結局の所、青木周弼の生誕地碑を見つけることができませんでした。小山をあちこち探し歩いたのですが分かりませんでした。和田地区は意外に広く全てを探索することができなかったため、機会があれば再度探してみようと思います。後日書物で調べてみるとミカン畑の中に碑があるようです。
青木周弼生誕地に見切りをつけて小野家五輪塔周辺を調べてみました。すると、妙見社のお社などが隣に建っていました。
青木周弼生誕地、小野家五輪塔近くのミカン畑
さらに小野家五輪塔傍には男性を模している思われる石棒が立てた状態で置かれていました。江戸時代は特に飢饉や疫病で人口が減った時期がありました。そんな時、人々の願いは子供がたくさん生まれることではなかったかと思います。幕末に青木周弼が藩医とし天然痘で亡くなる人々を種痘で救ったことなどを思い起こして、昔の人々の悲惨さや願いに思いをはせました。
妙見社の小さなお社 お地蔵様三体 お地蔵様五体
和田地区を歩いているとたくさんのお地蔵様に出会います。そのお地蔵様は比較的新しく置かれているようでした。台座もピカピカ新しいのです。道路を改修したりした時に新しく彫って安置したように思えます。安置したのは昭和年代ではないかと思います。しかも、数体のお地蔵様が連番で並んでいるのです。
葉軸に棘があるシュロ? たくさんのシュロ?が
ところで、旧和田小学校にも植えてあった巨大なシュロのような植物がこの地には目立ちます。その植物を見上げていると、一人のお婆さんに出会いました。このシュロのことをお聞きすると、このシュロ(ヤシ?)を植える園芸屋の土地とのことです。そのシュロを公園や広場に植える仕事をしているとのことでした。この植物の名前をお聞きすると、分からないとのことでした。そう言えば片添ヶ浜の海岸に沿って並ぶように植えてあるワシントンヤシ?ではないかと思います。
周防大島和田地区の史跡巡りウォーキングコース