東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

町田市 多摩市 多摩丘陵ウォーキング(2/3)

2014年11月07日 | 歴史探訪他ウォーキング

 展望広場(防人見返り峠)は、多摩ニュータウンの工事でだいぶ削られたようです。展望広場から少し歩いて展望広場を振り返るとそれが良く分かります。古代においては、うっそうとしていたと思われる峠は今、多摩市と町田市の境界線にあります。どういうわけか、多摩市側はぎりぎりまで開発されています。しかし、町田市側は開発されず森が残っています。

         〇は展望広場(防人見返り峠)、左側は多摩市、右側は町田市

 展望広場で少しばかり休息後、ウォーキングを続けました。途中、尾根幹線道路にあるトイレに行きました。しばらく歩くと、鎌倉街道に出ました。この付近は舗装道路になっており、尾根幹線の歩道橋を渡って鎌倉街道を越えました。その後歩いて、恵泉女学園大学の農場に行きました。

     歩道橋を渡って鎌倉街道を超える          恵泉女学園大学の農場
 

 この農場は、恵泉女学園大学の生徒たちが野菜などを育てる畑がたくさん並んでいます。春のスプリングフェスタ学園祭の時に、私の知っている先生にこの農場を案内していただいたことがあります。この大学に入学すると、一年生は必ずこの農場で野菜作りを体験することになっているそうです。なお、当時この農場の前にお墓ができるとのことで反対運動がありました。しかし、反対のかいなく大規模な墓地ができていました。

                 広々とした実験農場や地元の畑


 恵泉女学園大学の農場を見終わると、大学の裏を抜ける道を歩きました。しばらくこんもりとした林が続きました。地図を見ても分かりにくい道をどんどん歩きました。一度お地蔵様前で道に迷ってしました。その時、畑で農作業していた方に聞いて道を修正しました。しばらく歩いていると、ぽっかりと広い舗装道路に出ました。

      お地蔵様前で道に迷う            一本杉公園と小野路宿の道しるべ
 

 その広い道路は、北に向かうと一本杉公園、南に向かうと小野路宿に向かいます。今回は、小野路宿里山交流館と小野神社がある小野路宿方面に向かいました。江戸時代後期、新撰組が剣術を教えていたと言われる旧宿場町の路を歩きました。15分位でしょうか、どんどん舗装道路を南に向かいました。すると、小野路宿里山交流館の立派な建物が見えてきました。この建物の中を見学してみることにしました。なお、この小野路宿は、宿場100選の一つだそうです。

                門構えがとても立派な小野路宿里山交流館


 中に入ると、里山交流館らしくこの付近の自然の素材を使って作られた民具などが展示されていました。また、レストランも併設されていました。今回はお腹がすいていなかったため食事はとりませんでした。外に出て、併設された施設や建物をいろいろ見学しました。立派な味噌蔵がありました。この交流館で味噌を作るのでしょうか。

     自然の素材で作られた民具など      小野路宿里山交流館裏山の小野神社
 

 小野路宿里山交流館を出ると、すぐ近くの裏山にある小野神社に行きました。小野路宿を見下ろすことができる神社でした。10世紀に建立されたとのことですので、坂東武者や鎌倉武士に厚く信仰されていたのではないかと思います。

     なかなか立派な万松寺             七体あるのに、なぜか六地蔵
 

 小野神社のある裏山を降りると、万松寺に行きました。なかなか立派なお寺でした。そのお寺からターンするようにして、ゆるい坂道を登りました。少し歩くと六地蔵がありました。ただ、六と言いながらお地蔵様は七体ありました。途中で一つ増えたのか、何か言われがあるのでしょう。六地蔵を過ぎると、牛の放牧場に向けて緩やかな坂道をどんどん登りました。

              今回ウォーキングした多摩丘陵のコース


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