正林寺御住職指導(H30.9月 第176号)
九月九日は重陽と呼ばれ、「九」という陽の数が重なることからいわれており五節供の一つです。
旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節供ともいわれています。菊の香りを移した菊酒を飲んだりして邪気を払い長寿を願うという風習がありました。日本には平安時代の初めに伝わり、宮中では観菊の宴が催されました。
中国では奇数は縁起のよい陽の数とされ、一番大きな陽の数である九が重なる九月九日をおめでたい「重陽の節供」としていました。
さて当家におきまして宗祖日蓮大聖人は九月九日について『秋元殿御返事』に、
「九月九日は経の一字のまつり、戌を以て神とす。」(御書334)
と仰せであり妙法蓮華経の「経の一字のまつり」との教えであります。
さらに大聖人は『法華題目抄』に、
「経の一字は諸経の中の王なり。一切の群経を納む。」(御書355)
と仰せであります。妙法蓮華経の五字の経の字は一切経の王であり、そのなかに一切の群経、法華経以外の爾前諸経も納められているということであります。
この大聖人の御指南は、釈尊が法華経の『法師品第十』に説かれた、
「我が所説の諸経 而も此の経の中に於て 法華最も第一なり」(法華経325)
と、また『薬王菩薩本事品第二十三』の、
「諸の小王の中に、転輪聖王最も為れ第一なるが如く、此の経も亦復是の如し。衆経の中に於て、最も為れ其の尊なり。(中略)此の経も亦復是の如し。諸経の中の王なり。(中略)諸の経法の中に最も為れ第一なり。能く是の経典を受持すること有らん者も、亦復是の如し。一切衆生の中に於て、亦為れ第一なり。(中略)此の経も亦復是の如し。一切の諸の経法の中に於て、最も為れ第一なり。」(法華経534)
と説かれた「此の経も亦復是の如し。諸経の中の王なり」との文証に依ると拝します。
さらに第六十七世日顕上人は「経の一字は諸経の中の王なり」(御書355)の「王」について、
「この『王』という字は、横に三本の線を書いて、真ん中を一本の線で貫くのです。これは、一代経のすべてを貫き、すべてに通じておるということであります。この王という字の横に三本あるのは、上から天地人、すなわち法界を意味しております。この天地人の三才をすべて貫いておるというところに、王という意味が存するのであります。法華経はその意義において、あらゆる経々をことごとく貫いて『一切の群経を納む』ということです。」(妙法七字拝仰 下巻265)
と御教示であります。
しかし残念ながら他宗の多くは、法華経最第一との釈尊の金言を破り、釈尊が末法に望まれたこととは違う仏教思想が信じられています。それは法華最第二最第三と主張する真言宗の大日経最第一との僻見を信用する人が多く、また般若心経などの写経が流行るために、諸経の中の王である法華経最第一との大事な釈尊の遺言が白法隠没している現実があります。
大聖人は弘安元年九月九日に御述作の『兵衛志殿御書』に、
「人王八十一代安徳天皇と申す大王は天台の座主明雲等の真言師等数百人かたらひて、源右将軍頼朝を調伏(じょうぶく)せしかば、還著於本人(げんじゃくおほんにん)とて明雲は義仲に切られぬ。安徳天皇は西海に沈み給ふ。人王八十二・三・四、隠岐法皇(おきのほうおう)・阿波院(あわのいん)・佐渡院(さどのいん)、当今已上四人、座主慈円僧正・御室(おむろ)・三井(みい)等の四十余人の高僧等をも(以)て平将軍義時を調伏し給ふ程に、又還著於本人とて上(かみ)の四王島々に放たれ給ひき。此の大悪法は弘法・慈覚・智証の三大師、法華経最第一の釈尊の金言を破りて、法華最第二最第三、大日経最第一と読み給ひし僻見(びゃっけん)を御信用有りて、今生には国と身とをほろ(亡)ぼし、後生には無間(むけん)地獄に墮ち給ひぬ。」(御書1270)
と、三身相即ではない真言密教の法身仏である大日如来を尊ぶ姿は、法華経最第一の釈尊の金言を破る罪障にあたることを仰せであります。また依正不二の原理から国土世間が乱れる原因には、法華経を奉るべきところを軽視して、第六の文底の教主釈尊ではなく、三時(正法・像法・末法)弘教の次第を知らない多くの人が他仏を尊ぶことにあります。
大聖人は『唱法華題目抄』に、
「今法華経は四十余年の諸経を一経に収めて、十方世界の三身円満の諸仏をあつめて、釈迦一仏の分身の諸仏と談ずる故に、一仏一切仏にして妙法の二字に諸仏皆収まれり。故に妙法蓮華経の五字を唱ふる功徳莫大(ばくだい)なり。」(御書230)
と仰せであり、
さらに第六十八世御法主日如上人猊下は、
「すべての仏は妙法の二字に全部、具わっているということになるのです。」(御書要文1-101)
と御教示であります。先の大日経や般若心経などの四十余年の諸経は、法華経の一経に収められ、特に妙法の二字に諸仏が全て収まっているとのことであります。そのことを多くの方々が認めて、究極の法華経である本門の本尊、本門戒壇の大御本尊に本門の題目を唱えるところ、国土世間の乱れをも沈静化できることを確信致します。
故に大聖人は『如説修行抄』に、
「法華折伏破権門理の金言なれば、終に権教権門の輩を一人もなくせ(攻)めを(落)として法王の家人となし、天下万民諸乗一仏乗と成りて妙法独りはむ(繁)昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨土くれをくだ(砕)かず、代はぎのう(義農)の世となりて、今生には不祥の災難を払ひて長生の術を得、人法共に不老不死の理(ことわり)顕はれん時を各々御らん(覧)ぜよ、現世安穏の証文疑ひ有るべからざる者なり。」(御書671)
と仰せの、如説修行を信仰の寸心を改めて実践するならば「吹く風枝をならさず、雨土くれをくだ(砕)かず」との様相、常寂光土の実現があるでしょう。
その「吹く風枝をならさず」とは、心地よい風で国土世間を諸天善神の加護により台風や竜巻が起こらない現世安穏が実現し、「雨土くれをくだ(砕)かず」とは、私達が住む衆生世間は、山が削られて森が荒れ果てることがなく、川の水が汚されて土砂災害のない現世安穏の実現です。この国土世間と衆生世間の現世安穏実現に、五陰世間の現世安穏の実現があるでしょう。それが「今生には不祥の災難を払ひて長生の術を得、人法共に不老不死の理(ことわり)顕はれん時」との実現と拝します。
そして大聖人は三世間にわたる現世安穏の実現する絶対条件として、法華経を奉るべきことを御指南であり、建治三年九月九日に御述作の『松野殿御返事』に、
「今に始めぬ御志、申し尽くしがたく候へば法華経・釈迦仏に任せ奉り候。先立ってより申し候、但在家の御身は余念もなく日夜朝夕南無妙法蓮華経と唱へ候ひて、最後臨終の時を見させ給へ。(中略)法華経はかヽるいみじき御経にてをは(御座)しまいらせ候。」(御書1169)
と、余念なく日夜朝夕に題目を唱えて今世を全うするように仰せであります。
台風が多く発生する時期でもある九月には「九月九日は経の一字のまつり」との上から以上のことを心得て、法華経が諸経の中の王であり法華最第一であることを、毎年むかえる九月九日には確認すべき大事な日になるでしょう。
その意義の上から、さらに法華経には文上と文底との異なりがあることを、大聖人が発迹顕本あそばされる御振る舞いの上から、九月九日の三日後に当たる九月十二日の竜口法難の御難会という重要な行事が日蓮正宗の寺院において奉修されます。
そこに佐前佐後といわれる御法門の異なりが生まれ、佐前においては上行菩薩としての御振る舞いを、佐後においては末法の御本仏としての御振る舞いを、大聖人が「余は二十七年なり」(御書1396)との出世の御本懐を遂げられるまでに、法華経の行者としての尊い御振る舞いが存します。
宗祖日蓮大聖人『異体同心事』に曰く、
「異体同心なれば万事を成(じょう)じ、同体異心なれば諸事叶ふ事なしと申す事は外典三千余巻に定まりて候(中略)日本国の人々は多人なれども、同体異心なれば諸事成ぜん事かたし。日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定(いちじょう)法華経ひろまりなんと覚へ候。悪は多けれども一善にかつ事なし。」(御書1389)
