日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

日蓮正宗の宗名史

2018-11-04 | 御住職指導

正林寺御住職指導(H30.11月 第178号)  

 

 宗名の歴史は、『日蓮正宗聖典』の略史に見ることができます。日蓮大聖人は宗名を厳定されることはなく「妙法蓮華経宗」「法華本門宗」等と仰せられ、宗旨の名称について特に重要視なさることはありませんでした。

 また『日蓮正宗入門』にも、
「日蓮大聖人は御在世当時、そのときどきに『日蓮が一門』『日蓮等の類(たぐい)』等と称され、特定の宗名を掲げられませんでした。」(日蓮正宗入門229)
とあります。
 その理由は『聖典』の「日蓮正宗略史」に、
「本門の戒壇を建立せしめらるるを志し給うが故」(日蓮正宗聖典 7頁)
であります。

 つまり御遺命の戒壇である、大聖人が『日蓮一期弘法付嘱書』に、

「富士山に本門寺の戒壇を建立」(御書1675)
と仰せの、第二祖日興上人に御付嘱なされた「本門寺の戒壇を建立」であります。

 

 その御付嘱の上から興上人は「日蓮が弟子」ということを強調され天台法華宗に対して、「日蓮の本門の宗」と仰せられたと拝されます。

 大聖人の直弟子方に立義において雲泥の相違があったために、富士流として他の弟子方との相違を表明あそばされました。
 それは地名において自ら生じたところであり、「富士門流」の名が固有化された名称になりました。


 明治以来、世間一般の法華寺院が集まり日蓮宗と称し、日興上人の富士門流は「日蓮宗興門派」と称しました。しかし興門派において立義が混乱しているところもあり、明治三十三(1900)年九月十八日に袂を分かち「日蓮宗富士派」と称しました。
 日蓮正宗史を知る上で必要不可欠な『富士年表』には、
「大石寺分離独立認可、日蓮宗富士派と公称」(富士年表384)
と記録があり、同年十一月四日には、
「日蓮宗富士派独立発表式 総本山大石寺御影堂において挙行」(同384)
との記載があります。

 

 明治四十五(1912)年六月七日に第五十七世日正上人が「日蓮正宗」と改称されました。『富士年表』には、
「日蓮宗富士派 日蓮正宗と公称」(富士年表394)
と記述されています。明治の終わり大正時代から「日蓮正宗」と宗名が変わり現在に至っております。「正」の字は正義、正統を意味して「正しき日蓮宗」であるとの意であります。

 さらに、その「意」には『聖典』の「略史」に、

「宗旨の生命は教義と付嘱とである、此の上からいって日蓮大聖人の宗旨は唯日蓮正宗のみである。」(日蓮正宗聖典 8頁)
とあり、「宗旨の生命は教義と付嘱」が肝要であります。つまり、日蓮正宗との宗名には、宗旨の生命である教義と付嘱も、「意」として存します。

 

 

 以上の宗名史をご存じなく、架空の宗派「日顕宗」との名称が信じられています。日顕宗といわれる宗名を日蓮正宗では使用していません。また日顕宗との宗名は宗教法人として一切存在しない宗名であり宗派です。

 一方、創価学会では「日蓮世界宗」「日蓮世界宗創価学会」と、特許庁の審査を経て平成五(1993)年三月十日に商標登録がなされ、商標公報にも掲載されました。創価学会は日蓮正宗では無いことになります。「日蓮世界宗」と「日蓮世界宗創価学会」は商標登録をされていますが、「日顕宗」との名称は商標登録されていません。この事実からも明らかに日顕宗は架空であることが理解できるでしょう。
 商標登録がされていない事実からも「日顕宗」との呼び方は相応しくありません。これを機に正しい宗名を確認しましょう。

 

 総本山大石寺第六十七世日顕上人は「日顕宗」との名称について、御見解あそばされておりますので一読願います。
 日顕上人は『創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す』のなかで『「日顕宗」という架空の呼称を用いて誹謗を繰り返す自己矛盾の愚行を破折する』に、
「創価学会には『日顕宗』などと、ありもしない架空の妄言によって、現日蓮正宗の法主と血脈相伝を否定し、その教義を誹謗する一連の偏論が存します。これはやはり、今日における池田破法団体の大体の主張を述べていると思われますので、先の『ニセ本尊』弁明への破折に引き続き、これについても、その主張の一々にわたって撃破を加えるものであります。
 まず、『日顕宗』という呼称ですが、このような名称の宗団は、日本にも世界中のどこにも存在しません。架空の呼び名です。彼等はこの架空の名を喜んで使っているのですが、実体がないもの、実在しないもの、架空の議論の一切は、虚偽の論と断ぜられます。つまり、創価学会は、こういう架空に基づく虚偽を平気で語る、ウソつき団体なのです。
 もし、学会員がひとことでも『日顕宗』と言ったら、直ちに『ないものを言う、創価ウソつき団体だ』と責めましょう。もし学会員が『日顕宗とはあだ名だ』などと言ったら、『あだ名には必ず実名がある。実名はなんだ』と質しましょう。詰まって『実名などどうでもよい。あだ名でたくさんだ』と言ったら、それこそ『だから学会員は池田と同じウソつき、傲慢、恥知らずなのだ』と追求してよいのです。
 ともかく、この世の中に全くない『日顕宗』という言い方は、創価学会が、日蓮正宗に帰依しきれず、また、日蓮正宗から離れきれない矛盾を抱えているからです。すなわち、一つには慢心・大謗法の池田大作に率いられる創価学会は、もはや日蓮正宗の仏法を信仰できる状態ではないからです。二つには、『創価学会規則』に、
 『この法人は(乃至)日蓮正宗の教義に基づき、弘教および儀式行事を行ない……』
とあって、規則上、日蓮正宗を正面から攻撃できないことと、長年、日蓮正宗を信仰してきた学会員の心情を無視して、あからさまに日蓮正宗を誹謗できない事情があるからです。
 したがって、『日顕宗』という呼び方は、それらの矛盾を覆い隠そうとする、目暗ましの謗法から来ているのです。」(創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す 7頁)
との御見解であります。日顕上人も「日顕宗」という名は架空の宗派であることを断言あそばされております。ゆえに宗名は「日顕宗」ではなく「正しき日蓮宗」「日蓮正宗」であります。


 ちなみに「冨士大石寺顕正会」は日蓮正宗ではありません。元妙信講である顕正会は、昭和49(1974)年8月12日に解散処分を受けており、日蓮正宗の組織ではありません。単刀直入に顕正会と日蓮正宗の違いは、御遺命の戒壇について、顕正会は「国立戒壇」を主張し、日蓮正宗は大聖人が『日蓮一期弘法付嘱書』に御指南の「本門寺の戒壇を建立」であります。一時期、宗門も当時の世情を鑑みて、大聖人が『太田左衞門尉御返事』に仰せの、

「強(あなが)ちに成仏の理に違はざれば、且(しばら)く世間普通の義を用ゆべき」(御書1222)
との教えから、時の御法主上人も「国立戒壇」を主張されていた時がありました。しかし、それは「且(しばら)く」用いられただけであり、本来の御遺命「本門寺の戒壇を建立」へとの御指南に、第六十六世日達上人が昭和45年5月3日に移行されたと拝します。
 それは四悉檀に拝した場合、且く世間普通の義を用いられた「国立戒壇」は摂受的要素を含める世界・為人悉檀として拝し、「本門寺の戒壇を建立」は折伏的に対治・第一義悉檀と拝します。四悉檀のうえから拝しても「国立戒壇」は相応しくなく、大聖人が『日蓮一期弘法付嘱書』に御指南の「本門寺の戒壇を建立」が相応しい事は一目瞭然でしょう。つまり、「国立戒壇」に執着する顕正会は、日蓮正宗ではなく「国立戒壇宗」ともいえ、大切な「本門寺の戒壇を建立(本門寺戒壇建立)」との御言葉を蔑ろにする事になり、直ちに信仰の寸心を改めるべきです。

 

 そして、当然「創価学会」も平成3(1991)年に破門され、日蓮正宗信徒としての資格も平成9(1997)年11月30日以降から自動的に喪失して、その後、日蓮正宗寺院にて勧誡式御授戒を受けない限り、日蓮正宗の信徒とは認められません。

 そのため創価学会は日蓮正宗ではなく、創価学会会則前文にあるように「池田先生は、創価学会の本地と使命を『日蓮世界宗創価学会』と揮毫」と明記されています。創価学会は永遠の師匠「三代会長」のもとに日蓮世界宗創価学会となり、明らかに日蓮正宗ではありません。


 この顕正会創価学会の実状は、一般世間の認知度が非常に薄く、誤解をきたしているため、この機会に明らかな違いをご確認頂ければ幸いです。

 

 


宗祖日蓮大聖人『兄弟抄』に曰く、
「此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずば正法と知るべからず。第五の巻に云はく『行解(ぎょうげ)既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起こる、乃至随ふべからず畏(おそ)るべからず。之に随へば将(まさ)に人をして悪道に向かはしむ、之を畏れば正法を修することを妨ぐ』等云云。此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習ひ伝へて未来の資糧とせよ。」(御書986)

 

 

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