正林寺御住職指導(H17.9月 第20号)
止暇断眠とは、無駄な人生の暇を止め、無駄な眠りを断つことを言います。
日蓮大聖人様は『富木殿御書』に、
「我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ。一生空しく過ごして万歳悔ゆること勿れ。」(御書一一六九頁)
と仰せであります。大切な人生を無駄に過ごすことなく、有意義な一生を生活し後悔することのないようにとのことです。
無駄な時間を過ごしているようだと感じたら、その時間を御本尊様に向かう時間に変えて唱題をし、成仏につながる尊い時間に変えることが大事です。
自分自身の人生を見つめ直す時間が、御本尊様へ向かう勤行唱題です。自分ひとりで考え込むことなく、御本尊様に向きあって尊い智慧を頂くことです。
人間の智慧は限られています。その限界を大きく伸ばすには、日蓮大聖人様が仰せになる御題目の南無妙法蓮華経を唱えることです。
御本尊様に御題目を唱える習慣が生活に自然と身につけば、無駄な人生の暇を止め、無駄な眠りを断つことができます。人生を無駄に過ごすところには、素晴らしい智慧は一切生まれません。また悲観的な妥協の人生になります。
同じように信心をして御本尊様を受けたもてる有難い境遇にいても、止暇断眠を忘れた人と忘れずに精進する人とでは、歴然と功徳を頂くうえで違いが生まれます。その功徳の違いに、御本尊様や大聖人様、そして信心を真面目にして功徳を頂く人を怨嫉することなく、怨嫉の気持ちが生まれる自分自身の信心に対する未熟さを恥じるべきであります。
怨嫉は自ら積んだ功徳を減少させ、成仏を遠ざける魔の働きであり、怨嫉する無駄な時間があれば止暇断眠を思い出し、その無駄な時間を御本尊様に向かう唱題の時間へと変えるべきでしょう。