正林寺御住職指導(H26.5月 第124号)
昨日は他の人に起きていた出来事が、他人事と思わないように心がけるためにと、日蓮大聖人は『寂日房御書』に、
「昨日は人の上、今日は我が身の上なり」(御書1394)
と信心を怠らないように精進していきなさいと御教示であります。
世間でも「今日は人の上明日は我が身の上」という言葉があります。この言葉の意味は、今日は人ごとと思っていた災難も、明日は我が身の上に降りかかってくるかもしれない。災難というものは、いつ誰に起こるかわからないものであるということです。
常に昨日は人の身に起きていたことが、今日は我が身に起こるのではという用心が必要です。時として緩みがちな我が身の気持ちを引き締めるために大切な心がけが「今日は我が身の上なり」であります。
昨日は人の上に起きていた災難の原因について、何が起因しているのかを信心の上から正しく理解していくことが大事です。
その災難を起こす要因とは邪義邪宗の謗法の害毒から起きている事をしっかりと認識していくことであります。
しかし、昨日は人の上に起きていた出来事は災難ばかりではありません。幸福をもたらす出来事も現実では人の上に起きています。
信心をするところ、今日は我が身の上に功徳として御本尊の有り難い力用によって絶対的な幸福が顕れてくることを信じて御題目を唱えることです。
「今日は我が身の上なり」との御言葉は善知識としての考え方と悪知識としての考え方の両面にわたり拝していくことが信心では大切になります。