創価学会版『謗法経本』を破す
時局協議会文書作成班有志
は じ め に
最近、創価学会では『勤行要典』(経本)を勝手に作成し、それを会員に配布している。この経本に掲載されている観念文は、驚くことに本宗仏法の本義を解せず、破門となった者たちが勝手に改変した謗法の観念文とすり替えられているのである。
信心の基本である朝夕の勤行で、日蓮正宗の信徒に謗法の経本を使わせ、誤った観念をさせるなどの行為は、絶対に許されるべきものではない。学会員のほとんどが、今でも(但し平成9年11月30日までは)日蓮正宗の信徒である以上、学会の犯したこの謗法を見過ごすわけにはいかず、ここに信心の基本を忘れた謗法者たちの邪義を破折し、真に広宣流布大願成就を願う勤行の基本とその精神を教え諭すものである。
1.謗法の法華経は読むべからず
破門以後、独立路線を歩みはじめ、ますます新興宗教の色を濃くしている創価学会は、今度は独自の観念文を掲載した『勤行要典』を発行した。何も知らない学会員は、言われるままに朝夕の勤行でこの経本を使用し、御経を読誦しているのである。
しかし、日蓮正宗においては、古来本宗で認めた経本以外はその使用を一切許していない。それゆえ、今日でも大石寺蔵版の経本の使用が定められているのである。
このことは、総本山第九世日有上人の『化儀抄』に、
「非情は有情に随ふ故に他宗他門の法華経をば正法の人には之れを読ますべからず、謗法の経なる故に、(中略)現世後生の為に仏法の方には之れを読むべからず。」
と御教示されていることからも明らかである。
日有上人は、本宗以外の宗派が作成した法華経は、それ自体は非情のものであっても、それを作成した側の人(有情)が謗法であるため、非情は有情に随うということから、その法華経は謗法の経となる。ゆえに、正法を受持する人が「現世安穏、後生善処」を願う大切な勤行の時に、その謗法の経を読誦してはならないと、このように仰せられているのである。
これによると、日蓮正宗から破門になった創価学会作成の経本が、謗法の経本であることは明白である。日蓮正宗の信徒であるならば、謗法厳誡の本宗の信条を全うする上からも『化儀抄』の条目に従い、謗法団体・創価学会作成の邪悪な経本の使用は即刻やめるべきである。
2.謗法経本の作成は再犯
創価学会版の経本は、かつて昭和五十二年の謗法路線の時にも作成されたことがある。
その時の経本は、「日蓮正宗創価学会 勤行要典」との表紙が付けられたもので、本宗の四座の観念文の中に、
「祈念し奉る創價學會興隆、慈折廣布、大願成就の御爲に」
という創価学会興隆の祈念文、また五座の観念文のはじめに、
「創價學會初代會長・牧口常三郎先生、二代会長・戸田城聖先生、死身弘法、御報恩謝徳の御爲に」
という牧口・戸田両会長の回向文を挿入したものであった。
この学会版の謗法経本について、池田大作氏(当時会長)は、昭和五十三年二月二十八日の各部代表の懇親会で、次のように述べている。
「一、経本について一言申し上げたい。十年、二十年にわたって、初代会長並びに二代会長の追善回向をどこですべきかとか、学会の興隆を願ってはいけないのかという質問が枚挙に暇ないほど寄せられた。(中略)創価学会としても、なんらかの回答をする必要に迫られ、やむをえず御宗門に相談申し上げた。
一、昨年の二月二十四日の宗門との連絡会議で、この御祈念の草案をつくって相談申し上げ、修正を加えるなどして、その基本的な方向が了承された。その後、総本山の御認可を賜った次第である。
一、そして昨年の三月、日達上人猊下の御認可を賜った御観念文、すなわち創価学会の興隆祈念と、歴代会長の報恩回向を含めた新観念文を、数度にわたって聖教新聞紙上に紹介させていただいたことはご存じの通りである。
一、しかし、聖教新聞に発表したものの、是非とも経本にしてもらいたいという要望があまりにも多く、やむにやまれず創価学会版の新経本を作成し、それを全広布部員に贈呈したものである。
一、残った一部を主要会館にて販売をしているというのが現状である。ただし、大石寺版の経本が原典であるし、そのまま使用することも当然、結構なのである。また先の御観念文も、よく覚えておけば、いちいち学会版の経本によらなくてもよいわけである。」(昭和五十三年三月一日付『聖教新聞』)
この時、池田氏は「日達上人猊下の御認可を賜った御観念文」ということを挙げた上で、会員からの「是非とも経本にしてもらいたいという要望があまりにも多く、やむにやまれず創価学会版の新経本を作成し」たなどと、日達上人に認可していただいた観念文を、会員からの要望で仕方なく経本にしたかのような言い方をしている。
しかし、ここで注意しなければならないのは、日達上人から御認可いただいたのは観念文についてだけであって、経本の作成についてではないことである。
つまり、この池田発言により、創価学会は自ら宗門に無許可で経本を作成したことを露呈してしまったのである。
ここで、「日達上人猊下の御認可を賜った御観念文」ということについて少々つけ加えれば、日達上人が認可されたのは、個々の学会員が創価学会興隆の祈念や、初代・二代会長の追善回向を不適当な所で祈念したり回向したりしないように、各人が諸祈念をする四座において創価学会興隆の祈念をし、また先祖回向の五座の観念文の中に初代・二代会長の追善回向を含めるように、その「位置」と「文」を学会側の案に基づいて御認可されたものなのである。
それゆえ、学会が無許可で経本を作成していた事実が発覚したとき、日達上人や宗門僧侶がこれを糾弾し、学会としてもその経本を廃止せざるをえなくなったのである。
その証拠に、学会は池田氏の各部代表の懇親会での発言から、わずか二ヵ月半後の昭和五十三年五月十二日の全国県長会議で、
「創価学会版の経本は宗門と話し合い、今後は、作成しないことになった。したがって各地の寺院で大石寺蔵版の経本を求めるようにしていただきたい。」(昭和五十三年五月十三日付『聖教新聞』)
と発表し、これを徹底するよう会員に指導したのである。
3.連絡会議(昭和五十二年二月二十四日)での池田発言
また、「昨年の二月二十四日の宗門との連絡会議で、この御祈念の草案をつくって相談申し上げ、修正を加えるなどして、その基本的な方向が了承された」との池田氏の言についても、その時の池田氏の実際の発言からすれば、この連絡会議が「御祈念の草案をつくって相談」したというようなものでなかったことが明らかである。
池田氏は会議中、次のように発言している。
「やっちゃいけないという事ならば、それじゃどういう風にしたらよいか、学会の幹部級ぐらいには五座でよいんじゃないか。四座の場合は、学会の興隆だけでよいじゃないか、という意見もあった。学会の経本は別に作らなくてもよい、出来れば幹部級には経本を作らして貰えばよい。」
「一般に売っている本宗用のものにそのまま。但し幹部用として作らして頂ければ教えるのは早い。
秋谷は、法華経は一般のものだから専売特許でないので、作ってもよいんじゃないかと、なんとか通りますようにお願い、こちらで作り始めては大変な事になる。そういう暴言は言いません。御本山で作って頂ければ一番よいが、お金がかかりすぎる。」
「日蓮正宗創価学会版として、地区部長にあげたことがあり、今はない。二、三千作った。一冊しか残っていない。一時、大石寺の御経本に直してしまっていた。」
「御経本まで手を打って間違えて、平仮名のつけ方。若干間違いがある。完璧なのを専門家に作らせた。アメリカの御経本、こっちで作ってよいかと言ったら、猊下は、イヤ御経本はこっちで作るとおっしゃった。」
観念文の修正どころか、経本を作る、作らないの話に終始しており、とても相談申し上げたなどというようなものではないことがわかる。
4.日達上人は学会版経本を「謗法」と御指南
日達上人は、学会版経本の使用を禁止されたが、その禁止にあたっては、深い御慈悲の上から、大石寺版の正しい経本十万冊を御用意され、その経本を本宗寺院において無料で交換できるよう御配慮くださったのである。
日達上人は、後日、宗内に出回った怪文書に「謗法の経文を回収する代わりに十万冊の経文を学会に贈呈するはこれも謗法行為に非ずや」と、この時の日達上人の御振る舞いに対して非難・中傷がなされていたことを取り上げられ、
「これはおかしなことですね。向こうが謗法だからそれをやめさせて、正しいものを渡してなにが謗法なんですか。学会が正宗の要品でないものを使っておりました。だからそれをやめさせて、それを回収して正しい正宗の経本を与えて、どこが謗法なんだろう。正しいじゃないですか。」
と仰せられ、学会版の経本が謗法であったことをはっきりと示されたのである。そして、その上でこの非難に対し、謗法の経本を回収し、正しい経本を与えたのであるから、何も謗法ではない、まったく正しいことをしたのであると御指南されたのである。
5.虚構と化した以前の謝罪
かつて学会は一般会員に対し、五十二年路線における逸脱をよく認識させ、六・三〇、十一・七等において是正された各種事項を徹底させるため、『特別学習会テキスト』なるものを作成した。そこには、
「日蓮正宗に伝わる厳粛な化儀は、日蓮大聖人の仏法を令法久住せしめるための信心のうえの化儀であります。
しかし、過去において、我々の考え方のなかに、そうした基本精神を理解せず、単なる形式として安易に受けとめ、これを軽視する風潮がありました。
宗門行事及び末寺諸行事、また御僧侶の三衣に対する厳しい考え方、経本・念珠に対する考え方等をはじめ、正宗伝統の化儀について十分認識を改め、疎略であった点を反省するとともに、信徒としての基本を誤たぬよう留意してまいります。」(傍線筆者)
と、今後は経本などの正宗伝統の化儀についての認識を改め、疎略であった点を反省することを記している。この時の殊勝な態度は、一体どこへ行ってしまったのであろうか。
池田氏らは以前の猛反省を忘れ去り、再び同じ過ちを犯して、すべてを虚構と化してしまったのである。学会は仏法上、どれほどの罪を犯せばそれに気づくのであろうか。彼らの行く末を思うと不憫でならない。
6.学会改変の観念文は大謗法
今回、創価学会が勝手に改変発行した経本には、明らかに仏法破壊と見て取れる観念文が記載されている。
ここにその観念文の全文を挙げると、
「初座 諸天供養
諸天善神の昼夜にわたる守護に感謝し、威光勢力・法味倍増のために。
二座 本尊供養
一閻浮提総与、三大秘法の大御本尊に南無し奉り、報恩感謝申し上げます。
三座 三師供養
末法の御本仏・日蓮大聖人に南無し奉り、報恩感謝申し上げます。
本門弘通の大導師・日興上人に南無し奉り、報恩感謝申し上げます。
一閻浮提の御座主・日目上人に報恩感謝申し上げます。
四座 広宣流布祈念
広宣流布大願成就と、創価学会万代の興隆を御祈念申し上げます。
過去・現在の謗法罪障が消滅し、現当二世にわたる願いが成就しますよう御祈念申し上げます。
五座 歴代会長への報恩感謝および先祖回向
創価学会初代会長牧口常三郎先生、二代会長戸田城聖先生の死身弘法の御徳に報恩感謝申し上げます。
○○家先祖代々ならびに会員・友人の先祖代々諸精霊追善供養のために。
世界の平和と一切衆生の幸福のために。」
である。
この観念文を見ると、いかにも「民衆仏法」を掲げる池田創価学会らしく、これまでの本宗の観念文とは打って変わり、すべて平易で簡単な表現でまとめた、いわゆる「民衆」受けのするものとなっている。しかし、これもまた学会自らが言うように、大聖人の仏法の「基本精神を理解せず、単なる形式として安易に受けとめ、これを軽視する」悪癖による愚かな行為であると言う外はない。学会首脳には、未だにそれが理解できないのである。
もっとも、本宗の化儀を改悪し、その罪の重さも知らず、涼しい顔をしている者たちに、信心の基本である朝夕の勤行の大切さや、観念文の本当の意義などわかるはずはないのである。
イ.法華守護の諸天善神にのみ法味を捧ぐべし(初座)
まず、初座についてみると、学会では、本来「大梵天王・帝釈天王・大日天王・大月天王・大明星天王等惣じて法華守護の諸天善神」と祈念しなければならないところを、「諸天善神」の一言で済ませてしまっている。ここに学会の大きな誤りがある。諸天供養で一番大事なのは「法華守護」ということである。法華守護の諸天善神でなければ、「常に法の為の故に而も之を衞護」することはないのである。
学会は、「大梵天王・帝釈天王・大日天王・大月天王・大明星天王」という、法華守護の諸天善神の名を省略したばかりか、この大事な「法華守護」の言葉をも省略してしまったために、どの天神に向かっての祈念かが判らなくなっているのである。これは、とても恐ろしいことである。一般に善神といわれていても、法華を守護しないものは鬼神である。鬼神に法味を捧げるとは、何と恐ろしいことをしているのであろうか。もっとも、悪鬼入其身の池田大作氏以下、学会幹部にとっては、そのほうが都合がよいのであろう。しかしこれでは、
「法華の持者参詣せば諸神もまた彼の社壇に来会すべし、尤も参詣すべし」
と、波木井実長に神社参詣を勧めた、あの師敵対の民部日向と変わらない。むしろ、多くの会員に強制させている分、罪も重いことであろう。
ここで、以前に時局協議会で作成した『外護について』『葬儀について』の二文書にも述べた、「略」について再度引用しておく。
「略には、化儀は略式でも、意義は欠けることなく存する『存略』と、意義において欠けるところのある『闕略』がある(闕とはケツと読み、欠けること)。
当家の方便・寿量の二品読誦などは存略であり、法華経一部二十八品を読む意義を存する。このことは、日寛上人の『題目抄文段』に、
『“略”は闕略にあらず即ちこれ存略なり。故に大覚抄に云く“余の二十六品は身に影の随い玉に財の備はるが如し、方便品と寿量品とを読み候えば自然に余の品は読み候はねども備はり候なり”』
と御指南されている。
このように、正しい筋道と信心の上から、略式の化儀が行なわれることを、『存略』というのである。」
この存略と闕略ということからいえば、観念文とは、宗祖の甚深の御意を要略した文言である。それは歴代上人への御相承によってのみ表明される深意であって、内証境界に未到の者が、たやすく変更できる文ではないのである。この意味において学会の行なった改変は、明らかに闕略であり、下種仏法の深意に欠けるどころか、本旨を失うものである。これは大謗法と言うべきであろう。
ロ.不敬極まりない本尊供養の観念文(二座)
①大間違いの簡略化
次に、二座の本尊供養の観念文について見ると、「一閻浮提総与、三大秘法の大御本尊に南無し奉り」と、本尊供養の観念文でありながら、御本尊に対しての讃文のほとんどが削られてしまっていることがわかる。五座にある歴代会長の回向文には「死身弘法」などと讃文を忘れず入れながら、本尊供養の観念文からはそれを省くとは、何たることであろうか。信徒として、これほどの不敬はないであろう。
学会が削除した、「本門寿量品の肝心」「文底秘沈の大法」「本地難思」「境智冥合」「久遠元初」「自受用報身如来の御当体」「十界本有常住」「事の一念三千」「人法一箇」「独一本門戒壇」等の語は、本宗の教義上、重要な意義をもつゆえに、確かに難しい語句である。
しかし、これらの語句については、かつて創価学会二代会長・戸田城聖氏が『方便品寿量品講義』に、
「これは仏の十号と申しまして、御本尊に向かって左の方に、『福十号に過ぐ』とある、あの十号と、この十号とは違います。あの十号は、釈迦仏法の仏の十号なのであります。ゆえに『福十号に過ぐ』とは、御本尊を信ずる功徳は、釈迦仏法の仏の福運にすぎるぞとおおせであります。
これは、末法の御本尊の十号になるのであります。御本尊の十の御徳を申しあげて讃嘆しているのであります。御本尊の別名といいますか、十のお位といいますか、十の御資格といいますか」(傍線筆者)
と、「御本尊の十の御徳を申しあげて讃嘆しているのである」と述べている。故にこれらの語句は、学会にとっても本尊供養の二座では欠かすことのできない語句のはずである。
もし、学会が現代人には難しい、または馴染みにくいなどという理由で、これらの語句を削ったとしたら、それは戸田氏への背反であろう。「法華経は最も為れ難信難解なり」と処々に示されているように、仏の随自意の経が難解であるのは当然である。
『新池御書』に、
「有信無解とて解はなくとも信心あるものは成仏すべし」
とお示しのごとく、我々末法の凡夫の立場としては、その表わすところの深い意義を理解することができなくとも、信心をもって臨むべきであり、法華経の『譬喩品』に、
「大智舎利弗すら猶信を以て入ることを得たり」
と説かれるごとく、むしろ信をもって慧に代え、成仏することが肝要である。
そして、大聖人が『一生成仏抄』に、
「仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり」
と御教示のように、我々は、仏前で行なう所作のすべてが功徳善根となってその身に具わることを知らなくてはならない。正しい信心をもって御本尊に向かい、難しい語句であってもそれを観念することによって、そこに含まれる意義が御本尊を讃嘆・供養していることを知るべきである。
②「本門戒壇」の語の削除は大御本尊の否定
学会は、二座の観念文の中で「本門戒壇」の語を削り、「三大秘法」の語をそこに充てている。一見すると、三大秘法は本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目であるから、これでもよいように思える。しかし、学会の所行を考えるとき、そこに重要な意味が含まれていることに気がつくのである。
現在、創価学会は会員に強大な圧力をかけて、総本山への登山参詣ができないよう妨害している。つまり、これは本門戒壇の大御本尊へのお目通りを阻止するものである。
池田氏をはじめ、無信心な学会の職業幹部は、平成二年の暮れから長い者ですでに一年半以上もの間、御開扉を受けていない。彼らにとっては御開扉を受ることなど、どうでもよいことなのである。しかし、一般会員にとっては大変重要な問題である。純真な信徒にとって、本門戒壇の大御本尊は決して離れることのできない信仰の拠り所なのである。
そのことが、最近になって、長い間創価学会の頂点に君臨し、民衆から懸け離れた生活を送っている池田氏にもようやくわかってきたのであろう、朝夕の勤行における観念文を通して、会員の心から本門戒壇の大御本尊への渇仰恋慕の思いを徐々に取り除こうとしたのである。まさしく創価学会独立の画策である。
ゆえに、観念文からは「本門戒壇」の語を削り、大聖人が弘安二年十月十二日に御図顕遊ばされた大御本尊を示す文言をなくしたのである。このような大御本尊をも否定する行為は、まさに天魔の所業である。
③学会が「一閻浮提総与」の語を使用する真意
ここで、もう一つ注意しなければならないことがある。それは、学会が数々の重要な意義を含む語句を削り、新たに「一閻浮提総与」の語を、この本尊供養の観念文のはじめに冠していることである。
本宗においては、『日蓮一期弘法付嘱書』に、
「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す」
とお示しのように、大聖人の仏法は、すべて唯授一人の血脈相承をもって日興上人へ御相承遊ばされたのである。そして、さらにその仏法は、日興上人より日目上人へと余すところなく御相承され、以下、嫡々代々、一器の水を一器に瀉すがごとく、今日に寸分違わず伝えられているのである。このことを本宗信仰の根本として拝するとき、本門戒壇の大御本尊は、総じていえば一閻浮提総与であり、一切衆生に与えられたものであるが、別していえば唯授一人の血脈法水御所持の御法主上人に御相承遊ばされていることを知らなければならない。
学会は、「一閻浮提総与」とすることにより、本門戒壇の大御本尊が、唯授一人の血脈相承によって代々の御法主上人に御相承遊ばされてきたことを、会員に忘れさせようとしているのである。
『曽谷殿御返事』に、
「総別の二義少しも相そむけば成仏思いもよらず輪廻生死のもといたらん」
とあるように、正しい仏法の筋目を違え、総別の二義を履き違えて己義を構えたならば、それは大謗法である。
ハ.歴代上人を削った三宝破壊の観念文(三座)
①「本因妙の教主」を削り、
「釈尊の時代に帰れ」と言う学会はどこの宗派か
三師供養の三座の観念文においても、大聖人、日興上人を讃歎する語句はことごとく削られ、二座で指摘したのと同じような間違いだらけの簡略化がなされている。
これについて少々述べると、まず大聖人に対する讃文で、「本因妙の教主」の語をなくすのは、本果妙の教主である釈尊と、本因妙の教主である宗祖日蓮大聖人とを混同するものと言わざるをえない。
学会は、日頃「釈尊の時代に帰れ」などと言っているが、それはこの本因・本果の区別、立て分けができていないからに外ならない。これでは他の日蓮宗各派が、久遠本果の釈尊を本尊と立てるのと同じである。学会にはそれらを批判する資格などないのである。
②「法水瀉瓶・唯我与我」の削除は血脈相承の否定
次に、日興上人に対する讃文であるが、学会は自分たちにとって都合の悪い、「血脈相承」を否定するため、「法水瀉瓶・唯我与我」の語を削ったのである。これを削ることにより、学会の主張する三宝論は、一応その体をなすことになる。すなわち、仏宝を宗祖日蓮大聖人とし、法宝を本門戒壇の大御本尊とし、僧宝を二祖日興上人ただお一人とする、本宗の本義より外れた誤った三宝論である。(学会の三宝論については、以前、時局協議会において作成した、『創価学会の三宝論の自語相違を破す』に詳しいので、それを参照されたい。)
しかし、現在、学会が主張するこの三宝論は、かつての池田氏の発言とは大いに食い違い、また矛盾していることを学会員は知っているのであろうか。
「『僧宝』とは、今日においては日興上人よりの唯授一人の法脈を受けられた御法主上人猊下であられる。」(昭和五十三年二月二十六日付『聖教新聞』)
「本宗における厳粛なる法水瀉瓶唯授一人の血脈は、法灯連綿と、代々の御法主上人に受け継がれて、今日に至っております。あくまでも、御本仏は、日蓮大聖人様であらせられ、唯我与我の御法主上人の御内証を、大聖人と拝すべきなのであります。」(昭和五十四年五月四日付『聖教新聞』)
このように池田氏は、過去においては正しく本宗の三宝義を述べていたのである。自分の都合次第で、これほどまでに改悪する氏の節操のなさには、今さらながら驚かされる。
今の学会は、第三祖日目上人以下の御歴代上人を僧宝から完全に除外し、そこに具わる唯授一人の血脈相承を否定することによって、新たな教義、すなわち「大聖人直結」「御書根本」などを打ち立てているのが現状である。
悲しいかな、かつて栄華を誇った学会も、現在ではその存在意義さえ危ぶまれる、まるで浮き草のような団体になり下がってしまったのである。
③御歴代上人については、その存在さえも認めず
学会は自らが立てる誤った三宝論により、日目上人に対する観念では、あろうことか、そこで「南無」することさえ許していない。さらに第四世日道上人以下の御歴代上人に至っては、なんとその存在さえも認めないという前代未聞の三宝破壊の大謗法を犯しているのである。
かつて池田氏は、
「日蓮宗身延派にあっても、南無妙法蓮華経の題目を唱えている。御書もある。経文も、法華経の方便品、寿量品を読経している。また、もと正宗の僧侶であった『正信会』も、御法主上人の認(したた)められた御本尊を拝しているし、読む経文も唱える題目も、我々と同じである。外見からみれば我々と同じようにみえるが、それらには唯授一人・法水瀉瓶の『血脈』がない。法水瀉瓶の血脈にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つも無益であり、功徳はないのである。すなわち『信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』なのである。」(昭和六十一年五月十三日付『聖教新聞』)
と、唯授一人・法水瀉瓶の血脈にのっとった信心でなければならないことを力説していたが、今となってはどこ吹く風である。本門戒壇の大御本尊を捨て、御歴代上人をも葬り去った池田創価学会は、謗法堕地獄の言葉のとおり、地獄へと続く坂道を転がり落ちているのである。個々の会員においては、いまでも日蓮正宗の信徒であることを思い出してもらいたい。
ニ.学会の興隆を広宣流布と考えるのは誤り(四座)
謗法経本の四座では、広宣流布と「創価学会万代の興隆」の祈念を一緒にしている。しかし、これは明らかに誤りである。
広宣流布とは日蓮大聖人の正しい仏法が、一閻浮提に流布することである。以前、日達上人は、
「日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります。」
と仰せられたが、まさにそのとおりである。ある特定の団体の興隆を指して、そう言うのではない。まして、大聖人の仏法の本義に背き、本宗から破門された創価学会の教えが広まることなどではないのである。
学会は、本当に、自らの団体がこれ以上興隆すると思っているのであろうか。いくら「会友」なるものを増やしても、そこには御本尊下附もなければ、御授戒もないのである。
もし、それでも興隆するというのであれば、それは新興宗教としてであろう。新興宗教であれば教義も本尊も自由である。池田氏率いる学会首脳は、皆それを望んでいるのである。学会員は、その時になって新たな本尊の出現に驚かぬよう、今から心の準備をしておいたほうがよいであろう。
この四座で、いくら罪障消滅を願い、現当二世を願ったとしても、それは罪障を倍増するだけである。即身堕地獄とならないよう気をつけるべきである。
ホ.折伏の精神を忘却した空虚な観念文(五座)
①歴代会長の回向文から北条氏を外す理由
五座の観念文を見て、まず気がつくのは、歴代会長の回向文でありながら四代会長の北条氏の名が見当たらないことである。池田氏としては、三代会長の自分を飛び越えて、北条氏の名が回向文に載るのは許せないのであろう。
池田氏の論理では、会長は三代で終わりなのである。ゆえに、今いくら秋谷氏が池田創価学会に貢献しようとも、五代会長である氏が回向文の中に入ることはない。
歴代上人を観念文から削っても、学会の会長は入れる。すべてにわたって学会が主であると考える池田氏、その大慢心はやがて大聖人をも見下すようになるであろう。自らが「本仏」となることが氏の最終目的であるとしたら、それは恐ろしいことである。まさに第六天の魔王である。
②はた迷惑な「友人の先祖」への回向
この五座でもう一つ気になるのは、「会員・友人の先祖代々」と、ここに「友人」を入れていることである。「友人葬」「会友」「友好」「友情」などと、学会は「友人」がよほどお好きとみえる。会員の先祖を回向するならまだしも、謗法の「友人」の先祖まで回向するとは大したものである。
さて、ここで回向について少々説明をしておくと、回向とは回転趣向という言葉を縮めた語であり、梵語の「パリマーナ」という言葉の訳で、元来は「転変」あるいは「発展」を意味する言葉である。回転趣向とは、すなわち己の一切の善行の功徳を転じて他に施し、向かわしめるということである。
この回転趣向(回向)には、自分の功徳を回らして、菩提(悟りの道)に趣向する菩提回向と、法華経の『化城喩品』に、
「願わくは此の功徳を以って、普く一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜん」
とあるように、自分の修行した功徳を一切の人に施して成仏の大業を成ぜしめようとする衆生回向、さらに『提婆達多品』に、
「勤求して此の法を獲て、遂に成仏を得ることを致せり」
と説かれるように、自分の法華経修行の功徳をもって、直ちに仏身を成ずる実際回向の三種がある。
今、学会が行なっている「友人」の先祖への回向は、この三種のうちの衆生回向であることがわかる。しかし、悲しいかな、いくら回向をしてあげたとしても、正しい信心に基づく回向でないために、学会は「友人」の先祖どころか、自分の成仏も適わないのである。
回向は精霊の苦しみを取り除き、成仏へ導くための行為であるが、それを邪宗邪義によって行なえば、逆に苦しみを招き、地獄へ堕とすための行為となることは周知のとおりである。もし学会員が、正法に縁できずに苦しんでいる「友人」の先祖を回向しているとしたら、それは火に油を注ぐようなものである。「友人」の先祖としては、さぞ迷惑なことであろう。
③一切衆生が正法に帰一してこそ世界平和
折伏もせず、大聖人の仏法を信じているわけでもない「会友」を増やして、友好の輪を広げ、「友人」にはその先祖回向までしてあげる学会、彼らには本宗の観念文の「乃至法界平等利益自他倶安同帰寂光」の意味が、まるでわからないとみえる。
この観念文の意味は、前にも挙げた『化城喩品』の文に、
「願わくは此の功徳を以って、普く一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜん」と説かれるごとく、我々が勤行・唱題して得た功徳を法界すべてに平等にめぐらし、自他共にその利益に浴して、寂光すなわち本門戒壇の大御本尊のもとに帰すことができるよう祈念するものである。ゆえに、単に「世界の平和と一切衆生の幸福」を祈るものではない。
謗法を責めることも忘れ、「平和」「文化」に名を借りて邪宗邪義の者たちと手をつなぎ、見せかけだけの世界平和に喜び浸っていても、それは明らかに大聖人の仏法ではない。
もし、真に世界の平和を祈るのであれば、大聖人が『如説修行抄』に、
「法華折伏・破権門理の金言なれば終には権教権門の輩を一人もなく・せめをとして法王の家人となし天下万民・諸乗一仏乗と成って妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり。」
とお示しのごとく、大聖人の仏法を正しく受持し、ひたすら折伏弘教に邁進することである。
誤った世界平和を夢見て、一生空しく過ごすことなかれである。
お わ り に
以上、学会の謗法経本について破折を加えたが、本宗の化儀をことごとく改悪し、大聖人の仏法を破壊し続ける学会の悪行は止まるところを知らない。
しかし、我々、大聖人の仏法を正しく受持信行する者は、『異体同心事』の、
「悪は多けれども一善にかつ事なし、譬へば多くの火あつまれども一水にはきゑぬ、此の一門も又かくのごとし。」
との御金言を身に体し、邪悪な魔の手から富士の清流を守るため、それに敢然と立ち向かっていかなければならない。
学会においては、すでに過去帳や塔婆までも謗法のものとすり替えている。これらから推し計るとき、創価学会の中から日蓮正宗の化儀が消えるのも間近であろう。もし学会員に、日蓮正宗の信徒としての自覚がまだ残っているならば、池田教の邪義に染まりきる前に学会を脱会し、本宗の正しい信仰に帰るべきである。学会員の賢明なる判断に期待するものである。
以 上
学会僧七名による「諌暁の書」を粉砕す
時局協議会文書作成班一班
(大日蓮 平成4年3月号 第553号76頁 転載)
は じ め に
本年(平成4年・1992年)二月三日、「諌暁の書」(二月二日付)なる書面が、御法主日顕上人宛に送付されてきた。送り主は、工藤玄英、大橋正淳、吉川幸道、池田託道、串岡雄敏、吉川雄進、宮川雄法の七名である。
内容は、工藤玄英ら学会僧の我意我見による、池田創価学会の擁護と、御法主上人に対する誹毀讒謗を羅列しただけのものである。が、結局、現宗門は謗法、御法主上人に大聖人の御魂はないと決め付けた上で、学会僧七名は、宗門改革のために、本宗より離脱するというのである。しかし、宗門が、彼らの思いどおりに改革されたならば、また宗門に帰伏するなどと、調子のよいことも、最後にしっかりと述べている。なお、その後、成田雄具も、二月八日付書面をもって離脱した。
もとより、御法主上人並びに宗門に対する彼らの誹謗は、池田創価学会の受け売りであるから、いまさら目新しいものは何もない。これらは、また時局協議会などによって、ほぼ破折されていることでもあるから、ここで一々破折するものではない。
ただ、彼らのように、現在まで、日蓮正宗僧侶の姿を借りて、仏法を破壊しようとしてきた輩の体質を暴き、もって稚書を粉砕するものである。
1.工藤玄英らは本然的に学会僧
そもそも、工藤玄英ら七ないし八名は、もともと池田創価学会の絶対的な信奉者であり、池田創価学会という歪んだフィルターを通してしか、日蓮正宗の仏法を学んだことがない。したがって、彼らの教義解釈は、日蓮正宗の相伝から外れたものなのである。
実際に、首謀者である工藤玄英・大橋正淳らは、以前より池田大作本仏論者だったのである。このことは、昭和五十三年八月三十日、第二十七回教師講習会開講式における、御先師日達上人のお言葉からもよく拝される。すなわち、「また『池田会長に法衣を着せれば即大聖人様だ』などという僧侶がいる。私はびっくりしました。先日、北海道の信者さんから手紙が来ました。その人は札幌の僧侶ではないけれども、このような僧侶がいます。まったく情けないではないか。さらに『自分は、会長が袈裟・衣を着たらそのまま大聖人であるから、もしも学会と宗門が手を切ったならば、私は学会の方に付きます』と言明しているそうです。まったく私は情けないと思います。いまここにいる人は、心当たりがあるのかないのか知らないけれども、そういう人がいるから日蓮正宗の教義がおかしくなってくるのであります。」(日達上人全集第二輯七-一九九)
このお言葉は、創価学会の昭和五十二年路線という大問題の真っ只中のものである。
お言葉中の「僧侶」が、誰を指しているかは明らかではないが、工藤玄英らが学会僧であったことは、当時から、広く宗内に知られていたことである。さらに、この時、工藤玄英は北海道千歳市の法涌寺に、また大橋正淳は同じく室蘭市の深妙寺に、それぞれ赴任していたことも事実である。
そして、その極め付けは、今回の彼ら学会僧の取った行動である。つまり、日達上人のお言葉にある「僧侶」の発言を、そのまま実行したのが、今回の行動である。ならば、日達上人のいわれる「僧侶」が誰を指しているのか、おのずと明らかであろう。
しかも、彼ら学会僧は、「諌暁の書」なる書面中において、『仁王経』の、
「仏波斯匿王に告げたまわく・是の故に諸の国王に付属して比丘・比丘尼に付属せず何を以ての故に王のごとき威力無ければなり」
との文、また『観心本尊抄』の、
「是くの如き高貴の大菩薩・三仏に約束して之を受持す末法の初の出で給わざる可きか、当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」(全集二五四・この文の解釈は、時局協議会文書「外護について」を参照されたい)
との文を挙げた上で、
「創価学会の出現により、まさに立宗七百年を境として折伏広布の時は開け、賢王たる歴代会長の不惜身命の戦いによって、今日宗門は、世界の宗門となったのであります。」
と、堂々と会長本仏論を述べているのである。このような本仏義は、まさに池田教の邪義であり、本宗の教義ではない。
この他にも、彼ら学会僧の主張を見れば、本当に今まで日蓮正宗の仏飯を喰んできた者の言であろうかと、疑わざるをえないことばかりである。まさに、日達上人の「そういう人がいるから日蓮正宗の教義がおかしくなってくるのであります」とのお言葉を証明するものといえよう。
宗門としても、宗内にこのような学会僧がいては、非常に迷惑であり、百害あって一利なしといえるのである。幸いに、今回、宗門がわざわざ手を下す前に、このような輩が自ら離脱したのであるから、正法護持、広布進展の上から、大いに喜ぶべきであろう。
ともかく、このような学会僧の輩が、いかにもっともらしく学会を擁護し、宗門を誹謗してみても、それらは全て池田本仏論という、致命的な謗法を根底としたものであることを知るべきである。つまり、彼らの主張は、全て為にする暴論でしかないのである。このことは、彼ら学会僧が、どのようにいい逃れようとも、いかんともしがたい事実である。
2.自語相違の行動
彼ら学会僧の「諌暁の書」の目的は、決して御法主上人への諌暁にあるのではない。
そもそも諌暁ということは、臣・弟・子として、ひたすらなる態度をもって諌め訴える忠の行為であって、決して主・師・親に誹謗・中傷を尽くすことではない。まして、離脱の表明などであろうはずがない。大聖人は、『開目抄』に、
「比干は殷の世の・ほろぶべきを見て・しゐて帝をいさめ頭をはねらる(中略)此等は忠の手本なり」(全集一八六)
と仰せである。殷の紂王は、国政をも顧みずに妲己(だっき)を溺愛したため、紂王の子であった比干が、国の亡ぶことを哀惜して、強いて紂王を諌暁したのである。そのため、比干は紂王によって頭を刎ねられたのであるが、大聖人は、これこそ真の忠であり、真の諌暁であると仰せである。
しかるに、万が一、彼らがいうように、宗門に非があったと仮定しても、彼ら学会僧は、その礼儀をもって諌めているわけではない。ただ単に、学会受け売りの誹謗・中傷の語を重ねているだけのことである。これは、どのように見ても、忠とも諌暁ともいえる代物とはいえない。単なる反逆である。
もとより池田教信者である彼らには、大聖人の仏法の正統血脈に随従することなど、どうでもよいことなのである。邪教池田創価学会が破門に処せられた今、日蓮正宗を離れて、創価学会に付くこと程度しか、彼らには考えることができない。その証拠に、この「諌暁の書」なるものの結論が、彼ら学会僧による、宗門からの離脱宣言に存するではないか。つまり、「諌暁」などと聞こえのよい言葉を使用してはいるものの、結局は、離脱するための口実でしかなかったのである。
さらにいえば、彼らの書面中、
「かかる状況に至るまで、私たちは、創価学会との和合なくして宗祖御遺命の達成は断じてあり得ないとの憂宗護法の思いから、幾度となく、猊下ならびに宗務院に対し、抗議し、その非を訴えてきました。」
などと、居丈高にいい放っていることである。しかし、彼ら七名ないし八名の学会僧のうち、果たして何人が、「猊下ならびに宗務院に対し、抗議し、その非を訴えてき」たのであろう。
しかも、「幾度となく」である。むしろ、彼らのほとんどが、最近まで、学会僧としての正体をひたすら隠そうとしてきたではないか。
「謝罪要求書」にしても、署名・捺印をしなかったのは、彼ら七名の中、三名である。しかし、この三名においても、自ら進んで、「幾度となく、猊下ならびに宗務院に対し、抗議し、その非を訴えてき」た者など、誰もいなかったではないか。
他の四名についていえば、「謝罪要求書」には、自ら署名・捺印したのである。さらに、つい先日に至るまで、「猊下ならびに宗務院に対し、抗議し、その非を訴えてき」たどころか、教区内僧侶や同期生、あるいは心有る仲間によって、逆に「学会に対する破折等の活動を、しっかり行なってないのではないか」と、幾度となく、その非を指摘されてきたではないか。しかも、このような指摘に対して、むしろそれを否定し、自ら「池田創価学会は大謗法の団体である。そのために、自分も脱会を呼び掛け、脱会者を直属信徒として受け入れている」などと称していたのである。まさに「蝙蝠鳥のごとし」である。このような妄語ばかりの不正直な輩は、離脱とともに、袈裟・衣も返上すべきである。
今、邪教池田創価学会が、宗門から破門に処せられたこの時になって、池田本仏論を信奉する学会僧七名ないし八名は、とうとう本宗の根幹である血脈から離れ、和合僧団の座より立ち去ったのである。まさに、『方便品』で座を起った五千の上慢と同轍である。天台大師は、五千の輩について、上慢・我慢・不信の三失を挙げ、
「疵を蔵し徳を揚げ自ら省みること能わざるは是れ無慙の人なり」
と示され、さらに妙楽大師は、
「疵を蔵し徳を揚ぐるは上慢を釈す。自ら省みること能わざるは我慢を釈す。無慙の人とは不信を釈す」
と釈されている。本来は、出家に上慢、在俗に我慢、女子に不信と次第浅深して釈されたものである。しかし、池田本仏観を信仰の根底において身勝手な行体や研学をし、上慢の心を強くして離脱した彼ら学会僧には、我慢・不信の二失も、当然、含まれることを知るべきである。
3.学会僧に『立正安国論』を引用する資格なし
彼らの書面では、初めに『立正安国論』の、
「予少量為りと雖も忝くも大乗を学す蒼蝿驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸って千尋を延ぶ、弟子一仏の子と生れて諸経の王に事う、何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜を起さざらんや。其の上涅槃経に云く『若し善比丘あって法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子・真の声聞なり』と」(全集二六)
との御文を挙げ、学会問題の非を宗門に当て嵌めた上で、
「このときにあたり、宗祖大聖人の広布大願をかしこみ、歴代先師の僧俗和合の御指南を拝してきた『弟子一仏の子』たる私たちは、今日の破滅的な仏法衰微の事態を、もはやこれ以上、座して傍観することはできません。
よって、私たちは、真の不惜身命の決意に立って、ここに、宗門再生のため、日顕猊下をはじめとする宗門現執行部に対し、信ずるところを諫言するとともに、これを広く宗門内外に訴えるものであります。」
と述べている。
そもそも、仏法では、何事においても仏智によるべきであって、凡智・人情に任せるべきではない。日蓮正宗は、血脈相伝の宗旨であり、大聖人の仏智は、唯授一人の血脈相承によって、現日顕上人にまで伝えられているのである。したがって、日興上人以来、御歴代上人に止住する血脈法水を通して本仏大聖人を拝するのが、「弟子一仏の子」としての信仰の基本である。
このことは、日有上人が、『化儀抄』第四条で、
「手続の師匠の所は三世の諸仏高祖已来代々上人のもぬけられたる故に師匠の所を能く能く取り定めて信を取るべし、又我が弟子も此くの如く我に信を取るべし」(富要一-六一)
と仰せられていることからも明らかである。さらに、また第二十七条では、
「信と云ひ血脈と云ひ法水と云ふ事は同じ事なり、信が動せざれば其の筋目違ふべからざるなり、違はずんば血脈法水は違ふべからず、夫とは世間には親の心を違へず、出世には師匠の心中を違へざるが血脈法水の直しきなり、高祖已来の信心を違へざる時は我れ等が色心妙法蓮花経の色心なり、此の信心が違ふ時は我れ等が色心凡夫なり、凡夫なるが故に即身成仏の血脈なるべからず」(富要一-六四)
と、仏法においては、師匠(御当代上人)との師弟相対の信心化儀こそ大切であると定められているのである。この師弟相対の信仰形態は、いかなる時代にあっても変わることはない。
ところが、今、学会僧は、彼らの「信ずるところを諫言する」と述べているのである。このことは、仏智によるのではなく、彼ら自身の凡智・人情を元としている証拠である。換言すれば、不信謗法による我意・我見であって、仏法を私せんとする外道の見なのである。
このように、我見を元として、血脈法水を護持あそばされる御法主上人を誹謗し、血脈法水の当処から離れた彼らに、どうして「弟子一仏の子」といえる資格があろうか。それとも、正信会の輩のように、血脈二管説を立てて、自らに血脈が流れているとでもいうのか。あるいは、彼ら学会僧の信奉する池田本仏なるものから、血脈の「証」なる紙片でも受けたとでもいうのか。笑止千万とはこのことである。『五人所破抄』の、「今下種結縁の最初を忘れて劣謂勝見の僻案を起し・師弟有無の新義を構へ理非顕然の諍論を致す、誠に是れ葉を取って其の根を乾かし流れを酌みて未だ源を知らざる故か」(富要二-六)
との御文は、まさに彼らのためにあるといって過言ではない。
また、彼らは、宗門は無慈悲・非道にして蛇行・逆行していると述べているが、とどの詰まりは、
「いまや、かかる暴挙によって、末寺はもちろん、総本山も疲弊と荒廃の一途をたどり、呻吟する僧侶の悲憤・義憤の声は地に満ちております。」
と、「今の宗門では、僧侶の生活の保証ができないではないか」ということをいいたいだけなのである。彼らは、すでに道心を失くし、世俗的な平穏を求め、利養に貪著するゆえに、現在の物資的な疲弊を挙げて愚痴をこぼし、仏法そのものを破壊せんとするのである。「衣食の中に道心なし」とは、まさに彼らの体質をいうのである。
さらに、このことを正当化するため、彼らは、「これを広く宗門内外に訴えるものであります」と述べているのである。これらの言葉を合わせ見れば、彼らは、すでに池田に魅入られた僣聖増上慢の一分と化したといえよう。なぜならば、『勧持品』の二十行の偈に説かれる「利養に貪著し」の文は、まさに彼らの姿そのものだからである。彼ら学会僧は、この二十行の偈の増上慢の輩が、実に我が身に当たっているということを、思い知るべきである。
4.学会僧のいう「改革」を破す
彼らは、
「私たちは、今回の問題は、偉大なる御仏智の表れであり、宗門積年の悪弊の総括、清流への蘇生、本義に則った改革への動執生疑であると深く拝するものであります。」
と述べた上で、『大悪大善御書』の、
「大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる」(全集一三〇〇)
との御文を引いている。
彼らがごとき学会僧ならずとも、宗門の誰しもが、今回の学会問題を、偉大なる御仏智の表われと拝している。ただし、それは、池田創価学会積年の悪弊の総括であって、まさに富士の清流を護持するため、そして真の僧俗和合による大法広布のための、血脈仏法の本義に則った改革である。したがって、大石寺開創七百年という意義ある年に、池田創価学会の傲慢にして邪悪・陰湿な体質が現われ出たことは、まさに、
「すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし」(同)
との大瑞相であったと拝するものである。
イ.見せ掛けの僧俗平等を破す
.「信徒を大切にしていない」は不当
学会僧の書面では、宗門改革の第一として、宗開両祖の御精神に立ち返り、真に信徒のための宗門となるべきであると述べている。すなわち、
「今日の宗門僧侶の実態は、率直に言って、多くの場合、信徒に対し自らを一段高いものとする差別意識を持っているのであります。また、指摘されるとおり、日常の生活が少欲知足にほど遠い贅沢と堕落に流されていたことも、必ずしも否定することはできないでありましょう。このように宗開両祖の御精神から懸け離れた『暴走』を続けるならば、日興上人に始まる富士の清流は枯渇、断絶し、民衆から見放されて法滅・死滅に向かうことは明らかであります。
(中略)今こそ、私たちは、出家の本義に基づき、権威と抑圧を信心を根本とした慈悲と求道に変じ、少欲知足の行躰に徹し、民衆による仏法弘通を支え、信徒に奉仕する教団へと脱皮すべきであると訴えるものであります。」
彼ら学会僧は、「今日の宗門僧侶の実態は、率直に言って、多くの場合、信徒に対し自らを一段高いものとする差別意識を持っている」と述べているが、果たして本当であろうか。そのようなことは、断じてない。このことは、以前より宗内僧侶間において、互いに誡め合ってきたことである。御法主上人も、昭和五十九年八月、行学講習生に対して、
「僧侶が在家に対して垣根をつくってしまって、まるで僧侶だけが正しいような考えをもったり、僧侶だけが偉いような、また仏法の上から在家は一段と落ちておるような立場であると考えてみたりすること、そういうことも大きな間違いであります。」(大日蓮四六四-五〇)
と御教示されているが、特に、非教師に対しては、常々、御訓誡されてきたことである。かつて、大石寺内事部において、学衆課主任を務めた吉川幸道ならば、よく知っていることであろう。
.僧俗は差別即平等・平等即差別
ただし、また僧俗の筋目は、広布進展の上からも、また教団の秩序の上からも、明確でなければならない。したがって、日興上人は、『遺誡置文』で、
「若輩為りと雖も高位の檀那自り末座に居る可からざる事」(全集一六一八)
と仰せであり、また『化儀抄』第一条には、
「貴賎道俗の差別なく信心の人は妙法蓮花経なる故に何れも同等なり、然れども竹に上下の節の有るがごとく、其の位をば乱せず僧俗の礼儀有るべきか」(富要一-六一)
と定められているのである。僧俗の筋目において、僧侶が上位に付くことの理由は、僧侶に能導の権威が具わるためである。そのため、また日亨上人も、
「僧侶能導の権威が失墜すれば、仏法中の僧分はまったく破滅である。」
と仰せられているのである。
仏法では、差別即平等、平等即差別と説くのである。したがって、広大深遠な仏法の中には、当然、平等主義、民主主義を正しく活かして、民衆の幸福を築いていく意義が存するのである。しかし、また「仏法は体、世間は影」であるから、世俗の平等主義、民主主義をもって、広深な仏法を律しようとするならば、それは明らかに誤りであり、摧尊入卑の大謗法となるのである。
池田創価学会のいう平等主義、民主主義、平和主義は、まさに世俗を基準としている。言葉の聞こえこそ良いが、実際は世語をもって仏法を破らんとしているだけである。『涅槃経』の、
「是の諸の悪人、復是の如き経典を読誦すと雖も、如来深密の要義を滅除して世間荘厳の文を安置し、無義の語を飾り、前を抄て後に著け、後を抄て前に著け、前後を中に著け、中を前後に著けん」
との文は、まさに池田創価学会のことをいうのである。このような仏法無視の体質が、自分の権利のみを主張して他人のそれを無視し、意見の異なる人に対して、多勢による弾圧暴力に徹する身勝手な行動となって現われるのである。また、都合のよい情報のみを一方的に流して、会員が他の情報を知ることを妨げたり、自らの言のみが正しいとして、他の意見には耳を貸さないという極めて独善的な姿を呈するのである。こうしたさまざまな行為をもって、仏法上においても、また世法上においても、大聖人の仏法に、大きく泥を塗っているのである。このような池田創価学会や彼ら学会僧による、むやみな、名前だけの平等主義、民主主義、平和主義のあり方こそ、本当に廃されなければならないのである。
さて、彼らのここでの主眼は、「民衆による仏法弘通を支え、信徒に奉仕する教団へと脱皮すべきであると訴えるものであります」というところに存する。つまり、「日蓮正宗宗門は、創価学会傘下の法要執行部門となって、奉仕に徹せよ」というのである。これは、僧侶能導の権威はもとより、本宗の根幹である血脈の尊厳すら、地に堕とさんとする策謀の現われである。
すなわち、創価学会が、昭和五十二年路線以来、十数年もの間、ひたすら抱きつづけてきたことと一致する。工藤玄英ら学会僧は、これによって生活の安定を求めるのであろう。先に述べたとおりである。まさに、「法師の皮を著たる畜生」というべきである。
.学会僧こそ僧侶の堕落
なお、学会僧が盛んにいう僧侶の堕落について、一言述べておく。
そもそも、学会の体質的な問題は、信徒からの悲痛な手紙や電話などによって、以前から様々な形で、宗門へ届けられていたのである。しかし、実際に表面化したのは、一昨年(平成2年・1990年)の七月十七日、宗務院・学会の連絡会議においてである。席上、学会側から、御法主上人や宗門僧侶に対して、悪意に満ちた誹謗・中傷がなされた。しかも、学会側は、一方的にいうだけいい終えるや、宗門側のいうことも聞かず、座を立って帰ってしまったのである。この突然の暴挙に対して、七月二十一日に登山してきた池田・秋谷両名に対し、御法主日顕上人から、連絡会議の背謗の言に対する御注意がなされた。また、宗務院としても、種々調査の上、翌八月の連絡会議の席上、事実と食い違う数多くの事柄に対して、それらを指摘したのである。
しかし、また一方で、宗務院は、宗門側の糾すべきことは、正直に糾さんと努めた。そのため、八月末の全国教師講習会の折には、教師指導会を開催して、さらに僧侶・寺族の綱紀粛正を徹底したのである。もとより少欲知足の宗風ながら、特に現在の宗内には、彼ら学会僧がいうような、贅沢で堕落した僧侶は、実際にいないことを申し述べておく。
それよりも、血脈から離れ、日蓮正宗の僧道から脱落した学会僧の輩こそ、その精神において、堕落・腐敗しているというべきではないか。しかも、彼の七名ないし八名の中には、少なくとも過去に女性問題を起こした者が二名おり、また海外出張御授戒で東南アジアへ行った折に、夜の歓楽街へ出てカラオケ三昧をした者など、破廉恥な者が非常に多いではないか。自らを「弟子一仏の子」などといいながら、何たる行体をしていたのか。無慚極まるものである。
ロ.宗門に封建体質はない
.宗内に門閥の勢力は横行していない
彼ら学会僧は、宗門改革の第二として、宗内にある門閥や、僧階等による差別的体質を除去すべきであると主張している。
すなわち、
「門閥の後ろ盾のある者は、日頃の行躰や能力、功績などとは関係なく、比較的好条件の寺院に赴任するのに対し、そうでない者は山間辺地の寺院に追いやられる傾向が顕著であります。不祥事を犯した場合も、門閥ある者への処分が極めて寛大であるのに対し、そうでない者への処分は過酷であるなど、まったく公平を欠いております。また僧侶間においても、僧階一つ、法臘一年の違いをもって、越えがたい上下関係があり、自由闊達な発言などおよそ考えられない体質であります。
私たちは、このような宗門の封建体質を除去・払拭し、門閥・上下階級差別の不平等集団を刷新し、同心和合の民主的教団に脱皮しなければならないと考えます。」
現在、宗門内においては、それぞれの法類同志が、師匠や兄弟子を慕い、また同期生として集まることはあっても、門閥などによる差別体質を感じている者は、皆無といって過言ではない。いや、人徳の高い者のもとへは、むしろ門閥にかかわることなく集まってくるのが現状である。これは、門閥などというものではなく、僧侶間における、麗しき信頼の姿なのである。
また、このことは、日達上人が、総本山に年分得度制を敷かれたことからも、容易に首肯できることである。すなわち、現在では、僧侶となる者は、必ず時の御法主上人の徒弟となり、総本山において、平等に修行することになっているのである。その沙弥や学衆の間にあっては、門閥という意識が、いかに通用しないものであるか、学衆課に勤務した吉川幸道ならば、よく知っているであろう。
また、門閥によって、赴任する寺院等に差別があると述べているが、果たしてそうであろうか。むしろ、個々人の能力や僧階、さらに行跡・実績等によって、赴任する寺院が決定されていると見るべきである。能力的にいえば、学会僧七名のうち、むしろ能力以上の寺院に赴任した者もいたといって過言ではなかろう。しかし、それまでの功労等を勘案された上で、御法主上人より御任命いただいたのではないか。全く不知恩の輩としかいいようがない。
.僧階・法臘の上下は礼節と秩序にある
次に、「僧侶間においても、僧階一つ、法臘一年の違いをもって、越えがたい上下関係があり、自由闊達な発言などおよそ考えられない体質」と述べていることについてである。彼ら学会僧は、「僧階一つ、法臘一年の違い」と、ことのほか僧階や法臘を嫌悪し、「宗門の封建体質を除去・払拭し」などと、世直しをせんばかりに豪語しているのである。ところが、「諌暁の書」なるものの文末の署名の次第は、離脱以前の僧階どおりなのである。何と不思議なことであろうか。
先述のごとく、もとより本宗における僧侶の関係は、信頼をもって成り立っているのであるから、心配は無用である。『教師必携』に、
「上下の礼節を重んじ、相互に慈愛をもって交わり、親睦を旨とする。」
と定めるとおりである。このため、実際に僧階上下間においても、礼節を重んずることは当然ながら、何でも忌憚なく話し合うことができるのである。
また、学会問題に、一応の決着がついた現在、宗内においては、公式の場においても、さまざまな意見が出されている。今後の広布進展のあり方や人材育成のあり方、また法華講の育成に関する意見など、全てが自由闊達である。宗務当局としても、これらの提言は、必要に応じて最大限に活かしているのが現状である。
したがって、「僧侶間においても、僧階一つ、法臘一年の違いをもって、越えがたい上下関係があり、自由闊達な発言などおよそ考えられない体質」などということは、まったく当たらない事柄であり、抱腹絶倒の限りである。工藤玄英ら学会僧は、宗門に対して、このような杞憂にも似た心配をする必要はない。むしろ、幹部絶対主義の創価学会に、そのまま当て嵌まる問題であるから、今後、彼ら学会僧の母体となるべき創価学会をこそ、改革していくことを考えるべきである。
ハ.宗門に法主独裁はない、あるのは信伏随従のみ
.『宗制宗規』は宗務行政上、改正されるもの
彼ら学会僧は、第三の改革として、御法主上人の独裁からの脱却を挙げている。すなわち、
「宗制宗規の度重なる『改悪』の結果、現在の宗門は、事実上、法主一人の独裁となっております。法主の意向に反する意見が取り上げられることは皆無であり、何かものを言えば即座に切られるという驚くべき『恐怖政治』の体制が現今の実態であります。そのような体質のもとでは、宗風は萎縮し、硬直していくばかりであり、今こそ、独裁から民主へ、保守から革新へ、硬直から柔軟へ、閉鎖から解放へと自らの体質を改革すべき時を迎えていると訴えるものであります。」
『宗制宗規』は、実際の宗門行政に即して制定されたものである。したがって、時代等の変遷や将来の展望の上から、その都度、適宜に改正されていくことは、宗門人の願うところであって、当然のあり方であろう。それを「度重なる改悪」などというのは、むしろ彼ら学会僧が目先の私利・私欲に執われてばかりであり、宗門内外の情勢を高所に立って大局的に見ていない証拠である。というよりも、この『宗制宗規』の改正を「改悪」などということ自体、学会僧お決まりの学会受け売り発言というべきである。
.御法主上人は大聖人の遣使還告
さて、後に詳述するところであるが、本宗においては、唯授一人の血脈相承のもとに、御法主上人を大聖人の遣使還告、住持の僧宝として拝し奉るのである。故に、日亨上人は、『法華文句記』の、
「初めに此の仏菩薩に従って結縁し、還って此の仏菩薩に於いて成就す」
との文について、
「一往の文釈を為さば・此仏とは第一番成道久遠実成釈迦牟尼仏にして、菩薩とは本化上行等の本眷属なり・再往末法に於いて義釈を為さば・此仏と云ふも此菩薩と云ふも・共に久遠元初仏菩薩同体名字の本仏なり、末法出現宗祖日蓮大聖の本体なり、猶一層端的に之を云へば・宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり」(下線筆者・富要一-一一七)
と釈され、また『化儀抄』第十四条の註解においても、
「本山の住持の当職(末寺も此に准ず)は三世諸仏高祖開山三祖の唯一の代表者なれば・仏祖も殊に現住を敬重し給ふ」(富要一-一四五)
と仰せられているのである。
この唯授一人の血脈法水が存するからこそ、我々一般僧侶は、何のわだかまりも、またためらいもなく、時の御法主上人に対し奉り、拝跪合掌し、その御指南に信伏随従するのである。その中で、現在、さらに多くの宗門僧侶が、自由闊達に意見を出し合っていることは、宗門が民主的であり、柔軟であり、解放されている証左である。
したがって、このような本宗のあり方は、断じて『宗制宗規』によって成り立っているのではない。まさに、本宗古来の信条なのである。それを、「恐怖政治」などというのは、またまた創価学会の受け売りであり、本宗信仰の喪失の証明というべきであろう。
5.その他の邪義について
彼ら七名の学会僧による「諌暁の書」なる書面の内容は、幾度も述べるが、ほとんど池田創価学会の受け売りであって、彼ら独自の目新しいものは何もない。しかも、時局協議会等によって、すでに破折済みのものばかりである。あるのは、何の根拠もない悪口と中傷のみである。その中で、彼らが教義上の問題とするところ(やはり学会の受け売りである)について、一応の破折を加えておくこととする。
彼ら学会僧の書面では、
「教義上の問題について申し上げれば、法主を御本仏と同列に扱うかのごとき謬見や、御書を軽視し法主の指南こそ絶対であるかのように喧伝する邪論まで宗内に横行し、かつ猊下がその誤りを正そうともされない現状は、七百年の宗門史にかつてなき混濁の時であります。」
と述べている。要するに、宗門が意図的に法主本仏論を立てているという説、宗門は御書を軽視しているという説、の二点である。
イ.意図的に立てる「法主本仏」「法主信仰」のカラクリ
.問題の発端と学会古参幹部のすり替えの論理
この問題は、宗内の尊能化と学会古参幹部による往復文書に始まる。
平成三年(1991年)七月二十一日、和泉覚氏を代表とする学会古参幹部四名より、早瀬日慈重役はじめ各尊能化に対し、抗議とも陳情とも察しかねる奇怪な書面が送付された。この書面に対して、各尊能化は、本宗本来の信仰の筋道と、信徒としての正しい信心のあり方の上から、池田大作をはじめ学会首脳の誤った考え方を五点に括って指摘し、一刻も早く反省・懴悔するようにとの、教導の書面を送付された。
この中で、各尊能化は、池田創価学会の誤りの一番の元が、宗旨の根本たる唯授一人の血脈に対する尊崇の念の欠如と、不信より起こった三宝破壊にあることを重視されて、次のように厳しく教訓されたのである。
「正信会問題のときにも強く叫ばれたことですが、本宗の根本は、戒壇の大御本尊と唯授一人血脈付法の御法主上人であります。具体的には、御法主上人の御指南に随従し、御本尊受持の信行に励むことが肝要です。なぜならば、唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にましますからであります。したがって、この根本の二つに対する信心は、絶対でなければなりません。」(下線筆者)
ところが、既に池田の魔性の虜と化した古参幹部らは、このような善導の言辞を、悪意をもってすり替え、「宗門は『法主本仏論』を立てている」と、無慚極まりない言辞を浴びせてきたのである。すなわち、同年八月十六日付書面において、「先生方は『唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体』であるから、『戒壇の大御本尊と唯授一人血脈付法の御法主上人』の『根本の二つ』に対する信心は 『絶対』でなければならないと、驚くべき法主本尊不二論を述べています。
先生方のこの言によりますと、御法主上人は戒壇の大御本尊と不二の尊体、すなわち同一の存在ということになりますが、何を根拠にこのように断定されるのでしょうか。法主大御本尊論、法主本仏論は一体、御書のどこに説かれているのでしょうか。」
と、能化方の文意も理解しようとせず、あろうことか、「法主大御本尊論」「法主本仏論」という新語まで創作して、宗門を批判してきたのである。もっとも創価学会は、その根本に、池田本仏論なる邪説を構えているのだから、かような新語を造るなど、いわば朝飯前なのであろう。
このような、独断と偏見と悪意に満ちた言辞は、早速、池田の傀儡(かいらい)と化した秋谷栄之助をはじめとする幹部らによって、会内に周知徹底された。彼ら学会僧も、こうやって洗脳されてきたのである。
邪教創価学会の卑劣な手段は、重要な語句を削除し、その本質をすり替える方法である。各尊能化よりの、
「唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にましますからであります。」
との文の取り扱い方もそうである。
そもそも、「唯授一人の血脈の当処」とは、大聖人の法体にして、血脈法水そのものを意味する語である。それが、「戒壇の大御本尊と不二の尊体にまします」と述べられたことの、どこがおかしいというのか。まさに正論ではないか。
ところが、学会の手法にかかると、「唯授一人の血脈の当処は」という大事な文言が、ただちに御法主上人の個性に置き換えられた上、「戒壇の大御本尊と同一の存在」と改変されるのである。そして、「法主大御本尊論」「法主本仏論」などという新語を造り、宗門批判の材料として組み替えるのである。彼らは、決して仏智をもととしているのではない。ただ世智に長じているだけである。
.学会によるすり替えの本質は血脈への不信
古来、本宗には、「法主大御本尊論」「法主本仏論」など存在しない。また、現在においても、誰もそのようなことを述べていない。
それにもかかわらず、池田創価学会や、それに魅入られた学会僧らは、新語を捏造してまで、宗門を陥れんとしているのである。その本質は、大聖人・日興上人以来、御当代日顕上人へと伝わる唯授一人血脈相承への不信である。このことは、同年八月十六日付の古参幹部の書面に、
「 先生方はさらに、この誤った法主本仏論を楯にとって
『大聖人の仏智による御指南は、血脈付法の御法主上人によってなされるのであって、私どもは、そこに信伏随従するのみであります』とも述べられています。しかし、この主張は、歴史の事実に照らして明らかに誤っております。なぜならば、過去の何人かの法主が宗義に違背する指南をされているからであります。」
と、血脈否定ともいえる暴論を述べていることからも、容易に汲み取ることができるのである。
そもそも、大聖人の仏法の一切は、大聖人から日興上人へ、日興上人から日目上人へと次第して、七百年を経た今日にまで、寸分も違わず正しく伝わっている。これは、ひとえに唯授一人の血脈相承の功徳によるのである。これが信じられなければ、それは、もはや大聖人の弟子檀那ではない。
自分に都合のよいときにはこれを連呼し、一度、都合が悪くなればこれを否定する。このような徒輩は、外道にも劣る畜生というべきである。工藤玄英ら学会僧は、もって銘すべしである。いや、むしろ池田創価学会並びに工藤玄英らは、池田本仏論を立てんがために、どうにかして本宗の血脈を否定しなければならないのであろう。このような邪智の輩であるから、すり替え・捏造はお手のものなのである。
.皮相に執着して物事を捉えるのが学会の体質
邪教学会の輩は、全ての物事に対して、皮相のみに執着して捉える体質がある。しかも、思慮が非常に浅いのである。このような体質であるから、
「唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にましますからであります。」
との文を、素直に拝することができず、ただちに「法主本仏論」であるなどと、まるで幼児が駄々をこねるような姿を呈するのである。
このような皮相のみに執着する彼らは、果たして次の御指南をいかに拝し、いかに会通するのであろうか。
「日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事如何。師の曰わく、深秘なり、代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(聖典三七三)
この『御本尊七箇之相承』の御文を、学会流に解釈すれば、大聖人と代々の御法主上人は、まさに同一人と拝さなければならなくなってしまうであろう。まさか、いくら悩乱した学会僧でも、そこまではいうまい。
この御相伝は、大聖人より血脈相承あそばされた、その御内証の血脈の法体に約して、即本仏大聖人と示されたものなのである。すなわち、「代代の聖人」の「唯授一人の血脈の当処」が「悉く日蓮なり」との意である。このことは、誰人にも理解されるところである。この内証と外用の立て分けについて、日因上人は、下種三宝に約して、
「日興上人已下の代々も亦爾なり、内証に順ずる則んば仏宝也、外用に依れば則ち僧宝なり」(宝暦四年十月十七日の御消息)
と示され、日亨上人も、『有師化儀抄註解』において、
「貫主上人は本仏の代官にもあり・又本仏の義にもあり・口づから命を発したる仁なれば、御前に復命せんこと亦勿論の義なり」(富要一-一六〇)
と御教示されているのである。
相伝書や御歴代上人に、このような明らかな御指南があるにもかかわらず、「法主を御本仏と同列に扱うかのごとき謬見」などというのは、彼ら学会僧が、まさに池田創価学会流の皮相の外見に執着している証拠である。と同時に、所詮、彼ら学会僧への情報源は学会出版物のみであり、池田創価学会というフィルターを通してしか、大聖人の仏法を拝することができない体質なのである。また、さらにこのような学会僧の輩が、今日まで日蓮正宗で仏飯を喰んでいたことを思うと、本当に恐ろしいという他に言葉はない。
ロ.「宗門は御書軽視」というこじつけを破す
.問題の発端と悪意による学会のすり替え
平成三(1991)年九月十四日、大阪市の浄妙寺において、法華講大阪大会が開催された。この折、高野法雄師は、「法華講の信心とは」と題して、御書の真意は、あくまでも血脈付法の御法主上人の御指南によって、はじめて理解できることと述べたのである。
その中で、学会が問題にしているのは、
「大聖人の御法門の『部分』と言えましょう。」
と述べた部分である。
一見、確かにこの部分だけを取れば、おかしいと思うであろう。しかし、物事は、部分ではなく、全体で捉えなければならない。すなわち、高野法雄師は、はじめに、
「御書があれば、六巻抄があれば、大聖人の御法門の総てが了解出来るのでしょうか。断じてそうではありません。」
と述べ、さらに、
「要するに現今の御書は、本尊抄・開目抄を始めとする深甚の御指南が集録され、私達が信心する上には、重要この上もない大聖人の御指南であります。が、御書を軽視されては困りますが、大聖人の御法門・御指南の一切が、網羅されたものではありません。言葉をかえれば、大聖人の御法門の『部分』と言えましょう。では大聖人の御法門の一切は消滅してしまったのでしょうか。そうではありません。
『この経は相伝に有らざれば知り難し』と。
末法万年尽未来際まで、この仏法が正しく、清らかに誤りなく伝わるように、と大聖人御自らが唯授一人法水瀉瓶の規範を定め置かれたのであります。」(下線筆者)
と、相伝の大事なる所以を示し、結論として、
「たとえ、何百編の御書がすべて揃っていた処で、又私達がどんなに努力した処で、血脈付法・御法主上人の御指南がなければ、大聖人の御真意を拝することは断じて不可能ということであります。」
と、本宗伝統の正しい御書の拝し方を示したのである。
このように、講演全体の流れから見れば、高野法雄師の発言には、何らおかしいところはない。
ところが、邪教の会長・秋谷は、高野法雄師が「御書を軽視されては困りますが」と、誤解を招かないように断っているにもかかわらず、早速、『聖教新聞』において、
「一、日興上人の遺誡置文には『当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して』と示されている。
日興上人は大聖人の枢要な法門をあやまたず後世に伝えるために、五大部、十大部を定められ、この置文を残されたのであり、御書に大聖人の法門の根幹が網羅されているのは明らかである。それを、“御書は大聖人の御法門の部分”などというのは、御書軽視も甚だしい暴論である。
(中略)また、日淳上人は『聖人(日蓮大聖人)の教義はあくまで聖人の御書に依て判断せられねばならない』『聖人の教義は徹頭徹尾聖人の御書によつて決定されねばならない』と仰せである。
高野住職のいう通りとすれば、これから、宗門は、御書を見下し、猊下の御指南をすべての根本とし、猊下は大聖人を超え、御本仏より偉いことになる。代々の猊下でだれがそんなことを言われたことがあるか。大聖人軽視も甚だしい大謗法であり、邪義であることは明白である。断じて許されるべきではない。」(九月二十九日付『聖教新聞』)
と歪曲し、改竄し、都合のよい御書の一節や日淳上人のお言葉を、切り文にして引用した上で、宗門が「御書部分論」「御書軽視」の大謗法を犯していると断定したのである。
かつて創価学会が、昭和五十二年路線で、「人間革命は現代の御書である」と指導し、御書を蔑ろにしたことは、記憶に新しい。このような体質だからこそ、高野法雄師の述べた御書拝読の基本すら理解できないのであろう。
.学会お得意の切り文引用とその真意の歪曲
秋谷の引用した日淳上人のお言葉は、御登座九年前の昭和二十二年十月、『宗報』に掲載された「日蓮聖人と法華経」という論文の中にある。しかし、これがまた切り文引用で、日淳上人の真意を歪曲したものなのである。
まず、「聖人の教義はあくまで聖人の御書に依て判断せられねばならない」との御発言の原典を挙げれば、
「聖人の教義を正しく領解し奉るには先ず此の立場が批判されねばならない。法華経は仏教の経典中最勝第一であるとし、此れを鉄則として、聖人の教義を此の眼で見て、御一代の弘教を会通し法華経の要約と敷衍とにあると考えることは、聖人の教学に於て正しい立場とはいえない。聖人の教義はあくまで聖人の御書に依て判断せられねばならない。」(下線筆者・日淳上人全集八八四)である。また、「聖人の教義は徹頭徹尾聖人の御書によつて決定されねばならない」との御発言は、
「二祖日興上人が『聖人の御抄を心肝に染め、極理を師伝して若し間あらば台家を聞くべきこと』と、御遺誡置文に仰せられたが、学者は先ずその態度をはつきり決定して、法門を学ぶべきと教えられたもので、当時門下に於て天台を学び、その教学を中心として、聖人の教学に臨むという風があつたのに対する御誡めである。聖人の教義は徹頭徹尾聖人の御書によつて決定されねばならない。」(下線筆者・同八八五)
である。
日淳上人は、御書と法華経との対比、大聖人の教義と天台の注釈との対比の上から、大聖人の御書に臨む心構えを示し、他門徒のあり方を批判されたのである。すなわち、日興上人の、
「当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞く可き事」(全集一六一八)
との仰せを引かれて、大聖人の門下であるならば、釈尊の法華経を敷衍するために御書を拝したり、台家の教義を基礎として御書を拝してはならない。ただちに御書に徹して大聖人の教義を拝し、さらに極理を師伝すべきであるという趣旨なのである。
そのため、日淳上人は、昭和十二年五月、「物には序あり」との論文の中で、
「ただしかし世人は妙法蓮華経と日蓮大聖人の尊きをいふも漫然妙法蓮華経を読み大聖人の御書を拝読しをるがためにその御真意に正しく到達することができない様である。
既に大聖人は此経は相伝によらずんば知りがたしと仰せられて相伝の鍵をもたずに此経の扉を開くことはできないとせられてをる。その鍵こそ日蓮大聖人の御教である。しかして又日蓮大聖人の御教に於てはその御教の扉を開くべき鍵がある。大聖人の御書四百数十篇此れ等の御書はそれぞれの機根に応じて御教示なされた法門であるが故に一律一様に拝することはできない。(中略)ここに於て大聖人は御入滅に際し御弟子中日興上人を抜んでられて付弟となし給ひ御入滅の大導師たるべしと定めさせられ、若し此れに背くものは非法の衆たるべしと掟てせられたのである。」(日淳上人全集一五九)
と、まさに相伝に依らなければ、到底、御書の真意に到達できないとも仰せられているのである。邪教学会にとっては、非常に煙たい御指南であろう。
したがって、秋谷の引用した日淳上人の御指南も、決して秋谷の指向するような、血脈を無視して、単に現存する御書によってのみ大聖人の教義のすべてが判断される、などという意味のものではないのである。大聖人の教義は、高野法雄師の述べるごとく、ただ御書を広く濫読すればよいというものではない。
必ず血脈によって「師伝」しなければ、その真意に達することはできないのである。邪教学会の幹部らによって、ことあるたびにその意を曲げて引用される日淳上人も、さぞお嘆きであろう。
.秋谷栄之助のカラクリを暴く
天魔に魅入られた秋谷は、高野法雄師が「御書部分論」を主張しているとこじつけるため、日興上人の、
「当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して」(全集一六一八)
との御遺誡を引用している。しかし、秋谷は、この御文を挙げた上で、「日興上人は大聖人の枢要な法門をあやまたず後世に伝えるために、五大部、十大部を定められ、この置文を残されたのであり、御書に大聖人の法門の根幹が網羅されているのは明らかである」と、ただ「御書を心肝に染め」の部分を強調するのみで、「極理を師伝して」の部分については、一切、触れていない。
そもそも、この「御書を心肝に染め極理を師伝して」との御遺誡について、日淳上人は「教義研鑽の態度」と題して、
「日興上人の御遺誡に曰く、『御書を心肝に染め極理を師伝し、若し暇あらば台家を学ぶべきこと』と、此れ実に聖祖の教義研鑽の羅針盤たるなり。求道者にして若し此大途を踏みはづさば遂に祖教に体逹するを得ざるなり。御書を心肝に染めざれば聖祖の御霊格に親炙(しんしゃ)し奉るを得ず。而して極理を師伝せざれば我見に堕するを免れず。
此二途を完うして智見初めて具はるを得る然るに古来聖祖門下に於て御書を手にすることを知つて、極理の師伝を知らずこれを怱(ゆる)がせにするもののみを見る、此れが為に我見に堕して救ふべからざるに至る誠に嘆ずべきである。」(日淳上人全集四五)
と、相伝によって御書を拝すべきことを強調されている。また、御先師日達上人は、
「大石寺門流は大聖人からの相伝の宗旨であるから、御書を十分に心に留め、その文底の法門は、歴代の法主が相承している法門の至極の理は師から教わり、かりにも己義をかまえてはならない。」(略解日興遺誡置文一〇)
と御指南されている。
すなわち、大聖人の仏法を信仰する者は、御書を心肝に染めることはもとより、さらに大聖人の御内証をお受けあそばされた御法主上人を仏法の師匠とする師弟相対の道を尊重して、文底の法門を信をもって拝してこそ、真に大聖人の御教えに到達できるのである。
しかるに、秋谷は、「極理を師伝して」との御文を引用していながら、この重要なことには全く触れていない。それどころか、「極理を師伝して」との御文の重要性を述べた高野法雄師の発言を、反対に歪曲して誹謗しているのである。何と愚かしい行為であろうか。
とかく大聖人の門下には、古来、御書を通読・濫読して、大聖人の教えに到達したとか悟りを得たなどと、「未得謂得未証謂証」の大慢心を起こす輩が多くいるものである。遠くは大聖人に敵対した五老僧とその門下がおり、近くは妙信講や正信会の徒輩がいた。これらの者どもも御書を読んでいたはずであるが、今は全く邪教の徒と化している。そして、今、池田創価学会とともに、工藤玄英ら学会僧も同じ轍を踏んで邪教の徒と化したのである。
ハ.「時の貫首為りと雖も」云々について
さらに一点、彼ら学会僧は、
「宗祖の云く『彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」と。仏法の道理に外れた指南には従わないという姿勢こそ、『時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事』と仰せられた日興上人の御心にも適う道であると信ずるものであります。」
と、いかにも御法主上人が「一凶」であると述べていることについて、その誤りを指摘しておくものである。
先々に述べたとおり、本宗の命脈は唯授一人の血脈に存する。この法体血脈によらなければ、いくら戒壇の大御本尊を拝し、ひたすらなる唱題行を尽くそうとも、決して仏果を成ずることはできないのである。池田創価学会は、この唯授一人の血脈によらないばかりか、かえって背反し、しかも悪口・中傷の限りを尽くしているのである。これを「一凶」と呼ばずして、何を「一凶」というのであろうか。
ところが、彼ら学会僧は、池田創価学会に同じて、血脈付法の御法主上人に対して「一凶」と称し、邪悪の限りを尽くしているのである。
彼ら学会僧の、このような誤謬の原因の一つは、日興上人の、
「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」
との御遺誡に対する解釈に存する。彼らは、妙信講や正信会、池田創価学会等の受け売りをして、この条目を、御法主上人が仏法上の間違いを犯す証文であるとしているのである。
しかし、日亨上人は、この条目を釈する中で、
「時代はいかように進展しても、無信・無行・無学の者が、にわかに無上位に昇るべき時代はおそらくあるまい。一分の信あり、一分の行あり、一分の学ある者が、なんで仏法の大義を犯して勝手な言動をなそうや。」(日興上人詳伝四三六)
と、御法主上人が仏法の大義を犯すことなど、決してありえないと釈されている。近年においても、日淳上人、日達上人、日顕上人と、一器より一器への法水の上の御指南は、その時々の状況に対し、常に正しく宗開両祖の正義の御教示であられる。
このことは、我々宗門の僧俗一同の等しく拝するところである。
大聖人の仏法を信仰する者であるならば、本宗の血脈の大事を、伏して拝するべきである。
お わ り に
以上、彼ら学会僧による「諌暁の書」を破折してきたが、要するに彼らの本宗の信仰に対する基本的態度、体質が問題なのである。つまり、もともと日蓮正宗の僧侶というのは名ばかりで、池田創価学会教の出家僧でしかなかったのである。
一方、創価学会では、三宝破壊をはじめとする本宗法義の著しい改悪を犯している。観念文とて、すでに本宗本来の姿ではない。このような法義の改悪は、おのずと化儀の改悪につながっていく。そのため、現在では、葬儀、法事、御授戒をはじめとして、一切の化儀・法要において、僧侶は不要となったのである。つまり、創価学会は、すでに日蓮正宗の信仰と全く異なる、別個の信仰(新興宗教)を構えているのである。だからこそ、破門されたのではないか。
しかるに、僧侶不要の創価学会は、宗門から離脱した工藤玄英ら学会僧の輩に対して、果たしてどのように対応していくのであろうか。世智に長じた創価学会のことであるから、工藤玄英ら七・八名の離脱行為を、宗門攻撃のために、大げさにクローズアップして報道し、都合よく活用するであろう。しかし、彼ら学会僧が、池田創価学会から捨て去られるのも、さほど遠い未来ではなかろう。彼らの末路を考えると、全く哀れさしか感ずるものはない。
以 上
創価学会の三宝論の自語相違を破す
時局協議会文書作成班1班
はじめに
創価学会の宗門への敵対行為は、「宗門は天魔である」とか「御法主上人が謗法与同である」とか「三宝破壊の重罪は日顕猊下」などと、自らの所属する日蓮正宗と血脈付法の御法主上人猊下を謗法呼ばわりするという、これ以上考えることのできない逸脱状態にまで至っている。このような創価学会を、本宗の信徒団体として認めることができないことは当然のことであり、創価学会との関係の終息を決断せざるをえない時期も、それほど遠くはないような気配がする。
1.創価学会の邪義
信徒としての規(のり)を越えてしまった池田大作氏ら創価学会首脳は、当家の三宝について、あからさまに邪義を述べ始めた。その発言は次のようなものである。
まず、名誉会長池田氏は、
「かりに、だれかが“『三宝は一体』であり、広くは、自分も『僧宝』に当たるから、自分と『仏宝』『法宝』は一体である。ゆえに自分は絶対である”──こんなことを言ったとしたら、この日達上人の御指南に背く憍慢謗法であり、末法下種の三宝の本義を破る妄説であることは明らかである。(中略)日達上人は、代々の法主が、ただちに日蓮大聖人の代わりであるなどと言うことは誤りである、と御指南されている。したがって法主を『現代の大聖人様』などと主張するのは、この日達上人の御指南に違背している。(中略)厳密にいえば、歴代の法主は僧宝以下の立場であり、それを軽々しく『仏様である』とか、『現代における大聖人である』等と、“絶対化”していくことは、尊信しているようでありながら、実は貶(おとし)めていることになる場合がある、と厳しく戒められている。したがって、『法主と大御本尊は一体不二』『法主は現代における大聖人』等と主張する人がいたとしたら、歴代上人の御指南にも背き、大聖人の仏法の正義を破る謗法となるのである。」(平成3年9月10日付『聖教新聞』)
と述べている。そして、会長の秋谷氏も、
「一、仏法の基本である『三宝』は、歴代上人が御指南されているように、『法宝』は御本尊、『仏宝』は日蓮大聖人、『僧宝』は日興上人であり、三宝が相即する御本尊を拝し奉るのが、私たちの信心である。また日達上人が『代々の法主が日蓮大聖人ではない』と御指南され、歴代法主は僧宝以下の立場であることは明らかである。元来、日蓮正宗には大御本尊と並べた“法主根本主義”等は全くなかった。
ところが、最近、宗門は御本尊と法主は『根本の二つ』であるとして、『大聖人の仏智による御指南は、血脈付法の御法主上人によってなされるのであって、私どもは、そこに信伏随従するのみであります』とする法主絶対論をふりかざすようになってきた。
しかし、この主張に、重大な“すり替え”があることを看過してはならない。
一、大聖人の御義口伝には『信伏随従』について、『信とは無疑曰信(むぎわっしん)なり伏とは法華に帰伏するなり随とは心を法華経に移すなり従とは身を此の経に移すなり』と述べられている。すなわち心身ともに三大秘法の御本尊に帰伏することが信伏随従なのである。
つまり人法一箇の御本尊を信仰し、大聖人に帰伏していくのが私どもの信心である。それを法主への信伏随従にすりかえるのは、大聖人の御指南に反するものであり、三宝破壊の邪義であることは、だれがみても明らかである。(中略)現宗門のいき方こそ、大聖人の仏法を破壊する大謗法であるといわざるをえない。」(平成3年9月30日付『聖教新聞』)
と同様の指導をしている。
この説は僧宝を日興上人のみとし、御歴代上人は僧宝にあらずと下して、宗祖大聖人以来の血脈の尊厳を破壊するものである。しかし、それは、これまでの池田氏自身の指導と正反対であり、自語相違の邪義であることは明々白々であるので、次にそれらの発言を挙げる。
2.自語相違の池田氏は謗法
かつての池田氏の発言をここに列挙してみよう。
「猊下のおことばは、日蓮大聖人様のおことばと私どもは確信しております。」(昭和36年7月10日)
「御法主上人猊下様は遣使還告で、日蓮大聖人様と拝し奉るのです。」(昭和37年1月・『三世諸仏総勘文抄』講義)
「御法主上人猊下に対しては御法主上人猊下こそ経文に説かれている遣使還告のお立場、すなわち大聖人様と拝してお仕え申し上げていくことでありました。」(昭和35年1月15日)
「遣使還告であられる御法主上人猊下は、日蓮大聖人様であります。」(昭和38年9月1日)
「猊下も仏さまでいらっしゃる。御本尊さまも見ていらっしゃる。」(昭和40年1月18日)
「本宗における厳粛なる法水瀉瓶唯授一人の血脈は、法灯連綿と、代々の御法主上人に受け継がれて、今日に至っております。あくまでも、御本仏は、日蓮大聖人様であらせられ、唯我与我の御法主上人のご内証を、大聖人と拝すべきなのであります。私がごとき者を、かりそめにも、本仏などと、言うことはもちろん、思ったりすることも謗法なのであります。」(『大白蓮華』昭和54年6月号)
「現代においては、いかなる理由があれ、御本仏日蓮大聖人の『遣使還告』であられる血脈付法の御法主日顕上人猊下を非難することは、これらの徒(退転者)と同じであるといわなければならない。批判する者は、正法正義の日蓮 正宗に対する異流であり、反逆者であるからである。」 (昭和56年3月10日・『広布と人生を語る』1-230)
とある。このように、以前は、ほかならぬ池田氏自身が、御法主上人は大聖人の「遣使還告」であり、現代における日蓮大聖人であらせられると指導していたのである。
それとは全く正反対の、
「したがって、『法主と大御本尊は一体不二』『法主は現代における大聖人』等と主張する人がいたとしたら、歴代上人の御指南にも背き、大聖人の仏法の正義を破る謗法となるのである。」(平成3年9月10日付『聖教新聞』)
との、現在の指導が正しいのであれば、これらの、以前の指導は、皆、誤りであり、「大聖人の仏法の正義を破る謗法」であったことになる。とすれば、これまでの池田氏は、学会員の全てを、地獄に突き落としていたことになるが、いかがであろうか。
さらに、以下の指導は、どうであろうか。
「日蓮正宗の僧俗であるならば、絶対に御法主上人猊下に随順すべきである。それに反して、随順せず、いな、弓をひく行為をする僧や俗は、もはや日蓮正宗とはいえない。私どもは無数の讒言や画策をうけながらも、一貫して総本山を外護したてまつり、御法主上人猊下に随順してまいった。これが真実の信心であるからだ。それを、増上慢と権威とエゴと野望のために踏みにじっていく僧俗は、まったく信心の二字なき徒輩であり、もはやそれは、日蓮大聖人の『広宣流布をせよ』との御遺命に反した邪信の徒と断ずるほかはないのである。皆さまは絶対に、それらを恐れたり、また、騙されたり撹乱されてはならない。」(昭和56年12月12日・『広布と人生を語る』2-37)
「日蓮正宗における根本は、唯授一人の血脈である。その血脈相承の御法主上人に随順しゆくことこそ、僧俗の正しいあり方である。この一点を誤れば、すべてが狂ってくるのである。」(昭和57年1月24日・『広布と人生を語る』3-32)
「絶対なるものは、大御本尊のお力である。また、絶対なるものは、御書である。そして、仏法の根本を御指南されるのは、あくまでも御法主上人猊下であられる。御法主上人猊下の御指南にしたがわないものは、もはや日蓮正宗の 僧でもなく、俗でもない。」(昭和57年2月10日・ 『広布と人生を語る』3-53)
「日蓮大聖人の仏法は厳格で厳しい。この富士の清流は第二祖日興上人、第三祖日目上人、そして現六十七世御法主上人猊下までの御歴代上人方によって厳然と護持されてきた。そこに貫かれてきたのは『謗法厳誡』である。」(昭和57年3月28日・『広布と人生を語る』3-97)
「日蓮正宗の根本たる御法主上人を(正信会が)訴えたという、この一事だけで、もはやいっさいが崩れさったことを物語っている。」(昭和57年6月27日・『広布と人生を語る』3-213)
「ご存知のとおり、私どもは日蓮大聖人の仏法を奉ずる信徒である。その大聖人の仏法は、第二祖日興上人、第三祖日目上人、第四世日道上人、および御歴代上人、そして現在は第六十七世御法主であられる日顕上人猊下まで、法灯連綿と血脈相承されている。ゆえに日顕上人猊下の御指南を仰ぐべきなのである。この一貫した仏法の正しき流れを、いささかなりともたがえてはならない。」(昭和57年7月20日・『広布と人生を語る』3-249)
「この日興上人がおられましたがゆえに、富士の清流は七百年の苦難の歴史にもいささかも穢されることなく、総本山御歴代の御法主上人により一器から一器へと法水瀉瓶されてきたのでございます。」(昭和57年3月8日・『広布と人生を語る』3-71)
「日蓮正宗の根幹をなすものは血脈である。大御本尊を根本とし、代々の御法主上人が、唯授一人でこれを受け継ぎ、令法久住をされてこられた。御本尊を御認めあそばすのは、御法主上人御一人であられる。われわれは、令法久住のための信心を根幹として、広宣流布に邁進しているのである。しかし、いくら広宣流布といっても、御本尊の御認めがなければできない。われわれは、あくまでも総本山根本、御法主上人厳護の信心で進んでまいりたい。」(昭和57年7月24日・『広布と人生を語る』3-256)
「以来、七百星霜、法灯は連綿として謗法厳戒の御掟を貫き、一点の濁りもなく唯授一人の血脈法水は、嫡々の御歴代御法主上人によって伝持せられてまいりました。」(昭和59年3月31日・『広布と人生を語る』6-12)
等々、枚挙にいとまがない、これらの指導から何年も経っていないが、学会員の諸氏は忘れたのであろうか。もし、忘れていなければ、現在の指導との矛盾に、思考が混乱するはずである。それでもなおかつ、何の疑問も生じないとすれば、もはや「頭破作七分」であると言わざるをえない。
3.僧宝についての自語相違
次に、創価学会が、御歴代上人を「僧宝」と指導していたことは、当時の池田会長の、
「ここで『僧宝』とは、今日においては日興上人よりの唯授一人の法脈を受けられた御法主上人猊下であられる。」(昭和53年2月26日付『聖教新聞』)
との発言に明らかであり、これを受けて、昭和53年の「6・30」では、
「『僧宝』とは、正宗においては第二祖日興上人のことであり、また会長(池田会長)も発言しているごとく、唯授一人の血脈をうけられた御法主上人猊下であらせられる。」(昭和53年6月30日付『聖教新聞』)
と記されているし、『大白蓮華』の昭和54年11月号、及び昭和58年10月号には、
「正法を正しく継承伝持あそばされた血脈付法の日興上人を随一として、歴代の御法主上人、広くは、御法主上人の法類である御僧侶の方々が僧宝なのです。」
との記述が見える。それが、現在は、前述のように、
「厳密にいえば、歴代の法主は僧宝以下の立場」(池田氏)
であり、
「仏法の基本である『三宝』は、歴代上人が御指南されているように、『法宝』は御本尊、『仏宝』は日蓮大聖人、『僧宝』は日興上人であり、三宝が相即する御本尊を拝し奉るのが、私たちの信心である。また日達上人が『代々の法主が日蓮大聖人ではない』と御指南され、歴代法主は僧宝以下の立場であることは明らかである。」(秋谷氏)
となっているのである。これは、明らかな法門の改変であり、邪義謗法と断ぜられるものである。創価学会員は、このことを怒るべきである。これほど学会員を愚弄した指導が、どこにあろうか。
4.日蓮正宗の僧宝の実義
日蓮正宗の「三宝」の実義は、日寛上人が『三宝抄』に、
「吾が日興上人嫡々写瓶の御弟子なる事分明なり。故に末法下種の僧宝と仰ぐなり。爾来、日目・日道、代々咸く是れ僧宝なり、及び門流の大衆亦爾なり」
と示され、また『当家三衣抄』には、
「南無仏・南無法・南無僧とは、若し当流の意は」
として、仏宝・法宝を挙げられたあと、
「南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提の座主、伝法日目上人師、嫡々代々の諸師。此くの如き三宝を一心に之を念じて唯当に南無妙法蓮華経と唱え」
との御指南に明らかなように、日興上人・日目上人以下、御歴代上人の全てが、僧宝にましますのである。
御先師日達上人も、昭和38年5月、
「二祖日興上人より歴代を僧宝と立てておるのでありまして、古来より少しも変っておりません。」
と御指南されており、御歴代上人を僧宝と立てることは、七百年来、不変なのである。
このように、現在の池田氏ら創価学会首脳による教義の改変は、学会員の洗脳のための論拠づくり以外の何ものでもないのであり、見えすいた誑惑であることを、全学会員に知らせなければならない。
ところで、これほど見えすいた誑惑であるにもかかわらず、創価学会員が騙されてしまうのは、
「本宗は、大漫荼羅を法宝とし、宗祖日蓮大聖人を仏宝とし、血脈付法の人日興上人を僧宝とする」(『日蓮正宗宗規』第4条)
との宗規の文、あるいは日達上人の、
「要するに、人法一箇の御本尊を中心とするのが本来の本宗の行き方でございます。御本尊に於いて三宝相即であります。各自皆様方の仏壇に御本尊を安置して朝夕に信心を励む。それで三宝を敬っておる充分の姿でございます。」(昭和52年7月27日)
「我が宗の三宝は、御本尊が法宝、大聖人が仏宝、日興上人が僧宝と立てます。それに対して日目上人は座主である。今云った通り、管領して、その大聖人の仏法を治めて行く、よく受取って治めて行く、即ち管領という意味を持って行くのである。統べ治める、そして統治をして行く。その日目上人の後は、皆筒の流れのように、それを受継いで行くにすぎない。だから本宗の考えは、広宣流布の時は日目上人の再現、出現だという意味をとっております。即ち日目上人が広宣流布の時の座主として再誕なされるとの指南であります。だから代々の法主が日蓮大聖人ではない。大聖人そのものと間違って書かれてよく問題が起きますが、その点ははっきりしてもらいたい。」(昭和52年5月26日)
「三宝はどこまでも、大聖人・日興上人・御本尊、これが本宗の三宝の立て方です。法主が大聖人様の代わりだと、即座にこう云う事を云うと、外から非難されますから、よくその点に注意していただきたいと思います。」(昭和52年5月26日)
との御指南や、日顕上人の、
「御先師が間違えないようにきちんとお示しくださっておることでありますが、六巻抄の『当流行事抄』の最後に“本門下種三宝”の御指南があります。そこにおいては、人即法の大曼荼羅本尊が法宝であり、法即人の本因妙の教主・日蓮大聖人が末法下種の仏宝であり、そしてこれを正しく血脈のうえに伝受あそばされて、末法万年弘通の基を開かれた二祖日興上人が僧宝であらせられるということにつき、教道のうえに本門下種三宝をきちっと立てられてあるのであります。ですから日興上人といえども、その唯我与我の御境界のなかにおいての御本尊の御内証という意味に約しては大聖人と一体であるけれども、その尊信のかたちとしての仏・法・僧の三宝といううえからするならば区別があるのであり、仏宝と僧宝とはおのずから違うのです。すなわち、仏宝は大聖人ただお一人であり、日興上人がすでに僧宝のお立場であらせられるのであります。」(昭和58年3月31日)
「その僧宝ということをもう少し広く解釈すれば、歴代法主がその一分に加わるということもいえるでしょう。さらに広くいえば、日蓮正宗の正しい筋道によって出家得道した教師あるいは学衆等においても、正しい仏法を受持信行するかぎりにおいて、僧宝ということがいえるのであります。もっと広くいうならば、一切衆生のなかで正法を受持信行し、一分でも他に随力演説していく人達は僧俗ともに僧宝であるということができます。しかし基本においては、日興上人をもって僧宝の随一として拝するわけであります。そういうところからするならば、歴代法主は僧宝以下の立場であって、それを軽々しく仏様だ、仏様だというような表現は、少し言い過ぎであると私は思っております。」(昭和58年3月31日)
との御指南を曲解して、巧みに利用するからである。
このように、三宝の中、僧宝の立て方には、日興上人のみを僧宝とする場合と、御歴代上人を全て僧宝とする場合との2段階がある。
この理由を正しく理解しなければ、彼等の邪説に翻弄されてしまうことにもなるから、細心の注意が必要である。
5.『当流行事抄』と『当家三衣抄』の僧宝の立て方の違い
『六巻抄』の『当流行事抄』には、
「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」(『六巻抄』323)
と、日興上人のみを僧宝とされるが、『当家三衣抄』には、
「南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提の座主、伝法日目上人師、嫡々代々の諸師。此くの如き三宝を一心に之を念じて唯当に南無妙法蓮華経と唱え」
と、日目上人以下の御歴代上人をも僧宝とされている。
この相違の理由を言えば、『当流行事抄』は、六老僧の中、ただ日興上人お一人が日蓮大聖人の付嘱を受け、正義を立てられたことを示されたのである。すなわち、日興上人と他の五老僧とを相対し、日興門流の正統を示すということで、根本の上から当門流の正義を示す意義によられているのである。故に、僧宝を示すに当たり、日興上人お一人を挙げることは、日興上人が六老の中の唯一の付弟であり、真実の僧宝であることをもって、その末流の僧宝なることの濫觴とするのである。
他の五老は付嘱を受けざるが故に、五人はともに僧宝とならないことを明かし、その五老の門の末流は、皆、僧宝にあらざることを示す意を含むのである。
『当流行事抄』に明らかなように、日興門流の正統は、宗祖大聖人よりの法体付嘱が、日興上人に存することによる。その付嘱は、さらに日興門流の中でも、当家の御歴代上人に血脈相承をもって伝えられるのである。故に、僧宝にして総貫首である日興上人の地位は、『百六箇抄』に、
「直授結要付属は一人なり、白蓮阿闍梨日興を以つて惣貫首と為て日蓮が正義悉く以つて毛頭程も之れを残さず悉く付属せしめ畢んぬ、上首已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡々付法の上人を以つて惣貫首と仰ぐ可き者なり」(富要1-20)
と示されるように、法灯連綿として現在に至り、御当代上人に存するのである。『当家三衣抄』は、日興門流の分派の中で、日興上人よりの付嘱を伝えられている当家の御法主上人こそ、真実の僧宝であることを示され、末法下種の三宝は当家にのみ存することを明らかにされているのである。
6.「教道」と「証道」
日寛上人の『三宝抄』には、
「問う、三宝に勝劣有りや。答う、此須く分別すべし、若し内体に約さば実に是れ体一なり。所謂法宝の全体即ち是れ仏宝なり、故に一念三千即自受用身と云い、又十界具足を方に円仏と名づくと云う也。亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也。若し外相に約さば任運勝劣あり。所謂、仏は法を以て師と為し、僧は仏を以て師と為す故也。故に法宝を以て中央に安置し、仏及び僧を以て左右に安置する也」(歴全4-392)
と、「三宝」が「内体」に約せば体一であるが、「外相」に約せば、おのずから勝劣があると御指南されている。ここでは、この意義の上から、さらに別体三宝式の本尊奉安様式における、仏法僧の奉安位置の理由にも論及されている。
このように、法門の立て方には、「内体」と「外相」との二つの筋道が存するのである。
「内体」とは「内証」の体ということである。これは、「観心」と同義であり、ここにおける談道を「証道」という。また、「外相」とは「外用」の相をいう。これは、「教相」と同義であり、ここにおける談道を「教道」という。
第31世日因上人は、金沢の信徒への御消息に、
「日興上人已下の代々も亦た爾なり。内証に順ずるに則仏宝也。外用に依れば則僧宝也。故に末法下種の大導師日蓮聖人の尊仏に対すれば、則外用を存し以て僧宝と為るのみ。(中略)故に日蓮聖人の御身の上に本迹の両辺あり、仍て迹に依れば則凡夫僧なり、内に依れば則妙覚極果の如来なり、日興上人日目上人も亦た爾なり」
と、御歴代上人の御内証の辺は仏宝と体一であらせられ、外用において僧宝と申し上げることを明らかにされ、日寛上人の御指南と全く同じ趣旨の御指南をされている。
日寛上人の『当流行事抄』には、
「久遠元初の僧宝とは即ち是れ開山上人なり」(『六巻抄』325)
と、日興上人が僧宝であることをお示しであるが、その前提として『百六箇抄』の「久遠元初の結要付属」の文を挙げて、
「結要付属豈僧宝に非ずや」(『六巻抄』323)
と、大聖人よりの結要付嘱をもって、日興上人を僧宝と御指南である。また、『三宝抄』にも、
「僧宝とは久遠元初結要付嘱の所受の人なり」(歴全4-366)
と、僧宝が結要付嘱の所受のお方であることを示されている。この結要付嘱とは、法体の血脈相承のことである。
付嘱には、周知のごとく嘱累品の総付嘱と、神力品の別付嘱がある。この総別の付嘱は共に、上行菩薩を上首として、釈尊より授けられる。しかして、結要付嘱とは別付嘱のことであり、上行菩薩のみに授けられるが、総付嘱は迹化の菩薩もその任を受ける。これは文上の談道である。
さて、大聖人より日興上人への下種仏法の御付嘱も、この総別の二義がある。別しての結要付嘱、すなわち血脈相承をお受けになるのは、御法主上人ただお一人である。総付嘱は御法主上人を上首として、一般僧侶もその任を受ける。
このように、僧宝の本義は別付嘱たる結要付嘱に存するのであって、厳密にいえば「僧宝」とは御法主上人お一人なのである。故に、『曽谷殿御返事』の、
「総別の二義あり総別の二義少しも相そむけば成仏思いもよらず輪廻生死のもといたらん」(全集1055)
との御指南のように、総別の二義、すなわち総付嘱と別付嘱とを混乱してはならないのである。したがって、総じての意味で僧宝というとも、御法主上人の僧宝の意義に対しては、天地雲泥の相違があることを、明確に認識しなければならない。
以上、明らかなように、御歴代上人は、血脈相承をお受けになり、その御内証が「仏宝」と不二の御尊体にまします故に、その外用の辺を「僧宝」と申し上げるのである。
しかるに、「僧宝」に関する御法主上人の御指南に異なった御見解が存するのは、前述の日顕上人の、
「末法万年弘通の基を開かれた二祖日興上人が僧宝であらせられるということにつき、教道のうえに本門下種三宝をきちっと立てられてあるのであります。」(昭和58年3月31日)
との御指南のように、下種三宝の立て方は、「教道」の上に示されるからである。すなわち、「教道」の上には、僧宝の意義にも、また違いが存するのである。
先に述べたように、『六巻抄』の僧宝の記述の相違は、門流の濫觴としての僧宝である日興上人と、その跡を継承される御歴代上人との「僧宝」の意義の違いによる。つまり、日興上人等御歴代上人の「僧宝」には、その意義の上に、化導の上の法体としての「僧宝」と、住持としての「僧宝」との区別が存するのである。
まず、法体にも、大聖人の御内証の法体と、御化導の上の法体が存する。御内証の法体とは、日顕上人の、
「そこで、三宝について少々申し上げるならば、一番根本のところにおいて、久遠元初の仏法の法体、内証の法体において、そのまま仏法僧の三宝が具わるのであります。これは『当体義抄』という御書の中において、
『至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時・
因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華
と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足し
て闕減無し之を修行する者は仏因・仏果・同時に之を
得るなり、聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば
妙因・妙果・倶時に感得し給うが故に妙覚果満の如来
と成り給いしなり』
という、久遠の当初における聖人の本因本果の成道に約しての御指南がございます。
すなわち、妙法蓮華を師として修行あそばされるというところにおいては、『因果倶時・不思議の一法』であるところの法の宝に対し、これを信解するところの境界の中に、いささかもその法に対する差違異轍なく、法界の法理そのものを妙法の体として自ら行じ給う姿が、そのまま内証におけるところの修行の姿なのであり、すなわちこれは僧宝であります。
そして、直ちに『因果倶時・不思議の一法』を得て、妙因・妙果の本因下種の仏として即座開悟あそばされるところの本果の仏様の境界は、すなわち本因下種仏法におけるところの仏宝であります。すなわち大聖人様は、この久遠元初の法体を末法に移して御出現あそばされ、その上から法宝・仏宝・僧宝の三義が御自身に具わり給うところを御指南でございます。それはすなわち、
『日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ
信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たまし
ひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし』
と、『日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経』と仰せあそばされるところに、釈尊の脱益の仏法と種脱相対して、下種本仏の境界に所持あそばされ給うところの法の宝、すなわち南無妙法蓮華経が厳然として具わることを御指南あそばされております。
さらにまた、
『無作の三身とは末法の法華経の行者なり』
『本尊とは法華経の行者の一身の当体なり』
あるいはまた、
『日蓮が頭には大覚世尊かはらせ給いぬ』
という御指南からも、大聖人の凡夫身において、直ちに久遠下種根本の仏の御境界が具わっておるということを拝し奉るのであります。
そしてまた、『御義口伝』における、
『末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり(乃至)仏とも云
われ又凡夫僧とも云わるるなり』
という御指南より拝するならば、大聖人の本因の修行のお姿を、さらに一期の御化導に拝するところ、鎌倉期、佐渡期において法華経文々句々を身に当ててお読みあそばされ、竜の口の発迹顕本、本仏開顕の大事に至り給うまでの御修行のお姿は、すなわち御身に具わり給うところの僧の姿、僧宝であります。つまり大聖人様の御一身に仏法僧の三宝が具わり給うところに、内証の一体三宝が拝せられるのであります。」
との御指南のように、大聖人の御一身に具えたもう三宝が、御内証における法体である。しかし、その御内証は、そのままでは衆生は拝することができない。そのために、衆生の化導の上にお示しになられるのが、化導の法体としての三宝である。日顕上人は、
「しかしながら、また末法万年の衆生を導かんための三宝としては、そこに化導の上からの本門下種三宝の法体が厳然として常住し給うのであります。
これは、皆さんも朝晩の勤行でお読みになっておる法華経の自我偈の、『時我及衆僧 倶出霊鷲山』の文であります。
『時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず 我時に衆生に
語る 常に此に在って滅せず云云』
とございますが、この『時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず』という文の、『時』とは末法第五の時であり、『我』とは仏、すなわち大聖人様の御当体であります。また『及』とは、南無妙法蓮華経の法宝であり、『衆僧』とは僧である。
これは、また化導の形において、いかなる姿をもって示されておるかと申しまするならば、脱益の仏法においては、あの釈尊一代の五十余年の経々の中において、その極まるところは八カ年の法華経に帰するのであります。この法華経の中で、迹門を馳せ過ぎて、本門の涌出品より嘱累品に至る八品において、久遠の寿量品の法体が釈尊から上行菩薩へ付嘱せられております。ここに釈尊より大聖人様へ脱益本門より下種本門への転換がありました。また、末法に本仏大聖人様が御出現あそばされ、下種本法の末法万年の広宣流布のために成し置かれた大事な化導の根本もまた、二祖日興上人様への唯授一人の血脈相承、結要付嘱であります。
仏法の根本は、この付嘱によってすべてが決せられるのであり、ここを外して仏法というものの存在は全くありえないのであります。したがって、大聖人様が下種の仏宝であり、南無妙法蓮華経の大御本尊が法宝であるのに対して、久遠常住の下種三宝、つまり化導の上の下種三宝の僧宝とは、その随一が二祖・白蓮阿闍梨日興上人様にあらせられるということが、ここに明らかであります。
この仏法僧の三宝を正しく拝してこそ、末法の一切衆生の身中に、妙法当体蓮華の大功徳が成就するのであります。もしこれを疑い、これを外れて、『ただ大聖人様と御本尊様さえあれば、日興上人以下はどうでもいい』というような考えを持つならば、これは大謗法であり、即身成仏は到底、おぼつかない次第であります。
大聖人様、大御本尊様、日興上人様のおわしますところに、化導の法体としての常住不変の下種三宝が存し、この下種三宝が常に我々を見そなわし、我々を開導してくださるということを深く信ずべきであります。」
と、大聖人、大御本尊、日興上人を三宝と申し上げるのは、法体の三宝としてであると御指南なのである。故に、日興上人は、特に化導の上の法体としての「僧宝」と拝せられるのである。これは、大客殿の本尊奉安様式が、「日蓮大聖人・大御本尊・日興上人」の、別体三宝式にましますことからも明らかである。
しかし、法体の三宝が確立しても、それだけでは末法万年にこの三宝を伝えることはできない。
日顕上人は、続いて、
「また、その仏法が住していく姿の中においては、『住持』という形の上からの三宝が必要となってまいります。これは、日有上人の百二十一カ条からなる『化儀抄』の中において、
『手続の師匠の所は、三世の諸仏高祖已来代代上人の
もぬけられたる故に、師匠の所を能く能く取り定めて
信を取るべし、又我が弟子も此くの如く我に信を取る
べし』
という御文がございます。
すなわち、日興上人から日目上人へ、日目上人から日道上人、日行上人と代々、付嘱によって伝わるところに、大聖人様以来の御本仏の御魂が、もぬけられておるのである。それは、大聖人様の御本尊、日興上人、日目上人の御本尊、乃至歴代上人の御本尊の当相・当体を拝するところに、おのずから明らかであると存ずるのであります。」
と、御歴代の御法主上人は、法体として確立された三宝を、末法万年の未来に伝える「住持」としての意義の上からの「僧宝」にましますと御指南されているのである。
このように、「僧宝」についての御指南の中で、御歴代上人を僧宝に含まれない場合は、「教道」の上において、「法体の三宝」「住持の三宝」等の区別が存し、そこに一往の勝劣も存するからである。
つまり、御歴代上人は「僧宝の随一」として、大聖人から直接に法を授けられた一番のもとに立たれる日興上人に対し、日目上人はその弟子、日道上人はそのまた弟子と次第される。この「師」に対する「弟子」との辺をもって、「外相」の上から謙下あそばされ、御自身を「僧宝以下」と仰せられるのである。
しかし、「弟子」は法を受けられれば、今度は絶対の資格と自覚と力を有する「師」となられるのである。ここをもっての筋道は、再往の実義であり、これを「証道」というのである。「証道」とは、御内証の談道のことであり、まさに宗祖日蓮大聖人の法水を瀉瓶された上から、師弟不二の御境界に約すものである。したがって、日因上人の、「日興上人已下の代々も亦た爾なり。内証に順ずるに則仏宝也。外用に依れば則僧宝也。故に末法下種の大導師日蓮聖人の尊仏に対すれば、則外用を存し以て僧宝と為るのみ」
との御指南のように、その御内証は日蓮大聖人に冥合した上での「仏宝」なのであり、「僧宝」とは、血脈相承を受け、大聖人の化儀・法体を伝持し、時に当たって教導あそばすという、御法主上人の「外用」を指すのである。
したがって、御歴代上人が「僧宝以下」との表現は、一には、五一相対して、その正統たる日興門流における、末法万年の総貫首であらせられる日興上人を師とするのに対して、御歴代上人はその弟子である故に、師と弟子という立場の違いが存するためである。また、二には、日興上人が「法体の僧宝」であらせられるのに対して、日目上人以下の御歴代上人を「住持の僧宝」とするのであり、この「僧宝」の意義の違いを、「教道」の上に示されて、日目上人以下の御歴代上人を、一往「僧宝以下」と示されたのである。
しかし、一般僧俗が、それをもって、「御歴代上人は僧宝以下」などと言えば、それは「教道」を聞いて「証道」を知らぬ、一知半解のものであり、再往の実義を曲げる謗法罪を免れることはできない。
上代においては、大聖人御自身ですら、御本仏であることはおろか、上行菩薩であることすら、あからさまには述べられていない。これは、『報恩抄送文』に、
「親疎と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ御心得候へ」(全集330)
と仰せられるところである。すなわち、法門を受ける衆生の機根に、堪と不堪とがあって、直ちに真実を述べれば不信を起こすからである。現代は、妙法流布も進展し、広宣流布の気運も高まってきたが、やはり信心が弱く、疑い深い者は、「浅義」である一往の「教道」の御指南に執著を起こして迷いが晴れず、再往の「深義」である「証道」に信解が至らないために、眼前の「師」の尊厳が拝し切れないのである。
故に、この二つの筋道を、過不足なく信解することが非常に大切なのである。このことを、日顕上人は、
「宗門の古来の“法”の立て方において、二筋の立場があるということであります。つまり、もちろん根本は末法下種の御本仏・宗祖日蓮大聖人の御内証におわしますのであり、それを唯我与我の御境界において二祖日興上人がその仏法の本義をお承け継ぎあそばされて、さらに日目上人・日道上人と、一器の水を一器に移すかたちで今日に伝えられておるということが、宗門の古来からの信条であります。それはそのとおりでありますが、そこに御本尊の御内証という立場と、それから代々の法主がその法を承けて色々な場合において宗門を指導・統率していくという意味からの様々の指南・指導等を行う立場と、その二筋においては一往、分けて考えなければならないと思っております。
三大秘法の根本の深義は本門戒壇の大御本尊にその法体がおわしまして、そこが根本であります。その分身・散影として各末寺その他、在家の宅においても御本尊を奉安しておりますけれども、一切はその根本の、本門戒壇の大御本尊に帰するのであります。ただし、その御本尊の書写、伝持といううえにおける歴代法主を、どのように君たちが考えるかということでありますが、これが簡単なようで、なかなか混乱する場合があります。
混乱をいたしますと、“過ぎたるは及ばざるが如し”という言葉があるとおり、例えば過ぎてしまうとかえって及ばないという結果が出てくるのです。つまり必要以上に崇めすぎると、その反動として悪い結果が出てくるというような意味もあります。また、崇めなければいけないところを軽蔑したり、あるいは軽く見たりすると、これはまたこれでいけません。ですから、及ばないこともいけないし、過ぎたこともいけないという意味があるわけです。」(昭和58年3月31日)
と御指南なのである。その上で、また、
「要するに、日常のことや色々な指導とかにおいては、法主はあくまでも法主として考え、法主としての指南があり指導がある、ということでよいのです。それを直ちに仏果であるとか仏様であるとかいうような証道の意味と混乱するような、あるいは読んだ人がそう取れるような表現は、むしろ慎んでもらいたいと思います。」(昭和58年3月31日)
と、「教道」と「証道」を混乱して、「僧宝」というべきを、「仏宝」とまでいってはならないと戒められているのである。故に、「証道」においては、「唯授一人のうえの御本尊書写、またはその御相伝という意味において、これをもし他の方が言う場合に、御本尊の御内証は即、大聖人以来の唯授一人、そこに二にして不二の境界であるということならば、それは根本のところでありまするし、それでよいと思います。」(昭和58年3月31日)
と、大聖人と御法主上人が不二であらせられることを御指南されているのである。これは、日応上人の、
「当宗に於て授与する処の御本尊は一切衆生に下し置かれたる此の御本尊の御内証を代々の貫主職一器の水を一器に写すが如く直授相伝の旨を以て之を写し奉り授与せしむる事なれば各のその持仏堂に向かっても直ちに此の御本尊を拝し奉る事よと相心得へ受持信行する時にはその処直に戒壇の霊地、事の寂光土なる程に臨終の夕までも此の御本尊を忘れ奉らざる様に致さるべきなり、爾れば則ち即身成仏は決定疑ひなきなり。」(『本門戒壇本尊縁由』19)
との御指南にも明らかである。御本尊は、大聖人の御魂魄、すなわち御内証なのである。
「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(全集398)
との御妙判のように、その御内証は、血脈相伝をお受けになった御法主上人でなければ「知り難」いのである。御歴代上人が、大聖人の御内証をもって書写遊ばされるから、我々の成仏も叶うのである。その御法主上人を誹謗することは、そのまま御本尊を誹謗することであるから、いくらお題目を唱えても、功徳は全くないのである。
また、それが理解できないからこそ、昭和52年路線において、創価学会では、池田氏の指導のもとに、御本尊を写真に撮って複製模刻するような大謗法を、平気で犯すことができたのである。
池田氏はじめ創価学会首脳は、知ったかぶりをして御法門を云々するが、相伝を受けない彼等に本宗の深義が解らないのは、道理の上で至極当然のことである。もし全て御法門が解るというのなら、その旨を発表していただきたい。
しかし、もし正直に解らないというのであれば、すなわちそれは、創価学会における判断が完全ではないことの、何よりの証明なのであるから、直ちに御法門を私するような憍慢謗法の心を停止すべきである。
7.秋谷氏の謗法は明白
過日の、御尊能化から学会古参幹部に対する書面中、
「唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にましますからであります。」
との指南は、「証道」の上に「三宝一体」の実義を述べるものであり、まさに当家の正義である。
これを論難する、秋谷会長の、
「仏法の基本である『三宝』は、歴代上人が御指南されているように、『法宝』は御本尊、『仏宝』は日蓮大聖人、『僧宝』は日興上人であり、三宝が相即する御本尊を拝し奉るのが、私たちの信心である。また日達上人が『代々の法主が日蓮大聖人ではない』と御指南され、歴代法主は僧宝以下の立場であることは明らかである。元来、日蓮正宗には大御本尊と並べた“法主根本主義”等は全くなかった。
ところが、最近、宗門は御本尊と法主は『根本の二つ』であるとして、『大聖人の仏智による御指南は、血脈付法の御法主上人によってなされるのであって、私どもは、そこに信伏随従するのみであります』とする法主絶対論をふりかざすようになってきた。
しかし、この主張には、重大な“すりかえ”があることを看過してはならない。
一、大聖人の御義口伝には『信伏随従』について、『信とは無疑曰信(むぎわっしん)なり伏とは法華に帰伏するなり随とは心を法華経に移すなり従とは身を此の経に移すなり』(御書七六五頁)と述べられている。すなわち心身ともに三大秘法の御本尊に帰伏することが信伏随従なのである。つまり人法一箇の御本尊を信仰し、大聖人に帰伏していくのが私どもの信心である。それを法主への信伏随従にすりかえるのは、大聖人の御指南に反するものであり、三宝破壊の邪義であることは、だれがみても明らかである。(中略)現宗門のいき方こそ、大聖人の仏法を破壊する大謗法であるといわざるをえない。」(平成3年9月30日付『聖教新聞』)
との批判は、「教道」と「証道」を混乱する邪義であり、謗法である。
なお、
「唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にまします」
との表現は、かの正信会問題の渦中、『大日蓮』の昭和57年3月号の巻頭言でも、既に述べられているから、「最近」との論難は全く当たらないことを申し添えておく。
むすび
以上、学会の「三宝」論の邪義を破折してきたが、「三宝」については、先にも多く引用したとおり、本年(平成3年・1991年)7月28日の法華講連合会第28回総会の砌に、御法主上人より、詳しい御指南を賜っているので、本宗の三宝義を信解せんとする諸氏は、是非とも熟読していただきたい。
一般の学会員は、仕事や家事に追われる中、命をすり減らすようにして学会活動に励み、血を絞るようにして特別財務に多額の納金をする。それは、それが仏道修行であり、功徳となると信じているからである。そして、学会員にとっては、もうそれだけで精一杯で、学会幹部の指導する三宝義についても、またその他のことについても、それが正しいのかどうかなど、確認する余裕がないのである。
だからこそ、学会幹部は、本来、学会員を善導する灯火でなければならないのに、秋谷会長からして、御法門を迷乱する有り様である。しかも、それが未熟故の誤りであるならば、まだ許せもするが、池田氏の邪義・邪心を覆い隠すことだけを目的とする、天魔の邪説なのであるから、決して許してはならないのである。
日蓮大聖人は、良観等の謗法に対して、「首を切れ」とまで御指南あそばされた。現在、学会の行なっている三宝破壊は、それに勝るとも劣らない大罪なのである。このことに、池田氏等は、いつ気が付くのであろうか。
以 上
(大日蓮H3.11月 第549号転載)
通 告 文
最近、創価学会では、会員のみの同志葬・友人葬と称する僧侶不在の葬儀(以下、学会葬という)を執行するなど、組織を挙げて、本宗伝統の化儀を改変しております。これは、まさに大聖人の仏法と富士の立義を破壊する謗法行為であり、日蓮正宗として、絶対に認めることはできません。
一 日蓮正宗の信仰の根幹は、大聖人・日興上人以来の師弟相対の信心化儀を中心とした、化儀即法体の法門にあります。したがって、本宗の信徒は、下種三宝を帰命の依止処として、師弟相対の信心化儀を修することによって、はじめて所願が成就するのであります。下種三宝とは、仏宝は本仏日蓮大聖人、法宝は本門戒壇の大御本尊、僧宝は第二十六世日寛上人が、
「所謂僧宝とは日興上人を首と為す、是れ則ち秘法伝授の御弟子なるが故なり」
と仰せのごとく、唯我与我の日興上人をはじめとして、唯授一人血脈付法の御歴代上人の全てにわたるのであります。故に、本宗の僧俗は御法主上人を仏法の大師匠として、師弟相対の信心に励まなければなりません。さらに、御法主上人に信伏随従する一般僧侶も僧宝に含まれますから、信徒各位は、所属寺院の住職・主管を血脈法水への手続の師匠と心得なければなりません。
日寛上人は、『当流行事抄』において、
「但吾が富山のみ蓮祖所立の門流なり、故に開山已来化儀・化法四百余年全く蓮師の如し」
とお示しですが、根本行である勤行を中心とする本宗伝統の信心化儀の一切は、その大綱において、唯授一人の法体血脈と、それに基づく総本山の山法山規等によって、大聖人御入滅より七百年を経た現在まで、厳然と伝わっているのであります。したがって、およそ本宗の信徒である以上、必ず宗門の定める化儀作法に従って、信行に励まなければなりません。
二 そもそも本宗における葬儀とは、故人の臨終の一念を扶助し、臨終に正念を遂げた者も遂げられなかった者も、ことごとく、本有の寂光へと導き、本因妙の即身成仏の本懐を遂げしめる重要な儀式であります。すなわち、臨終の正念が各自の信心の厚薄によるのに対し、葬儀は、故人の即身成仏を願う遺族親族等の志によって執行され、下種三宝の当体たる御本尊の徳用によって、その願いが成就するのであります。
この葬儀の式は、他の一切の化儀と同様、正式にせよ略式にせよ、総本山の山法山規に準拠することが宗是ですから、必ず本宗伝統の化儀・化法に則って厳修されなければならないのであります。
葬儀において大切なことは、御本尊と引導師、及び戒名等であります。まず、申すまでもなく、葬儀における御本尊は、古来、御法主上人の特別な御指示による場合以外は、導師御本尊を奉掲するのであります。また、引導師は、僧俗師弟の上から、必ず僧侶がその任に当たるのであります。戒名等については、便宜上、後に述べることといたします。
三 日興上人の『曾禰殿御返事』に、
「なによりは市王殿の御うは(乳母)他界御事申はかり候はす、明日こそ人をもまいらせて御とふらひ申候はめ」
と、当時、僧侶が導師を務めて信徒の葬儀を執行したことを示された記述が存しております。
次に、第三十一世日因上人が、
「私の檀那の筋目之を糺すべき事、此は師檀の因縁を示す檀那は是俗の弟子なり、故に師弟血脈相続なくしては即身成仏に非ず、況や我が師匠に違背せるの檀那は必定堕獄なり乖背は即不信謗法の故なり」
と仰せのごとく、本宗における僧侶と信徒との関係は、師匠と弟子との関係にありますから、信徒は所属寺院の住職・主管を師匠とする師弟相対の信心に住さなければ、即身成仏の本懐を遂げることはできません。この師弟相対の筋目は、本宗信仰の基本でありますから、信徒が亡くなった場合も、必ず所属寺院の住職・主管の引導によって葬儀を執行しなければならないのであります。もし、これに反すれば、下種三宝の血脈法水に対する師弟相対の信心が調いませんから、即身成仏どころか必定堕地獄となります。
本宗僧侶は、本宗規定の化儀に則って修行し、御法主上人より免許を被って法衣を着しますが、この本宗の法衣には、仏法の無量の功徳が具するのであります。日寛上人は、
「出家は身心倶に釈子なり。在家は心の釈子なり」
と御教示ですが、僧侶はこの法衣を着するゆえに身心ともに僧宝の一分に加わり、血脈法水への手続を務めるのであります。したがって、短絡的に、僧侶個人の力用によって、故人が即身成仏を遂げるなどと解するべきではありません。もとより僧宝の一分として葬儀を執行するのでありますから、当然、僧侶はその心構えが大切であります。その心構えについて、日有上人は、
「仏事追善の引導の時の廻向の事、私の心中有るべからず」
と仰せられ、また日亨上人校訂、富士本日奘師編の『興門宗致則』に、
「所詮大強盛の信力を以て欲心余念を絶し偏に下種の三宝を祈るべし一人の霊魂引導の事
は容易にあらず最も貴重なるものなり」
とあります。すなわち、僧侶が僧宝の一分としての立場から、余念を絶し私心なく大聖人以来の血脈法水への手続の引導を務めることによって、故人が下種三宝の当体たる本門の本尊の功徳力用に浴し、ここに本因妙の即身成仏を遂げることができるのであります。
これに対し、本宗伝統の化儀を無視し、創価学会独自に僧侶不在の葬儀を執行するならば、それは下種三宝の意義を欠く化儀となり、決して即身成仏の本懐を遂げることはできません。それどころか、本宗の師弟相対の血脈次第の筋目を無視した罪によって、故人や遺族はもとより、導師を務める者も、必ず謗法堕地獄となるのであります。
四 次に、現在、葬儀において必要とされる戒名と位牌について述べておきます。
戒名とは、仏法の三帰戒を受けた名でありますから、まさに法名と同意であります。本宗においては、大聖人の御父には妙日、御母には妙蓮、総本山開基檀那の南条時光殿には大行という戒名があるごとく、戒名は、大聖人の御在世当時から付けられております。戒名は、生前に付けられる場合もありますが、現在では、死後、葬儀の折に付けられるのが一般となっております。それは、葬儀には、本宗の化儀の上から、戒名が必要不可欠だからであります。日有上人は、葬儀等における戒名の重要性について、
「仏事追善の引導の時の廻向の事(中略)当亡者の戒名を以って無始の罪障を滅して成仏
得道疑ひなし」
と、導師が御本尊の功徳力用を願うとき、戒名に寄せて故人の無始以来の謗法罪障を消滅して、即身成仏の本懐を遂げる意義を仰せであります。したがって、本宗信徒は、御法主上人ないし所属寺院の住職・主管に、戒名の命名を願うべきであります。
また、位牌については、現在、葬儀において、世間一般に広く用いられております。日有上人は、儒家伝来の俗名のみを記した世間通途の位牌は、「理の位牌」であるから用いるべきではないと仰せであります。本宗で用いる位牌は、妙法の題目の下に故人の戒名等を認めることによって、御本尊の示し書に準じて師弟相対の意義を顕した「事の位牌」であります。したがって、日有上人は、通途の位牌を禁じられる一方で、
「又仏なんどをも当宗の仏を立つる時」
と仰せであります。日亨上人がここでいう「仏」を位牌と釈されるごとく、日有上人の当時、既に現在のような、仮の位牌が立てられていたことが示されております。また、日達上人は、
「位牌というものは亡くなった人の姿をそこに顕わすのであります。」
と仰せられております。
現在、本宗で位牌を用いるのは、このような意義に基づくのであります。但し、日常の信行から見れば、過去帳記載までの仮の建立でありますから、決して信仰の対象とはなりません。
五 以上、本宗本来の化儀・化法の上から、葬儀の在り方を述べました。創価学会においても、牧口常三郎初代会長の葬儀は日淳上人(当時、歓喜寮主管)の導師によって、戸田城聖二代会長の葬儀は日淳上人の大導師によって、北条浩四代会長は日顕上人の大導師によって執行されました。その際、それぞれ御法主上人より尊号(戒名)を頂戴しております。また、池田大作名誉会長の母堂いち殿及び次男城久殿が亡くなった際にも、御法主上人より尊号(戒名)をいただき、本宗僧侶の導師によって葬儀を執行されております。このように、従来、学会員の葬儀は、みな本宗伝統の化儀に従って執行されてきたのであります。現に、聖教新聞社文化部編『やさしい冠婚葬祭』や潮出版社の『私たちの冠婚葬祭』では、位牌・戒名等も含め、本宗の化儀に則って日蓮正宗の葬儀を解説しております。
ところが、最近では、僧侶を不要とする学会葬が、全国各地で盛んに執行されております。しかも、そこでは導師御本尊を奉掲せず、当然のことながら本宗の戒名はなく、また位牌があっても本宗の位牌ではありません。本来ならば、このような現状に対し、創価学会は、機関紙や会合等で本宗本来の化儀に立ち返るよう、全会員に指導徹底すべきところであります。
しかし、創価学会では、大聖人の御書中に、信徒の葬儀に関する直接的な記載がないことを奇貨として、むしろ学会葬を奨励しているのであります。御書中にないからといって、僧侶の導師による葬儀が行われなかったとするのは、早計であり、独断であるといわざるをえません。
特に、平成三年八月七日付『創価新報』では、「僧侶ぬきの葬儀では成仏しないとの妄説」「戒名も後の時代に作られた形式」などの見出しを付け、また九月二十六日付『聖教新聞』では、「僧侶の引導により成仏は誤り」などと見出しを付けた上、
「僧侶なしでは成仏できないと不安がる必要はないのです。これまで述べてきたように、葬儀は決してその形式に意味があるのではありません。苦楽を分かち合った遺族と信心の同志による真心からの追善をこそ、故人は最も喜ぶことを知っていただきたいものです。」
と、本宗の化儀・化法と全く正反対の、信徒としては許されない教義上の謬見を述べ、信心を狂わせているのであります。
このように、導師御本尊を奉掲せず、僧侶を不要とし、戒名・位牌等を愚弄する学会葬は、明らかに本宗の血脈師弟義に背いた大謗法であります。
このことは、創価学会の本宗信徒団体としての存立自体に、大きく影響を及ぼす問題であると考えるものであります。
よって、貴殿らには、以上のことを深く反省された上、学会葬の誤りを率直に認め、速かに本宗本来の化儀に改めるべく、その措置を講ぜらるよう、厳に、通告するものであります。
平 成 三 年 十 月 二 十 一 日
日 蓮 正 宗 総 監 藤本日潤
創 価 学 会 会 長 秋谷栄之助殿
福島・阿部本家の墓地に関して
今回、創価学会より、福島・阿部本家の墓石建立に関し、様々な悪口誹謗がなされている件につき、阿部本家当主、阿部賢蔵氏、及び親族一同名にて、下記の如き「お詫びとお誓い」との状が御法主上人に送られて参りましたので、お知らせ致します。
宗内各位にはこの状の趣旨をよく御理解いただき、創価学会の謂われなき誹謗に迷う人々を御教導いただきますよう御願いいたします。
「お詫びとお誓い」
謹啓
御法主日顕上人猊下におかれましては、益々御健勝にてお過ごしのこととお慶び申し上げます。
この度の創価学会機関紙、聖教新聞等において、平成元年七月十七日の阿部家の法要、並びに墓碑の開眼供養について、猊下様への理不尽な誹謗、中傷記事が掲載されていることにつきまして、強い憤りを覚えるものであります。と共に私どもの墓地改修に関しまして、猊下様へ大変な御迷惑が御尊体にまで及びましたこと、誠に申し訳ございません。深くお詫び申し上げる次第でございます。
もともと墓石建立の経緯は、阿部家先祖代々の墓は当家近辺の墓地にございましたが、明治初年に村の共同墓地を造ります時に、移転したものでございます。そして、この共同墓地が狭くなりましたため、昭和二十四年に拡張された墓地へ更に墓を建立していたのでありますが、この墓がやはり土葬で雑然としておりましたので、私が父を始めとする先祖代々の諸精霊追善供養証大菩提の為に、この墓を改修したいと念願したのが始まりであり、この私の希望を親族一同も賛成してくれたのでございます。
その際、私の願いが猊下様のお耳に届き、日開上人様の生家の墓地という因縁から、深甚の御慈悲を賜り、御題目を御書写たまわるのみか、我が家にて御法要までおつとめたまわり、その上墓地にまでお出まし頂きまして、当家親族一同、猊下様の有り難き御意に対し奉り、深く感謝申し上げた次第でございました。
私ども一族は猊下様への御報恩のためにも、この地の方々を一人でも多く、日蓮大聖人の仏法に縁されるよう、折伏を実践し、正法流布への前進を誓いあってまいったところでございました。
ところが今回の聖教新聞の記事は、私ども阿部家一同の、先祖代々への追善供養の心と、猊下様の御慈悲を踏みにじる内容で、深い悲しみに震えておるところでございます。
そもそも、今回の墓地改修は前述のごとく、私どもが親族一同と共に発願致したもので、猊下様にはただ甚大なる御慈悲を賜ったのみでございます。それにもかかわらず、学会では、猊下様が白山寺に自らの墓を建立したかのごとく言っておりますことは、誠に心外でございます。
私どもの墓は、寺の隣にある墓地と申しましても、古くからの共同墓地であり、また昭和二十四年に新しく建てた墓の場所は、共同墓地が狭くなったので、拡張した墓地であると父祖より聞き及んでおりましたから、その造成の際に私の祖父が共同墓地として買い求めたものと思って今日に至ったところでございます。
従いまして、今回の平成元年の墓地改修に当たりましても、同様の認識でおりましたのでそのまま建立した次第でございます。
しかるに今回創価学会からの誹謗記事には、当該墓地は白山寺の所有であり、所謂「禅寺の墓地」であるとの指摘があり、私どもの古来からの認識と食い違うため、当方においても私の父は逝去しておりますので、村の古老に聞きましたところ、やはりあれは共同墓地だという意見でございました。
そればかりでなく、昭和二十四年に拡張した墓地も、父が購入したものではありませず、明治以来の共同墓地を持っている者全員に無償にて提供されたものであったことも分かりました。
それがどういう理由により、現在白山寺の所有となったのかは分かりませんが、父祖以来、共同墓地として参ったものを、今更そうでないと言われるのは納得いきません。
とはいえ、私どもが土地登記上のことがわかりませずに、不用意に猊下様をお招きしてしまい、日蓮大聖人よりの血脈法水を継承されます猊下様に対し奉り、甚大なる謂われなき誹謗と中傷をなさしめる隙を作る結果となりましたこと、日蓮正宗の信徒として申し訳なく、衷心より深くお詫び申し上げる次第でございます。
私共は、猊下様の深き御慈悲を思うと、居ても立ってもおられない心境でございます。重ねて深くお詫び申し上げます。
しかし、明治以来の旧共同墓地にあります阿部家代々の旧墓碑にも「妙法」とお彫りしてございますように、当家には先祖代々正宗信徒としての節を通して参った誇りがございます。
今回の学会の謂われなき猊下様への誹謗は、誠に申し訳けなく勿体ない限りでございますが、私ども阿部家にとりましても信仰の誇りを傷つけられたものであり、心からの怒りを覚える次第でございます。
この上は、私どもは、昭和六十年に猊下様が御指南されておりますところの、「正しいお寺に墓地をとったからといって、安心して信心修行に怠けるならば、またそこからおのずと退転の形、不幸の姿が始まっていくわけでありますから、そのところの根本は、墓にあるのではなく、自分自身の信心に一切の幸せも、先祖追善の意義も存するということを忘れずに、励んでいくことが大切とおもうのでございます」との御言葉を拝し、阿部家、及び親族一同正法を固く護持し、福島、なかんずく日開上人御生誕の地、荒井にあって、我が身の罪障消滅と、令法久住の精神を忘れずに、孫子末代まで信心修行に励み、更には地域の方々の中に在りながら、誠心誠意、正義を主張してまいることをお誓い申し上げる次第でございます。
以上、誠に粗辞ではございますが、当主及び親族と致しまして、この度、御迷惑をおかけいたしましたことを衷心よりお詫び申し上げますと共に、心からのお誓いの言葉とさせて頂きます。 敬 白
十月十三日
阿 部 賢 蔵
親族代表 渡 辺 信 一
親 族 一 同
御法主日顕上人猊下御座下
(以上原文縦書)
以上であります。
なお、時局協議会文書班有志における、この件に関しましてのその後の調査結果が、下記の如く報告されましたので併せて紹介致します。
時局協議会文書作成班有志調査報告
学会・地涌等では、福島の阿部本家の墓が古来から白山寺にあったような記述をしているが、調査の結果、明治以前、江戸期の阿部家の墓は白山寺の檀家専用墓地などにはないことが判明しました。
福島市荒井字八幡上 1 地番・壱九 2 地目・墳墓地
所有権者氏名 阿部由右ヱ門
阿部庄右ヱ門(日開上人の実父)
阿部政治
阿部祐三
これは当時の阿部一族の墳墓地の登記簿謄本ですが、この場所は、阿部家の集落からさほど遠くない畑の中であり、この墓が阿部本家先祖代々の墓所なのであります。
ところが、明治十七年、『大政官布達』第二十五號により、墓地に関して次のような規則が制定されたました。
第二十五號 十月四日(内務卿連署)
墓地及埋葬取締規則左ノ通リ相定ム
墓地及埋葬取締規則
第一絛 墓地及火葬場ハ管轄廳ヨリ許可シタル區域ニ限ルモ
ノトス
第二條 墓地及火葬場ハ總テ所轄警察署ノ取締ヲ受クベキモ
ノトス
第三條~第八條省略
右布達候事
この通達により、従来は村の個々の集落に存在していた個人の墳墓への埋葬が禁止され、地域毎に一カ所に纏めた官許の墓地のみに埋葬するようにとの規制が明治政府により施行されたのであります。
阿部家の墓地もこの時に他の村人と共に、共同墓地に移ったものであることが、様々な事情から断定出来ます。即ち、江戸時代まで荒井村では、上記の阿部家の墓所同様、村の集落毎に墳墓が存したのですが、この明治十七年の布達以降、村の北部は台原の共同墓地、南部はこの白山寺脇の墓地を始めとして、数カ所の官許の墓地に纏められたのであります。
白山寺脇の明治期に造成された部分の墓地が、この時に造成されたことは、そこにある墓石の殆どが明治時代以降のものであることからも証明されます。それ以前の村人の墓地は阿部家の墓地同様、それぞれの集落に存したからです。白山寺が建立されたのは江戸中期の寛永年間ですが、村人の墓地がその遙か以前から諸処に存したことは当然であります。
学会、地涌では、この白山寺脇の明治期造成の墓地から1K程離れたところに本当の共同墓地があるなどと言っていますが、距離的にこれに該当する墓地は荒井では「叺内墓地」であるが、同墓地の標記は「共同墓地」などではなく、埋葬許可を受けた集落の専用墓地であり、その墓地管理者はやはり白山寺住職なのであります。
また学会では、県保健所・衛生課、及び市役所・保健衛生課の墓地台帳等の記載記事を持ち出して、当該の墓は全て白山寺の墓地であると強弁しています。保健衛生課の台帳はたしかに管理経営責任者として同寺の名を記していますが、それは単に管理経営者として記載されているに過ぎないのであります。
さらに学会は登記上、白山寺に隣接する三区画の墓地全てが白山寺の所有であるとしていますが、この明治期に開かれた共同墓地は、現在も白山寺の所有権保存登記はついていません。明治期の土地台帳の所有者の項にある「一村持」の記述によっても、明らかに共同墓地であったことが立証されます。
たしかに他の二区画の墓地(学会では白山寺の墓地に区画などないと言っているが、その成立、性格等において厳然と区別が存するのである)については、昭和二十四年に拡張された分と、昭和四十年代以降に同寺が分譲を開始した分とは、帳簿上、現在白山寺の所有・管理となっています。
しかし、村の古老の証言によれば、昭和二十四年に行われた墓地の拡張については、戦後暫くの間、同地方は土葬の習慣が残っており、明治期に造成された共同墓地が、掘り返し、掘り返しで、自他の墓の区別がつかない程一杯になったので、この共同墓地を持っている人全員に対し、無償で提供されたのが当時の事情ということであります。
また、その墓地拡張部分の近辺は、古来白山寺の名受け持添地であったことから、昭和二十四年前後の頃、農地開放が行われておりますが、当該拡張墓地も当時のかかる状況のもとに、無償にて村人に提供されたものと推定されます。昭和三十五年の国勢調査の前後まで、当該墓地の土地に白山寺の登記がついていないのは、この辺の事情を物語るものであろうと思われます。
その墓地拡張部分の土地が、昭和三十五年に白山寺に保存登記がついたことは確かに事実であります。
しかし、そのような土地の所有権の確定乃至移動があったにせよ、通常、村人と致しましては、墓地の土地に新たに所有者の登記がつきましても、特にそれを調べる筈もなく、当該墓地は共同墓地の拡張部分という意識であったことは、無償供与の状況から、むしろ当然であります。実際その古老も、また今回学会から法華講へ移籍した阿部朝男氏も、同墓地が共同墓地の拡張部分であると認識していますし、更には、同白山寺の夫人ですら中外日報の記者に対し、「あそこは共同墓地だと聞いている」と話したとのことであります。
要するに、昭和二十四年に拡張した墓地は、墓地の性格としては、太政官布達に基づく官の指令による明治以来の公共墓地の拡張であるが、土地の所有と、墓地の管理は現在白山寺が行っているということであります。そもそも、このように、明治以来の複雑な墓地造成の状況が存する場合において、何よりも大切なことは、墓の土地の所有者、乃至は経営管理者が誰であるかということよりも、当の墓地を使用する当事者の慣習ということが最大に尊重されなければならないことは当然であります。
言葉を替えれば、単に墓地の表記が共同墓地であるかないか、或は寺院の所有であるかないかということよりも、実際の墓地の性格が寺院墓地なのか、共同墓地なのか、ということが大切な判断の基準でなければなりません。
学会が言うように、これらの墓地全てが、純然たる白山寺の寺院墓地であるならば、墓地埋葬法十三条により、他宗の典礼を拒むことも出来るのであります。県保健所・衛生課、及び市役所・保健衛生課の墓地台帳等に、白山寺に隣接する墓地を白山寺墓地と表記してあっても、それは前述の如く、墓地の管理寺院である意味なのであり、当該墓地については、明治期以来の共同墓地としての慣習が、厳然と生きていると言わねばなりません。
故に今回の阿部本家の墓碑開眼に際しても、同家として白山寺へは、管理寺院に対する世間的儀礼の上からの挨拶をしたまでであります。
また更に今回の調査で判明したことは、福島・広布寺草創期の某功労信徒の墓が、現在も真言宗寺院管理の墓地に存しますが、そこには五十二世日霑上人、五十九世日亨上人の御署名花押入りの墓碑が建立されています。
このように、例え他宗の管理乃至所有する墓地であっても、信仰上、本宗の墓碑を建立し、また塔婆を建立できる等、正しく本宗の化儀に則った先祖供養を遂行し得る状況があるならば、これを建立すること自体は、本宗の信仰上、何の問題もないのであります。
大聖人様が、当時は台密乃至は東密系であったと推定される清澄寺にある師匠の道善房の墓にたいし、御回向に弟子を遣わされた御慈悲を拝するとき、徒に他宗管理の墓に対して、特別な嫌悪感を抱くのは、日蓮大聖人の仏法の広大な慈悲の上から間違いであると言うべきであり、要は一切の事柄において、信心を根本として、折伏精神に立つとともに、慈悲をもって対処していくべきなのであります。
以上が福島、阿部本家の墓地が今日の場所に存在する理由につき、現在迄に判明した調査結果と、これに対する文書班有志としての見解であります。
宗内各位には、御法主上人に対する阿部家からのお詫びの手紙、および文書班有志の調査によっても、創価学会のこの問題に関する聖教新聞・創価新報・地涌等の記事内容は、まったくの言いがかりに過ぎない悪辣な誹謗中傷でありますことを御理解ください。
以 上
日顕上人ご建立の墓石に対する学会の誹謗を破す
時局協議会文書作成班有志
今回、創価学会では、平成3年(1991年)9月27日付の『中外日報』に、「日顕法主が“邪宗の墓地”に先祖墓」などという大見出しを付け、誹謗・中傷記事を掲載するや、これを受け継いで、早速、森田一哉理事長が同29日、千駄ヶ谷の創価国際友好会館で行なわれた船橋の本部研修会で、
「次号の創価新報(十月二日付)に掲載されるが、驚くこ
とに日顕猊下は、福島市内の曹洞宗・白山寺にある先祖の
墓地に豪華な墓石を新たに建立し、平成元年七月十七日に
自ら足を運んで墓参・法要まで行っている。墓石には「為
先祖代々菩提 建立之 日顕 花押」と刻まれている。
(中略)日顕猊下の振る舞いは、そうした信徒の純真な信
心を踏みにじるものであり、強い憤(いきどお)りを禁じ
えない。」
等と発言している。そして面白いことに、本年初頭より全国の寺院に毎日無断送信されてくる宗門批判の怪文書『地涌』の9月29日号から、このことが連載されている。
この日の森田理事長の発言どおり、10月2日付の『創価新報』に、御法主日顕上人猊下の親戚に当たる福島県福島市荒井字八幡内の阿部賢蔵氏(総本山第60世日開上人の弟銀蔵氏より数えて四代目の当主)が、平成元年七月、先祖代々の墓地に新たに墓石を建立したことに関しての卑劣な中傷記事が掲載されたのである。
○ 墓石を建立した墓地は村の共同墓地
御法主上人猊下は、阿部氏より願い出の墓石のお題目を御書写遊ばされるに際し、福島の阿部家は実父である日開上人の生家でもあり、その報恩の意味からも建立の費用を負担しようと仰せられ、当主ほか阿部家一同が、この猊下のお慈悲を有り難くお受けし、墓石の建立をお願いされたものである。
さて、学会が口汚く誹謗する当の墓地についてであるが、この墓地は村の共同墓地的性格のもので、昔は土葬の墓地であった。現在ここは、白山寺という曹洞宗の寺院が管理をしているが、実際には、この墓地は三つに区分けされているのである。
第一区画は明治時代からの村の共同墓地であり、第二区画は後に拡張されたところであり、第三区画は白山寺檀家専用の墓地である。
阿部家の墓はこのうち第二区画にあるが、阿部賢蔵氏の母のキンさんや、同所に墓を持つ方の話を聞くと、この墓地は第一区画の村の共同墓地が狭くなったために、昭和24年に拡張造成されたものである。その折、阿部家は近くでもあり、ここに墓地を購入したのである。
現在、白山寺は、第三区画の檀家専用墓地については檀家にならなければ一切分譲していないが、第一・第二区画の墓地は墓石や塔婆等、宗派を問わず自由にさせているのであり、共同墓地が狭くなったから拡張した、というのがこの墓地に対しての地元の人達の認識である。
その証拠とも言えることは、白山寺の境内地域と、第一・第二区画の共同墓地との間は塀で仕切られており、第一・第二区画の墓地は寺院に関係なく、道路から自由に出入りができるのである。こうしたところなので、日顕上人は阿部家で法事を済まされた後、墓地の開眼供養をなされたのである。
学会では、猊下が自家の墓地を他宗の寺院に造った、と誹謗しているが、これは間違いであり、学会が指摘する墓地は福島の阿部本家の墓地である。猊下御一家の墓は、すでに戦前、第60世日開上人の代において、総本山大石寺の墓地内に建立されているのである。
福島の本家は、日開上人の弟の銀蔵氏が後を継いだわけであるから、その村の墓地に阿部家代々の墓があっても何の不思議もないのである。
○ 『創価新報』における今回の誹謗・中傷記事は自己矛盾
本宗においては、入信と同時に旧来の信仰の謗法払いをすることは当然である。しかし、墓地に関しては、これまで特に従来の墓を使用することについて問題視しておらず、このことは宗内周知の事実である。
ここで、本宗におけるこれまでの他宗寺院管理下の墓地使用の件について、過去の経緯をたどってみよう。
宗内における墓地問題が特に顕著になったのは、昭和34年から36年頃のことで、『大白蓮華』にもこの墓地問題を特集している。
その中で、秋谷城永氏(現秋谷栄之助創価学会会長)は、
「月に一万世帯を越える改宗者が出るということは全宗教にとって脅威であることはいうまでもない。これは仏教会共通の問題として、県仏教会、さらに全日本仏教会で対策協議が重ねられた。そして離檀防止の最良の手段として考え出したのが、墓を押さえれば檀家は逃げられないとして、つぎつぎにその処置が取られた。
そこで、昭和三十一年ごろから一斉に県仏教会単位の動きとなり、新しい墓地規約乃至寺院規則を作って檀家の承認を求めて歩き出したのである。
一、○○寺墓地は○○寺の檀家のみが借用して使用する権
利がある。
一、信仰上の相違から檀徒でなくなった時は、すみやかに
墓地を他へ改葬して、跡地を管理者に引渡さなければ
ならない。
一、三箇年間付けとどけを納めず何の連絡もない時は、無
縁とみなし、その使用権を取消して、適当に処置する
ことがある。
というのが主な骨子である。これは明らかに墓地をもって
改宗の自由を奪おうとした卑劣な手段である。」
と述べ、さらに学会の立場から、
「法律にも暗い庶民に向かって、埋葬を拒否したり、無縁にするなどとおどす姿は、正に経文に示された通りである。
そこで信仰の上からは断固、これらの邪智の輩を破るとともに国法律の上でも、この際、墓地の明確な使用権を確認して、この不法な墓地問題を解決すべきであると、真剣に取組んでいる。広宣流布途上の大きな歴史に残る闘争であることは、全学会員が、はっきり自覚すべきことであろう。」
と言っているのである。
今回の学会の誹謗記事によれば、以前からのこうした学会の一連の指導も謗法であったことになり、創価学会が草創期から行なってきた墓地訴訟も謗法だったと言わねばならない。
当時の記事を創価学会年表によって見ると、
○昭和35年3月8日
厚生省、墓地・埋葬等に関する法律第13条の解釈について新しい通達を出す。改宗を理由に埋葬拒否はできないむねが明らかにされ、学会の主張の正しさが裏づけられる。
○昭和36年2月11日
無断で墓地を移転した日蓮宗妙海寺(川崎市)の住職、改宗を理由に埋葬、墓参などの妨害をしないむねの誓約書を書き謝罪。
○昭和36年8月8日
真言宗東寺派の等覚院住職(神奈川県中郡)改宗を理由に遺体埋葬を拒否。本部では渉外局から2人の局員を派遣し、警官立ち会いのもと無事に埋葬。
等々と、学会員がこの問題に真剣に取り組んだ様子が伺われるが、今回の学会の主張をもってするに、これらの闘争は悉く無駄であり、徒労であったということになろう。
他をあれこれ誹謗・中傷する前に、学会は自らの団体の過去の所業をよく思い起こすことが先である。
もとより、学会の過去の所業が誤りであったと言っているのではない。ただ、当時はさんざん他宗寺院に対し、墓地に埋葬させろと争っておきながら、今度は、たまたま猊下に関係することが出てくると、まるで鬼の首でも取ったかのように「他宗管理の墓地を使用することは謗法だ」などと、まったく逆のことを掲載し、中傷するのは明らかに自己矛盾であり、この一貫性の無さを指摘するものである。
今回の学会問題の焦点をぼかすために必死なのはわかるが、これでは他宗のもの笑いの種になるのが落ちである。
○ 現在、他宗寺院に墓のある創価学会員は謗法か?
現在、創価学会員であっても他宗寺院にある従来の墓地、あるいは他の宗教法人が経営する、宗派を問わない霊園墓地等に、猊下のお題目に限らず、本宗寺院の住職がしたためたお題目を墓石に刻んでいる方は全国にたくさんいる。
もし、阿部家の墓が謗法ならば、それらの信徒の墓もすべて謗法ということになる。事実、今回学会が誹謗している福島の阿部家の墓の側には、やはり日顕上人がお題目を書写された学会員(2ヶ月前に脱会し、現在は法華講員)の墓など、三軒の本宗信徒の墓があるのである。
本宗の信徒となった家で、従来の墓を処分して本宗寺院の墓地へ移すことは信仰上、まことに結構なことである。
しかし、日本の国土は非常に狭く、墓地として使用できる土地の面積も限られている。広宣流布が進展するにしたがって、もし将来、他宗寺院にある従来の墓地の使用を認めず、本宗寺院の墓地でなければ駄目だとしたら、広大な土地を専有する墓園公害となろう。
さらに、新規に墓地を造成することは、現在のところ寺院においては簡単にできないという、各都道府県の行政上の事情がある。これらのことから、先に述べたように従来からあるそれぞれの墓地に、お題目をしたためた墓石を建立し、日蓮正宗信徒の墓としてよしと考えるのは当然のことである。
大切なことは、墓地の管理者が誰か、ということではなく、きちんと日蓮正宗の化儀に則ってお題目をしたためた墓石を建立できるかどうかである。
○ 御書に忠実であるというならば、御聖意を正しく拝せ
一つ付け加えれば、同じ10月2日付の『創価新報』の5面、仏教講座「仏教儀礼を考える」の中に「中興入道消息における御教示」なるものが出ている。
塔婆不要の邪説を唱える学会が、会員に大聖人の御聖意を正しく伝えることができないのは無理もないが、苦し紛れの言い訳で、解説にすらならないこのお粗末な文面を見ると気の毒にすら思うのである。
『中興入道消息』は、塔婆にお題目をしたため、それを立てることによって、北風が吹けば、その風は塔婆にしたためられたお題目に触れて、南海の魚族を成仏せしめ、東風吹けば、その風はお題目の風となって西山の鳥鹿をも成仏せしめ、かくして十法界のあらゆる衆生を成仏せしめる無量の功徳が説かれているのである。
かかる塔婆なるがゆえに、それを立てる人の功徳は長生の徳を得るばかりでなく、後生には過去の父母と共に霊山浄土において手を取り合うことができると、成仏の境界を説かれているのである。学会が御書に忠実であるというならば、まず多くの会員にこのように正しい信心の道を教えるべきであろう。
とにかく、塔婆不要などという邪な考えが根底にあるために、今日、創価学会では塔婆を立てることもできない墓地ばかりを必死になって造っているのである。これこそ日蓮正宗本来の化儀を否定するものと言わねばならない。
ともあれ、今回、御法主日顕上人が福島の阿部家先祖代々の墓碑にお題目を書写遊ばされたのは、本宗の化儀に則られた深いお考えのうえになされたことであると拝するのである。
それは、あたかも中国随一の能筆家の遺竜が、父烏竜の遺言を破って、妙法蓮華経の七字を書写したその功徳によって、父の烏竜は妙法の光明につつまれて成仏したように、阿部家先祖累代の精霊は、御法主日顕上人猊下の御慈悲に浴して成仏を遂げられたことであろう。
以上、福島の阿部家の墓碑建立開眼供養に関する学会の誹謗・中傷の記事は、遺族の厳粛な先祖供養の尊い真心を踏みにじる名誉毀損の暴言であることと、御法主日顕上人猊下には当然のことながら、本宗の信心において一分の誤りも無いお振る舞いであったことを指摘して、『創価新報』及び、一蓮托生の『中外日報』、『地涌』の卑劣な誹謗・中傷記事に対する破折とする。
以 上
根拠なき脅迫文書「寺院退去要求書」の誑惑を破す
時局協議会文書作成班1班
最近(平成3年・1991年)、日蓮正宗の寺院住職・主管に対し、創価学会によって組織的に集められた「寺院退去」を要求する文書が、署名を添えて届けられている。しかも、その文書の内容たるや「名誉会長に服従するならば、そのまま住まわせてやる」といわんばかりに、数の権力に任せて一人の住職・主管をねじ伏せようという、まことにもって反民主的、暴力的内容の脅迫状である。
さらに、その添付されている署名簿には、ただ氏名を書き三文判の印鑑を押してあるだけで、その住所は記載されていない。つまり、署名簿として成り立たない、お粗末なものである。
○ 学会の「寺院退去要求書」は法的に根拠がない
日蓮正宗における判断基準は、何事においても正義を先とするのであって、数の多きにかかわらない。寺院の所有権についても同様である。『日蓮正宗教師必携』に、
「寺院・教会は仏祖三宝の所有であり、住職・主管または檀信徒のものではない。すなわち、住職・主管は、法主上人の命を受けて寺院・教会を管理し、寺務を執行するのである。」
とあるように、本来、日蓮正宗の寺院は、下種三宝尊の所有であり、住職・主管はもとより、信徒が所有権を主張できうるものではない。なぜならば、それは、下種三宝尊こそ正法正師の正義の正体にましますからである。
下種三宝尊とは、日蓮大聖人と戒壇の大御本尊と第2祖日興上人をはじめとする歴代の御法主上人の御事である。このうち、特に明確に認識されなければならないことは、下種三宝尊の御意を表わすお方が、現在の僧宝たる御法主上人にましますということである。このことは、「仏宝法宝は必ず僧によりて住す」との御金言によっても明らかであるから、下種三宝尊の所有とは、まさに現在の御法主上人の所有と理解されなければならない。
また、日蓮正宗僧俗が規範とすべき『日蓮正宗宗制・宗規』上からみても、これら「寺院退去要求書」なるものは、全く無意味であることは明らかである。すなわち、『宗規』第172条において、
「住職及び主管並びにそれらの代務者は、教師のうちから管長が任命する。
2 管長は、宗門行政上必要と認めるときは、住職及び主管並びにそれらの代務者を免ずることができる。」
と明示されているように、日蓮正宗の住職・主管は、管長すなわち御法主上人の任命を受け、全国各地の末寺に赴任させていただいているのであり、その住職・主管を免ずることもすべて御法主上人の御意によるのである。
さらに、『宗規』第180条には、
「管長の任命した住職または主管及びそれらの代務者に対しては、いかなる者もこれを拒否することができない。」
とされ、御法主上人の任命による末寺住職・主管に対しては、いかなる僧俗も、その人事に関して拒否することができないのである。ましてや血脈付法の御法主上人の御慈悲によって、地元に住職・主管を派遣していただいているにもかかわらず、その信徒が私情を挾んでこれに言及することは、筋違いの越権行為である。
さらに、宗教法人法における判断においても、明確に任命権者の権能が謳われているのであるから、学会の行なっている寺院退去要求なるものは、法的にも全く効力のない策略であると断定する。
○ 学会は日淳上人の御指南を「切り文」引用
一方、信仰的に寺院退去要求を正当化しようとする学会は、その根拠として、日淳上人の、
「信仰の母体たる檀徒の所有に帰すべきもの」
との御発言を引用している。ところが、これまた学会お得意の卑劣な「切り文」引用であるから、本来、全くその論拠となりえないものである。そこで、学会で引用している日淳上人の御指南の背景をほぼ示して、学会の誑惑と卑劣なすり替えを明らかにするものである。
そもそも、「信仰の母体たる檀徒の所有に帰すべきもの」との日淳上人の御発言は、御登座の24年以前の昭和7年8月号の『大日蓮』に掲載された、「佛眼寺問題について」(日淳上人全集54頁)に記されている。
すなわち、上記の御発言は、寺院において管長・住職・檀徒の間の意志が分裂した場合における、寺院の所有権の所在を指示されたものであるが、通常とは異なり、管長・住職よりも、檀徒を重視しているのである。学会流にいえば、一見、民主的のようであるが、「寺院は仏祖三宝の所有」との宗是にも、また法的にも適合しない。それでは、日淳上人が、なぜこのようなことを御発言されたのであろうか。我々は、この御発言の背景をよく認識する必要がある。
結論的にいえば、これは、仙台の「佛眼寺問題」という特殊な状況の中での御発言ということである。
○ 「佛眼寺問題」について
この問題は、明治33年、日興門流八山(大石寺・北山本門寺・京都要法寺・富士妙蓮寺・小泉久遠寺・保田妙本寺・西山本門寺・伊豆実成寺)から、大石寺が分離独立したことによって起こった寺籍の問題である。すなわち、佛眼寺等の創建が日尊師によることから、京都要法寺がその所有権を主張し、寺院の明け渡しを求めたことに始まるのである。この問題は、その後、40年余の争議を経て、昭和18年、大石寺(日蓮正宗)へ復帰し、もって解決した。
問題の渦中である昭和7年、某政治家等の影響もあって、日蓮正宗側は裁判に敗れた。これによって、佛眼寺の住職であった佐藤日照(覚仁)師は、強制退去を余儀なくされ、そのあとに要法寺側の住職が入ったのである。しかし、また検事局の妥協案によって、本堂は大石寺側の檀信徒にも使用を許可するというものであった。すなわち、日蓮正宗佛眼寺は、要法寺に乗っ取られ、管長と住職とは要法寺側となっていたが、檀信徒3百世帯のほとんど(要法寺側は約10世帯)は、大石寺側だったのである。追い出された住職佐藤日照(覚仁)師は、佛眼寺の隣に集会所を造り、解決の日まで堪え忍んだのである。
○ 寺院の存立意義は信仰の本質である本尊と教義にある
日淳上人の御発言は、まさにこの時のものである。ただし、この御発言の大前提は、「佛眼寺問題について」の冒頭の、
「寺院の成立と存在の意義は唯一に信仰にあり、而して信仰の根本は本尊と教義にある。此れが寺院の本質にして寺院のことは万事此の本質によつて律せられなければならぬ。」
との御発言にあることはいうまでもない。寺院の成立と存在の本質が、本尊と教義という信仰の根本にあることは、誰人も否定できない事実である。
佛眼寺の本尊は、大石寺御歴代上人が書写あそばされた御本尊である。ならば、その教義も大石寺法門であるのは当然である。すなわち、日淳上人は、佛眼寺の信仰の根本が、大石寺の本門戒壇の大御本尊と、正当血脈の相伝に基づく教義にあったことを、ここで仰せなのである。このことは、開基の日尊師がもともと大石寺の門人であったことや、佛眼寺自体がそれまでの長きにわたり、大石寺を本寺として熱烈な信仰を続けてきたことによっても明白である。学会は、この大前提をはずして、「信仰の母体たる檀徒の所有に帰すべきもの」という文のみを挙げ、故意に信仰の本質を破壊しようとしているのである。
○ 日淳上人の御発言の真意
以上の大前提を踏まえた上で、学会が引用する箇所を見てみたい。
「現在寺院の所有権は法的に甚だ明確ならざる憾(うらみ)があるが一般に管長と住職と総代(檀徒の代表として)との共有と見なされてをる。通途に於ては此の解釈をもつて少しも不便がない。しかし若し一度何事かを差し挟んで三者(管長・住職・檀徒)の意志が分裂してその所有権を論ずる場合は寺院の本質により信仰の母体たる檀徒の所有に帰すべきもので管長と住職とは但に管理者にすぎないといはざるを得ない。」
これは、学会の引用に、多少の前後の御発言も合わせたものである。
佛眼寺の檀徒は、もともと大石寺の信仰を行なってきたが、ここでいう管長・住職は、前述のように要法寺の僧侶を指すのであって、信仰の根本を伝持する大石寺の御法主上人並びに佐藤日照(覚仁)師を指してはいない。ここに、三者、すなわち管長と住職と檀徒との間における、信仰の本質的な食違いがある。それは、裁判における敗訴によってもたらされた、極めてまれな特殊状況といえる。
日淳上人は、このように、邪宗要法寺の僧侶に乗っ取られたという特殊状況の上から、寺院の所有権が「信仰の母体たる檀徒の所有に帰すべきもの」と仰せなのである。つまり、佛眼寺における信仰の歴史的実績の上から、当時、法的な権利を有する立場にあった檀徒の、正法護持の精神に対して、「信仰の母体」を見られたのである。ならば、要法寺の管長と住職とを排斥し、佛眼寺を本当の「信仰の母体」である日蓮正宗へ復帰させるところに、日淳上人の御発言の本意があることは、むしろ明白ではないか。すなわち、日淳上人は、法的な特殊状況の上から、佛眼寺檀徒の大聖人の正法を護持せんとする勇猛な信心によって、日蓮正宗へ復帰するよう奨励されたのである。
学会は、日淳上人の御発言が、このような特殊な状況の中でなされたことを承知の上で、その意味するところを歪曲して、
「寺院退去要求書」に引用しているのである。このことは、自らの「信仰の母体」が、創価学会なかんずく池田大作氏にあるということを、無理に主張するものである。したがって、それは、本門戒壇の大御本尊と唯授一人血脈相伝の仏法に基づく教義にあるということを放棄することであって、まさに退転に値する行為である。
しかも、一般会員には何の説明もせず、ただ署名を求めているのである。このようなことは、信仰の上からいって欺瞞行為である。
○ 学会の卑劣な署名簿には私文書偽造の疑いも
さらに、聞くところによれば、この「寺院退去要求書」の署名運動について、「法的には問題があるが、狙いは学会員の結束の強化と脱会の予防にあるので、とにかくやりましょう」と説明する者さえいるといわれている。
もし、このことが本当であるならば、池田大作氏をはじめ学会最高首脳陣等は、この「寺院退去要求書」に、法的効力が全くないことを承知しているにもかかわらず、何も知らない会員を煽っているとしかいいようがない。このような暴挙は、日蓮正宗宗門に対する、単なる「いやがらせ」以外の何ものでもないと断定する。
事実、その署名簿の中には、何の判断もできない幼児の名前を書かせようとしたり、また署名を断ったにもかかわらず、本人の許可なく勝手に名前を使われた人もいるという。これは、明らかに「私文書偽造」に該当するものである。当然、名前を利用された人の中には、署名簿に他の筆跡で書かれた自分の名前を確認した時点で、脱会された方もいるのである。
日蓮正宗の信仰を見失った創価学会員が、たとえ何万人集ろうとも、それは烏合の衆である。「悪は多けれども一善にかつ事なし」の御金言どおり、一人の正義の住職に勝つことは、決してないのである。
○ 三宝に御供養したものを返せという無信心
その他に、封建時代と現代とを混同し、「池田名誉会長が、波木井実長と同じ道を辿りつつあるというのならば、身延離山のように、さっさと学会によって建立されたこの寺を出て行け」等と、本末転倒・支離滅裂なる論理を立ててくる輩がいる。
こういう方々には、ぜひお聞きしたい。それでは、創価学会が謗法であると自分達で認めたことになるが、いかがであろうかと。
実際、今まで真心から寺院発展のために御供養をし、また、当然、宗門外護のために使用されると信じて、一生懸命特別財務で納金してきた多くの信徒が、創価学会の誤りに気付き、既に脱会されているのである。創価学会は、その信徒達からも寺院を奪おうというのであろうか。
また、寺院建立のために特別財務で納金をしたのであるから、
「住職を追い出して寺院を創価学会で乗っ取るというなら、特別財務の納金を返して貰って創価学会を退会したい」といっている方もいる。学会では、その方が財務で納金した額の、全てを返還するというのであろうか。聞いてみたいものである。
ちなみに、御供養に対する精神を謳ったものの中から、一例を挙げておくこととする。それは、小説『人間革命』(池田大作著)第3巻に描かれている戸田2代会長の言葉である。
「当宗には、謗法の供養は受けず、という清浄そのものの鉄則さえある。御供養は、われわれ信徒の真心だけです。そのほかに何もない。
問題は、真心こめて御供養もうしあげる──ただそれだけではないか。それを、御僧侶がどうお使いになろうと、われわれ信徒には関係のないことだ。仮に、その僧侶が浄財を、とんでもないことに使ったとしても、われわれの関知するところではない。その方に、大聖人のお叱りあるは必定です。御供養はかくあるべきものと、私は思うのです」
学会員の諸賢は、このような戸田2代会長の御供養の精神を、よくよく学びなおすべきである。
○ 学会は寺院参詣者への妨害をやめよ
また、学会員の中には、寺院に参詣したいという気持ちを持つ人がかなり多くいる。しかし、毎日、幹部によって家庭を訪問されたり、尾行されたりするので、怖くて何もできないといった報告もある。このように、本当に弱い信徒からも、学会は寺院を取り上げようというのであろうか。もし、これが本当ならば、それはまさに心ある信徒から、寺院を取り上げている証拠である。これを、寺院・信徒の私物化といわずして、何というのであろう。
信徒諸賢には、日蓮大聖人の弟子である住職・主管を陥れ、追い出そうとする謀略の書類に対して、安易に署名押印することのないよう、よくよくお考えいただきたい。そして、どうか自身の成仏を懸けた信仰であるということを、つねに念頭において、日々の仏道修行に邁進していただきたいものである。
以 上
創価学会会長・秋谷栄之助氏の目指す宗教改革の欺瞞を破す
時局協議会文書作成班4班
はじめに
池田大作氏ただ一人の慢心に起因する創価学会の仏法改変問題は、既に仏法の核心部分にまで及んでいる。一般会員を宗門から隔離させようとする学会幹部のしたたかな策動も、今や全国的に目立つようになってきた。これら学会幹部を恣意的に操る首謀者は、いうまでもなく学会の実質的権力者たる池田氏その人である。この池田創価学会の習癖は、氏を走狗(そうく)のように取り巻く首脳幹部の言動を考察することによって、より明確に看取(かんしゅ)することができよう。
本宗の僧俗は、彼等が並べ立てている「民主主義」「平和」「文化」「教育」「時代に開かれた」などの美辞麗句の陰に、宗史の改鼠(かいざん)や虚偽・捏造(ねつぞう)、一般学会信徒を酷使して止まない幹部たちの、欺瞞(ぎまん)に満ちた権威主義による権力者然とした姿が存在することを深く了知し、長く宗史に止めるべきである。
以下、『大白蓮華』の巻頭言を元に、創価学会会長・秋谷栄之助氏の発言から、その破法の体質を暴きたい。特に、
そして、お互いに励まし合い、同志の温かい絆を強くしながら、いわば『宗教革命』ともいうべき民衆仏法の大展開を成し遂げたのであります。(『大白蓮華』91年2月号・巻頭言)
と、文は通例の学会自賛の後の言葉ではあるが、氏は池田学会が好んで使う「宗教革命」をここで標榜している。もしこれが、マルチン・ルターの「宗教改革」を擬(なぞら)えていうのであれば、大石寺法門破壊・在家仏教独立の意志があることの自白である。
現今における池田学会の言動は、明らかにこの『ルターの改革構想』を模倣しており、マスメディアを使って、一般会員や世間に対してこれを諷喩(ふうゆ)しているのである。ここでは、その類似性の考察とともに、その欺瞞に満ちた邪義を破折することとする。
1.池田学会の目的
資料1.宗教改革以前
キリスト教におけるカトリシズムは、中世ヨーロッパの封建制度の中において、強大な法義的構造・権力的秩序を構築していた。そこには、唯一、教皇権によって統括された聖職者身分の階層秩序・支配体制のみが法的規定を持つ正統な教義であり、信徒個人の信仰は、神の定めた教会の伝統的諸権威・強制への、内面的な絶対服従を意味し、これに反するあらゆる信仰的内容はすべて「異端」として、世俗の権力の協力のもとに、きびしく禁圧されていた。
池田学会がいう「前時代的」「封建主義的」「開かれた宗門」という語意は、ヨーロッパにおける「宗教改革」以前のカトリシズムを日蓮正宗の伝統の教義に当てはめていうことである。
特に、池田学会においては、当家の「師弟相対の法門」「手続の師匠」が邪魔でならない。創価仏法の本質は、「池田本仏論」による在家仏教教団の構築、もしくは宗門の乗っ取りにある。したがって、当家の「手続の法門」における、
〈御本仏日蓮大聖人→御法主上人猊下→末寺の住職→信徒〉
と正しい筋目・道筋を立てて、本仏の功徳・力用を手中にする教義を、何とか、
〈御本仏日蓮大聖人=池田大作→民衆〉
に置き換える必要がある。しかし、これを露骨に示せば、謗法であることが明らかとなり、一般信徒が正信に目覚めてしまう。そのため、本来、対比すべきでない外道の沿革を、今回の池田発言問題に巧みに絡めて利用し、本宗の「宗教改革」と擬えて諷喩し、徐々に下種の仏法破壊を行ない、会員の洗脳に用いているのである。
本宗においては、宗祖大聖人の身延・池上両相承書がある以上、唯授一人の血脈相承を破失することは全く不可能である。
もし、仏法の本質を見下して、その弟子檀那を指して外道の族(やから)に擬似せしめんという虚構をなすならば、三類の強敵以外の何物でもない。
しかし、氏は、下種仏法を破壊せんがために、宗門の仏法守護の姿勢を、「権威・権力の横暴」とすり替えておいて、中世ヨーロッパ宗教革命当時の外道、キリスト教プロテスタントの者を称賛してやまないのである。いわく、
今日、キリスト教が、世界宗教となりえたのは、現実の生活に閉鎖的な教義に対して生き生きとした人間性回復を目指したルネッサンスの運動があり、そして聖職者の腐敗を糺し、原点たる聖書に戻ろうとした宗教改革など、数え切れないほどの歴史的な試練を経てきたからに他ならないのであります。(『大白蓮華』91年4月号・巻頭言)
『本因妙抄』における「唯授一人の血脈」、『御本尊七箇之相承』の「代代の聖人悉く日蓮」、『化儀抄』の「我に信を取るべし」の御文について、氏がいずれも信解することができないのは、こういった外道礼讃・内外混濁のためである。
故に、氏は次のようにも主張するのである。
宗門は世界どころか狭い宗内に閉じこもり、世間の苦労も知らず、いたずらに難解な教義を説き、信徒を見下す権威主義に陥っている姿は、まことに気の毒という他はなく、その狭量さにはあきれるばかりであります。(『大白蓮華』91年7月号・巻頭言)
氏は、御法主上人に対し、「大聖人の最大深秘の法門を説くな」といっているのである。大石寺門流の弟子檀那として、誰がこれを肯定し得ようか。
2.唯授一人の血脈相承
現今の池田学会における、唯授一人の御相承に対する妄言・邪見を吐く姿は、まさに悪鬼入其身そのものである。ところが、こと血脈相承・御法主上人に対する理解は、実に稚拙である。すなわち、教義の深遠さに対して、実生活上の御利益を重視するあまり、御本尊への信仰と折伏弘教のみをもって信仰のすべてとし、伝統化儀を等閑視している。あるいは、知ってこれを改変しようとするのであろうか。
御法主上人に対する池田学会の理解は、
1.御本尊書写係
2.宗門という僧団・組織の首領
3.現今の天皇制の如き単なる象徴
4.警察や検事の如く謗法逸脱があった時の指摘糾弾係
5.裁判官の如く教義面や行政面で異義論争が起こった時
の判定官
などという、いずれも皮相的、一面的なものでしかない。
仏法とは、本仏の開悟せられた絶対的な甚深の一法を、いかに信受し、かつ久住並びに流布せしめていくかという点にある。そのため、まず本仏本法の法体が、この事相の差別世界において、常住不変でなければならない。この重大な責任を本然的に背負って、生きた人間が流通伝持していかなければならないのである。ここに、相伝の重要性があり、大聖人滅後の僧俗の責任と義務が存するのである。その根本が、唯授一人の法体血脈の相承である。
したがって、「民主の時代」であろうがなかろうが、「新思考」などといって、大聖人の正法の本質を改変せしめるような、新たな根本的な法の創造をしてはならない。また、「民主の時代」だからといって、唯授一人の血脈を、信徒を含めた大衆が共有するのだなどと考えてもならない。
仏の法をあやまたず流伝する必要性から、釈尊は滅後の化導においても、時と機とに従って、それぞれ流通の法が付嘱されている。そのため、付法蔵の24人が定められ、神力嘱累における本化・迹化の付嘱が明示され、生きた社会に流伝するための僧伽の位置付けがなされている。
相承とは、相伝承継の意であり、「相い承る」ことである。これは、法義を未来世に久住せしめ、広宣流布せしめることに目的がある。また、付嘱の語も「付法嘱託」の義で、法を付して後世へ嘱託する意味である。
故に、釈尊の法は摩訶迦葉・阿難に、天台大師は章安に、伝教大師は義真に、それぞれ直授相承せられ、他家においてもその次第を決して蔑(ないがし)ろにすることはない。
当然ながら、当家における付嘱の根源は、外用の辺に約せば多宝塔中における神力品の結要付嘱に存するが、内証本地の辺に約せば久遠元初の結要付嘱に存する。この久遠元初の結要付嘱は、本因妙の教主日蓮大聖人の法体の付嘱の意であるから、具体的に末法においては、『一期弘法付嘱書』に、
「血脈の次第 日蓮日興」(全集1600)
とあるように、宗祖大聖人より日興上人への法体血脈の相承にその根源が存する。以来、嫡々代々の御歴代上人を経て、御当代日顕上人に至る相承を唯授一人の血脈相承というのであり、中途の時期において、他家・俗人から発するものは、絶対に「血脈」とも「相承」ともいわないのである。
この唯授一人という方法を用いられる理由として、『報恩抄送文』には、
「親疎と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ御心得候へ」(全集330)
と、法門伝持において、特に根本の法義は器に非ざれば説くものではないと戒められている。ゆえに、三位日順師の『本門心底抄』には、
「願くば門徒の法器を撰して密に面授相伝すべし若し外人他見に及ばば還って誹謗の邪難を加へん、努(ゆ)め努め偏執の族に対して心底を披露すべからざるなり」(富要2-32)
とある。すなわち、法門の深義・内証の面授相伝は、法器を撰び、密かに行なわれるべきであり、門外人・他門・邪見・我慢偏執の徒輩に公開するならば、誹謗の邪難が加えられることが示されている。血脈法水の純粋性を守るためにも、僧団内の異義混乱を招かないためにも、唯授一人の手段にこそ令法久住の枢鍵があるのである。
日寛上人も、『当流行事抄』に、
「六老の次第は受戒の前後に由り、伝法の有無は智徳の浅深に依る」(聖典951)
と仰せられている。
日蓮大聖人がいかに付法伝授に留意あそばされ、血脈相承を重視せられていたかについて、
「当世の学者は血脈相承を習い失なう故に之を知らざるなり故に相構え相構えて秘す可く秘す可き法門なり」(『立正観抄』・全集530)
「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(『一代聖教大意』・全集398)
と仰せられ、相伝なくしては仏法の真意を心得ることはできないと御教示されている。
また、付嘱がなければ、たとえ仏法の真意を心得ていたとしても、法の真意を説くことは許されないのである。その規律の一端を『法華行者逢難事』に、
「竜樹・天親は共に千部の論師なり、但権大乗を申べて法
此に口
華経をば心に存して口に吐きたまわず 、天台伝教は
伝有り
之を宣べて本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字と之を残したもう、所詮一には仏・授与したまわざるが故に」(全集965)
この類文は随所に存するが、たとえこの法義の内容を知っていても、仏より付嘱(相承)がなければ、決してこれを説くことは許されない、というのが仏法の規律である。
総本山第56世日応上人の『弁惑観心抄』の御指南に、
「唯授一人嫡々血脈相承にも別付惣付の二箇あり、其の別付とは則ち法体相承にして、惣付とは法門相承なり、而して法体別付を受け玉ひたる師を真の唯授一人正嫡血脈付法の大導師と云ふべし」(同書211)
「吾大石寺は宗祖・開山より唯授一人法体別付の血脈を紹継するを以て五十有余代の今日に至るも、所信の法体確立して毫も異義を構へたる者一人もなし。而して別付の法体とは則ち吾山に秘蔵する本門戒壇の大御本尊是なり」(同書212)
「金口の記別は彼の書巻授与の如きの比にあらず、此の金口の血脈こそ宗祖の法魂を写し本尊の極意を伝るものなり。之を真の唯授一人と云ふ」(同書219)
と懇切に御教示されるように、代々唯授一人の相承とは、内証法体の相承であり、別付嘱とも称し奉るのである。これこそ、
「宗祖大聖人の御法魂」を写瓶あそばされ、「本尊の極意」を師伝せらるるところの当家の法門の究極であり、御法主上人以外に、全く知ることあたわざる唯仏与仏の奥義なのである。
この御法魂を肉団の胸中に伝持あそばされるがゆえに、宗内の僧俗は、恭敬合掌の礼をもって恭順拝信し奉るのである。故に、『百六箇抄』に、
「上首已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡嫡付法の上人を以て総貫首と仰ぐ可き者なり」(全集869)
また、『御本尊七箇之相承』にも
「代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(聖典379)
と仰せられているのである。
当宗の信仰においては、御法魂を伝持あそばされる御法主上人の御指南に信伏随順し奉り、三秘総在の大御本尊を拝し奉ることこそ成仏の要諦なのである。ここを以て『身延山付嘱書』には、
「背く在家出家どもの輩は非法の衆たるべきなり」(全集1600)
と御制戒あそばされ、第2祖日興上人も、『佐渡国法華講衆御返事』に、
「なをなをこのほうもんは、しでしをたゞしてほとけになり候。しでしだにもちがい候へば、おなじほくゑをたもちまいらせて候へども、むげんぢごくにおち候也」(歴全1-183)
あるいは、また『日興遺誡置文』には、
「衆議為りと雖も仏法に相違有らば貫首之を摧く可き事」(全集1618)
と御指南されている。
総本山第65世日淳上人は、『弁惑観心抄』の序文に、
「由来日蓮大聖人の門流に於ては聖祖は二祖日興上人の血脈相承し玉ひて大導師たるべしと御遺命あり三祖日目上人その跡を承継し玉ひて相承の次第炳乎として明かに今日に至つてをる。よつて此の相承を大宗として各々師弟の関係をしうすれば自ら正統の信行に住することができるのである。然るに中間に於て我慢の徒輩は此れを省みず人情に固執して逸脱をしその結果己義を構へ邪義に堕したのである」
と明快に御教示あそばされている。
すなわち、いかに法華経を持ち、当家の御本尊を受持しても、法体血脈相承を伝持あそばされる御法主上人に対し奉る師弟相対の道を正さないかぎり、成仏はありえない。まさに無間地獄なりとの、厳格にして甚深の御教示である。本宗僧俗の一切は、この師弟の筋目を正すとき、はじめて信心の法水が流れ通うのである。すなわち、当宗においては智解をもって成仏するのではなく、御法主上人に信伏し奉る師弟相対の化儀の上に立脚した信の一字をもって成仏が叶うのである。
『御義口伝』に、
「成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり、此の無作の三身をば一字を以て得たり所謂信の一字なり」(全集753)
とあり、また日有上人の『化儀抄』にも、
「信と云ひ、血脈と云ひ、法水と云ふ事は同じ事なり信が動ぜざれば其の筋目違ふべからざるなり、違はずんば血脈法水は違ふべからず」(富要1-64)
と御教示である。すなわち、信の一念をもって法体血脈に対する師弟の筋目を正すとき、はじめて末法凡下の我等の生命にも、信心の血脈が通い、法水も流れるのである。その血脈法水を事行の上に御所持あそばされるお方は、いうまでもなく宗祖日蓮大聖人より嫡々付法相承なされた御当代の御法主上人であらせられる。その法体血脈(再往跨節の血脈)に対する信心によって、我々僧俗に流れる血脈は、一往当分の信心の血脈と解しておくべきである。
ところが氏は、これを全く信解できていないのである。いい分の中には、
「民主の時代」にあっては、一人一人が、本当に自由に語り合い、平等に接し、人間として尊敬し合わなくてはならないし、いわんや信仰の世界には何ら差別があってはならないと思うのであります。
大聖人は「今日蓮が弟子檀那又又かくのごとし(中略)若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり」(13
04ページ)と仰せであります。(『大白蓮華』91年2月号・巻頭言)
と、常にこのように平気で御書の偏読をして、平等面だけを主張するのである。
氏が引いた『阿仏房御書』は、見宝塔品の多宝塔涌現について、阿仏房の質疑に答えられたものである。また、時期的にいえば、順徳天皇の御陵を護り、日夜朝暮に念仏三昧を行ずること30年に及ぶ阿仏房夫妻が、捨邪帰正し、大聖人に奉侍して間もない文永9年3月13日のもので、大聖人が『開目抄』を著わされた翌月に当たる。すなわち、一切衆生の盲目を開かれるべく、御自身が本地久遠元初の自受用身にましますことを明かされた直後に当たっているのである。
大聖人は、氏が引くところのすぐ上の文において、『法華文句』の証前起後「二重の宝塔」にことを寄せられ、信心未熟の機根に照らし、種脱の決判をされないまま、氏が「(中略)」として読み飛ばした、
「末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり」(全集1304)
と法華経の諸経中王の実義と、諸法実相・十如同体の説法による十界皆成の妙理の開顕を特筆して御教示せられ、もって阿仏房自身の信行倍増を促されんとされた御文なのである。
氏は、この御文をもって「我れ得たり」と思ったのであろうが、深意を拝そうともせず、御本仏の大慈大悲の御教示を利用せんとしたことによる、まことに短絡的な解釈である。
また氏の考えは、正信会の徒輩の考え方そのものでもある。
すなわち、前述の『化儀抄』の一文と、
「仏の行体をなす人は師範たりとも礼儀を致すべし、本寺住持の前に於ては我が取り立ての弟子たりとも等輩の様に申し振舞ふなり、信は公物なるが故なり云云」(富要1-70)
の中の「信は公物」の一文を結び付け、しかも総付嘱の上にいわれた「血脈・法水」を、法体別付の唯授一人相承のものと曲解して、「法主の血脈法水も信と同様に公物だ」と主張し、あたかも御法主上人を一般僧侶と同格同等のように喧伝する短見者と同類と見ることができる。
このような切り文をあちこちに貼り付けて、勝手な解釈を個々まちまちにわめきたてるならば、大聖人御建立の法門の綱格は一瞬にして倒壊してしまう。すなわち、これは邪宗他門の異流義である。
日淳上人は、
「仏法に於て相承の義が重要視されるのは、仏法が惑乱されることを恐れるからであつて、即ち魔族が仏法を破るからである。そのため展転相承を厳にして、それを確実に証明し給ふのである。」(淳全1324)
秋谷氏よ。伏して思慮せよ。「魔族」とは貴殿等のことである。
さらに、日淳上人は、
「日蓮正宗では大聖人の教の奥底を日興上人が承継遊ばされ歴代の上人が順次相伝遊ばされて参つたのであります。一器の水を一器に移すのと同じに相ひ伝へて今に至つてをるわけであります。」(淳全1256)
と御指南なされている。
秋谷氏よ。池田氏はその器ではない。血脈相承もなく、法水の滴(しずく)も受けていないのである。
また『日蓮正宗要義』には、
「大聖人が観心本尊抄に
『前代未聞の故に耳目を驚動し心意を迷惑す。請ふ重
ねて之を説け、委細に之を聞かん』(新定二-九六八)
と重々の請誡を構えられて説き出されたところは五重三
段であり、その究竟目的は文底三段にあった。この文底三
段の正宗と流通の解釈が難解難入であり、諸師百家蘭菊を
競うもほとんど肯綮に当たっていない。『前代未聞』とは
釈尊一代の施化を一括してこれを判釈した天台伝教の未弘
の法を意味する。『心意迷惑』とはこの天台の法門即ち釈
尊の一代化導に眼を奪われる故に、末法出現の大法を聞い
ても心に迷いを生じて、正解に到達できない者が多いこと
を指すのである。その証拠に文書保存の目的をもって本尊
抄を賜った富木常忍自身、大聖人の真意に迷い種々の質問
をなしており、果して終身の時の了解のいかがであったか
も疑わしい。この理由として
一、大聖人の仏法が五段の相対を経て、従浅至深し、漸く
その幽微を拝するに足る深固幽遠無人能到の法義である
こと。
二、大聖人随自意の施化においては本地の幽微下種本因妙
を明確に立てられるも、未だ一宗弘通の初めであるから
一般への賜書においては、その対告の人にしたがって表
現に猶予進退があられたこと。
三、弟子檀那にもそれぞれ機に堪と不堪とあり、もし五段
の相対による本懐の宗旨のすべてを示せば、生疑不信の
恐れあるためあえて体信の弟子の外は肝心をのべられな
かったこと、これは報恩抄送文の
『親疎と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事
にて候ぞ。御心得候へ』(新定二-一五四五)
の文に明らかに拝されよう。更には三大秘法抄において、
この法門を書いて留めなかったならば、おそらく法門未
熟の遺弟らが誤った讒言を加えるであろうことを配慮さ
れていることからも、令法久住に対して弟子の法門領解
の程度に信頼をおけないものがあったことが看取される。
四、このように弟子の領解も高低様々であって、達者少な
き道理、もし抛置する時は末代に向って大聖人本懐の根
本義を失う恐れあること。
以上の事情により、大聖人が末法万年のためこの正法深
義を後世に誤りなく伝えしめようとお考えになる場合、よ
く大聖人と一体の境地に至って疑いなくその法義を信解す
る弟子を撰び、令法久住のため法門法体の一切を付嘱され
ることはけだし当然である。」
と明確に御教示のように、我等末代の凡夫は、大聖人御内証の法水を伝持あそばされる、時の御法主上人の弟子檀那として、御指南に随順し奉る信念をもって、本門戒壇の大御本尊を拝し奉るとき、はじめて宗祖大聖人の御内証、すなわち元初の一念が我が身心に流れ伝わるのである。ここに即身成仏の境界が開かれるのである。
氏よ、この唯授一人の血脈相承の法門を信解したまえ。
氏は、この宗祖日蓮大聖人究竟の法体を根本本源とする、御開山日興上人、日目上人の流れを汲んだ第9世日有上人の『化儀抄』、第26世日寛上人の『六巻抄』等々の、全ての御歴代御相伝書を破壊霧散したいのであろう。その上で、「民主化」「開かれた宗門」という謳(うた)い文句によって、常住不変たる大聖人の法門を、自分達の都合の良いように、いつでも改変できるようにしたいのであろう。しかし、日蓮正宗の僧侶及び法華講衆は、この根本の法体を破失して、大石寺法門が存続するなどと思っている者はいないのである。
3.キリスト教の「宗教改革」の模倣
資料2.宗教改革の前夜
ヨーロッパ中世末期よりルネッサンスに至る過程において、十字軍の失敗等により、封建貴族・教職は没落し、ローマ教皇権の衰退史となる。一方、十字軍で巨利を占めた市民階級が興起し、それまであまり強くなかった国王が、下層市民階級と結んで、封建貴族・教職を抑え、中央集権的勢力の強大化をはかり、腐敗堕落の底にあった教皇庁の無力化を画策した。その間、仏王フィリップ4世(1294~1303)による教皇のバビロニア捕囚(またはアビニョン捕囚1309~77)が起こり、教皇の権威は失墜、道徳は頽廃し、各地で分裂と闘争が支配した。このような教会の腐敗に対し、ウィリク(1320~84)やフス(1369~1415)のような改革家があらわれて、聖書の教会に帰るように説いた。
既に時局協議会から出された文書により、破折がなされている中野毅氏の「檀家制度の形成とその影響」、あるいは堅樹院日好の異流義を正当化する高岡輝信氏の理論、「神札問題」などにみられる宗門汚濁論の展開の理由とその必要性はここにもある。
池田学会にとって、「宗教改革」を興起せしめるためには、その「改革の証」として、宗内僧侶の汚損が絶対に必要であった。そのためには、末法における本宗僧侶の本質の改変を目指すことになる。すなわち「小乗戒律の宣揚」、および「宗史の改鼠」である。
もし、本宗僧侶が、その意味で腐敗・堕落していたのならば、金欲しさに学会幹部に媚(こ)び諂(へつら)い、教義を改変し、三大秘法を破失していたであろう。しかし、本宗僧侶はそうではない。
日蓮正宗における僧侶存在の意義は、師弟相対の法門化儀を固く持ち、不変不滅の正法を厳護するところに存する。しかも、この僧は、『盂蘭盆御書』における、
「此僧は無戒なり無智なり二百五十戒一戒も持つことなし三千の威儀一も持たず、智慧は牛馬にるいし威儀は猿猴ににて候へども、あをぐところは釈迦仏・信ずる法は法華経なり(中略)父母・祖父・祖母・乃至七代の末までも・とぶらうべき僧」(全集1430)
である。ここにおいて、無戒と破戒とを混同してはならない。宗祖大聖人が、本来本有の名字凡夫位に居して、法華本門の本因妙を弘宣されたように、末法は「教弥実位弥下」であることを案ずべきである。
しかるに、池田学会は、本宗僧侶を爾前権教の人師に類し、あたかも迦葉・阿難等の羅漢の極位に居することが正道であるかのように宣揚している。しかも、それをもって、いかにも宗内僧侶が戒律を破り、権威や権力をもって横暴を極めているように喧伝しているのである。いわく、
残念なことに、宗門は大聖人の仏法を奉じているとはいえ、権威で民衆を見下し、屈服させるような姿であります。これは、大聖人の御精神に背く偽善であり、また人々に迷惑をかけるような数々の社会性に反する行動、非常識な言動は、およそ仏法者の精神に反するものと断じられても止むを得ない状況であります。(『大白蓮華』91年6月号・巻頭言)
残念なことに、宗門はあいも変わらず、権威をかさにきて、正論には耳を傾けず、社会的にみても全く不条理としか思えない独善的な振る舞いを続けており、その姿は常に信徒を思いやられた大聖人のお心に反するものであると断言しておきたい。(『大白蓮華』91年8月号・巻頭言)
と。そして、その責任を過去へ追いやるためと、自らの大義名分のために、池田学会としては、ウィリクやフスのような教権と俗権の分離や教会統治体制の変革、神の掟としての聖書を中心に据え、それに根拠をもたない教会の慣行・教義を批判したとするような改革家がいたことを、捏造してまでも宗門の歴史に存在させる必要があった。
周知のように、平成3年5月15日付『創価新報』に掲載された、驚くべき我意・我見の主張、堅樹院日好の異流義を正当化する創価学会副学生部長高岡輝信氏の妄見がこれである。
これは、「単なる史実の誤認」などという単純な問題ではない。そこには、巧妙にして悪辣なる陰謀が隠されている。
すなわち、本門戒壇の大御本尊を否定した、大謗法の堅樹院日好をわざわざ正当化した理由は、池田氏が主張する御書直結論「経巻相承」や、大聖人・大御本尊直結論「本宗血脈否定論」という邪義を正当化するためである。同時に、いかにも「宗門とは、歴史上宗門内に発生した改革派をことごとに弾圧し、狭量で権威・権力主義は今に始まったことではない」と吹聴して、「これを是正せんとする学会にこそ正義がある」という大義名分を作り上げることが目的だったのである。
池田学会とは、己の邪義・邪見を正当化するためなら、日蓮正宗の宗史をも捏造・改鼠(かいざん)するという、大謗法集団である。
この大謗法の故に、宗門から出された歴史の真実を表わす教導書に、いまだ反論もできないでいる。
今後、氏は、識者と言わず、大学教授といわず、キリスト教プロテスタントの人々に御書の解釈をしてもらい、彼等から血脈を受けたとでもいい出しかねないことを、宗門としては危惧するものである。
資料3.ルターの改革構想
マルティン・ルター(1483~1546)がヴィッテンベルク大学助教授の頃、彼は「ただ恵みにより、信仰により、キリストの故に、人は神の前に義とされる」という宗教改革の根本原理「塔の体験」(1514? 13~19)を体得し、革命への内的用意がなされる。
そして1517年、ルターがヴィッテンベルク城教会の門扉に95箇条の論題を公示し、敢然とローマ教会の贖宥券(免罪符)の販売に反対を表明したことにより、宗教改革は始まった。教皇レオ10世はルターに破門威嚇状を送り、彼は大衆の面前でこれを焼く。新帝カール5世もヴォルムス国会にルターを召喚し、国法でその処罰を決定した。これに対し、ルターは当時急速に発展しつつあった印刷技術を存分に活用し、宗教改革の3大論文その他を矢継ぎばやに発表したのである。
その改革論のうち『ドイツ国民のキリスト教貴族に与う』は、ルターが初めてドイツ国民としての国民意識に立って、ローマ教皇勢力によるあくどい財政的収奪や、そのほか国民生活を圧迫して正しい信仰を損なう悪弊を列挙し、教会当局者が無能を暴露して、貴族に教会生活全般の改革を助けるよう呼び掛けた。そこには一般に特権的な身分としての聖職者の否定、いわゆる「万人祭司主義」(allgemeines Priestertum)の理念が、聖書に基づいて展開されている。
またルターの「信仰義認論」によるところの「自由」とは、『キリスト者の自由』によれば、律法の前で露呈される罪からの開放、キリストの福音への進行のみによって神の前に義とされた、キリスト者の霊的・内的な自由のことであり、肉体的・外的存在としては、自由な魂の慶びにあふれて、隣人への奉仕に身をささげる神の僕と説いている。
さて、件(くだん)の「塔の体験」を、池田学会流に置き換えれば、「ただご利益により、信心により、大聖人の故に、人は御本尊の前に義とされる」ということになるのであろう。氏の、
だれもが等しく「仏に成る」ことができることから、徹底した平等主義、民主主義の思想に貫かれており、そこには宗教的特権を持つ人間が、権威をふるう余地などはありえない。(『大白蓮華』91年8月号・巻頭言)
との言動からも明らかである。
『ヴィッテンベルク城教会の門扉の95箇条の論題』とは、あの虚偽・捏造をもととする、傲慢不遜な9項目の『お伺い』文書に始まる。
また、『贖宥符(しょくゆうふ)』を塔婆供養に当てたことはいうまでもない。
『教皇レオ10世の破門威嚇状』とは、総講頭資格喪失。
『カール5世の国法でその処罰』は、世情を賑(にぎ)わす「絵画不正取引疑惑」等であろう。国法を犯しながら、これを「法難だ、法難だ」といいまくるのは、このためであろう。
そして、当時の印刷技術の応用は、そのまま現代の情報化社会を巧みに操った全国衛生放送、『聖教新聞』『創価新報』その他の謀略情報などであり、信徒の洗脳を図ることである。
そして、『ドイツ国民のキリスト教貴族に与う』の「万人祭司主義」こそは、氏のいう、
また檀家制度を墨守し、あたかも寺院、僧侶中心の儀式こそ、宗教の要であるかのような考え方も、決して大聖人の御精神にかなうものではないと断言しておきたい。これらは、まさに封建時代の残滓であり、今こそ、それを打ち破り、世界宗教にふさわしい宗風を確立する時であります。(『大白蓮華』・91年5月号・巻頭言)
であろう。上記に関して、いずれも既に宗門より破折がなされているので、ここでは言及しない。ただ、氏の発言を考察すると、今回の問題における池田学会の謀略は、ルターの「宗教改革」に擬えたものであることは明白である。本年(平成3年・1991年)1月10日、池田氏自身が、「俺はマルチンルターになる」「日本で宗教革命の歴史はなかった。今これをやるのだ」等の発言をしたといわれているが、これらの発言は、上記の考察よりみて、事実である可能性が濃厚である。
4.52年路線の踏襲
以上のことから、池田学会は10年前の問題に関しても、全く無慚無愧であったとしかいいようがない。その証拠に、当時発覚した『北条文書』『山崎・八尋文書』そのままの言行が、現在もなされているではないか。いわく、
『北条文書』 昭和49年6月18日付
「 報告者 北条 浩
4、情況判断
猊下の心理は、一時的なものではない。今こんな発言を
したら、宗門がメチャメチャになってしまうことも考えな
いのではないか、困るのは学会だと思っているのだろう。
宗門は完全な派閥で、猊下と総監とは主導権争いになって
いるのではないか。
長期的に見れば、うまくわかれる以外にないと思う。本
質は、カソリックとプロテスタントのような違いである。
戦術的には、すぐ決裂状態となることは避けて、早瀬理
事とのパイプ(山崎・八尋が話し易い関係にあります)を
太くするとか、当面猊下の異常心理をしづめ、新しい進路
を開きたいと考えます。
但し、やる時がきたら、徹底的に戦いたいと思います。
以上、甚だ要をえないご報告で恐縮ですが、口頭で申上
る機を賜わらばその時にご報告申上たいと存じます。」
『山崎・八尋文書』 昭和49年4月12日
「 報告者 山崎・八尋
今後の私達の作業の進め方について。
本山の問題については、ほぼ全容をつかみましたが、今
後どのように処理して行くかについて二とおり考えられま
す。一つは、本山とはいずれ関係を清算せざるを得ないか
ら、学会に火の粉がふりかからない範囲で、つまり、向こ
う三年間の安全確保をはかり、その間、学会との関係では
いつでも清算できるようにしておくという方法であり、い
ま一つは、長期にわたる本山管理の仕掛けを今やっておい
て背後を固めるという方法です。
本山管理に介入することは、火中の栗をひろう結果にな
りかねない危険が多分にあります。
しかし、私の考えでは本山、正宗は、党や大学、あるい
は民音以上に学会にとっては存在価値のある外郭だと思わ
れ、これを安定的に引きつけておくことは、広布戦略の上
で欠かせない要素ではないかと思われます。こうした観点
から、後者の路線ですすむしかないように思われます。そ
のための布石としては、
①本山事務機構(法人事務、経理事務の実質的支配)
②財政面の支配(学会依存度を高める)
③渉外面の支配
④信者に対する統率権の支配(宗制・宗規における法華
講総講頭の権限の確立、海外布教権の確立等)
⑤墓地、典礼の執行権の移譲
⑥総代による末寺支配
が必要です。これらのことは機会をとらえながら、さりげ
なく行うことが必要であり今回のことは、①、②、③、を確
立し更に④まで確立できるチャンスではあります。
いずれにせよ、先生の高度の判断によって決せられるべき
と思いますので、ご裁断をあおぐ次第です。」
要するに、現況から判断する限り、52年路線から一歩も脱していない。10年前の懴悔は真っ赤な嘘だったのである。
よって、秋谷氏のいう「宗教革命」の本意には、池田学会の宗門からの独立路線、在家仏教教団の確立、もしくは宗門の乗っ取りの意志があることは明白なのである。
む す び
今現在、日蓮正宗と池田学会との問題は、学会幹部の祭司化(聖職者化)、という化儀破壊の実践によって、もはや後戻りできないところまで来てしまっている。
当然ながら、日蓮正宗は、創価学会の邪義による化儀の破壊行為を、永久に認めるところではない。しかし、池田学会は、今更「学会葬は間違いであった」と、自らの邪法行為を認めるわけにもいかなくなっている。
なぜなら、故人を地獄へと引き堕とす大謗法行為と知りながら、組織を挙げて学会葬を強要したことは、そのまま遺族や会員を騙(だま)したことであり、死者に対するこの上ない愚弄侮蔑だからである。すなわち、この問題により、全国的に、既に学会葬を執行させられてしまった遺族から、慰謝料請求訴訟が起こされる可能性があり、学会とて、これに抗しきれるものではないからである。よって、池田学会は、何が何でもこの破法を正当化せざるを得なくなったのである。
これは、まさに池田大作氏並びに秋谷栄之助氏以下学会首脳幹部の行なってきた、種々の悪業の因縁のしからしむるところである。
この期に及んで、いまだ秋谷氏のように、血脈の正師を忘れ、ただ池田邪師に盲従して、親の成仏よりも、また子の成仏よりも、己の幹部としての地位・名声・物質的欲望の充足を願い望む者がいたならば、その者は池田邪教に諂曲(てんごく)した不知恩・大謗法の輩と断ぜられなければならない。
早く邪法を棄損(きえん)し、信仰の寸心を改めて、速やかに正法正師の正義に信順すべきである。
以 上
創価学会の日精上人に対する疑難を破す
時局協議会文書作成班1班
は じ め に
創価学会では、和泉覚氏ら古参幹部の名をもって、宗内各尊能化に対し、虚偽捏造をもととした抗議書面を、2度にわたって提出してきた。その2度目の抗議書面において、日精上人の「造仏問題」を取り上げて、唯授一人血脈付法の御法主上人にも、宗義上の誤りがあると疑難してきたのである。学会では、言葉にこそ出していないが、これを血脈否定の論拠としようとしていることは、その文脈からいって明白である。
1.学会独立路線の具体化
イ.学会の血脈否定論は独立路線の条件
昨年(平成2年・1990年)末以来の対応を見る限り、学会が、宗門と袂を分かち、独立せんと策謀していることは明らかであろう。また、独立する以上、戒壇の大御本尊と唯授一人血脈相承の御法主上人との本宗の命脈は、どうしても否定しなければならないのである。
既に総本山への登山参詣の妨害を行なっているから、近い将来、必ず誑惑の論をもって、戒壇の大御本尊そのものを否定してくると予想される。
また、御法主上人の血脈に対する否定は、池田大作氏のスピーチや、本年初頭以来の各抗議書等において、間接的にではあるが行なわれている。それらは、御法主上人の御指南の中に、「消極的反抗を容認する」旨の部分を含んだ御指南を悪用しているのである。ところが、それらが、一連の御指南の中の前後の部分を、故意に省略することによって、異なった意味にすり替える「切り文」という偽証方法でなされていることは、時局協議会文書作成班1班の「外護について」で破折したとおりである。
しかし、各尊能化に対する文書の論旨は、それらよりさらに悪質なものであり、見る者をして、創価学会も堕ちるところまで堕ちたか、との感を懐かしめる。しかし、それはまた、これまで池田氏はじめ学会幹部が行なってきた血脈への批判に対し、自信ありげに装いながらも、実のところ、全学会員を洗脳するには不充分であったことに、危惧と焦燥感を懐いた上でのあがきともいえる、最後の手段なのである。
現在、創価学会の行なっていることに、どのような粉飾を施そうとも、これら当家の命脈の否定を始めたことは、実質、日蓮正宗からの離脱であり、退転である。したがって、今後、学会の邪宗化は、さらに加速すると思われる。
ロ.池田氏のかつての言動と現在の姿
無信心、不誠実な人にとって、口というものはまことに便利なもので、何とでも言えるものである。さて、次の言葉は、誰の発言であろう。
「御法主上人猊下に随順しない人は、どのような理由があるにしても、もはや正宗の僧俗ではない。これほど根本的な誤りはないからである。」
(昭和56年11月24日の発言)
と、また、
「いま、日蓮正宗御宗門においても、仏法の師であられる御法主上人猊下に師敵対する僧俗が出たことは、まことに悲しむべきことである。これは恐ろしき謗法であり、真の日蓮正宗の仏法を信解していない証左なのである。血脈付法の御法主上人を離れて、正宗の仏法はありえないのである。」
(昭和57年7月30日の発言)
等の発言である。驚くなかれ、これらは、池田大作氏の過去の発言である。
ところが、池田氏は、これらとは正反対に、御歴代上人の血脈を疑難する内容の文書を、牧口門下生とはいえ、「弟子」と称する者に提出させたのである。どうやら、池田氏には、「自分の発言に責任を持つ」意思はないようである。このような人を、偉大な指導者として尊敬することは、仏法上、また世法上からも大いなる誤りであり、従うも者全員が、不幸の末路を辿ることは自明の理である。
2.日精上人への造仏疑難の誤り
イ.和泉氏等の傲慢な質問
さて、和泉氏等牧口門下生による、各尊能化への書面には、
「総本山第十七世日精上人は、日興上人が厳に戒めた釈迦仏の造立という大謗法を犯しています。(中略)先生方の言われるように、日精上人が『戒壇の大御本尊と不二の尊体にまします」ならば、何故、釈迦仏の造立という大謗法を犯した上に、それを正当化する『随宜論』を著したのでしょうか。また、この書も『大聖人の仏智による御指南』であり、たとえ宗義違背の謗法の指南でも『信伏随従』しなければならないとお考えなのでしょうか。」
と、日精上人を大謗法と罵り、これを法主血脈否定の論拠としているのである。まさに不知恩の極みと言わねばならない。
しかし、また、この問題に対して、一抹の疑念を抱いている者もいるかもしれない。そのわずかの疑念が、決定信を形成する大きな障害となり、即身成仏の道を塞ぐのである。したがって、そのような者は、ひたすら下種三宝尊の冥助を願って、その疑念迷妄を打ち破らなければならない。
ロ・日精上人の化儀(現証)と疑難の根拠
現在の御影堂の板御本尊(大聖人御図顕)と六壷の板御本尊(日興上人御書写)は、日精上人の造立である。周知のように、御影堂の御本尊の前には宗祖大聖人の御影が安置せられており、大客殿の宗祖大聖人、2祖日興上人の御影も、ほかならぬ日精上人の造立である。
これらの事例に明らかなように、日精上人の本意は、宗祖本仏であり、大漫荼羅正意である。特に、大客殿にみられる別体三宝式は、当家の三宝の明確な表明化儀である。しかも、宗祖大聖人は寿量品を、日興上人は『観心本尊抄』を、それぞれ手にされていることからも、当家本来の信条と、寸分も違うことなく合致していることが判る。これは、日精上人が、五重三段等の当家の教判に精通されていたことの、揺るがぬ証拠である。
それに対して、要法寺における造仏義は、種脱の迷乱によって、文上・文底の相対に暗く、寿量品の釈尊に2種あることを弁えないところから生ずる謬義である。したがって、一度、種脱の弁別を知りえた者ならば、このような誤謬を犯すことは、絶対にありえない。
すなわち、寿量品の「我実成仏已来」の「我」を、五百塵点劫成道の色相荘厳の釈尊と読めば、文上本果脱益の釈尊であり、久遠元初の名字凡夫の釈尊、即宗祖日蓮大聖人と拝せば、文底本因下種の釈尊である。御影堂や大客殿のこうした奉安形式は、まさに宗祖日蓮大聖人を、本仏、下種の釈尊と信解されている証左である。
確かに、御登座以前の日精上人は造読(造仏読誦)家であられたから、その頃は種脱相対に曖昧であられたかもしれない。しかし、血脈相承を受けられて以降、日精上人御自身、種脱相対どころか、
「当家甚深の相承の事。全く余仁の一言半句も申し聞く事之れ無く、唯貫首一人の外は知る能わざるなり(中略)又本尊相伝、唯授一人の相承なるが故に、代々一人の外、書写すること之れ無し」(歴全2-314)
と、宗祖の深秘義を存知せられたことを仰せである以上、再び色相荘厳の釈尊の造仏に帰ることはありえない。それを、そのように考えるのは、種脱相対さえ知らない全くの素人の教学であり、本当の「信心50年」の者の論ではない。つまり、彼の文章が、本当に和泉・辻氏等の筆になるものかすら疑わしいのである。
後に詳述するが、日精上人に対する疑難は、常在寺に仏像があって、日精上人の滅後、日俊上人によって撤去されたとする、要法寺寿円日仁の説を、鵜呑みにすることによるのである。
しかし、常在寺の日精上人の後住は日永上人であり、そこには若き日寛上人もおられた。さらに、そこには、金沢関係の信徒も、多く出入りしていたのである。もし、常在寺に、本尊として仏像があったならば、これらの方々に必ず影響が生ずるはずであるが、いずれの方面からも、造仏の匂いなど、微塵も感じられない。つまり、寿円日仁の説こそ、批判的な目をもって検討されるべきなのである。
日亨上人の『富士宗学要集』は、内外に及ぶ膨大な史料の保存を目的とされたものである。したがって、「石要の関係」も、造読思想のあった要山との通用という、宗史の上の特殊な時代の史料を、原型のままで紹介し、保存しようとの配慮に基づくものであることを看過してはならない。
ハ.「造仏問題」の問題点
日精上人は、京・要法寺の御出身であられる。要法寺には、大漫荼羅正意論者と造読家が混在しており、特に当時は、広蔵院日辰の影響により造読思想が強い時代であった。これは、後に大石寺の日寛上人により、逆に要法寺本末に不造不読の影響を与えるのであるが、ともかく日精上人の時代には、まだ造読の思想が強かったのである。
当時の江戸における大石寺の教勢は、まだ微々たるものであった。大石寺と要法寺との通用は、こうした状況の中で成立していたのである。しかし、日亨上人も、
「要山より晋める山主は始め日昌日就日盈の時は著しく京風を発揮せざりし」(富要9-69)
と述べられるように、日昌上人・日就上人・日盈上人が「著しく京風を発揮」せられなかったのは、もともと要法寺の中におられた時から、大漫荼羅正意、もしくは理解者であられたからであろう。
日精上人の江戸における有縁の檀信徒は、初期の頃は敬台院を中心とする要法寺関係者であり、造仏読誦の化儀に基づく信仰者が、大半を占めていたと想像される。日精上人の展開された御化導の前半は、造読であられた。そのために、大石寺の血脈を嗣ぎ、宗祖の正意に至った後、日精上人は、敬台院等を教導し、仏像の執着を取り除き、また仏像を撤去されるのに大変苦労せられたのである。
日亨上人の、
「殊に日精の如きは私権の利用せらるる限りの末寺に仏像を造立して富士の旧儀を破壊せるが、日俊已来此を撤廃して粛清に努めたるのみならず日寛の出世に依りて富士の宗義は一層の鮮明を加へたる」(富要9-59)
あるいは、
「日精に至りては江戸に地盤を居へて末寺を増設し教勢を拡張するに乗じて遂に造仏読誦を始め全く当時の要山流たらしめたり但し本山には其弊を及ぼさざりしは衷心の真情か周囲の制裁か、其れも四十年ならずして同き出身の日俊日啓の頃には次第に造仏を撤廃し富士の古風を発揚せるより却つて元禄の事件を惹起するに至りしなり」(富要9-69)
との論評は、歯に衣を着せぬ直截なもので、大変厳しいものである。しかし、それが、日精上人の御登座以前の化儀を指すことは一目瞭然である。つまり、日精上人は、御登座以前の造読時代にも、非常に力を持っておられたが、大石寺へはその弊風を及ぼすことはなかったとの意味である。
「其れも四十年ならずして同き出身の日俊日啓の頃には次第に造仏を撤廃し」とは、一往として寿円日仁の説等により、日精上人に造読のお考えがなくなった後、化儀の変更を檀信徒に納得させ、仏像を撤去するのに、相当の時間がかかったと記述されたものと拝される。また、寿円日仁の説を参考史料として挙げられたのは、その内容の吟味検討は、我々後輩に託された課題と拝すべきであるから、我々末弟は、日精上人・日亨上人の御真意を正しく拝考しなければならない。
ニ.寿円日仁の『百六対見記』の記述は不確かな伝聞
日亨上人は、『富士宗学要集』第9巻・史料類聚の第5章「石要の関係」の中で、史料として日精上人の造読に触れられている。日精上人著『随宜論』は、その正史料であり、参考史料として、要法寺の造読家の寿円日仁の『百六対見記』の文章を挙げられているのである。
特に、『百六対見記』には、常在寺・常泉寺の日精上人が造立された仏像を撤廃されたのは、日俊上人であると記述している。この記述を信頼し、それと『随宜論』とを短絡的に合わせて考えると、「日精上人には、晩年まで造仏の思想があられた」との錯覚を生ずるのである。しかし、前述のように、日精上人に造読の思想がなくなっても、撤去には時間がかかった可能性があるのであるから、血脈を拝信する本宗僧俗の立場としては、このことについて邪推すべきではないのである。そのような邪推は、『随宜論』そのものの真意をも見誤る原因となり、御登座以後の日精上人にも、造仏の考えがあったとする暴論につながるのである。
しかし、『百六対見記』の記述は不自然である。このことを考えるに当たり、事件の前後関係をはっきりさせるため、関連記事を抜粋し、年表にすれば次のようになる。
元和9年(1623) 敬台院 法詔寺を建立
寛永元年(1624) 随宜論を考える
寛永9年(1632) 1月 日就 江戸法詔寺において法を日精
に付す
★寛永10年(1633) 日精 随宜論を清書す
寛永15年(1638) 日精 江戸下谷常在寺を再建す
正保2年(1645) 10月27日 日精 法を日舜に付す
同 敬台院日詔 江戸法詔寺を阿波徳島に移
し敬台寺を創す
寛文6年(1666) 敬台院日詔 卒
延宝8年(1680) 日忍 法を日俊に付す
天和2年(1682) 日俊 法を日啓に付す
天和3年(1683) 夏 日精 江戸常在寺を日永に付す
同 11月5日 日精 寂
同 12月下旬 日寛 江戸下谷常在寺日永の室
に入る 19歳
(要法寺からの御法主上人は23世の日啓上人までで、
24世の日永上人からは富士の方である)
常在寺の再興は、日精上人の御登座以後であり、常在寺に日精上人が造仏した可能性はない。しかし、何らかの因縁で、仏像があったと疑う者もいるであろうから、疑念を散ぜんがために少考してみよう。
もし、仮に、常在寺に仏像があったとしたら、日俊上人がその仏像を撤去されたのは、果たしていつであろうか。日精上人が御存生で、住職をしておられる時の常在寺に、後輩の日俊上人が行って、仏像を取り除く、などということは考えられない。ということは、必ず日精上人の御入滅後ということになる。
ところが、常在寺の日精上人の次の住職は、日永上人なのである。日俊上人に撤去が可能ならば、日永上人にも可能である。また、日永上人が住職となって、仏像をそのままにすることはありえない。しかも、仏像撤去の最大の難関は、敬台院であったと思われるが、その敬台院は、既に死去しているのである。
寿円日仁も、『百六対見記』に、「常在寺・常泉寺の日精上人の仏像を撤廃されたのは日俊上人である」(取意・富要9-70)と記述しているが、そのすぐ後に、「日俊上は予が法兄なれども曽て其所以を聞かず」(富要9-70)
と、日俊上人から、その話を伺っておらず、未確認であることも記しているのである。
これによって明らかなことは、寿円日仁が、常在寺の日精上人の次の住職が日永上人であることを知らなかったということである。つまり、寿円日仁の『百六対見記』の記述は、伝聞をもとにした、事実確認のないものであることが判るのである。ただし、常泉寺は、帰伏寺院であるから、当時は、まだ仏像が存していた可能性はある。
ともかく、寿円日仁は、自身の造読説に執著するあまり、大石寺の造読に対する破折をかわすため、絶好の材料として、日精上人に関する、不確かな伝聞を採用したのである。その辺の事情が、前出の『百六対見記』の「日俊上は予が法兄」云々の文に続く、
「元禄第十一の比大石寺門流僧要法の造仏を破す一笑々々」(富要9-70)
との語に、明らかに看守されるのである。
このように、『百六対見記』の記述に、考慮すべき部分がある以上、史実考察の材料としては、全面的には信頼すべきではない。それにもかかわらず、これを『随宜論』に絡めて考えるからおかしくなるのである。結論を言えば、日精上人の造読の思想は、御登座までのことであり、御登座後には、決してなかったということである。
ところが、学会では、『百六対見記』の文によって、血脈相承に疑いを起こし、日精上人の造読問題を悪利用して、御法主上人に反抗する論拠にしているが、これは事実誤認も甚だしいと言わねばならない。
なぜならば、『随宜論』や敬台院の書状など、現存する史料を検討するとき、そこに浮かび上がる事実は、要山の造読思想の中に在った日精上人が、血脈相承を受けられたことにより、大聖人の仏法の深義に達せられて造読を改められ、宗祖本仏、大漫荼羅正意に立たれるようになったということである。そして、遂には、造読信仰であった有縁の檀信徒を教化して、富士の正義に入らしめるに至ったということである。まさに、不思議な現証であり、凡慮の窺うあたわざるところの、法水血脈相承という当家の秘義にまします、御仏智の絶大威力を拝察するのである。
ホ.『随宜論』の末文の考察
さて、まず『随宜論』とは、その題の示すように、「宜しきに随った論」である。対告衆の心情に合わせた法門であり、四悉檀で言えば世界・為人悉檀に当たる。無論、当家の正義そのものであろうはずがなく、しばし誘引の法門である。したがって、この次の段階に、対治悉檀が控えており、さらに第一義悉檀へと進むことは、本宗信仰における初心者でなければ、誰でも知っていることである。
次に、『富士宗学要集』には、『随宜論』の末文、
「右の一巻は予法詔寺建立の翌年仏像を造立す、茲に因つて門徒の真俗疑難を致す故に朦霧を散ぜんが為に廃忘を助けんが為に筆を染むる者なり。
寛永十酉(原本は戌)年霜月吉旦 日精在り判。
第一浅草鏡台山法詔寺、第二牛島常泉寺是は帰伏の寺なり、
第三藤原青柳寺、四半野油野妙経本成の両寺、五赤坂久成寺浅草安立院長安寺、六豆州久成寺本源寺是は帰伏の寺なり」(富要9-69)
を引いているが、この文章に、『随宜論』がどういう書であるかが、述べ尽くされているのである。それは、まず、
「右の一巻は予法詔寺建立の翌年仏像を造立す、茲に因つて門徒の真俗疑難を致す故に朦霧を散ぜんが為に廃忘を助けんが為に筆を染むる者なり」
とあることから、『随宜論』は、法詔寺建立の翌年、日精上人が仏像を造立した時に起こった非難に対して、その「朦霧を散ぜんが為」の反論の法門であったことが判るのである。非難に対する反論であるから、当然、すぐに勘案されたことは、疑う余地はない。
法詔寺の建立は、元和9年(1623)であり、日精上人が御相承を受けられたのは、寛永9年(1632)であるから、ほぼ一昔も前のことである。したがって、『随宜論』の法門は、御相承を受けられる、はるかに以前のものなのである。
次に、「廃忘を助けんが為」、寛永10年11月に「筆を染むる」、つまり清書せられたのである。このことは、日精上人の、法門に関する御見解に、変化が生じていることを物語っているのである。すなわち、日精上人が、法門に関して同じ御見解ならば、「廃忘」しようがないからである。それを忘れないために書かれたということは、この清書の目的が、記録にあることを意味するのである。
また、「第一浅草鏡台山法詔寺」以下に列挙される寺院中、常泉寺と妙経寺について、現在の『富士年表』によれば、常泉寺は寛永15年の帰伏、また妙経寺は正保元年の創立とされている。この時代考証を是とすると、『随宜論』のこの部分は、正保元年(1644)以降の書き入れとなる。
しかし、古記録には諸説があって、一定しがたい場合が多い。特に、年表作成においては、確定が困難な場合、「少なくともそれ以前であることは間違いない」との慎重な判断から、年次の新しい説を採用することがある。
常泉寺の帰伏年次については、一往、寛永15年であるが、それより7年以前の寛永8年に、日精上人が、既に常泉寺の垂迹堂を開眼されたという記録も存する。日精上人が開眼をされた事実は、まさに帰伏の証明であるから、この垂迹堂の開眼供養は、帰伏を記念して奉修せられたと考えるのが順当である。したがって、常泉寺の帰伏は、本来、寛永8年とみるべきである。
また、妙経寺の創立年次は、正保元年とされているが、同寺の明細誌に、寛永7年4月と明記されていることから、やはり寛永7年とみるべきである。
また、『随宜論』の記述は、筆跡からも、年代の隔たりは感じられない。すなわち、後の書き入れではなく、寛永10年のものであることは疑う余地がない。
このように、従来の資料からも、また『随宜論』の記述からも、これら二箇寺の帰伏、または創立年次は、日精上人の御当座以前であることは明らかである。
このことにより、「第一浅草鏡台山法詔寺、第二牛島常泉寺は帰伏の寺なり」以下は、日精上人による開創、もしくは帰伏等、有縁の寺院であろうが、ここに列挙される末寺の増設が、日精上人の御当座以前になされたことが立証されるのである。すなわち、日亨上人の、
「日精に至りては江戸に地盤を居へて末寺を増設し教勢を拡張するに乗して遂に造仏読誦を始め全く当時の要山流たらしめたり但し本山には其弊を及ぼさざりしは衷心の真情か周囲の制裁か」(富要9-69)
との記述が、日精上人の御当座以前を指すことも当然である。
日亨上人は、日精上人の造仏が、御登座以後に及んだなどとは、どこにも述べられておらず、ましてや謗法などとは、一切仰せになってはおられないのである。
このように、この末文は、日精上人の造仏が、御登座以後に及ばないことの文証であると同時に、『随宜論』とは、「法詔寺建立の翌年」、つまり御登座以前の法門を、寛永10年に清書した書物であることが判るのである。
ヘ.敬台院への善導と造仏義
次に、
「右の一巻は予法詔寺建立の翌年仏像を造立す」
との記述に明らかなように、敬台院の菩提寺である江戸の法詔寺には、建立の翌年、敬台院の要望によって、仏像が安置された。それは、敬台院に対する日精上人の配慮によると思われる。
阿波の藩主蜂須賀至鎮の夫人敬台院は、徳川家康の曾孫であり、日精上人の養母である。法詔寺の落慶の模様を綴った記録は現存しないが、大檀那である敬台院の建立による寺院であるから、大石寺をはじめ、末寺からもかなりの僧侶が招かれたことであろう。この時、いかに敬台院の要望であっても、富士の化儀に反して、仏像を安置するわけにはいかない。つまり、敬台院の仏像安置という強い要望に対して、日精上人は、大石寺への配慮の上からこれを抑えられたと思われる。したがって、入仏式が終わり、諸般の落ち着いた翌年になって、敬台院待望の仏像は、法詔寺に安置されたのである。『随宜論』は、このことに驚いた門徒の真俗からの疑難に対する、日精上人の反論である。
日精上人が、血脈をお受けになられたのは、寛永9年(1632)である。それ以前は、大石寺の僧となられたとはいえ、それまでの日精上人の御化導の対象は、要法寺系の檀信徒が中心であった。つまり、その御化導は、造読の化儀にあられたことが、この記述によって判るのである。また、日精上人に帰依する敬台院も、このような化導のもとに、大石寺の信徒となったのであるから、仏像に執情を持っていたことは、むしろ自然なことと言わねばならない。
しかし、日精上人は、血脈相承を受けられたことによって、御自身のそれまでの御化導が、宗祖日蓮大聖人の御正意ではないことに気付かれたのである。その衝撃は、いかほどのものであろうか。造読への執情は、僧侶ですら改めがたいのである。まして、帰依をする檀信徒は、自身の化導によって造読への執情を持つに至ったのであるから、その檀信徒を、造読への執情から、一人も漏れなく、富士の正義へ改心善導しなければならない。特に、養母である敬台院は重恩の人であり、大檀那でもある。その善導に当たっての日精上人の御心労は、察するに余りあるものがある。
日精上人のようなケースは、滅多にあることではない。造読家が、180度の転換を余儀なくされたのである。自身さえ謗法をしなければ、檀信徒はどうなってもいいというものではない。檀信徒を善導することこそ、僧侶の悲願なのである。日寛上人の、
「次第次第に次第次第に。信心の増すのも是は勧め様…」
との歌のように、檀信徒の邪義への執情を薄め、信心を向上させるためには、四悉檀の法門を駆使した、段階的な時間をかけた開導が不可欠なのである。
日蓮正宗の本当の折伏などしたことがなく、机上の空論を振り回すだけの学会幹部には理解できないであろうが、当時の状況下にあって、不用意に強折すれば、敬台院等の檀信徒は退転してしまう危険があったのである。この御化導は、慎重を極めたことと拝察される。
その過程には、『随宜論』に近い法門が、一部の檀信徒に対し、一段階としてあったことは、むしろ必然と考えるべきである。ただし、『随宜論』には、その本文の最後に、
「然れば富山の立義は(仏像を)造らずして戒壇勅許を待て、而して後に三箇の大事一度に成就すべき也。若し此の義に依らば、日尊の本門寺建立の時に先んじて仏像を造立し給うは一箇の相違也。」
とも書かれている。つまり、日精上人は、富士に来られてから尊門要法寺の日辰の教学の誤りに気付かれ、『随宜論』を著された頃、既に内心の真情としては、富士の人となられていたことが窺われるのであり、まったくの要法寺の思想ではなかったことを付記しておくものである。
日精上人の従浅至深する造仏に対する制戒は、次第に鮮明になっていったと推察される。敬台院に対する指南にも、遂に造仏を制止する趣旨が強く顕れるようになったようである。ことここに至って、仏像に対する執情の強い敬台院は、とうとう日精上人に悪心を抱くようになり、仏像の背後に安置されていた日精上人の大漫荼羅本尊を外すという暴挙に出た。このことは、
「一、此度登せ申し候まん(漫)だ(荼)ら(羅)一ふく(幅)是は日情(精)筆にて御入候最前ちうんばうに帰し度候つれども其元衆檀中の返事の通もしら(知)ず、我等方より此のまん(漫)だ(荼)ら(羅)帰し申し候はゞ何ものさげずみ(測定)には日かう(興)もん(門)と(徒)ら(等)のさ(作)ほう(法)くはん(貫)じゆ(首)のさ(作)ほう(法)にて法を見かぎり(限)我等いつ(一)ち(致)にも成りかはり(替)申すか、また(又)はあく(悪)がう(業)にひか(引)れに(爾)ぜん(前)しう(宗)にもたち(立)かへり(帰)申し候かとうたがわ(疑)れ候はんはひつ(必)じやう(定)にて候はんと思ひ(中略)我等ぢ(持)ぶつ(仏)だう(堂)にはかい(開)さん(山)様のまん(漫)だ(荼)ら(羅)をかけ(掛)置申し候、此(精師筆)まん(漫)だ(荼)ら(羅)は見申す度毎にあく(悪)しん(心)もまし(増)候まゝ衆中の内に帰し申し候、何とめされ候とも其方達次第に候、其御心へ(得)有るべく候」(富要8-57)
との敬台院の書状によって判るのである。
ちなみに、上記引用の文意を判りやすくするため、多少の注を加えて示すこととする。
「一、此の度(大石寺へ)登らせ申し候、漫荼羅一幅。是は日精筆にて御入候。最前ちうん房に帰し度く候つれども、其元衆檀中の返事の通も(使者である忠右衛門が帰っていないので、大石寺の大衆の意向を)知らず、我等(敬台院)方より此の漫荼羅を帰し申し候はば、何ものさげずみ(推測する)には、日興門徒等の作法、貫首の作法にて、(敬台院が)法を見限り、我等(が身延等の)一致にも成り替り申すか、または悪業に引れ(念仏・禅等の)爾前宗にも立ち帰り申し候かと(大石寺の衆檀中から)疑れ候はんは必定にて候はんと思ひ(中略)我等が持仏堂には開山(日興上人)様の漫荼羅を掛け置き申し候、此の(日精上人筆の)漫荼羅は見申す度毎に(敬台院が)悪心も増し候まま衆中の内に帰し申し候、何とめされ候とも其方達次第に候、其御心得有るべく候」
この引用の、特に「我等一致にも成り替り申すか、または悪業に引れ爾前宗にも立ち帰り申し候か」から判るように、敬台院には、仏像の本尊に執情があったのである。しかし、それに対して、日精上人より「敬台院の、大漫荼羅を安置しない仏像だけの本尊は、身延日蓮宗等の一致派が、釈尊像を安置することや、爾前経の宗旨が、ただ仏像を安置することと、何ら変りがない、謗法である」との御指南を受けたのであろう。敬台院も、さすがに「一致派」「爾前宗」と言われるのには耐えられなかったらしく、日精上人の破折から逃れるために、日興上人の大漫荼羅本尊に掛け替えたのである。
この時、日精上人に強く反発しながらも、道理を無視できないあたりに、敬台院の日精上人への根本的な信頼が感じられるのである。
日精上人の丁寧な御化導は、造仏の制止論にとどまらず、什宝である仏像を撤去することにも及んだようである。これに対して、敬台院は、
「晋山当時兼務の侭の法詔寺にも一命に懸けて精師を拒絶し其寺什宝を目録に依て受渡しすべしと主張せり」(富要8-57)
と日亨上人が解説されるように、日精上人の拒絶に出たのである。
「什宝を目録に依て受渡しすべし」との主張には、敬台院の仏像への執着が如実に感じられるとともに、敬台院に対する日精上人の御教導が、富士の精神そのものの厳しさであったこと、そして寛永17年頃には最終段階を迎えていたことが窺われるのである。
このように、日精上人の敬台院に対する御登座以降の御化導は、富士の立義にいささかも違わない、尊い限りのお振る舞いなのである。それにもかかわらず、『随宜論』を用いて日精上人を難ずるとは、その教学研鑚が不熱心であるという怠惰な姿を露呈するものである。まさに「下司の勘繰り」であり、大謗法である。
『随宜論』とは、造仏思想をお持ちであった日精上人が、血脈相承を受けられたことにより、その迷いから覚め、当家の深義に至られたという、当家の血脈相承の威力を証明する文書なのである。血脈相承を信じないから、眼前の史料の真実が見えないのである。
そして、敬台院は、日精上人に反発しながらも、いつしか日精上人の大慈大悲の御教導を信解するようになり、仏像への厚い執情を払うに至ったのである。そして、遂には、
「其の後精師、尊尼と和睦有り、信敬已前の如し」(『続家中抄』・聖典763)
と、養母である敬台院の、日精上人に対する深い愛情に基づく信頼が、晩年には、清浄な信心へと昇華されていったのである。
3.学会文書に見られる悪意
このように、学会による日精上人への疑難は、全く的外れなのである。すなわち、
「先生方の言われるように、日精上人が『戒壇の大御本尊と不二の尊体にまします』ならば、何故、釈迦仏の造立という大謗法を犯した上に、それを正当化する『随宜論』を著したのでしょうか。また、この書も『大聖人の仏智による御指南』であり、たとえ宗義違背の謗法の指南でも『信伏随従』しなければならないとお考えなのでしょうか。」
との非難は、全く根拠を失うのである。学会は、このような書面を提出して宗内尊能化を愚弄し、また『創価新報』にこれを掲載して、学会員の信心を洗脳破壊したことに対し、潔い懺悔と訂正の表明を、天下にすべきである。
また、この責任を取り、池田氏はじめ全ての学会幹部は、役職を辞任し、これ以上、宗内僧俗に迷惑をかけないよう、創価学会を退会すべきである。が、傲慢不遜な彼等にそれを望むのは無理のようである。
しかし、心ある檀信徒諸氏は日精上人に対する誤解を解いて、日蓮正宗の絶対なることを再確認し、御法主上人への絶対信を確立して、御報恩のために、ぜひ、勇猛精進していただきたいものである。
4.創価学会の職業幹部の正体をあばく
日精上人の御功績は、伽藍の建立や江戸での布教等、実に大きいのである。特に、日寛上人の入信・出家が、日精上人の御教導によるものであることは、特筆されるものである。日精上人への不遜な疑難は、これらの大恩を、全て踏みにじるものであるから、その罪障の、いかに大なるかを知るべきである。
翻って、このような血脈の御法主上人に対する、創価学会の傲慢な姿勢により、今まで曖昧に捉えられてきた池田氏等職業幹部の正体が、正法の大敵、すなわち僣聖増上慢であったことを明確にすることができた。このことは、魔を魔と見破る上で、実に意義のあることと言えよう。
妙楽大師の、
「第三最も甚し後後の者は転(うたた)識(し)り難きを以ての故なり」
との指南の通り、僣聖増上慢は、実にその正体を見破るのが難しいのである。それは、三類の強敵が、聖人の振る舞いを境目として起こるからである。この法軌は、時代を越えて、常に同じである。
彼等創価学会の職業幹部は、在俗でありながら、自ら生計を立てていない。彼等は、供養であると詐称して徴収する財務等の、会員の寄付によって生活をしているために、一般会員とは別の存在なのである。したがって、我々僧俗は、創価学会の職業幹部が、実質的に、宗教法人創価学会の私度僧であることを、深く認識しなければならない。
この問題は、学会幹部という、在家のふりをするよこしまな私度僧達によって、日蓮大聖人の仏法をなきものにせんとする、破壊活動なのである。その中心者の池田大作氏は、まさに僣聖増上慢であり、多くの幹部は道門増上慢であり、それに盲従する一般会員が俗衆増上慢であることは、もはや明白である。
お わ り に
宗祖大聖人の御振る舞いによって顕れた三類の強敵が、今日、再び出現することは、とりもなおさず御法主日顕上人の御高徳のしからしむるところであろう。それは、また下種三宝尊の御威徳が、いよいよ明らかに顕現せんとしていることの証明であり、広宣流布へ向けての基盤が、まさに調いつつあることを示しているのである。
以 上
市河氏の「一信徒としての質疑」を破す
時局協議会文書作成班3班
市河氏は、その序文において、昭和53年の6・30の確認事項で、最も衝撃を受けたのは、出家と在家の差別観であったことを記している。そして、宗門に僧俗の差別観がある限り、今回のような事件は、小事をきっかけに将来もでてくるのではないか、とも述べている。
ここに、この質疑内容全体を通して存する宗門と寺院の軽視、僧侶蔑視の思想を臭わせている。最も重大なことは、この質疑内容全体としての論理から、本因下種仏法における三宝の破壊という問題に行きあたることで、これはとても看過できない。これは、まさに「悪鬼入其身」による正法破壊の姿であるというべきである。
そして、このように、僧侶でない者が、自分は僧侶を兼ねる、自分は僧侶と同等であるかのような考えをもち、それを主張する者がでてくる限り、本宗の三宝や化儀の在り方そのものが危うくなってしまうので、昭和52年路線や、今回のような問題は、必ず起こってくるものと思われる。
ともあれ、こうした質疑書などというものは、もっと真面目に日蓮正宗本来の教学の勉強をしてからにしてもらいたいというのが、我々の偽らざる気持ちである。
(1)在家出家の平等観
市河氏は、「出家と在家の差別観」あるいは、「宗門に僧俗の差別観がある限り」と述べているように、ことさらに差別観を意識している。
確かに出家と在家、僧侶と在家の関係は、一切衆生悉有仏性であり、理の辺からみれば平等である。これは、日蓮正宗僧俗、あるいは他宗の人々も皆等しく仏性を具えているのであるから、人種、性別を問わず、差別など存するわけがないのである。
しかし、信心をしている日蓮正宗の信者を、内道外道をもひっくるめた他の宗教家や、在家の人達と同格にみることができるだろうか。そこには、当然のことながら、正法を受持信行する者と、邪宗教の者との差別が存することは当然である。正法を受持信行する俗人の中から、出家である僧侶もでてくるのである。
信者は、在家としての生活のまま仏道を行じ、出家は、仏の内弟子として僧形となるのである。
御書の中には、「日蓮が弟子」「日蓮等の類」「日蓮が弟子檀那」といった表現があるが、これは、別して僧侶である「弟子」と、信徒である「檀那」とを立て分けた場合、「大聖人と弟子(僧)」をいった場合、「弟子檀那」と総じていった場合、あるいは「弟子」といっても外弟子の意味で、在家信者の者をも「弟子」と表現された場合など、種々な意味があることは周知のとおりである。
しかし、僧俗の立場を混同したり、在家が出家を兼ねるなどという意味の御指南は、大聖人、日興上人をはじめとする御歴代上人には、全くないのである。大聖人様は僧の意義として、
「父母の家を出て出家の身となるは必ず父母を・すくはんがためなり」(「開目抄」)
「夫れ出家して道に入る者は法に依つて仏を期するなり」(「立正安国論」)
「凡父母の家を出でて僧となる事は必ず父母を助くる道にて候なり、出家功徳経に云く『高さ三十三天に百千の塔婆を立つるよりも一日出家の功徳は勝れたり』と、されば其の身は無智無行にもあれかみをそり袈裟をかくる形には天魔も恐をなすと見えたり、大集経に云く『頭を剃り袈裟を著くれば持戒及び毀戒も天人供養す可し則ち仏を供養するに為りぬ』云云、又一経の文に有人海辺をとをる一人の餓鬼あつて喜び踊れり、其の謂れを尋ぬれば我が七世の孫今日出家になれり其の功徳にひかれて出離生死せん事喜ばしきなりと答へたり、されば出家と成る事は我が身助かるのみならず親をも助け上無量の父母まで助かる功徳あり、されば人身をうくること難く人身をうけても出家と成ること尤も難し」(「出家功徳御書」)
と御指南あそばされている。
これらの御書を拝すれば、市河氏の、
「創価学会の活動家は、やはり出家在家の両方に通じていると見るべきだ」
「出家と在家の立場は本来平等であり、表面上の役務が違うのみと見るのが正しい」
という考えは、すでに大聖人の御指南に反するものと断言できる。
本宗において、僧侶となるためには、長年の修行を要する。仏祖三宝以来、師匠から弟子へと習い伝えられる仏道修行の経験もない在家の人々が、突然、自分達は出家を兼ねているとか、出家も在家も同じだと思うのは、大聖人の法義に反するものである。
私達僧侶は、自分のことを偉いと思ったり、威張ったりする気持ちは全くない。そのようなことがあるならば、実に恥ずかしいことなのである。しかし、本因下種仏法たる日蓮正宗においては、二祖日興上人が「遺誡置文」の中で、
「若輩為りと雖も高位の檀那自り末座に居る可からざる事」
と、明確に規定しておられる。これが日蓮正宗であり、これを否定して己義を構える者は、もはや日蓮正宗の信者ではないというべきである。
(2)誤れる出家観
また、市河氏は、
「創価学会員による出家在家の両面性によって日蓮正宗は、現代に宣揚されてきたのではないでしょうか。在家によるこのような弘教は仏教史上にはなかったのではないでしょ
うか。
大聖人の仏法が前人未踏の開拓である以上、僧俗のあり方もまた、釈迦仏法の形態を受け継ぐのではなく僧俗間で時代に即応して、新たなる創造を必要としてよいように思います。」
などと述べているが、これは自分を弁えていない実に 慢ないい方であり、仏祖三宝尊の教えを踏みにじるものである。
市河氏は、創価学会が今日のように大きくなったのは、創価学会員だけの力によると思っているらしい。僧侶による弘教は、全くないようないい方である。法華講員や学会員で、僧侶に折伏をされたり、折伏を応援してもらった人達も、かなりいるはずである。また、寺院の法要における説法、地域寺院によっては、お通夜や法事などでの法話を行なうなど、さまざまな形をとりながら行なわれているはずである。僧侶というものは、このように御本尊に給仕申し上げ、寺院を護り、自分の修行と教学の研鑽もし、ときには人々の悩みを聞いたり相談を受けるなど、種々にわたって広布のために努力しているのである。
このように、在家の人たちとは異なった立場での僧侶の働きがあり、文字通り、僧俗一致の形に裏打ちされて、今日のような創価学会の大発展の姿をみることができたというべきである。論ずるまでもなく、これがそのまま宗門自体の大発展の姿でもあった。
また市河氏は、
「涅槃経に次のようなご教示があります。
『持律に似像して少し経を読誦し飲食を貪嗜してその身を長養し袈裟を著すと雖も猶猟師の細めに視て徐に行くが如く猫が鼠を伺うがごとし。乃至実には沙門に非ずして沙門の像を現じ』と。
これは法衣を着したといっても、それが出家を表すものではないとの意であります。宗門の御僧侶がこの文に相当すると申しているわけでは決してありませんが、宗門に正法が伝えられていても、僧がその精神を忘れた場合においては、もはや『沙門に非ずして沙門を現じ』ということにならざるを得ないと考えます。これに反し、身は在俗であっても、広布の使命を自覚し、信行学に励む人があったとすれば、それは既に名聞名利の家を出た人であり、袈裟を着さないからといって一般社会人と同一視すべきではないと考えます。」
と述べているが、何とも根性のねじれたものの見方しかできない人物であるようだ。さらに、
「私の認識では、出家の本義は総じて名聞名利の家を出ることですから出家がそのまま仏法僧に云う僧には当たらないと理解しています。」
「出家即仏法僧の僧ではないのですから出家の解釈に当っては、時代的背景を認識することが不可欠であると私は考えるものです。」
とも述べているところから、この人は、本宗における三宝の意味が全く解っていないようである。
本宗の三宝は、今さら論ずるまでもなく、仏宝は、久遠元初の自受用身たる日蓮大聖人。法宝は、無作本有の妙法たる本門の大御本尊。僧宝とは、久遠元初の結要付属を受けた日興上人である。日寛上人は、「当流行事抄」で、
「久遠元初の僧宝とは即ち是れ開山上人なり。仏恩甚深にして法恩も無量なり、然りと雖も若し之れを伝えずんば則ち末代今時の我等衆生、曷んぞ此の大法を信受することを得んや。豈開山上人の結要伝受の功に非ずや」
と述べられている。この御指南のように、日興上人をもって僧宝とするのである。つまり、日興上人を結要付属の功あるをもって、私達僧侶の最高位の鏡たる僧宝として、信仰し奉るのである。
そして、さらに日目上人、日道上人と次第して結要伝受して、今日の御法主上人に至る御歴代上人をも、総じて僧宝と仰ぐとともに、能化・所化等の僧侶をも僧宝の枠組の中に置かれることは論をまたない。大聖人は、「四恩抄」に、
「次に僧の恩をいはば仏宝法宝は必ず僧によりて住す、譬えば薪なければ火無く大地無ければ草木生ずべからず、仏法有りといへども僧有りて習伝へずんば正法・像法・二千年過ぎて末法へも伝はるべからず、故に大集経に云く五箇の五百歳の後に無智無戒なる沙門を失ありと云つて・是を悩すは此の人仏法の大灯明を滅せんと思えと説かれたり、然れば僧の恩を報じ難し、されば三宝の恩を報じ給うべし」
と仰せられ、さらに「新池御書」には、
「況や我等衆生少分の法門を心得たりとも信心なくば仏にならんことおぼつかなし、末代の衆生は法門を少分こころえ僧をあなづり法をいるかせにして悪道におつべしと説き給へり、法をこころえたる・しるしには僧を敬ひ法をあがめ仏を供養すべし、今は仏ましまさず解悟の智識を仏と敬ふべし争か徳分なからんや、後世を願はん者は名利名聞を捨てて何に賤しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬ふべし、是れ正しく経文なり」
と、御指南あそばされている。
日有上人は、「化儀抄」に、
「一、貴賎道俗の差別なく信心の人は妙法蓮華経なる故に何レも同等なり、然レども竹に上下の節の有るがごとく其ノ位をば乱せず僧俗の礼儀有るべきか、信心の所は無作一仏、即身成仏なるが故に道俗何にも全く不同有るべからず、縦ひ人愚癡にして等閑有リとも、我レは其ノ心中を不便に思ふべきか、之レに於イて在家・出家の不同有るべし、等閑の義をなほ不便に思ふは出家・悪く思ふは在家なり、是レ則チ世間仏法の二ツなり」
と御指南されている。また日亨上人は、「化儀抄註解」に、
「『信心の人は妙法蓮華経なる故に何も同等なり』とは信心に於いて有為の凡膚に妙法蓮華の当体を顕証するが故に無信の時は貴賎の区別・賢愚の区別・道俗の分界・其天分に随つて益々明なれども信仰の上にて妙法の人となれば平等無差別なり、又類文の意の如し『竹に上下の節の有るが如く其位をば乱さず」等とは竹は一幹なれども節々の次第あり、信心の人は唯一妙法なれども能化所化の次第・僧俗の分位・初信後信の前後なきにあらず、此を以つて開山上人も弟子分帳の中に弟子分・俗弟子分・女人弟子分・在家弟子分と区別し給へり、但し前文は平等の義を示し今文は差別の義を示し常同常別・而二不二の通規を汎爾に示し給ふ」
と示されている。これらの文証をもとによく考えて、本宗における僧俗の正しい在り方を知ってもらいたいものである。
「涅槃経」に、
「善男子よ、若し人、信心あって智慧あること無ければ、是の人は則ち能く無明を増長せん。若し智慧あって信心あること無ければ、是の人は則ち能く邪見を増長せん。善男子よ、不信の人は、瞋恚心の故に、説いて、仏・法・僧宝有ること無しと言ふ。信者に慧なければ顛倒して義を解し、聞法者をして仏・法・僧を謗ぜしめん。善男子よ、是の故に我れ不信の人は瞋恚心の故に、有信の人は無智慧の故に、是の人能く仏・法・僧を謗ずと説く」
と述べている。
市河氏の論理でいけば、かならず三宝の破壊に通ずるものであり、仏法破壊の因縁と成るのは必定である。それは、もはや日蓮正宗ではなく、明らかに異流義であると断ずるものである。
(3)寺院と会館の役割
市河氏は、宗門から、
「創価学会が会館や研修所を建てることは寺院軽視につながると申されていました。」
と述べているが、宗門は、何も学会が建物を建てたことで、寺院軽視といったのではない。その建物で、僧侶・寺院をまねて行なった法要や結婚式、その他寺院を軽視するような発言に対して、寺院軽視であることを指摘したのである。
この当時のことを問題に取り上げるということは、昭和52年路線における、御本尊模刻をはじめとするさまざまな逸脱に対し、全く反省がないことを示しているものといえる。ここでも寺院軽視の思想が露呈している。
僧俗については、先にも述べたが、市河氏が会館の役割を述べた文の中にもある「創価学会に出家在家の両面性が事実上認められる限り」云々などという考え方は、明らかに間違いであり、在俗の者は、どこまでいっても出家である僧侶を兼ねることはできない。たとえば、出家僧侶を兼ねるといって、そうした形をとったときには、完全に異流義であり、日蓮正宗の信者と認めるわけにはいかない。
また市河氏は、
「交通事故、災害、家庭問題、生活問題等(中略)信心でどう受けとめるべきかという生々しい問題と取り組まざるを得ません。仏法と生活を直結させる拠点としての役割りを果しているといえましょう。最も必要なこうした役割りを今日の寺院で果たすことができるでしょうか。」
とも述べているが、それでは寺院ではできないとなぜいえるのであろうか。「上求菩提・下化衆生」の精神をもって精進している僧侶で、住職の経験が豊富な人ほど、このような問題解決のために対処した経験も多くもっているものである。
学会員が大幹部の指導に納得できず、寺院に来ることも勿論あるが、特に法華講のある寺院においては、こうした問題を避けては通れないものである。
また「創価学会の会館は、この様な形式を打ち破り」とも述べているが、「形式を打ち破り」とはいかなることか。一般の社会にあっても、宗内の諸法要においても、形式を打ち破るなどと、非道乱暴なことをされたのでは、全てが成り立たない。物事というものは、もっと深く考え、正しい認識をもって発言されなければならないのである。
(4)宗門の教学は正宗分、創価仏法は流通分
市河氏は、
「創価仏法といっても、その内容は、大聖人の仏法を宣揚するものであって、大聖人の仏法と相違するものではなかったと信じます。強いてニュアンスの異なる点をあげれば、宗門の教義は法体の確立を示した正宗分であり、創価仏法は正宗分に根ざした流通分ということができたのではないでしょうか。」
と述べている。
創価学会は、本来、日蓮正宗の教義を御法主上人の御指南のもとに、大聖人の流類として弘宣していく信徒団体ではなかったのか。そうであるならば、宗門の教義以外の仏法は、不要であるはずである。それを、ことさらに宗門の教義=正宗分、創価仏法=正宗分に根ざす流通分と強調し、区分けをする必要がどこにあろうか。
元来、正宗分と流通分とはその内容において別なものではない。「流通」とは、流れ通わすという意味であり、その流通の当体とは正宗分であって、大聖人所顕の久遠元初の一法である。すなわち、日蓮正宗に血脈付法をもって守られた正宗分たる法義を、僧俗が力を合わせて弘めていくというのが当家の本義なのである。故にこそ「観心本尊抄文段」には、
「文底下種の三段とは、正宗は前の如く久遠元初の唯密の正法を以て正宗と為す。総じて一代五十余年の諸経、十方三世の微塵の経々並びに八宗の章疏を以て、或は序分に属し、或は流通に属す。謂く、彼の体外の辺は以て序分と為し、彼の体内の辺は以て流通に属するなり」
と釈されている。文底正宗分の一品二半の体内の辺で拝せば、序分として説かれた微塵の経説が、ことごとく妙法の一側面を説き明かされた流通分となることを示されるのである。
序・正・流通とは、もともとこのように法義を述べる法体に約する仏法用語である。これを、ことさらに大聖人滅後の弘教の様相に当てはめようとするところに無理があり、市河氏の作為・邪念があるといえる。
(5)創価仏法、創価思想、創価哲学の表現
また市河氏は、
「宗門では、創価仏法という言葉を使用してはならないとか、『日蓮大聖人の生命哲学』とはいうべきではないと指摘されたことにより、その後、創価学会ではこの用語を使っていません。しかし、創価仏法といっても、その内容は、大聖人の仏法を宣揚するものであって、大聖人の仏法と相違するものではなかったと信じます。」
と述べている。その理由として、市河氏は、
「宗門に伝わる正宗分を現代人に理解させるためには、生命論から法を説くかどうかが最もわかりやすい方法だったと思います。創価学会の教学が日蓮大聖人の法体に根ざしているかぎり、どのように展開しようとも、大聖人の法体を宣揚する論理であって、大聖人の仏法を逸脱した教義ではなかったはずです。」
と述べている。
そして、以上の論理の結論として市河氏は、
「創価仏法という用語規則を撤回すると共に創価思想、創価哲学といった表現を許していただけませんでしょうか。」
と述べている。
この主張に対して、まずいえることは、6・30、11・7の反省を、信心をもってもっと深く堀り下げるべきであるという点である。市河氏の、
「(現代に展開する意味で)現代の用語と概念を駆使しつつ展開し、現代相応の実践に導く」
との考え方は、一面の道理のようであるが、破壊してはいけない法義を破壊してまで、無理に新しく造語する必要は全くないのである。
さらに、市河氏は、
「どのように展開しようとも、大聖人の法体を宣揚する論理であって、大聖人の仏法を逸脱した教義ではなかったはずです。」
として、無条件に学会の展開自体に誤りがないと主張するが、この種の展開に対しては、つねに大聖人の法義の筋道を踏まえることが、あくまで前提条件となるのである。現代用語は、大聖人の仏法の上からみるとき、大きな問題点も多々あることを知るべきである。無理な展開・解釈ではなく、あくまで大聖人の仏法の法義の基本を誤りなく踏まえ、解りやすく表現する努力こそ大切である。すなわち、現代用語の安易な使用は、大聖人の仏法の本義に新義を追加したり、ときとして意味内容がその本義から一人立ちして、独自的なものに変質、変容していく危険性を、つねに内に蔵しているからである。
市河氏には、日蓮正宗の伝統の教義より逸脱することがあってはならないことを深く心に留めるべきである。
また、市河氏は、
「私自身も日蓮大聖人の教義内容が偉大なる生命哲学であると認識したればこそ信を深くし」
と述べているが、大聖人の仏法は、単なる生命哲学という低次元なものではない。たとえ仏法を宣揚する手段であっても、大聖人の仏法に適った宗教的実践が根本である。故に、「日蓮大聖人の教義内容が偉大なる生命哲学である」と、短絡的に認識することは、誤りである。
また市河氏は、
「そのような意味において、私は創価仏法を確立された代々の会長に、私は尊敬と感謝の念を禁ずることができません。私が、第三代会長を直接の師匠として仰ぐのも、創価仏法を通じて一大秘法の何たるかを自分なりに掴み得たという喜びに基くものです。」
と述べている。自己の教化親並びに縁故の人々に、尊敬と感謝の念を持つことは自然であり、むしろ当然のことといえるが「直接の師匠」とは、人生の師であっても、仏法上の師匠ではない。まして先に述べたように、「創価仏法の確立」などという新仏法・新興の教義の宗教は、もはや日蓮正宗の宗教とはいえないのである。日蓮正宗でいうところの仏法上の師とは、日蓮大聖人、そして現代においては唯授一人血脈付法の御法主上人に限るのである。市河氏には、当宗根幹の「師弟子」の在り方を、深く信受されんことを願うものである。
(6)日蓮大聖人の仏法と創価仏法
市河氏は、
「日蓮大聖人の仏法と創価仏法の関係は、あたかも釈尊の法華経二十八品と天台の摩訶止観にたとえられるように思います。」
と述べている。
しかし、あえて創価仏法を標榜する氏の仏法解釈は、すでに多くの誤りがあるのであり、大聖人の仏法との関係を論ずる前に、いさぎよく創価仏法などというような表現を捨て、日蓮正宗の相伝仏法により、内道と外道の相違から、改めて教学を学ぶことをお勧めする。創価仏法なるものの幻影に執われながら、大聖人の仏法を理解し、信ずることは、到底できることではない。いわば、爾前権経に執われながら、法華経を信ずることができないのと同じことである。
氏のためにあえていえば、創価学会それ自体には、正しく日蓮正宗の仏法を信ずることによる功徳はあるが、創価学会独自の創価仏法なるものは、功徳はないのである。この仏法の簡単な道理が判るだろうか。仏法を現代的に展開し、宣揚するといっても、それは「法華経を讃すと雖も還って法華の心を死す」
というものとなってはならない。氏にとって、少し難解かも知れないが、大御本尊は仏法そのものであり、仏法の本義は唯授一人の御法主上人が御所持されるのである。これは大聖人の絶対的な御遺誡なのである。
故に、創価学会による教学の展開も、日蓮正宗の教義と三宝を遵守するという前提のもとに、御法主上人より許されていることなのである。もし、御法主上人の御指南によって直すべき教義や指導があれば、学会はただちに反省し、それを改めることは当然のことである。氏は、創価仏法の存在を、釈尊の法華経に対する天台の摩訶止観に喩えたいようだが、天台大師は、なにも像法時代の衆生に迎合して、勝手に法華経を説いたのではない。釈尊より迹化の付嘱をうけ、その立場から摩訶止観等を説いたのである。釈尊も、大聖人も、また御法主上人も、創価仏法という用語を造り、そのもとで創価教学なるものを展開せよなどと仰せになっていないし、それを学会に依頼などはしていないのである。
(7)法体と体の三身、用の三身
また、市河氏は、
「宗門に伝持された本門戒壇の御本尊たる法体は、私ども信徒からみれば体の三身とあり、広宣流布を目指す創価学会の活動は用の三身を意味するものと見ることができるように思います。」
と述べている。「体の三身」「用の三身」の、体とは本体を示し、用とは働きを示す。つまり、体を離れて用はないのである。体も用も倶に具わっていることを、倶体倶用という。宗祖大聖人を久遠元初の倶体倶用の無作三身、久遠元初の自受用身の本仏と立てるのが本宗の宗義である。これをなぜ分ける必要があろうか。本来、仏及び仏の化導に関してのみ用いる言葉、表現を、組織活動の中に当てはめること自体が、不適切であり、慎むべきである。
さらに、市河氏は、
「つまり、創価学会を通じてのみ、日蓮大聖人の法体が何であるかを理論上も生活上の実感としても知ることができたわけです。」
と結論する。ここに至っては、滑稽さを通り越した哀れささえある。市河氏は、宗門=体の三身、学会=用の三身と分けた上で、折伏の実績の量をもって、学会主・宗門従という図式を企てようとしているが、まずこれは、他の正宗分・流通分、摂受・折伏の、宗門・学会への牽強付会の当てはめと同道で、その当てはめ自体が、間違いであることを知らねばいけない。
元来、体の三身・用の三身とは、仏身に約する用語である。それを、ことさらに宗門と学会とに結びつけようとすること自体が無理であり、誤りである。まして、氏の「創価学会を通じてのみ」云々との言を借りていえば、会員に御本尊を正しく拝せしめるはずの創価学会というメガネは、今や曇り・歪み、使用不能にさえなりつつある。
市河氏の言のようでは、葉をかいて根を断つように、自らの生命を絶つ自殺行為であることに気付くべきである。
(8)仏とは生命なり、仏法を蘇生させるについて
また、市河氏は、
「『仏とは生命なり』とか、大聖人の仏法を『現代に蘇生させ』という用語にしても、宗門が何故目くじらを立てねばならなかったのか、現在においてもよくわかりません。仏とは、特殊な人でもなければ娑婆世界を離れたところにいるものとは思わないからです。御書にも『迷うを凡夫、悟を仏』とあるように、仏界とは、十界を互具した凡夫の生命のはたらきとして認識しております。」
と述べている。これは、まさに本仏と十界互具の凡身とが、全同であるとする暴論である。「仏」という語を用いるときには、当然、本仏日蓮大聖人を指す場合と、そうでない場合とを区別しなければならない。その混同、曲解を52年路線において、宗門は指摘したのであり、創価学会は反省したのである。
「観心本尊抄」に、
「但仏界計り現じ難し九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ」
とあり、又同抄に
「末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり」
「十界互具之を立つるは石中の火・木中の花信じ難けれども縁に値うて出生すれば之を信ず人界所具の仏界は水中の火・火中の水最も甚だ信じ難し(中略)悉達太子は人界より仏身を成ず此等の現証を以て之を信ず可きなり」
とあるように、「末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり」との御聖意は、末代の凡夫が人間と生まれてきて法華経を信ずるのは、人界に仏界を具足しているから信ずることができると教えられたものである。すなわち、この御教示は、人間界に仏界を具足することを信ずるとはいえるが、それを本仏への表現と混同させる作為をもってする「仏とは生命なり」との表現は、不適切であると宗門は指導したのである。我が心中に仏界ありといえども、仏界所具の凡身が本仏大聖人そのものであるかのごとき表現は、大なる僻見であることを知らなければいけない。
さらに、市河氏は、
「『仏法を現代に蘇生させた』という表現を用いたとしても、宗門の仏法が死んでいたことにはならないと考えます。『大聖人の仏法を現代に蘇生させた』という言葉の使用を創価学会員に認めていただけないでしょうか。認められない場合は、その理由を教示して下さい。」
と述べているが、このような用語を認められない理由は、すでに述べているとおりである。市河氏の論に一貫して流れるもの、それこそが本質的な問題なのであるが、それは当宗根幹の「師弟子」とは別な師を立てようとする作為である。当宗における仏法上の師とは、再三述べているとおりである。大聖人の仏法は二祖日興上人に一切が御付嘱されている。「百六箇抄」には、
「上首已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡嫡付法の上人を以て惣貫首と仰ぐ可き者なり」
とある。日興上人は、令法久住、広宣流布の根本は、大聖人の金言と、血脈付法に対する正しい信受以外にないことを、
「当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して」
と仰せである。特に「極理を師伝して」といわれた所以を、よくよく拝すべきである。
また日因上人は、
「当宗ノ即身成仏ノ法門は師弟相対シテ少モ余念無き処ヲ云フなり」(「有師物語聴聞抄佳跡」)
と仰せであり、そこにこそ、成仏の境界が開けることを知るべきである。故に、「現代に蘇生させ」等の用語は認められないのである。
(9)在家にも供養を受ける資格があるについて
市河氏は、
「宗門では、在家は応供の資格はなく、それは仏と仏に直結した僧にのみ許された特権であるかの如く述べられています。在家は僧に金品を供養し、僧はこれを受ける立場にあった時代は、在家に弘教の力がなく、弘教は仏法研鑽を専門とする出家に頼っており、在家は僧に供養するということによってのみ、弘教に参画できるという社会状況にあったことを、私は先に述べてきました。
僧への供養が仏縁となり、福運の因になるということは、それが間接的に弘教につながる社会において成り立つものと思います。」
「在家は供養を受ける資格はないということは、宗門では在家集団における広布のための運用費を否定されるのでしょうか。もし、運用費なら否定しないが、供養は認められないといわれるなら、供養という名の金銭と運用費という名の金銭は、どう違うのかという疑問が生じます。」
と述べている。応供とは応受供養、すなわち供養を受ける資格がある者の意で、仏の十号の一つである。この供養の語は、三宝に対して使われるものであるから、厳密にいえば、本宗においては、御本尊と血脈付法の御法主上人のみが、応供に当たるのである。したがって、御法主上人以外の僧は、供養を御本尊にお取り次ぎする立場である。各末寺の住職が御供養を預かるのは、宗祖日蓮大聖人・日興上人・日目上人等の御先師、並びに御当代上人の代わりにお取り次ぎのために受け取る意義なのである。これは「化儀抄」第24条に、
「弟子檀那の供養をば先ヅ其ノ所の住持の御目にかけて住持の義に依ツて仏へ申し上げ鐘を参らすべきなり、先師々々は過去して残る所は当住持計りなる故なり、住持の見たまふ所が諸仏聖者の見たまふ所なり」
とお示しのごとくである。これから考えて、創価学会において運用されるお金を御供養とはいえないことが明らかである。
もし、広布に使うという金品の全てが御供養であるというならば、例えばB長が広布に使いたいと思って、B長が個人的にお金を集めても御供養ということになるのではないか。こうしたことは混乱を招き、仏法の法義を破壊するだけである。
また市河氏は、
「供養という名の金銭と運用費という名の金銭は、どう違うか」
と開き直っているが、いずれの世界でも、名目は大切である。政治でも防衛費か侵略・殺戮のためかで、つねにもめているではないか。これより考えて、市河氏のいう金銭は、運用費・活動費の類であって、御供養とすることはできないのである。
(10)法水と法器について
市河氏は、
「唯授一人の法体の血脈について宗門には「法水瀉瓶」とあります。清らかな水を一つの器から器に移すように、器が代わっても法水そのものに変わりがないことを指す言葉として理解しています。この場合、器に相当するのが代々の御法主であるとも伺っております。そうすると尊いのは、法水そのものであり、器そのものと大聖人の法水は区別されるのではないでしょうか。」
と述べているが、尊い法水であればこそ、唯授一人の器も清らかで立派なものでなくてはならない、器を離れての清らかな法水はないのである。
宗祖大聖人は、「秋元御書」に、
「覆・漏・汗・雑の四の失を離れて候器をば完器と申して・またき器なり」
と仰せである。法水そのものの尊さと、その法水を受け継ぐにふさわしい歴代の御法主上人がおられればこそ、法水が清らかに伝わるのである。
(11)御本尊書写は委任について
市河氏は、
「法体を後世に伝持すべき役目は、二祖日興上人より三祖日目上人、そしていま、第六十七世日顕上人へ受け継がれたものと伺い、御本尊書写の御資格も御本仏日蓮大聖人及び日興上人からの委任という意味で、私は理解し信ずることができます。」
と述べているが、何故に委任とするのか、これは唯授一人の尊厳性を否定しようとする心があるからではないのか。歴代の御法主上人は法体を相承された御身として、御本尊を書写されるのである。これを忘れると、本宗の信徒とは思えない「委任」などという言葉がでてくるのである。
「当家三衣抄」に、
「南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初の自受用報身の当体、事の一念三千、無作本有、南無本門戒壇の大御本尊。
南無本門弘通の大導師末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主、伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師。此くの如き三宝を一心に之れを念じ」
とある三宝を、よくよく拝すべきである。
また市河氏は、
「御法主猊下を、法体もしくは法水そのものと観ることは、日蓮大聖人の仏法を法主信仰に変質してしまう恐れがあるように思います。」
と述べているが、宗門では、御法主上人を、法体もしくは法水そのものとはいっていない。法体を唯授一人の血脈によって相承された、あるいは法水を受け継がれた、現在において最も大切なお方と申し上げているのである。
このことは、市河氏自身も「器が代わっても法水そのものに変わりがない」と述べているではないか。宗門において、御本仏と御法主を全同視するような曲解は、慎まねばならない。しかし、その上で、器を離れては法水はないのであるから、時の御法主上人を根本として拝することが大切なのである。
(12)唯授一人と一閻浮提総与
市河氏は、
「唯授一人の血脈という言葉は法体の独占または宗務の独裁という響きがあります。しかし、戒壇の御本尊には『一閻浮提総与』とあります。一閻浮提総与には、唯授一人の独占的響きと異なり信徒一同、大聖人と信徒の直結、ひいては大聖人と人類の直結という響きがあります。唯授一人の独占性と非独占を意味する一閻浮提総与の開かれた大衆性とは、一般論としては矛盾の論理です。」
と述べているが、宗祖日蓮大聖人は、全民衆救済のために、唯授一人の血脈をもって、第二祖日興上人に法体の相承をなされたのである。市河氏には、総別の立て分けが全くできていない。大聖人は「曾谷殿御返事」に、
「総別の二義少しも相そむけば成仏思もよらず」
と仰せである。
そして、法体の相承は、「日蓮一期弘法付嘱書」に、
「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す」
とお示しのように、別して日興上人であることが明らかである。さらに、日寛上人は「依義判文抄」に、
「日蓮一期の弘法とは即ち是れ本門の本尊なり、本門弘通等とは所弘は即ち是れ本門の題目なり、戒壇は文の如し、全く神力品結要付嘱の文に同じ」
と仰せであり、大聖人所持、所顕の三大秘法は日興上人に付嘱されたのである。そして、この付嘱は日興上人に止まるのでなく、代々の御法主上人に授与されてきたのである。
「日興跡条条事」には、
「日興が身に宛て給わるところの弘安二年の大御本尊は日目に之れを授与す」
とある。ここに示されているように、日興上人に授与された弘安2年大御本尊は、第三祖日目上人に授与されたことが明らかである。その弘安2年の大御本尊は、唯授一人の相承によって、御当代日顕上人が御所持あそばされているのである。
したがって、弘安2年の本門戒壇の大御本尊は、別して代々の御法主上人に授与せられ、総じて一閻浮提の一切衆生のために授与されたのである。
(13)信徒は胸中で総与の法体と直結
市河氏は、
「猊下様が誤った裁量をされたとき信徒は胸中で総与の法体と直結することによって日蓮大聖人の流類に入ることができるのではないかと信じます。」
と述べている。まさしく教義違背であり、正信会と同様の血脈への異説である。市河氏は心の底に、御本尊に直結すればよい、大聖人に直結すればよい、という考えがあるようである。それでは、大聖人直筆の御本尊を拝んでいれば、邪宗日蓮宗等でもよいということになる。あるいはまた、大聖人直結として、日蓮宗等において御書を学んでいるが、大聖人直結の教学といえるだろうか。
すなわち、本宗がなぜ正しいかといえば、唯授一人の血脈によって伝持せられた御法主上人がおられるからである。また相伝の上から、御書の意を正しく御教示される御法主上人がおられるからである。
血脈付法の御法主上人を蔑ろにして、御本尊直結、日蓮大聖人直結はあり得ないことを肝に銘ずるべきである。
(14)久遠元初の妙法を覚知
市河氏は、
「久遠元初の妙法を覚知するということは、大聖人の弟子または我々凡夫の身では不可能なことなのでしょうか。もしそうだとすれば、それは、日蓮正宗の教学は仏と弟子の差別観となり、『如我等無異』とされる仏の金言に反することになります。また、凡夫の生命に大聖人と同じ仏界、即ち、久遠元初の妙法が冥伏しているという生命観は否定され、凡夫の十界互具も成立しなくなります。十界互具の生命観に立脚する日蓮大聖人の教理からすれば、我々凡夫にも久遠元初の妙法を覚知することがあるのではないかと思いますが、御教示下さい。」
と述べている。氏の主張は、平等の語を知って、平等の中の差別を知らない。このところに、問題の原因がある。理としては仏も私達も平等であるが、全同というのはおかしい。大聖人のようになりたいという気持ちがあっても、自分が大聖人と同じであると思う人はいないはずである。
市河氏は、仏においてすら差別があることを知らないのか。
「御義口伝」に、
「如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり」
とあって、釈尊は人法勝劣の仏であり、大聖人は人法体一の仏であることが示されている。このように、仏身においても勝劣・差別があるのである。仏と衆生においては、なおのことではないか。そもそも仏界とはどのような内容・状態をいうのであるかを、三毒強盛の凡夫の智慧をもって、説明することは不可能である。宗祖大聖人は、「観心本尊抄」に、
「但仏界計り現じ難し九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ」
と仰せられ、他の九界は具体的に説明されているものの、仏界のみは信ずべきことを御教示されている。したがって、私達は仏界を現ずることを信じて、久遠元初の妙法を唱えることが大切なのである。
しかし、私達が妙法を受持して九界即仏界を現じたからといって、ただちに御本仏と同じ覚りとはいえない。「如我等無異」とは、仏の慈悲を表したものである。ましてや「覚知」という言葉は、あたかも大聖人と同じ立場で、独自に覚りを開いた響きがある。私達は、大聖人の妙法を信ずる身であるから、「信心の喜びを感じた」とか、「確信した」などの表現にすべきである。
(15)戸田会長の獄中悟達
市河氏は、
「凡夫や弟子も、十界互具の生命なるが故に発迹顕本があり得るとすれば、たとえば、戸田先生が獄中で体得され、実感されたとされる妙法は、日蓮大聖人が久遠元初に覚知されたものと異質のものか、同一のものか。私は妙法である限り、そこに差別はないと信じます。」
と述べているが、「発迹顕本」なる用語を、凡夫や弟子に使おうとするところに初歩的な誤りがある。「発迹顕本」は本仏に用いる用語である。
また、
「日蓮大聖人が久遠元初に覚知されたものと異質のものか、同一のものか。私は妙法である限り、そこに差別はないと信じます。」
と述べているが、「方便品」には、
「諸仏の智慧は甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり」
とある。仏の智慧を知ることは難しいのである。「譬喩品」に、
「汝舎利弗すら 尚此の経に於いては 信を以って入ることを得たり 況や余の声聞をや 其の余の声聞も 仏語を信ずるが故に 此の経に随順す 己が智分に非ず」
とある。それを久遠の妙法を覚知するとは、増上慢も甚だしいといわざるを得ない。
(16)2代・3代会長によって正義宣揚
市河氏は、
「さらにいえば、総罰ともいえる他国侵逼難の犠牲の上に、言論、信教、思想の自由が開かれ、折伏の舞台が拓けてきたという戦後日本の歴史的事実であります。そして、第二代戸田会長、第三代池田会長の闘いによって、日蓮大聖人の正義が社会に宣揚され、厳然たる勢力となってその姿を現出してきたことです。」
と述べている。これは、太平洋戦争・第二次世界大戦のことを指していると思うが、これを他国侵逼難といえば、国際社会から、つまはじきにされるであろう。これは日本の侵略に原因があったといわれているからである。
そして、「第二代戸田会長、第三代池田会長の闘いによって」云々とあるが、初代の牧口会長は、どうなったのであろうか。これは、第2代戸田会長の獄中悟達などということを考えるため、戸田会長を原点としなければならないからである。創価学会の歴史に矛盾を作ることになるのではないか。
また創価学会の会長の活躍も、御法主上人の御慈悲があったればこそである。そもそも、創価学会が宗教法人になり得たのは、時の御法主上人の御慈悲の賜物である。創価学会が、勝手に宗教法人を取ったのではない。その時の三条件には、
(1)折伏した人は信徒として各寺院に所属させる。
(2)当山の教義を守ること。
(3)仏法僧の三宝を守ること。
とある。こうした経緯を忘れたところに、今日の学会首脳や市河氏のような増上慢の発言がでてくるのである。
(17)創価学会のみが大難連続
市河氏は、
「難を受けることの少ない宗門に比べて大難連続の創価学会に大聖人の仏法を観じてきた、私の見解は誤りなのでしょうか。」
と述べているが、宗門における七百星霜の正法護持に対し、何と理解しているのであろうか。
日蓮正宗七百年の歴史は、大聖人はもとより、日興上人・日目上人等の御歴代上人をはじめ、数々の難を乗り越えての今日の姿なのである。第3祖日目上人は、実に42度にわたる国諌をされている。法華講衆とともに凌いだ法難として、熱原法難をはじめ、千葉、金沢、讃岐、仙台、尾張、伊那、八戸等の法難がある。また明治以降にあっても、日蓮宗との合同問題等を、時の御法主上人のもとに切り抜けてきたのである。
創価学会の大難とは、いつを指すのであろうか。昭和18年から19年の牧口会長・戸田会長等への弾圧は、まさにその通りであるが、その後、大難といえるのは何を指すのだろうか。昭和45年の言論出版妨害問題だろうか。また昭和52年路線より起きた宗門・学会問題だろうか。あるいは今回の宗門・学会問題を指すのだろうか。
法難とは、正法を弘通するときにおいて起きた難のみをいうのである。社会のルールを犯して起きた問題をもって法難とはいえない。創価学会だけが法の上の大難連続とはいえないのである。
(18)地涌の四菩薩
市河氏は、その主張の中で、「観心本尊抄」の、
「是くの如き高貴の大菩薩・三仏に約束して之を受持す末法の初に出で給わざる可きか、当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」
との御文を曲解して、次のように述べている。
「『四菩薩折伏を行ずるときは賢王となって』とは化儀の広布の時において本化四菩薩が在家の身で出現し、広布のために活動することを予言されたものと拝しています。そうすると、出家となるも、在家の活動家となるも、四菩薩の流れに見る二面性であって、根本的には上下なく、広布のための役割の相違と見ることができます。
本化地湧の二面性と云っても、本尊抄によれば出家の方は摂受であり在家は折伏です。しかも、末法における日蓮大聖人の法門は折伏を面(おもて)としていますから、今日における化儀の広布においては在家が舞台の表面に立つ時であり、在家本番の時と自覚しています。」
ここにおける大きな誤りは、僧俗平等といいつつも、「在家本番」という在家主・出家従とする、本末転倒の末法の行相観である。末法においては、大聖人の出現によって確立された法体の折伏、すなわち開顕されたところの本地の本法を、日興上人以下、僧宝伝持の折伏をもって久住し、摂折二門の化導の方軌の中、折伏を表とした摂折、時に適う折伏をもって、僧俗ともどもに広布に邁進するのが本義である。
その意味において、「諸法実相抄」に、
「地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」
とあるように、大聖人と同意の上の地涌の菩薩の眷属としての自覚をもって、また「観心本尊抄」の、
「此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」
との御教示のように、深く自他の正見をもって進むことが肝要である。
そうであるにもかかわらず、「諸法実相抄」の、
「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」
との御文に接して、大聖人と同意であるから、自らも地涌の菩薩であると、ただちに解釈するのは大いなる僻見である。これは、「地涌の義の総体・別体」を知らないところにその原因がある。「御義口伝」には、
「御義口伝に云く涌出の一品は悉く本化の菩薩の事なり、本化の菩薩の所作としては南無妙法蓮華経なり此れを唱と云うなり導とは日本国の一切衆生を霊山浄土へ引導する事なり、末法の導師とは本化に限ると云うを師と云うなり、此の四大菩薩の事を釈する時、疏の九を受けて輔正記の九に云く『経に四導師有りとは今四徳を表す上行は我を表し無辺行は常を表し浄行は浄を表し安立行は楽を表す、有る時には一人に此の四義を具す』」
と明かされ、また、日寛上人はこの文を釈して、「開目抄愚記」に、
「『或る時は一人に此の四義を具す』とは、即ちこれ総体の地涌なり。当に知るべし、在世はこれ別体の地涌なり、末法はこれ総体の地涌なり、故に『或る時』という。或る時というは、即ち末法を指す」
と示されている。すなわち、地涌の菩薩における在末の総・別を明かし、そして四徳・四菩薩総体の導師、上行再誕日蓮大聖人の末法涌出を結示されているのである。つまり、末法における四菩薩の出現は、市河氏の説のようなものではなく、大聖人の一身に、四菩薩・四徳の全てを具した「総体の地涌」であるという結示なのである。
故にこそ、また「御義口伝」には、
「今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者は皆地涌の流類なり」
と仰せられ、大聖人以下の我々僧俗は、大聖人と同意の上において「流類」であると明示されるのである。末法においては、四菩薩の徳を、総じて上首唱導の上行菩薩に具するのが本義である。故に、四菩薩総体の上首上行日蓮大聖人と顕われるのである。我々僧俗は、ここに同意であるから、その眷属・流類となり得るのである。これを知らずに、「在家本番」などと在家本仏論をほのめかすことは、信徒が上行再誕日蓮大聖人と同一であるとするものであり、「謂己均仏」の大慢の僻見であると断ずるものである。
また、四菩薩は大聖人として出現されるのであるから、市河氏のような、四菩薩大聖人が再び出現するという解釈は間違いである。
このことは、市河氏の、
「諸法実相抄に『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱えしが、二人、三人、百人と次第に唱えつたふるなり』の次下に『未来もまたしかるべし、是あに地湧の義に非ずや』とあるからです。この御文は、大聖人御在世における法体の広布にあっても、また、今日における化儀の広布の時にあっても、広布の原理は同じであり、同じ様相をもって妙法が宣揚されていくことを予見されたものと拝されます。」
という、「戸田会長の獄中の悟達」との、いわゆるためにする、新たな唱導の流れがあるような、曲解の根拠を示すものでもあるといえる。「諸法実相抄」の「未来も又しかるべし」とは、末法の本仏大聖人に始まる題目を、門下僧俗が、大聖人に連なって折伏する未来の様相を示したもの以外の何ものでもない。
確かに「観心本尊抄」には、国王による化儀の折伏を説示している。しかし、日寛上人の「観心本尊抄文段」には、国王とは仙予国王等とある。仙予国王とは、「仏教哲学大辞典」によれば、「純善」の人である。広宣流布の日には、必ずこのような方が現れるであろうが、現在の池田氏等のような、三宝を破壊する極悪謗法の人のことでは、断じてない。
氏はまた、
「本尊抄によれば出家の方は摂受であり在家は折伏です。」
と述べているが、末法は、僧俗ともに折伏の時である。「開目抄」に、
「無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし」
とあるごとくである。正像の本已有善の時ならいざ知らず、末法の本未有善の衆生には、随自意の教法をもって折伏を行ずることは明らかである。その折伏の上に立った摂受もあることは、幾多の御書にも明らかなところである。法華講とともに折伏に励む僧を、摂受といえるだろうか。寺院での御本尊を頭に頂く御授戒は、摂受であろうか。
まして、「当家三衣抄」には、当宗の法衣を指して、
「末法折伏の行に宜しき故なり」
と示され、大聖人は「出家功徳御書」に、
「されば其の身は無智無行にもあれかみをそり袈裟をかくる形には天魔も恐をなすと見えたり」
と示されている。仏を期すゆえに、僧となって法衣を着する形そのものが、すでに折伏であることが了解できるではないか。市河氏には、いたずらに出家=摂受、在家=折伏、などという愚かな解釈をして、僧俗の和合破壊を行なわないよう、反省を求めるものである。このような作為があるからこそ、また「在家本番」などという、三宝破壊の邪説を立てるのである。いつの時代になろうとも、当宗においては、血脈付法の御法主上人、すなわち現時における一閻浮提の大導師を師として教えを蒙るのである。
「化儀抄」に云く、
「一、手続の師匠の所は三世の諸仏高祖已来代々上人のもぬけられたる故に師匠の所を能ク々取り定メて信を取るべし、又我カ弟子も此クの如く我レに信を取るべし、此ノ時は何レも妙法蓮華経の色心にして全く一仏なり、是レを即身成仏と云ふなり」
御文中の「我レに信を取るべし」の「我レ」とは、時の御法主、日有上人であることに留意せねばならない。
また、「御本尊七箇相承」に云く、
「一、日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事如何。師の曰く、深秘なり、代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」
市川氏には、右御文を虚心坦壊に拝しての猛省を促すものである。
(19)有徳王・覚徳比丘
市河氏は、
「仏が出現されるとき、そのお立場は必ずしも出家僧でないことは、涅槃経の有徳王、覚徳比丘の法理に照らしても明白であります。」
「ところで、大聖人の仏法においても化儀の広布の時を明示して三大秘法抄に、『有徳王、覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時』とあり、有徳王の出現を明示されております。(中略)出現されたときの立場は在家であること(中略)その人は在家でありながら内証の辺は地涌の四菩薩であること等は、まちがいないと思います。」
と述べ、有徳王・覚徳比丘の故事を引いて、本仏大聖人以外の本仏を、今のこの時代につくるための、根拠不明・牽強付会の大謗法の説を立てている。なぜ日蓮正宗で大聖人以外の仏を必要とするのだろうか。これは、まさに仏法破壊の大謗法といえる。涅槃経に説かれる有徳王・覚徳比丘の故事は、正法護持の信仰者の心構えと、正法を守る者の功徳の大きさを讃えるもの以外の何ものでもない。
「立正安国論」に、
「迦葉・爾の時の王とは即ち我が身是なり、説法の比丘は迦葉仏是なり、迦葉正法を護る者は是くの如き等の無量の果報を得ん」
と、大聖人が引用されるのも、その意味において同様である。
この意味においてこそ、「三大秘法抄」の「未来に移さん時」という御教示をも拝すべきである。すなわち、大聖人の眷属として、その自覚に立って大聖人のように前代に異なる自行化他の南無妙法蓮華経を、広宣流布の暁を目指して行ずることが、我々の信仰姿勢なのである。
この本義を習いそこない、広布の達成せざる今に、有徳王の確定を求めるような、氏の、
「有徳王を特定するには、広布史上におけるはたらき、現実の振舞い、実績等で判断する以外にありません。宗門の見解をご教示願いたいと思います。」
との言は、まさに僧俗の本分を忘失した論であるといえる。
(20)大聖人己心の弥四郎国重
市河氏は、
「一閻浮提総与の御本尊様の対告衆は弥四郎国重と賜わっております。弥四郎国重は、出家ではなく在家の名とも伺っています。大聖人己心の弥四郎国重がどなたなのかは、私どもは知る由もありませんが、御本仏の己心の人である以上、必ず広布の途上に出現する方と見るべきでしょう。」
と述べている。
唖然とする。まさに仏法破壊の珍説である。日蓮大聖人は、発迹顕本をもって久遠元初の仏身を示され、内外の因縁充実をもって大聖人己心の弥四郎国重を願主として、人法一箇の大御本尊を顕わされたのである。
そのことは「富士宗学要集」に、大御本尊脇書として、
「右現当二世の為に造立件の如し、本門戒壇の願主弥四郎国重、法華講衆等敬白、弘安二年十月十二日」
とあるごとくである。このことにつき、市河氏はいわれなき珍説を立てている。しかし、「己心」とは己の心で、大聖人己心の弥四郎国重とは、大聖人の内証としての弥四郎国重である。これがなぜ、大聖人と別な人間として顕われなくてはならないのか。大聖人己心の弥四郎国重は、すでに大聖人自身の末法出現とともに顕われ、一閻浮提総与の大御本尊の中に、願主として存在しているではないか。
また、僧形をもって末法救済のために出現された大聖人己心の弥四郎国重を、出家であるか在家であるか、何の必要があってそのような論理を弄さなければならないのか。そこに、市河氏の信心不在の邪念による作為を感じる。
本来、大聖人所顕の大曼荼羅御本尊は、大きく分けて二種に分けることができる。すなわち、意味の相違による分類である。一には、出家在家への個人賜与の御本尊であり、その中の多くは、信行の対象として安置すべき御本尊であるが、まれに守り本尊の意味で顕わされ、授与されたものもある。この個人の場合は、ほとんどの御本尊に受者の名前が書かれている。二には、特別な意義と目的のもとに顕わされるか、またその時々の境地より顕発される御本尊で、授与書が示されていない。もちろん願主と授与者とが一つでない場合があるのは、法華経の説法に発起衆と影響衆・当機衆・結縁衆とが、それぞれ分かれているのと同様である。文永・建治・弘安の各期にわたって、授与書のない御本尊を相当数拝する。授与書がなくとも、それぞれ大小の目的に従って、委任すべき弟子に譲られるのは当然である。本門戒壇の大御本尊は、唯一究竟の大目的のもとに、大聖人の境界中の弥四郎国重の願いによって顕わされ、広宣流布の本門戒壇建立の時のため、日興上人へ特別に授与になったから、日興上人は、また次に一閻浮提の座主として、日目上人に譲られたのである。個人への授与でないから、大聖人より日興上人への授与書が示されていないのは当然である。
我々にとって、まことに肝要なことは、一閻浮提の座主たる御法主上人を、現今の師としてそこに信を取り、宗祖大聖人出世の本懐たる大御本尊を拝することである。いかに大聖人所顕の御本尊とはいえ、身延・池上の御本尊を信仰しても、その益なきは論をまたない。何の必要あって、市河氏はこのような珍説を立てるのだろうか。まさに、ためにする仏法破壊の大僻説であるといえる。
日亨上人は、「化儀抄註解」において、
「本尊の事は斯の如く一定して・授与する人は金口相承の法主に限り」
と述べられている。御本尊のことは、大聖人御内証の所談であり、これを通釈できるのは、唯一、血脈付法の御法主上人のみであることを再度心に刻み、そこに信を取って正信に歩むことを、市河氏に願うものである。
以 上
新潟県婦人部活動者会(1991年・平成3年2月)における
創価学会参議会副議長 柏原ヤス女史の指導を破す
時局協議会文書作成班3班
『法華経陀羅尼品第二十六』に、
「説法者を悩乱せば 頭破れて七分に作(な)ること 阿梨樹(ありじゅ)の枝の如くならん」(開結645)
と説かれている。柏原ヤス女史の指導をみると、その内容が支離滅裂である。これは、臆面もなく御法主上人を非難し、三宝を破壊することによってもたらした、「頭破作七分」の現証というべきであろう。
「林檎だの何だのってのは、みんな『置き場所』みたいなもんです。(笑い)みんなが欲しがらないように、御本尊様にあげてんです。(笑い)」
これが、最高幹部の指導であろうか。開いた口が塞がらないとはこのことである。また、これを聞いている多くの学会員は、漫才でも聞いているかのように笑っているが、日蓮正宗の信仰をする者として、何ら「おかしい」と思わないのだろうか。
牧口門下生と称するように、信心歴も長く、また学会の参議会副議長といういかめしい役職を肩書きとしてもつだけに、さぞ立派な指導をするのであろうと思っていたら、とんでもないことであった。本宗の信心の基本すら弁えず、池田創価学会の御都合をごり押しするために、ただ単に全体を通して品性のなさを露呈しているだけの話(指導というには程遠い)である。
「私だって50年信心してんだよ、これでも…、自慢するわけじゃないけど。(笑い)」
と、50年の信心を自慢げに話しているが、むしろ長い間に慢心が女史の心に遍満し、清らかな信心をどんよりと濁してしまったのであろう。つねに己心の魔と闘っていないと、こういう結果になるのである。50年間信心しても、なお恥さらしの指導をしている女史が、本当に哀れである。
ところで、今回の柏原女史の指導は、大きく4つに分けることができる。これは、創価学会首脳が、かねて宗門に、「お願い」としているところの、
開かれた宗門であってほしい。
信徒蔑視をやめていただきたい。
少欲知足の僧であってほしい。
の、3項目を骨子としたものである。創価学会は、表面上、いつもこのように紳士的であるかのような言葉を使うが、実際は、御法主上人をはじめとする宗門僧侶や寺院に対する軽視等々、池田大作氏が信仰の基本すら弁えずに放言しつづけたことを、単にすり替えたものでしかない。当然、柏原女史も、こうしたすり替えを基として、宗門を侮蔑した内容の指導をしているのである。すなわち、世界宗教、信者蔑視、僧侶の堕落などを挙げ、我見・慢心による捏造によってそれらを述べ、最後に質疑応答を設けて終わっている。そこで、以下、4つの項目に分けて破していくことにする。
1.「世界宗教になってほしい」について
柏原女史は、「日蓮正宗が世界宗教になってほしい」などといっているが、実際に話した内容は、まことにお粗末なものであった。
その中で、「真言亡国・禅天魔」(実際は「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」の順でいい習わしている)云々と仰せられた大聖人の四箇の格言が時代後れであり、その教えに従う宗門人を「猿マネ」とまでいっている。そして、
「正直ってのは、嘘つかないってことじゃないですよ!」
と悪態をつく始末である。
「イラク・クウェ-ト戦争に池田大作氏が三度の提言をしたから凄い!」(趣意)
とか、更には、
「日蓮正宗の猊下っていう人は何も言わないんだねー。」
などと、御法主上人の尊厳性を蔑ろにする発言をしている。
これは、目に見える表面の行動ばかりに気を奪われて、法の御祈念の尊さを知らない無信心の者の言葉である。
総本山の御歴代上人は、700年間、1日も欠かさず世界の平和と一切衆生の幸福と成仏とを願って、丑寅勤行を奉修してこられたのである。すなわち、政治・経済の改革というよりも、日蓮大聖人の正しい仏法による平和・幸福を第一とされているのである。その尊い御祈念と、僧俗一致による広宣流布の実践とによって、今日、世界の平和と人類の幸福がなされつつあるのである。
したがって、信徒の方々が世界の平和と人類の幸福のために、政治・経済などのあらゆる分野で活躍することは、まことに結構なことであるが、それにからめて逆に御法主上人を非難することは、おかど違いというものである。これは、日蓮大聖人の教えの根幹を知らない愚者のなすことである。
(1)四箇の格言に対する暴言
柏原女史は、
「権威を振りかざして民衆の上に君臨する宗教は、それは宗教ではない。こういうものがのさばっている限り民衆の幸せはない。牢獄だ! こういうふうに(大聖人は)おっしゃったんです。」
と述べている。しかし、宗祖大聖人は、こんなことを根本問題とされたのではない。民衆が、なぜ苦しんでいるかといえば、
『立正安国論』に、
「広く衆経を披きたるに専ら謗法を重んず、悲いかな皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る、愚なるかな各悪教の綱に懸って鎮に謗教の網に纏る、此の朦霧の迷彼の盛焔の底に沈む豈愁えざらんや豈苦まざらんや」(全集32)
と仰せのごとく、正法に背き、謗法を重んじているからである。つまり、邪法が不幸の原因なのである。したがって、大聖人は、邪法を退治し、正法を立てることの大切さを指南されたのである。
更に、女史は、
「それを、またね、真言亡国・禅天魔なんてさあ、いう必要ないんですよ。大聖人様は、『なんだ、猿マネすんな』と、『もう、わしが切ってるのに、何、時代遅れじゃないか』」
と述べている。宗祖大聖人の四箇の格言を、何と心得ているのか。大聖人は、衆生を救うために邪宗破折をされたのである。本因下種の仏法は、大聖人の滅後、唯授一人血脈付法の御法主上人を中心として流通する師弟子の法門である。したがって、師匠たる御法主上人の御指南をもとに、折伏弘教を実践することが大事なのである。
第2祖日興上人は、日蓮大聖人に常随給仕をして、その御精神を受けつがれたのである。また、第3祖日目上人も、大聖人に7年間、常随給仕をされている。
『日興跡条条事』に、
甲 州
「十七の才日蓮聖人の所に詣で 御在生七年の間常随
身延山
給仕し云云」(聖典519)
と仰せである。その日目上人が、42度も国諌をされた御功績は、あまりにも有名である。その42度目の国諌の途上、伊吹おろしの美濃の垂井の地で、御遷化されたのである。日目上人は、御遷化の夕べに至るまで、御遺命達成のため、四箇の格言の御精神を貫きとおされたのである。
この御精神は、第4世日道上人、第5世日行上人以来、代々の御法主上人に伝えられてきたのである。
その御精神を伝える化儀が、毎年、御大会(ごたいえ・末寺の場合はお会式〈えしき〉という)で奉修される、『立正安国論』と『申状』の奉読である。それを「猿マネ」と発言するとは、宗祖大聖人、日興上人、日目上人の御精神を冒涜するものであって、まさに本因下種の仏法に対する反逆行為と断ずるものである。
『日興遺誡置文』の、
「一、富士の立義聊も先師の御弘通に違せざる事」(全集1617)
との御遺誡を、よくよく肝に銘ずるべきである。
(2)正直についての暴言
柏原女史は、
「正直ってのは、嘘つかないってことじゃないですよ!嘘つかなきゃ生きて行けませんよ! そうじゃないの!(笑い)今日1日は嘘つかないで暮らそうと思ったって、ちっとももたないわよ。(笑い)嘘をつかないってのが正直ってんじゃなくて、正しい正法を信じることが正直。」
と暴言を吐いている。これが、世界宗教になるための条件だろうか。これなら、テ-プレコ-ダ持ち込みを禁止することも、容易に理解できる。この創価学会首脳の歪んだ姿、考え方を世の中の人が知ったら(その体質は、現在、知られつつあるが)、誰も創価学会を信用しなくなるだろう。
「正しい正法を信じることが正直」と、さも正論を述べているようであるが、そもそも正法を正しく信じていないのが、創価学会首脳の現実の姿ではないか。正しい法を正しく信じていたら、今回のような問題は起こるはずがない。当家の三宝を正しく拝せず、かえって非難しているようでは、到底、正法を正しく信じているとはいえないのである。
また、仏法においては、小乗教においてすら、正直を旨とすることが説かれているのである。まして、「仏法は体、世間は影」との道理からして、世間法においても、やはり正直を旨としなければならないことは、理の当然であろう。それを、「嘘をつかないってのが正直ってんじゃなくて」などと、大勢の面前で、恥ずかしげもなく放言しているのであるから質(たち)が悪い。これならば、「創価学会というものは、嘘を平気でつき、嘘を塗りたくって自らを美化し、また嘘をもって他を攻撃する団体である」と評価されても、何らおかしくはない。いや、実際に宗門や脱会者に対して、口コミなどをもってなされる誹謗悪口の数々が、まさに嘘ばかりではないか。その嘘のために、どれほど多くの人々が苦い思いをしているか、知っているのだろうか。
こうした言葉を聞くと、やはり1億7千万円入り金庫の遺棄事件や、ルノワ-ルの絵画疑惑事件などにおける学会首脳の釈明は、やはり嘘ではないかと勘ぐりたくもなる。
2. 会員蔑視
柏原女史は、池田氏や他の大幹部と同様、虚偽捏造をもって苛烈に僧侶を侮蔑しながらも、それを僧侶の信徒蔑視へと姑息にすり替えている。
例えば、
「信者を好き勝手にさ-、こき使ってさ-、働かせてね、御布施をさせてさ-、『持ってこい!』っていうんだから、凄いじゃないの。」
と、僧侶が信徒に対して威を張ってこき使い、まるで金づるでも捕まえたかのように、信徒に御供養を強要しているように放言しているのである。このような態度をとっている僧侶が、一体、どこにいるというのか。いるというのならば、挙げてみればよい。それとも、女史自身が、実際にこのような僧侶に接したというのか。嘘もいい加減にすべきである。寺院に参詣しない、いや参詣しようともせず、本宗の信仰の基本すら弁えていない女史のような無信心の輩に、本宗の僧侶のことなど判ろうはずがないのである。その証拠に、本宗でいう御供養を、女史は平然として「御布施」といっているではないか。このような輩に、宗門のことを云々する資格などない。
また、上記の発言について更にいえば、それは、まさに現在の創価学会の姿そのものに当たるであろう。金集めの中でも特別財務は、その最たるものである。全国の一般会員から、年間、一般常識では考えられないほどの巨額なお金を、数日にして集めるといわれている。しかも、去年までは言葉巧みに「御供養の精神で」などと意義付けをしたり、(週刊誌に掲載された竜氏の指摘によれば)大病で入院し、困窮している会員にすら、寄付を強要していた者もいるといわれているではないか。ある学会内部からの報告によれば、その多くは池田氏を中心とする学会首脳幹部の活動や会館建設、そして職員等の給料に使われるというのである。したがって、女史のこの発言は、そのまま女史並びに学会首脳にお返しするものである。
なお、このような学会自身の金集め体質を、あたかも宗門僧侶の体質であるかのようにすり替えて、宗門僧侶を誹謗し、一般会員を洗脳せんとする柏原女史の果報は、必ず無間大坑(だいきょう)にあることを思い、恐れるべきである。
(1)御供養への暴言
柏原女史は、また、
「南条時光が大石寺に膨大な土地を御供養しているんです、ね。東西500メ-トル、南北2キロ、これ計算しますと30万坪ですね。そういう広大な土地を御供養してんのよ。みんな信者が、御供養してんです。坊さんが稼いだわけじゃないのよ、また稼がなくていいけどさー。(若干笑い)」
とも述べている。女史は、このような暴言を吐いて、日興上人に申しわけない発言をしてしまったと思わないのか。日興上人は本宗の僧宝であり、大聖人より唯授一人の血脈を相承された本門弘通の大導師にまします方であることを忘れてはならない。南条殿にしても柏原女史の発言は心外に違いない。
日興上人は、正法正義を守るため、正応2年春、大聖人から付嘱された身延の地を、万感の思いを懐いてやむをえず離山されたのである。若き南条時光殿は、清らかな求道の信仰心と大法護持の信念とによって、喜んで日興上人をお迎え申し上げ、大檀那として大石寺を建立寄進され、外護の任を全うされたのである。南条時光殿の生涯を拝すれば判ることであるが、「大石寺は我々信徒が御供養してやったのであって、坊さんが稼いで建てたわけじゃない」などというような傲慢な気持ちは、いささかも感じられない。この南条時光殿の純粋な正しい信心による御供養の精神を、女史は上記の発言をもって、現在の池田氏をはじめとする学会首脳の御供養の精神と、いたずらに一致させているのである。これは、まさに南条時光殿の信心を冒涜するものであり、その真心を踏みにじるものである。
また、柏原女史は、
「それで、このたびは、開宗(開創?=筆者注)700年というめでたい本山のお祝いがあったでしょう? 全部、創価学会の御供養でやったんじゃないのよ。」
と述べている。治生産業に生きる本宗の信徒が、本因下種の三宝に御供養申し上げることは、その信心の表われとしてむしろ当然であり、その信心に功徳が具わるのである。同様に、浄心の御供養でなければ、当然、その功徳も具わらない。信心の基本が狂っているから、このような発言になるのである。
また、本宗の法要行事の一切が、信徒の純粋な御供養によって執行されていることは、女史の上記発言のとおりである。しかしまた、元来、謗法の施を受けない宗門に、創価学会員が御供養をすることができるのはなぜか。それは、学会員である前に、日蓮正宗の信徒だからである。いわば、本宗のよき信徒であることが、学会員の誇りでなければならないのである。学会員は、このことを冷静に考え直さなければならないであろう。
日興上人は、『日興遺誡置文』に、
「一、謗法の供養を請く可からざる事」(全集1618)
と仰せである。謗法の徒は、御供養をしたくともできないのである。日蓮正宗の信徒であるからこそ、本因下種の三宝に御供養することができるのである。三界六道に流転する身であった者が、たまさか人身を得て、正法に巡り遇い、仏道を行ずることができたのである。このように考えたとき、現在、こうして下種三宝に対して、御供養のできる我が身を幸せと感ずることこそ、信心ある者の証(あかし)である。もし、柏原女史が、このように感じたことがあったならば、「みんな信者が、御供養してんです。坊さんが稼いだわけじゃないのよ。」
などとは、間違ってもいえないであろう。
また、宗祖大聖人は、『衆生身心御書』で、
「ひへのはんを辟支仏に供養せし人は宝明如来となり・つちのもちゐを仏に供養せしかば閻浮提の王となれり」(全集1595)
と、阿那律と徳勝童子・無勝童子の故事を引かれ、真心による御供養の大切なことを述べられている。
阿那律は、わずか1杯のひえの飯ながら、辟支仏に対する、全てを捧げた真心の御供養の功徳により、普明如来となったのである。また徳勝童子・無勝童子は、土の餅を仏に供養して、後に大王と生まれることができたのである。
柏原女史のような信心歴の長い人が、このような御供養の基本的な精神を知らないとは、何とも悲しい限りである。しかも、柏原女史の発言には、「御供養をしてやったのだ」という気持ちが、ありありと表われているのである。このような、功名心や恩をきせるためのものであるならば、それは単に慢心を露呈しただけであって、決して御供養とはならない。婦人部の最古参の指導者であるならば、御供養の大小をもって自慢するのではなく、本因下種の三宝に対する真心の御供養が大切であるということを指導していただきたいものである。
ともあれ、もともと御供養は、信徒各位の信心によるものであって、三宝から強要されるものではない。したがって、無信心により、慢心を起こして悩乱した池田氏や柏原女史などのような輩は、下種三宝への御供養などする必要はない、いや御供養する資格自体がないことを、ここで述べておくものである。
なお、蛇足ながら、「全部、創価学会の御供養」と述べているが、法華講員もいることを忘れてはならない。真心は、皆、平等なのであるから……。
(2)11・16テ-プ訂正の曲解
柏原女史は、
「すぐ取り消しましたけども、『こういった、あーいった、あーだとかこうだとか』ケチつけて、それで池田先生の総講頭の首を斬るって理由にした。ね、それで間違ったことをテープから聞き出して、インチキテープ聞いてんだもの。『そんなテープでねー、先生のおっしゃったことを聞いているんじゃ駄目です。ちゃんとしたテープがありますから、それをみんなで聞きましょう。それで、あなたたちが考えていってるのと、どこが違うか、正しいか。それをキチッとしなければ話になりませんよ』っていったって、『そんなこと、やだ』っていうんです。やだっていうか『必要ない』って、ね。」
と述べている。嘘をいうのはやめなさい。昨年12月13日の連絡会議の折、「創価学会の保存テープと聴き比べてはどうか」ということを提案したのは、宗門の側である。それに対して、当初、秋谷会長以下学会首脳は、「スピーチの折には記者が注意しながら筆記しているから、テープは録っていない」とか、「ビデオテープもない」などと嘘をついたではないか。それでも、結局、秋谷会長はいい逃れをしきれずに、最後はしぶしぶ録音テープの存在を認めざるをえなかったのである。
柏原女史といい、山田徹一氏といい、どうも学会では、学会保守のために、嘘ばかりつける人間が、参議に名を列ねることになるらしい。信仰組織の参議に名を列ねるならば、最低限、事実の確認くらいはして、正直に事実を述べるべきである。信心をしている者が、このような事実を覆い隠して捏造するという非倫理的なことは、見苦しいのでやめなさい、といっておきたい。
さらに女史は、
「それから後になって聞き方間違っていましたから、『訂正します、訂正します、訂正します、訂正します』って、全部訂正しちゃった。それで、池田先生を総講頭をやめさせるっていうんなら、やめさせるっていうことを訂正しなきゃなんないでしょ? そうじゃない?」
と述べている。
ここでも、「全部訂正しちゃった」と、平気で嘘をいっている。「お尋ね」においては、確かに4箇所の反訳の相違があった。しかし、それらは基本的に質問内容と関わりのない箇所であるか、あるいは反訳の相違によって池田氏の発言内容が変わるようなものではない。したがって、本来、これらの質問は全て有効なのである。なお、伝聞箇所については、証人の立場を考えた上で撤回したのである。
ところが、学会では、宗務院の誠意ある訂正を、平成3年1月15日付の『聖教新聞』の第1面で、「テープの誤り認め質問撤回」などと、ことさら針小棒大に取り上げたのである。このように、反訳の相違点のみを取り上げて、宗門の非をあげつらうのは、まさに学会特有の姑息なすり替え戦術によるものなのである。また、森田理事長は、「公式謝罪を強く要求」との見出しで、
「事の重大性からみれば、名誉毀損等の告訴や裁判も考慮しなければならない問題ですが、名誉会長からは、我々の目的は、どこまでも僧俗和合の推進にあることから、寛大にとの意向もあるので」
などと、白々しく述べているのである。
もし、ここまでいえるのならば、なぜ総監からの文書(1・1回答への指摘)の全文を掲載しないのか。その答えは簡単である。全文を掲載すれば、質問を全面的に撤回したのではないこと、宗務院入手のテープが改竄テープでないこと、したがって学会の非が明らかになってしまうからである。
それを、『聖教新聞』には、上記のように載せ、まるで「お尋ね」自体が、宗務当局の策略であるかのように仕立てたのである。これは、逆に宗門を陥れ、一般会員を欺瞞する策略である。森田理事長は杉並ビクトリー勤行会で、世間の識者が創価学会を「人間に優しい」団体といっていると紹介しているが、このような現実を目の当たりにすると、優しいどころか、人権を侵害するのが、創価学会首脳の本当の姿であると判るのである。(なお、このことに関しては、時局協議会文書作成班4班による“学会からの事実歪曲の「宗門『お尋ね』文書事件についての見解」を破す”に詳しい。)
(3)御法主上人への暴言
柏原女史は、
「猊下ってね、不勉強じゃないのかしら? ね、不勉強なんてもんじゃないですよ、何かどっか、おかしいんじゃないの?(笑い)不勉強なんていうのはね、まだね、そんな馬鹿なことはさー、いわないわよ。『おかしいんじゃないのー』っていいたくなるじゃないの! そんなこと、私はいいませんよ。(爆笑)ウン? 本当に、そういう、フフフね?(会場より「いってるじゃないか!」との声あり)」
と述べている。何たる暴言か。柏原女史には、御法主上人の御指南をたまわるという、信仰の基本姿勢は微塵もない。
『日興遺誡置文』の、
「一、当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞く可き事」(全集1618)
との御遺誡を、何と心得ているのか。本宗は、相伝の仏法を信受するところに、信仰の要があるのである。相伝の仏法を所持される御法主上人を、「不勉強じゃないの」「おかしいんじゃないのー」とは、信徒にあるまじき発言である。本宗では唯授一人血脈付法の御法主上人に対する、師弟相対の信心を教えるが、学会では人生の師匠と師弟不二の境涯になることを教えているらしい。女史の不遜な精神構造は、池田大作氏の精神構造と全く同じである。そういえば、「そんなこと私はいいませんよ」との発言は、まさに池田大作氏の発言とそっくりではないか。たまりかねた出席者から、「いってるじゃないか!」との声があがる始末である。女史は、学会の最高幹部の一人として、己の身の誤りを深く反省すべきである。そして、嘘で固めていく人生を歩むことは、直ちにやめるべきである。
また、女史は、
「坊さんの中には変な坊さん、いるかも知んないけど、猊下さんには、そういうことは、ね、学会のことを良く仰せくださる猊下様ーと思ってましたよ。そうじゃないの?ただ、段々段々その、裏切られてくるから、ね。もうここで私達がしっかりしなきゃダメだ。ね、この信者を奴隷のように、ね、考えてる、そういう考え方は、大聖人様の御精神から外れてんじゃないか?」
と述べている。しかし、日蓮正宗の信仰から大きく逸脱して、御本尊を利用し、大聖人を欺き、御法主上人を裏切ったのは、他でもない、池田大作氏ではないか。
かつて、昭和52年路線の誤りを、率直に認めたはずではなかったのか。いわゆる6・30、11・7でお詫びをすると同時に、翌年4月下旬に至って、池田氏は一切の責任を取って、総講頭職と会長職を辞任したのである。御先師日達上人は、池田氏が院政を敷かないということも含めて、創価学会のそれまでの誤りを許されたのである。その翌昭和55年4月2日、池田氏は『恩師の23回忌に思う』と題する随筆の中で、
「永遠に代々の御法主上人猊下を仏法の師と仰ぎ奉り、強き広宣流布の戦士たる誇りも高く、さらに日蓮正宗の信徒として、いっそうの外護の任を全うしてまいる決意であります。」
と誓ったではないか。
しかし、池田氏をはじめとする学会首脳幹部は、これらを裏切って、敷いてはならない院政を敷き、破ってはならない決意を破ったのである。その証拠が、11・16における、御法主上人並びに宗門僧侶に対する非難中傷ではないか。
こうした池田氏の慢心を、既に御法主上人は見破られていたからこそ、あらゆる機会において善導されようと、種々御注意をされていたのである。それは、池田氏もさることながら、その影響下にある一般信徒を思われてのことである。それを「信者を奴隷のように」などと、よくもいえたものである。もっと清らかな信仰心を持つよう、心掛けるべきである。
(4)戸田会長の指導に背反
柏原女史は、
「『本山はこういう有り様だから、1年間に1世帯50円の御供養を本山にできないでしょうか? お願いしたい。』お山が呼びかけた。
そしたらね、『かしこまりました』っていう人、1人もいなかった。逃げちゃった、みんな。『集めたお金が、また無駄になるから。使ったお金が、ちゃんと使われるかどうか判らないから。』そんなこといって、みんな逃げちゃった。ね、その時に池田先生(戸田先生の間違いか-筆者注)がですね、決然と立ってね、『御供養をするのは信徒の務めだ。何に使われようと、御供養はもう出したものなんだから、お山がどんどんお使いになっていただければいい。仮に、不正に使ったらば、その使った僧侶が罰を受ける。地獄に行くんだから。そんなこと、一々私達がいう必要はない、いう必要はない』っていってね、『私達は、清らかな御供養をしましょう』っていうことになったわけ。」
と述べている。まことに立派な戸田会長の信心を見る思いである。
ところが、今はどうか。「これでいいのか塔婆供養」「これでいいのか正宗の御講」などという記事を連載し、嘘を折り混ぜて、宗門攻撃をしているではないか。個人のプライバシーまで踏み込んで、財産はどのくらいあるかとか、挙げ句の果ては何を買ったかまで、こっそり調べあげる陰湿さは、学会組織の体質を如実に物語るものである。民主を口ずさみする人達のすることかと思うほど、平気で破廉恥なことを行なっているのが、学会の実状であろう。これが、「人に優しい」団体のすることかと疑うものである。このようにして得た情報に嘘を折り混ぜて、公称数百万部といわれる『聖教新聞』や『創価新報』などで、悪態をついてせせら笑っているのであるから、創価学会首脳幹部は、その表と裏の顔の相違を、世間一般にまざまざとさらけ出しているのである。
一般の学会員も、首脳部の方針と違う行動をとれば、いつ同じようなことをされるか、判らないのである。実に恐ろしい団体である。
さらには、邪宗の新聞『中外日報』まで使って宗門攻撃をし、それをわざわざ、各寺院に贈呈までしているではないか。信心の基本が狂っている証拠である。戸田会長は、さぞかし嘆いていることだろう。
3.僧侶の堕落について
創価学会においては、柏原女史の指導に限らず、本年初頭から今日までの長期にわたり、ひたすら真実をねじまげた報道を行なって、御法主上人並びに宗門僧侶のイメージダウンを謀っている。
公称発行部数が数百万部といわれる『聖教新聞』、並びに何百人もの信徒を前にしての学会最高幹部の一人の女史の指導であれば、その発言が、微塵も真実をゆがめるものであってはならないはずである。しかるに、女史の発言にも見られるように、現状は真実を捏造した僧侶堕落論であり、宗門僧侶蔑視の発言である。その言動の帰趣するところは、有髪・背広の幹部を主体とした、「学会は主、宗門は従」の在家仏教の確立である。これは、日蓮正宗の血脈相承の大事、並びに当宗の三宝を破壊する謗法行為であると断ぜられるものである。
翻って、総じて創価学会並びに女史の発言を見るとき、そこには大聖人及びその教えに対する、軽視・蔑如の意識が存在しているのである。すなわち、それらは、真実の捏造にことよせた僧侶堕落論・僧侶蔑視論であるが、その僧侶蔑視論が、実は仏法を軽んじ、仏法を蔑如しているのである。我々は、これを看過することができない。
宗祖大聖人は『聖愚問答抄』に、
「仏法は強ちに人の貴賤には依るべからず只経文を先きとすべし身の賤をもって其の法を軽んずる事なかれ」(全集481)
と御教示である。確かに、末寺僧侶の中には、若輩にして非才の者もあろうが、その身の至らざるを誇張し、捏造して、大勢の会員の前であげつらい、『聖教新聞』や『創価新報』などに掲載するその姿は、大聖人の法を軽んずる謗法行為につながるのである。『持妙法華問答抄』には、
「然らば則ち其の人を毀るは其の法を毀るなり其の子を賤しむるは即ち其の親を賤しむるなり」(全集466)
と御教示されている。僧侶蔑視とは、大聖人の仏法そのものの破壊であり、同時にその親たる大聖人に対しての誹謗なのである。大聖人は、また『四信五品抄』に、
「国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ(乃至)蔑如すること勿れ蔑如すること勿れ、妙楽の云く『若し悩乱する者 は頭七分に破れ供養すること有る者は福十号に過ぐ』」
(全集342)
と御教示である。我れ賢しとの驕りと、自己の非を省みない独善体質をもって、大聖人と大聖人の法とを汚していく。その無慚無愧な心根を一日も早く改めなければならない。『日女御前御返事』には、
「法華経をば経のごとく持つ人人も・法華経の行者を或は貪瞋癡により或は世間の事により或は・しなじなのふるまひによって憎む人あり、此は法華経を信ずれども信ずる功徳なしかへりて罰をかほるなり」(全集1247)
と御教示である。これまでに積んだ功徳の尽きないうちに、いや無間の果報を受ける前に、正道に立ちかえることを切に祈るものである。
以下、女史の指導に対し、(1)僧侶妻帯を非とする邪説、(2)本宗と邪宗を同一視する無信心、(3)本宗の婚礼への勝手な解釈、の3点について、更に破していくこととする。
(1)僧侶妻帯を非とする邪説
柏原女史の指導を見るに、
「それから、徳川幕府が終わるまで、明治維新になる時まで、僧侶は奥さんを貰っちゃいけないってことになってた。邪宗であろうと、何であろうと。そのことについてさー、先生が、日蓮正宗のは奥さん貰って子供産んでどうのこうのっていったらさー、あの宗務総監がさー、池田先生がそういうふうにおっしゃたことをさー、池田先生の考えは小乗教の考えだ、小乗教の戒律の中では奥さんを貰っちゃいけないとか何とかっていうことはあるけれども、そんなことをいってるのは池田先生は小乗教の感覚で程度低いって、こういうふうにいってるんだ。なあにいってんだっていうだ、この。」
との発言に代表されるように、とても組織の最高幹部の指導とは思えない、低俗にして品性のない発言ばかりである。「なあにいってんだっていうだ、この」という指導を聞いた会員さんは、さぞ驚愕するとともに、落胆されたことであろう。
更に、男女平等をうたう民主主義の世の中に、妻帯が汚らわしく低俗なことであるかのように表現しているのである。このような女性蔑視の発言を、女性である柏原女史が行なうことは、学会首脳が得意になって利用する「識者」の人達も、さぞ驚くことであろう。
大聖人の仏法を、現代に脈々と活現する日蓮正宗で、化儀の時代即応があることは当然であろう。封建時代の女性差別が終焉した現代で、小乗戒律を標榜しない本宗が、妻帯を許して何の不可があろうか。それとも、創価学会では、宗門に対して、小乗教に変身して「教条的にヤレ!」とでもいうつもりなのであろうか。女史は、現在、全く寺院に参詣することがないとみえて、全くこのようなことも考えず、「珍妙な指導」を弄しているのである。文字どおり小乗戒律的、かつ低次元な仏教観の開陳である。
(2)本宗と邪宗を同一視する無信心
柏原女史は、更に、
「ね、そういうふうに信者を奴隷のように思って、そして権力と権威の上にのさばっている寺・坊主、そしてその陰には幕府の権力ってものがちゃんとあるんです。ね、じゃ日蓮正宗の中に、そういうのがないかっていうと、そんなことはない。同じよ、同じです、ね。」
と発言している。こと、ここに至っては、まさに信徒にあるまじき暴言と断ずる。本宗と他宗の正邪は御書に明らかである。日蓮正宗と邪宗とを同レベルとする発言が、よもや本宗信徒の口から公式の場でなされるとは、呆れてものがいえない。女史の「私だって信心50年やってんのよ」という50年、本宗信徒として何を信心し、学んできたのだろうか。信心50年の結晶がこの指導であるならば、女史が信じた50年の間の信仰は、断じて日蓮正宗の信仰ではない。
また、更に
「だから、ね、私達の見解は、そういう信者を軽蔑する信者蔑視、信者は奴隷の如く自分の思いどおりになるっていう、その御僧侶の考え方を、反省していただく、やめていただく、大聖人様の御精神にもう一遍立ち戻って、日蓮正宗の繁栄のために、不幸の人を救うための日蓮正宗であっていただきたい、御僧侶御自身が。」
と、事実捏造に基づいた僧侶蔑視の発言をもって、僧侶のイメージダウンを洗脳しようとする。宗門には、信者を奴隷のように思いどおりにするような僧侶は、一人もいない。今の時代、そのようにされるような信徒もいるわけがない。それにもかかわらず、女史がこのようなことを放言するのは、それが事実を捏造してのイメージダウン作戦だからである。だからこそ、単なる感情論に陥ってしまうのである。
(3)本宗の婚礼に対する勝手な解釈
更に問題なのは、この感情論に基づいて、本宗の化儀を改竄しようとする作意である。すなわち、柏原女史は、
「私はね、自分の家の御本尊様の前で結婚式をやるのが一番良い。ね、こんなにありがたい御本尊様を、我が家に御安置して、それで、結婚式をすべきじゃないか。」
と発言する。これは、従来、寺院で行なっていた結婚式を、明確に否定する発言である。「自分の家の御本尊様の前で結婚式をやるのが一番良い」という指導が、大聖人・日興上人・御歴代上人の御指南に存在するのだろうか。
更に、また女史の指導が正しいとするなら、従来、寺院で婚礼を行なった人々は、「一番良い」化儀以外で行なったことになる。それでは、今までの創価学会員は、ウソを教わり、ウソを同志に教え、ウソを自ら行じてきたことになる。まさに支離滅裂な女史の発言というべきである。
また、女史は、前発言に引き続き、
「それで本人が、『本当にそうだ』と、『大事な、年中、拝んで…自分の拝んでる御本尊様の前で、結婚式をやろう。死んだお父さんの前でやろう。』っていうんでねー、やったのよ。とってもね、みんなね、爽やかでね、そしてね、タダ!(笑い)お寺でやれば、30万、50万って払わなきゃなんない。
それで後は、皆さんに御披露するっていうときは、今度はちゃんとしたところへ、場所を設けて、それでそこで中華料理を御馳走するとか。引き出物を、きちっと、それこそ安上がりなんだからさー。」
と発言する。まずもって驚くことは、「御本尊様の前」イコール「死んだお父さんの前」という、女史50年の信心に基づくところの無信心な発言である。祖霊信仰を廃することは、本宗信徒にとって当然である。“御本尊イコール亡父”とは、開いた口が塞がらない。
まして、女史のいうように、創価学会員の婚礼での御供養が、30万円、50万円などとは、宗内でも聞いたことがない。その上、婚礼の御供養を、経費のごとく「タダ」とか「安上がり」などというに至っては、信徒の風上にもおけない暴言と断ずるものである。同時に、御供養とは何たるかを、50年かけても理解できない女史の信心に、哀れみさえ覚えるものである。この程度の信心・理解力しか持たない者が、最高幹部として学会内に君臨できるとすれば、創価学会という組織の在り方そのものを疑わねばならない。
4. 質疑応答
以上、見てきたように、柏原女史の指導は、はっきりいって支離滅裂である。当然、質疑応答の内容も支離滅裂である。その中、敢えて論折しなければならない点としては、 三宝に対する不認識、及び三宝破壊の暴言、 血脈相承の御法主上人と自分ら信徒とを同等とする大増上慢の発言、が挙げられる。
女史は、質疑応答の中で以下のように答えている。
「柏 原 そして僧宝は、日興上人。いいですか?そこだけ、
そこが、あんた間違っているのよ。
質問者 じゃあ、日興上人だけだとおっしゃるんですか?
柏 原 そんなこといいませんよ。そんなこと、私は一言
もいわない。日顕上人は血脈を受け継がれた67代
の大事な方だ、っていう感じですよ。
質問者 その、血脈をどうして、いわれないんですか?
柏 原 いいんでしょう。そういうこと、あんた!それが
判れば、僧宝というのは日興上人。いいですか?
質問者 日興上人様と、歴代御法主上人猊下様は、一緒で
しょう?
柏 原 日興上人!そこだけを覚えなさいよ!(笑い)ね、
じゃあ日興上人と日顕上人と同じかっていったら、
違うじゃない? 日顕上人は67代の猊下様よ。
質問者 日達猊下様も・・・
柏 原 そうです!私達と、ちっとも変わらないわよ、同
じよ。あんたは、僧宝を日興上人と、そういうよう
に覚えていかないと、あんた、信心狂っちゃうよ。
いい? そこを心配するのよ。あんた、…っていう
から頭おかしくなるよ。まあ、ならなきゃまだいい
けど。ね、いいですね?もし、判んなかったら、ま
たあとで残って、よく教えてあげるから、ね。」
質問者は、僧宝とは日興上人を随一として、総じて代々の御法主上人が僧宝にましますという正しい認識の上から、御当代日顕上人を尊信しなければならないと主張しているのである。
しかし、これに対して、柏原女史は、僧宝の総別を知らないためか、あるいは知った上で、わざと歪曲せんとするためか、僧宝を日興上人のみとし、日目上人以下の御歴代上人は、一般信徒と同じ立場であると無理に強説しているのである。
この誤まった三宝観については、既に『大日蓮』号外等で破折されているから、多くは述べないが、
「代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(『御本尊七箇相承』・聖典379)
「南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主、伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師」(『当家三衣抄』・六巻鈔347)
との宗門伝統の僧宝観より拝せば、女史の説は明らかに僻説である。女史の発言は、まさに日蓮正宗の三宝を、私に曲解する三宝破壊の暴言である。
そして、その暴言の根底をなすのは、上記の「私達と、ちっとも変わらないわよ、同じよ」との発言に明らかなように、御法主上人をして信徒に同ずる女史の、否、池田大作氏以下学会首脳全体の大増上慢である。大聖人の仏法の法義に則って拝すれば、唯授一人の血脈相承という大事において明らかなように、御法主上人と一般信徒が同等であるわけがない。これは、人種や階級などの差別でも何でもない。大聖人制定の仏法法義上の差別である。あくまで同等であるといい張るなら、女史自身が、御本尊を認(したた)めることができるかどうか、血脈の上から考えてみるがいい(過去に類似のことを行なった大謗法の輩がいたが……)。そうすれば、上記の発言が、まことにもって御本尊・大聖人を恐れない大増上慢をもととすることが明らかになるであろう。
柏原女史には、自らの言動が、いかに罪深い謗法であるかを一日も早く気づき、日蓮正宗の信仰の正道に帰られんことを祈るものである。
以 上
創価学会理事長・森田一哉氏の破仏法の指導を破す
時局協議会文書作成班3班
平成3年(1991年)3月18日、杉並ビクトリー勤行会において、森田一哉氏は、創価学会理事長という要職にありながら、学会問題の本質を隠そうとする、無責任極まりない指導をした。
氏の指導の背景には、学会52年路線の教義逸脱に対する無反省と、さらには、今回の三宝誹謗という、信仰上の逸脱がある。このことは、氏の指導の中に、欺瞞性を帯びた不遜な発言が、随所にみられることからも、充分に裏付けられる。氏は、学会首脳による逸脱路線を正当化するために、言葉巧みに問題の本質をすり替え、不正直な指導をして、破仏法の罪を重ねているのである。
私たちは、今回のこのような事態によって、仏法が存亡の危機に直面していることを、冷静に認識しなければならない。そして、学会首脳の慢心から生じた「三宝破壊」という罪過こそが、学会問題の本質であることを見抜かなくてはならないのである。
本稿においては、氏の指導における問題点を、6項目に分けて取り上げ、氏の破仏法の指導を破折するとともに、池田大作氏と学会首脳の、仏法上の罪過を糾したい。
1.「三宝破壊」の大罪
森田氏は、次のように述べている。
「『宗門問題、一体いつ終わるんですか?』(笑い)この事についてお話をさせて戴こうというふうに思ってます。
『宗門問題』というのは、なにも十年前、そして最近始まった問題じゃないんです。これは学会の草創期からあるんです。」
ここでは、今回の学会問題の本質である「三宝破壊」という重大問題を、学会草創期からの問題にすり替え、問題の本質部分をあいまいにしている。
学会草創期からの問題とは、何かといえば、
「私たちが青年部の時は坊さんとしょっちゅうやってましたよ。狸祭事件もやりました。」
と、氏自身が告白しているように、学会首脳の暴圧体質に根ざした、今も変わらない恥ずべき姿に他ならない。そのような学会草創期の恥部をさらけ出してまで、なぜ本質部分を隠そうとするのか。それは、学会首脳自身が、仏法上の重大な過失を犯していることを、少なからず認めているからであろう。
今回の問題は、池田大作氏の御法主上人への軽視発言に対して、宗門側が注意し、問い糾したことから起きたのである。これに対して、本来、三宝を外護すべき学会首脳は、宗門からの注意を不服とし、かえって悪意に満ちた宗門批判をくり返し、三宝を破壊するに至ったのである。特に、御法主上人の正本堂の意義付けの御指南に対してまでも、平然と批判を行なったことは、その代表的な表われであるといえる。
それは、『お伺い書』と称する、平成3年2月28日付の『聖教新聞』で、「名誉会長批判の論拠崩れる」「名誉会長へ陳謝の意を」等の大見出しを掲げていることからも、充分にその体質をみることができるのである。この不遜な『お伺い書』には、森田氏の名前も、他12名の執行部とともに連記してあるので、氏の責任は重大である。
他の学会幹部の指導でも、本宗の僧宝は日興上人御一人に限るとして、本宗の血脈相承の尊義に触れないようにしながら、御法主上人批判をくり返している。すなわち、血脈不信の謗法罪を犯しているのである。
例えば、学会参議会副議長・柏原ヤス女史は、新潟県婦人部活動者会での質疑応答の中で、
「(柏 原)だから、仏法僧は、さっき申し上げたように大聖人様の仏宝は、大聖人様。南無妙法蓮華経の七文字の法華経。そして僧宝は、日興上人。いいですか?そこだけ。そこが、あんた違っているのよ。
(質問者)じゃあ日興上人だけだとおっしゃるんですか?
(柏 原)そんなこと言いませんよ。そんなこと、私は一言も言わない。日顕上人は血脈を受け継がれた67代の大事な方だ、っていう感じですよ。
(質問者)その、血脈をどうして、言われないんですか?
(柏 原)いいんでしょう、そういうこと、あんた!そこが分かれば、僧宝というのは日興上人。いいですか?
(質問者)日興上人様と、歴代御法主上人猊下様は、一緒でしょう?
(柏 原)日興上人!そこだけを覚えなさいよ!(笑い)」
と発言している。更に、女史の指導の中では、
「猊下ってね、不勉強じゃないのかしら?」
「そうです!(御法主上人は)私達と、ちっとも変わらないわよ、同じよ。」
などと、不遜な言葉を吐いている始末である。
このような、学会首脳の慢心による御法主上人批判などによって、「三宝破壊」という罪過を犯していることが、学会問題の本質である。
いうまでもなく、本宗における三宝とは、日寛上人が『当家三衣抄』で教示されているように、仏宝は宗祖日蓮大聖人、法宝は本門戒壇の大御本尊、僧宝は第二祖日興上人を随一として、嫡々付法の御歴代上人であられる。大聖人の開顕された仏宝・法宝の威徳は、大聖人の遺誡たる唯授一人の血脈相承によって、御歴代上人(僧宝)に受け継がれ、今日まで正しく継承されているのである。
ゆえに、昔から本宗の僧俗は、「何があっても、御戒壇様と御法主様をお護りするのが、正宗の信心である」と教えられてきたのである。この本宗の伝統の信心によって、たとえ深い教義が解らなくても、血脈護持の尊い信心をつちかい、本宗の三宝尊を信じて、成仏の境界を開いてこられたのである。
したがって、創価学会の本山外護の尊い使命も、会員一同の三宝護持の功徳によって、現在まで果たされてきたのである。氏が、たとえ何かの理由で、御法主上人をお護りする信心を忘れていたとしても、今回の御法主上人批判が、なぜ三宝誹謗の重罪に当たるのか、氏自身も、教義の上から、少しは理解しているはずである。
『御本尊七箇之相承』に、
「師の曰く、深秘なり、代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(聖典379)
との、甚深の御相伝があるように、唯授一人の御法主上人は、大聖人の法体を継承あそばされているのである。また『百六箇抄』には、
「上首已下並びに末弟等異論なく尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興嫡嫡付法の上人を以って総貫主と仰ぐべきものなり」(聖典371)
と、日興上人以来の嫡々付法の御法主上人をもって、末法万年の総貫主と仰ぐべきことを、明白に決定なされている。
これらの御相伝の上から、日寛上人は、『当流行事抄』に、
「自受用身は即ち是れ仏宝なり、無作本有の妙法は法宝なり、結要付嘱豈僧宝に非ずや」(六巻抄323)
と示され、さらに『当家三衣抄』には、三宝中の南無僧とは、「南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫主、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主、伝法日目上人師、嫡嫡付法歴代の諸師」(六巻抄347)
と仰せである。すなわち、日興上人を随一として血脈付法の御法主上人の全てを、僧宝と拝信すべきことが説かれているのである。
換言すれば、本宗の僧宝とは、仏法伝持の正師を示すとともに、文底下種の結要付嘱の当所を顕わすのである。それゆえ、同抄の次下には、本宗の三衣の一つである数珠に寄せて、
「此の如き三宝を一心に之を念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過ごすべし云云。行者謹んで次第を超越する勿れ」(六巻抄347)
と仰せられ、末代の僧俗は、仏法・法宝はもちろん、僧宝の付嘱の次第を超えてはならないと、厳に戒められているのである。なぜならば、下種僧宝を信解せず、しかもその付嘱の次第を混乱させれば、必ず仏法は失われ、三宝破壊の大罪を犯すことになるからである。
しかし、今や池田氏並びに学会首脳は、自らの慢心と浅識によって、仏法の付嘱の次第を超え、公然と御法主上人を誹謗・中傷しているのである。これは、仏法上の重大な過失であり、破仏法の迷乱の姿というべきである。本来、外護の任に当たるべき学会首脳は、三宝を敬信して仏種を植えるべきことを、率先して会員に教えることに、その責任がある。ところが、学会首脳は、その仏法外護の職責を放棄したのである。これこそ、学会首脳の堕落であり、悩乱の現証である。
そして、さらに許せないのは、氏のような無責任な言論によって、なおも多くの一般会員を三宝不信へと堕とし、会員の成仏の道を塞ぐことである。そればかりか、三宝誹謗によって、仏法破壊という罪過をも生じているのである。これらの仏法上の大罪とその責任は、学会の代表役員たる氏はもちろんのこと、実質的な権力者である池田氏と秋谷会長以下の学会首脳にあるといえる。
また、氏は、
「もう聖教新聞には堂々と書いてある。こんなことは初めてじゃないですか。創価学会始まって以来ですよ、堂々とやってんのは。10年前は堂々とできなかった。一言も言えなかった。それで失敗しましたんで、今度は堂々とやっている。」
と述べている。
たしかに、『聖教新聞』には、宗門僧侶に対する低次元の中傷が堂々と書いてある。しかも、それらは、すり替え、捏造、虚偽に満ちた、お粗末な記事ばかりである。学会首脳は、得意になって書かせているようだが、それらの記事には、宗教人としての道義の一片さえも見いだせない。
常識的な目でみれば、『聖教新聞』の紙面には、学会首脳の傲慢で稚拙な姿が、そのまま鏡のように映し出されていることがよく判る。それにも気がつかないで、我が身の赤恥を、堂々と世間に喧伝している愚かしさを、氏には判断できないのであろう。
『聖教新聞』を購読する会員の多くは、あまりにも大人気ないやり方に恥ずかしく思い、外部の人に対して折伏もできないというのが実情なのである。これも、学会首脳の責任隠しの余罪である。
今までは、学会の指導の中でも、「同志の悪口をいってはいけない」「同志を誹謗すれば、悪業を積む」と、会員に教えてきたはずである。それなのに、学会首脳が、自ら先頭に立って、宗門僧侶の悪口を堂々といっているのである。これが、仏法上の罪とならずに、何になるであろうか。
『松野殿御返事』には、
「此の経の四の巻には『若しは在家にてもあれ出家にてもあれ、法華経を持ち説く者を一言にても毀る事あらば其の罪多き事、釈迦仏を一劫の間直ちに毀り奉る罪には勝れたり』と見へたり、或は『若実若不実』とも説かれたり、之れを以って之れを思ふに忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり」(全集1382)
と、法華経を持つ者を毀ることは、大変に罪が深いのであり、この誹謗罪を犯さないように、厳に戒められているではないか。この御金言に照らしても、『聖教新聞』で誹謗中傷を重ねる学会首脳の、罪障の深さが判るのである。しかも、氏は、このような誹謗中傷について、学会始まって以来の堂々たるものだと、平気でいい切るのであるから、その精神たるや、正常なのかと疑いたくもなる。
それにしても、「10年前は失敗した」という氏の発言は、どのようにみても看過できない。氏は、10年前の学会の逸脱路線における反省、すなわち昭和53年の6・30や11・7における謝罪、及び54年の4月における池田氏の会長・総講頭の引責辞任が、全て偽りの謝罪・反省であり、宗門を欺くポーズであったことを、ここで証言しているのである。
もちろん、学会52年路線の教義逸脱は、氏が今さら何をいおうとも、正当化できるはずはない。大聖人の相伝仏法を創価仏法に、唯授一人の血脈を学会の血脈に、大聖人の御書を『人間革命』にすり替えるなど、教義上のあらゆる逸脱を行なったことは、本宗僧俗の全てが知るところである。このことは、例えば、法華経の宝珠を偸盗して、大日経の瓦石とすり替え、三宝破壊を行なった真言の謗法にも過ぎるものである。
このような52年路線の逸脱路線が、学会上層部で、いまだに肯定され、継続しているとすれば、今後、改めて追及しなくてはならないであろう。氏は、仏法の本義に照らし、真摯に懺悔して、全面撤回すべきである。
また、氏が「10年前は失敗した」と告白したとおり、学会の逸脱路線が、今なお進行中だとすれば、学会は宗門外護の信徒団体であることを、既に10年前に放棄していたことになる。それならば、この10年間、学会は何をしてきたのであろうか。表面上は、真の僧俗和合などと偽りながら、再度、池田創価学会教として旗揚げするために、用意周到に準備をしていたのであろう。上記の発言からみて、今回の宗門攻撃に、このような背景があったことは、想像にかたくない。
氏の告白は、池田氏の11・16のスピーチの中での、
「50周年、敗北の最中だ。裏切られ、たたかれ、私は会長を辞めさせられ、ね。もう宗門から散々やられ。」
という、教義逸脱に対する無反省発言を、さらに裏付けるものである。53、4年当時における池田氏の御法主上人に対する謝罪が、嘘偽りであったことは、信仰責任者としても、元法華講総講頭としても、もはや申し開きはできないことである。
さらに氏は、
「ねえ、それでもうね、向こうは謝罪しろって、こういうわけですよ。絶対謝罪しません。向こうが悪いんだ!こっちが悪いんなら謝罪しますよ。(中略)こっちにまずいことは何にもないんですから、まずいのは向こうばっかしですから。」
と発言し、またこうも述べている。
「向こうも謝罪しないでしょ、こっちも謝罪しないでしょ、永遠に続くんです。だから1カ月や2カ月じゃ解決しないんです。ね、1年、2年解決しません。もう100年、200百年こう覚悟を決めたいと思うんでありますけれども、皆さん、いかがでしょうか。」
氏は、自分たちに非はないとするが、学会首脳の謝罪すべき点はいくらでもある。その中でも、一番の罪過は、すでに指摘してきたように、自分たちの三宝破壊の責任を隠蔽して、しかも血脈付法の御法主上人への不信感を、ことさら会員に煽り、純真な会員の仏種を断じさせようとしていることである。
『新池御書』には、有信無解の成仏が説かれる中で、
「末代の衆生は法門を少分こころえ僧をあなづり法をいるかせにして悪道におつべしと説き給へり、法をこころえたる・しるしには僧を敬ひ法をあがめ仏を供養すべし、今は仏ましまさず解悟の知識を仏と敬ふべし争か徳分なからんや、後世を願はん者は名聞名利を捨てて何に賤しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬ふべし、是れ正く経文なり。」(全集1443)
と、解悟の知識たる僧侶を、仏のように仰いで、名聞名利の邪念を払い、三宝帰依の尊信によって、成仏を願うべきことを明かされている。
氏や学会首脳の私生活がどうであろうと、宗門僧侶は、それらをあげつらうことはしない。氏もまた僧侶も、末法出生の煩悩多き衆生であることに、変わりはないからである。だからこそ、三宝の御力によらなければ、私たち僧俗は成仏できないのである。たとえ、個々の僧侶に、世法上の問題が仮にあるとしても、その僧侶は、仏法律に照らされて、その報いを受けるのである。つまり、それは個人の責任であり、個人の罪過なのである。
しかし、仏法上の本質問題は、そうはいかないのである。それは、個々の問題にとどまらないで、全会員の成仏・不成仏に関わるからである。もし、一般会員が、仏法の本質と個人の罪過とを取り違えて、このまま三宝不信に落ちていけば、それは必ず謗法不信の失を受けることになる。そして、それを会員が自覚できないうちに、自らの不信謗法により、自らの仏種を断ずることになるのである。それを何としても防ぎ、会員を救うためにも、学会首脳の仏法上の誤りを、宗門が結束して糾しているのである。
また氏は、学会の仏法破壊の謗法路線が、このまま永遠に続くなどと、奔放な発言をしている。真実を知らない純真な信徒を道連れにして、全会員に、永遠に地獄の苦悩を覚悟せよというのであろうか。どうか地獄への覚悟は、破仏法の学会首脳だけで、それも組織を出てからにしてもらいたい。
しかし、氏は、その覚悟ができたとしても、絶対謝罪しないといい切るのだから、氏らの三宝誹謗の汚点は、永遠の時を待っても、薄まることはない。まして、氏は、仏法上の正邪を、謝罪する、しないの次元でごまかしてはならない。そして、学会の情報操作によって、一時的に責任を逃れたとしても、御本仏の照覧を覆い隠すことは、決してできないことを覚悟すべきである。
池田氏と学会首脳の犯した破仏法の罪は、もはや表面上の謝罪だけでは済まない。偽りの謝罪はもう許されないのである。しかし、手遅れになる前なら、まだ一筋の救済の道は残されている。それは、下種三宝尊への真摯な懺悔と、会員の成仏のために、真実を告白し、正直な滅罪行に徹することである。
2.傲慢な「折伏観」
森田氏は、自身の浅見による折伏観を、こう披露している。
「戸田先生は、『神様が古くなったり新しくなったりする訳ないじゃないか。だいいち神様を一年にいっぺん焼けるか』と、『あれは神札だから焼けるんだよ』あぁ、こりゃ神様じゃないんだ、神札なんだと、そりゃ気持ちよく謗法払いができました。非常に戸田先生の指導は明快ですね。宗門ではこんな明快な話、絶対にしてくれません。だから折伏ができないんですから。」
確かに、氏の述べるように、戸田会長は各人の教学力や機根に合わせて、的確で明快な指導をした方である。
御当代日顕上人も、平成3年1月10日の教師指導会の折に、
「戸田先生は本当に命懸けで、自分というものを忘れてやられた方だと思います。(中略)その芯に、『命を捨てても法を守ろう、法を弘めよう』という気持ちがあったように私は思っております。」
と仰せになられて、戸田会長の仏法守護と広宣流布への熱意を賞賛されている。
その良き檀那の範たる戸田会長は、氏のような人のために、次のようにも、明快に指導している。
「先代牧口先生当時から、学会は猊座のことには、いっさい関知せぬ大精神で通してきたし、こんごも、この精神で一貫する。これを破る者は、たとえ大幹部といえども即座に除名する。信者の精神はそうでなければならない。むかし、関西に猊座のことに意見をふりまわして没落した罰当たり者があったそうだが、仏法の尊厳をそこなう者は当然そうなる。」(昭和31年1月29日)
氏は、この戸田会長の指導を思い返して、猊座の尊厳を冒した、我が身の重罪を心から自覚してもらいたい。
また、戸田会長の「あれは神札だから焼けるんだよ」という話は、たしかに明快である。ただ、これは外道破折の次元で述べられたものである。よもや、氏はこの次元で、仏法の立場を安易に判断して、三宝破壊をしているわけではあるまい。しかし、あとで述べるように、氏の考える大聖人の精神が、法だけを中心とした過った考えであることをみれば、氏の仏法に対する浅識にも問題があるといえる。
御法主上人は、教師指導会での御指南の中で、
「『法というものが中心だ』というように考えてしまっておりますが、法と人が本当に一つで、その人、すなわち大聖人様のところに具わった南無妙法蓮華経が末法一切衆生の即身成仏の大法であることを、忘れてはいけないのです。そこのところを、はっきり拝されたのが日興上人様で、その日興上人様が末法万年の上の衆生を導く、唯授一人の御相伝において『南無妙法蓮華経日蓮在判』と御本尊の本体をはっきりお示しになり、人法一箇を中心においてお示しあそばされておるのであります。また、その脇に『日興(在判)』とお書きになったところに、それを正しく末法万年に伝えるところの僧宝の姿があるのです。」(平成3年1月10日)
と、学会首脳が「法中心の信仰」に傾いていることを御指摘になり、それを破折されて三宝の真義をお示しになっている。
ここで多くは触れないが、大聖人の仏法は、あくまで本門文底下種の三宝への信仰であり、決して、法のみを中心とした信仰ではないのである。もとより、大聖人の仏法は難信難解であり、御法主上人の御説法も甚深であられる。
しかし、その御説法が難しいからといって、氏などが「仏法は法中心である」と軽薄に考えてしまうのは、浅識謗法である。仮に、そうは考えていないと氏が反論しても、すでに御法主上人を批判中傷しているのであり、それは、仏法の本義を少しも信解していない証拠である。大聖人の仏法の一分でも信解する者であれば、御法主上人への批判は到底できるものではない。
また、個人の能力によっては、明快な話で折伏ができるのも、大変結構なことである。しかし、明快な話だけが折伏の条件ではない。その一辺から「創価学会だけが折伏できる」というのは、氏の大いなる慢心である。むしろ、戸田会長の明快な話や指導を、氏の慢心と浅識によって曲げて受け止め、習いそこねた結果というのが、氏の現在の逸脱の姿ではないのか。氏は、この点も反省すべきである。そして、創価学会の折伏は、あくまで仏意仏勅によるものであり、全て下種三宝の御威徳によるものであると、謙虚に表明すべきである。
氏の慢心は、次の発言にも端的に表われている。
「広宣流布がわかんないんだ、坊さんに。自分が折伏やってないからわかんない。落ち穂拾いばっかしやってるからわかんない。(笑い)折伏やればわかる。」
しかし、広宣流布の本質を理解していないのは、まさに氏自身である。
御先師日達上人は、
「日蓮正宗の教義が、一閻浮提に布衍していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とは言えないのであります。」(昭和49年6月18日)
と仰せである。つまり、氏のような間違った考えで広宣流布しても、そのようなものは、真実の広宣流布ではない。
さらに、御当代日顕上人は、本年の霊宝虫払大法会の御説法の中で、次のように仰せである。
「昭和の時代における、創価学会初代会長牧口先生、二代会長戸田先生の正しい仏法守護の行業と折伏の功徳を讃しつつも、その後の三宝護持正法流布の相が、現指導層の逸脱により歪曲し、過去の功徳が次第に消滅する恐れあることを憂慮するものであります。」(平成3年4月6日)
すなわち、もし学会首脳の誤った指導によって、学会員に三宝護持の信仰がなくなれば、学会には未来の広宣流布の使命はありえない。したがって、多くの会員が、仏法守護と折伏によって積んできた功徳さえも、やがて消失することになる。氏には、この甚深の御指南を、虚心坦懐に拝してもらいたい。
また、氏は、宗門僧侶の折伏についても、何度も不遜な言辞を吐いている。氏がどの程度折伏したのか、実際のところを聞いてみたいものだが、それより、氏は本宗の折伏の本義さえ、少しも理解していない。もちろん、末法は折伏正意であることは、論ずるまでもない。その中でも、日達上人の仰せのとおり、僧侶は折伏の上の摂受を中心に、折伏を全うしている。また在家の方は、折伏の上の折伏を全うしている。このように、三宝尊に対する知恩報恩を片時も忘れずに、僧俗ともに、それぞれの立場で折伏を行じてきたのである。
宗門僧侶は、自坊の法華講員とともに、実際に折伏をする。学会員の方が、未入信の人を寺院へ連れてきたときに、その折伏のお手伝いをすることもある。その他、御講での報恩の説法や、葬儀・法事等の席での折伏の説法も、僧侶の折伏行である。宗門僧侶が、薄墨の衣をまとい、白袈裟をかけて、儀式・法要をする姿も、大聖人の名字即の仏法を表明して、他宗謗法の仏教を破折し、参列者をして順逆二縁を結ばせて、折伏を行じているのである。また、学会草創期からの、会員一人ひとりの純真な折伏には、僧侶としても、深く敬意を表するものである。とともに、僧侶が昼夜をおかず、御授戒と御本尊下附を勤めてきたのも、やはり僧侶の折伏であろう。今、このように、氏の誤った指導を、仏法の上から破折しているのも、僧侶としての折伏である。
氏のように、折伏の本義も知らず、三宝の大恩をも忘れて、自分たちの折伏の功績だけを自慢するようでは、せっかくの折伏の功徳も次第に失うことにもなる。まして、信心の至らない人であっても、最後まで善導するのが、折伏の慈悲の精神である。それを氏が、落ち穂拾いなどとさげすむのは不遜である。このような傲慢な折伏観なども、氏の不解と慢心から出てくるのである。
3.学会流の「大聖人の精神」
森田氏は、戦時中の国家神道の問題を、皮相的に歪めて、次のように述べている。
「その国家神道が日蓮正宗にも、そして創価学会にも弾圧を加えてきた。日蓮正宗は謝っちゃったんです。妥協しちゃったんです。(中略)戸田先生、牧口先生は大聖人様の精神を命を賭けて守ったんです。日蓮正宗は妥協しちゃったんです。ですから宗門の言うことはもうこの時から聞いてないんです。(笑い)先程聞かなくなったんじゃないですよ、うちは。」
このように、氏の信心では、当時の国家神道の問題に対しても、その真意は判らず、妥協の一言で片付けようとするのも仕方がない。とはいっても、この氏の偏見によって、学会問題の真相を隠し通せるものではない。
確かに、戦争当時の牧口会長と戸田会長の死身弘法の精神は、宗門僧侶も等しく賞賛するものである。しかし、大聖人の精神の、さらにその精髄は、戒壇の大御本尊と唯授一人の御法主上人であられる。もしその時、宗門先師の仏法内護の並々ならぬ御苦労がなければ、戒壇の大御本尊は他宗の支配下に置かれ、また御法主上人の御尊体が投獄に至り、仏法破壊と血脈断絶の危機にも及んだのである。たとえ一旦の妥協があろうとも、もし仏法の二大事を破壊するようなことがあれば、これ以上の大謗法はないのである。
戸田会長も、後になって、総本山の危機を救うために、また会員の身の安全を考えた上で、会員に対し「通諜」を出し、ぎりぎりの妥協を選択したのである。それは、戸田会長が、本宗の二大事に、もしものことがあれば、もはや一切衆生の成仏の依処は永遠に失われることを、熟慮した上での処置だったからであろう。氏は、戸田門下生でありながら、そのもとで何を教わってきたのか。本宗の護法の精神は、氏の考えるような、皮相的な精神ではないのである。
牧口・戸田両会長が大聖人の精神を守られたという、氏の発言に異存はない。しかし、氏は、既に学会首脳は、両会長の護法の精神さえも失ったという、現実を直視することである。しかも、後で述べるように、現在の学会首脳の教義と信仰には、妥協と逸脱で寄せ集めた偽ものが多くあり、大聖人の精神のかけらも、みられないのである。
また、氏は、“宗門のいうことはその時から聞いていない”と、横柄に述べている。だからこそ、学会首脳の慢心と浅識は直らず、2度までも、仏法上の大きな逸脱をしているのである。また、氏のような面従腹背の不正直な信仰が、10年前よりも更に遠く、この当時まで遡るとしたら、氏の罪業の深さは、はかり知れないものである。
氏は、更にこのように述べている。
「大聖人様の精神は創価学会に脈々としてるんです。日蓮正宗に脈々としてんじゃないんです。形骸だけが残っている、向こうは。(中略)創価学会は大聖人様の精神、すなわち折伏精神を戸田先生が教えて下さった、また池田先生が教えて下さった。だから大聖人様の精神が脈々としてるんです。」
確かに、大聖人の精神は、正法護持と謗法厳戒を旨とした尊い折伏精神である。そして、再度いうが、その正法の御法体は、本門戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈の二大事に尽きるのである。本宗においては、この仏法の二大事を厳護あそばす、時の御法主上人のもとに、更に僧俗が寄り合って、三宝の尊体をお護りしてきたのである。それを「形骸だけが残っている」とは許されない暴言である。それは、仏法の二大事への冒涜であり、氏の信心こそが形骸化しているのである。
創価学会は、法華講の三谷素啓氏の折伏で、正法に縁した団体である。しかも、時の御法主上人の特別のお許しと、宗門の協力があって、日蓮正宗の三宝外護の信徒団体として、創立されたのである。この学会の原点は、戸田会長が会員に対して、常に指導してきたことである。
今は、その学会の原点さえ失って、氏が自慢する暴圧精神が、卑劣な言論や実際の暴力として、復活しているのである。しかし、これが、大聖人の折伏精神であろうはずはない。また、学会首脳が自らの慢心により、三宝守護の根本の信仰を失っているのは、大聖人の正法護持の精神にも反し、知恩報恩の折伏の精神からも、大きく逸脱している姿だといわざるをえない。
また、一方では、池田氏と学会首脳の考える大聖人の精神とは、今や仏教の平等精神であるらしい。だが、これこそ、大聖人の仏法を破壊し、折伏精神をも失うものである。世間の権門学者などが弄する仏教の平等思想では、仏法の正邪を明らかにして、謗法の誤りを糾すことなど、できるわけがないのである。
大聖人の折伏精神は、外道の実体思想や、権門の行布義、迹門の平等義などを破折した上で、下種仏法の正義と平等大慧の功徳を顕わし、その真価を発揮することができるのである。外道・権門・迹門等の謗法の理を破折してこそ、真実の折伏である。仏法の正邪もわきまえずに、仏教の平等精神のみを振り回すのは、世間の似非宗教家のやることである。しかも、大聖人の弟子檀那たる者が、世法の悪平等や迹門の平等義こそが、仏法の本義であると、信徒の前で吹聴するのであれば、もはやそれは、外道・迹門の謗法義によって、大聖人の仏法を誹謗・破壊している天魔の姿なのである。
このように、どの側面からみても、学会の原点を忘れている氏の発言には、大聖人の精神を訴える正当性はない。学会首脳には、もはや大聖人の精神は失われているのである。また、氏と会員が、戸田会長と池田氏から折伏精神を教えられたとすれば、確かに、両氏に感謝すべきことである。
しかし、その折伏精神といえども、三宝護持の根本を失ったならば、それは大聖人の折伏精神とはまったく異質なものである。ゆえに氏は、両氏への恩返しのためにも、何よりもまず、御法主上人の御指南を拝して、三宝護持の尊い精神を学び、学会の折伏精神の原点を見極められることをお勧めしたい。
4.戸田会長の徳を汚す発言
森田氏は、戸田会長の指導を曲げて、こう述べている。
「『御尊師にもし間違いが有るならば陰口なんてきかずに正々堂々と忠告すること、これは罰になりません。陰口は罰になります。だが面と向かって堂々と話すことは決して罰になりません。しっかりやりなさい』、どうですか、戸田先生、しっかりやれって言ってんです。陰で言っちゃいけない、堂々と、だから私もこうやって堂々と言ってるわけです。」
確かに、戸田会長のその指導は真摯に受け止めてよい。僧侶にもし間違いがあれば、陰で悪口をいわないで、正々堂々と寺院に参詣して忠告してもらいたい。宗務院との連絡会議に申し出てもらってもよかったであろう。ただし、僧侶のいい分も聞いて、その事実を確かめてもらいたい。僧侶にも、反論し、弁明する機会を与えるべきである。他人の誤解によるものや、事実無根のこともあるかも知れない。しかし、そのことが事実であれば、お詫びもするし、反省もする。また、たとえ誤解によるものでも、僧侶は自分の不徳を恥じて、今後は充分に気をつけるであろう。これが戸田会長の指導の本意ではないのか。
しかし学会首脳は、自分たちの罪過を宗門側に責任転嫁し、会員には一方的に、僧侶への「嘘八百を交えた」悪口を陰で流し、『聖教新聞』には捏造の悪口を書いている。本年5月以降は、会員の苦情によって、『聖教新聞』での宗門批判は、いくらか抑えられてはいる。しかし依然として、裏側では、他の関連紙誌の『創価新報』『第三文明』『潮』『パンプキン』等において、あいかわらず、二番煎じの中傷記事を書き立てている。
そして、こともあろうに、他宗謗法の『中外日報』という宗教新聞にも、御法主上人の正本堂の御指南に関するものや、その他宗門批判の記事を投稿している。このような悪質で卑怯なやり方は、戸田会長は断じて認めなかったはずである。まして「正々堂々」の言論といえるものではない。そのうえ氏は、辻武寿副会長などと共に、「中外日報創刊90周年記念祝賀会」(昭和61年11月12日)に他宗謗法の者たちと同席していたが、是非とも謗法厳戒の精神で、「正々堂々」と、その釈明をして欲しいものである。
また氏は、巧みにすり替えをくり返し、不正直な指導をしているが、その不正直な面は、戸田会長の指導を引用する際にもみられる。氏は、戸田会長の指導を、切り文的に利用して、戸田会長の真意に背いているのである。その証文として、氏が引用したであろう戸田会長の指導を、その前文を加えて挙げておこう。
「ここで最初に注意しておくことは、お坊さんに、おのれはおせじを使わないで、そして、どこまでも尊敬する。尊敬とおせじは違うぞ。ここは紙一重の差がついている。尊敬する。そうして、できるだけこのお寺の御僧侶が、不自由のないようにすることを心掛ける。そのかわり、御尊師にもし間違いがあるならば、陰口なんてきかずに、正々堂々と、忠告すること。これは罰になりません。陰口は罰になるぞ。だが、面と向かって、堂々と話すことは、けっして罰になりません。」(昭和32年8月20日)
このように、戸田会長の真意は、僧俗が互いに尊敬し合い、信頼し合うことであり、その上で、もし僧侶に間違いがあれば、直接その僧侶に忠告することが大事であると述べているのである。
まだ他にも、幹部指導での陰口においては、色々と詭弁を弄して、御法主上人批判を会員の中に浸透させようとしている。たとえば、「人間であられるから」という理由で、「猊下にも間違いがある」という陰険な指導がなされている。そういう理由であれば、「池田先生も人間だから大いに間違いがある」とはっきり指導してもらいたい。
大聖人の弟子檀那が、御法主上人を直ちに仏法の正師と拝するのは、自らの世法の知解を廃して、唯授一人の血脈法体を信ずるからである。仏法の正師に対する随順の信心とは、成仏のための決定信のことである。世法の知解と仏法の信解とを混同してはならない。ゆえに、御法主上人の御指南は、凡夫の我見ではなく、信の一字で拝すべきなのである。
また氏は、正信会問題に絡めて、戸田会長の徳を汚すような、無神経な発言もしている。
「『宗門とは付かず離れずで行けよ』と、正しいですね戸田先生は。だって、10年前にお寺に付いておった人たちで、坊さんが正信会行っちゃた人は、みんなそれにつられて正信会行っちゃったじゃないですか。」
しかし、戸田会長は護法の精神に徹してきた方である。たとえば、戸田会長は、次のように述べている。
「大聖人様のおおせられるのは、祈りは必ずかなう。それには時がある。良き法と、良き師と、良き檀那との三つが、そろわなければだめだ。南無妙法蓮華経、これは良き法にきまっている。大御本尊様は良き法なのです。また御法主上人は唯授一人、六十四代のあいだを、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。ですから、御法主上人猊下をとおして大御本尊様を拝しますれば、必ず功徳が出てくる。ただ良き檀那として、その代表として、その位置にすわれたことを、私は、ひじょうに光栄とするものであります。」(昭和31年12月13日)
この発言ひとつ取り上げても、戸田会長は、御法主上人を仏法の師匠と仰ぎ、良き檀那としての重大な責務を、最大の誉れとしたことが判る。その仏法の筋目を通した方が、宗門とは付かず離れずで行けよ、と口にしたとは到底信じられない。またしても、これは氏の思い違いか、曲解であろう。あるいは万が一にも、私的な立場で漏らした言葉であったとしても、今になってそれを公言して、戸田会長の人徳を汚すべきではない。仏法では、付かず離れずのような信心は、中有に迷う姿であると戒めているのである。仏法の二大事を外護すべき学会首脳が、付かず離れずの信心では、まことに情けないことではないか。
ついでに、氏の迷いを醒ますために述べておくが、戸田会長も拝しているように、『法華初心成仏抄』には、
「よき火打ちとよき石のかどと・よきほくちと此の三寄り合いて火を用ゆるなり、祈も又是くの如しよき師と・よき檀那と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり」(全集550)
と仰せである。この御金言の通り、広宣流布の祈りは、良き法と、良き師と、良き檀那の三つがそろって叶えられるのである。そして、戸田会長の述べるように、その中の良き檀那の立場も、責任重大であり、誉れ高き立場である。ただし、その檀那の立場にある者が、この分位をわきまえずに、慢心を起こして仏法の師になり代わろうとすれば、学会の広宣流布の祈りも、その途上の功徳も、永遠に叶うことはないのである。
また氏は、正信会問題を引き合いに出して、勝手な発言をしている。正信会問題は、前回の学会問題が発端となっているのである。もちろん、自称正信会の元僧侶が、僧侶としての仏法内護の責務を忘れて、御法主上人の御指南に従わず、感情の赴くまま一部の信徒を巻き添えにして暴走したことは、到底許されるものではない。しかし、御先師日達上人の御指南のもとに、宗内僧侶が団結して、学会52年路線の誤りを糾したのは事実である。そして、池田大作氏をはじめ学会首脳が、自らの過ちを正直に反省したことを信頼されて、御先師日達上人は学会問題を収束され、また御当代日顕上人は学会との協調路線を継承されたのである。
これひとえに、両御法主上人の学会及び会員に対する、深く暖かい御慈悲によるものである。学会首脳は、その両御法主上人の大恩さえも踏みつけて、御法主上人批判をしているのである。もはや、そのような不知恩の者には、大聖人の檀那たる資格はないのである。しかも、学会首脳は、学会員を巻き添えにして、正信会と同じような仏法違背の道をたどろうとしているのである。
氏は次のようにも述べている。
「ですから戸田先生は厳しかったですよ。お寺にくっつく人を『寺信心』と、こう言っとる。最近言わなくなっちゃった、そういうことを、少し上品になっちゃったですね、創価学会は。昔は寺行くと『寺信心』って。」
しかしこれも、氏など学会首脳が、戸田会長の指導を都合のいいように曲げたり、捏造したりしているのであろう。戸田会長が「寺信心」などという言葉で、正宗寺院の御本尊を冒涜するはずがないではないか。
戸田会長は次のように指導している。
「信心を基調にして、折伏をすること、お寺をだいじにすることと、御本山へつくすことはあたりまえのことなんだからね。それが、自慢のようになっては、もう、信者としては資格がない。」(昭和29年12月15日)
この指導にあるように、総本山を外護し、末寺を護ることが、なぜ大事であるのか。それは総本山には、本門戒壇の大御本尊がましますからであり、末寺には、大御本尊の御写しの御本尊が御安置されているからである。すなわち、本山末寺への外護の信心とは、建物寄進の数で推し量れるものではなく、いついかなる時も、大御本尊と血脈を根本に、末寺の御本尊を現実にお護りできているかどうかで、実証されるのである。
まして学会首脳が、「寺信心」などと称して、正宗の寺院と他宗謗法の寺とを同列にして考えているのは、信仰の内面からいえば、本宗の御本尊と他宗の本尊とを、同等に扱っているのである。つまり、学会首脳の信心が混濁しているから、平気で「寺信心」などという不遜な言葉が出てくるのである。
また最近では、幹部が「本山には登山しなくてもよい」「末寺への参詣は必要ない」などと指導して歩いているようなことを耳にする。しかしそれは、その幹部に自覚がなくても、大御本尊と血脈への冒涜と不敬であって、しかも会員の仏道を妨げるものであり、その罪はまことに深いのである。あるいは、総本山にまします戒壇の大御本尊と、末寺の御本尊、家庭の御本尊との本末・次第をわきまえないで、ただ自分の家にある御本尊を護持していればよい、というのも大きな誤りである。
御先師日達上人は、本宗の血脈の大事について、
「信心といい、血脈といい、法水というところの法水は、何処から出てくるかということが最も大切であります。それは、我が日蓮正宗においては日蓮大聖人であり、大聖人の御当体たる本門戒壇の大御本尊であります。故に、大聖人の仏法を相伝しなければ、大聖人の仏法の法水は流れないのであります。」(昭和53年7月30日)
と甚深の御指南をされている。もとより、唯授一人の血脈の尊義は、論議すべき問題ではなく、ただ仏法の教義と道理の上から、信解することが肝要である。最近の学会首脳は、西洋の宗教観を愛用し、権威とか権力とかの言辞を並べて、本宗の血脈とその正師を暗に冒涜している。そのような外道義で、仏法の血脈を論ずる学会首脳に対しては、謗法の域を越えて、ただ悩乱されたと表現するしかないのである。
この御指南にあるように、御仏智の立場からいえば、自宅の御本尊を護持することが大切であるとしても、その功徳はあくまで本門戒壇の大御本尊から流れ通ってきているという、根本を失ってはならない。また、衆生側の信心の立場からいっても、衆生側に本末・次第の信心の筋目がなくなれば、仏法の道理からして、本宗の血脈の信心とその功徳は次第に薄くなり、やがて不信謗法を犯すことになる。そうなれば、御本尊を信じたくても信ずることができなくなり、肝心の成仏はもとより、今までの功徳さえ失われていくのである。
他にも氏は、戸田会長が書かれたという『聖教新聞』の“寸鉄”(コラム欄)を引いて、かえって、戸田会長の人格を傷つけるようなことをしている。最近では、「学会は戸田会長の護法の精神に帰るべきだ」という、会員からの声が出始めているやに聞くが、氏はその盛り上がりを心配して、戸田会長にも、宗門攻撃の与同罪を受けてもらおうと、あえて不用意な発言をしているのかも知れない。しかし、氏が、
「戸田先生は、『森田君、君の“寸鉄”は切れ味が全然ないね』『君のは、これはね“寸鉄”じゃなくて“尺鉄”だよ!』責任を感じて私、それで辞めました。」
と正直に述べている点からは、わずかながらも、氏の素直さと責任感を読み取ることができる。氏は、戸田会長時代の信心を思い返して、その時と同じように、学会問題のけじめをつけてもらいたい。
5.御本尊と組織との混乱
森田氏は、次のように、本末転倒の発言をしている。
「創価学会へ来て初めて知ったんじゃないですか、だから創価学会のお陰ですよ、御本尊様を知ることもできた。創価学会がなかったら、一生御本尊様に会えなかったんですよ。だって坊さん布教しないんだもん。会えませんよ一生。」
氏の見解は、御本尊と組織との関係が、全く逆転しているのである。これは、氏の信心が転倒しているからである。学会組織は、大御本尊と血脈の大事を根本としてこそ、その存在の意味がある。学会組織それ自体に、功徳があるわけではない。あくまでも、大御本尊にこそ、功徳が具わるのである。また会員が、御本尊に結縁したのも、本来からいえば、仏縁によるのである。そして、会員の成仏も功徳も、学会組織や幹部指導ではなく、大御本尊の御力によるのである。
氏はそれでも、御本尊よりも組織のお陰だというのなら、氏は「組織」を信仰していることになる。それでは、氏の謗法だけでは済まない。氏はもう、御本尊と組織の関係をごまかしてはならない。信心と功徳の筋目は、正直に立てるべきである。
たしかに、会員にとって学会組織への恩はあるだろう。しかし氏は、本宗の僧宝を批判し、三宝の大恩を忘れているのである。だから、氏には、組織の恩を論ずる資格はないのである。なぜなら、三宝の大恩を知り、それを報じてこそ、組織への恩は成り立つからである。決してその逆ではないのである。氏はここでも、自分たち一部の幹部のために、また自分たちの非を隠すために、組織の恩を利用しているのである。
しかし、学会組織は、全会員の成仏のためにあるのである。学会首脳のためにあるのではないし、一部の大幹部の所有物でもないはずである。それに、創価学会といえども、本宗の大御本尊と血脈相伝がなければ、存在しなかった組織であることも、氏は忘れてはならない。
これからは、御仏意により真実に目覚めた会員が、陸続と出てくるであろう。そして、それらの会員は、所属寺院の僧侶と法華講員と共に、学会首脳の誤った教義と信仰を破折して、真実の意味から、学会組織への恩を返すことになろう。
また氏は、本宗伝統の正法護持・謗法厳戒の姿についても、程度の低い冗談を述べている。
「ですから、世間では日蓮正宗のことを“針金宗教”と言った、針金の如く細々と700年。まっ、しかしよく切れないで来たからいいようなもので、創価学会が出現して太いワイヤーになっちゃった。坊さん、『もうついていけない』ね、『元へ帰りたい』、もう一回針金になりたいって言うんですから。これじゃ広宣流布はできないんじゃないですか。」
たしかに、本宗の正法護持・謗法厳戒の清浄な宗風は、他宗から“針金宗教”と称されたものである。しかしそれは、経済的な貧困や、檀信徒の無勢を意味するものではない。それは、宗開両祖以来の、正法伝持の道念と気概を評したものである。
学会首脳は、組織の多勢を誇り、貧乏の本山をここまで大きくしたのは学会だという。しかし氏は、自分でどれほどの事業をなして、本山に御供養したというのであろうか。本山への御供養は、すべて会員一人ひとりの浄財ではないか。氏も職業幹部として、会員の寄付で生活しているのである。そこを謙虚に考えるべきである。また創価学会といっても、現実をみれば、三宝の功徳はもとより、会員一人ひとりの折伏があって、学会は発展したのである。その真実に目を向けなければいけない。
もちろん過去においては、学会首脳の指導が、会員の折伏に大きな力を貸したであろうことは、疑いないことである。しかし、信仰における指導的立場の者が、自分たちの指導の成果を誇示するのは、とても恥ずかしいことである。まして現在は、学会首脳の指導の誤りが、厳しく問われているのである。氏はそこを自省しなくてはならない。
宗門が、もし仏法上のことで堕落していたら、会員の成仏のためにと、学会首脳の誤りを糾すようなことはしていない。他宗僧侶と同じように、まず経済的なことを考え、また多勢の暴挙に恐れをなして、仏法の失をみても、みない振りをして、慢心の檀那にへつらうであろう。これを僧侶の堕落というのである。しかし、本宗僧侶は、檀那に媚びへつらうことなく、仏法上の間違いを糾しているのである。
戸田会長は、本宗の法体守護・化儀連綿の宗風に対して、
「もったいなくも、代々の法主上人の丑寅の勤行は、御開山より、ただの一日も休んだことがない。丑寅の勤行とは、夜の二時からの御勤行で、暑くとも、寒くとも、大衆救護の御法主上人はじめ石山僧侶一同のおつとめである。もったいないではないか。神々しいではないか。ありがたいことではないか。他山に、かかる勤行があるであろうか。かくも、法体を守護し、かつ化儀連綿たる功績こそ称えねばならぬことである。」(昭和26年6月10日)
と述べている。氏は、一分の改悔の心があれば、この指導を何度も読むことである。今から700年前、御開山日興上人は、身延の邪義謗法とたもとを分かち、大聖人の正法を正しく護持されて、総本山大石寺を建立されたのである。
それ以来、御歴代の御法主上人は、困難な時代に遭遇しても、唯授一人の血脈を継がれて、大御本尊を厳護され、また甚深の丑寅勤行をつとめられ、広宣流布を祈念されてきたのである。その御威徳を深く拝すべきである。
今回の問題でも、血脈付法の御法主上人が、真実の広宣流布の方途を見極められ、仏法の道理と正邪の上から、池田氏と学会首脳を教導されているのである。
また、御先師日達上人は、昭和52年の学会問題の時に、
「なるほど長い間学会はよく宗門のために尽くしてくださいました。その功績は大きいのであります。しかし、功績が大きいからと謂って、教義が間違い宗門と逸脱してしまえば、これは何にも役に立ちません。ただそういうふうに間違いを起こしてもらいたくないが故に、ただ今のように色々のことを指摘して、学会を何とかして立ち直ってもらいたいと思ってやっておるのであります。」
と仰せになっている。現在においても、僧俗がともに初心に立ち返って、この御指南を拝すべきである。そして今こそ、創価学会は、本宗の三宝外護と仏法流布のために創立したという、学会の原点に戻る時である。
氏は、その学会の原点を忘れて、学会出現によって「太いワイヤー」になったと自慢してみても、愚かなことである。仏法の二大事を外護できない、学会首脳の謗法の指導であれば、学会組織自体が、錆びて腐ったワイヤーになり、根本から断ち切れてしまうだろう。そうならないためにも、学会首脳は三宝護持の正しく清らかな信心を、速やかに取り戻してもらいたい。
宗門は、仏法の正師の御指南のもとに、これからも、令法久住・広宣流布の大道を、揺るぎなく前進していくことに変わりはない。氏は、「もうついていけない」「元へ帰りたい」などと揶揄しているが、宗門僧侶は、会員の成仏のためにも、学会首脳の謗法路線を認めるわけにはいかない。反対に、仏法の正師の「元へ帰りなさい」と、氏に忠告しておきたい。