正林寺御住職指導(R3.7月 第210号)
宗門において7月は申すまでもなく、宗祖日蓮大聖人の立正安国論を鎌倉幕府に奏呈あそばされた月であります。
その立正安国論の奏呈から750年経過した12年前の平成21年(2009)7月26日には、日蓮正宗の僧俗により総本山では「立正安国論正義顕揚七百五十年記念七万五千名大結集総会」が盛大に開催され、全国より合計七万八千四百二十三名が大結集しました。
御法主日如上人猊下から大結集総会の砌に、
「宗祖日蓮大聖人御誕生八百年までには、御誕生八百年にちなんで、法華講員八十万人の体勢を築き、大法広布に資していきたいと思います。」(大日蓮 平成21年9月号 第763号)
と御指南を賜りました。それから約12年が経過した令和3年(2021)「宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の年」には、御法主上人猊下より、
「この記念すべき大佳節を迎えるに当たり、宗門は、去る平成二十一年七月、総本山に於ける七万五千名大結集の砌、『法華講員八十万人体勢構築』の誓願を立て、以来、法華講全支部が身軽法重・死身弘法の御聖訓を奉戴し、異体同心・一致団結して、昼夜を問わず勇猛果敢に折伏戦を展開した結果、今回、見事に誓願を達成することが出来ましたことを心からお祝い申し上げます。」(大日蓮 令和3年1月号 第899号)
と御指南を賜りました。
その「法華講員八十万人体勢」の一員として、当支部では初心にかえり心肝に染めるべきことは、「日蓮大聖人は主師親三徳兼備の御本仏」であることを尊崇申し上げる信行です。「御聖誕八百年の年」であり、体勢構築の根底には講員一人ひとりの意識に憶持不忘として、純粋に余事を交えず、うろ覚えではなく、実生活に浸透させ自覚する重要な意味があるからです。三徳兼備の御本仏を蔑ろにし、世法的な帰納法的論法が根拠となる群盲探象化した人師の説に惑わされず、大御本尊への絶対信のもと正を立てて国を安んずる自行化他に精進することであります。
今後の未来広布に向かうためには、常に御法主上人猊下からの御指南である異体同心・講中一結するためにも、再確認し必要不可欠なことであります。まずは支部の講頭さんを中心として班長さんは自覚し、各班員さんへの育成では非常に重要な点になります。
一年の折り返しとなる時期からも大事であり、御命題をいただいて12年間を総括し、次へつながる活動のためであります。
さて、主師親三徳とは、仏がそなえている三種の徳のことです。
主徳とは、主人の徳で人々を守護する働き
師徳とは、師匠の徳で衆生を正しい道に導く働き
親徳とは、親(父母)の徳で衆生を慈愛する働きのこと
宗祖日蓮大聖人は『開目抄』に、
「夫(それ)一切衆生の尊敬(そんぎょう)すべき者三つあり。所謂(いわゆる)、主・師・親これなり。」(御書523)
と仰せのように、主師親は一切衆生の尊敬すべきことであります。
歴史上にも現実にも一分の徳をそなえた立派な人は多く見られます。しかし、大聖人は『開目抄』に、
「かくのごとく巧みに立つといえども、いまだ過去・未来を一分もしらず(中略)但現在計りしれるににたり」(御書524)
と仰せのように、三世の因果に通達しなければ真実の三徳とはならないことを御教示であります。まさしく世法的な帰納法的論法が根拠となる群盲探象化した人師の説に多い、歴史上と現実に一分の徳をそなえた「いかなる智人善人なりとも」(御書1262)の境界に活きる人のことであります。
では、三世の因果に通達した真実の三徳をそなえている仏とは、大聖人は『開目抄』に、
「日蓮は日本国の諸人に主師父母なり」(御書577)
と、また『産湯相承事』に、
「日蓮天上天下一切衆生の主君なり、父母なり、師匠なり(中略)三世常恒(じょうごう)の日蓮は今此三界の主なり」(御書1710)
とも仰せであります。つまり、日蓮大聖人は主師親三徳兼備の御本仏であります。
さらに、朝夕の勤行等での御観念文「三座 三師供養」にも、
「南無本因妙の教主(中略)三世常恒の御利益・主師親三徳大慈大悲宗祖日蓮大聖人」
(日蓮正宗 勤行要典 大石寺蔵版)
と御観念文があります。主師親三徳を備えた教主であり、過去世の罪障を消滅し現当二世にわたり、いつまでも変わらない御利益をも兼ね備えた(兼備)、仏が日蓮大聖人です。
御法主日如上人猊下は「主師親三徳兼備の御本仏」について「令和3年2月度 広布唱題会の砌」、
「『報恩抄』には、
日蓮が慈悲曠大(こうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)未来までもながる(流布)べし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。此の功徳は伝教・天台にも超へ、竜樹・迦葉にもすぐれたり(御書1036)
と仰せられているのであります。
この『報恩抄』の御文は、大聖人の主師親三徳を明かされた御文であります。初めに『日蓮が慈悲曠大』とは主師親三徳のなかには親の徳を、『一切衆生の盲目をひら』くとは師の徳を、『無間地獄の道をふさぎぬ』とは主の徳を示されているのであります。
すなわち、宗祖日蓮大聖人様こそ、主師親三徳兼備の御本仏にして、弘通せられる大法は竜樹・迦葉・天台・伝教等にも勝れ、いまだかつて弘通せられたことのない未曽有の大法であります。」(大日蓮 令和3年3月号 第901号)
と御指南であります。
大聖人は『上野殿後家尼御返事』に、
「法華経の法門をきくにつけて、なをなを信心をはげ(励)むをまこと(真)の道心者とは申すなり。」(御書337)
と仰せのように、真の道心者となるためにも日蓮大聖人を主師親三徳兼備の御本仏と尊崇申し上げる信行が肝要であります。大聖人の御一身は、本門戒壇の大御本尊との御姿で在して、血脈の通った当宗の御本尊を受持させて頂くところに、主師親三徳兼備の御本仏の尊い徳を賜り功徳を積むことができます。そして、主徳である人々を守護する働き、師徳である衆生を正しい道に導く働き、親徳である衆生を慈愛する働きを、身口意の三業にわたる振る舞いとした武器として備えていくことができます。
しかし、世の中では邪宗邪義が蔓延り、日蓮大聖人を主師親三徳兼備の御本仏と尊崇申し上げないために、「体曲がれば影なゝめなり」(御書1469)と依正不二の現実があります。
大聖人は『立正安国論』に、
「天変・地夭(ちよう)・飢饉(ききん)・疫癘(えきれい)遍(あまね)く天下に満ち、広く地上に迸(はびこ)る。」(御書234)
と仰せであります。体が曲がり影が斜めとなる現下の状況を踏まえて考察した時に、天変とは、異常気象のことであり、「吹く風枝をならさず、雨土くれをくだ(砕)かず」(御書671)とは異なる気象状況であります。昨今では、線状降水帯等が該当します。
地夭とは、地上に起こる怪しい変異。地上に生じるふしぎなわざわい。地異、または地変ともいわれ、火山の噴火も該当します。富士山噴火の想定被害について、富士山火山防災対策協議会では富士山噴火のハザードマップを改定し、溶岩の噴出量予測を2倍に引き上げるなど、噴火規模の拡大が想定されています。体がさらに曲がれば、影もさらに曲がり、噴火規模の拡大想定が現実になることは否めません。
大聖人は『乙御前御消息』に、
「法華経の第四に云はく『仏滅度の後に能(よ)く其の義を解(げ)せんは、是(これ)諸の天人世間の眼なり』等云云。法華経を持(たも)つ人は一切世間の天人の眼なりと説かれて候。日本国の人の日蓮をあだ(怨)み候は一切世間の天人の眼をくじ(抉)る人なり。されば天もいかり日々に天変(てんぺん)あり。地もいかり月々に地夭(ちよう)かさなる。」(御書898)
と仰せであり、また『瑞相御書』に、
「人の悪心盛んなれば、天に凶変、地に凶夭出来す。瞋恚の大小に随ひて天変の大小あり。地夭も又かくのごとし。今日本国、上一人より下万民にいたるまで大悪心の衆生充満せり。」(御書920)
と仰せであります。「天に凶変、地に凶夭出来す」との理由には、大聖人の『千日尼御前御返事』に、
「父母の恩の中に慈父をば天に譬へ、悲母をば大地に譬へたり。いづれもわけがたし。」(御書1251)
と仰せの父(天)母(地)の恩に対する軽視も原因となります。
飢饉とは、自然的諸災害や戦乱などの影響あるいは人為的な自然破壊による環境の大きな変化のために、農産物の著しい減収を生じた結果、広範な飢餓状態をもたらし、多数の餓死者、病死者を発生せしめる現象のこと。コロナ禍により経済的に打撃を受けて飢饉となるリスクも潜んでいます。
疫癘とは、悪性の流行病。疫病。えやみ。時疫といわれ、新型コロナ感染症であります。大聖人は『妙法比丘尼御返事』に、
「飢饉(ききん)も年々にゆき、疫病(やくびょう)月々におこり」(御書1260)
と仰せのように、主師親三徳兼備の御本仏を尊崇申し上げない現実が、年々に月々に継続すれば、危惧すべき未来が予測されます。
結果として、「遍(あまね)く天下に満ち、広く地上に迸(はびこ)る」との大聖人の警告であります。
現実に「天下に満ち、地上に迸る」とは、コロナ禍での様々な世界中を駆けめぐる濁乱した現象があります。新型コロナウイルスのインド変異株(デルタ株)による脅威、東京五輪開催への懸念などです。仏法の観点からは、疫病は愚癡より起こり、疫病は総罰であります。
大聖人を主師親三徳兼備の御本仏と拝し奉り、御本尊を受持させて頂き、法華講員八十万人体勢を基軸とした折伏により、多くの方が入信し、御本尊から人々を守護する働き(主徳)と衆生を正しい道に導く働き(師徳)、衆生を慈愛する働き(親徳)を徳として自身に備えることができれば、立正安国の教えのもとに現実が一変する道理であります。
その弊害となる根本的要因として、30年前にさかのぼる創価学会が主張し続ける、宗門への誹謗中傷であります。もしも、あり得ないことでありますが、30年前にさかのぼり、一連の経緯が懺悔滅罪のもと皆無となり、真の僧俗和合が実現するのであれば、体曲がらず、影なゝめならずとなり、安穏な仏国土への実現に躍進できることを確信します。
実現しなければ、未来に予測される懸念事項が、現実味を帯びる可能性があります。富士山噴火の想定被害は、今後さらに邪宗邪義の害毒が法界に蔓延し続ければ、起こってはならない現象です。
「体曲がれば影なゝめなり」との現下の状況を鑑みた時に、法華講員八十万人体勢構築以上のさらなる体勢構築により、法界を浄化させられることを確信いたします。
まさに大聖人は『減劫御書』に、
「大悪は大善の来たるべき瑞相なり。」(御書926)
との御指南につながります。
現実の災禍を善知識として捉えるならば、大悪である新型コロナによる一連の災厄は、未来広布への多くの課題と強化すべき点を御仏智として賜ったとの心がけで精進させて頂くことではないでしょうか。その課題と強化すべき点を仏道修行で克服すべきテーマとなります。それは「読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり」(御書403)との御指南に沿い奉ることであると拝します。
そして、法華講講習会の全10期は終了し、講習会での御指導をはじめ御講義の内容(大白法 第1056号)を今後の活動の指針として、本年の折伏誓願目標達成に向けて、後半戦を7月の唱題行と同時にスタートします。
御法主日如上人猊下は、
「『南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし』と仰せのように、末法万年尽未来際に至るまで尽きることなく流布し、永遠に一切衆生を救われるのであります。」(大日蓮 令和3年3月号 第901号)
と御指南であります。この御指南を心肝に染めて、立正安国論奏進の月に当たり精進いたしましょう。
最後に、第五十六世日應上人第百回遠忌を迎えました。御生前中には「日蓮宗合同問題」があり、日應上人は大石寺の正当性を主張され、日蓮宗からの分離独立を要求し、政府が発令した明治5年(1872)から28年の歳月を経て、明治33年(1900)9月に大石寺は分離独立を果し「日蓮宗富士派」(富士年表384)と公称することが認可されました。
日應上人は、
「広くとも 浅き流れは濁りなむ 狭くも深き源を汲め」
との御詠には、御法門の上からは種脱相対を諭され、「広くとも 浅き流れは濁りなむ」とは日蓮宗各派に蔓延る釈尊の脱益仏法等を、「狭くも深き源を汲め」とは当宗である大聖人の下種仏法を、ゆえに「日蓮大聖人は主師親三徳兼備の御本仏」であることを御指南あそばされた御詠と拝し奉ります。
『弁惑観心抄』に、
「汝いまだ富山(ふざん)の蘭室に入らず。なんぞ我が法義の尊高を知らん。」(弁惑404)
と、今現在、日蓮正宗へ入信されていない方(創価学会員・顕正会員等)へ、富山の蘭室に入るよう再往元意の辺から御教示と拝します。日應上人の御遺徳を拝し、正法弘通のさらなる実践を決意しましょう。
宗祖日蓮大聖人『上野殿後家尼御返事』に曰く、
「法華経の法門をきくにつけて、なをなを信心をはげ(励)むをまこと(真)の道心者とは申すなり。天台云はく『従藍而青(じゅうらんにしょう)』云云。此の釈の心はあい(藍)は葉のときよりも、なをそ(染)むればいよいよあを(青)し。法華経はあいのごとし。修行のふかきはいよいよあをきがごとし。」(御書337)
※総本山第56世日應上人の御事蹟(大白法 第1052号)
※諸宗破折ガイド(改訂版) 第2章 日蓮宗各派① 日蓮宗 (大日蓮 第905号 R3.7)
