正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

主師親三徳の「師徳」とは

2005-11-21 | 手引書⑥

 「師徳」とは、師匠の徳です。世界には様々な分野に「師匠」という方がおられます。稽古事や文武両道には必ず「師匠」がいます。師匠につかなければ、志す道を極めることが出来ません。それが常識であります。
 仏道でも当然のことであり、正しい「師匠」について学び修行をすれば必ず成仏します。仏道の「師匠」は日蓮大聖人であります。今現在はおられませんので、「僧宝」である時の御法主上人猊下が仰せになる教えを仰ぐところに、「師匠」である日蓮大聖人の正しい教えを窺うことが出来ます。
 仏教である仏道も各宗各派に「師匠」がいます。その「師匠」は末法に相応しい「師徳」を具えていません。世法に染まった「師徳」を身に付け、成仏とはほど遠いものです。
 日蓮大聖人は『富木入道殿御返事』に、
 「人の心は禽獣(きんじゅう)に同じく、主師親を知らず。何に況んや仏法の邪正、師の善悪は思ひもよらざるをや」(御書487)
と御指南でありますように、日蓮正宗以外の仏道における「師匠」は、心は禽獣といわれる畜生と同じであり、主師親を知らないと仰せです。更に仏法においての邪正や師匠の善し悪しも解っていないことを破折されています。
 『御義口伝』に、
 「師の徳は常説法教化の文なり」(御書1771)
と仰せでありますが、日蓮大聖人が具えておられる「師徳」は、常に迷いの衆生を説法教化あそばされていることであります。私達の凡眼凡智では理解し難いことです。「師徳」である常説法教化の姿が本門戒壇の大御本尊様であります。そして、「僧宝」となる時の御法主上人猊下の胸中に、日蓮大聖人の一切の御法門が秘められています。御法主上人猊下が仰せになる御言葉に日蓮大聖人の「師徳」を具え、「僧宝」である時の御法主上人猊下を師匠と拝し奉ることが日蓮正宗の伝統法義です。この筋目を疑い信じない人は「師弟相対」から外れ無間の獄に至ります。故に第二祖日興上人は『佐渡国法華講衆御返事』に、
 「このほうもん(法門)はしでし(師弟子)を、たゞして、ほとけ(仏)になるほうもん(法門)にて候なり(中略)なをなをこのほうもん(法門)は、しでし(師弟子)をたゞしてほとけ(仏)になり候。しでし(師弟子)だにもちが(違)い候へば、おな(同)じほくゑ(法華)をたも(持)ちまいらせて候へども、むげんぢごく(無間地獄)にお(堕)ち候也。」(歴全1-182)
と御教示であります。「師徳」を具えた正しい師匠に付いていかなければ、弟子は無間地獄に堕ちます。更に第二祖日興上人は『日興遺誡置文』に、
 「当門流に於ては御抄を心肝に染め極理(ごくり)を師伝して」(御書1884)
と仰せです。日蓮大聖人の御書は「師徳」を具えた師匠から極理を学ぶことが大事です。そこに即身成仏があります。下種三宝尊を敬うところに、自然と「師徳」を具えた師匠日蓮大聖人を尊崇することになります。
 毎日の勤行唱題は、三座において「師徳」を具えられた日蓮大聖人に御報恩謝徳申し上げているのであります。