東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

西田布施方面史跡巡りウォーキングの下見(1/2)

2018年07月04日 | 歴史探訪他ウォーキング

 毎月の定例ウォーキングの下見に行ってきました。7月は西田布施を中心に史跡を巡ることにしています。出発地点は久しぶりに田布施交流館です。予定では10時出発ですので、その時刻に合わせて歩き始めました。最初の史跡は吉田雨村の顕彰碑です。以前来たことがある史跡のため、本番では割愛するかも知れません。続いて、元宰相岸信介墓所にお墓参りに行きました。お墓参りの許可をいただきに岸事務所に行きました。ろうそく,線香,ライターなどを持つ事務所のMさんと一緒に墓所に向かいました。

 元宰相岸信介墓所    奇兵隊士平野捨五郎墓所   田布施川を見下ろして
  

 元宰相岸信介のお墓参りを済ませると、近くにある奇兵隊諸隊干城隊隊長だった平野捨五郎の墓石を訪ねました。平野捨五郎は長岡(新潟県)で亡くなりました。当時の長岡は一つの藩でした。長岡藩は中立を守りたかったようですが、それを認めない新政府軍と対立しました。長岡藩を主導する河井継之介との戦い(北越戦争)では双方に多くの犠牲者が出ました。松下村塾生の時山直八も犠牲となりました。長岡の街も火の海となりました。ところで、元宰相岸信介氏の幼少の頃の記憶に、近くに住んでいた平野のお爺さんのお話があります。年代的にこのお爺さんは平野捨五郎の兄弟だったのではないかと思われます。

         詩情公園から見た田布施川,石城山,行者山


 平野捨五郎の墓所を過ぎると、詩情公園に行きました。100m位の坂道を登ると、田布施の街並みが見下ろせる場所に着きました。そして、田布施川を見下ろし、石城山,行者山などの山を遠望しました。そして、椙山稲荷神社の祠を訪れました。この祠、かつては建物があったのではないかと思われます。続いて田布施川右岸上流に向かった歩きました。ところが、歩道が草で覆われて歩けないことが分かりました。そのため、左岸の歩道を歩くことにしました。

 椙山稲荷神社の祠      詩情公園を降りて    右岸の歩道を折り返す
  

 田布施川をどんどん上流に向かい、途中から車の危険性がない右岸土手を歩きました。そして、浄泉寺に向かう道を歩きました。途中、納所会館前を通りました。この近辺を歩いていて、私が中学生の時に来たことがある同級生F君の家を50年ぶりに思い出しました。かつてF君宅と我家が同じ酪農をしていた関係で来たことがあるのです。我家に生える竹は、F君の家からもらって移植した竹なのです。

     田布施川沿いのお地蔵様        民家風の納所会館
 


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