令和元年6月度広布唱題会の砌
於 総本山客殿
(大日蓮 令和元年7月号 第881号 転載)
(大白法 令和元年6月16日 第1007号 転載)
皆さん、おはようございます。
本日は、本年六月度の広布唱題会に当たりまして、皆様には深信の登山、まことに御苦労さまでございます。
皆様も既に御承知の通り、今、宗門は来たるべき令和三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築の実現へ向けて、僧俗一致・異体同心して、全力を傾注して力強く前進をしております。
この時に当たり、私どもは一人ひとりが、たとえいかなる障魔が眼前に立ちはだかろうが、決然として打ち払い、御宝前にお誓い申し上げました誓願は必ず達成しなければなりません。
大聖人様は『唱法華題目抄』に、
「末代には善無き者は多く善有る者は少なし。故に悪道に堕せん事疑ひ無し。同じくは法華経を強ひて説き聞かせて毒鼓の縁と成すべきか。然れば法華経を説いて謗縁を結ぶべき時節なる事諍ひ無き者をや」(御書231)
と仰せであります。
すなわちこの御文意は、今、末法の本未有善の衆生に対しては、強いて妙法蓮華経を説き聞かせて「毒鼓の縁」を結ばせるべきである。つまり「謗縁」を結ばせる時であると仰せられているのであります。
「毒鼓の縁」とは、皆様も既に御承知の通り、涅槃経に説かれており、毒を塗った太鼓をたたくと、その音は聞こうとしない者の耳にも届き、聞いた者は皆、死ぬと言われているのであります。これは、謗法の衆生に対して法華経を説き聞かせることは、たとえ相手が聞こうとする心がなくとも、これを耳にすれば法華経に縁することとなって成仏の因となり、たとえ法を聞信せずに反対しても、やがて逆縁によって成仏得道できることを毒鼓、つまり、毒を塗った太鼓に譬えているのであります。
また「謗縁」も逆縁と同じ意味でありまして、法華経をいったんは誹謗しても、その縁により、ついには法華経によって成仏できることを言うのであります。
大聖人様は『上野殿御返事』に、逆縁成仏の例を挙げて、
「天竺に嫉妬の女人あり。男をにくむ故に、家内の物をことごとく打ちやぶり、其の上にあまりの腹立にや、すがたけしきかわり、眼は日月の光のごとくかがやき、くちは炎をはくがごとし。すがたは青鬼・赤鬼のごとくにて、年来男のよみ奉る法華経の第五の巻をとり、両の足にてさむざむにふみける。其の後命つきて地獄にをつ。両の足ばかり地獄にいらず。獄卒鉄杖をもってうてどもいらず。是は法華経をふみし逆縁の功徳による」(同1358)
と仰せられています。
すなわち、インドに昔、非常に嫉妬深い女性がいて、夫を疑い憎むあまり、ことごとに当たり散らし、家の物を壊すなど荒れ狂い、その上、あまりの腹立たしさに、怒りを露わにして、眼は日月の光のように異様に輝き、口は炎を吐くが如く、その姿はまるで青鬼・赤鬼のようであった。さらには、亭主が毎日読んでいた法華経の第五の巻を両足で散々に踏みつけたのであります。その後、当然の如く女人は地獄に堕ちましたが、法華経を踏みつけた両足だけが地獄に入らず、獄卒が杖をもって打てども、どうしても両足だけが地獄に堕ちなかった、という話であります。
これは「法華経をふみし逆縁の功徳による」と仰せのように、両足で法華経を踏みつけたことが逆縁となって、地獄に堕ちなかったという話であります。つまり、成仏得道のためには、たとえ逆縁であっても法華経に縁することが、いかに大事であるかを教えているのであります。
故に『一念三千法門』には、
「妙法蓮華経と唱ふる時心性の如来顕はる。耳にふれし類は無量阿僧祇劫の罪を滅す。一念も随喜する時即身成仏す。縦ひ信ぜずとも種と成り熟と成り必ず之に依って成仏す。妙楽大師の云はく『若しは取若しは捨、耳に経て縁と成る、或は順或は違、終に斯に因って脱す』云云(中略)此の娑婆世界は耳根得道の国なり」(同109)
と仰せであります。
「耳根得道」とは、仏法を聞いたことが縁となり、成仏得道することを言うのでありますが、私どもの折伏も同様でありまして、たとえ相手が私どもの話を拒み、聞こうとせず、反対したとしても、「縦ひ信ぜずとも種と成り熟と成り必ず之に依って成仏す」と仰せのように、妙法蓮華経に縁したことが因となって、やがて成仏に導くことができるのであります。
されば、私どもは謗法の者に向かっては、常に下種を心掛けて仏縁を結び、折伏をしていくことが、極めて大事なのであります。
よって、同じく『一念三千法門』には、
「此の経は専ら聞を以て本と為す。凡そ此の経は悪人・女人・二乗・闡提を簡ばず。故に皆成仏道とも云ひ、又平等大慧とも云ふ。善悪不二・邪正一如と聞く処にやがて内証成仏す。故に即身成仏と申し、一生に証得するが故に一生妙覚と云ふ。義を知らざる人なれども唱ふれば唯仏と仏と悦び給ふ。『我即歓喜諸仏亦然』云云」(同110)
と仰せられているのであります。
そもそも、涅槃経には「一切衆生悉有仏性」と説かれております。つまり、一切衆生には皆、仏性が具わっており、正法を聞き、発心・修行することによって成仏することができるということであります。
なかんずく、末法の本未有善の衆生は、三大秘法の南無妙法蓮華経の御名を聞いて仏縁を結び、これが因となり、成仏得道に至ることができるわけでありますから、
「とてもかくても法華経を強ひて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり」(同1316)
と仰せのように、謗法の者に対しては、とにかく強いて妙法を説き、下種折伏をしていくことが肝要なのであります。
なぜなら、今、末法は謗法が充満し、ために多くの人々が知らず知らずのうちに悪縁に誑かされ、邪義邪宗の害毒によって不幸の境界から脱することができずにいます。こうした人々を救済していくためには、正像過時の如き摂受ではなくして、破邪顕正の折伏をもってすることが最善であり、折伏こそ末法の一切衆生救済の最高の慈悲行であります。
特に、昨今の騒然とした国内外の様相を見る時、私どもはその原因がすべて邪義邪宗の謗法の害毒にあることを知り、今こそ持てる力のすべてを出しきって、一人ひとりの幸せはもとより、全人類の幸せと全世界の平和実現のため、一天四海本因妙広宣流布達成を目指して、破邪顕正の折伏を断固として実践していかなければならないと思います。
いよいよ、明後年には宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の大佳節を迎えることになります。それまで残りあと二年、この二年間の戦いこそ、誓願達成の成否を決する最も大事な戦いになります。誓願達成の戦いに躊躇し、止まることがあってはなりません。
されば皆様には、いよいよ異体同心・一致団結して唱題に励むとともに、あらゆる可能性を試して折伏に立ち上がり、なんとしてでも誓願を達成し、晴れて仏祖三宝尊の御照覧を仰がれますよう心からお祈りし、本日の話といたします。
日蓮正宗公式HP
http://www.nichirenshoshu.or.jp/
http://jagihashaku.main.jp/index.htm