令和7年5月度広布唱題会の砌
於 総本山客殿
(大日蓮 令和7年6月号 第952号 転載)
(大白法 令和7年5月16日 第1149号 転載)
本日は、総本山における五月度の広布唱題会に当たり、皆様には諸事御繁忙のところ、信心強盛に参加され、まことに御苦労さまでございます。
さて、大聖人様は摂受と折伏について『開目抄』のなかで、
「無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす、安楽行品のごとし。邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす、常不軽品のごとし」(御書575)
と仰せであります。
この御文は、五濁乱漫とした末法の世は、邪智・謗法の多き時であるから、摂受・折伏とあるなか、折伏を用いよと説かれているものであります。
今、私どもは幸いにも、御本仏宗祖日蓮大聖人様の大慈大悲によって一生成仏の道歩ませていただいております。されば、私達はどのようにすれば、この仏祖三宝尊の大慈大悲の御恩徳に報ずることができるのか。
総本山第二十六世日寛上人は、『報恩抄文段』に、
「邪法を退治するは即ちこれ報恩(中略)正法を弘通するは即ちこれ謝徳(中略)謂わく、身命を惜しまず邪法を退治し、正法を弘通すれば、即ち一切の恩として報ぜざること莫きが故なり」(御書文段384)
と御教示あそばされています。
すなわち、折伏こそが三宝の恩をはじめとして、父母の恩、衆生の恩、国王の恩に対する最高の報恩行であると仰せられているのであります。
そして、その折伏を実践するに当たって大切なことは何かと言えば、すなわち唱題であります。
よって、日寛上人は『観心本尊抄文段』に、
「自行若し満つれば必ず化他あり。化他は即ちこれ慈悲なり」(御書文段219)
と、充分な唱題を行うところに、必ず折伏の実践が伴うことを御指南あそばされいるのであります。
したがって折伏に当たっては、まず、しっかり唱題に励むことが肝要であります。御本尊様に祈り、相手を思う一念と強い確信が命の底から涌き上がってきた時、その確信に満ちた言葉は、必ず相手の心を揺さぶらずにはおかないのであります。
すなわち折伏は、相手の幸せを祈り、不幸の根源である邪義邪宗の謗法を破折し、この妙法を至心に信じていけば、必ず幸せになれることを誠心誠意、伝えていくことが大事なのであります。
また、大聖人様は『曽谷殿御返事』に、
「謗法(ほうぼう)を責めずして成仏を願はヾ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし」(御書1040)
と御指南せられているように、折伏に当たっては、はっきり「謗法は不幸の根源である」ことを言いきり、謗法を責め、謗法を破折することが大事なのであります。
つまり、間違った宗教こそ、人を不幸にし、世間を危うくする元凶であることを伝え、謗法を厳しく破折することが大切なのであります。
されば、友人・知人・親戚など、折伏したい人がいれば、所属の寺院や、座談会へお連れするなど、あるいは先輩や幹部の方々に協力してもらうなどして折伏する。要は講中一結・異体同心して折伏をすることが大事でありまして、折伏はやろうと思えばだれでもできるということであります。
特に本日お集まりの皆様には、本年度の折伏誓願目標は、たとえいかなることがあろうとも講中一結・異体同心し、全力を傾注して必ず達成するとの強い信念を持って、しっかりと唱題に励み、その唱題の功徳と歓喜をもって折伏に邁進されますよう心からお祈りし、本日の挨拶といたします。
日蓮正宗公式HP
http://www.nichirenshoshu.or.jp/
正林寺御住職指導(R7.6月 第257号)
宗祖日蓮大聖人は『下山御消息』に、
「教主釈尊より大事なる行者」(御書1159)
と御指南あそばされております。末法時代は釈尊よりも日蓮大聖人が大事である富士の立義であります。つまり「彼は脱、此は種なり」(御書656)との種脱相対判からであります。
第二祖日興上人は、富士の立義として御書十大部を選定された一つに『下山御消息』(御書1137)があります。十大部に選定された理由には、法華経の教主釈尊(脱)よりも勝れた日蓮大聖人(種)は、末法の御本仏であるという内証深秘の御境界を明かされております。富山の蘭室の友に交わるための大切な御書であります。
大聖人御自身を経文に予証された上行菩薩の再誕であるという外用浅近の辺を示されつつ、隠し持たれてきた三大秘法を末法時代に広宣流布するための大事な使命が存するために「教主釈尊より大事なる行者」と拝信申し上げます。
大事なる行者として主師親三徳についての御教示が拝せられます。大聖人は自ら末法の日本国の人々における下種の三徳兼備の仏であることを明かされています。『下山御消息』に、
「自讃には似たれども本文に任せて申す。余は日本国の人々には上は天子より下は万民にいたるまで三の故あり。一には父母なり、二には師匠なり、三には主君の御使ひなり。経に云はく『即ち如来の使なり』と。又云はく『眼目なり』と。又云はく『日月なり』と。章安大師の云はく『彼が為に悪を除くは則ち是彼が親なり』等云云。」(御書1150)
と、教主釈尊よりも大事なる行者であることを御教示であります。「一には父母なり」とは親徳、「二には師匠なり」とは師徳、「三には主君の御使ひなり」とは主徳と拝します。
下山抄は、建治3年(1277)6月、日蓮大聖人御年56歳の時に、身延において認められた御書であります。日興上人は『富士一跡門徒存知事』(御書1871)に御書十大部の一つと選定なされました。対告衆は甲斐国下山郷(現在の山梨県身延町下山)の地頭であった下山兵庫五郎光基の氏寺であるところの平泉寺住僧・因幡房日永が同寺を追放された時の御述作になります。「正本の所在を知らず。」(御書1871)と、御真蹟(正本)の所在が判らないことを記されています。その所在が判らない等の観点から、富士の立義ではない他門流では偽書・改竄説が主張されています。
現在、御真蹟全体の約2割ほどは、小湊誕生寺(日蓮宗・千葉県鴨川市)など30数箇所に所蔵されています。
身延にほど近い下山の平泉寺の住僧・因幡房は念仏僧であり、大聖人お住まいの庵室の後ろに隠れて御法門を聴聞することがありました。その結果、念仏が誤りであることに気づいた因幡房は、大聖人の弟子となり、日永の法号を授与されます。改心し平泉寺での勤行を阿弥陀経から法華経の『如来寿量品』の自我偈に変更しました。ところが念仏の強信者であった地頭・下山光基の逆鱗に触れ平泉寺を追放されるに至りました。
この状況を察した大聖人は、因幡房に代わって光基を諌暁すべく、日永の名で念仏の非を説き法華経の正義を示されました。それが『下山御消息』(※略称「下山抄」・異称「顕本抄」)です。本抄では法華経の帰依が地頭のみならず、父母への真実の報恩・孝養になることが説かれています。
この下山抄では、因幡房が信仰していた阿弥陀経(念仏)の読誦をやめ、法華経の自我偈を唱えるようになり、法華経の功徳である現当二世の利益を挙げられて、阿弥陀経が時機不相応であると御指南であります。
法華経と他経の勝劣を明らかにされ、仏法弘通には教・機・時・国などの五綱の判断が重要と説かれます。
特に律宗の小乗戒や良観らの邪義を厳しく指弾され、国難の原因と断ぜられております。また、伝教大師の正義が真言等により歪められた歴史的事実を挙げ、真言・念仏・禅宗の誤りを示されます。
さらに、日蓮大聖人は国主に諌言し迫害された経緯や、法華経を信じない者へ謗法の害毒を説き、仏法において主客顛倒の姿勢を誡められます。
おわりに、念仏に従わないことは父母や他人のためであり、正法を護持する因幡房自らの決意を強調して本抄を結ばれております。
下山抄は、末法時代(1052)に入り225年後の1277年(建治3)6月に述作され、令和7年の今(2025)から748年前の御書になります。末法万年尽未来際との仏法的なスケールから御書を拝することが大切であります。
まだ、1000年に至らない末法に入り973年の末法時代、「教主釈尊より大事なる行者」の御尊体でおられる本門戒壇の大御本尊は、『後五百歳合文』に、
「普賢(ふげん)菩薩勧発品の成就(じょうじゅ)四法の普賢菩薩の誓願 『如来の滅後に於て閻浮提の内に広く流布せしめて断絶せざらしめん』云云」(御書256)
と御指南のように、断絶することなく富山の蘭室の友が集う総本山大石寺を中心に広く流布されてまいります。日蓮大聖人の出世の本懐である大御本尊に帰命し奉り、血脈の流れる正しい御本尊を受持信行する人は「四法成就」される果報があります。
法華経の『普賢菩薩勧発品第二十八』に、
「若し善男子、善女人、四法を成就せば、如来の滅後に於て、当に是の法華経を得べし。
一には諸仏の護念を為、二には諸の徳本を殖え、三には正定聚に入り、四には一切衆生を救うの心を発せるなり。
善男子、善女人、是の如く四法を成就せば、如来の滅後に於て、必ず是の経を得ん。」(法華経597)
と説かれ、大聖人が『四条金吾殿御返事』に、
「賢人(けんじん)は八風(はっぷう)と申(もう)して八(や)つのかぜにをかされぬを賢人(けんじん)と申(もう)すなり。(中略)八風(はっぷう)にをかされぬ人(ひと)をば必(かなら)ず天はまぼ(守)らせ給(たま)ふなり。」(御書1117)
と、仏天の加護があります。まさに「四法成就」とは「利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり」との八風に翻弄されることのない賢人、富山の蘭室の友・法華講衆であります。
最後に、創価学会では、学会流広宣流布として令和の時代「教学要綱」を基軸に、学会の教義を広く社会に対して客観的に説明することに力点を置いて世界に展開しているようであります。その展開は大聖人が『撰時抄』に仰せである、
「されば機に随って法を説くと申すは大なる僻見(びゃっけん)なり。」(御書846)
との御書に違背するのではないでしょうか。「客観的に説明することに力点を置かれて」(教学要綱P5)とは、機根に随って法を説く大なる僻見になります。大なる僻見では、四法を成就することは叶いません。さらに大聖人は、
「伝教大師云はく『正像稍(やや)過ぎ已(お)はって末法太(はなは)だ近きに有り、法華一乗の機今正しく是其の時なり。何を以て知ることを得ん。安楽行品に云はく、末世法滅の時なり』と。」(御書838)
「法華一乗の機今正しく是其の時なり」であります。
「教学要綱」の内容と、過去の創価新報に連載された「『下山御消息』に学ぶ」(平成元年2月~平成2年8月)と聖教新聞社から発行された「下山御消息に学ぶ①~⑥」を比較検討されて、創価学会では富士の立義の教学を学び直す時でしょう。
そして、日蓮大聖人は「教主釈尊より大事なる行者」(御書全集新版299)であることを、縁ある創価学会員さんへのひと言折伏として伝えていきましょう。
宗祖日蓮大聖人『四条金御殿御返事』に曰く、
「賢人は八風と申して八つのかぜにをかされぬを賢人と申すなり。利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり。をゝ心は利あるによりよろこばず、をとろうるになげかず等の事なり。此の八風にをかされぬ人をば必ず天はまぼらせ給ふなり。」(御書1117)
一、令和7年の年間方針・『活動充実の年』
二、令和7年の年間実践テーマ
①勤行・唱題で果敢に折伏
②登山推進と寺院参詣で講中の活性化
③活発な座談会で人材育成
大日蓮転載
(破折文書)群馬布教区有志一同
時局協議会シリーズ
平成3年(1991年)12月25日
日蓮正宗時局協議会
日蓮正宗と戦争責任
時局協議会資料収集班1班
http://monnbutuji.la.coocan.jp/jikyoku/sennjise.html
御書五大部手引
正を立てて国を安んずる「立正安国論」
人本尊開顕の書「開目抄」
日蓮当身の大事「観心本尊抄」
末法の時を撰ぶ「撰時抄」
三大秘法への知恩報恩が大事「報恩抄」
http://blog.goo.ne.jp/shourinzi1972/
※支部組織の充実強化に活用ください。
発行 日蓮正宗宗務院
年回表(御法事)
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