東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市 上馬皿周辺の史跡巡りウォーキング(2/3)

2022年07月25日 | 歴史探訪他ウォーキング

 中馬皿バス停近くに安置されている美人地蔵のお話です。バス停前に住むお婆さんから聞きました。言い伝えとのことです。このお地蔵様はその昔、美人の妻が落馬して亡くなったことを弔って安置されたそうです。ただの美人だけでは村人に惜しまれることはなかったと思います。亡くなる前から人々に慕われていたのでしょう。
 この美人地蔵、この場所から移す計画があったそうです。それは、菓子乃季の工場が馬皿にできた時のことです。琴石の水を分ける場所に移さないかとの話が菓子乃季から出たそうです。そこで、村人が美人地蔵の気持ちを聞くために周防大島の占い師にお伺いをたてたそうです。すると、美人地蔵は村人の傍を離れたくないとのお告げがあったとのこと。私は知りませんでしたが、周防大島に占い師がいたことは皆さん知っていました。そのため、うその話ではないようです。

     今回の中馬皿周辺史跡巡りウォーキングに参加された方々


 さて、美人地蔵を去るとひたすら柳井方面に向かって歩きました。柳北小学校手前100mに黒杭川が流れています。その黒杭川右岸の道を上流に向かいました。しばらく歩くと、黒杭川ダムが見えてきました。ダムが見え始めた頃、左に急な石階段が現れました。龍岩神社(別名猿田彦神社)に向かう石段です。その急な石段を参道に向かって登りました。少しばかり登ると、車道に出ました。そこからは、石階段を登っても車道を歩いても神社に行くことができます。しばらく登ると、龍岩神社(別名猿田彦神社)に到着しました。

 柳井方面に向かう途中   昼食休憩した龍岩神社    龍岩神社の石鳥
  

  龍岩神社はその名のとおり、神社の境内に言われれば「そうか」と、言うような竜の形に似た岩があります。首と思われる場所にしめ縄がかけてありました。ちなみに本殿には猿の思われる木造が表上に飾ってあります。その昔、伊勢の猿田彦神社にお参りして勧請していただいてきたのでしょう。それを龍岩神社に祀って別名猿田彦神社とも呼ばれるようになったのではないかと思います。

岩政次郎右衛門が築いた取水口近く      黒杭川上流ダムと取水口
 

  龍岩神社て昼食休憩をとりました。続いて、黒杭川ダム脇を通って黒杭川上流ダムに向かいました。到着すると、岩政次郎右衛門が築いた水路の取水口を見ました。取水口は網があるため直接見ることはできませんでした。その後、再び黒杭川ダムに戻りました。途中、黒杭川ダム公園内を通りましたが、一部の生垣が枯れたり竹が生い茂って日陰になっていました。竹を伐採するだけでも明るくなるのにと思います。やはり、公園を管理する費用も管理する人もあてがうことができないのでしょう。

          柳井市 中馬皿周辺の史跡を巡ったルート



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (田布施座)
2022-07-25 15:49:08
柳北小学校は現在どのあたりにあるのですか?。
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コメントありがとうございます。 (東京里山農業日誌)
2022-07-25 19:47:33
史跡巡りルート画像に記入しておきました。
画像の下の方です。
返信する
Unknown (田布施座)
2022-07-26 07:59:29
ありがとうございます。あそこはたまによく通ります。気になったことがあるのですが、あの前を流れる川は柳井川と思うのですが調べてみてください。
返信する
コメントありがとうございます。 (東京里山農業日誌)
2022-07-27 08:52:08
柳北小学校近くでは柳井川と黒杭川の両方が流れています。正確に言えば、柳北小の北100m位のところで、黒杭川と柳井川が合流しています。その後は柳井川として柳井市街を通って瀬戸内海に流れ込んでいます。
正確な川の位置をコース画像に入れておきました。
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