正林寺御住職指導(H19.9月 第44号)
生きていくには知識が必要です。知識がなければ生きることはできません。人には知識欲があるため無意識に知識を学び身に付ける場合と、苦労しながら身に付ける知識、また一生懸命に努力しても身に付かない知識もあります。
知識を身に付けるために、善と悪の知識を判別しながら身に付けることが大切です。知識には善い知識である善知識、悪い知識である悪知識があり、判別しがたい善と悪の知識も世の中に多く存在します。
そして末法特有の五つの濁りや情報化社会の発達にともない、善と悪とを判別する見極めが難しいのが現実です。
つまり日蓮大聖人は『三三蔵祈雨事』に、
「善知識たひせちなり。而るに善知識に値ふ事が第一のかたき事なり。」(御書八七三㌻)
と仰せのように、善い知識は大切であるが善知識には値い難いことを御指南です。
さらに同抄に、
「而るに末代悪世には悪知識は大地微塵よりもをほく、善知識は爪上の土よりもすくなし。」(御書八七三㌻)
と仰せであり、今の末法時代は悪知識が善知識よりも多く、私達の人生観を惑わす悪い知識が世の中には非常に多いことも御教示です。
しかし、大聖人は『富木殿御返事』に、
「諸の悪人は又善知識なり」(御書五八四㌻)
と仰せのように、悪い知識を持つ悪人も反面教師として考えるのであれば善い知識へ変わります。
大聖人は『三三蔵祈雨事』に、
「されば仏になるみちは善知識にはすぎず。」(御書八七三㌻)
と仰せのように、成仏には善知識を学び信じ行ずることが大事であると御指南です。善知識と悪知識を見分けるためには日蓮正宗の寺院参詣で学ぶことができます。進んで寺院へ参詣しましょう。