東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 麻郷,城南,石城山,小行司を散策(2/3)

2012年07月13日 | 歴史探訪他ウォーキング

 城南小学校を過ぎると、ハゼの大木を見に行きました。数年ぶりのハゼの大木です。田布施町では毎年「たぶせハゼの実ろうそく祭り」をしていますが、このろうそくを作るのに使うハゼの実はこのハゼの大木が関わっているようです。もしかして、この大木の枝を取り木して増やしてその実をろうそくに使っているのかも知れません。

             田布施町の記念樹「ハゼの大木」、根元に碑が


 幕末の長州藩は財政が苦しく、その財政を補うために塩,紙,そして蝋(ろう)を生産していたとのこと。その蝋は、ハゼの実を使って作られていたそうです。ちなみにハゼは私の家の裏山にも自生するほどの普通の樹木です。しかし、下手に触るとかぶれて赤く腫れるので、とても厄介な樹木です。私も山を歩く時、この木を見つけると触らないように迂回しています。

                 城南のさわやかな田園風景


 ところで、塩,紙,蝋(ろう)のうち、塩は50年ほど前まで平生湾でたくさん生産していました。私は麻郷から平生保育園に通っていましたが、その道すがら国道188号線沿いにいくつかの塩田がありました。塩田には数人の浜子さんがいて、暑い夏に汗をかきながら砂をかき集めていました。その姿を横目にしながら保育園から歩いて帰っていたものです。

      城南の宿井付近                岩城山のふもとの人家
 

 ハゼの大木を見終わると、城南の宿井に出て石城山に登ってみました。城南にも友達がいるのですが、ほとんど城南から大阪などに出た人ばかりです。寄っても留守だと思われたので、今回は通り過ぎました。なお、私の住む麻郷高塔地区内に住む中学時代の同級生M君は城南出身です。結婚後高塔に家を作って移り住んだとのことで、地区の会合などでよく会います。先日の、天王さまのお祭りでは司会をしていました。
 ところで、石城山に登るのは2年ぶりのことです。その時は、この山の頂上をぐるりと囲む古代の山城跡を見るためでした。今回は、一部の石垣(神籠石)を見るだけにとどめました。

          城南から石城山に登る途中、大波野や余田方面を眼下に

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