正林寺御住職指導(H17.6月 第17号)
仏法では人として生を受けることを、非常に稀なことであると教えています。
日蓮大聖人様は『崇峻天皇御書』に、
「人身は受けがたし、爪の上の土。人身は持ちがたし、草の上の露。」(御書一一七三頁)
と仰せであり、人には当然のように生まれてきていると思ってはいけないとの御指南であります。
人として生を受けるには過去世の行いが関係し、人に生まれるだけの良い原因を自らが積んだ結果、人として生を受けることができます。
また『下山御消息』に、
「人身は受けがたくして破れやすし。」(御書一一五一頁)
と御教示のように、折角、人として生を受けることができたとしても破れやすく、様々な悪縁により貴い我が身を保つことが難しいとのことです。
人に生を受けてから正しく保つ方法を日蓮大聖人様が私達に御書を通して御指南されております。自分自身の貴重な生命を途中で挫折させることなく保つ意味でも信心が大事になります。信心をする意味には、我が身が人として本来の価値を見出すため必要なのであります。
さらに『太田左衛門尉御返事』に、
「本より人身を受くる者は必ず身心に諸病相続して五体に苦労あるべし」(御書一二二一頁)
と仰せのように人として生を受ければ必ず病気にもなり苦労はあると大聖人様は御教示であります。信心しなくとも信心をしても病気にもなり苦労はあります。
しかし、信心をすることで日蓮大聖人様が私達に病気を克服する力や人生苦を乗り越える力を御本尊様に御題目を唱えることで頂くことができると仰せです。
同じ人身を得ているのであれば信心をし力を得て生きるべきでありましょう。