正林寺御住職指導(H20.12月 第59号)
信心において御本尊を受持し仏道修行を志す人は、自分流の我見による信心を誡め、仏である釈尊や日蓮大聖人の御金言には素直に随い修行することが大切です。
日蓮大聖人は『如説修行抄』に、
「所詮仏法を修行せんには人の言を用ふべからず、只仰いで仏の金言をまぼ(守)るべきなり。」(御書671㌻)
と仰せです。仏道修行する人は、信心において仏の御金言に依らない人の言葉や他宗教の教えを修行に用いてはいけません。仏の御金言を守ることで正しい仏道修行ができ真実の成仏があります。
仏の御金言を守っていく教訓を大聖人が御教示です。まず『法華真言勝劣事』に、
「文証の所出を知らざる我意の浮言ならば之を用うべからず。」(御書307㌻)
さらに『聖愚問答抄』に、
「経文に明らかならんを用ひよ、文証無からんをば捨てよとなり。」(御書389㌻)
そして『真言見聞』に、
「玄の三に云はく『文証無き者は悉く是邪偽にして彼の外道に同じ』文。」(御書614㌻)
と御教示です。以上の御指南を守ることが信心において大切です。
また大聖人は『聖愚問答抄』に、
「仏法は強ちに人の貴賤には依るべからず。只経文を先とすべし。身の賤きをもて其の法を軽んずる事なかれ。」(御書三八九㌻)
と仰せです。信心している人の身分により仏法を軽蔑してはならず、人の身分ではなく、その人が信仰している尊い経文を第一に考えるように御教示です。
故に、本門の本尊を信じ本門の題目を唱えている人の身分を見て文底下種仏法や本門戒壇の大御本尊を軽んじてはなりません。
仏道修行者は、仏の御金言を忠実に守り人の言葉を用いない信心が大事です。