最近、顕正会員が引き起こした反社会的問題が、度々マスコミで取り沙汰され、時には、同会が日蓮正宗の信徒団体であるなどと、全く事実無根の報道がなされる場合があります。
顕正会は、元「妙信講」との名称であり、妙縁寺(東京都)に所属する一講中でありました。
しかし、宗門の公式決定に背いたため、昭和49年に解散処分に付しました。
その後、「妙信講」は名称を改め、「宗教法人顕正会」、あるいは「冨士大石寺顕正会」などと名乗って活動しているようですが、日蓮正宗および総本山大石寺とは、全く無関係な団体であります。
解散処分から30年以上も経過し、その間、顕正会は独自の活動を行なっていることからも、宗門とは無関係であることは明らかですが、昨今の誤報に鑑み、念のためお知らせいたします。
【創 立】昭和17年(妙信講)
【創 始 者】浅井甚兵衛
【代 表 者】浅井昭衛
【本 尊】本門戒壇の大御本尊
【経 典】法華経十巻
【教 典】日蓮大聖人御書、日興上人・日目上人・日寛上人遺文
【本部所在地】埼玉県さいたま市大宮区寿能町1-72-1
【信 者 数】不明
【名称の変遷】妙信講(昭和17年)→顕正会
(昭和57年・宗教法人所得-平成8年11月)
※詳しくは本文参照
【沿革】 <妙信講の発足> 妙信講は昭和17年、日蓮正宗妙光寺の総代であった浅井甚兵衛(じんべえ)が、妙光寺講中の1つとして設立したものである。しかし、講の中心者である浅井甚兵衛・昭衛(しょうえ)父子は独善的で身勝手な行動が多く、所属寺院の住職の指導も受け入れず、戦後の混乱期に法道会(法道院)に所属を変更したが、ここでも問題を起こし、昭和32年に法道会を離反した。そののち宗門より昭和33年1月、妙縁寺所属の法華講として再認可された。 昭和37年に全国法華講連合会が発足されたが、妙信講は連合会に加入することを拒否したため、昭和39年8月19日以降の5年間、総本山に登山もできない状態となった。 ◆事の戒壇は国立戒壇 |
正本堂の意義について日達上人猊下より訓諭 大白法 昭和47年5月16日号
宗務院より「妙信講解散について」通達 大白法 昭和49年8月16日号
御法主日達上人猊下御説法 『本尊供養御書』
※妙信講(顕正会)の「殴り込み事件」とその処分に関す御言葉を含む
大白法 昭和49年11月16日号
自称冨士大石寺顕正会会長浅井昭衛の悪書〝最後に申すべき事〟を砕破す 日蓮正宗青年僧侶邪義破折班
(平成17年11月7日浅井昭衛氏に送付)
御法主日顕上人猊下に対する浅井昭衛の不遜なる「対決申し入れ書」を破折す 平成17年4月1日
自称富士大石寺顕正会会長浅井昭衛の「重ねての対決申し入れ書」の悪義を破折す 平成17年5月4日
総 門(顕正会破折HP)
摧破!顕正会 前編 toyoda.tv
摧破!顕正会 後編 toyoda.tv
顕正会は宗門(日蓮正宗)と無関係
1 オープニング
12 遥拝勤行で十分?
14 顕正会員の功徳とは?
15 広宣流布の定義
29 一年後に再会を
32 よき師・よき法・よき檀那
33 日顕上人の血脈相承へ疑難
35 勅宣並びに御教書