東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

南平和八十八ヶ所霊場の実踏調査 1番~4番ヶ所霊場(1) 田布施町

2014年10月07日 | ふるさと

 防陽八十八ヶ所霊場を実踏調査していると、平和八十八ヶ所霊場に加えて、南平和霊場に関わる大師堂や観音堂に当たることがあります。防陽八十八ヶ所霊場や平和八十八ヶ所霊場はそのリストがあるため、霊場番号,名称,そしておよその場所が分かります。しかし、南平和については何ヵ所あるのか、どうして「南」なのかがさっぱり分かりません。いろいろ調査してみると、田布施町の麻郷・麻里府周辺を巡礼する霊場のようです。
 まず、南平和の第一番ヶ所は田布施川の旧関戸橋袂にあった大師堂だと思われます。その理由は、「巡礼時には、最初にこの大師堂に集まる。」と聞いたからです。そして、第二番ヶ所霊場が、そこから比較的近い川添地区の寮(りょう)だからです。今、第一番ヶ所霊場は旧関戸橋解体などの理由によると思われるのですが、農機具小屋にあります。いつか、立派なお堂が建てられ安置されると思われます。

     一見すると農機具小屋            農機具小屋に安置されたお大師様
 

 第二番ヶ所霊場は川添地区の寮(りょう)です。院や庵ならば分かるのですが、不思議な呼び名です。しかし、寮の意味を調べてみると「僧の住む寺内の建物、又は僧が寄宿して修学する道場」を寮とも呼ぶそうですので間違いではありません。寮は浮島神社のすぐそばにあります。浮島神社のお祭りなどの時に地区の方が使うそうです。
 浮島神社の近くに住む古老のSさんにお話しを伺いました。Sさんがおっしゃるには、この寮にはかつて尼僧さんが住んでおられたそうです。そして、毎日「おっぱ」(竹尾地区では「おっぱん」、漢字で書くと御飯)をあげていたそうです。

          南平和第二番ヶ所霊場、川添地区の浮島神社近くにある寮(りょう)


 この寮にあげるおっぱは、この寮所有の田んぼ3反で賄われていたそうです。ところがある時、川添地区の道幅を広げるためその田んぼをつぶしたそうです。それ以降、村の家が毎日交代で各人からおっぱを持ち寄って寮にお供えしているそうです。
 ところである時に尼僧さんがこの寮から出てから無人になったそうです。拝む人がいなくなったため、ここに安置されていた大師様を平生の真覚寺に預けたそうです。すると、不思議なことにこの村に病気が流行ったそうです。そのため、真覚寺に預けていた大師象を返したもらって再び寮に祭ったそうです。すると病気が止んだとのこと。

    なかなか立派な、寮内の参拝所            すぐ隣の浮島神社
 

 ところで寮のお話をお聞きしたSさんは余田の出とのことですが、S家はとても古く、300年位前にこの川添に住み始めたそうです。住み始めた時、家名が藩主と同じだったためSに改名したそうです。
 近くに住む川添氏のご先祖は江戸時代、この地区の田んぼを開作したやはり古い家です。故川添常太郎氏のお話(田布施地方史記載)の中に、川添氏を含めて5家が最初にこの地区に入植したとの記録があります。その5家の一つがS家ではないかと思われます。機会をみて、Sさんにお話をお聞きしようと思います。

  南平和第三番ヶ所霊場の三宅薬師如来     南平和第三番ヶ所霊場の木札
 

 ところで、お接待は必ず霊場でするとは限らないようです。川添地区では第二番ヶ所霊場である寮の次は、ある民家を個別巡礼してお接待をしていたそうです。個々の家が望めば、巡礼ルートの一つに加えてもらえる柔軟性があったようです。
 続いて、南平和第三番ヶ所霊場の三宅の薬師如来に行きました。この霊場は三宅地区にあり、はっきりと「南平和第三番」と書かれた木札が掲げられています。ここの霊場も近年お接待が行われていました。
 ところで、この薬師如来は「南陽霊場第三十一霊場」も兼ねています。この地区周辺は、防陽霊場,南陽霊場,平和霊場,そして南平和霊場が入り乱れている稀有な地域です。さらに、防央霊場と呼ばれる霊場もこの一帯にあることが分かりました。いったいいくつ霊場があるでしょうか。また明治時代、大島の霊場は周南霊場と呼ばれていたようです。

             尾迫の観音堂、とても綺麗に管理されている


 続いて、南平和第四番ヶ所霊場である尾迫の観音堂に行きました。この観音堂については故時政実作氏が田布施地方史に詳細に記録しています。巡礼の記録もあります。この観音堂はとても綺麗に管理されているので、地元の方が例えばクリーン作戦などの日に掃除しているのでしょう。又は、何かの集会に使われているのではないかと思います。ここに掲げられている「南平和第四番」の木札は、南平和霊場の中で一番綺麗です。雨風にも日差しにも当たらない場所に掲げられているからでしょう。

      尾迫の観音堂の内部               南平和第四霊場の木札
 

  ところで、この第四番霊場から先が分かりません。五番,六番が分からず、七番が井神の長福寺なのです。そして、十一番が戎ヶ下大師堂なのです。それ以外はまだ分かりません。大雑把な考えですが、麻郷,麻里府を1日で巡礼する霊場ではないかと思われます。八海を巡礼したとの話も聞きます。もしかして、私が昨年8月18日に見た千坊山光福寺ご住職による八海のお地蔵様の催しが巡礼の名残りだったのでしょうか。機会を見てさらに調査しようと思います。大泉寺を巡礼した話がありますし、廃されて跡しか残っていない鳥越のお大師様も巡礼のお話を聞いたことがありますが、まだ確証を得ていません。

南平和八十八箇所巡礼コース(一部のみ)
 1番霊場:お大師様     2番霊場:川添 寮(りょう)
 3番霊場:三宅 薬師観音 3:尾迫 観音様
 7番霊場:井神 長福寺   11:戎ヶ下 大師堂

  A:大泉寺   B:鳥越 お大師様(廃) C:八海 地蔵堂

    黄色線は南平和巡礼コース  1番~2番~3番~4番以外は未定

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