東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市古開作方面の史跡巡り下見ウォーキング(3/3)

2021年01月08日 | 歴史探訪他ウォーキング

 12月の史跡巡り下見ウォーキングの続きです。本番ウォーキングで昼食をとる予定の柳井市役所付近の確認を終わると、古開作西公園(通称:ロケット公園)を通り過ぎて土穂石川に向かいました。土穂石川に着くと、橋本橋の袂にあるお地蔵様に見学しました。隣に新しい橋が架橋されているため、いずれその橋の袂に移動するのではないかと思います。橋本橋を渡ると、朝通った火伏地蔵に再びやって来ました。続いて、苗代池と呼ばれるため池に行きました。そして、このため池を守るように安置されたお地蔵様に行きました。

      通称ロケット公園に到着、続いて土穂石川に向かう


 ため池のお地蔵様を拝むと、道を少し戻って再び土穂石川に戻りました。戻る時、住宅の間をいくつも潜り抜けました。そして、変電所付近を通ってようやく土穂石川の土手に着きました。少し堤防沿いに歩いて、再び土穂石川に架かる橋を渡りました。渡っている時、突然強い風が吹いてS君の帽子が、土穂石川に飛んでいきました。帽子はどんどん川下に流れていきま、しだいに小さくなっていきました。

 橋本橋袂のお地蔵様      橋本橋を渡る    苗代池袂のお地蔵様
  

 遠く川下に去っていく帽子を、みんなでわいわい言いながら見つめました。帽子が見えなくなると、諦めて再び歩き始めました。次に、土穂石川が大きく左にターンする場所近くにある大師堂に着きました。ここで、立ったまましばらく休憩しました。

    帽子が飛んでいった橋       土穂石川突き当りの大師堂
 

 安永二年(1773年)に建立されたとの記載がある大師堂です。大師堂前の道は古開作が干拓される前に、干拓地の周りを通る道だったのではないかと思います。古地図によると、この大師堂あたりが当時の土穂石川河口だったはずです。ここから100m上流の川底に巨大な土穂石があります。

  川名の由来の土穂石    シュシュで休憩     線路を渡って帰る
  

 大師堂を過ぎた頃になると体が冷えてきました。そのため、線路を渡って喫茶シュシュに行き休憩することにしました。私は暖かいキャラメルコーヒーを飲んでケーキを食べました。30分位談笑したでしょうか。すっかり元気になり、足もかろやかになりました。シュシュから線路沿いに歩き、スタート地点に戻りました。下見ウォーキングお疲れさまでした。

     柳井市古開作方面の史跡巡り下見ウォーキングのコース

コメント (1)
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