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日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

藤本総監から秋谷会長に通告文を送付(H3.10.21)

1991-10-21 | 時局資料

(大日蓮H3.11月 第549号転載)

通 告 文

 最近、創価学会では、会員のみの同志葬・友人葬と称する僧侶不在の葬儀(以下、学会葬という)を執行するなど、組織を挙げて、本宗伝統の化儀を改変しております。これは、まさに大聖人の仏法と富士の立義を破壊する謗法行為であり、日蓮正宗として、絶対に認めることはできません。

一 日蓮正宗の信仰の根幹は、大聖人・日興上人以来の師弟相対の信心化儀を中心とした、化儀即法体の法門にあります。したがって、本宗の信徒は、下種三宝を帰命の依止処として、師弟相対の信心化儀を修することによって、はじめて所願が成就するのであります。下種三宝とは、仏宝は本仏日蓮大聖人、法宝は本門戒壇の大御本尊、僧宝は第二十六世日寛上人が、
「所謂僧宝とは日興上人を首と為す、是れ則ち秘法伝授の御弟子なるが故なり」
と仰せのごとく、唯我与我の日興上人をはじめとして、唯授一人血脈付法の御歴代上人の全てにわたるのであります。故に、本宗の僧俗は御法主上人を仏法の大師匠として、師弟相対の信心に励まなければなりません。さらに、御法主上人に信伏随従する一般僧侶も僧宝に含まれますから、信徒各位は、所属寺院の住職・主管を血脈法水への手続の師匠と心得なければなりません。
 日寛上人は、『当流行事抄』において、
「但吾が富山のみ蓮祖所立の門流なり、故に開山已来化儀・化法四百余年全く蓮師の如し」
とお示しですが、根本行である勤行を中心とする本宗伝統の信心化儀の一切は、その大綱において、唯授一人の法体血脈と、それに基づく総本山の山法山規等によって、大聖人御入滅より七百年を経た現在まで、厳然と伝わっているのであります。したがって、およそ本宗の信徒である以上、必ず宗門の定める化儀作法に従って、信行に励まなければなりません。

二 そもそも本宗における葬儀とは、故人の臨終の一念を扶助し、臨終に正念を遂げた者も遂げられなかった者も、ことごとく、本有の寂光へと導き、本因妙の即身成仏の本懐を遂げしめる重要な儀式であります。すなわち、臨終の正念が各自の信心の厚薄によるのに対し、葬儀は、故人の即身成仏を願う遺族親族等の志によって執行され、下種三宝の当体たる御本尊の徳用によって、その願いが成就するのであります。
 この葬儀の式は、他の一切の化儀と同様、正式にせよ略式にせよ、総本山の山法山規に準拠することが宗是ですから、必ず本宗伝統の化儀・化法に則って厳修されなければならないのであります。
 葬儀において大切なことは、御本尊と引導師、及び戒名等であります。まず、申すまでもなく、葬儀における御本尊は、古来、御法主上人の特別な御指示による場合以外は、導師御本尊を奉掲するのであります。また、引導師は、僧俗師弟の上から、必ず僧侶がその任に当たるのであります。戒名等については、便宜上、後に述べることといたします。

三 日興上人の『曾禰殿御返事』に、
「なによりは市王殿の御うは(乳母)他界御事申はかり候はす、明日こそ人をもまいらせて御とふらひ申候はめ」
と、当時、僧侶が導師を務めて信徒の葬儀を執行したことを示された記述が存しております。
 次に、第三十一世日因上人が、
「私の檀那の筋目之を糺すべき事、此は師檀の因縁を示す檀那は是俗の弟子なり、故に師弟血脈相続なくしては即身成仏に非ず、況や我が師匠に違背せるの檀那は必定堕獄なり乖背は即不信謗法の故なり」
と仰せのごとく、本宗における僧侶と信徒との関係は、師匠と弟子との関係にありますから、信徒は所属寺院の住職・主管を師匠とする師弟相対の信心に住さなければ、即身成仏の本懐を遂げることはできません。この師弟相対の筋目は、本宗信仰の基本でありますから、信徒が亡くなった場合も、必ず所属寺院の住職・主管の引導によって葬儀を執行しなければならないのであります。もし、これに反すれば、下種三宝の血脈法水に対する師弟相対の信心が調いませんから、即身成仏どころか必定堕地獄となります。
 本宗僧侶は、本宗規定の化儀に則って修行し、御法主上人より免許を被って法衣を着しますが、この本宗の法衣には、仏法の無量の功徳が具するのであります。日寛上人は、
「出家は身心倶に釈子なり。在家は心の釈子なり」
と御教示ですが、僧侶はこの法衣を着するゆえに身心ともに僧宝の一分に加わり、血脈法水への手続を務めるのであります。したがって、短絡的に、僧侶個人の力用によって、故人が即身成仏を遂げるなどと解するべきではありません。もとより僧宝の一分として葬儀を執行するのでありますから、当然、僧侶はその心構えが大切であります。その心構えについて、日有上人は、
「仏事追善の引導の時の廻向の事、私の心中有るべからず」
と仰せられ、また日亨上人校訂、富士本日奘師編の『興門宗致則』に、
「所詮大強盛の信力を以て欲心余念を絶し偏に下種の三宝を祈るべし一人の霊魂引導の事
は容易にあらず最も貴重なるものなり」
とあります。すなわち、僧侶が僧宝の一分としての立場から、余念を絶し私心なく大聖人以来の血脈法水への手続の引導を務めることによって、故人が下種三宝の当体たる本門の本尊の功徳力用に浴し、ここに本因妙の即身成仏を遂げることができるのであります。
 これに対し、本宗伝統の化儀を無視し、創価学会独自に僧侶不在の葬儀を執行するならば、それは下種三宝の意義を欠く化儀となり、決して即身成仏の本懐を遂げることはできません。それどころか、本宗の師弟相対の血脈次第の筋目を無視した罪によって、故人や遺族はもとより、導師を務める者も、必ず謗法堕地獄となるのであります。

四 次に、現在、葬儀において必要とされる戒名と位牌について述べておきます。
 戒名とは、仏法の三帰戒を受けた名でありますから、まさに法名と同意であります。本宗においては、大聖人の御父には妙日、御母には妙蓮、総本山開基檀那の南条時光殿には大行という戒名があるごとく、戒名は、大聖人の御在世当時から付けられております。戒名は、生前に付けられる場合もありますが、現在では、死後、葬儀の折に付けられるのが一般となっております。それは、葬儀には、本宗の化儀の上から、戒名が必要不可欠だからであります。日有上人は、葬儀等における戒名の重要性について、
「仏事追善の引導の時の廻向の事(中略)当亡者の戒名を以って無始の罪障を滅して成仏
得道疑ひなし」
と、導師が御本尊の功徳力用を願うとき、戒名に寄せて故人の無始以来の謗法罪障を消滅して、即身成仏の本懐を遂げる意義を仰せであります。したがって、本宗信徒は、御法主上人ないし所属寺院の住職・主管に、戒名の命名を願うべきであります。
 また、位牌については、現在、葬儀において、世間一般に広く用いられております。日有上人は、儒家伝来の俗名のみを記した世間通途の位牌は、「理の位牌」であるから用いるべきではないと仰せであります。本宗で用いる位牌は、妙法の題目の下に故人の戒名等を認めることによって、御本尊の示し書に準じて師弟相対の意義を顕した「事の位牌」であります。したがって、日有上人は、通途の位牌を禁じられる一方で、
「又仏なんどをも当宗の仏を立つる時」
と仰せであります。日亨上人がここでいう「仏」を位牌と釈されるごとく、日有上人の当時、既に現在のような、仮の位牌が立てられていたことが示されております。また、日達上人は、
「位牌というものは亡くなった人の姿をそこに顕わすのであります。」
と仰せられております。
 現在、本宗で位牌を用いるのは、このような意義に基づくのであります。但し、日常の信行から見れば、過去帳記載までの仮の建立でありますから、決して信仰の対象とはなりません。

五 以上、本宗本来の化儀・化法の上から、葬儀の在り方を述べました。創価学会においても、牧口常三郎初代会長の葬儀は日淳上人(当時、歓喜寮主管)の導師によって、戸田城聖二代会長の葬儀は日淳上人の大導師によって、北条浩四代会長は日顕上人の大導師によって執行されました。その際、それぞれ御法主上人より尊号(戒名)を頂戴しております。また、池田大作名誉会長の母堂いち殿及び次男城久殿が亡くなった際にも、御法主上人より尊号(戒名)をいただき、本宗僧侶の導師によって葬儀を執行されております。このように、従来、学会員の葬儀は、みな本宗伝統の化儀に従って執行されてきたのであります。現に、聖教新聞社文化部編『やさしい冠婚葬祭』や潮出版社の『私たちの冠婚葬祭』では、位牌・戒名等も含め、本宗の化儀に則って日蓮正宗の葬儀を解説しております。
 ところが、最近では、僧侶を不要とする学会葬が、全国各地で盛んに執行されております。しかも、そこでは導師御本尊を奉掲せず、当然のことながら本宗の戒名はなく、また位牌があっても本宗の位牌ではありません。本来ならば、このような現状に対し、創価学会は、機関紙や会合等で本宗本来の化儀に立ち返るよう、全会員に指導徹底すべきところであります。
 しかし、創価学会では、大聖人の御書中に、信徒の葬儀に関する直接的な記載がないことを奇貨として、むしろ学会葬を奨励しているのであります。御書中にないからといって、僧侶の導師による葬儀が行われなかったとするのは、早計であり、独断であるといわざるをえません。
 特に、平成三年八月七日付『創価新報』では、「僧侶ぬきの葬儀では成仏しないとの妄説」「戒名も後の時代に作られた形式」などの見出しを付け、また九月二十六日付『聖教新聞』では、「僧侶の引導により成仏は誤り」などと見出しを付けた上、
「僧侶なしでは成仏できないと不安がる必要はないのです。これまで述べてきたように、葬儀は決してその形式に意味があるのではありません。苦楽を分かち合った遺族と信心の同志による真心からの追善をこそ、故人は最も喜ぶことを知っていただきたいものです。」
と、本宗の化儀・化法と全く正反対の、信徒としては許されない教義上の謬見を述べ、信心を狂わせているのであります。
 このように、導師御本尊を奉掲せず、僧侶を不要とし、戒名・位牌等を愚弄する学会葬は、明らかに本宗の血脈師弟義に背いた大謗法であります。
 このことは、創価学会の本宗信徒団体としての存立自体に、大きく影響を及ぼす問題であると考えるものであります。
 よって、貴殿らには、以上のことを深く反省された上、学会葬の誤りを率直に認め、速かに本宗本来の化儀に改めるべく、その措置を講ぜらるよう、厳に、通告するものであります。

  平 成 三 年 十 月 二 十 一 日

                   日 蓮 正 宗 総 監   藤本日潤

 創 価 学 会 会 長  秋谷栄之助殿

 


福島・阿部本家の墓地に関して

1991-10-05 | 時局資料

       福島・阿部本家の墓地に関して

 今回、創価学会より、福島・阿部本家の墓石建立に関し、様々な悪口誹謗がなされている件につき、阿部本家当主、阿部賢蔵氏、及び親族一同名にて、下記の如き「お詫びとお誓い」との状が御法主上人に送られて参りましたので、お知らせ致します。
 宗内各位にはこの状の趣旨をよく御理解いただき、創価学会の謂われなき誹謗に迷う人々を御教導いただきますよう御願いいたします。


         「お詫びとお誓い」
謹啓
 御法主日顕上人猊下におかれましては、益々御健勝にてお過ごしのこととお慶び申し上げます。
 この度の創価学会機関紙、聖教新聞等において、平成元年七月十七日の阿部家の法要、並びに墓碑の開眼供養について、猊下様への理不尽な誹謗、中傷記事が掲載されていることにつきまして、強い憤りを覚えるものであります。と共に私どもの墓地改修に関しまして、猊下様へ大変な御迷惑が御尊体にまで及びましたこと、誠に申し訳ございません。深くお詫び申し上げる次第でございます。
 もともと墓石建立の経緯は、阿部家先祖代々の墓は当家近辺の墓地にございましたが、明治初年に村の共同墓地を造ります時に、移転したものでございます。そして、この共同墓地が狭くなりましたため、昭和二十四年に拡張された墓地へ更に墓を建立していたのでありますが、この墓がやはり土葬で雑然としておりましたので、私が父を始めとする先祖代々の諸精霊追善供養証大菩提の為に、この墓を改修したいと念願したのが始まりであり、この私の希望を親族一同も賛成してくれたのでございます。
 その際、私の願いが猊下様のお耳に届き、日開上人様の生家の墓地という因縁から、深甚の御慈悲を賜り、御題目を御書写たまわるのみか、我が家にて御法要までおつとめたまわり、その上墓地にまでお出まし頂きまして、当家親族一同、猊下様の有り難き御意に対し奉り、深く感謝申し上げた次第でございました。
 私ども一族は猊下様への御報恩のためにも、この地の方々を一人でも多く、日蓮大聖人の仏法に縁されるよう、折伏を実践し、正法流布への前進を誓いあってまいったところでございました。
 ところが今回の聖教新聞の記事は、私ども阿部家一同の、先祖代々への追善供養の心と、猊下様の御慈悲を踏みにじる内容で、深い悲しみに震えておるところでございます。
 そもそも、今回の墓地改修は前述のごとく、私どもが親族一同と共に発願致したもので、猊下様にはただ甚大なる御慈悲を賜ったのみでございます。それにもかかわらず、学会では、猊下様が白山寺に自らの墓を建立したかのごとく言っておりますことは、誠に心外でございます。
 私どもの墓は、寺の隣にある墓地と申しましても、古くからの共同墓地であり、また昭和二十四年に新しく建てた墓の場所は、共同墓地が狭くなったので、拡張した墓地であると父祖より聞き及んでおりましたから、その造成の際に私の祖父が共同墓地として買い求めたものと思って今日に至ったところでございます。
 従いまして、今回の平成元年の墓地改修に当たりましても、同様の認識でおりましたのでそのまま建立した次第でございます。
 しかるに今回創価学会からの誹謗記事には、当該墓地は白山寺の所有であり、所謂「禅寺の墓地」であるとの指摘があり、私どもの古来からの認識と食い違うため、当方においても私の父は逝去しておりますので、村の古老に聞きましたところ、やはりあれは共同墓地だという意見でございました。
 そればかりでなく、昭和二十四年に拡張した墓地も、父が購入したものではありませず、明治以来の共同墓地を持っている者全員に無償にて提供されたものであったことも分かりました。
 それがどういう理由により、現在白山寺の所有となったのかは分かりませんが、父祖以来、共同墓地として参ったものを、今更そうでないと言われるのは納得いきません。
 とはいえ、私どもが土地登記上のことがわかりませずに、不用意に猊下様をお招きしてしまい、日蓮大聖人よりの血脈法水を継承されます猊下様に対し奉り、甚大なる謂われなき誹謗と中傷をなさしめる隙を作る結果となりましたこと、日蓮正宗の信徒として申し訳なく、衷心より深くお詫び申し上げる次第でございます。
 私共は、猊下様の深き御慈悲を思うと、居ても立ってもおられない心境でございます。重ねて深くお詫び申し上げます。
 しかし、明治以来の旧共同墓地にあります阿部家代々の旧墓碑にも「妙法」とお彫りしてございますように、当家には先祖代々正宗信徒としての節を通して参った誇りがございます。
 今回の学会の謂われなき猊下様への誹謗は、誠に申し訳けなく勿体ない限りでございますが、私ども阿部家にとりましても信仰の誇りを傷つけられたものであり、心からの怒りを覚える次第でございます。
 この上は、私どもは、昭和六十年に猊下様が御指南されておりますところの、「正しいお寺に墓地をとったからといって、安心して信心修行に怠けるならば、またそこからおのずと退転の形、不幸の姿が始まっていくわけでありますから、そのところの根本は、墓にあるのではなく、自分自身の信心に一切の幸せも、先祖追善の意義も存するということを忘れずに、励んでいくことが大切とおもうのでございます」との御言葉を拝し、阿部家、及び親族一同正法を固く護持し、福島、なかんずく日開上人御生誕の地、荒井にあって、我が身の罪障消滅と、令法久住の精神を忘れずに、孫子末代まで信心修行に励み、更には地域の方々の中に在りながら、誠心誠意、正義を主張してまいることをお誓い申し上げる次第でございます。
 以上、誠に粗辞ではございますが、当主及び親族と致しまして、この度、御迷惑をおかけいたしましたことを衷心よりお詫び申し上げますと共に、心からのお誓いの言葉とさせて頂きます。                  敬 白

 十月十三日
                  阿 部 賢 蔵
             親族代表 渡 辺 信 一
                  親 族 一 同

御法主日顕上人猊下御座下
                   (以上原文縦書)

以上であります。
 なお、時局協議会文書班有志における、この件に関しましてのその後の調査結果が、下記の如く報告されましたので併せて紹介致します。


      時局協議会文書作成班有志調査報告

 学会・地涌等では、福島の阿部本家の墓が古来から白山寺にあったような記述をしているが、調査の結果、明治以前、江戸期の阿部家の墓は白山寺の檀家専用墓地などにはないことが判明しました。

福島市荒井字八幡上  1 地番・壱九 2 地目・墳墓地
所有権者氏名 阿部由右ヱ門
阿部庄右ヱ門(日開上人の実父)
阿部政治
阿部祐三

 これは当時の阿部一族の墳墓地の登記簿謄本ですが、この場所は、阿部家の集落からさほど遠くない畑の中であり、この墓が阿部本家先祖代々の墓所なのであります。
 ところが、明治十七年、『大政官布達』第二十五號により、墓地に関して次のような規則が制定されたました。

第二十五號  十月四日(内務卿連署)
墓地及埋葬取締規則左ノ通リ相定ム
墓地及埋葬取締規則
第一絛 墓地及火葬場ハ管轄廳ヨリ許可シタル區域ニ限ルモ
     ノトス
第二條 墓地及火葬場ハ總テ所轄警察署ノ取締ヲ受クベキモ
     ノトス
第三條~第八條省略
  右布達候事

 この通達により、従来は村の個々の集落に存在していた個人の墳墓への埋葬が禁止され、地域毎に一カ所に纏めた官許の墓地のみに埋葬するようにとの規制が明治政府により施行されたのであります。
 阿部家の墓地もこの時に他の村人と共に、共同墓地に移ったものであることが、様々な事情から断定出来ます。即ち、江戸時代まで荒井村では、上記の阿部家の墓所同様、村の集落毎に墳墓が存したのですが、この明治十七年の布達以降、村の北部は台原の共同墓地、南部はこの白山寺脇の墓地を始めとして、数カ所の官許の墓地に纏められたのであります。
 白山寺脇の明治期に造成された部分の墓地が、この時に造成されたことは、そこにある墓石の殆どが明治時代以降のものであることからも証明されます。それ以前の村人の墓地は阿部家の墓地同様、それぞれの集落に存したからです。白山寺が建立されたのは江戸中期の寛永年間ですが、村人の墓地がその遙か以前から諸処に存したことは当然であります。
 学会、地涌では、この白山寺脇の明治期造成の墓地から1K程離れたところに本当の共同墓地があるなどと言っていますが、距離的にこれに該当する墓地は荒井では「叺内墓地」であるが、同墓地の標記は「共同墓地」などではなく、埋葬許可を受けた集落の専用墓地であり、その墓地管理者はやはり白山寺住職なのであります。
 また学会では、県保健所・衛生課、及び市役所・保健衛生課の墓地台帳等の記載記事を持ち出して、当該の墓は全て白山寺の墓地であると強弁しています。保健衛生課の台帳はたしかに管理経営責任者として同寺の名を記していますが、それは単に管理経営者として記載されているに過ぎないのであります。
 さらに学会は登記上、白山寺に隣接する三区画の墓地全てが白山寺の所有であるとしていますが、この明治期に開かれた共同墓地は、現在も白山寺の所有権保存登記はついていません。明治期の土地台帳の所有者の項にある「一村持」の記述によっても、明らかに共同墓地であったことが立証されます。
 たしかに他の二区画の墓地(学会では白山寺の墓地に区画などないと言っているが、その成立、性格等において厳然と区別が存するのである)については、昭和二十四年に拡張された分と、昭和四十年代以降に同寺が分譲を開始した分とは、帳簿上、現在白山寺の所有・管理となっています。
 しかし、村の古老の証言によれば、昭和二十四年に行われた墓地の拡張については、戦後暫くの間、同地方は土葬の習慣が残っており、明治期に造成された共同墓地が、掘り返し、掘り返しで、自他の墓の区別がつかない程一杯になったので、この共同墓地を持っている人全員に対し、無償で提供されたのが当時の事情ということであります。
 また、その墓地拡張部分の近辺は、古来白山寺の名受け持添地であったことから、昭和二十四年前後の頃、農地開放が行われておりますが、当該拡張墓地も当時のかかる状況のもとに、無償にて村人に提供されたものと推定されます。昭和三十五年の国勢調査の前後まで、当該墓地の土地に白山寺の登記がついていないのは、この辺の事情を物語るものであろうと思われます。
 その墓地拡張部分の土地が、昭和三十五年に白山寺に保存登記がついたことは確かに事実であります。
 しかし、そのような土地の所有権の確定乃至移動があったにせよ、通常、村人と致しましては、墓地の土地に新たに所有者の登記がつきましても、特にそれを調べる筈もなく、当該墓地は共同墓地の拡張部分という意識であったことは、無償供与の状況から、むしろ当然であります。実際その古老も、また今回学会から法華講へ移籍した阿部朝男氏も、同墓地が共同墓地の拡張部分であると認識していますし、更には、同白山寺の夫人ですら中外日報の記者に対し、「あそこは共同墓地だと聞いている」と話したとのことであります。
 要するに、昭和二十四年に拡張した墓地は、墓地の性格としては、太政官布達に基づく官の指令による明治以来の公共墓地の拡張であるが、土地の所有と、墓地の管理は現在白山寺が行っているということであります。そもそも、このように、明治以来の複雑な墓地造成の状況が存する場合において、何よりも大切なことは、墓の土地の所有者、乃至は経営管理者が誰であるかということよりも、当の墓地を使用する当事者の慣習ということが最大に尊重されなければならないことは当然であります。
 言葉を替えれば、単に墓地の表記が共同墓地であるかないか、或は寺院の所有であるかないかということよりも、実際の墓地の性格が寺院墓地なのか、共同墓地なのか、ということが大切な判断の基準でなければなりません。
 学会が言うように、これらの墓地全てが、純然たる白山寺の寺院墓地であるならば、墓地埋葬法十三条により、他宗の典礼を拒むことも出来るのであります。県保健所・衛生課、及び市役所・保健衛生課の墓地台帳等に、白山寺に隣接する墓地を白山寺墓地と表記してあっても、それは前述の如く、墓地の管理寺院である意味なのであり、当該墓地については、明治期以来の共同墓地としての慣習が、厳然と生きていると言わねばなりません。
 故に今回の阿部本家の墓碑開眼に際しても、同家として白山寺へは、管理寺院に対する世間的儀礼の上からの挨拶をしたまでであります。
 また更に今回の調査で判明したことは、福島・広布寺草創期の某功労信徒の墓が、現在も真言宗寺院管理の墓地に存しますが、そこには五十二世日霑上人、五十九世日亨上人の御署名花押入りの墓碑が建立されています。
 このように、例え他宗の管理乃至所有する墓地であっても、信仰上、本宗の墓碑を建立し、また塔婆を建立できる等、正しく本宗の化儀に則った先祖供養を遂行し得る状況があるならば、これを建立すること自体は、本宗の信仰上、何の問題もないのであります。
 大聖人様が、当時は台密乃至は東密系であったと推定される清澄寺にある師匠の道善房の墓にたいし、御回向に弟子を遣わされた御慈悲を拝するとき、徒に他宗管理の墓に対して、特別な嫌悪感を抱くのは、日蓮大聖人の仏法の広大な慈悲の上から間違いであると言うべきであり、要は一切の事柄において、信心を根本として、折伏精神に立つとともに、慈悲をもって対処していくべきなのであります。

 以上が福島、阿部本家の墓地が今日の場所に存在する理由につき、現在迄に判明した調査結果と、これに対する文書班有志としての見解であります。
 宗内各位には、御法主上人に対する阿部家からのお詫びの手紙、および文書班有志の調査によっても、創価学会のこの問題に関する聖教新聞・創価新報・地涌等の記事内容は、まったくの言いがかりに過ぎない悪辣な誹謗中傷でありますことを御理解ください。

 以 上

 

 


日顕上人ご建立の墓石に対する学会の誹謗を破す

1991-10-05 | 時局資料

   日顕上人ご建立の墓石に対する学会の誹謗を破す

              時局協議会文書作成班有志  


 今回、創価学会では、平成3年(1991年)9月27日付の『中外日報』に、「日顕法主が“邪宗の墓地”に先祖墓」などという大見出しを付け、誹謗・中傷記事を掲載するや、これを受け継いで、早速、森田一哉理事長が同29日、千駄ヶ谷の創価国際友好会館で行なわれた船橋の本部研修会で、
「次号の創価新報(十月二日付)に掲載されるが、驚くこ
とに日顕猊下は、福島市内の曹洞宗・白山寺にある先祖の
墓地に豪華な墓石を新たに建立し、平成元年七月十七日に
自ら足を運んで墓参・法要まで行っている。墓石には「為
先祖代々菩提 建立之 日顕 花押」と刻まれている。
(中略)日顕猊下の振る舞いは、そうした信徒の純真な信
心を踏みにじるものであり、強い憤(いきどお)りを禁じ
えない。」
等と発言している。そして面白いことに、本年初頭より全国の寺院に毎日無断送信されてくる宗門批判の怪文書『地涌』の9月29日号から、このことが連載されている。
 この日の森田理事長の発言どおり、10月2日付の『創価新報』に、御法主日顕上人猊下の親戚に当たる福島県福島市荒井字八幡内の阿部賢蔵氏(総本山第60世日開上人の弟銀蔵氏より数えて四代目の当主)が、平成元年七月、先祖代々の墓地に新たに墓石を建立したことに関しての卑劣な中傷記事が掲載されたのである。


 ○ 墓石を建立した墓地は村の共同墓地


 御法主上人猊下は、阿部氏より願い出の墓石のお題目を御書写遊ばされるに際し、福島の阿部家は実父である日開上人の生家でもあり、その報恩の意味からも建立の費用を負担しようと仰せられ、当主ほか阿部家一同が、この猊下のお慈悲を有り難くお受けし、墓石の建立をお願いされたものである。
 さて、学会が口汚く誹謗する当の墓地についてであるが、この墓地は村の共同墓地的性格のもので、昔は土葬の墓地であった。現在ここは、白山寺という曹洞宗の寺院が管理をしているが、実際には、この墓地は三つに区分けされているのである。
 第一区画は明治時代からの村の共同墓地であり、第二区画は後に拡張されたところであり、第三区画は白山寺檀家専用の墓地である。
 阿部家の墓はこのうち第二区画にあるが、阿部賢蔵氏の母のキンさんや、同所に墓を持つ方の話を聞くと、この墓地は第一区画の村の共同墓地が狭くなったために、昭和24年に拡張造成されたものである。その折、阿部家は近くでもあり、ここに墓地を購入したのである。
 現在、白山寺は、第三区画の檀家専用墓地については檀家にならなければ一切分譲していないが、第一・第二区画の墓地は墓石や塔婆等、宗派を問わず自由にさせているのであり、共同墓地が狭くなったから拡張した、というのがこの墓地に対しての地元の人達の認識である。
 その証拠とも言えることは、白山寺の境内地域と、第一・第二区画の共同墓地との間は塀で仕切られており、第一・第二区画の墓地は寺院に関係なく、道路から自由に出入りができるのである。こうしたところなので、日顕上人は阿部家で法事を済まされた後、墓地の開眼供養をなされたのである。
 学会では、猊下が自家の墓地を他宗の寺院に造った、と誹謗しているが、これは間違いであり、学会が指摘する墓地は福島の阿部本家の墓地である。猊下御一家の墓は、すでに戦前、第60世日開上人の代において、総本山大石寺の墓地内に建立されているのである。
 福島の本家は、日開上人の弟の銀蔵氏が後を継いだわけであるから、その村の墓地に阿部家代々の墓があっても何の不思議もないのである。


 ○ 『創価新報』における今回の誹謗・中傷記事は自己矛盾


 本宗においては、入信と同時に旧来の信仰の謗法払いをすることは当然である。しかし、墓地に関しては、これまで特に従来の墓を使用することについて問題視しておらず、このことは宗内周知の事実である。
 ここで、本宗におけるこれまでの他宗寺院管理下の墓地使用の件について、過去の経緯をたどってみよう。
 宗内における墓地問題が特に顕著になったのは、昭和34年から36年頃のことで、『大白蓮華』にもこの墓地問題を特集している。
 その中で、秋谷城永氏(現秋谷栄之助創価学会会長)は、
「月に一万世帯を越える改宗者が出るということは全宗教にとって脅威であることはいうまでもない。これは仏教会共通の問題として、県仏教会、さらに全日本仏教会で対策協議が重ねられた。そして離檀防止の最良の手段として考え出したのが、墓を押さえれば檀家は逃げられないとして、つぎつぎにその処置が取られた。
 そこで、昭和三十一年ごろから一斉に県仏教会単位の動きとなり、新しい墓地規約乃至寺院規則を作って檀家の承認を求めて歩き出したのである。
一、○○寺墓地は○○寺の檀家のみが借用して使用する権
  利がある。
一、信仰上の相違から檀徒でなくなった時は、すみやかに
  墓地を他へ改葬して、跡地を管理者に引渡さなければ
  ならない。
一、三箇年間付けとどけを納めず何の連絡もない時は、無
  縁とみなし、その使用権を取消して、適当に処置する
  ことがある。
というのが主な骨子である。これは明らかに墓地をもって
改宗の自由を奪おうとした卑劣な手段である。」
と述べ、さらに学会の立場から、
「法律にも暗い庶民に向かって、埋葬を拒否したり、無縁にするなどとおどす姿は、正に経文に示された通りである。
 そこで信仰の上からは断固、これらの邪智の輩を破るとともに国法律の上でも、この際、墓地の明確な使用権を確認して、この不法な墓地問題を解決すべきであると、真剣に取組んでいる。広宣流布途上の大きな歴史に残る闘争であることは、全学会員が、はっきり自覚すべきことであろう。」
と言っているのである。
 今回の学会の誹謗記事によれば、以前からのこうした学会の一連の指導も謗法であったことになり、創価学会が草創期から行なってきた墓地訴訟も謗法だったと言わねばならない。
 当時の記事を創価学会年表によって見ると、
 ○昭和35年3月8日
厚生省、墓地・埋葬等に関する法律第13条の解釈について新しい通達を出す。改宗を理由に埋葬拒否はできないむねが明らかにされ、学会の主張の正しさが裏づけられる。
 ○昭和36年2月11日
無断で墓地を移転した日蓮宗妙海寺(川崎市)の住職、改宗を理由に埋葬、墓参などの妨害をしないむねの誓約書を書き謝罪。
 ○昭和36年8月8日
真言宗東寺派の等覚院住職(神奈川県中郡)改宗を理由に遺体埋葬を拒否。本部では渉外局から2人の局員を派遣し、警官立ち会いのもと無事に埋葬。
等々と、学会員がこの問題に真剣に取り組んだ様子が伺われるが、今回の学会の主張をもってするに、これらの闘争は悉く無駄であり、徒労であったということになろう。
 他をあれこれ誹謗・中傷する前に、学会は自らの団体の過去の所業をよく思い起こすことが先である。
 もとより、学会の過去の所業が誤りであったと言っているのではない。ただ、当時はさんざん他宗寺院に対し、墓地に埋葬させろと争っておきながら、今度は、たまたま猊下に関係することが出てくると、まるで鬼の首でも取ったかのように「他宗管理の墓地を使用することは謗法だ」などと、まったく逆のことを掲載し、中傷するのは明らかに自己矛盾であり、この一貫性の無さを指摘するものである。
 今回の学会問題の焦点をぼかすために必死なのはわかるが、これでは他宗のもの笑いの種になるのが落ちである。


 ○ 現在、他宗寺院に墓のある創価学会員は謗法か?


 現在、創価学会員であっても他宗寺院にある従来の墓地、あるいは他の宗教法人が経営する、宗派を問わない霊園墓地等に、猊下のお題目に限らず、本宗寺院の住職がしたためたお題目を墓石に刻んでいる方は全国にたくさんいる。
 もし、阿部家の墓が謗法ならば、それらの信徒の墓もすべて謗法ということになる。事実、今回学会が誹謗している福島の阿部家の墓の側には、やはり日顕上人がお題目を書写された学会員(2ヶ月前に脱会し、現在は法華講員)の墓など、三軒の本宗信徒の墓があるのである。
 本宗の信徒となった家で、従来の墓を処分して本宗寺院の墓地へ移すことは信仰上、まことに結構なことである。
 しかし、日本の国土は非常に狭く、墓地として使用できる土地の面積も限られている。広宣流布が進展するにしたがって、もし将来、他宗寺院にある従来の墓地の使用を認めず、本宗寺院の墓地でなければ駄目だとしたら、広大な土地を専有する墓園公害となろう。
 さらに、新規に墓地を造成することは、現在のところ寺院においては簡単にできないという、各都道府県の行政上の事情がある。これらのことから、先に述べたように従来からあるそれぞれの墓地に、お題目をしたためた墓石を建立し、日蓮正宗信徒の墓としてよしと考えるのは当然のことである。
 大切なことは、墓地の管理者が誰か、ということではなく、きちんと日蓮正宗の化儀に則ってお題目をしたためた墓石を建立できるかどうかである。


 ○ 御書に忠実であるというならば、御聖意を正しく拝せ


 一つ付け加えれば、同じ10月2日付の『創価新報』の5面、仏教講座「仏教儀礼を考える」の中に「中興入道消息における御教示」なるものが出ている。
 塔婆不要の邪説を唱える学会が、会員に大聖人の御聖意を正しく伝えることができないのは無理もないが、苦し紛れの言い訳で、解説にすらならないこのお粗末な文面を見ると気の毒にすら思うのである。
 『中興入道消息』は、塔婆にお題目をしたため、それを立てることによって、北風が吹けば、その風は塔婆にしたためられたお題目に触れて、南海の魚族を成仏せしめ、東風吹けば、その風はお題目の風となって西山の鳥鹿をも成仏せしめ、かくして十法界のあらゆる衆生を成仏せしめる無量の功徳が説かれているのである。
 かかる塔婆なるがゆえに、それを立てる人の功徳は長生の徳を得るばかりでなく、後生には過去の父母と共に霊山浄土において手を取り合うことができると、成仏の境界を説かれているのである。学会が御書に忠実であるというならば、まず多くの会員にこのように正しい信心の道を教えるべきであろう。
 とにかく、塔婆不要などという邪な考えが根底にあるために、今日、創価学会では塔婆を立てることもできない墓地ばかりを必死になって造っているのである。これこそ日蓮正宗本来の化儀を否定するものと言わねばならない。


 ともあれ、今回、御法主日顕上人が福島の阿部家先祖代々の墓碑にお題目を書写遊ばされたのは、本宗の化儀に則られた深いお考えのうえになされたことであると拝するのである。
 それは、あたかも中国随一の能筆家の遺竜が、父烏竜の遺言を破って、妙法蓮華経の七字を書写したその功徳によって、父の烏竜は妙法の光明につつまれて成仏したように、阿部家先祖累代の精霊は、御法主日顕上人猊下の御慈悲に浴して成仏を遂げられたことであろう。
 以上、福島の阿部家の墓碑建立開眼供養に関する学会の誹謗・中傷の記事は、遺族の厳粛な先祖供養の尊い真心を踏みにじる名誉毀損の暴言であることと、御法主日顕上人猊下には当然のことながら、本宗の信心において一分の誤りも無いお振る舞いであったことを指摘して、『創価新報』及び、一蓮托生の『中外日報』、『地涌』の卑劣な誹謗・中傷記事に対する破折とする。

  以 上