東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市 伊保庄付近をウォーキング(2/3)

2015年03月07日 | 歴史探訪他ウォーキング

 猪避けの鉄柵が神社の周りに張り巡らされていました。周りに座る場所がないため、やむなく愛宕社に入らせていただき、そこでお昼ご飯にすることにしました。鉄柵をこじるようにして神社内に入りました。去年の夏か秋に集落の方々が神社を掃除したのでしょう、広場も神社内も綺麗にしてありました。そして、猪避けの鉄柵が効したのか広場は荒らされていませんでした。

                  愛宕社の軒下に座ってお昼休憩


 お昼休憩が終わると、鉄柵を再びこじるようにして出ました。鉄柵がちゃんと閉じていることを確認して、神社の裏を回り込むようにして山道を上に向けて進みました。山道の周りはどこも竹が生い茂っていました。しばらく進むと、大きな石の壁の前に出ました。

    竹藪の山道を進む        次々にお地蔵様        石壁前に到着
  

 この石壁を、EさんとEさんの妹は覚えていました。私は思い出せません。ここは沢筋の道で水がチョロチョロと流れていました。昔、ここを歩いた時に沢ガニがたくさんいたそうです。今は寒い冬のためカニはいないようです。この石壁の前に立派なお地蔵様が安置されていました。そのお地蔵様は「文殊様」と言うそうです。私の母親も覚えています。

        山道を通せんぼするようそびえる石壁、下はわずかに水が流れる沢


 ここで行き止まりのように思いましたが、確か上に向かう道があるはずです。そこで、私1人が上に向かう道を探しました。竹や木々がジャングルのように生えて邪魔をします。そのため、なかなか上に向かうことができません。それでも無理して進んでいると、うつぶせに倒れ苔むしたお地蔵様を一体発見しました。上に向かう道が確かにありました。しかし、このまま進むには道が荒れて危険です。残念ですが、皆の安全を考えて道を進むのは止めました。私としては、いつか必ず走破してみたい衝動にかられます。

  愛宕社から原に戻る        原で見つけたお堂         お堂の前にバナナ
  

 愛宕社を通り過ぎて、原の集落をどんどん下りました。途中にお御堂がありました。中にはお地蔵様があるはずですが、扉が閉まっていて拝顔できませんでした。この原からは海が良く見えました。

              原の集落から、周防大島方面の海を遠望


 昔、福井畑の人が平生に行く時は、原を通って愛宕社を経由し、山近からの山道と合流する道を歩きました。そして、尾根を乗り越し平生に行きました。この道は県道扱いでした。今の熊毛南高校の前身の一つの平生女学校に、伊保庄から通っている方がいたそうです。それだけ、人の行き来がさかんな山道だったのです。

        ウォーキングした柳井市伊保庄の福井畑,畑,山近の周辺

コメント
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