子、学生服などが送ってきました。そのため、一年間は日本大学の学生でもあったのです。
今、大学の学費はとても高価です。しかし、当時の学費は年間20万円位でした。アルバイトで稼ぐことができるお金です。アルバイトで稼いだお金で学費を払った友達がいました。ところで私が通っていた校舎は跡形もありませんでした。
懐かしいお茶の水、神保町、秋葉原を巡る
先日皮を取るために伐採したクルミ。すべての枝の皮を取れなかったため今回整理しました。皮を取るための枝と薪にする枝を分けました。節があると皮を剥ぎにくいため、節を除いてかつ真っすぐな枝を選びました。
たった一本のクルミを伐採したのですが、たくさんの皮を取れそうです。来月か再来月にもう一度皮を取ったらクルミの皮細工をしようと思います。ちゃんとした籠ができると良いのですが。
残ったクルミの枝から、皮をとるための枝を選別
天気が良いので、チェーンソーを使っていると体が熱くなってきました。上着を脱いで作業しました。その結果、皮を取るための枝がたくさん取れました。熱湯に三回程度分けて入れないと、すべての枝の皮を取れないかも知れません。幹を伐採し、皮をとる枝を取り、熱湯を沸かし、皮を取る・・・なかなか大変な作業です。籠を作るどころの話ではありません。
選別したクルミの枝を集める 皮を取るためのたくさんの枝
災害に備えて我家の玄関に置いてある小型エンジン発電機。久しぶりに点検しました。ガソリンは3年以上入れ替えていません。その古いガソリンでエンジンが動くでしょうか。起動スイッチを入れた後、何度か始動ロープを引きました。すると、弱弱しくエンジンがかかりました。少しばかり回転数が不安定です。また、ガソリンは残っているのに数分で止まってしまいました。そのため、ガソリンとエンジンオイルを取り替えることにしました。
古いガソリンを捨てて、新しいガソリンを入れる
最初古いガソリンを取り出しました。続いて、古いエンジンオイルをすべて捨てました。エンジンの底に残ったオイルは黒色をしていました。古いエンジンオイルを取り去ると、新しく購入したエンジンオイルを規定量入れました。その後、新しいガソリンを入れました。
始動スイッチを入れて指導ロープを引きました。三回目にエンジンがかかりました。最初回転が不安定でしたがだんだん安定してきました。100V交流と12V直流を発電するエンジン発電機です。ここ10年災害に合わないため、この発電機の出番がありません。良いことではありますが。
古いオイルを取り出す 新しいオイルを入れる 始動ロープを引く
今回作った二作目の円座は猫を意識して直径を45cmにしてみました。さらに、巻くわらの太さをやや太めにしました。直径が大きいのでわらがたくさん必要になりました。何度か納屋に行って、この秋に刈り取ったわらを取り出して円座用に使いました。
今回作った円座に乗って、毛づくろいする猫さん
これまでいくつか円座を作りましたが、直径が大きくなるほど巻くわら束を太くする必要があります。あるいは紐でわらをよりきつく縛る必要がありました。そうしないと、形が崩れやすくなります。さらに猫の爪とぎ専用になりやすくなります。
終端はわら束をだんだん細く やっと完成した円座
円座を何十個も作ったわけではありませんが、円座を綺麗に作るためには、
①初めから終端まで同じ太さのわらを継ぐ
②わらの継ぎ目が分からないように綺麗に継ぐ
③紐で縛る位置をシンメトリックに正確に
④紐に色を付けると綺麗
⑤良いわらを選び、よく叩いて柔らかくしておく などでしょうか。
なお、細い紐を使っていたら指を切ってしまいました。力を入れる側の手には軍手をはめると良いでしょう。友達にこの円座を貸しました。すぐに猫がやってきて乗ったそうです。そして、毛づくろいを始めたそうです。
円座の上に乗ってくつろぐ猫さん
このところ春らしく暖かくなりました。そのためか畑も雑草が目立つようになりました。このまま放置すると雑草が勢いを増してしまいます。そのため、除草も兼ねて耕運機で畑を耕しました。
広い畑はトラクターで耕しますが、家前の畑は狭いため耕運機にちょうど良い広さです。何の種を蒔こうかなと思いながら畑を耕しました。
雑草がまばらに生える畑をのんびり耕す
秋冬野菜はすでにとうが立っています。全てを抜いて夏用の畑にしなければなりません。ですが、なかなか時間がなくてまだ放置状態です。そのおかげか、とうが立った小松菜や白菜などは花が咲き始めました。これらの花を観賞しながらの耕運です。
とうが立って花が咲いた畑 長ネギの畝傍を耕す
先日クルミの枝を煮た後に皮を剥きました。今回、そのクルミの皮を水に浸して柔らかくした後に巻いて保存する作業をしました。水に入れて30分位すると柔らかくなります 。水から取り出すと、皮を裏返しにして輪ゴムでその状態をキープするようにしました。そして乾燥しました。煮た直後にそうすれば良かったのですが気が付きませんでした。
裏返しにして輪ゴムをはめ、乾燥したクルミの皮
ところで、以前皮を剥いたクルミの皮一枚、軒下で乾燥していたのですがカビが生えていました。雨が降ると霧が降りかかるのでしょう。そのため、軒下ではなく屋内に入れて扇風機で強制的に乾かしました。するとパリパリに乾き、まるで昆布のようになりました。暇ができれば、この皮で籠など編んで見たいと思います。これまでクルミを使って作ったのはコースター位です。
水に戻してふやかす 取り出した皮 裏返して輪ゴムをはめる
作りかけだった円座を最後まで作ることにしました。前に作った円座は緑、黄、青の細い麻紐を使いました。しかし、紐が細かったため力を入れた時に指を切ってしまいました。軍手を使えば防ぐことができたのですが、軍手を使うと指先の間隔が鈍ります。
作りかけだった円座、太目の麻紐を使っていたのを思い出しました。その太めの麻紐と細めの紐の使い勝手を比較しました。その結果、太めの麻紐の方が使いやすいことが分かりました。今後は太めの麻紐を使った方が良さそうです。色が付いていないのが欠点ですが。
太めの麻紐を使って円座を最後まで製作
円座を作っていてだんだんわらが先細りしてきます。適当なところでわらを継ぐ必要があります。その繋ぎ目を分からないように一工夫する必要があります。新しく継ぐわらを内側に挿入するように継ぐと良いです。そうすると、継ぎ目が目立ちません。円座の直径が大きくなるとわらを継ぐ頻度が多くなります。麻紐もだんだん短くなり継ぐ必要があります。結び目が小さな結び方をして繋ぎます。このようにわらと紐を繋ぎながら円座を大きくしていきます。
内側の紐に糸をくぐらす わらを内側に追加