正林寺御住職指導(R5.3月 第230号)
宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の慶祝記念総会の日から、いよいよ慶祝記念総登山が開始されます。その開始される3月は、宗旨建立の内証宣示あそばされた月に当たります。日蓮大聖人は建長5年(1253)3月28日、法界に対する内証の題目の宣示をなされ、末法万年尽未来際へ向け広宣流布の実現のために陣頭指揮あそばされました。
釈尊入滅後の末法時代は、永承7(1052)年からになります。末法時代を末世・末代ともいわれ、釈尊滅後の2月16日、令和5(2023)年は、末法に入り971年となりました。末法は万年といわれ、まだ1千年経過しておらず、仏の教えは廃れ、修行するものも悟りを得るものもなくなり教法のみが残る時期であります。
末法に入ると仏教が衰えるとする予言的思想、末法思想が流行しました。中国では隋代頃に、日本では平安後期から鎌倉時代にかけて流行し、大衆を不安に陥らせて、仏教者においても釈尊からの付嘱なき末法思想を模索する時代でありました。
まさに大聖人は『諸経と法華経と難易の事』に、
「弘法・慈覚・智証の御義を本としける程に、此の義すでに日本国に隠没(おんもつ)して四百余年なり。珠(たま)をもって石にかへ、栴檀(せんだん)を凡木(ぼんぼく)にうれり。仏法やうやく顛倒(てんどう)しければ世間も又濁乱(じょくらん)せり。仏法は体(たい)のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり。(中略)苦しきは世間の学者、随他意を信じて苦海に沈まん。」(御書1469)
と痛烈に破折あそばされております。
釈尊は法華経の「安楽行品第十四」に、
「如来の滅後に、末法の中に於て、是の経を説かんと欲せば、応に安楽行に住すべし」(法華経388)
と説かれております。釈尊は末法において法華経を大切に修行することにより、心身に苦痛はなく楽しく活きることができると教えられております。まさに自受法楽のことであります。
正法・像法・末法について、大聖人は『南条兵衛七郎殿御書』に、
「仏入滅の次の日より千年をば正法と申す、持戒の人多く又得道の人これあり。正法千年の後は像法千年なり、破戒者は多く得道すくなし。像法千年の後は末法万年、持戒もなし破戒もなし、無戒者のみ国に充満せん。而も濁世と申してみだ(乱)れたる世なり」(御書323)
と仰せであります。「仏の滅後二月十六日よりは正法の始めなり」(御書839)と教示されて、釈尊入滅の2月15日、その翌日の16日から正法時代に入ります。2月15日と16日が節目の日に当たり、正法から像法へ、像法から末法へと仏法上の節目があります。今現在は末法であり、濁世と申す乱れた世の中、まさに闘諍堅固・白法隠没の時代であります。
さらに『教行証御書』には、
「末法に限って冥益と知る(中略)薬王品に云はく『此の経は則ち為れ 閻浮提の人の病の良薬なり。若し人病有らんに是の経を聞くことを得ば病即ち消滅して不老不死ならん』等(中略)分別功徳品に云はく『悪世末法の時能く是の経を持てる者』と。(中略)此等は皆末法万年と云ふ経なり」(御書1104)
と、末法万年尽未来際にわたり修行すべき事と、御利益について法華経を文証に御指南あそばされております。
御法主日如上人猊下は、
「『御義口伝』に、
『妙法の大良薬を以て一切衆生の無明の大病を治せん事疑ひ無きなり』(御書1732)
と仰せのように、『妙法の大良薬』すなわち、久遠元初の本法たる人即法・法即人の妙法蓮華経にして、人に約せば久遠元初自受用報身如来の再誕、末法御出現の御本仏宗祖日蓮大聖人であり、法に約せば久遠元初の妙法であります。この人法一箇の妙法をもって、末法本未有善の一切衆生を救済せんために御出現あそばされたのであります。」(大日蓮 第525号 R5.3)
と御指南あそばされております。具体的な末法万年尽未来際における一切衆生を救済するため「妙法の大良薬」により、無明の大病を治し、さらには病が消滅して不老不死の境界になるとのことであります。
まさに、大聖人は『諸経と法華経と難易の事』に、
「幸ひなるは我が一門、仏意(ぶっち)に随って自然に薩般若海(さばにゃかい)に流入す。」(御書1469)
との広大で深い仏の智慧に浴することが叶います。
『御講聞書』に、
「 一 日蓮己証の事
仰せに云はく、寿量品の南無妙法蓮華経是なり。地涌(じゆ)千界の出現、末代当今の別付嘱の妙法蓮華経の五字を、一閻浮提(えんぶだい)の一切衆生に取り次ぎ給ふべき仏の勅使上行菩薩なり云云。取り次ぎとは、取るとは釈尊より上行菩薩の手へ取り玉ふ。さて上行菩薩又末法当今の衆生に取り次ぎ玉へり。是を取り次ぐとは云ふなり。広くは末法万年の取り次ぎ取り次ぎなり。是を無令(むりょう)断絶とは説かれたり。又結要(けっちょう)の五字とも申すなり云云。上行菩薩取り次ぎの秘法は所謂南無妙法蓮華経是なり云云。」(御書1854)
と、唯授一人血脈相承により「末法万年の取り次ぎ取り次ぎなり」との実現があり、「無令断絶」、つまり「断絶せしむること無けん」(法華経539)との御指南であります。
この「末法万年」は「万年」であり、具体的な数字は文底に秘されていると拝します。その万年とは、一万年ではなく十万年、百万年、一千万年、一億万年なのか、さらには法華経の数的世界観へ誘引するため、文の底には「阿僧祇劫」(法華経440)「無数劫」(法華経442)と、まさに尽未来際であり、未来永劫です。その過程から末法に入り971年の現在は、「末法当初(まっぽうとうしょ)」に当たります。末法の1万年まで9029年あることになります。その後の尽未来際までは、その時の御法主上人猊下に御指南を賜る以外にあり得ないことであります。「取り次ぎの秘法」を時の御法主上人猊下は御所持あそばされます。その秘法とは、まさに大聖人の己証であり本門戒壇の大御本尊であることは申すまでもありません。
慶祝記念総登山に参詣させていただく法華講員は、末法万年尽未来際の意味をご理解いただき精進下されば幸いであります。
ゆえに『報恩抄』には、
「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながる(流布)べし」(御書1036)
と御指南である、「万年の外未来までも」とは、末法万年尽未来際のことであると拝し奉ります。
最後に、課題定義として少子化の現在、危惧すべき現実があります。未来世に本門戒壇の大御本尊在す日本国に生を受けることが、末法万年尽未来際まで確実にできるのかとのことであります。「信心の厚薄」(御書1388)によることが現実視されるのではないでしょうか。
慶祝記念総登山に参詣させていただくことにより、末法万年尽未来際まで確実に、未来世も本門戒壇の大御本尊から離れることなく末法時代を薩般若海に浴していくことができると確信いたします。
宗祖日蓮大聖人『諸経と法華経と難易の事』に曰く、
「弘法・慈覚・智証の御義を本としける程に、此の義すでに日本国に隠没(おんもつ)して四百余年なり。珠(たま)をもって石にかへ、栴檀(せんだん)を凡木(ぼんぼく)にうれり。仏法やうやく顛倒(てんどう)しければ世間も又濁乱(じょくらん)せり。仏法は体(たい)のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり。幸ひなるは我が一門、仏意(ぶっち)に随って自然に薩般若海(さばにゃかい)に流入す。苦しきは世間の学者、随他意を信じて苦海に沈まん。」(御書1469)

