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日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

梨の葉の逸話

2025-03-04 | 御住職指導

正林寺御住職指導(R7.3月 第254号)

 第2祖日興上人は、寛元4(1246)年3月8日に誕生あそばされました。令和7年(2025)は780年に当たります。10年前の平成27(2015)年には、御生誕770年奉祝大法要が、総本山大石寺において厳粛かつ盛大に奉修されました。
 御法主日如上人猊下は、奉祝大法要御書講の砌に「時を撰ぶ抄」との『撰時抄』(御書834)を御説法あそばされました。(※大日蓮 第830号 H27.4)
 総本山での二大法要をはじめ、すべての御説法を聴聞させていただく時には、大事な心がけることがあります。それが「(なし)()逸話(いつわ)」にあります。「梨の葉の逸話」とは、日興上人が重須(北山)に御影堂を建立されて移られた翌年の秋、弟子の訓育に力を注がれました。その厳格さは「梨の葉」の逸話として語り継がれています。

 日興上人は講義中、弟子の日尊師が秋風に散る梨の葉に気をとられ眺めているところを、「大法を弘めんとする者が説法中に落ち葉に心を奪われるとは何事か。速やかに座を立ちなさい」と叱責勘当されました。
 その後、日尊師は発心し、各地に弘教の歩みを運び、勘当が解かれるまでの12年間に36カ寺もの寺院を改宗・建立したと伝えられています。(日興上人略伝49※取意)
 「梨の葉の逸話」から御説法を聴聞させていただく時の大事な心がけることとは、具体的に総本山大石寺で奉修される二大法要での御説法をはじめ、毎月の御報恩御講での法話等において聴聞する心がけとなります。
 日興上人にまつわる「梨の葉の逸話」を心に置いて、大事な御法門を聴聞させて頂く姿勢に一生成仏があります。

 日興上人の講義中に、日尊師が秋風に散る梨の葉に気をとられ眺める心理をさらに、私達の御法門を聴聞させていただく立場に置き換えた時、秋風に散る梨の葉以上に様々な雑念が生じやすいのではないでしょうか。
 秋風に散る梨の葉に気をとられ眺めているところを、現代に置き換えた場合に、何かをよくよく思惟して御説法を聴聞させて頂く姿勢を身につけましょう。耳根得道の大事な振る舞いです。

 宗祖日蓮大聖人は『富木殿御書』に、
「志有らん諸人は一処に聚集(じゅじゅう)して御聴聞有るべきか」(御書1169)
と仰せであり、大聖人の御指南のままに日興上人は一生空しく過ごして万歳悔(く)いることがないようにとの意味も、「梨の葉の逸話」にはあります。
 水魚の思いをなす異体同心においても、秋風に散る梨の葉に気をとられ眺める心理を誡めることも大事であります。日興上人にまつわる「梨の葉の逸話」には人生の様々な場面に相通ずる逸話でもあります。

 この「梨の葉の逸話」には、声聞縁覚の二乗根性を誡める意味も存するでしょう。それは「飛華落葉」(御書1834)といわれる縁覚界の衆生が外縁によって独り悟りを得る独覚であるからであります。梨の葉の落ちる様子を見ている日尊師へ、二乗根性の人々を善導するようにと諭された、日興上人の御教導と拝信申し上げます。
 そして、末法万年へとつながる広宣流布を目指す日蓮正宗の僧俗に、二乗根性を誡めるようにとの御教えが「梨の葉の逸話」には存するのではないでしょうか。

 三月は「三月三日は法の一字のまつりなり」であります。法統相続や育成においても寺院での御法門を聴聞する姿勢を「梨の葉の逸話」をとおして話すことも必要です。また、春季彼岸会も奉修されます。故人や先祖供養との印象が強い方もいるでしょう。彼岸会の本来の意義を教えつつ、この娑婆世界に住む私達にとって、種々の苦しみから開放され真の幸福境涯に到達するための修行をする時節であることを確認する行事ともなります。
 先祖供養を行うことは自ら題目を唱えることのできない亡くなった人を、御本尊の御威光と題目の力によって成仏に導かれ、その功徳力により亡き魂も、また回向する人も大功徳を受けます。塔婆供養は大功徳を受けるための大切な日蓮正宗の化儀(作法)となります。ゆえに、大聖人は『草木成仏口決』に、
「我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり(中略)されば草木成仏は死人の成仏なり」(御書522)
と、仏法と申す道理を仰せであります。
 さらに、彼岸会の法要では、寺院の御本尊への読経唱題があります。数珠とお経本を受持して、梨の葉に気をとられるような雑念が出ないように、方便品寿量品と自我偈を奉読申し上げ題目を唱えます。この御題目は、聖人の唱えられる題目と、私達が唱える題目の功徳には、決して功徳に勝劣はありません。その理由は、愚者の持つ金(こがね)も智者の持つ金も、愚者の灯す火も智者の灯す火も、そこに差別はないのと同じことであります。ただし、法華経の心に背いて題目を唱える場合に差別が生じてしまいます。
 その「法華経の心に背いて題目を唱える場合」には、梨の葉に気をとられるような雑念も法華経の心に背くことになります。

 最後に、御法主日如上人猊下は伝統の二月に奉修される「宗祖御誕生会・五重塔のお塔開きの砌」に、
「末法の一切衆生は、宗祖日蓮大聖人様を久遠元初の御本仏と仰ぎ奉り、大聖人様が御建立あそばされた人法一箇の大御本尊を帰命依止の本尊と崇め、至心に妙法を唱え、自行化他にわたる信心を行じていくところに、必ずや自らの幸せを実現し、真の世界平和を築くことができるのであります。
 したがって、私ども本宗の僧俗は一人でも多くの人に対して折伏を行じ、妙法の広大無辺なる功徳を説き、もって末法の御本仏日蓮大聖人の仏法に帰依せしめていくことが今、最も肝要となるのであります。
 しかも、折伏によって人を幸せに導くことは、実は自分自身もまた大きな功徳を積み、幸せになることができるのであります。」(大白法 令和7年3月1日 第1144号)
と御教示あそばされた御指南を心に刻み、信心活動を充実させていきましょう。

 

宗祖日蓮大聖人『松野殿御返事』に曰く、

御文おんふみはく、きょうたももうしてのち退転たいてんなく十如是じゅうにょぜ自我偈じがげたてまつり、題目だいもくとなもうそうろうなり。 ただ聖人しょうにんとなへさせたま題目だいもく功徳くどくと、我等われらとなもう題目だいもく功徳くどくと、何程いかほど多少たしょう そうろうべきやと云云うんぬんさら勝劣しょうれつあるべからずそうろうゆえは、愚者ぐしゃたもちたるこがね智者ちしゃたもちたるこがねも、愚者ぐしゃともせる智者ちしゃともせるも、差別さべつなきなり。 ただきょうこころそむきてとなへば、差別さべつるべきなり。」(御書1046)

 

 

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