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日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

名聞名利は今生の飾り

2007-05-01 | 御住職指導

正林寺御住職指導(H19.5月 第40号)

 名声や名誉は、人であれば誰もが欲しがることでしょう。それを生き甲斐にしている人もおります。名聞とは、世間に聞える名誉、世間の評判、ほまれであり、名利とは、名聞と利欲、名誉と利得のことです。
 日蓮大聖人は『持妙法華問答抄』に、
「只須く汝仏にならんと思はゞ、慢のはたほこをたをし、忿りの杖をすてゝ偏に一乗に帰すべし。名聞名利は今生のかざり、我慢偏執は後生のほだしなり。嗚呼、恥ずべし恥ずべし、恐るべし恐るべし。」(御書二九六㌻)
と仰せのように、信心において名聞名利は今生の飾りであり、本来、無作である成仏には必要ないことを御教示であります。

 私達に日蓮大聖人は名聞名利を誡める教訓として『新池御書』に、
「末代の衆生は法門を少分こゝろえ、僧をあなづり、法をいるがせにして悪道におつべしと説き給へり。法をこゝろえたるしるしには、僧を敬ひ、法をあがめ、仏を供養すべし。(中略)後世を願はん者は名利名聞を捨てゝ、何に賤しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬ふべし。是正しく経文なり。」(御書一四六一㌻)

と仰せです。後世の幸せを願う人は名聞名利を捨てて、僧宝であられ甚深の御法門をお説き遊ばされる、御歴代の御法主上人猊下を生身の仏様のように尊崇申し上げることが信心において大事です。

 さらに大聖人は『持妙法華問答抄』に、
「臨終已に今にありとは知りながら、我慢偏執名聞利養に著して妙法を唱へ奉らざらん事は、志の程無下にかひなし。」(御書二九九㌻)
と仰せです。
 御本尊様への信心を軽んじ名聞利養に執着する人は、八風に侵されていることになり『四条金吾殿御返事』には、
「賢人は八風と申して八つのかぜにをかされぬを賢人と申すなり。利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり。(中略)此の八風にをかされぬ人をば必ず天はまほらせ給ふなり。」(御書一一一七㌻)

と仰せです。名聞名利は今生の飾りであり、大聖人の教えである一生成仏の妨げとなることを悟り精進しましょう。