正林寺御住職指導(R6.7月 第246号)
御法主日如上人猊下は、変毒為薬の功徳について、
「大御本尊の広大無辺なる功徳を信じ、末法の御本仏宗祖日蓮大聖人の教えのままに信心に励むところ、必ず変毒為薬の功徳を享受すことができるのであります。
されば、この信心の功徳を、己れ一人だけのものとするのではなくして、邪義邪宗の害毒によって苦しんでいる多くの人々に伝え、下種折伏をしていくことが、今、最も大事なのであります。
そのためには、まず、しっかりと唱題に励むことが肝要であります。」(大日蓮 第816号 H26.2)
と、自行化他にわたる変毒為薬の功徳について御指南あそばされました。邪義邪宗の害毒は、大御本尊の広大無辺なる功徳を信じて題目を唱えない限り変毒為薬の功徳はありません。7月中は唱題行です。しっかりと唱題に励み変毒為薬の功徳を体験させて頂きましょう。
変毒為薬は、毒をそのまま薬に変えるという妙法の功徳を譬えたものです。
例えば、人生では四苦八苦を体験し、その中に愛別離苦があり、会者定離があります。この苦しみには、ふだん経験することのない特別な感情が生まれます。その感情には変毒為薬するための毒素が体内に生成されます。その感情によって生成された体内の毒は、即身成仏するための大事な良薬へと御本尊の力用により変化します。まさに変毒為薬であります。
私達の体内には神経伝達物質があり、外界の様々な縁に触れて生命の活動上においては身心(色心不二)に影響を与えています。その物質の濃度により毒にも薬にもなります。御本尊への絶対信のもと唱題を行うことにより生命力が「大歓喜」(御書1801)に変わる時、体内の毒は薬に変わり身心は即身成仏するとの道理であります。
神経伝達物質は、神経細胞(ニューロン)間で情報を伝達する化学物質で、一つのニューロンから別のニューロンへ情報を伝える役割を果たします。ニューロン同士は隣接し、その間の隙間(シナプス間隙)を通じて神経伝達物質が放出され、情報が伝達されます。若い時はスムーズに放出され伝達されますが、年齢を重ねると筋力の衰えと同じように、情報伝達の流れも個人差はありますが鈍化します。
神経伝達物質は、私たちの体や心に影響を与え、感情の喜怒哀楽を感じさせます。しかし、神経伝達物質のバランスが崩れると、喜びを感じられなくなり、イライラしやすくなり、うつ病の原因になりもします。これは毒が体内に生成された状態です。神経伝達物質をうまく活用することで、仕事や勉強効率を上げることができますが、逆に神経伝達物質がうまく働かないと、脳のパフォーマンスの低下や、うつ病などの病気の原因になります。
貪瞋癡の三毒が生成される時の神経伝達物質について
瞋「瞋るは地獄」(御書647)
瞋・怒りの感情は、特定のホルモンと密接に関連しています。主に関与するホルモンはノルアドレナリンとアドレナリンです。
ノルアドレナリンは、ストレスに反応し、神経を興奮させ、怒りを感じさせる物質です。怒りを感じさせる物質であるため、〝闘うホルモン″とも言われます。怒りを感じたときに、顔が赤くなったり、声や手が震えるのは、ノルアドレナリンの分泌の影響です。また、怒りで理性や思考力が低下し、冷静な態度がとれなくなるのもノルアドレナリンの分泌効果です。
アドレナリンは筋肉に作用します。アドレナリンは筋肉を増強させ、身体への酸素の供給量を増やす効果があり、身体を戦闘モードにします。まさに「瞋るは地獄」(御書647)といわれる所以ではないでしょうか。
これらのホルモンは、怒りの感情が生じたときに分泌され、その結果として私たちが怒りを感じます。しかし、これらのホルモンの分泌が適切でないと、過度の怒りや攻撃的な行動を引き起こす可能性があります。そのため、怒りの感情を適切に管理するためには、これらのホルモンのバランスを保つことが重要です。
貪「貧るは餓鬼」(御書647)
貪る欲求、つまり食欲や欲望を制御するホルモンにはいくつかあります。主に関与するホルモンはレプチン、グレリン、そしてドーパミンです。
レプチンは脂肪細胞から分泌され、満腹を感じさせるホルモンです。レプチンのレベルが高いと、食欲が抑制され、エネルギー消費が増加します。逆にレプチンのレベルが低いと、食欲が増加し、エネルギー消費が減少します。
グレリンは胃から分泌され、空腹を感じさせるホルモンです。食事を摂るとグレリンの分泌は減少し、満腹を感じます。しかし、食事を摂らないとグレリンの分泌は増加し、空腹を感じます。
ドーパミンは脳内で分泌される神経伝達物質で、報酬を得た時の幸福感として働きます。食事を摂るとドーパミンが分泌され、「喜ぶは天」(御書647)との心地よさを覚えます。この心地よさが食事を摂り続ける欲求、つまり「貪る」欲求を引き起こします。
これらのホルモンは食欲や欲望を制御する重要な役割を果たします。しかし、これらのホルモンのバランスが崩れると、過度の食欲や欲望を引き起こす可能性があります。そのため、適切な生活習慣や食事、運動などでホルモンバランスを調整することが重要です。
癡「癡かは畜生」(御書647)
「愚癡」は仏教用語で、無知・蒙昧を指すとされています。また、時には無明と同義であるとも言われています。別名を愚痴、我癡、また無明ともいいます。
しかし、科学的な観点から見ると、「愚癡」や「無知」を直接制御する特定のホルモンは現在、存在しないとされています。未来世の末法万年尽未来際の過程でわかるかもしれません。ホルモンは身体の機能を調節する化学物質であり、感情や行動、生理的な反応などに影響を与えますが、知識や知性、理解力を直接制御するものではありません。
それでも、脳の機能や認知能力に影響を与える神経伝達物質やホルモンがあります。例えば、ドーパミンは報酬を得た時の幸福感として働き、新しい情報を学ぶときや楽しい経験をするときに分泌されます。それは「喜ぶは天」(御書647)の生命状態であり、これにより、学習や記憶のプロセスが促進され、知識や理解力が向上します。同時に、そのプロセスや向上心は「利根と通力」(御書233)へと、魔の用きとして寸善尺魔が災いする要素となりかねません。寸善尺魔を見破る眼を常日頃から養いましょう。
また、ストレスホルモンであるコルチゾールは、過剰に分泌されると記憶や学習能力に悪影響を及ぼすことが知られています。これは、長期的なストレスが「愚癡」の一因となる可能性を示しています。
したがって、「愚癡」や「無知」は、個々の学習経験や環境、そして脳の化学的な状態によって影響を受けると言えます。しかし、これらは特定のホルモンによって直接制御されるものではなく、複雑な脳の機能と相互作用の結果として現れます。
毒となる要素を薬へと変えるには
神経伝達物質のオキシトシンは「愛情のホルモン」とも呼ばれ、大切な人との距離が近くなると分泌されます。オキシトシンは信頼や慈愛を引き起こし、ストレスによって刺激されるストレスホルモンの作用を減弱し、ストレスに耐えられるようにします。異体同心・講中一結には大事な神経伝達物質です。さらに折伏においても衣座室の三軌の上からも不可欠なホルモン要素となります。
セロトニンは「幸せのホルモン」とも呼ばれ、精神を安定させて幸福感を得やすくする作用があります。セロトニンが不足すると、不安や恐怖、イライラ、ストレスを感じやすくなります。
これらのホルモンは、私たちの感情や行動に大きな影響を与えます。ホルモンのバランスが崩れると、感情のコントロールが難しくなることがあります。そのため、適切な生活習慣や食事、運動などでホルモンバランスを調整することが重要です。
信心において、御本尊への渇仰恋慕には、神経伝達物質のオキシトシンやセロトニンが体内に分泌されて、絶対的幸福を感じることができる仏法の道理ではないでしょうか。
人生で四苦八苦を体験する場合は悲しみや不安などを感じます。脳内の神経伝達物質のバランスが変わり、ドーパミンの分泌が抑えられ、ノルアドレナリンが分泌されます。感情と記憶の脳領域間のやり取りが増え、ネガティブな経験や感情が記憶と結びつきやすくなります。これらの神経伝達物質が適切に働くことで悲しみなどを感じ、バランスが崩れると精神的な問題が生じる場合もあるため、絶対的幸福ホルモンと言われるオキシトシンやセロトニンを体内に分泌することが大切であります。その感情によって生成された体内の毒は、即身成仏するための大事な良薬へと御本尊への弛まぬ唱題により必ず変化します。まさに変毒為薬であります。
体内につくられる神経伝達物質の側面から見た変毒為薬であります。
仏法では神経伝達物質を適度に調合していきます。竜樹菩薩の『大智度論』に、
「譬へば大薬師の能く毒を変じて薬と為すが如し」
と説かれ、
「小薬師は薬を以て病を治す、大医は大毒をもって大重病を治す」
とも説かれるように、本来、薬と毒は相反する関係にあります。しかし、勝れた薬師は毒を調合し薬として作用させ、病を治療します。竜樹菩薩は、衆生の生命の濁りや迷い、欲望などの煩悩を毒に譬えて、これらの煩悩を断じないまま悟りの境界に至らしめるという『法華経』の功徳を讃えました。まさに、法華経の功徳はほむれば弥功徳まさることであります。
名医は毒を用いて強力な薬を作りますが、それと同様に釈尊は、煩悩という毒を断ずるのではなく、むしろそれらを用いてそのまま成仏せしめるという妙法の良薬を衆生に与えられました。即身成仏へとつながる要諦です。
つまり、釈尊が『法華経』の『如来寿量品第十六』に説かれる、
「乃知此薬。色香味美。即取服之。毒病皆愈。(乃ち此の薬の色香味美を知って、即ち取って之を服するに、毒の病皆愈ゆ)」(法華経438)
と、薬と毒との関係性についての御教えへとつながる仏法と申す道理があると拝します。
宗祖日蓮大聖人は「変毒為薬」について『太田殿女房御返事』に、
「竜樹菩薩の大論(だいろん)と申す論に『譬へば大薬師の能(よ)く毒を以て薬と為(な)すが如し』と申す釈こそ、此の一字を心へさせ給ひたりけるかと見へて候へ。毒と申すは苦集(くじゅう)の二諦、生死の因果は毒の中の毒にて候ぞかし。此の毒を生死即涅槃・煩悩即菩提となし候を、妙の極とは申しけるなり。良薬(ろうやく)と申すは毒の変じて薬となりけるを良薬とは申し候ひけり」(御書1472)
と仰せであります。
さらに毒と薬の詳細について、大聖人は『始聞仏乗義』に、
「毒と云ふは何物ぞ、我等が煩悩・業・苦の三道なり。薬とは何物ぞ、法身・般若・解脱なり。『能以毒為薬』とは何物ぞ、三道を変じて三徳と為すのみ。天台云はく『妙は不可思議に名づく』等云云。又云はく『夫一心乃至不可思議境の意此に在り』等云云。即身成仏と申すは此是なり」(御書1208)
と仰せられています。一往竜樹、天台等の釈文を用いられて、毒となる煩悩・業・苦の三道が、薬である法身・般若・解脱の三徳と転じる妙法の即身成仏の功徳を明かされています。『四条金吾殿御返事』に、
「欲をも離れずして仏になり候ひける道の候ひけるぞ」(御書1287)
と、迷いや欲望という毒を断ぜず、凡夫の当体において成仏するということです。日々の信心生活において、常に「変毒為薬」の功徳を御本尊からいただいていることを感謝申し上げ、歓喜勇躍して信心修行に精進することが大切です。
私達においての身近な毒とは、体内につくられる神経伝達物質により心の中に生じる貪瞋癡の三毒です。薬品などの毒薬は、多くのものがあり、手にすることが先ずありません。この貪瞋癡という三毒が、信心することで御本尊の力用に触れて成仏に欠かせない秘薬になります。
三つの毒は、仏様が仰せになる処方を無視し、間違えると生命に危険をさらすことになります。貪である貪欲により、処方を間違えれば、弊害が生まれ、欲望に翻弄され生活を堕落させます。例えば、物欲に執着して、その結果、金銭感覚は麻痺し借金をすることになり、また食欲が旺盛なために、生活習慣病を誘発させ生命に危険をきたします。瞋である怒りについては、怒りの勢いにまかせ、人を殺傷するということになりかねません。また瞋り続けることは、愛情や幸せのホルモンと異なり、理性を低下させるアドレナリン等が体内を駆け巡り自分自身の生命にもよくありません。癡である愚癡は、人間関係を気まずくする作用があり、本人が、何気なく言った愚癡が、ある人の感情を逆撫でたり、更にある人の三毒を誘発させる働きをなします。これが、貪瞋癡の三毒となる働きです。三毒は人間関係を破滅させます。講中一結・異体同心の輪を破壊する城者破城的な悪因ともなります。
信心をすることで、私達の信力行力により三大秘法の御本尊の力用に触れて処方を知り三毒を薬に変えていきます。それが「変毒為薬」であります。三毒は、一生涯共に付き合わなければいけない、心の中の毒です。正しい処方を理解することにより、生活を安穏にします。日蓮正宗の信心をしなければ、過去遠々劫の罪障消滅とともに完全に毒を薬にすることはできません。
御本尊に御題目を唱えることで、貪瞋癡の三毒を薬に変えていきます。更に勤行唱題以外、瞬時に変化する生活上、三毒を直ちに薬に変えます。この時、善知識であるプラス思考が必要となります。信心に立脚して、貪瞋癡の三毒の働きが、冷静に思惟し明らかに自覚できるよう、勤行唱題で意識を高めていきます。そして、貪瞋癡を止めて、三毒の生まれる気持ちを、違うことに集中させ分散させることが大事です。大聖人は『十章抄』に、
「常に口ずさみにすべき事は南無妙法蓮華経なり。」(御書466)
と仰せの実践行を心がけましょう。
貪欲に何時までも集中していれば、心が何時までも餓鬼界であり、瞋である瞋りに執着していれば地獄界であり、愚癡が心の中を覆っていれば、畜生界です。この三毒が、多くの災いを生む原因となります。「禅定」を意識できれば、三毒の働きが、明らかに見えるようになり、即身成仏へとつながる尊い道が隠されているのであり、三毒を変えて為薬するところに絶対的幸福があります。
その貪瞋癡の三毒が薬となるとは、貪欲には、マイナス面だけではありません。人間は「善悪不二」であります。扱い方を間違えなければ、人生を快適にします。
貪欲は、ある目標に向かって進むときに重要な力になります。この貪欲が、仏様の仰せになるように活かせれば人生を大成させます。
瞋りは、瞬間的に巨大なエネルギーを持ちます。薬とするには、悲観的になる気持ちや絶望を感じるときに、瞋りの気持ちが薬となります。瞋りという薬は、心中に維持させ続けないように気を付けなければいけません。相手に、瞋りを感じさせない程度の、心の瞋りが適量で、気持ちを豊にしていきます。空仮中円融三諦を御本尊様により観じていきます。
愚癡は、無意識のうちに口から言葉が出てきます。この言葉は非常に無駄です。御題目を唱えたり、折伏のために口の働きを使い、愚癡は自行化他の時間まで心に貯金することが大事です。「変毒為薬」の方法は、御本尊様に向かう勤行唱題しかありません。それ以外では、三毒が益々強盛になります。寺院での勤行唱題は、唯一「変毒為薬」の修行です。
御法主日如上人猊下は、
「『毒鼓の縁』とは、既に皆様には御承知の通り、太鼓に毒薬を塗り、大衆のなかにおいてこれを打つと、その音を聞こうとする心はなくとも、聞く者すべてが死ぬという。つまり、法を聞こうとする心はなしといえども、これを聞けば、やがて煩悩を断じて得道できることを、毒薬を塗った太鼓を打つことに譬えているのであります。
すなわち、一切衆生には皆、仏性が具わっており、正しい法を聞き、発心修行することによって成仏できることを示されているのであります。」(大日蓮 第941号 R6.7)
と、化他行の折伏においての変毒為薬について御指南あそばされております。太鼓に塗られた毒薬とは変毒為薬との意義が、富山の蘭室である富士の立義には存すると拝します。
冒頭での御法主日如上人猊下御指南の「変毒為薬の功徳」は、まさに「毒鼓の縁」での毒薬の太鼓との譬喩に、変毒為薬の功徳が文底に秘沈されていると拝信申し上げます。拝信させていただいた先に、三毒を変じて薬と為せる境界、是好良薬を御本尊から確実に賜り、愚癡より起こる疫病が蔓延るとも、妙法を唱える癩人との自覚を堅持した、総じての法華経の行者として精進する境界へと変わります。
大聖人は『御義口伝』に、
「妙法の大良薬を以て一切衆生の無明の大病を治せん事疑ひ無きなり」(御書1732)と。
最後に、7月は『立正安国論』を文応元年(1260)7月16日に宿屋入道を介して時の最高権力者であった北条時頼へ奏呈された月に当たります。変毒為薬の意義を心得て、『立正安国論』の御精神を心肝に染め後半戦を精進してまいりましょう。
宗祖日蓮大聖人『妙密上人御消息』に曰く、
「已今当(いこんとう)の経文(きょうもん)を深(ふか)くまぼ(守)り、一経(いっきょう)の肝心(かんじん)たる題目(だいもく)を我(われ)も唱(とな)へ人(ひと)にも勧(すす)む。麻(あさ)の中(なか)の蓬(よもぎ)、墨(すみ)うてる木(き)の自体(じたい)は正直(しょうじき)ならざれども、自然(じねん)に直(す)ぐなるが如(ごと)し。経の(きょう)まゝに唱(とな)ふればまがれる心(こころ)なし。当(まさ)に知(し)るべし、仏(ほとけ )の御心(みこころ)の我等(われら)が身(み)に入(い)らせ給(たま)はずば唱(とな)へがたきか。」(御書967)

