正林寺御住職指導(R4.4月 第219号)
日蓮正宗教学研鑽所をご存じでしょうか。「日蓮正宗教学研鑽所 規則」には、
「第一章 総則
第二条(目的) 研鑽所は、本宗伝統法義の護持宣揚、教学の振興及び布教の進展に必要な研鑚を行ない、宗門の興隆発展に寄与することを目的とする。」(創刊号 P464)
とあります。上記の目的のもとに日蓮正宗教学研鑽所はあります。また、日蓮正宗教学研鑽所の所長でいらっしゃる総本山塔中寂日坊御住職の永栄義親御尊師は、
「平成23年(2011)8月末、日蓮正宗第68世日如上人猊下の御構想によって、日蓮正宗教学研鑽所が発足いたしました。(中略)日蓮正宗教学研鑽所は、宗義、化儀、宗史等はもとより、一般の仏教その他各宗教、社会の各思想、歴史に至る、誠に幅広い研鑚を行おうとしております。」(創刊号 P2~3)
と「日蓮正宗教学研鑽所紀要」創刊号(第1号)の冒頭、発刊の辞で紹介されました。
現在、研鑚員御尊師の研鑚された貴重な論文・研鑚ノート・活動報告を紹介する「日蓮正宗教学研鑽所紀要」は、平成26年(2014)4月の創刊号からはじまり、令和4年(2022)3月の第7・8合併号の最新号までに掲載されています。凡愚の拙僧には難解難入ゆえ高度な研鑚内容には理解度が追いつかず、研鑚員でいらっしゃる諸尊師の崇高な教学力と身軽法重・死身弘法の御聖訓を奉戴された研鑚熱意には敬服いたします。
今後のさらなる「幅広い研鑚」が期待されます。まさに、「今の世は闘諍堅固・白法隠没の時代」を切り開いて邪宗邪義を一掃し、広布の道筋に風穴を開けるため、御法主日如上人猊下の御構想と拝し奉ります。
宗祖日蓮大聖人は『立正観抄』に、
「当世の学者は血脈相承を習ひ失ふ故に之を知らず。相構へ相構へて秘すべく秘すべき法門なり。」(御書770)
と仰せの「当世の学者」への折伏にもつながります。さらに第二十六世日寛上人の『三重秘伝抄』に説かれる、
「然りと雖も近代他門の章記に竊かに之れを引用す、故に遂に之れを秘すること能わず、今亦之れを引く、輪王の優曇華、西王母が園の桃、深く応に之れを信ずべし。」(六巻抄28)
との「遂に之れを秘すること能わず、今亦之れを引く」と御教示である「他門の章記に竊かに之れを引用」した「仏法の盗人」(御書705)を正しく導くために必要とされますのが、まさしく日蓮正宗教学研鑽所の存在意義と感じます。これからの日蓮正宗教学研鑽所の発展と研鑽所員御尊師の活躍を御期待申し上げます。
さて、今の世は闘諍堅固・白法隠没の時代とは末法時代のことであります。「桜梅桃李」とはいわれるものの、世界的に人間関係はこじれやすく、様々な問題が発生しやすい時代であります。家族・親戚や学校、仕事場や近所など衆生世間においてあります。まさに、忍土・娑婆世界であります。末法という時代背景を網羅して仏法上では「桜梅桃李」を心得て行くことが大前提となります。
闘諍堅固(とうじょうけんご)とは、各宗派で互いに自説を主張して譲らず、争いが盛んな状態のこと。
白法隠没(びゃくほうおんもつ)とは、釈尊の潔白な仏法が沈み隠れて、末法時代では利益がなくなること。
釈尊は末法時代を見据えられて大集経に「闘諍堅固・白法隠没」について説かれました。末法では上行菩薩に一切の救済を託された日蓮大聖人の説かれる仏法により利益があります。まさに、宗旨建立である立宗宣言から闘諍言訟の禍中、一切衆生の救済をスタートあそばされました。
実際に末法時代において釈尊が説かれた「闘諍堅固・白法隠没」について身読された大聖人は『撰時抄』に、
「今末法に入って二百余歳、大集経の於我法中・闘諍言訟・白法隠没の時にあたれり。仏語まことならば定んで一閻浮提に闘諍起こるべき時節なり。」(御書843)
と仰せであります。『日蓮正宗要義』には、
「第五の五百年は闘諍言訟白法隠没といい、仏教中に諍いが生じ、白法(外道を黒法というに対す)は隠没して、その功徳行証ともに減損し、遂に滅に帰する時代が予言されている。」(改訂版 P70)
とあります。
今月4月は、闘諍堅固・白法隠没の時代に、どの仏教を信じていけば良いのか。どの宗教が正しいのかを、宣言あそばされた宗旨建立会が奉修される非常に大事な月となります。それはまた、釈尊が末法に望まれた仏法を広く流布し始める宗旨の建立でもあります。宗旨を旗揚げすることは、既存の仏教と競って名声を上げるようにも勘違いされますが、そのような宗旨ではないことを一言申し添えさせていただきます。当宗の立宗宣言は末法の御本仏の御化導による尊い御振舞であり、本未有善の一切衆生を救済するための大慈大悲からであります。
その御振舞を通して日蓮正宗僧俗に対し、御法主日如上人猊下は、
「『不軽菩薩』については、これも既に皆様もよく御承知のことと思いますが、威音王仏の滅後、像法時代に出現し、一切衆生に仏性があるとして『二十四字の法華経』を説いて、衆生を礼拝し軽んじなかったので不軽菩薩と言われたのであります。しかし、人々は不軽菩薩を軽蔑し、杖木瓦石をもって迫害しましたが、それでも不軽菩薩は礼拝行をやめなかったのであります。この時、不軽菩薩を軽んじた人々は、一度は地獄に堕ちましたが、法華経を聞いた縁によって救われたのであります。釈尊はこの不軽菩薩の修行を通して、滅後の弘教の方軌と逆縁の功徳を説かれているのであります。
されば、今日、邪義邪宗の謗法がはびこり、ために世情が混乱し、戦争、飢餓、疫病、異常気象等によって様々な悪現象を現じている時、まさにこのような時こそ、我々は不軽菩薩の行いを軌範として、一人でも多くの人々に妙法を下種し、折伏を行じていかなければならないのであります。まさに『今こそ 折伏の時』であります。」(大日蓮 第914号R4.4)
と御指南です。
釈尊から末法に生きる衆生の救済を託された大聖人は『如説修行抄』に、
「今の世は闘諍堅固・白法隠没なる上、悪国・悪王・悪臣・悪民のみ有りて正法を背きて邪法・邪師を崇重すれば、国土に悪鬼乱れ入りて三災七難盛んに起これり。」(御書670)
と、闘諍堅固・白法隠没の様子を仰せであります。三災七難について、御法主日如上人猊下は、
「仏法には大小、権実、本迹の浅深・勝劣というものがありますが、諸宗の者達はその判釈ができず、自宗に固執しているので、かえって病を募らせてしまう。その結果、国に三災七難が起こっている」(御書要文三 P123)
と、『治病大小権実違目』の御書を通して御指南であり、詳細を御講義あそばされました。
また、大聖人は『法華初心成仏抄』に、
「大集経の五箇の五百歳の中の第五の五百歳に当時はあたれり。其の第五の五百歳をば闘諍堅固・白法隠没と云ひて、人の心たけく腹あしく貪欲(とんよく)瞋恚(しんに)強盛なれば軍(いくさ)合戦のみ盛んにして」(御書1311)
と仰せのように、闘諍堅固・白法隠没となる一因には、釈尊在世よりも貪瞋癡の三毒が強盛な世の中になるためであります。現実に、瞋りから生まれる戦争、愚癡から発生する疫病があります。
さらに、大聖人は『立正安国論』に、
「而るに他方の賊来たりて其の国を侵逼(しんぴつ)し、自界叛逆(ほんぎゃく)して其の地を掠領(りょうりょう)せば、豈(あに)驚かざらんや豈騒がざらんや。国を失ひ家を滅せば何(いず)れの所にか世を遁(のが)れん。汝須(すべから)く一身の安堵(あんど)を思はゞ先ず四表の静謐(せいひつ)を祈るべきものか。就中(なかんずく)人の世に在(あ)るや各(おのおの)後生を恐る。是(ここ)を以て或は邪教を信じ、或は謗法を貴ぶ。各(おのおの)是非に迷ふことを悪(にく)むと雖も而も猶仏法に帰することを哀(かな)しむ。何ぞ同じく信心の力を以て妄(みだり)に邪義の詞(ことば)を崇(あが)めんや。若し執心飜(ひるがえ)らず、亦曲意(きょくい)猶存せば、早く有為(うい)の郷(さと)を辞して必ず無間(むけん)の獄(ひとや)に堕(お)ちなん。」(御書249)
と仰せであります。仏法上、過去の日本の歴史を物語る安国論の一節であり、現下では他国において緊迫したロシア軍によるウクライナ侵攻に符合しているのではないでしょうか。その原因は「邪教を信じ、或は謗法を貴ぶ」ところに起因し、解決策に対しても的確に「汝須く一身の安堵を思はゞ先ず四表の静謐を祈るべきものか」と御指南であります。つまり「正を立てて国を安んずる」仏法に帰依することに限ります。
ロシア軍のウクライナ侵攻を対岸の火事と感じることなく、大聖人の一天四海本因妙広宣流布を願う日蓮正宗の僧俗は、早期の停戦と平和を御本尊へ祈ることが必要であります。
世界広布の理想として、瞋の戦場が寂光土となるように兵法となる兵器をすべて放棄し、信仰の寸心を改めて法華経の兵法である御本尊を受持し念珠を持つところに、真の世界平和があることを知るべきであります。『四条金吾殿御返事』に「なにの兵法(ひょうほう)よりも法華経の兵法をもち(用)ひ給ふべし」(御書1407)と。
世界広布には、時として戦渦での折伏弘教も避けては通れない課題となります。海外布教の場合には、国情・風土・言葉の壁もあるため宗務院海外部からの御指示を仰ぎながら慎重に進めていく縦糸のつながりが必要不可欠であり、周到な準備が必要になります。広義では「報恩躍進の年」と銘打たれた年間実践テーマの「②僧俗一致の折伏で広布へ躍進」にあたります。
その場合の心がけとして、大聖人は『如説修行抄』に、
「末法の始めの五百歳には純円一実の法華経のみ広宣流布の時なり。此の時は闘諍堅固・白法隠没の時と定めて権実雑乱の砌なり。敵有る時は刀杖弓箭(とうじょうきゅうせん)を持つべし、敵無き時は弓箭兵杖(きゅうせんひょうじょう)なにかせん。今の時は権教即実教の敵と成る。一乗流布の代の時は権教有って敵と成る。まぎ(紛)らはしくば実教より之を責むべし。是を摂折の修行の中には法華折伏と申すなり。天台云はく『法華折伏破権門理』と、良(まこと)に故あるかな。」(御書672)
との御指南を四悉檀の上から拝し、戦渦での折伏弘教が必要になると拝します。さらに『南条兵衛七郎殿御書』に、
「法は必ず国をかゞ(鑑)みて弘むべし。彼の国によ(良)かりし法なれば必ず此の国によかるべしとは思ふべからず」(御書324)
との仰せを、肝に銘じるべきです。
戦渦の地では、日本国内と異なり多くの難題が山積します。テレビやネットからの情報では肌で感じることのできない現地での壮絶な状況があります。ストーリーが決められたバーチャルゲームとは違います。当然、コロナ禍とは明らかに違う現実を目の当たりにすることは覚悟すべきことです。御法主上人猊下の「大御本尊への絶対的確信」を堅持し、中途半端な気持ちでは戦渦での折伏弘教はできません。まさに「我不愛身命 但惜無上道」「一心欲見仏 不自惜身命」「身軽法重 死身弘法」である日蓮大聖人の御聖訓を奉戴し、身口意の三業にわたり堅持された広布の戦士としての自覚がなければ不可能です。広宣流布に情熱を燃やす志願兵のような堅固な信心が必要です。意識においても机上で論じることではない、自受法楽となる一家和楽の信心のもと、家族の理解も不可欠になります。
また、戦渦では「異体同心・講中一結」が強力な推進力につながります。御法主上人猊下の常の御指南である異体同心と講中一結には、世界広布で直面する戦渦においての布教を見据えられた非常に重要な意味が含まれていることを忘れてはなりません。
まずは、コロナ禍でもあり安全を確保するために現地へ直接行くのではなく、SNSなどのネットのつながりから第一歩があるでしょう。真偽を確かめながら情報の錯綜が予測されるため懐疑的な情報とロマンス詐欺・419事件などには注意し進めていくことが必要になります。また、不正直に有名人の名を語り、あるいは男性が女性へ女性が男性へと他人になりすますアカウントにも用心です。アカウントに関しては、一人で何人もの人物を装い操るケースもあります。さらには、日本語の入力に違和感のある外国人には金銭的な詐欺犯罪が関わるため要注意です。反面、違和感を一切感じさせない詐欺に特化し訓練され配役が決められた劇場型にも要注意です。ゆえに「悪知識と申すは甘くかたらひ詐り媚び言を巧みにして(中略)善心を破るといふ事なり」(御書224)と注意喚起されています。
海外の縁故折伏ともいえましょう。信頼関係が構築された伝手を頼るところから始まります。そして、まずは本門の本尊を信じて本門の題目を唱えるように勧める「声仏事を為す」(御書108)一声からです。まさに、大聖人が立宗の時に南無妙法蓮華経の題目を唱えられたところからのスタートです。『諸法実相抄』に「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり。」(御書666)と。
戦渦での折伏弘教には最低限、以上のような心得が必要となるのではないでしょうか。いざという時に今から心がけて頂ければ幸甚であります。それはまた、「四座 広宣流布祈念」の「祈念し奉る一天四海本因妙、広宣流布、大願成就御祈祷の御為に」との「一天四海」の御祈念につながります。一秒でも早い停戦と平和を御本尊へ御祈念申し上げます。そして日蓮大聖人の出世の御本懐である大御本尊へ帰依されることを願っております。
最後に、去る令和4年(2022)3月20日は、総本山第66世日達上人より昭和47年(1972)に寺号名称を「陽光山正林寺」と賜り、50年を迎えました。その節目にあたり、仏祖三宝尊への御報恩に対し奉り、正林寺支部講中の教化育成と折伏弘教のために、正林寺住職として赴任させて頂いてからの拙い指導を「正林寺住職指導過去ログ集」として集約致しました。講中の皆さんには「今こそ 折伏の時」との御指南にお答えできますよう活用下されば幸いと存じます。
さらには、世間一般に未入信の方にもご一読頂き、日蓮正宗に興味を持って下されば幸いと存じます。そして、日蓮正宗正林寺に参詣下さることを期待しております。共に、本門戒壇の大御本尊への絶対的確信のもと御法主上人猊下の御指南のもとに真の世界平和と国家安寧、未来広布へ精進してまいりましょう。
宗祖日蓮大聖人『白米一俵御書』に曰く、
「南無と申すは天竺のことばにて候。漢土・日本には帰命(きみょう)と申す。帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり。我が身には分に随ひて妻子・眷属・所領・金銀等もてる人々もあり、また財なき人々もあり。財あるも財なきも命と申す財にすぎて候財は候はず。さればいに(古)しへの聖人賢人と申すは、命を仏にまいらせて仏にはなり候なり。」(御書1544)
「正林寺御住職指導過去ログ集」


