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日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

創価学会の52年路線とその破綻①

1991-05-13 | 時局資料

    創価学会の52年路線とその破綻

              時局協議会文書作成班5班  

 創価学会の、いわゆる「52年路線」については、問題とすべき多くの要素があり、様々な角度から検討しなければならない。
 以下、それらについて述べるに当たり、まずはじめに、その問題点の本質を指摘されたともいうべき、昭和55年4月6日の、御代替奉告法要における御法主日顕上人のお言葉を示しておく。
「創価学会の余りにも急激な広布への展開の中には、古来の宗門伝統の思想や形式にたいし種々の特殊性があり、違和的な問題を包藏していたことも事実と思われます。それが正本堂建立以後に於て顕著に現れ、宗門対創価学会の間に様々の不協和を生じました。その主要原因として、本来根本である宗門を外護しつつ広宣流布を推進する信徒団体であるべき立場を更に超え、広布の為には学会主、宗門従という本末顛倒の指向性が特に現われた時から、様々の問題が一時に噴出した感があります。
 従ってその頃の学会の方針や指導には確かに行き過ぎがあったと云えます。」
 すなわち、52年路線は、学会の「学会主、宗門従」という本末顛倒の強い指向性があって、そこから宗門の伝統教義からの逸脱等、様々な問題が派生したものである。


1.創価学会の宗教法人設立時の宗門に対する約束

 本来、日蓮正宗の信徒団体である創価学会が、独自の宗教法人を設立するということは、同一宗内に二つの宗教法人ということになり、まことに不自然な形態となる。しかし、それにもかかわらず、創価学会の法人設立が、宗門から許可されたのである。その法人設立の意図について、戸田第二代会長が、以下のように説明している。
「我々の折伏活動が全国的活動となり、邪宗との決戦に至る時の大難を予想し、本山を守護し、諸難を会長の一身に受けるの覚悟に他ならない、ということ。二つには、将来の折伏活動の便宜の上から宗教法人でなければならない。」
(『聖教新聞』S26.12.20)
 以上の理由によって、学会の宗教法人設立は、宗門から許可されたのである。ただし、この時、学会は宗門に対して、以下の3項目を遵守することを約束したのである。
 折伏した人は、信徒として各寺院に所属させること。
 当山の教義を守ること。
 三宝(仏、法、僧)を守ること。
 この3項目は、以後、宗門に対して、学会が絶対に破ってはならない原則として、約束されたのである。そして、この3項目は、昭和47年の正本堂建立の時までは、著しい違背もなく、守られてきたのである。しかし、正本堂建立以後、学会の体質は大きく変わり始め、日蓮正宗の信徒団体としてのあるべき姿から、大きく逸脱し始めたのである。そして、そのピークにあったのが52年路線である。
 創価学会の52年路線とは、守ると約束した3項目の原則を、様々な方面から、色々な方法で、ことごとく破った路線であるといえる。


2.創価学会の52年路線

 いわゆる学会の昭和52年路線が、既に昭和47年の正本堂建立の時に始まっていたことは、昭和53年2月9日の、第1回時事懇談会における日達上人のお言葉から明らかである。
「昭和四十七年に正本堂が建立せられた。その直後から非常に学会の態度がおかしくなってきた。大変僧侶も馬鹿にするし、また教義上に於いても非常に変化が多いように思う。そのつど私も種々な時にそれを指摘して、そういうことはいけない、日蓮正宗の教義に違うと指摘してきたつもりでございます。」
 ここには、教義上の誤りのみならず、大変僧侶を侮蔑していたことも明かされている。
 また、52年路線の問題が表面化する3年前の昭和49年6月18日に、日達上人は、既に次のように述べられて憂慮の意を表明されている。
「この辺でも、最近、ある書(『人間革命』)が御書だということを盛んに言われてきております。私の耳にもしばしば入ってきています。また、だれそれが仏であるという言葉も、この近所で聞かれるのであって、私は非常に憂慮しています。(中略)どうか、地方においてそういう間違った言葉を聞いたならば、大いにこれを破折して、日蓮正宗の教義を宣べて頂きたいと思います。
 日蓮正宗の教義が、一閻浮提に敷衍していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります。」
 このお言葉には、『人間革命』は現代の御書、「池田会長は御本仏」というようなことが、既にこの時期、学会の組織の中で、公然といわれていたことが、明らかに述べられているのである。
 そして、このような学会の在り方に、危惧を抱いた宗内の一部の若手僧侶が、日達上人の意を体して、少しずつその誤りを指摘し始めたのである。やがて、その波は宗内に徐々に波及していき、昭和52年1月15日の、第9回教学部大会における、池田会長の「仏教史観を語る」と題した講演が発表されるや、ついにその運動はピークに達したのである。これ以後、この問題は、宗門全体の問題として、全宗門の僧侶が強い問題意識をもって、監視するようになった。 なお、「仏教史観を語る」については、後に詳述する。

 こうして、宗内の若手僧侶によつて、学会の教義逸脱に対する指摘が、徐々に激しくなり、またその運動が、全国的に拡大の様相をみせるようになると、次第に学会内に動揺が起こり、さすがに学会本部としても、これを黙視することができず、昭和52年11月14日、宗門に対して「僧俗一致の原則(5箇条)」と、それに付随する「7箇条」の案を提出してきたのである。ただし、この時は、反学会僧侶11名の処分要求書も併せて提出し、威圧的な姿勢を崩さなかったのである。
 この学会からの「案」を巡って、昭和53年2月9日と2月23日の2度にわたり、宗門の代表者、及び多数の傍聴者が集まって、時事懇談会が開催された。この懇談会の結論として、学会へは回答をしない、ということが決定したのである。
 また、この時、「学会とは袂を分かつべし」との意見もあったが、日達上人より、「池田会長が謝罪してきたので、学会と手を切るということではなく、いかに協調していくかを検討するように」とのお言葉があり、協調の方向で、宗内から多数の意見が出されたのである。
 このような経過を踏まえて、同年6月19日、「教学上の基本問題について」として、34箇条の質問が、宗門より学会に提出されたのである。


3.「教学上の基本問題」(6・30)について

 宗門からの34箇条の質問に対し、学会はその回答を、6月30日付『聖教新聞』の4面に掲載した。ただし、宗門からの質問は掲載されず、学会の回答のみを、それも4面という目立たない個所に掲載するという不誠実なものであった。したがって、事情を知らない一般会員には、問題の意味が、ほとんど理解されなかったのである。また、それが学会の狙いだったのである。すなわち、訂正謝罪は、本来、一般会員に対してもなされるべきであったが、あくまでも宗門向けのみの形式的なものでしかなかったのである。
 以下、その内容に触れていく。
 質問は、全部で34箇条にわたっているが、それらは以下の9項目に大別され、括られている。
(1)戸田会長の悟達・創価仏法の原点
(2)血脈・途中の人師論師・大聖人直結
(3)人間革命は御書
(4)帰命・主師親三徳・大導師・久遠の師
(5)寺院と会館を混同・寺軽視
(6)謗法容認
(7)供養
(8)僧俗
(9)その他
 この9項目を順を追ってみていくと、当時、学会が日蓮正宗を語りながら、実は独自に別の方向を目指していたことが、鮮明に浮き彫りにされてくるのである。すなわち、「社会に仏法を応用展開するため」という大義のもとに、後に触れる「創価仏法」という言葉を使用し、日蓮正宗とは、はっきりと一線を画した、独自の在家教団を目指していたということである。
 まず、日蓮正宗には、700年の間、血脈付法の歴代の御法主上人によって、大聖人の仏法の全てが受け継がれてきたという、正しい伝統がある。創価学会では、これに対抗するため、学会の伝統的意義付として、
「初代牧口会長、二代戸田会長が、ただ一人唱えはじめられ、そこから二人、三人と唱えつたえて現在にいたった」
とか、
「戸田会長は獄中において『仏とは生命なり』と悟達した」
「創価仏法の原点は戸田会長の悟達にある」
等のことを述べたのである。
 また、宗門の血脈相承に対して、明らかにこれを否定した表現がなされている。
「途中の人師、論師ではない」
「血脈相承とは、既成宗教などのように、神秘的に高僧から高僧へ儀式を踏まえて流れるものではない」
等の、宗門の血脈否定の発言である。しかし、一方、学会では、
「大聖人直結」
「信心の血脈相承」
等といって、学会にのみ大聖人の血脈が流れているような表現をしたのである。これらの教義逸脱は、最大の目標である池田会長本仏論への伏線となっていたのである。
「人間革命は現代の御書」
「師への帰命」
「久遠の師・池田会長」
「主、師、親、三徳具備の池田先生」
「池田先生こそ本門弘通の大導師」
 これらは、直接、池田会長を本仏と断定していない。しかし、大聖人の御徳を顕わすときにのみ使用される言葉を用いて、全て池田会長の徳であると表現していたのである。そして、池田会長と大聖人をダブらせて、巧みに会長本仏論を作り上げようとしたのである。
 こうして、理論上の、いわゆる「創価仏法」を作り上げ、また実践面において、少しずつ一般会員と末寺との離間工作を謀ったのである。
「大聖人は、一生涯、既成仏教のような寺院は持たれなかった」
「儀式だけを行ない、我が身の研鑚もしない、大衆のなかへ入って布教するわけでもない既成の寺院の姿は、修行者の集まる場所でもなければ、ましてや道場であるわけは絶対にない」
等々、あたかも既成仏教を非難しているようにいいながら、宗門寺院や僧侶を非難したのである。それは、また当時の女子部の、次のような発言と関連付けてみれば、さらに理解できよう。

「いわゆる正宗の寺院は、授戒とか葬式とか法事などの儀式の場であります。社会のためとか、広宣流布とか人間革命という御本仏直結の脈動の場は、もはや現代においては創価学会しかないのです。」(藤田栄著『女子部と私』)
 こうした指導によって、会員をなるべく寺院から遠ざけるようにしたのである。そして各会館には、あたかも寺院のように山号をつけ、盆や彼岸には先祖供養を行ない、時に法事や結婚式も行なったのである。このような指導の一つに、問題となった「在家の身でも供養を受けられる」という、池田会長の指導もあったのである。
 以下、「6・30」の34箇条の中から、主な項目について、宗門からの質問と、問題となった言論資料、及び学会の回答を挙げてみる。

 (1)戸田会長の悟達・創価仏法の原点

 [宗門からの質問]
「大聖人がただお一人唱え初められたお題目であるにも関らず初代会長・二代会長が唱えはじめられたというのは僭越ではないでしょうか。」

 [言論資料]
「創価学会は、初代会長・牧口先生が、まずお一人、立ち上がられ唱えはじめられたところから二人、三人と『唱えつたえ』、約三千人にまでなった。
 戦後は、第二代会長・戸田先生が、東京の焼け野原に立って、一人、唱えはじめられ、そこから、二人、三人、百人と『唱えつたえ』て、現在の一千万人以上にまでなったのであります。」(池田会長「諸法実相抄講義」・『聖教新聞』S52.1.5)

 [学会からの答え]
「『諸法実相抄』の『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱えしが…』の御文を講義する際、学会において初代会長、二代会長が唱えはじめられたとの表現がありましたが、現時点における、学会における歴史的事実を述べたものでありました。しかし、こうした論述をする際も、大聖人がただお一人唱えはじめられたお題目であることを銘記し、僭越にならぬように注意してまいりたいと思います。」

 [宗門からの質問]
「創価仏法とは何ですか。日蓮正宗の仏法の外にあるのですか。」

 [言論資料]
「創価仏法の原点はいうまでもなく戸田前会長の悟達にあります。」(池田会長てい談「法華経の展開」・『大白蓮華』S49.4号)

 [学会からの答え]
「学会は、実践の教学として社会に仏法を応用展開してきましたが、それを急ぐあまり、宗門伝統の教学に対し、配慮のいたらない部分がありました。この点は、今後十分留意していきたいと思います。
 『創価仏法』という表現を使ったことがありますが、これは折伏弘教のうえでの社会への展開という側面でありました。すなわち、実践の教学の意味が込められていました。ものごとには一つのことをさまざまに表現する場合があります。いわば創価というのは幸福ということであり、幸福の仏法という意味で用いたのであります。
 また、仏法の展開に際しては、さまざまな現代の哲学、科学上の成果をふまえなければなりません。そのためには、多少の試行錯誤もあることは、当然、覚悟しなければならないことです。むしろ現代人にわかりやすいように、外護の責任のうえから、ある意味のクッションをおいた形が、後々のために望ましいと考えました。しかし『創価仏法』という表現自体は避けるようにします。」

 (2)血脈・途中の人師論師・大聖人直結

 [宗門からの質問]
「途中の人師論師とは誰を指すのですか。」

 [言論資料]
「『先師の御弘通』の『先師』とは、御本仏日蓮大聖人のことであります。したがって『日蓮大聖人の御弘通』そのままにということになるのであります。すなわち日蓮大聖人の正真正銘の門下であるならば、日蓮大聖人の振る舞いと、その精神を根本にすべきなのであります。それは、途中の人師、論師ではないということなのであります。途中の人師、論師が根本でないということは、人師論師の場合には、いろいろな時代背景のもとに、生き延びなければならなかったが故に、令法久住を願ってさまざま様々な知恵をめぐらした場合があるからであります。」(池田会長講演・『聖教新聞』S52.2.17)

 [学会からの答え]
「『途中の人師、論師を根本とすべきでない』と表現したことについては、この人師、論師は唯授一人血脈付法の御法主上人猊下の御内証のことではありません。
 我ら末弟は『日興遺誡置文』の『富士の立義聊も先師の御弘通に違せざる事』と仰せのごとく、御本仏日蓮大聖人の御弘通のままにということを強調する意味でありました。その日蓮大聖人の仏法の正統の流れは、第二祖日興上人、第三祖日目上人、そして第六十六世の御法主日達上人猊下の御内証に流れていることはいうまでもないことであります。
 したがって、こうした唯授一人の血脈に触れずに論ずるような表現は決して使わないようにしたいと存じます。」

 [宗門からの質問]
「ここでは既成宗教に血脈相承があることをのべ、かつ大聖人の仏法の本義はそんなところ(高僧から高僧への血脈相承)にあるのではないと論じられているが、それは日蓮正宗に血脈相承があることを否定することともとれますがその意味なのですか。他宗でも血脈ということは言うが血脈相承とは言いません。また、法体の血脈相承と生死一大事の信心の血脈とはその意味に違いがあります。
 しかるに学会で大聖人直結の血脈というところに、おのずから本宗の唯授一人の血脈を否定するかのようです。
 そこであえて質問いたしますが、学会では生死一大事の血脈のみを血脈として、身延相承書の『血脈の次第日蓮日興』の文義を否定するのですか。」

 [言論資料]
「血脈相承といえば、よく既成宗教などにみられるように、神秘的に高僧から高僧へ、深遠甚深の儀式を踏まえて流れるものであると思われがちであります。事実、最蓮房もそのように思っていたにちがいない。しかし、大聖人の仏法の本義はそんなところにあるのではない。我が己心の厳粛な信心のなかにこそあるといわれているのです。
 大聖人の生命にある生死一大事の血脈を、私たちはどうすれば相承できるか。大聖人ご自身はすでにおられません。だが、大聖人は人法一箇の当体たる御本尊を残してくださっております。この御本尊から生死一大事の血脈を受けるのでありますが、それは剣道の免許皆伝の儀式のような、学校の卒業証書のような、そうしたものがあるわけではない。ただ、唱題という方程式によって、大御本尊の生命を我が生命に移すのです。というよりも、我が生命の中にある大聖人のご生命、仏界の生命を涌現させる以外にないのです。」(池田会長「生死一大事血脈抄講義」・『大白蓮華』S52.6号)

 [学会の答え]
「血脈については、法体の血脈と信心の血脈等があります。御書に『生死一大事血脈抄』があります。その冒頭に『夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり』と仰せであります。これは別しては日蓮大聖人の御内証そのものであられる南無妙法蓮華経の法体が生死一大事血脈の究極であるとの意味であります。
 この別しての法体の血脈相承は『身延相承書』に『血脈の次第 日蓮日興』と仰せのごとく、第二祖日興上人にすべて受け継がれ、以後、血脈付法唯授一人の御法主上人が伝持あそばされるところであります。同抄に『総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり』の御文は『別して』の法体の血脈を大前提としての『総じて』の信心の血脈を仰せなのであります。ゆえに、代々の御法主上人猊下の御内証によってお認めの御本尊を受持していくことが正しい信心の在り方であり、総じての生死一大事の信心の血脈となるのであります。
 ゆえに、別しての法体の血脈相承と、総じての生死一大事の信心の血脈とは、その意味に違いがあることを確認しておきたいと思います。
 一昨年、発表された第三代会長の『生死一大事血脈抄講義』は、こうした原理をふまえたうえで、総じての仏法実践のうえでの生死一大事の信心の血脈を中心に、一般社会に展開したものでありますが、別しての法体の血脈相承について深く論ずることをしなかったために、誤解を生ぜしめる点もありました。これについては、第三代会長からの意向もあり、一部訂正して改訂版を発行しましたのでご了承をお願い申し上げます。」

 (3)人間革命は御書

 [宗門からの質問]
「前進の 204では大聖人の教えの真髄は御本尊と御書であるといっている。が、ここでは人間革命が御書であるとしています。それでは人間革命が大聖人の教えの真髄ということになりますが、そうお考えなのですか。」

 [言論資料]
「私は再び繰り返したい。『人間革命』は現代の御書である。『人間革命』を通して御書を拝読すると、大聖人の大精神がより鮮明に、私の心を打つ。更に御書を通して『人間革命』を読むと、学会精神が体内により強烈に脈打ってくる。
 御書から『人間革命』へ、そして『人間革命』から御書へと。この往復の中に、信行学の揺がぬ確立があるのではなかろうか。
 『人間革命』はそのような一書である。大聖人との不可思議な血脈の相承がある。確かに不思議な書といわざるをえない。」(福島源次郎述・文集『教学と私』第1巻)

 [学会からの答え]
 「『人間革命は現代の御書』という発言については、第三代会長もすでに明確にしているように、明らかに誤りであります。」

 (4)帰命・主師親三徳・大導師・久遠の師

 [宗門からの質問]
「文中『久遠の師池田会長』とありますが、本宗で久遠の師とは大聖人のことであります。故に池田会長が久遠の師なら池田会長は即ち大聖人ということですか?
 また本宗で帰命とは人法一箇の本門の本尊への帰命ですが文中でいうように池田会長の振舞いが法でありそれに帰命するということは日蓮正宗の教えと全く違っているように思いますがいかがですか。」

 [言論資料]
「一、この決意に対して、ただ今拝読されましたごとく、久遠の師・池田会長より、メッセージが寄せられたのであります。」(北風清松九州長談・『ひのくに』11号)
「一、まさしく、現代における“人”への帰命とは師匠への帰命であり、池田会長への帰命となる。また、池田会長が大聖人の御書を寸分違わず、身に移し実践されていることから考えても、必然的にそうなるのである。」(村野宏論文・『ひのくに』10号)

 [学会よりの答え]
「第三代会長に関して『久遠の師』という言葉を使った場合がありますが、これは師弟の縁が深いことを述べようとするあまり行き過ぎた表現でありました。正宗では久遠の師とは大聖人のことであり、今後、こういう表現を用いないことにします。
 一、『帰命』という言葉は、正宗では仏に対してのみ使う言葉であります。当初は『妙法への帰命』を大前提として『師への帰命』といっておりましたが、それが一部で「人への帰命」といった表現にまでエスカレートして、会長が本仏であるかのような使われ方がなされました。これは誤りであり、帰命という言葉を安直に使用しては絶対にならないものであります。」

 (5)寺院と会館を混同・寺軽視

 [宗門からの質問]
「文中『葬式だけを行い我が身の研鑽もしない…』とあり、こういう言い方は当然日蓮正宗僧侶を目しているものと思われますが、しからば我々僧侶が我が身の研鑽もしていないと見られるのはいかなる理由によるのですか。
 次に大聖人が一生寺院を持たなかったとの浜田某の論文にたいしこちらは破折してあります。これについてそちらからもう一度意見を出して下さい。
 また正宗の寺院が修行者の集まる場所でなく、道場でもないという理由をあげて下さい。」

 [言論資料]
「寺院を別名『道場』ともいうのは、その意味からであります。儀式だけを行ない、我が身の研鑽もしない、大衆のなかへ入って布教するわけでもない既成の寺院の姿は、修行者の集まる場所でもなければ、ましてや道場であるわけは絶対にない。(中略)また近くは末法の御本仏日蓮大聖人も、一生涯、既成仏教のような寺院は持たれなかった。お亡くなりになるまで草庵であります。折伏弘教の指導をとられ、また自ら布教のために歩く拠点としての庵室を持たれたのみであります。」(池田会長講演「仏教史観を語る」・『大白蓮華』S52.3号)

 [学会からの答え]
「この講演の文中『葬式だけを行い我が身の研鑽もしない…』とあるのは、日蓮正宗僧侶を目して述べたものではなく、日蓮正宗以外の一般仏教界の多くの姿を語ったものであります。したがって『既成の寺院の姿は、修行者の集まる場所でなく、道場でもない』というのも、正宗の寺院を言ったものではないことをご了承願いたいと思います。しかしそういう印象を与えたとすれば、まことに遺憾であります。
 なお、寺院の存在についてでありますが、日蓮大聖人は、お亡くなりになる前年の弘安4年には、身延に十間四面の堂宇を建てられ、これを久遠寺と命名されました。そして『池上相承書』においては『身延山久遠寺の別当たるべきなり』と日興上人へ遺付されています。さらに日興上人は身延離山の後、正応三年、南条時光の寄進を得て、大石寺の基を築かれたことは、周知の事実であります。」

 (6)供養

 [宗門からの質問]
「維摩詰が供養を受けたことは法華経で観世音菩薩が受けたのと同じく、仏に捧げる意味であります。
 ことに維摩詰は在家であり、供養を受ける資格があるとはいえません。経文に応供とあるのは仏のことで、供養を受ける資格があるのは仏以外にない。
 在家はどこまでも資生産業にはげみ、仏に供養するべきであります。」

 [言論資料]
「更に、この供養について、若干、歴史的なことを申し上げますと前にもお話しした維摩詰は、在家の身でありながら供養を受けた事実が『維摩詰経』に記されております。(中略)つまり、供養とはあくまで仏法のためになすのであります。その供養が仏法流布に生かされるならば、在家の身であっても供養を受けられるという思想があります。」
(池田会長講演「仏教史観を語る」・『大白蓮華』S52.3号)

 [学会からの答え]
「維摩詰が供養を受けたことは法華経で観世音菩薩が受けたのと同じく仏に捧げる意味であります。ことに維摩詰は在家であり、供養を受ける資格があるとはいえません。経文に応供とあるのは仏のことで、供養を受ける資格があるのは仏以外はないのであります。したがって、在家が供養を受ける資格があるという記述は改めます。」

 以上、主立った項目について、[宗門からの質問][問題となった言論資料][学会からの答え]の順で列記してきたが、紙数の都合上、以下には「問題となった言論資料」のみを挙げ、それらが宗門からの指摘によって、反省の上に訂正されたことを記しておく。

 (7)謗法容認

 [言論資料]
「ただし、悪鬼乱入の寺社に関係するのであるから、それ自体“謗法”であることは否定できない。ただ広布のためという目的観と、御本尊への信仰によって、これを超える善根を積み、帳消しにするのである。その意味で、それが謗法であると自覚できる人ならば、自らの責任において、あえて、これを犯してよいともいえる。」(雪山居士述・『大白蓮華』S49.7号)

 (8) 僧俗

 [言論資料]
「しかし、その仏教も、時代を経るにつれて、出家僧侶を中心とする一部のエリートたちの独占物となっていくのであります。在家の供養で支えられた僧院の中で、学問的に語られるにすぎないものとなっていったことは、皆さんもよくご承知のところでしょう。(中略)これによると、在家はもっぱら唱題に励み、供養し、そのうえ、力にしたがって仏法を語るべきであるとされているのであります。僧侶がもっぱら折伏に徹し、三類の敵人と戦い、広宣流布するのに対して、在家は自身の成仏のため唱題し側面から僧侶を応援する立場である。その本義に立てば、現代において創価学会は在家、出家の両方に通ずる役割を果たしているといえましょう。(中略)私ども学会員は、形は在俗であろうとも、その精神においては出世間の使命感をもって誇りも高く…。」(池田会長講演「仏教史観を語る」・『聖教新聞』S52.1.17)

 [言論資料]
「やる気になってからの学会の座談会での指導は、鮮烈なまでに私の命をゆさぶった。ああ、惰眠をむさぼったこと二十八年。
 何んといいかげんな、日蓮正宗の信徒であったか。このような慚愧の念は、ますます私を折伏、座談会、そして教学にかりたてていった。
 たしかに念仏を唱えるよりは、南無妙法蓮華経と唱えれば功徳はある。しかし、本当の宿命転換という大功徳は、創価学会に入って信心しなければ得られないのだ。これが、私の信仰体験である。従って私の入信は、昭和二十六年六月十五日。入信前の宗教、日蓮正宗なのである。」(北条浩述・文集『私の入信動機』)

 (9) その他

 [言論資料]
「私は戸田前会長と十年間、師弟の道を歩んできた。たとえ師匠が地獄へ落ちようと、師匠のそばへ行くと決めていた。それを自分の人生と決め、だまされても、師匠と一緒なら、それでいい。これが師弟相対だと決めていた。」
(池田会長著・『指導メモ』)


4.全国教師総会・創価学会創立48周年
  記念代表登山会(11・7)

 「教学上の基本問題について」(6・30)と題した学会の教義逸脱問題の訂正は、先に触れたように、『聖教新聞』の4面に、しかも宗門からの質問は載せず、学会の回答のみを掲載しただけの不誠実なものであったため、多くの学会員はその内容をよく理解しきれなかった。
 そのような、学会側の不誠実な対応ぶりは、かえって宗門僧侶や、学会を脱会した檀徒達の反発を招き、事態はさらに混迷の度を増していったのである。
 そうした状況の中で、同年8月には、日達上人御臨席のもと、第1回全国檀徒大会が開催され、180名の僧侶と6000名の檀徒が総本山に結集し、学会の教義逸脱と、その不誠実な姿勢を糾弾したのである。
 こうして宗内には、日を追うごとに反学会の気運が高まり、その事態を収拾するために、11月7日、通称「お詫び登山」(11・7)といわれる、学会の代表幹部会が、総本山の大講堂で、全国の僧侶を招いて開催されたのである。
 席上、北条理事長、辻武寿副会長、池田会長がそれぞれ陳謝の意を表明した。

 [北条理事長]
「私ども創価学会といたしまして、以下の二点を率直に認めるものであります。すなわち、第一に、学会のここ数年の指導、進み方、教学の展開のなかに、正宗の信徒団体としての基本がおろそかになっていたこと、第二に、昨年のような学会の行き方は行き過ぎがあったこと、以上の二点を私ども学会は、とくにわれわれ執行部は、深く反省するものであります。
 その認識に立ち、戦後再建の時から今日に至る、宗門と学会との三十年余りに及ぶ関係を顧みたうえで、創価学会は昭和二十七年の宗教法人設立時の三原則を遵守し、日蓮正宗の信徒団体としての性格を、いっそう明確にしてまいる方針であります。(中略)さらに加えて申し上げれば、私どもは信徒として、寺院参詣の重要性を指導してまいります。寺院は経文に当詣道場とあるごとく、信徒としての参詣の道場であります。(中略)また、寺院行事を尊重する意味から、各地にあっては、御講や彼岸法要など、寺院の行事に影響を与えないよう、学会行事、会合の開催を考慮してまいります。そのためにも、春秋彼岸会、盂蘭盆会の学会としての開催は、学会本部ならびに各県中心会館では行う場合はありますが、地方では、いっさい行わないようにいたします。」

 [辻武寿 副会長]
「ただいま、北条理事長より、信徒団体としての基本について確認がありましたが、私からは、これをふまえて、私どもが留意すべき点について申し上げます。
 それはまず第一に、戒壇の大御本尊根本の信心に立ち、総本山大石寺こそ、信仰の根本道場であることを、ふたたび原点に戻って確認したいのであります。戒壇の大御本尊を離れて、われわれの信仰はありません。(中略)この戒壇の大御本尊を厳護するためにこそ、日蓮正宗の厳粛なる化儀、伝統があるのであり、その点われわれ信徒は、よく認識していかねばなりません。
 その意味からも、不用意にご謹刻申し上げた御本尊については、重ねて猊下の御指南をうけ、奉安殿にご奉納申し上げました。今後御本尊に関しては、こうしたことも含めて、お取り扱い、手続きなどは、宗風を重んじ、一段と厳格に臨んでまいりたいと思います。
 第二には、唯授一人、血脈付法の猊下のご指南に従い、正宗の法義を尊重してまいりたいと思います。(中略)日蓮大聖人の法体、御法門は、すべて現法主日達上人猊下に受け継がれております。ゆえに創価学会は広布を目指し、社会に仏法を弘通、展開していくにしても、その大前提として、猊下のご指南にいっさい従っていくことを、忘れてはならないのであります。
 第三に、学会員の心情には、長い歴史のなかで、しぜんに会長への敬愛の念が培われてきましたが、また、それは当然であるとしても、その心情を表すのに、行き過ぎた表現は避けなければなりません。(中略)この三点に基づき、広宣流布を目指す学会の教学の展開についてふれれば、その大原則は、六月三十日付聖教新聞に掲載した『教学上の基本問題について』に明らかであります。これは、猊下のご指南を得て発表したものであり、今後の展開の規範として、さらに学習してまいる方針でありますので、よろしくお願いいたします。」

 [池田会長]
「先程来、理事長、副会長から、僧俗和合の路線の確認、その他の問題について、いろいろと話がありましたが、これは総務会議、県長会議、各部最高会議の全員一致による決定であり、また私の決意であります。
 この方針に従って、私どもは、一段と広宣流布と正法外護のご奉公に励む所存でございますので、御宗門の先生方、くれぐれも凡下なわれわれを厳しくも温かく、今後ともご指導くださいますよう心より御願い申し上げます。(中略)なお、これまで、いろいろな問題について行き過ぎがあり、宗内をお騒がせし、また、その収拾にあたっても、不本意ながら十分な手を尽くせなかったことは、総講頭の立場にある身として、この席で、深くおわびいたします。(中略)また、その過程にあっては、幾多の大難にもあいましたが、そのつど、御宗門におかせられましては、つねに学会を守りに守ってくださいました。そのご恩を私どもは、永久に忘れず、一段と御宗門へのご奉公を尽くしてまいる決意でございます。」

 以上の池田会長、北条理事長、辻副会長の3人の陳謝の言葉を受けて、日達上人は次のような御指南をされたのである。
「先程来、学会幹部の方々から種々とお話を承りました。たしかに、この数年、宗門と学会の間に種々な不協和の点がありまして、さわぎにもなりましたが、こういう状態が続くことは宗開両祖の御精神に照らして憂慮すべきであることはいうまでもありません。こうした状態をいつまでも続けていることは、世間の物笑いになり、我が宗団を破壊することにもなり兼ねないといつも心配しておりました。幸い、学会においてその点に気付かれて今後の改善のために、反省すべき点は率直に反省し、改めるべき点を明確に改める決意をされたことは、まことに喜ばしいことであります。(中略)もっともたよるべき信徒が寺院を非難中傷し、圧迫するようなことがあれば、僧侶はまことに悲しい思いをいたして、否応なく反論しなくてはならないのであります。(中略)この30年間、学会はまことに奇跡的な大発展をとげられた、そのために今日の我が宗門の繁栄が築かれたことは歴史的事実であり、その功績は仏教史に残るべき、まことに輝かしいものであります。
 しかし、その陰に、宗門の僧侶の挙っての支援と協力があったことを忘れないでいただきたいのです。(中略)とにかく大聖人以来、七百年間守りつづけてきた伝統と教義の根本はあくまで守り伝えなくてはならないのであります。これを踏まえなかったならば仮りにこれからいくら勢力が増しても、広宣流布は見せかけのものであったかとの後世の批判を免れることはできないのではないかと心配いたします。
 私は法主として、正しい信心を全信徒に持ってもらうよう最大の努力をする責任があります。その立場から老婆心ながら、この点をあえて協調しなくてはならないのであります。(中略)今日、私が申し上げたことを、ここに確認された学会の路線が正しく実現されるということの上で、これまでのさわぎについてはすべて此処に終止符をつけて、相手の悪口、中傷をいい合うことなく理想的な僧俗一致の実現をめざしてがんばっていただきたいのであります。」


※②へつづく

 

 


創価学会の52年路線とその破綻②

1991-05-13 | 時局資料

5.法華講総講頭及び創価学会会長を辞任

 「11・7」のお詫び登山によって、全ての問題に終止符が打たれるはずであったが、その後も、学会問題は一向に沈静化する方向には進まなかった。それは「11・7」における池田会長の謝罪の内容に、多くの僧侶が釈然としないものを感じていたからである。
 「仏教史観を語る」等の自らの誤りには触れることなく、ただ事態の収拾に手を尽くせなかったことをのみ謝罪するという池田会長の発言には、教義逸脱に対する自身の反省の意図が、少しも述べられていなかったからである。
 このような、池田会長や学会幹部の姿勢に対し、僧侶や檀徒は、かえって不信を募らせたのである。
 そうした状況の中で、明くる昭和54年1月27・28日の両日にわたって、第2回全国檀徒大会が、総本山の大講堂で、日達上人御臨席のもとに開催され、230名の僧侶と5000名の檀徒が結集し、池田会長以下大幹部等、学会の姿は少しも変わっていないと、厳しく糾弾したのである。

 (1) 福島源次郎副会長の大牟田発言

 宗内に充満した反学会の空気が、一向に沈静化しなかったこの時期、「11・7」の反省が全くの反古になるような、重大な問題が起こった。いわゆる福島副会長の「大牟田発言」である。
 3月6日、九州の大牟田会館で、一連の問題に関する質疑応答の中で、福島副会長は、次のように発言した。
 「1 僧侶吊し上げの件について…御供養をふところにして、
 カツラをかぶって酒を飲みに行ったりして、遊んでいる
 ことに対し、男子部が義憤にかられてやったことである。
2 本山への参詣が少なくなっていることについて…正本
 堂ができて山内の整備も一応できたので、そう登山者が
 なくてもやっていけるだろうと見通しがついたので登山
 会を減らしている。
3 会長本仏について…会長が本山へ行くと、みなが慕っ
 て寄ってくるが、猊下が通ってもどこのおじいさんだと
 いう感覚しかないところから、僧侶がやっかんで会長本
 仏などと邪推したのである。
4 研修所へ行かせることについて…本山の宿坊は旅館と
 同じで宿泊費をとるが、霧島研修所は無料である。
5 以上のことはすべて、副会長全員の意見である。」
 また、この頃、日達上人が兼務されていた、讃岐本門寺について、「本門寺や城山寺は謗法の寺である」「本門寺の僧侶は謗法の坊主である」等の、誹謗中傷の指導が、香川県の一部に流された。
 これらについて、早速宗門から抗議の質問書が学会に出され、学会として、4月8日付『聖教新聞』に、「信徒の姿勢について」と題して、北条理事長の談話を発表した。「3月初旬の大牟田会館での福島副会長の発言や、四国讃岐・本門寺周辺の幹部の言動については、宗務院ならびに内事部より文書で具体的な指摘を受けました。
 ことに、大牟田での発言は、信徒にあるまじき不穏当、不謹慎なものであり、発言者の立場をあわせ考え、まことに遺憾なことであります。ここに御法主上人猊下並びに御宗門の先生方に深くお詫び申し上げるとともに、本部として、今後このようなことが再び起きないように、必要な措置を十分講ずることを明言いたします。」
 この結果、福島氏は、副会長を辞任させられた。しかし、これは福島氏の発言にもあるとおり、当時の学会幹部全員の共通した感覚であったろうことは、想像に難くない。結局、福島氏のみに、責任が負わされたのである。

 (2)法華講連合会が池田総講頭に辞任を勧告
 このような混乱が続く中、法華講連合会は3月31日、緊急理事会を開き、池田総講頭に対する辞任勧告を決議し、直ちに勧告書を池田氏に送付した。
 その要旨は以下のとおりである。
「   決議
『池田大作氏はその責に耐えないことを自覚し、日蓮正宗法華講総講頭を辞任されるよう勧告します』
     理由
 1 近年の創価学会には正宗教義からの逸脱が多くみら
  れ、宗門からの厳しい指摘により昨年(53年)11
  月7日、その逸脱を詫び、誤りの訂正を約束した。
 2 法華講連合会も機関誌『大白法』等により、貴会の
  教義上の誤り、歪曲を指摘し、貴会が1日も早くその
  逸脱を訂正し、立ち直られんことを祈り、微力ながら
  尽力してきた。
 3 だが、数か月を経過した現在、何ら今日までの誤り
  を修正し会員に徹底して知らせることもなく、いまだ
  に宗門を騒がせている。それのみか、学会幹部の最近
  の言動をみるとき、一向に反省がなされていないのが
  現状である。このままの状態では謗法とみなさざるを
  得ない。
 4 また貴殿は当日『これまで、いろいろな問題につい
  て行き過ぎがあり、宗門をお騒がせし、またその収拾
  にあたっても不本意ながら十分な手を尽くせなかった
  ことは、総講頭の立場に或る身としてこの席で深くお
  詫びいたします』と発言されたが、これまでの誤りは
  創価学会としての誤りであり、法華講員には何ら関知
  しないところである。しかるに総講頭として詫びられ
  たことは、その中に私達法華講員も含まれ全く不名誉
  にして残念至極で、これ以上池田総講頭の傘下にある
  ことに忍びがたいものがある。
 5 この際貴殿には、現在に至るも創価学会の体質を変
  えることのできないことについて十分な責任を感じ、
  総講頭の責に耐えないことを理解すべきである。以上
  により、貴殿の総講頭の辞任を勧告する。」
 この勧告書には、法華講連合会委員長以下18名の理事・幹事全員の署名捺印がなされた。

 これら福島副会長の大牟田発言と、法華講連合会の総講頭辞任勧告の提出は、池田会長に辞任への意志を固めさせた。
 昭和54年4月24日付『聖教新聞』に、「七つの鐘終了にあたって」と題して、会長所感を掲載し全学会員に会長辞任を発表した。
 同日午後7時、会長辞任の記者会見をし、自らは名誉会長に就任し、会長の後任には北条浩氏、理事長に森田一哉氏が就任することが発表された。
 明くる25日、池田名誉会長は『聖教新聞』に、
「近年、御宗門との関係で、皆様方に多大なこ心労をおかけし、御法主上人猊下のご宸襟を悩まし申し上げてきたことに対し、過去の経過の一切の責任をとらせていただくものであります」
と述べ、一切の責任をとって、辞任したことを明らかにした。
 また、翌26日、日達上人にお目通りし、総講頭辞任願いを提出し受理された。
 その辞任願いの内容は、以下のとおりである。
「私儀、このたび一切の責任をとらせて頂きたく謹んで法華講総講頭を辞任させていただきますこれからも信心第一で御宗門を外護申し上げ御奉公いたしてまいる所存でございます御法主上人猊下におかれましては 何とぞ永遠の僧俗和合への大慈悲を賜わりますようここに伏してお願い申し上げます」
 日達上人は、この辞任願いを受けた後、4月28日に教師代表者会議で、これに関連して次のようなお言葉を述べられた。
「この辞任願いを持って参りまして、ですからこちらでも宗規に則って、総講頭を辞任した場合は名誉総講頭におく、という規定のもとに、名誉総講頭の名前を贈っておきました。
 それから、さっそく向こうで26日には学会の規則もつくり、また自分も会長をやめて一切の責務を退くと、今後そういうことに口を出さないし、学会のことに口を出さない。また、常に噂される“院政”というようなことを絶対にしないということを表明しておりました。宗門としてはそれで一応解決したものと見ております。」
 この時、池田名誉会長は、日達上人に対し、創価学会の一切の責務を退く、運営等に口を出さない、院政を敷くようなこともしない、等のことを約束したのである。また、日達上人からは、池田名誉会長に対し、名誉総講頭の称号が贈られたのである。

 (3) 第40回本部総会

 総講頭及び会長を辞任し、反省の意を明確に表明した池田名誉会長の姿勢を領納された日達上人は、5月3日、学会の第40回本部総会に出席された。
 その折、特別御講演として述べられたお言葉を、抜粋して以下に記しておく。
「創価学会第40回本部総会を盛大に開催されましたことを、心よりお祝い申し上げます。おめでとうございます。(中略)この数年間まことに残念な出来事が続き、混乱を招きましたことは、悲しいことでありました。幸いにして前会長の英断と、心ある人々の努力により、再び秩序の回復に向かい、晴ればれと今日の天気のごとく明るい出発ができることは、まことに喜ばしいことであります。(中略)生きている人間はだれしも完全無欠ではあり得ません。誤りは避けることができません。要は自己の誤りに気付き改めることのできる聡明さと謙虚さを持つことが大切であります。(中略)どうか今後は信徒団体としての基本は忠実に守り、宗門を外護していただきたいのであります。そのうえで自主的な指導と運営で伸びのびと御活躍を願いたいのであります。(中略)これまでの経緯は水に流して、大同団結して宗門の発展ひいては広宣流布に協力していただきたいのであります。
 最後に、池田名誉会長には永い間、本当にありがとうございました。」
 また、この時、池田名誉会長は概略以下のことを述べた。
「この席をお借りして明確にしておきたいことがございます。それは本宗における厳粛なる法水瀉瓶唯授一人の血脈は、法灯連綿と、代々の御法主上人に受け継がれて、今日に至っております。
 私がごとき者を、かりそめにも、本仏などと、言うことはもちろん思ったりすることも謗法なのであります。
 在家の身は、御本尊に南無し奉り、御僧侶を通して、日蓮大聖人に御供養申し上げることが肝要なのであります。
 僧俗和合でなければ、広宣流布というものは絶対にできないということであります。これは、創価学会の大原則であり、愛宗護法の精神は、すなわち学会精神の第1義であると銘記されたいのであります。」

 この後、日達上人は、学会の反省の様子を身つつも、その反省を受け入れて、協調していくという方針を打ち出されたのである。
 5月29日、寺族同心会の折、大講堂において、
「向こうの出方を待つ、すなわちこれから先、どういうふうにしていくかを待つつもりであります。
 学会を受け入れていくという方針のもとに進んで行って頂かなければならないのであります。
 学会にいまだに間違ったことがあるのならば、宗務院、内事部のどちらにでも言ってきて下されば、改めさせていく。
 今年の5月3日以前のような態度であっては宗門としてはまことに困るのであります。」(以上抜粋)
と述べられたのである。
 この日達上人の、学会に対する方針が、明確に打ち出されると、それまで学会の教義逸脱を強く破折してきた宗内の若手僧侶の間に、少しずつ不満の声が上がり始めた。
 そのような宗内情勢の中、7月22日、日達上人は御遷化あそばされたのである。
 法燈を継承あそばされた日顕上人は、日達上人の意を受け継がれて、学会の反省を見守る方針を取られた。これに対して、若手の活動家といわれた僧侶が反発し、やがて埋めることができない深い溝を作っていくことになるのである。
 一方、この頃、学会のほうでも、顧問弁護士の山崎正友、教学部長の原島嵩等の内部からの造反者が出て、「いずれ宗門とは、手を切るべし」と書かれた北条報告書等の学会の機密文書が、次つぎと暴露された。
 この時期、池田名誉会長は、宗内の活動家僧侶や檀徒から糾弾され、外部のマスコミからも散々に非難の記事を書かれた。マスコミからは、この後、月刊ペン事件や山崎正友の3億円恐喝事件などで、しばらく攻撃されることとなる。

 (4) 所感「恩師の二十三回忌に思う」

 活動家僧侶とマスコミによる、内外からの学会への非難の嵐が続く中で、日顕上人は、活動家僧侶の血気を抑え、学会の反省を見守る姿勢を貫かれた。このような日顕上人の慈悲に守られながら、学会は第2代戸田会長の23回忌を迎えたのである。

 その23回忌を迎えるに当たり、池田名誉会長は、昭和55年4月2日、「恩師の二十三回忌に思う」と題して、所感を『聖教新聞』に載せた。
「恩師戸田城聖先生が逝いて二十二年──桜花薫総本山大石寺において、第六十七世日顕上人の大導師を賜わり、二十三回忌法要を営むことができえますことを、戸田門下生を代表して、心より御礼申し上げるものでございます。」
 このような書出しで始まるこの長文の「所感」には、全体に真摯な反省の辞が述べられている。以下に概略を記す。
「近年の宗門との問題が昭和四十七年、正本堂建立以降の、学会の広布第二章の進み方の基調と、そのうえで、私が展開した昭和五十二年の一連の指導に、発端の因があったことは事実であります。(中略)しかしそのなかには、たしかに創価学会中心主義的な独善性もあり『学会が主、宗門が従』というような状況もありました。その結果、宗門の一部御僧侶に、この方向が、学会が独立を企図しているの ではないかとの疑念を生ぜしめ、また、会内にいわゆる 『北條文書』などのような感情的な議論のあったことは、まことに申し訳なく思っております。
 もとより、日蓮正宗総本山を離れて、創価学会は、永久にありえないのであります。(中略)ただ、私が、恩師の『創価学会の歴史と確信』の理念、方向性を実践した延長とはいえ、その深き意志も解せず、僧侶、寺院の役割を軽視し、その結果、御宗門に対し、主客転倒の風潮を生んだことは、我が身の信心未熟のゆえの慢と、大御本尊に心より懺悔申しあげるものであります。(中略)この点、御書の拡大解釈や逸脱については、すでに『六・三〇』(教学上の基本問題について)に指摘されております。ここで反省し、確認された事項は、今後とも絶対に踏み違えてはならない重要な規範であります。したがってこの徹底を怠ってはならないし、また、正宗の正法正義を正しく学んでいくことは、世々末代にわたる肝要と深く自覚しなければなりません。(中略)申すまでもなく、末法の御本仏は日蓮大聖人ただお一人であらせられ、また、代々の御法主上人は、唯授一人、その遣使還告のお立場であらせられると拝し、尊崇申し上げるものであります。
 私どもは、瞬時たりとも、この原点を忘れては信心の筋道を違えることになってしまいます。(中略)また、今日の種々の問題も、私の指導性の不徳のいたすところであり、多くの会員信徒に多大なご迷惑をおかけし、ご心労をわずらわしたことについても、御本尊に深くお詫びの合掌をさせていただいている日々でもあります。
 ともあれ学会は、絶対尊崇の本源たる本門下種人法一箇の御本尊宗祖大聖人に対し奉る信仰を根本とし、永遠に代々の御法主上人猊下を仏法の師と仰ぎ奉り、強き広宣流布の戦士たる誇りも高く、さらに、日蓮正宗の信徒として、いっそうの外護の任を全うしてまいる決意であります。(中略)恩師二十三回忌にあたり、懐かしくも尊い恩師の教えを胸に、三十三回忌を目指して、私なりの立場から、広布に身を捧げ、御宗門の外護に尽忠させていただくことを、ここに、大御本尊にお誓いするものであります。」

 以上、昭和52年1月15日の池田会長の「仏教史観を語る」に代表される、創価学会の52年路線とその破綻について、順を追って述べてきた。
 53年の「6・30」「11・7」、55年の「恩師の二十三回忌に思う」等によって、学会及び池田名誉会長が、何を謝罪し、何を懺悔したか、ここに明白になったと思う。
 なお、学会への対応について、正信会が、意見の相違から、日顕上人及び宗務当局の意に従わず、東京の日本武道館において、第5回檀徒大会を強行開催したのは、戸田会長の23回忌から5箇月あとの8月24日である。その後、日顕上人の血脈否定に至るのは、更に数箇月を経てのことである。


6.結びとして

 昨年(平成2年・1990年)の「11・16」の、池田名誉会長の52年路線に関する発言は、
「50周年、敗北の最中だ。裏切られ、たたかれ、私は会長を辞めさせられ、ね。もう宗門から散々やられ、正信会から。馬鹿にされ……」
というものであった。この発言が、いかに事実と反しているか、これまで述べてきた経過によって明らかである。
 以下、昨年12月13日の、宗務院からの「お尋ね」の中、該当部分を記しておく。
「この発言は事実に反するばかりか、宗門に対する怨念すら窺われる内容であり、52年路線に見られた教義上の逸脱への反省が、全く忘れられているように思います。(中略)
 『会長を辞めさせられ』『宗門から散々にやられ』と公言するのは、まったく自語相違であります。よって、この発言を撤回し、改めて自らの意思で辞任したことを表明すべきであります。
 また、52年路線の学会問題から正信会問題へと移行する史実の取り扱いについてでありますが、史実としては、創価学会の52年路線という教義上の逸脱があり、それに対する宗門からの戒めと学会の反省があったことは、先程来引用の名誉会長の所感やスピーチによっても明らかであります。この反省を前提として、御法主上人が、創価学会、並びに池田会長を守られたのであります。
 しかるに、正信会の輩は、これを不服として血脈二管論等に代表される血脈否定の大謗法と、それに伴う教義上の異説を唱えたために、宗門から擯斥されたのであります。
 ところが近年、名誉会長のスピーチの中で、かつての宗門問題を取り上げるとき、『僧という立場、衣の権威を利用して、健気に信行、学にいそしむ仏子を謗法呼ばわりし、迫害した悪侶らがいた』という趣旨のことが言われております。すなわち、創価学会における教義上の逸脱を覆い隠し、学会にはまったく非がなかったような言い方をしておりますが、これは、正信会の名を借りて宗門を批判し、会員に宗門不信を懐かせることを目的としているように思います。また、正信会に関することを述べる場合、学会の逸脱の問題から述べなければ、信徒に事実と反する誤認を懐かせ、宗門や寺院、僧侶等に対する不信を招く結果となることは明白であります。」
 これに対して、学会は、以下のように回答してきたのである。
「ご指摘の昭和53年11月7日の全国教師総会並びに創価学会代表幹部会における挨拶及び昭和55年4月2日の『恩師の23回忌に思う』の所感は、現在もいささかも変わるものではございません。
 ただ、10年前の一連の問題の経過の中では、山崎正友、原島嵩宗内一部僧侶(後の正信会僧侶)等による学会攻撃と名誉会長追い落としの策謀があったことはまぎれもない事実でございます。池田名誉会長は、その点から会長を辞めさせられたということを述べているのであり、また、後世への戒めとして、そのような反逆者、退転者の本質を厳しく弾呵しているのであります。」
 この回答が、いかに問題点をぼかし、すり替えた、不誠実な回答であるか、今までの経緯を追ってみてくれば明らかである。
 この不誠実な回答に対して、宗務院は、1月12日付で、「誰の策謀があろうとなかろうと、52年路線という学会の教義上の逸脱を主とする一連の問題は、『恩師の23回忌に思う』の中に『私が展開した昭和52年の一連の指導に、発端の因があったことは事実であります』とあるとおり、やはり当時会長であった池田氏の指導に原因があったことは否めません。」
と、厳しく指摘したのである。なお、これについては、『大日蓮』号外に詳細が記されているので、ここでは省略する。

 学会の回答にあるように、「恩師の二十三回忌に思う」の所感が、現在も、いささかも変わるものでないならば、以下の言葉を改めて思い起こし、深く反省すべきである。
「御宗門に対し、主客転倒の風潮を生んだことは、我が身の信心未熟のゆえの慢と、大御本尊に心より懺悔申し上げるものであります」
「永遠に代々の御法主上人猊下を仏法の師と仰ぎ奉り、強き広宣流布の戦士たる誇りも高く、さらに、日蓮正宗の信徒として、いっそうの外護の任を全うしてまいる決意であります。」
「懐かしくも尊い恩師の教えを胸に、三十三回忌を目指して、私なりの立場から、広布に身を捧げ、御宗門の外護に尽忠させていただくことを、ここに、大御本尊にお誓いするものであります。」
 大御本尊に懺悔し、大御本尊に誓った約束を、ことごとく破った池田名誉会長に、もし、このまま反省懺悔がなければ、遠からずして仏罰が下らんか、と恐れるものである。

  以  上

 


外護について①

1991-05-13 | 時局資料

    外護について    

              時局協議会文書作成班1班  

(大日蓮 平成3年7月号 第545号53頁 転載)

   はじめに  

 日蓮正宗において、創価学会は、自他ともに認める外護の団体のはずである。その創価学会の外護について、検討しなければならない日を迎えたのは、いったい誰のせいなのであろうか。

 初代会長牧口常三郎氏に始まる組織活動は、戦時中は中断のやむなきに到ったが、戦後、2代戸田城聖氏の指導に基づく、周到かつ強力な弘教の推進により、飛躍的な教線の発展を遂げ、宗教法人認可設立を経て、その体制を盤石なものとした。戸田氏の逝去後も、会員の正法弘通の情熱はとどまるところを知らず、第3代池田大作氏の代に、800万信徒の浄財供養による、正本堂建立をもって、その発展は頂点に達した。
 同時に、王仏冥合の具体化として政界進出が行なわれ、公明党は野党第2党となり、その影響力は増大した。
 しかし、その華やかな大功績の反面、言論出版妨害事件・選挙の替え玉投票事件・電話盗聴事件・月刊ペン事件・会員による身代金6億円住職誘拐事件・1億7000万円入り金庫遺棄事件・ルノワール絵画疑惑・公明党議員の不正等々、不祥事が続々と白日のものとなり、その言行の不一致は、宗の内外に懐疑の念を生ぜしめた。
 過ちは、凡夫ゆえに起こりうるものである。その場合、過ちに気付き、正直に懺悔し、改め、そして正しい道に進むことが、宗祖日蓮大聖人の教えである。
 これらの不祥事件は、内容もさることながら、残念なことに、「過ちを改めざるを過ちという」との格言のままの対応によって、拭い難い不信感を、世間に植え付けたのである。
 当然のことながら、同一視される日蓮正宗は世人の疑いを招き、本宗の清浄な宗風と信用は著しく傷つけられ、正法流布の大きな障害となったのである。
 特に、昭和52年路線における教義逸脱問題は、その根源である学会首脳の信心を窺わせるに十分であったが、一応の反省を見せて事態の収拾は図られた。しかし、その反省が、真摯なものでなかったために、多くの人々は不信感を拭い去ることができなかったのである。
 そうした中、ついに総本山開創700年の大佳節の年に、池田氏は陰に隠れて学会員に向かって、御法主上人及び宗門僧侶を侮蔑し、また52年路線の反省が虚偽であったことをも述べたのである。これらの発言が、御法主上人はじめ宗門人の知るところとなり、その醜面は、天下に隠れないものとなったのである。
 さて、そののちの対応たるや、その正体の露見が創価学会の内外に及ぶことを恐れ、それまで日蓮正宗の外護のために蓄積されたと信じられてきた勢力の全てを、御法主上人はじめ宗門攻撃のために総動員したのである。しかも、その宗門に対する誹謗の言説は、「開かれた宗門になってほしい」などとの詭弁を弄し、それが「外護のため」であると主張して憚らないのである。
 そこで、この論は、外護とは何かを考え、彼等の詭弁を粉砕せんとするものである。

1. 外護とは  

 『創価学会入門』には、
「創価学会とは日蓮大聖人の仏法を正しく護持している唯一の正統である日蓮正宗の信徒の団体です。創価学会の奉ずる教えは、七百年前、日蓮大聖人が説かれた大仏法であり、そのめざすところは、日蓮正宗を外護して、大聖人の教えを全世界にひろめ、この地上から一切の不幸をなくして、平和楽土を建設することです。」
とある。この会員一致の崇高な使命は、仏祖三宝の御嘉賞あそばされるところである。池田氏も、
「つねに申し上げていることでありますが、僧俗和合がなければ、絶対に広宣流布はありえないというのが、私の信念であります。ゆえに、宗門を外護して永遠に僧俗和合の路線を精進することを、学会永遠の指針としておきたい。」
(昭和57年7月の発言)
と繰り返し、創価学会が、日蓮正宗の外護の団体であることを指導してきたのである。それは、創価学会が日蓮正宗の外護のために設立された宗教法人であり、外護こそが創価学会の使命であるからである。
 この精神は、『創価学会会則』第4条に、
「この会は、日蓮正宗を外護し、弘教及び儀式行事を行ない、会員の信心の深化、確立をはかることにより、日蓮大聖人の仏法を広宣流布し、もってそれを基調とする世界平和の実現および人類文化の向上に貢献することを目的とする。」
また、『宗教法人「創価学会」規則』第32条にも、
「この法人は、宗教法人日蓮正宗を外護すべく供養し、学校法人創価大学、学校法人創価学園その他この法人と関連のある公益法人および公益事業に対し、事業資金その他の援助を行なうことができる。」
と明記されているのである。
 もちろん、外護は創価学会のみの役目ではない。『日蓮正宗宗規』第227条に、
「檀徒及び信徒は、信仰の中心道場として総本山を外護する義務を有する。」
とあるように、日蓮正宗を信奉する全ての檀信徒の義務なのである。


2.外護の定義及び出典

 外護とは、
「外から護るの意で、在家、俗人などが供養をもって僧尼の修行を扶助し、仏法の弘通を援護すること。外護する者を外護者、あるいは外護の善知識という。『止観輔行伝弘決』巻四の三には、『外護というは、自己の身心を内と為し、他の身心を望みて外となす。外の為に護る所の故に外護と名づく』とある。」
と、創価学会教学部編の『仏教哲学大辞典』にある。ちなみに、これは、龍谷大学編の『仏教大辞彙』、あるいは『望月仏教大辞典』等を参考にした前版の『仏教哲学大辞典』の文章を、新版で整理したものである。
 その他の辞書類も、概ね同意である。例を挙げれば、
「外部より保護を加える者の意。僧団の外にあって、権力または財力をもって仏教を保護し、種々の障害を除いて伝道の便宜をはかる人。または仏教の普及を援護する国王などを言う。」(『仏教語大辞典』中村元著)
あるいは、
「勢力または財力をもって僧団の外より仏教を保護し、伝道の便宜をはかること。その人を外護者・外護の善知識という。外護の対は内護で、仏の制定した戒律を守り、身・口・意の三業の過失を離れること。この外護と内護とを二護と言う。」(『仏教大辞典』小学館)
などである。
 これらの根拠は、『涅槃経』の、
「善男子、仏の正法の中に二種の護有り。一つには内、二つには外なり。内護とは所謂戒禁、外護とは族親・眷属なり。」
との文や、『摩訶止観』の、
「知識に三種あり、一には外護、二には同行、三には教授なり。(中略)外護とは白黒を簡ばず、但能く所須を営理す、過を見ることなく、触悩することなく、称歎することなく、帆挙して、而も損壊を致すこと莫かれ。母の児を養ふが如く、虎の子を銜(ふく)むが如く、調和所を得。旧の行道の人、乃ち能く為すのみ、是を外護と名く。」
との文のほか、創価学会の『仏教哲学大辞典』に引用した、妙楽大師の『摩訶止観輔行伝弘決』、また伝教大師の『守護国界章』の、
「内護外護は仁王の所説なり」
との指南にもあるように、『仁王護国般若波羅蜜経』等が挙げられる。


3.三宝の救護と信徒の外護
  (被救護者たる信徒が何故外護をなしうるか)

 このようにみると、「唯我一人能為救護」と説かれるように、衆生及び国土を救護すべきはずの仏宝と法宝と、その伝導者たる僧宝の三宝が、逆に外護者によって庇護される立場にあるかのような印象を受ける。
 しかし、伝教大師の『註仁王護国般若波羅蜜経』には、
「外護とは、下文に云く、吾今汝が為に護国土の因縁を説く。国土を安んじ、七難を起こさず、災災生ぜず万民安楽せしむるを外護と名づくるなり。」
と説き、また、
「第二護国一品。所護の国を明かす。また外護と名づく」
とある。ここには、正法の利益によって、衆生・国土が安穏であることが示されるのである。
 これによって明らかなように、外護とは、
 第一に、三宝を信仰する功徳によって、衆生が成仏の因を積み、衆生及び国土が守られ安穏を得るという、三宝がその威徳により外部を護る意味が存する。
 第二に、檀信徒がその功徳をもって威勢を増し、かえって三宝を扶助することを外護というのである。そこには、三宝を外護することによって、また仏の智慧をもってしても計り知れないといわれる無量の功徳を得ることができるのである。

 さて、ここで考えなければならないことは、外護とは現世のみの問題ではないということである。
「三帰五戒は人に生る」(『十法界明因果抄』)
と仰せのように、人は三宝に帰し、五戒を持ってはじめて人に生まれることができるのであって、我々の人間としての果報自体が、宿世の外護の功徳によるものである。
 さらに、
「帝尊の果報は供仏の宿因に酬う」(『日有上人申状』)
と説かれるように、中にも国王の果報は、前世の篤い仏法への供養の結果である。あるいは主権在民という、一人一人が王の意義を有する世に生まれる人は、全てこの果報をもつといえるのかもしれない。また、各々の今世の分々の徳が、やはり過去世の供仏という外護の果報であり、詮ずるところ、三宝の御威徳によるものであることが信解されなければならない。
 このことは、信仰を正しく続けていく上で、極めて重要であるが、また難信難解な点でもあり、清浄かつ強盛な信心によってのみ信解されるのである。
 日淳上人の、昭和34年元旦の、
「ここに注意すべきはこの教法は永遠の世界、永遠の寿命の上において説き出されていることであります。但し現在許り知って過去未来を否定するが如き狭小なる考えでは到底理解することはできないのであります。」
との御指南を、よく拝すべきである。
 故に、前述の『止観』には、「外護とは白黒を簡ばず」とあるが、ここにいう白黒とは僧俗ということであり(『弘決』参照)、仏法の外護は、基本的には全ての僧俗が外護者であるが、一般的には檀信徒を指して、外護者とするのである。
 伝教大師には、多数の高位の檀越がいたが、この人々を外護と称したことは、『伝教大師伝』の、
「又一時公卿名を得たる人人、皆大師の徳に帰し尊敬の誠をつくしたまふ。所謂右大臣藤原冬嗣公、大中大夫伴國道卿、国子祭酒和気弘世卿、朝請太夫和気真綱、主殿助永雄等数十人或いは外護となり」
との文によって判る。


4.日蓮大聖人の外護観

 大聖人の外護に関しての御見解も、次に挙げる御書等から伝教大師等と同様であられたと拝される。すなわち、『立正安国論』に、『大集経』の次の御文を引かれている。
「若し国王有って無量世に於て施戒慧を修すとも我が法の滅せんを見て捨てて擁護せずんば是くの如く種ゆる所の無量の善根悉く皆滅失し、乃至其の王久しからずして当に重病に遇い寿終の後大地獄に生ずべし・王の如く夫人・太子・大臣・城主・柱師・郡主・宰官も亦復是くの如くならん」
 ここには、国王が仏法を擁護、すなわち外護しなければ、過去世よりの功徳を失うのみならず、今世には重病等の不幸を招き、死しては地獄に堕ちると説かれているのである。
 次に、『法華初心成仏抄』には、
「よき師と・よき檀那と・よき法と此の三寄り合いて祈りを成就し国土の大難をも払ふべき者なり(中略)吉檀那とは貴人にもよらず賎人をもにくまず上にもよらず下をもいやしまず一切・人をば用いずして一切経の中に法華経を持たん人をば一切の人の中に吉人なりと仏は説き給へり」
と、よき檀那を国土安穏の条件に挙げられている。これを、先の『立正安国論』の趣旨と考え合わせれば、それが外護を意味することは、見易い道理である。
 さらに、『曽谷入道殿許御書』には、
「貴辺並びに大田金吾殿・越中の御所領の内並びに近辺の寺寺に数多の聖教あり等云云、両人共に大檀那為り所願を成ぜしめたまえ、涅槃経に云く『内には智恵の弟子有って甚深の義を解り外には清浄の檀越有って仏法久住せん』云云、天台大師は毛喜等を相語らい伝教大師は国道弘世等を恃怙む云云。」
と、曽谷教信氏・大田金吾氏等を、天台大師・伝教大師当時の外護者に擬えておられるから、檀那をして外護と目されていたことは明らかである。
 ただ、ここで留意しなければならないことは、『法華初心成仏抄』の「よき檀那」であり、『曽谷入道殿許御書』の「清浄の檀越」である。「よき檀那」とは、「法華経を持たん」檀那である。この法華経のことを、創価学会員はただ法宝の御本尊とのみ考えている人が多いが、このあたりにも、今日の問題を招いた創価学会の重大な考え違いが存する。
 法華経とは、単に法宝のみをいうのではなく、仏宝・法宝・僧宝の三宝の全てを含んでいうのである。この三宝とは、仏宝が宗祖日蓮大聖人であり、法宝は所見の大漫荼羅本尊であり、僧宝は日興上人以下御歴代の御法主上人である。この三宝は一体であり、三宝を持つことが御本尊、すなわち「法華経を持たん」の意味であり、よく持つ人が「よき檀那」なのである。
 「清浄」とは、
「蓮華の弟子なれば又清浄なり」(『御義口伝』)
また、
「浄き事・蓮華にまさるべきや」(『四條金吾殿女房御書』)
とあるように、蓮華の徳である。蓮華とは、
「然るに日蓮が一門は正直に権教の邪法・邪師の邪義を捨てて正直に正法・正師の正義を信ずる故に当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕す事は本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱うるが故なり」(『当体義抄』)
と示される当体蓮華の意であり、「正直に権教の邪法・邪師の邪義を捨てて正直に正法・正師の正義を信ずる」人が、はじめて証得しうるのである。その人を、「清浄の檀越」というのである。
 この「よき檀那」「清浄の檀越」こそが、真の外護者たりうるのである。


5.有徳王・覚徳比丘

 有徳王・覚徳比丘とは、『仏教哲学大辞典』には、
「涅槃経に説かれる。昔、拘尸那城に出世した歓喜増益如来の滅後、ただ一人の正法の受持者が、覚徳比丘である。覚徳比丘が破戒の悪僧に襲われ、正法がまさに滅せんとしたとき、武器を執って悪僧と戦い覚徳比丘を守ったのが、有徳王である。この戦闘で有徳王は全身に傷を受けて死が迫った。覚徳比丘は『善きかな、善きかな、王、今真にこれ正法を守る者なり、当来の世に、この身まさに無量の法器となるべし』と褒めたたえ、王は心に大いに歓喜して死んだ。
 釈尊は、有徳王とは今の自分であり、覚徳比丘は迦葉仏であると説き、もし正法が滅尽しようとするときには、覚徳比丘のように正法を受持し、有徳王のように身命を捨てて正法を擁護しなければならないと説いている。」(略抄)
と説明されている。この仏説は、正法護持の信仰者の心構えと、正法を守る者の功徳の大きさを讃えるものである。

 有徳王・覚徳比丘が有名なのは、『三大秘法抄』に、
「戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王、覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり」
と、その名が戒壇建立の御指南に存することによる。
 また、『撰時抄』の、
「法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の一閻浮提の内・八万の国あり其の国国に八万の王あり王王ごとに臣下並びに万民までも今日本国に弥陀称名を四衆の口口に唱うるごとく広宣流布せさせ給うべきなり」
との御文のほか、諸御書に示される広宣流布は、日蓮大聖人の御遺命であり、広宣流布の達成によって戒壇は建立される。
 その僧俗和合の姿を、有徳王・覚徳比丘の仏説をもって示されるのである。それは、檀信徒における不自惜身命の外護の姿であり、正法の伝導者たる僧宝を、命に代えて守ったというものである。この仏説は、『立正安国論』にも引用されているように、外護の檀信徒の覚悟として、大聖人の厳しくも尊い御指南なのである。このように、広宣流布は、僧侶による令法久住と、檀信徒の不自惜身命の外護によって、達成されなければならないということである。


6.化儀の広宣流布

 池田氏の会長就任時の、
「若輩ではございますが、本日より戸田門下生を代表して、化儀の広宣流布をめざし、一歩前進への指揮をとらせていただきます。」
との抱負に、全学会員が心から奮い立ったのは、有名な話である。この「化儀の広宣流布」とは、化儀の折伏のことである。
 化儀とは、化法に対する語である。化法とは、下種独一本門の法体とそれに基づく教義・教学であり、化儀とは下種仏法の執行・表明のことである。『観心本尊抄』には、
「是くの如き高貴の大菩薩・三仏に約束して之を受持す末法の初に出で給わざる可きか、当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」
とある。日寛上人は、この文を、
「折伏に二義あり。一には法体の折伏。謂く、『法華折伏、破権門理』の如し。蓮祖の修行これなり。二には化儀の折伏。謂く、涅槃経に云く、「正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず、応に刀剣弓箭鉾槊を持すべし」等云云。仙予国王等これなり。今化儀の折伏に望み、法体の折伏を以て仍摂受と名づくるなり。」
と解釈されている。すなわち、大聖人は、五重相対・五重三段の教判に基づき、諸宗の邪義を打ち破り、一期の御化導の究竟として、その化法の眼目である下種の法体、本門戒壇の大御本尊を御建立あそばされた。これを法体の折伏というのである。そして、受持の一行・信唱の題目をもってその化儀の正行とし、方便・寿量の二品読誦を助行と定められた。この読誦は、下種仏法の修行の中心である。さらに、化儀には、「予が法門は四悉檀を心に懸けて申すならば強ちに成仏の理に違わざれば且らく世間普通の義を用ゆべきか」(『太田左衛門尉御返事』)
と、四悉檀の斟酌をもって、修行・法要・荘厳式等、行儀行事の上に、下種仏法が表明されている。
 化儀の折伏とは、宗開両祖以来の血脈相伝に基づく、日蓮正宗の法要・修行・荘厳式等、行儀行事という化儀が広宣流布され、本門の本尊に対し奉る正しい信行が確立され、同時に邪宗教の化儀がその本尊とともに、一掃されることである。具体的には、各々御本尊への給仕に怠りなく、朝夕の勤行・唱題に励み、折伏を実践し、努めて末寺の行事に参詣することであり、法要の執行を依頼することである。
 さらに総本山への登山参詣も、遠近の別なく、恋慕の心において行なわなければならない。このような、信心の発露による自然の行業により、信行者は三宝の加護を受けるのである。また、それはそのままが、かえって三宝を外護するという、浄行となるのである。

 御法主日顕上人は、平成2年の御誕生会の砌に、
「この二月十六日が御本仏・大聖人様の御誕生会として日本国中の人々がことごとく挙って、国民の祝祭日としてこの日を御報恩申し上げる、御祈念申し上げるということが真の広宣流布の姿と思います。」
と、その化儀である行事が、王法による祝祭日となることを示されている。まさに宗内僧俗の、理想とする王仏冥合の姿である。

 なお、先の『観心本尊抄』の、
「此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し」
との御文を曲解し、在家本仏のような論を展開する者が、創価学会員の中にいる。しかし、これは化法に即した化儀の折伏の意味を、はきちがえることによるのである。
 日寛上人は、この賢王を、仙予国王等であると釈されている。仙予国王とは、『仏教哲学大辞典』によれば、「純善」の人である。この人は、日蓮正宗に伝わる日蓮大聖人の化儀をもって、正しく世の中に弘めていく方である。広宣流布の日には、必ずこのような方が現れるであろう。
 しかし、僧侶を軽視し、在家がその己義により勝手な化儀を乱造する現在の池田氏等のような、限りなく退転者に近い無信心の人のことでは断じてない。
 また、
「是くの如き高貴の大菩薩・三仏に約束して之を受持す末法の初に出で給わざる可きか」
との御文の「高貴の大菩薩」について、日寛上人は、
「『是くの如き高貴の大菩薩』等とは、拙き者の習いは約束せし事をも実の時はこれを忘る。然るに高貴の人は約束を差えず」
と釈されている。宗教法人設立の際の「三箇条」を忘れ、自分が、
「今、日蓮正宗御宗門においても、仏法の師であられる御法主上人に師敵対する僧俗がでたことは、まことに悲しむべき事である。これは恐ろしき謗法であり、真の日蓮正宗の仏法を信解していない証左なのである。血脈付法の御法主上人を離れて、正宗の仏法はありえないのである。」
(昭和57年7月の発言)
と述べたことを忘れる者が、該当しないことは当たり前のことである。また、池田氏は、いわゆる11・16のスピーチで、
「みんな信者だ、御本尊のよ、坊さんだって。違いますか、坊さんだけほか拝んでんのかよ」
と、下品なことをいわれるが、「高貴の大菩薩」が「御本尊のよ」とか「拝んでんのかよ」とか、下品な言葉を仰せになるとは考えられない。


7.信徒の外護

 外護は、時代により変化する社会状況に応じて、内容もまた多岐であり、その在り方も推移する。当然、その威力が強大であればあるほど、外護の効果も大となるのである。しかし、創価学会の姿を見ても明白なように、その威勢は、まさに両刃の刃であり、危険性をも合わせもっている。
 通常の外護は、個々に有する世間の威勢が、仏法に帰順することにより、さらに威勢を増し、正法外護の威力となる。この大小の勢力の集合が、外護の全体である。

8.創価学会の外護

 創価学会の外護が、通常の外護と本質的に異なる点は、その多数の信徒の組織的総合力である、政治力・財力という力の統合が、演出された「権威」によって、行なわれていることである。

 政治力とは、公明党であり、権力として様々な影響力をもつに到った。この政治力への指導力・影響力という支配の主体が、創価学会の指導者に存在するという構造なのである。ためにその権力は、そのまま創価学会の指導者の「権力」といいうる。つまり、権力を指導者一人が支配しえたため、指導者一人の信心により、その全体が外護者ともなれば、攻撃・破壊者ともなりうるのである。
 また財力は、“特別財務”による集金や、書籍等の収益によって得た莫大なものである。ところが、これらは、日蓮大聖人への御供養の名目、もしくはその意義を有すると理解・洗脳させることによって集めた、一般信徒の浄財なのである。
 この政治力と財力は、ともに、本来、日蓮正宗の三宝の外護を目的として、はじめて成立する威勢であり、単独でなしえたものではない。
 むろん現状は、会運営のための寄付や宗教法人としての公益事業等の収入もあるから、それをもって学会としての供養をもなしうるといえる。しかし、それ以外の、信徒の日蓮正宗の三宝への供養としての意義の名目を使用した蓄財については、あくまで日蓮正宗の外護のためのものとして、理解されているのである。

 このような、多数の信徒を有する巨大な組織の団結を可能とするのは、僧俗の和衷協力の精神「異体同心」によるからである。
 同心とは、日蓮大聖人の心に同ずることである。その日蓮大聖人の心は、血脈法水の御相承によって、歴代の御法主上人が所持あそばされるのである。したがって、僧俗が一人ももれずに、御法主上人に信伏随従することをもって、本当の異体同心となるのである。
 このことの重要性は、池田氏も、
「今、日蓮正宗御宗門においても、仏法の師であられる御法主上人に師敵対する僧俗がでたことは、まことに悲しむべき事である。これは恐ろしき謗法であり、真の日蓮正宗の仏法を信解していない証左なのである。血脈付法の御法 主上人を離れて、正宗の仏法はありえないのである。」
(昭和57年7月の発言)
と述べているのだから、よもや異論はなかろう。
 本来は、この上で、信徒指導者としての指導力が発揮されるべきである。その指導力は、正しい信仰に基づく「実力」であらねばならないし、どこまでも御法主上人の御教導の正直な実践者でなければならない。
 しかし、池田氏は全学会員による、大御本尊への御供養を、「全部私がしたんです」と高言し、大部の代作の著書を自らの著作と称するなど、会内の全能力を挙げての成果をも、池田氏の能力であるかのように演出してきた。ために、池田氏一人が実力を遥かに上回る評価を受け、また権威として、会内に定着したのである。
 この権威を得るための誇大宣伝は、池田氏の会長就任以来、現在に至るまで続けられている。しかし、それらは正直を旨とする、日蓮大聖人の仏法とは、およそかけ離れたものである。正直に御法主上人に信伏随従しておれば、池田氏は宗史に残る大檀那となったであろうに、あまりの落差に不憫でならない。

 ウソにウソを重ねる。その無軌道ぶりは、ついに池田本仏論・池田独尊論という本末転倒した迷信・邪信となって会内に横行し、大聖人よりの血脈法水を所持される御法主上人をも見下すに至ったのである。
 もうお判りのように、その権威の正体は、大聖人の御仏意と学会員の尊い弘教への真心を掠め取り、我がものとして恥じない、魔性であり、虚像なのである。
 仏に匹敵するかのように演出された虚像を、本物の「権威」と信じこませることによって、巨大な「権力」を一人の男が握っているのである。


9.池田本仏論について

 ここで、池田本仏・独尊論を信じている者達に、池田氏が決してそのような人物でないことを明らかにしておこう。
 まず、彼等の信ずる妻帯する御本仏とやらは、勲章の重みには耐えられるが、自分の体重に対しては、たった1時間の正座すら耐えられず、開創700年慶讃大法要の読経の最中に、あぐらをかかれたのである。弟子達がそれにならったことは、いうまでもない。
 池田氏は、以前から御自分が、大聖人の仏法の全てを知っているかのようなことをよくいわれているが、本当に御存じなのであろうか。例えば11・16のスピーチでも、
「あくまで御書です。御本尊です、仏法は。これだけわかればいい。」
といわれた。池田本仏の信奉者にとっては、当然の発言と映るであろう。しかし、このような人のことを、仏法では「未得謂得・未証謂証」の人、つまり「いまだ得ていないのに『得た』といい、いまだ証していないのに『証した』という」大増上慢の人というのである。本当のことをいえば、池田氏は、御本尊はもちろん、御書もあまりよく知らないのである。
 御本尊はじめ御法門の深義は、血脈付法の御法主上人のみが所持あそばされるところであって、血脈相伝のない池田氏が、その奥義に到ることは絶対にないのである。大聖人の仏法は、深く広いのであって、知ったかぶりをして大言壮語を吐いても、肝心の部分には、何も答えることはできないだろう。
 例えば次のような問題に答えられるだろうか。
 「第一、一品二半に二意あり熟れの配立を取るや。
第二、顕本に五義あり顕本宗の顕本は何れを本とするや。
第三、宗祖所顕の大漫荼羅は其の実体何物なるや。
第四、宗祖所顕の漫荼羅中仏菩薩の列座の次第会座に違ふ
   が如きは如何。
第五、宗祖所顕の本尊の年度に依り所図(或は善徳仏十方
   分身の諸仏を書し或は之を除去す)不同のある理由
   如何。
第六、宗祖所顕の本尊中の記銘に仏滅後二千二百二十余年・
   或は三十余年と記し給ひ差別・並に文永建治の御本
   尊に二千二百三十余年と記し給ふ理由は如何。
第七、宗祖所顕の本尊の中央に南無妙法蓮華経日蓮判と大
   書し、釈迦多宝の二仏は傍らに細字を以て書し給ふ
   理由如何」
 これは、大石寺と日什門流との問答の時に、大石寺側より什門に与えた質問であり、『富士宗学要集』の第7巻にある。
 また、『当体義抄』の、
「真実以て秘文なり真実以て大事なり真実以て尊きなり、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経」
との御文を、日寛上人は、
「三箇の『真実』、二箇の『題目』、恐らくは意あらんか」
と述べられている。この「真実」は三箇なのに「題目」は二箇なのは、なぜか判るだろうか。
 一分は答えられても、完璧に答えることは、御法主上人以外には不可能である。なぜならば、血脈相承は唯授一人だからである。

 池田氏や最高幹部達の寿命も、あとどのくらいあるかは、判らないのである。このまま終われば、地獄へ堕ちることは、ウソをついている自分達が一番よく知っている。純真な学会員を地獄に連れていこうとしていたことがバレたら、それはただでは済むまい。しかし、学会員に真実が知られるのも怖いだろうが、地獄はもっと怖いのである。


※②へつづく

 

 

 


外護について②

1991-05-13 | 時局資料

10.外護者の条件

 以上のことは、信心の在り方が正常でなくなった場合、当然予想されることであって、その防止のために、戸田会長が宗教法人の設立を願い出た際、日蓮正宗からは、次の3項目を守ることを条件としたのである。それは、
 折伏した人は信徒として各寺院に所属させること
 当山の教義を守ること
 仏法僧の三宝を守ること
である。
 これらの3点について、創価学会が遵守することを確認したことは、当時の『聖教新聞』にも掲載された。また、現在は都合が悪いかもしれないが、『創価学会入門』に、
「戸田第二代会長は、昭和二十六年、二代会長に就任ののち、日蓮正宗の信徒団体であることを前提としたうえで、創価学会を新たに宗教法人として設立したい旨、日蓮正宗宗務院に願い出ました。その理由は、
 『第一に、広宣流布の前進を妨げる大難を創価学会が受
 けて、総本山を外護していくため。
  第二には、将来の広範な折伏活動のうえから、宗教法
 人のほうが、より円滑に運営できる。』
ということでした。
 これに対し、日蓮正宗宗務院より、
 一、折伏した人は信徒として各寺院に所属させること。
 二、当山の教義を守ること。
 三、三宝(仏・法・僧)を守ること。
という三箇条が示されました。
 創価学会は、昭和二十七年八月、この三箇条を守ることを前提に、独自の法人格を有する団体となり、以来三十年近くにわたり、広宣流布の大願を掲げて活動し、その結果、今日の発展がもたらされました。
 創価学会の究極の目的は日蓮正宗を外護してその興隆をはかり、日蓮大聖人の教えを『広宣流布』することにあります。」
と、このように記されているのである。
 今後、この本を廃刊にしたり、学会員の大嫌いな改竄など、是非しないでいただきたいものである。
 しかし、実際にはこの三原則は、次第に軽視、あるいは無視されるようになっていった。それが、様々な形となって問題化したのが、いわゆる昭和52年の逸脱路線なのである。そして、この逸脱路線の反省として行なわれた、通称「お詫び登山」といわれる、昭和53年11月7日の、創価学会創立48周年記念登山代表幹部会において、その原因が3箇条の不履行にあったことを、池田氏はじめ学会首脳が認めたのである。
 すなわち、当時の北条理事長は、改めて学会の宗教法人設立時の3原則を確認した上で、
「宗教のもつ現代的役割のうえから、在家の宗教的使命の側面を掘り下げて展開したのであります。しかし、そのことが、宗門、寺院、僧侶を軽視する方向へと進んでしまったことも事実であります。
 今、このことを総括するに、問題を起こした背景に、宗門の伝統、法義解釈、化儀等に対する配慮の欠如があったことを率直に認めなければなりません。ともかく、この意識のズレ、配慮の欠如がその後の対応のなかでもあらわれ、そのことが、問題をここまで発展させてしまったのであります。」
と述べ、
「第一に、学会のここ数年の指導、進み方、教学の展開のなかに、正宗の信徒団体としての基本がおろそかになっていたこと、第二に、昨年のような学会の行き方は行き過ぎがあったこと、以上の二点を私ども学会は、とくにわれわれ執行部は、深く反省するものであります。」
と率直に反省し、さらに辻副会長も、
「第一に、戒壇の大御本尊根本の信心に立ち、総本山大石寺こそ、信仰の根本道場であることを、ふたたび原点に戻って確認したいのであります。
 第二には、唯授一人、血脈付法の猊下のご指南に従い、正宗の法義を尊重してまいりたいと思います。
 第三に、学会員の心情には、長い歴史のなかで、しぜんに会長への敬愛の念が培われてきましたが、また、それは当然であるとしても、その心情を表すのに、行き過ぎた表現は避けなければなりません。」
と、再確認と反省の意を表し、また当時の池田会長も、
「これまで、いろいろな問題について行き過ぎがあり、宗内をお騒がせし、また、その収拾にあたっても、不本意ながら十分な手を尽くせなかったことは、総講頭の立場にある身として、この席で、深くおわびいたします。」
と、それまでの学会の行き方を、全国の宗門僧侶の前で、反省懴悔したのである。
 しかし、このように、御先師日達上人の御臨席の下、総本山において、全国の僧侶と学会大幹部を集めて行なわれた一大反省会の懺悔は、
「50周年、敗北の最中だ。裏切られ、たたかれ、私は会長を辞めさせられ、ね。もう宗門から散々やられ」
との、池田氏の発言により、真赤なウソであったことがバレてしまったのである。


11.3箇条の現状

 現在、この3箇条の履行状況はどうであろうか。
 まず、第1条の、
「折伏した人は信徒として各寺院に所属させること」
は、信徒名簿を提出しないことにより、寺院側では完全な信徒の掌握ができていない。したがって、事実上、所属しているとはいえない者が、多数存在している。末寺に所属することの意義は、まずそれによって、日蓮正宗の信徒として所属することに存する。ここに、授戒、本尊下付、法事、結婚式、葬儀等の諸法要を、信徒として願い出ることが許されるのである。また、住職の有する意義も、よく信解されなければならない。その根拠のひとつに、御開山日興上人の次の御指南がある。
「御講衆自今以後において、偏頗ありて聖人の法門に、きずつけ給候な。なおなおこの法門は、師弟子をただして仏になり候、師弟子だにも違い候へば、同じ法華を持ちまいらせて候へども、無間地獄に堕ち候也。うちこしうちこし直の御弟子と申す輩が、聖人の御時も候し間、本弟子六人を定め置かれて候。その弟子の教化の弟子は、それをその弟子なりと言はせんずるためにて候。案の如く聖人の御後も、末の弟子どもが、誰は聖人の直の御弟子と申す輩多く候。これらの人謗法にて候。御講衆等この旨をよくよく存知せらるべし。」(便読のため、適宜にひらがなを漢字に直した)
 このように、師弟子の関係をただすことによって、成仏があるのであり、直接の師匠である末寺住職を無視して、大聖人直結などといえば、必ず無間地獄に堕ちる結果となる。
 また、寺院参詣が習慣化されることも大切である。ここには、種々の理由があるが、日淳上人は、
「由来教義の混乱は目立たずに長い間には何時となく混乱してゆくのであります。此の弊害は常に能く講中が全部僧侶に接近してゆくことによって矯正せられたのであります。」(『講中制度に就いて』)
と、教義の混乱を防止する意義において示されている。したがって、これは、また第2条の、
「当山の教義を守ること」
を遵守するために欠くべからざる条件なのである。
 それは、また日淳上人が、
「常に述べるように教化ということは理論をのみ説いて理解ができたということが必要には相違ないがそれと同等に当門の気風精神或いは心持ちといったものが大切であります。此れは講中の間に於て確かに薫化されますが寺院教会と近しくない間に漸次退化するのであります。宗祖より日興上人其の後代の僧侶の間に伝わってきました、いはば正宗気質が消失して了ひます。此の事は特に心得て貰ひたい事であります。教義は結局正宗気質の表徴であります。此の両面からして教化ということは全ふされるのであります。」(『講中制度に就いて』)
と仰せのように、教義の淵源が正宗気質、すなわち大聖人の御心が「正直為本」にあることによるのである。当家の信条が信を第一とする所以である。
 このことは、当然「異体同心」の上からも、充分に理解されなければならない。「ウソも百遍つけば本当になる」などという不正直な考えは、正宗気質と正反対のものであり、このような考えに同心することを、異体同心とはいわないのである。

 次に、第2条の、
「当山の教義を守ること」
について、創価学会には、もともとこれを励行するために、
「この会に、日蓮正宗法主の指南に則り、教義の厳正を保持し、およびそれに基づく指導をはかるため、最高教導会議を置く。」(『創価学会会則』第21条)
との規則がある。しかし、「日蓮正宗法主の指南に則り、教義の厳正を保持」ということは、今現在、どうなっているのだろうか。
 教義逸脱は、実際は最近顕著なものだけでも、教義の根本であらせられる御本尊の誤解(三宝一体の観念なし等)、三宝の誤釈、一連の僧俗平等論、先の副教学部長佐久間氏等の化儀に関する誤釈をはじめ枚挙にいとまがない。
 さらに、葬儀に際して僧侶に依頼せず、幹部が導師を行なっている。これは化儀違背であり、教義違背より起こったものである。本宗の即身成仏は、仏界即九界・九界即仏界、師弟相対しての成仏である。日因上人は、
「当宗の即身成仏の法門は師弟相対して少しも余念無き処を云ふなり、此則師は是れ仏果なり、弟子は是九界なり、師弟和合して余念なき処は事の一念三千の妙法蓮華経なり、若し少も余念有らば師弟不和なり、何を以て事の一念三千即身成仏を論ずべけんや」
と説かれているように、弟子においては、導師の僧侶が仏界を表する、との余念なき信心によって、即身成仏するのである。判り易くいえば、日蓮大聖人に引導(転迷開悟)していただくところに、成仏があるのである。僧侶は、その代理として、御法主上人から全権を託されて、導師を務めるのである。
 『一谷入道御書』に、
「日蓮が弟子となのるとも日蓮が判を持ざらん者をば御用いあるべからず」
とあるように、弟子である僧侶の持つ「日蓮が判」が肝心なのである。この「日蓮が判」、つまり大聖人以来血脈所持の御法主上人の権能に、一切衆生の成仏の力があるのである。このことを信じないで、誰でも御本尊にお題目を唱えさえすれば成仏すると考えるのは、大変な間違いである。
 なお、離島や海外において、僧侶の執行が不可能な場合、幹部が代行して、略式の化儀を行なうことについては、僧侶がその権能を幹部に依託するから、成仏が許されるのである。

 ここで、「略」について、少し説明しておく。略には、化儀は略式でも、意義は欠けることなく存する「存略」と、意義において欠けるところのある「闕略」がある(闕とはケツと読み、欠けること)。
 当家の方便・寿量の二品読誦などは存略であり、法華経一部二十八品を読む意義を存する。このことは、日寛上人の『題目抄文段』に、
「『略』は闕略にあらず即ちこれ存略なり。故に大覚抄に云く『余の二十六品は身に影の随い玉に財の備はるが如し、方便品と寿量品とを読み候えば自然に余の品は読み候はねども備はり候なり』」
と御指南されている。
 このように、正しい筋道と信心の上から、略式の化儀が行なわれることを、「存略」というのである。
 上記のようなやむをえない場合には、僧侶のいない略式とはいえども、そこには一体三宝の意義が存するのである。これに対し、我見で僧侶を不必要とするならば、それは「闕略」であり、僧宝の徳を欠くのである。このことは、三宝一体の道理からみて、仏宝・法宝をも滅するのであるから、まさに三宝破壊という大謗法となるのである。

 日淳上人は、
「講頭並に講中の役員は決して教師の意味を含むではいない筈であります。(中略)もとより布教等の場合には一分教師の役目を為すも差し支えないが、若し講員に対して純然たる教師のことを為すならば、あまり分をしらないことと考へます。」(『講中制度に就いて』)
と、御指南されている。創価学会の幹部には、日蓮正宗の教師僧侶の資格はない。にもかかわらず、教師僧侶のマネをするならば、あまりに分を知らない大増上慢となるのである。日蓮正宗から独立したのならば話は別であるが、日蓮正宗に籍を置く以上、この行為は、大いなる逸脱であり、謗法である。
 何を考えているのか、幹部が導師をするための下準備として、平成3年3月20日付の『聖教新聞』に、
「『習俗を仏教の本義とみる錯覚が定着』との見出しで、仏教と葬式・葬儀とは本来無関係なものだったといっても過言ではありません。東京大学名誉教授の中村元氏も『仏教では儀式で人を縛ることはしない。原始仏教は葬儀に否定的だった。日本では徳川時代にキリシタン禁制と結びつき檀家制度が確立、葬儀は寺でやることが決まりになった。その名残が今日まで及んでいる』(三月十八日付 朝日新聞)と語っています。」
とか、
「釈尊とその弟子達は在家の葬儀にはかかわらないのが原則だったようです。在家の葬儀は在俗信徒によって行なわれたのです。釈尊自身の葬儀も、それを行なったのはクシナガラの在家信者だったのです。比丘達は在家信者にたいして、葬式、法事をはじめとするすべての葬送儀礼にかかわらないのが原則でした。」
と書いて正当化しようとしているが、御苦労なことである。ならば、牧口会長・戸田会長・北条会長はじめ、今日までの葬儀は一体どうなるのか。どんなに理屈を並べても、幹部が導師をしたのでは、成仏できないのである。そのような葬儀に参列した学会員に、
「恐ろしくて、最後までからだの震えがとまらなかった」
との証言がある。
 日有上人は、『化儀抄』に、
「門徒の中に人を教えて仏法の義理を背せらるることは謗法の義なり、五戒の中には破和合僧の失なり、自身の謗法より堅く誡むべきなり」
と示されている。この意味について、日達上人は、
「本宗の僧俗の中で、他の信者を教唆して、本宗の宗綱に違背せしめることは、謗法であります。五逆罪の内破和合僧(和合僧団を妨害し破壊すること)の罪を犯すことであって、自身が直接謗法することよりも、他人を教唆した謗法は重罪ですから、よく誡心しなくてはなりません。」
と解釈されている。
 最高幹部だけで、「本部の指示ではないことを前提とする」
と打ち合わせ、
「学会員に学会葬を希望させ、会員が自主的に、在家の導師による葬儀を行なっているという雰囲気をつくっていく」
とか、
「あくまでも、学会葬を強く要望する会員の声があったとする」
などという秘密指示を出して、会員に謗法を教唆しているようであるが、日蓮大聖人は全ての所行を御覧になっていらっしゃるのである。
 少しでも信心が残っているのなら、最高幹部にいわれるままに導師をするような、恐ろしいことはやめるべきである。導師も死者も、ともに大地獄へ堕ちるのである。

 第3条の、
「仏法僧の三宝を守ること」
について、『創価学会会則』第62条には、
「会員は、日蓮正宗の教義を遵守し、三宝を敬い、この会の指導を実践し、この会の目的達成につとめる。」
と記されているが、これも実際には、僧宝を日興上人のみとし、御歴代上人を故意に三宝から外している。そのような論調は、『聖教新聞』にもあるが、最近の柏原ヤス氏の指導にも、御歴代上人を僧宝と認めない発言があった。
 しかし、勤行の御観念文には、
「南無一閻浮提の御座主第三祖新田卿阿闍梨日目上人御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に南無日道上人日行上人等御歴代の御正師御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に」
と、御歴代上人に「南無」とあり、日寛上人の『当家三衣抄』には、
「南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は、(中略)南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主、伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師。此くの如き三宝を云云」
と、御歴代上人が三宝であることが明記されいる。創価学会においても、以前は『大白蓮華』(昭和54年11月号)に、
「正法を正しく継承伝持あそばされた血脈付法の日興上人を随一として、歴代の御法主上人、広くは、御法主上人の法類である御僧侶の方々が僧宝なのです。大聖人が『仏宝法宝は必ず僧によりて住す』と仰せのように、仏恩も法恩も広大であり、甚深でありますが、その仏法を正しく伝持して来られた方々がいなかったならば、現在の私達に、御本尊を受持して、希望と確信に満ちた人生はありえないのです。僧宝がいかに尊く大事な存在であるかを知り、尊敬と感謝と報恩の信心をもって御僧侶を敬い、僧俗和合の姿で広宣流布に邁進していくことが肝要です。」
と記されてあったのである。また、先にも引用したが、かつての正信会問題の折には、池田氏も、
「今、日蓮正宗御宗門においても、仏法の師であられる御法主上人に師敵対する僧俗がでたことは、まことに悲しむべき事である。これは恐ろしき謗法であり、真の日蓮正宗の仏法を信解していない証左なのである。血脈付法の御法主上人を離れて、正宗の仏法はありえないのである。」
(昭和57年7月の発言)
といっていた。現在の創価学会は、これらの明確な文証をどうするのであろうか。学会の都合のために担ぎだされている識者や、ルノワール絵画疑惑で有名になった「ある団体」の弁護士の方々に聞いてみたいものである。

 このように、創価学会はその法人設立に当たって、3箇条を規定したにもかかわらず、それらをことごとく破っているのである。基本的な規定すら守れないのであるから、もはや創価学会は、宗教法人を解散すべきである。そして、池田氏はじめ職業幹部は、現在の出家でも在家でもない生き方はやめて、在家として普通の仕事に就かれることをお勧めする。
 創価学会の中では、よく「1人1人を大切に」といわれるが、反対に、たった「1人のために」創価学会全体が謗法になってよいものであろうか。決してそうであってはならない。会員は、今こそ勇気を出して、
「この会は、会員としてふさわしくない言動をした会員に対し、その情状に応じ、戒告、活動停止または除名の処分を行なうことができる。」(『創価学会会則』第67条)
との条項により、池田氏はじめ最高幹部の処分を行なうべきである。そうすれば、創価学会は正常化し、枯れかかった功徳の花は、再び立派に咲き誇るだろう。


12.詭弁を破す

 最後になるが、創価学会最高幹部は、自分達の邪義を押し通すために、御法主上人が間違っていると公言して憚らないことを指摘しておく。
 さすがに、ただ間違っているといっても、通用しないことは知悉しているので、次のように御法主上人の御指南を、利用するのである。
 平成3年1月10日付の『聖教新聞』には、青年学術者会議からの質問書が掲載されているが、そこには、御法主上人の、
「色々な疑問がありましたり、また私に間違ったことがあると思っておられる方がいたならば、遠慮なく言ってきてください。私はその人に対して、けっして怒りもしないつもりですし、おっしゃることは素直に聞きます。」
また
「また法主が間違っているところは、その法主の間違ったことに対して大衆は従ってはならないという御指南があるとおりです。従ってはならないということは、消極的ではあるけれども一つの反抗をするわけですから、その反抗の姿を見て、私なら私の立場において、自分が間違っていたように思うこともあると思います。」
との御指南を引用している。この御指南を引用することによって、御法主上人に反論・批判する論拠としている。これだけ読めば、御法主上人に何を申し上げてもよいのかもと、考える者も出てくるだろう。
 しかし、次に御法主上人の御指南の全文を挙げるので、よくみていただきたい。
「【色々な疑問がありましたり、また私に間違ったことがあると思っておられる方がいたならば、遠慮なく言ってきてください。私はその人に対して、けっして怒りもしないつもりですし、おっしゃることは素直に聞きます。】ただし聞くけれども、やはり私からの意見、つまり「あなたはそのように思われるでしょうが、ここのところは違うのではなかろうか」
というような意見を申し上げる場合もあるかもしれません。あるいはまた、皆さんの思っていることが本当に正しいということになれば、私も沈思した上で、あるいは私自身が考え方を変える場合もあるでしょう。そういうところは、日興上人様が、
《いくら大勢の大衆の意見ではあっても間違ったことをしたときには、貫主すなわち法主がこれを挫くべきである》【また法主が間違っているところは、その法主の間違ったことに対して大衆は従ってはならないという御指南があるとおりです。従ってはならないということは、消極的ではあるけれども一つの反抗をするわけですから、その反抗の姿を見て、私なら私の立場において、自分が間違っていたように思うこともあると思います。】
ですから要するに、正理をもって先として、あくまで仏法を護持し、立てていくということが日蓮正宗の僧侶および寺族の大事なことだと思います。」(『大日蓮』平成3年1月号)
 【】の中が、青年学術者会議の引用している箇所である。ここで、特に引用しなかった《》の部分、すなわち、
「いくら大勢の大衆の意見ではあっても間違ったことをしたときには、貫主すなわち法主がこれを挫くべきである」
の部分を、削り取っている点に御注目いただきたい。このように、故意に削除した文を使用することを、「切り文」というのである。これは、文証を悪利用しようとする者の用いる常套手段である。「正義の人」であるはずの学会員が、なぜこんな真似をする必要があるのだろう。答えは簡単である。池田氏が正義の人でなくなったからである。
 次に、同質問書には、
「私自身も、もし私の行為・行動に対して誤りを指摘してくださる方があるならば、それを大聖人様の教えに照らして考えた上で、誤りと自分が解れば直ちに改めるつもりであります。」
との御指南も利用している。しかし、実際には、
「【私自身も、もし私の行為・行動に対して誤りを指摘してくださる方があるならば、それを大聖人様の教えに照らして考えた上で、誤りと自分が解れば直ちに改めるつもりであります。】
 また、その方に深くお礼を申し上げたいと思います。私もその心掛けを持っております。
 私の下におります僧侶の者達にも場合によって心掛けが不充分であるというような振る舞いがあれば、私は充分注意をいたします。もし皆さん方に、これでは日蓮正宗の僧侶としてふさわしくないから御注意申し上げたいということがあるならば、遠慮なく注意をしていただきたいと思います。《ただし、それは人と相談して陰口を言いながら注意をするのではなく、自分一人で深く考え、その上できちっとした文書にして、あるいは口頭において、何人とも関係なく自分の真心をもって、その僧侶なら僧侶に注意をしていただきたい。》」(『大日蓮』昭和63年9月号)
という御指南である。これも、【】以外の《》の部分、「ただし、それは人と相談して陰口を言いながら注意をするのではなく、自分一人で深く考え、その上できちっとした文書にして、あるいは口頭において、何人とも関係なく自分の真心をもって、その僧侶なら僧侶に注意をしていただきたい。」
との部分が大切であり、結論なのであるが、現在の『聖教新聞』や『創価新報』等での僧侶攻撃には、この御指南が非常に都合が悪いので、故意に削り取るのである。
 以上は、「青年学術者会議」からの質問書である。

 もう一例、秋谷会長からの抗議書(『聖教新聞』平成3年1月18日付に掲載)を挙げる。
 ここには、「僧俗平等論」の論拠として、『日蓮正宗略解』から、次の文章を引用した。
「本宗は一切の解了によらず、ただ本尊に対する信の一念の上に建立される宗旨である。したがって、古来の行業において、【僧俗の区別はもとより存在しない。】

 このことは僧と俗が本来、毎日の修行と下種仏法の弘通、さらに成仏という大目的に対して、平等であることを示している。

 僧侶のみあって清浄の檀越がなければ仏法は地に堕ちること必定であり、その反対に数百万の信徒を擁しても、僧侶に真の仏法護持の精神がなければ、正法正義は危殆に瀕しよう。
 故に、正法久住のためには僧俗相互の地位について、正しい認識こそ大切であり、仮にも誤解があってはならないのである。
 すなわち、僧俗は竹に上下の節があるごとく、おのずから根本に対する内外遠近の差別はあるが、仏法の目的や役割の意義において、本来平等であることを知るべきであろう。
 ただし、これには時代というものをよく鑑みねばならない。現在、日本及び世界における弘通の大発展は、その折伏の主体性が在家にあることによって達せられたのである。
そして、これこそ末法における時代的必然性であろう。」
 ◎のところが空いているのは、その部分が削り取られているからである。最初の、
「僧俗の区別はもとより存在しない。」
というのは、実は削り取られた文章の内容は、
「すなわち、毎日の行法も方便寿量の二品を助行として読誦し、本門の題目の信心口唱を正行とすることに定まっている。大聖人も日興上人も共にこれを末法の修行の要道として僧俗にお示しあそばされ、また、僧俗に対し妙法の弘通をも分々に指導されたことが、御書やその他の文献に明らかである。
 このことは僧と俗が本来、毎日の修行と下種仏法の弘通、さらに成仏という大目的に対して、平等であることを示している。」
である。このことに区別のないことは当たり前であるが、後の文章を引用しないことによって、意味が全く違ってくるのである。
 そして、またこの文章は「時代的必然性であろう」で終わるのではなく、このあと最後に
「勿論、大聖人の仏法の法体は厳然として、唯授一人金口の血脈の上に法主上人の所持あそばすところであり、ここを源とする本宗僧俗の姿こそ、末法万年へ向っての恒久的、基本的な在り方といえよう。」
との記述がある。この部分を削除した理由は、もう説明する必要もないであろう。しかもこの抗議書は、厚かましくも、
「『日蓮正宗略解』の次の記載をお読みいただきたいと申し上げるほかありません。」
と述べた後に、以上の文章を引用している。この文章を書いた者は、『日蓮正宗略解』について、日顕上人が教学部長時代に書かれた本であり、ごまかしが通用しないことを、知っているはずである。
 思うに、これは宗門が「抗議書は無視する」といったのをよいことに、破折されないとみて、このようなインチキをして強がりをいうのであろう。これをみると、大聖人が遠くに行かれたのを知って、かの良観が急に強がったのと全く同じで、
「畜生の心は弱きをおどし、強きをおそる」
のである。学会首脳は、自らの精神が、良観と少しも変わらないほど堕落していることに気付かねばならない。
 このように、抗議書に名を借りてはいるが、これも実には純真な学会員をだますための、洗脳作戦の一環として書かれていたものなのである。

 「開かれた宗門になってほしい」などと、もっともらしいことをいって「外護」を装うが、もし本当に宗門をよくしようとの、信心から出た「外護」の言動ならば、このようなことができるはずがないではないか。
 このように、池田氏や学会首脳の現在の「外護」という言葉には、実には「外護」の精神など全くないのである。
 かつて天台大師は、「即」を解することのできない者が、誤って「即」をいうことは、ねずみが「ソクソク」というようなものであり、もしまたそのような者が「空」をいうことは、鳥が「クウクウ」鳴くのと同じであると指南された。
 いま、無反省の池田氏達が「外護・外護」ということは、池や田んぼのカエルが「ゲゴゲゴ」と鳴くのと、なんら変わることはないのである。


   おわりに  

 今日の日蓮正宗の発展に精進された、純真な学会員の尊い信心に対して、私達は賞讃を惜しむものではない。また、強盛な信心からの巧みな指導には、衷心より敬意を表するものである。
 それだけに、
「なぜ日蓮正宗だけが日の出の勢いで発展しているのか、世間では、その理由を折伏による布教法によるとか、創価学会に強固な組織があるからなどときめつけておりますが、そんな表面的な理由で発展の原動力を説明できるわけがありません。その真の理由は、この日蓮正宗にこそ、仏法三千年の生命が正しく受け継がれているからなのです。」
と『創価学会入門』に記された純粋な信心が、今、風前の灯となっていることを、哀しむのである。

    以 上

 

 


日蓮正宗と戦争責任

1991-05-09 | 時局資料

(大白法344号)

        日蓮正宗と戦争責任   

              時局協議会資料収集班1班  

   はじめに  

 今年(平成3年)3月27日の聖教新聞にシンガポール「連合早報」コラムニスト陸培春氏の「”軍国主義”加担の反省なき宗門 学会に息づく健全な国際感覚」との記事が掲載された。
 陸氏は「仏教教義の詳細にコメントしうるものではない。」と述べておられるので、日蓮正宗信徒ではないと思われる。したがって、今回の創価学会の教義違反問題について、正しい理解をしていただけるかどうか不安があるが、一応この問題について考えてみたい。


1.陸氏に渡された資料

 まず、今回の問題について、陸氏に渡された資料は、一方的なものではないかとの疑問がある。無論『聖教新聞』に掲載されるぐらいであるから、資料は創価学会から渡されたと想像できる。また、近頃の『聖教新聞』の論調から見て、「識者」に公正な判断を願うよりも、創価学会に不利な資料は隠し通し、自分達の主張だけを伝える資料と、恐らくコメントまで添えて「識者」に見せていると想像される。
 しかも、陸氏の記事を読めば、創価学会の正規の出版物ではなく、出所不明の「怪文書『地涌』」に掲載された資料であることは明らかである。もし『聖教新聞』の記事だとしても、その元は「怪文書」であることは否定できない。
 もっとも、『聖教新聞』・『中外日報』・『地涌』が、密接な関係にあることは周知の事実であるから、どうでもよいことかもしれない。ただ陸氏も、将来、創価学会とどのような関係になるかしれないので、彼等の卑怯なやり方を憶えておく必要があるかと思うものである。


2.日蓮正宗は慈悲が根本

 日蓮正宗の戦争責任や平和問題を論ずるときには、日蓮正宗が仏教団体であることを、まず考えていただきたい。すなわち、不殺生ということが、基本的に思想の根幹に存するのである。しかも、日蓮大聖人の仏法では、全ての衆生が最高・最勝の宗教によって、内面的に慈悲あふれる存在になり、はじめて真の平和が来ると考えるのである。社会的・妥協的平和よりも、全人類の人格向上による、宗教的平和を求めるということを、理解すべきである。


3.帝国拡張主義の潮流

 さらに、第二次世界大戦前後、日本・ドイツ・イタリアの三国ばかりでなく、戦勝国となった欧米諸国も、帝国拡張主義の潮流の中にあって、自国の利益のために、アジア・中東・アフリカに対して、競って権益を求めていたことには異論がないであろう。
 中にも、日本は創価学会二代会長戸田城聖氏が、「軍部の偉大な権力は狂人に刃物」と表現しているように、天皇の神格化と軍部の独裁ははなはだしく、一国の民衆はその圧政下にいたのである。しかし、民衆自身も領土拡張の戦争には反対ではなく、ごく一部を除いて政府の広報やジャーナリズムの扇動に踊ってしまったことも御存知であろう。
 その意味では、過去の日蓮正宗の僧俗も、これらの帝国拡張主義の潮流の中で、流れに抗することなく賛同加担していたのは事実である。
 その結果、実相の全ては未だ明らかとはなっていないものの、アジアの近隣諸国の民衆を、極めて悲惨な状況に堕ち入らせてしまったのである。
 このことに関していえば、これらの諸国民に対して、日本国民は深く陳謝しなければならない。


4.日蓮正宗の戦争加担

 これを前提に、日蓮正宗と戦争加担について考えてみると、陸氏の取り上げた「神札問題」の起こった昭和18年頃は、異教義を唱えたことによって日蓮正宗の教団から追放(擯斥)された小笠原慈聞氏が、軍部やそれにつながる日蓮宗身延派と一緒に「水魚会」というグループをつくり、日蓮宗身延派と日蓮正宗との合同、すなわち日蓮正宗を乗っ取ろうともくろんでいたのである。
 小笠原氏は、警察に対し、日蓮正宗(大石寺)が「不敬罪」に当たるとして、
一、御本尊の七字の題目の下に、天照太神が納められている。これは、仏を主として神を軽んじているから不敬である。
二、管長猊下の猊下という呼称が、天皇陛下の陛下に通ずるから不敬である。
という理由で告訴した。
 もしこの時、彼等に何らかの理由を与えれば、日蓮正宗はただちに他の宗派(身延派)に合併させられ、軍部及び身延派の支配下に置かれたであろう。
 信ずる宗教の異なる陸氏には判らないことかもしれないが、これは大変なことなのである。
 例は適当とはいえないが、イスラム教徒がキリスト教徒にメッカのカーバ神殿を占領され、カソリック教徒がヴァチカン宮殿を異教徒に占領されるようなものだといえば、多少判ってもらえるかもしれない。
 しかも、「偶像崇拝」を極度に嫌うイスラム教やキリスト教ならば、具体的な信仰の対象(本尊)がないのであるから、聖地が汚されただけのことであるかもしれない。しかし、日蓮正宗には具体的な「根本的尊崇」の「法体」が存するのである。すなわち、本門戒壇の大御本尊である。また、御法主上人には、宗祖日蓮大聖人よりお一人だけに伝えられた、教義的秘伝が伝わっているのである。したがって、御法主上人に投獄・獄死の事態が起これば、日蓮正宗にたとえ大勢の信徒・僧侶がいたとしても、その宗教生命は、そこで断絶してしまうのである。
 この至上の「法」を、軍部や身延派から守るために、やむなく行なった妥協が、「神札」を受けることであった。決して軍部におもねったのでもなく、国家神道に賛同して喜んで受けたのでもない。一身を捨てることは大変なことかもしれないが、「法」を守ることは、それ以上の大事である。
 日蓮大聖人の平和思想が、世界の人々がみなこの御本尊を信仰することによって達成できると信じている日蓮正宗僧侶が、大御本尊と御法主上人を守るためにとった行動であるから、戦争協力などという非難には、当惑せざるをえないのである。
 しかも、前御法主日達上人は、「軍部が神札を祀れという問題ね、あれは十二年のころ、兵庫県芦屋在の精道村の神主が、日蓮宗の本尊に天照太神を下の方に小さく書いてあるのは、不敬罪だと告訴したことに始るんです。
 法華本門宗の三好という僧侶がやはり本尊問題から不敬罪に問われて、当局にあげられましてね、これから神棚問題が起きてきました。勝劣派でも神棚を祀らないと反抗しましたから、いじめられたようですね。
 それから間もなく政府から日蓮宗全体に『天照太神をしたためてある理由』の解釈を要求してきました。これには各派が非常に困ったらしいですよ。正宗では堀米猊下がこの会に出席されたんですが、本宗の立場から堂々とのべられました。
 このとき、宗門としても神札を祀るなんてことはできないからね、一応うけるだけうけ取って、住職の部屋のすみでも置いておこうという話になったわけです。」と仰せである。
 また日達上人は「昭和十八年の、戦争がいよいよ盛んになった時に、国で(大石寺大書院を)借り上げてしまった。国に借りられてしまったわけです。その時にその書院を『中部勤労訓練所』ということにされてしまったのでございます。(中略)その時に所長である上中甲堂という人が、書院の上段の間へ天照大神のお札を祭ったんです。
 それに対して、こちらは再三異義を申し立てたんですけれども、しかし国家でやる仕事である、国の仕事であるから、いくらこちらで何を言っても、それは及びもしない。なんとも仕方がないから、そうなってしまったのであります。(中略)別に我々がその天照大神のお札を拝んだことなどありもしない。また、実際その中(戦時中国に借り上げられていた大石寺の大書院)へ入って見たこともない。入れてくれもしない。まあ借家同然で、借家として貸したんだから向うの権利である。そういうような状態であって、決して我々が天照大神のお札を祭ったとか、拝んだとかということは、事実無根であります。」
とも述べられている。すなわち、日蓮正宗僧侶が、好んで「神札」を受け取ったわけでもなく、また実際に「神札」を祀ることもなかった。軍部に従っているように見せて、実質的には無視したのである。
 陸氏の引用されている「神社参拝」の件も、お判りになるように、文部省が各宗教団体に通達してきた布告を、そのまま掲載したものである。宗務院のコメントとして、この通り忠実に実行せよとの言葉はあるが、これも政府の指示によるものであろう。
 実際問題として、日蓮正宗の僧侶は、日蓮大聖人よりの伝統として、神社参詣はしないのが教義であるから、このような通達によっても、実行はなされなかったであろう。消極的な日蓮正宗僧侶より先に、積極的な在郷軍人会や、市町村・隣組等の自治組織、学校その他の教育機関において、すでに強制実施されていたはずである。
 結論として日蓮正宗の戦争加担は、国民一般の感覚以上に突出していたとはいえない。また、一切衆生救済の根本尊崇の大御本尊と、一切衆生の信仰を正しくするために、日蓮大聖人から伝えられた教義の秘伝を軍部の圧政と日蓮宗身延派等の野望によって破壊侵害されないために、表面上国策に従い、実際にはそれを無効にしたのである。
 さらには、御本尊を護ることが、究極的に人類の幸福・世界平和のためであると信じての行動であった。また、現時点の我々から見てもやむないことであったし、その時においての適切な行動であったと信ずるのである。
 抵抗活動は強硬であることが、必ずしも最善ではないであろう。


5.戦後の反省

 戦後において、日蓮正宗の僧侶から戦争責任に関する、反省の意見が、これといってないようにみえるかもしれない。しかし、現御法主日顕上人猊下は、日蓮正宗の勤行の根本である「丑寅勤行」(午前2時30分より始まる)において、毎日、世界平和を御祈念あそばされておられるのである。
 また、日蓮正宗の勤行の第4座では、戦前「天皇陛下護持妙法一天四海本因妙広宣流布」云々と御観念していたが、戦後、「天皇陛下護持妙法」を削除して、「一天四海本因妙広宣流布」云々だけに変更された。この「一天四海本因妙広宣流布」とは、「世界中の人々がみな正しい宗教を持って幸せになれますように」との、「究極の平和」を念願する意味である。
 日蓮正宗僧侶は、世俗的な活動・アピールこそ行なわないが、僧侶の本分に立って、心の底から世界平和を願っているのである。
 さらに、私達は、戦死した人々を回向供養することによって、再びこのようなことの起きないよう祈念しているのである。金銭を浪費して、世界に自分の名前を売り込むよりも、信仰者の本分において、地道に人類の幸福と平和を祈っていきたいと考えるものである。


6.創価学会と「反戦」運動

 次に、陸氏は「戦争責任」問題について、日蓮正宗と創価学会の対比において論じられているので、創価学会側についても論じなければ片手落ちであろう。
 創価学会は、牧口・戸田両氏の入獄を「反戦活動」によるものと主張しているが、両会長の受難は「反戦活動」によるのではなく、まさに「宗教上の理由」によるものである。
 その宗教上の信念と受難に対して、日蓮正宗僧侶は、宗教上尊敬してやまないのであるが、これを「反戦」といわれると不思議に感ずるのである。


7.牧口会長と戦争

 牧口氏は、昭和17年12月31日発行の『大善生活実証録』(創価教育学会第5回総会報告)の座談会において、神社問題を取り上げて、「この問題は将来も起ることと思ふから、此際明確にして置きたい。吾々は日本国民として無条件で敬神崇祖をしてゐる。しかし解釈が異るのである。神社は感謝の対象であつて、祈願の対象ではない。吾々が靖国神社へ参拝するのは『よくぞ国家の為に働いて下さつた、有難うございます』といふお礼、感謝の心を現はすのであつて、御利益をお与へ下さいといふ祈願ではない。もし、『あゝして下さい、こうして下さい』と靖国神社へ祈願する人があれば、それは恩を受けた人に金を借りに行くやうなもので、こんな間違つた話はない。天照大神に対し奉つても同様で、心から感謝し奉るのである。独り天照大神ばかりにあらせられず、神武以来御代々の天皇様にも、感謝奉つてゐるのである。万世一系の御皇室は一元的であって 今上陛下こそ現人神であらせられる。即ち 天照大神を初め奉り、御代々の御稜威は現人神であらせられる 今上陛下に凝集されてゐる のである。されば吾々は神聖にして犯すべからずとある 『天皇』を最上と思念し奉るものであつて、昭和の時代には 天皇に帰一奉るのが国民の至誠だと信ずる。『義は君臣、情は父子』と仰せられてゐるやうに、吾々国民は常に天皇の御稜威の中にあるのである。恐れ多いことであるが、十善の徳をお積み遊ばされて、天皇の御位におつき遊されると、陛下も憲法に従ひ遊ばすのである。即ち人法一致によって現人神とならせられるのであって、吾々国民は国法に従つて天皇に帰一奉るのが、純忠だと信ずる。天照大神のお札をお祭りするとかの問題は万世一系の天皇を二元的に考へ奉る結果であつて、吾々は現人神であらせられる天皇に帰一奉ることによつて、ほんとうに敬神崇祖することが出来ると確信するのである。またこれが最も本質的な正しい国民の道だと信ずる次第である云々。」
と述べている。創価教育学会第五回総会では、続いて某氏の軍歌独唱があり、西川理事の閉会の辞があった。西川氏は、その中で、「いまや、皇国日本か北はアリューシャン群島方面より遥かに太平洋の真中を貫き、南はソロモン群島附近にまで及び、更に南洋諸島を経て、西は印度洋からビルマ支那大陸に、将又蒙彊満州に至るの広大な戦域に亘り、赫々たる戦果を挙げ、真に聖戦の目的を完遂せんとして老若男女を問はず、第一線に立つ者も、銃後に在る者も、いまは恐らくが戦場精神によつて一丸となり、只管に目的達成に邁進しつゝあることは、すでに皆様熟知されるところである。」
等と述べている。
 このほか、『大善生活実証録』には、これに類した発言が随所にある。
 これらの言葉から、牧口氏をはじめ創価学会が「反戦団体」で、太平洋戦争に反対し、東南アジア侵略を非難していたとは考えられない。
 また、牧口氏は、獄中より家族に送った書簡に、「洋三戦死ノ御文、(中略)病死ニアラズ、君国ノタメノ戦死ダケ名誉トアキラメテ唯ダ冥福ヲ祈ル信仰ガ、一バン大切デスヨ」等と記している。
 この書簡は、獄中からのもので検閲もあり、通常の牧口氏の気持ちと同じだというのは残酷であろう。しかし、いえることは、牧口氏もやはり当時の一般的日本人と同様の感覚で戦争を捉え、帝国拡張主義に同意していたことである。
 牧口氏は日蓮正宗の信仰を第一として、「神札」を祭ってはいけないというのである。これは、日蓮正宗の信仰者として、私達の尊敬できる点であって、究極的平和のためには、単なる「反戦活動」より、ずっと大きく評価すべきことと考えるのである。
 私達にしてみれば、牧口氏が靖国神社参詣に肯定的であったことは、今回、はじめて知ったことで、まことに衝撃的なことであった。
 牧口氏の国家神道観によれば、「天皇(現人神)」に天照大神以来の神が、全て集約しているという一元論に立脚して、神棚・神札を受持しなかったということである。ただし、牧口氏のこの意見は、日蓮正宗の教義として、正しいとはいえない。たとえ「感謝」の気持ちにしても、「靖国神社参詣」は教義違反である。
 また、「天皇陛下は『現人神』であり、天照大神以来の神が集約している。したがって、天皇を崇拝することが『天照大神』尊崇にあたる」との意見も正しくない。日蓮大聖人の教えにおいては、天皇を「現人神」と考えない。天照大神は天皇家の祖先であり、ひいては日本民族の祖先の代表としての「神」と見做すのである。日蓮大聖人の御本尊の中に、「天照大神」が認められている意味の一つはここにある。
 このように記すと、陸氏等の心に不安がよぎるかもしれないが、大御本尊の中には仏教創始の国インドの神である梵天(ブラーフマナ)・帝釈(インドラ)も認められているのである。
 一応、インドと日本の「神」を代表にしているが、世界全民族の「神」も納められるのが本意である。
  日蓮大聖人の御本尊(大曼荼羅)のお姿については、御書 (教義書)に「されば首題の五字は中央にかかり(中略)加之日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神・総じて大小の神祇等・体の神つらなる・其の余の用の神豈もるべきや(中略)此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり」
と仰せである。世界全民族のみならず、世界の生命あるもの全てが、「妙法」すなわち最高・最勝の宗教によって、みな幸福になり、本来の生命を活かして平和に生きる姿が、大曼荼羅の顕わす意味あいである。すなわち、私達の目指す究極的平和の姿である。
 したがって、牧口氏の「現人神天皇」一元的神祇観は、日蓮正宗伝統の教義ではないことを注記しておく。
 牧口氏は、あくまで自身の宗教的信念から、「神札拒否」を貫いて入獄したのであることを確認しておきたい。


8.戸田会長の「反戦」感覚

 次に、創価学会2代会長戸田城聖氏であるが、戸田氏には昭和18年頃出されたと思われる「通諜」と称する文書がある。
「    創価教育学会各理事
               殿
          各支部長
             理事長   戸 田 城 外
    通 諜
時局下、決戦体制の秋、創価教育学会には益々尽忠報国の念を強め会員一同各職域に於いてその誠心を致し信心を強固に□□米英打倒の日まで戦い抜かんことを切望す。依つて各支部長は信心折伏について各会員に重ねて左の各項により此の精神を徹底せしめんことを望む。
一 毎朝天拝(初座)に於いて御本山の御指示通り皇祖天照大神皇宗神武天皇肇国以来御代々の鴻恩を謝し奉り敬神の誠を致し国運の隆昌武運長久を祈願すべきことを強調指導すべきこと。
一 学会の精神たる天皇中心主義の原理を会得し、誤りなき指導をなすこと。
一 感情及利害を伴へる折伏はなさざること。
一 創価教育学会の指導は生活法学の指導たることを忘る可からざること。
一 皇大神宮の御札は粗末に取り扱はざる様敬神崇祖の念とこれを混同して、不敬の取り扱いなき様充分注意すること。

  六月廿五日                  」
 この「通諜」は、牧口・戸田両氏をはじめ創価学会幹部が、総本山に呼ばれて「神札を配ってきたならば受け取っておくように、すでに神札を祀っているのは無理に取らせぬこと、御寺でも一応受け取っているから、学会でもそのように指導するようにせよ」といわれたという、昭和18年の文書ではないかと思われる。
 戸田氏の苦衷も察するに余りある。大御本尊を他宗派の管理下におきたてまつる危険を避けるため、また御法主上人の投獄による血脈断絶に至らしめないため、さらに一般会員を守るために、やむなく出した文書であろう。
 この文書について、創価学会は「偽作文書」だというのである。その理由は、「某寺の若い住職がこの文書を取り上げて、『戸田氏の自筆だ』といった。しかし、この文書は戸田氏の自筆ではない。したがって、この文書は偽物である」との三段論法である。
 同文書のコピーを添付しておくので、真偽の判断は御自分でされるとよいが、謄写版刷りの文書であるので、戸田氏自身が書いたかどうか不明である。しかし、戸田氏が他人にガリ版を切らせても偽物とはいえない。「教育学会」を名乗り、事実、教師が多かった創価教育学会には、ガリ版切りの名人が相当いたであろう。


9.戦後の戸田会長の「反戦」

 戸田氏は、この後、牧口氏とともに入獄し、昭和20年7月に出獄したのである。その入獄の理由も、牧口氏と同様、宗教的信念によるものであることは、いうまでもない。
 終戦近くまで牢獄にいた戸田氏には、「通諜」以外にこれといった発言がないので、戦争に対する考え方は判らない。
 戦後の昭和32年9月8日、横浜において、「原子爆弾を使用するものは死刑にすべきだ」(取意)との戸田氏の発言があるが、これが創価学会の反戦団体と主張する元となっているようである。
 もちろん「原水爆禁止」は、世界の民衆の声であって(死刑の是非はさておいて)、私達も大賛成であるが、戸田氏の反戦的発言は、これ以外に見当たらない。
 むしろ、昭和20・30年代の創価学会は、常に軍歌の替え歌(学会歌)を歌って士気を鼓舞した団体であり、青年部も○○部隊の名称を用いて活動していた。したがって、軍国主義に敏感であった当時の世間からは、軍国主義的団体・好戦的団体と、奇異の目で見られていたのである。
 終戦の余燼いまださめやらぬこの時代に、平気で軍国主義を連想させるような歌を歌うのであるから、軍国主義や東南アジアの人々に対する反省の気持ちはないといってよいであろう。まさか、「自分は投獄されたから軍国主義に責任はない、したがって軍歌を歌ってもかまわない」などという理由付けをするはずもないだろうから。
 つまり、戸田氏は「法華経の故に」難に遭ったのであって、平和運動や反戦運動が原因ではない。また、難に遭った戸田氏自身が、戦後(昭和26年)日蓮正宗の僧侶について、「わずか小勢百数十人の僧侶が、愚僧、悪僧、邪僧充満の悪世に、よくたえるもので、大聖人の『ご出世のご本懐』たる弘安二年十月十二日ご出現の一閻浮提総与の大御本尊を守護したてまつって、七百年間、チリもつけず、敵にもわたさず、みなみな一同、代々不惜身命の心がけで、一瞬も身に心に心身一つに、御本尊を離れずに、今日にいたったのである。(中略)この上に、大聖人のご教義は、深淵にして、厳(広)博であって、愚侶の伝えうべきことではないのに、賢聖時に応じてご出現あらせられ、ということは、仏法───真実の仏法哲学を滅しないことであり、実に偉大なる功績ではないか。
 以上、この二つのご功績は、これ日蓮正宗僧侶の大功績と称えなくてはならない。」
と、戦時中の日蓮正宗僧侶の行動を全く非難していない。この後、「神札問題」等に関して多少宗門批判的言辞はあるものの、創価学会の活動自体全く日蓮正宗の教義に依存し、総本山大石寺に参詣することによって、信徒の幸福を願ってきたのである。したがって、戸田氏から見ても、僧侶の行動が非難に当たらないことを証明しているのである。「七百年間、チリもつけず、敵にもわたさず(乃至)なんら損するなく、なんら加うるなく、今日まで清純に、そのままに伝えられた」等の言葉を、よく考えてほしいのである。
 さらに、戦前の創価教育学会は、海軍大将野間口兼雄氏を顧問の一人に戴いていた団体である。このことからも、「反戦活動」が方針であったとは、とても思えないのである。むしろ、創価学会が、なぜ今になってから、牧口氏・戸田氏が反戦であった、創価教育学会が「反戦団体」であったと、歴史を塗り替えたいのかが問題となろう。


10.池田名誉会長の反戦活動

 では、第3代会長、現名誉会長の池田大作氏はどうであろうか。池田氏が、なぜ戦争に行かなかったのかはよく知らないが、当時、反戦を強く叫んでいたなどという話も聞いていない。軍隊まがいの当時の創価学会組織において、部隊長や参謀を務めたのは周知の事実であるが、戦争に対して反省の心があれば、戸田氏に別の形の組織をつくるように、進言もできたのではないか。
 また、現創価学会の最高指導会議議長和泉覚氏は、戦時中、憲兵であったと聞き及んでいるが、戦後常に創価学会の中枢の地位にいた和泉氏の口から、戦争に対する反省や、東南アジアへの侵略に対する反省の言葉を聞いた憶えがない。なぜであろうか。


11.近年の平和運動

 それはさておき、近年の池田氏の「平和」運動が、かなり多くの人の評価を得ているとの記事が、『聖教新聞』にしばしば掲載されている。それならばそれで結構なことである。私達も、今まで「平和運動」についての記事を読んで、陰ながら賛同してきたのである。
 ただ、池田氏の「平和」論が、私達の目的とする「究極的平和」、すなわち「宗教的平和」と異なり、「妥協的・社会的平和」にしか過ぎないことに違和感はあったのである。しかし、これも現実的にまず休戦し、互いの殺戮を止めてから、正しい宗教による究極の平和を目指すものと、好意的に解釈してきたのである。


12.創価学会の体質と反戦平和

 しかるに、今回の問題が起こってからの創価学会は、言論・腕力・経済封鎖など、ありとあらゆる暴力をもって、宗門いじめに没頭し、はじめは(今でも創価学会員に対しては同じである)「人権」などといっておきながら、他人(僧侶)に対しては、平気で人権無視を行なっているのである。
 個人名を出して、僧侶が「堕落」しているという実例を挙げ(多く事実無根・歪曲である)、寺院に参詣したい人を実力で阻止し、執拗な「説得」で信徒を嫌がらせ、寺院においての法要・供養が根拠のないものである(多く教義・歴史の歪曲)等と、『聖教新聞』等に大々的に掲載し、私達が最も大切にしている総本山の行事まで撹乱したのである。
 最近になっては、約300人で寺院の法要に押し入り、住職や参詣信徒に暴力行為を働いて重傷を負わせるなど、本当に宗教団体のやることかと、宗門のみならず一般世間からも顰蹙を買っているのである。
 しかも、なおかつ、事実を「捏造」であるといい張るのである。どんなに否定しようとも、学会の青年部が300人位で押し掛け、住職や法華講信徒を取り囲んで、もみくちゃにしたことは最低限の事実である。このような状態で、何が起こるかは、およそ見当がつくであろう。何もしていないといっても、通用する話ではない。
 自分の「人権」のみを主張して、他人の人権を無視する。意見が違う人には、大勢での暴力行為も辞さない。情報は一方的に流して、会員が他の情報に接するのを防止する。もちろん、人の意見には耳を貸さない。他人を尾行してスキャンダル(本当かどうかも不明)を暴露し、寺院に参詣しようとする人を、青年部が門前で追い返す。もし寺院に参詣したことが判れば、その人は幹部の執拗な訪問を受けて、脅迫まがいの言葉で二度と寺院に行かないように「説得」される。陸氏等は信じられないであろうが、私達も信じられない状態である。しかし、これが創価学会の実像なのである。
 このような体質の人達のいう「平和」とは、どのようなものだろうか。このような感覚の下での「民主主義」は、どのようなものになるであろうか。このような人達と、「仲よく」するためにはどうすればよいだろうか。
 いま私達は、池田名誉会長が「反戦平和主義者」であることに、大きな疑問を持つに至ったのである。
 私達の目には、最近の池田氏の行動が、かのイラクのフセイン大統領の姿と、二重写しになって仕方がないのである。「民衆」に媚びて、「人気」を盛り上げる一方、他国が弱いとなると、遠慮会釈なく攻め込む。反対勢力を防止するために、親衛隊を使って脅し、陥れ、抹殺も平気で行なう。国内で自分の立場が批判されそうになれば、他国に責任を転嫁して、「民衆」の注目をそらす。このように「民衆」を操り、欺いて、自分の意志のままに、全ての物事を運んでいく。まことに巧みであるが、まことに恐ろしいことである。
 これでは、私達も池田氏の「反戦平和」に賛同するわけにはいかない。他国の人達にこのような「民主主義」を輸出するわけにはいかないのである。
 願わくは、「現人神」池田大作皇帝陛下の権力の下での「世界平和・民主主義」が、達成されないよう祈るばかりである。悪い冗談と思われるかもしれないが、試しに創価学会員に、このことを尋ねられるとよいであろう。もし否定したときは、そのことを憶えていてほしい。もし否定をしなかったら? 考えるだけでもゾッとするのである。


13.正しい事実の確認を

 陸氏も、私達のいうことが信用できなければ、来日してでもぜひ現実を見ていただきたい。それが無理ならば、信用のおける日本のジャーナリストに「真実はどうか」と、尋ねてほしいのである。もし、『聖教新聞』しか信用ができないのであれば、もう何もいうことはない。私達は、陸氏がその程度の人であると判断するだけである。


   おわりに  

 戦争責任・戦争加担を考えることは、まことに大事なことである。日本国民に反省が足りないといわれることには、異論もある人もいようが、東南アジア諸国の戦争の傷跡と現実を見れば、確かにお詫びが足りないといわれても、仕方がないであろう。また、今後、決して戦争に至らぬように、人間同士が傷つけあうことのないように、誓っていくのは当然である。
 いま、創価学会が反戦平和運動に努力するのもよいことである。しかし、太平洋戦争中から創価教育学会が反戦団体であったとか、牧口・戸田両会長が軍国主義に抵抗して入獄したということは事実ではない。権力に抵抗したことは事実でも、あくまでも宗教的信念によってである。
 現在、創価学会が何を目的として、このような作りごとをするのか判らないが、都合が悪くなると過去の歴史を書き換えるのは正しいことだと思えない。過去は過去として正直に反省し、未来に誓いを立てることが何よりも肝心なことである。戦争責任の反省、反戦・平和主義というのは、そこに根本があるのではないだろうか。
 不正直・暴力・人権抑圧の中には、民主主義も平和もありえない。互いの人格の向上を目指さない口先だけの平和主義は、湾岸戦争のように、停戦と同時にまた次の抗争が始まるのであって、結局何の解決にもならないであろう。まして、平和を唱える本人が不正直であっては、いつまで経っても真の世界平和は実現しないであろう。
 陸氏には、ぜひ公正公平な感想を、今一度発表していただきたいものである。

                        以  上


時局協議会シリーズ  平成3年(1991年~)



中野毅氏の「檀家制度の形成とその影響」を破す 

1991-05-09 | 時局資料

  『聖教新聞』(平成3年3月29日付)に掲載された

   中野毅氏の「檀家制度の形成とその影響」を破す 

              時局協議会文書作成班3班  

 血脈付法の御法主上人への師弟相対の筋目を外したならば、たとえ本仏日蓮大聖人直筆の御本尊に向かって題目を唱えようとも、その題目に功徳はない。このことは、『生死一大事血脈抄』に、
「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」
と説かれるとおり、日蓮正宗における信仰上の最低限の基本である。また、この基本は、当然、本宗における化法・化儀の一切に及ぶものであるから、本宗の化法・化儀について述べる場合、必ず血脈付法の御法主上人の御指南を拝した上でなされなければならない。
 そこで、中野氏に伺いたい。氏の所論は、日蓮正宗の化法・化儀に関わることであるが、その所論は、御当代日顕上人猊下の御指南を拝し、御認可をいただいた上でのものであろうか。もし、そうでないとするならば、中野氏の所論は、全くの己義であると断ぜざるをえない。
 以下、中野氏の僻説をはじめに総合的に破し、次にその所論に沿って個別に破すこととする。総合的に見た場合、その所論が、一には仏法破壊の己義であること、二には中野氏の己義は邪説であること、の2点が挙げられる。


1、仏法破壊の己義

 信仰の筋目は、本宗の信仰にとって、実に重要なことである。その筋目とは何か。結論からいえば、「師弟の筋目」である。すなわち、我々の信仰は、血脈付法の御法主上人を通じて、はじめて大聖人の仏法の極意に至ることができるのである。代々の御法主上人を飛び越した、「大聖人直結」などということは異説であり、僧俗ともに絶対にいってはならない邪義なのである。
 宗祖大聖人は、『一大聖教大意』に、
「此の経は相伝に有らざれば知り難し」
と仰せである。宗祖日蓮大聖人の法義は、相伝を受けられた代々の御法主上人の御指南に基づいてこそ、はじめて会得することができるのである。すなわち、代々の御法主上人は、『御本尊七箇之相承』に、
「日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事如何。師の曰わく、深秘なり、代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」
と明示されているとおり、その時々における本仏大聖人という意義にまします方だからである。したがって、大聖人の法義・法体を、そのまま御所持あそばされる代々の御法主上人への信こそ、まことに重要なのである。
 これは、何も氏のいうような、江戸時代に制定されたものではない。大聖人直々の御教示であり、大聖人以来の当宗の信仰の根幹なのである。それは、『百六箇抄』に、
「就中六人の遺弟を定むる表事は、先先に沙汰するが如し云云。但し直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以って総貫首と為して、日蓮が正義を悉く以って毛頭程も之れを残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首巳下並びに末弟等異論なく尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興嫡嫡付法の上人を以つて総貫首と仰ぐべきものなり」
と、「日興嫡嫡付法の上人」をもって師となし、信仰の筋道を正すべきことを御教示されていることからも明らかである。
 筋目とは、御本尊の功徳を我が身に顕わす上で、決して踏み外してはならない筋道の順序次第のことである。この筋目を外し、御法主上人の御指南を離れて述べる所論は、己の義にして邪義なのである。日蓮正宗の化法・化儀を述べるに際し、最も重要なことは、時の御法主上人の御指南を通して宗祖大聖人に至るという、「師弟の筋目」を正すことである。故に、日有上人は、『化儀抄』に、
「一、手続の師匠の所は、三世の諸仏高祖已来代代上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能く能く取り定めて信を取るべし、又我が弟子も此くの如く我に信を取るべし、此の時は何れも妙法蓮華経の色心にして全く一仏なり、是れを即身成仏と云うなり云云」
と、大聖人以来もぬけられたる手続の師を離れたならば、即身成仏が遂げられないことを明示され、門下僧俗に対して、重々御制誡されているのである。「我に信を取るべし」の「我」とは血脈相承の師、日有上人のことである。故に、また日亨上人は、『化儀抄註解』に、
「『師匠の所を能々取り定めて信を取るべし』と仰せなるは、千古の金言として仰ぐべき事なり、『又我弟子も此の如く我に信を取るべし』とは三世の諸仏も高祖も開山も三祖も導師も行師も・各各其師範より法水を受けて信心を獲得決定し給ふ如く・有師も影師に依りて信を取り給へば・有師の弟子たらん者は・此の如く我にと即有師に信頼して信心決定すべしとなり、『此時は何も妙法蓮華経の色心にして全く一仏なり』等とは・信の手続きに依りて師弟不二の妙理を顕はし・能所一体の妙義を証するを以つて本仏所証の妙法蓮華の色心は即所化の弟子の色心となるが故に・生仏一如師弟不二の即身成仏の域に達する事を得、是れ葢し信の手続によりて生する所のものなり」
と明解に註釈されているのである。日蓮正宗の僧俗にとって、この「師弟の筋目」、すなわち御法主上人に信を取ることこそ、大聖人に至る筋道であり、我が身に功徳を得る道であると、拝信しなければならない。
 以上の、大聖人以来の本宗伝統の根本法義より拝するとき、中野氏の説が、ためにする己義・邪説であることは明白である。まず、何よりも、大聖人の法義に違背していることが挙げられる。更に、その師弟の筋目を違える己義は、血脈付法の御法主上人に対する冒涜の邪説でもある。
 この、本宗根幹の正義を踏まえた上で、更に言及しなければならないことは、化儀・法義の決定も、時の御法主上人の大権であるということの無知についてである。
 中野氏に限らず、最近の創価学会首脳の、新思考に基づく偽教義の展開の中には、「大聖人時代には」云云といういい回しの、錯覚した大聖人直結の邪義がある。これは、大聖人の法義・法体の全てを継承遊ばされたお立場から、時の御法主上人が心血を注ぎ、時代に応じて展開された化法・化儀を、学会運営の都合の上から否定し、冒涜するものである。それは、学会首脳が、血脈付法の御法主上人を、単に御本尊書写係としてしか捉えることができないところにあるといえる。
 『四恩抄』に、
「次に僧の恩をいはば仏宝法宝は必ず僧によりて住す」
と仰せのように、本因下種の三宝の法義・法体は、唯授一人の血脈相承をもって久住されるのである。故に、また『本因妙抄』には、
「此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書・塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり」
と、代々の御法主上人が立てる化儀・法義は、血脈相承に基づく大聖人の御心そのままの立義であることを示されているのである。故に、『日蓮正宗略解』には、本宗の信仰の法体と血脈相承を、
「大聖人はこの三大秘法の法体とともに、法華経本門の文底にひそむ法義のすべてを、数多の弟子のなかから、ひとり日興上人を選んで相承された。父から子へ血統が伝わるように、大聖人の宗旨の深義は口伝により、筆受によって、常随給仕の間に凝りなく日興上人の伝承されたのである。故にこれを血脈相承という。」
と解説し、また、
「ゆえに、本宗においては法主上人のみ、唯一人本尊を書写する大権を持たれている。この血脈相承によってこそ、一切衆生即身成仏の大法が正しく保持されて来たのであり、ここに日蓮正宗の存する所以がある。」
と、本宗根幹の大事を記されているのである。代々の御法主上人は、血脈相承によって宗祖大聖人の法義・法体の全てを継承されているために、ただ御一人、御本尊書写の権能を有されるのである。すなわち、代々の御法主上人が相承された大聖人の血脈には、御本尊書写の権能のみならず、難解な大聖人の化法・化儀を、時代に即応して敷衍される大権をも含むのである。この大聖人の法義よりするならば、中野氏及び学会首脳の都合による己義・新義は、まさに大聖人の仏法からの逸脱であり、その破壊行為と断ずるものである。


2、中野氏の己義は偽説

 前に記したように、日蓮正宗の根幹は、「師弟の筋目」に基づく信仰である。これは、大聖人自らが立てられた絶対不変の掟である。この「手続の筋目」に基づいて、大聖人が形成せしめられたのが、時の御法主上人を師とする師弟子の法門であり、本宗の本末関係である。それにもかかわらず、中野氏は、これを「檀家制度の形成とその影響」であるといい、「江戸時代以来の封建的宗教観の見直しを」、更に「残念なことに現在、あらわになった宗門の態度には、そして私たちの考え方のなかにも、この封建的な体制によって生み出された考え方、意識がきわめて色濃く反映されているし、いまだに残っていると言わざるを得ません」として、大聖人の教示に基づくものではなく、江戸期の幕府政策の落とし子であると主張しているのである。ここに、中野氏の邪説たる所以が明らかである。 他宗における檀家制度はともかくとして、本宗においては、氏の説は全く当てはまらない。
 時の御法主上人を師とする師弟子の法門、師弟子を正して成仏を遂げるという法義は、江戸期に形成されたものではない。宗祖大聖人の御制定である。このことは前項で引用した大聖人御自身の、「相伝に有らざれば知り難し」、「信心の血脈なくんば(乃至)無益なり」等の御教示にも明らかである。故に、日興上人は、
「しでしだにもちがい候へば、おなじほくゑをたもちまいらせて候へども、むげんぢごくにおち候也」
と示され、後の門下に対しても『遺誡置文』に、
「一、当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して」
と、師伝の要を示され、師弟子を正して成仏を遂げるという、本宗の法軌を強調されているのである。この師とは、時の御法主上人であることは、前項に重々述べたところである。この大聖人、日興上人の御教示が、果たして江戸期のものであるといえようか。
 これが、なぜ中野氏の所論のように、
「このように江戸時代に本山を中心とし、その管理者たる貫主(かんず)を頂点とする宗教制度が作られて、寺院は役所と化し、民衆は寺院の統制の下におかれてしまいました。信徒の上に君臨する権威的な僧侶や寺院の体質が、こうして生まれたのです。」
と、歪曲されるのだろうか。全くの邪説といえよう。
 次に、本宗の本末関係について述べれば、これも先に示すように、本宗根幹の「師弟の筋道」より生じたものであって、大聖人以来のものである。江戸期の形成では断じてない。中野氏は、本宗には江戸期以前に本寺も末寺も存在せず、その本末関係もなかったといいたいのであろうか。師弟子を正して成仏を遂げるという大聖人の仏法に対して、一分でも信があるならば、中野氏のような所論は、到底できない主張である。大聖人は、『新池御書』に、
「後世を願はん者は名利名聞を捨てて何に賤しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬ふべし、是れ正く経文なり」
と、法華経を正しく説く僧に、信を取る大事を示されている。大聖人の滅後にあって、僧宝とは別して日興上人、総じて血脈付法の御歴代上人であることは、本宗の宗是である。すなわち、仏宝と法宝たる人法一箇の戒壇の大御本尊、並びに僧宝たる日興上人以来の代々の御法主上人のまします処、それが本山であり、信仰の大本なのである。この大本に、「師弟の筋目」を違えずに連なる寺院、これが末寺である。宗祖大聖人の御在世当時より、大聖人が住する処、大聖人の魂魄まします処を真の霊山浄土と称し、本寺としていた事実を何と拝するのか。また、日興上人の、
「一、予が後代の徒衆等権実を弁えざる間は父母師匠の恩を振り捨て出離証道の為に本寺に詣で学文す可き事」
との御遺誡は、地方末寺に住する末弟等に対して、出離証道のために、父母師匠のもとより離れて総本山に登り、血脈付法の本師より大聖人の法義を学ぶことを示された明文である。なぜ、大聖人、日興上人の上古に、本末関係がなかったとすることができよう。
 日興上人は更に、
「右の条目大略此くの如し、万年救護の為に二十六箇条を置く後代の学侶敢て疑惑を生ずる事勿れ、此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有る可からず、仍つて定むる所の条条件の如し」
と結ばれ、この箇条を破る者は「日興が末流に有る可からず」とまで、厳しく誡められているのである。
 中野氏は、どうしてこの大聖人、日興上人の定められた本末関係を見ることができないのであろうか。しかも、
「一、まず一六〇一年から三十四通におよぶ『諸寺院法度』が発布されます。この法度により、諸宗に本山と末寺の上下関係を明確にさせ、本山が下部の諸寺院の住職の任免権をもつなど、一切の権限が、本山に集中する体制を作らせました。本寺-末寺体制の確立です。」
と述べ、それを本宗に当てはめるのであろうか。学会の都合のために、助教授などという権威ぶった肩書を振り回して、返って「当世の習いそこないの学者」として、世間に恥を曝しているだけである。
 この他、中野氏の所論の1601年から、遡ること約200年、1402年出生の日有上人の『化儀抄』にも、大聖人、日興上人以来の本末関係を条文化されていることは明らかである。この点でも、氏の所説は邪説であることが明らかであろう。
 その上、先の日興上人の『遺誡置文』の結びにも明らかなように、仏法上の筋目である以上、厳格であってしかるべき本宗伝統の本末関係を、「封建的宗教観」と太字で見出しに大書するに至っては、笑止の極みである。
 日興上人は、「本寺に詣で学文すべき事」と示す条文に従わない者に対して、「日興が末流に有る可からず」とまで厳格に誡められている。このように、師弟子・本末の上下関係は、仏法上の法軌なのである。『佐渡御書』に、
「日蓮御房は師匠にておはせども余りにこはし我等はやはらかに法華経を弘むべしと云んは螢火が日月をわらひ云云」
と、退転者を叱責されているが、中野氏並びに学会首脳のとっている行為は、まさしくこの退転者そのものである。したがって、中野氏等は、その精神において、もはや日蓮正宗の信徒とはいえないのである。


3、本文に沿っての破折

 中野氏は、その所論の中で、
「一、一連の宗門とのやりとりを通して感じることは、宗門に寺院・僧侶中心という考え方がいかに強いかという点です。」
と述べ、あたかも宗門の本末関係、師弟子を正して正義を得るという仏法上の上下関係が、誤りであるように述べているが、これは大いなる僻説である。本末の手続の重要さは、『化儀抄』に重々制誡されるところである。このことは、師弟子と同様、既に述べたところである。人間としての平等は当然として、これをすり替えて、仏法上の上下関係を否定する中野氏の言は、まさに仏法破壊の行為である。『化儀抄』の、
「一、貴賎道俗の差別なく信心の人は妙法蓮華経なる故に何れも同等なり、然れども竹に上下の節の有るがごとく、其の位をば乱せず僧俗の礼儀有るべきか」
との明文を、正しく拝受すべきである。文中の「上下の節」ありとする御文、「位」を乱してはいけないとする御文は、仏法上の上下関係を明示されたものである。
 まして、あえて血脈付法の日興上人や一般僧侶と信徒とを別にすることなく、
「日蓮大聖人は、出家者としての弟子と在家の檀那を『我が一門』と親しく呼ばれ、両者を一体とみられて」
等と述べるに至っては、信仰の筋目をはきちがえた暴論といえよう。先に述べたように、宗門においては、日興上人が、
「このほうもんはしでしを、たゞして、ほとけになるほうもんにて候なり」
と示されたように、時の御法主上人を通じて、大聖人の本義に至るという「師弟の筋目」が肝要なのである。逆にいえば、大聖人より血脈付法の御法主上人、更に門下僧俗へという血脈法水の流れる次第が肝要なのである。すなわち、それは上から下へ、御法主上人から門下僧俗へと蒙らしめるものなのである。
 氏の所論のように、「両者を一体とみられ」という、血脈付法の御法主上人と一般僧侶、並びに信徒が対等であるという説は、一体どこに存在するのか。まして、その仏法の上における「信徒としてあるまじき態度」を、非は非、悪は悪と善導される御法主上人、及び御法主上人の意を体した宗務院の指導が、なぜ「信徒を見下すような姿勢」の根拠になるのであろうか。
「出家者は折伏をやらなくとも葬儀や塔婆供養をしていればよいという教えも慣習も存在していませんでした」
と、御法主上人及び宗門への侮蔑を広言するに至っては、何をかいわんやである。まさに「信徒としてあるまじき態度」以外の、何物でもないと断言せざるをえない。

 また、中野氏は、
「最近の日蓮正宗のように、僧俗の区別を必要以上に厳しく立て分け」
と述べているが、僧俗の区別は、何も最近に始まるものではない。宗祖大聖人以来の信仰の筋目である。これは既に述べたとおりである。だいいち、寺院中心の信仰形態の、どこに間違いがあるというのか。本末・師弟子の筋目は、大聖人の仏法形態の上からも明らかである。大聖人御自身が、久遠寺建立をもって定められた本寺中心の信仰形態に対して、それまでも否定しようとする氏の言にこそ、単独の在家教団設立を目論む底意を感じるのである。それは、まさに大聖人の仏法自体の否定である。

 また、中野氏は、
「葬送儀礼の多くは仏教本来の理念、ましてや、大聖人の仏法とは何の関係もないものだったのです」
と、見てきたかのように述べているが、大聖人御自身の滅不滅の相に対する葬送儀礼の御遷化記録を、どうやって否定するのだろうか。
 更に、問題なのは、本宗にとって、まことに重要な儀式・法要を、「仏教本来の理念でも何でもない」云々と否定するすり替えの論法である。日蓮正宗は、釈尊仏教でも何でもない。日蓮大聖人を本仏と仰ぎ、大聖人御一身の当体たる大御本尊を信仰の根幹とする宗旨である。それ以前の、インドや日本における形態が本義ではないのである。大切なのは、大聖人御自身がどうであられたか、またこの血脈を相承された代々の御法主上人がどう定められたか、という点である。すなわち、血脈の法義・法体に基づいた化義・化法であるか否かということが根本なのである。
 化儀において、全てが大聖人当時と寸分違わぬかと問えば、それは否である。代々の血脈付法の御法主上人が、所持される本因下種の意義の上から心胆を砕かれ、その時々に応じた化儀を展開されてきたのである。逆にいえば、時代に対応する中で、本義を失わないために残された、大聖人の大慈大悲が血脈の法水であるといえよう。
 ただし、絶対に忘失してはならないことは、血脈付法の正師でない者が、勝手に法義を解釈したり、化儀を改変してはならないという点である。これは既に述べたところでもあるが、大聖人の法義・法体の全てを相承されているのが代々の御法主上人である。時代即応といっても、全て御指南に基づくものでなくてはならないのは、むしろ当然のことである。
 大聖人の法義、そして代々の御法主上人の御指南に基づく、縦横無尽の活動こそ、創価学会の誉れであったはずである。この原点に目覚めること、見失わないことを、中野氏に求めるものである。

 宗門は、何も時代即応の「新思考」を否定するものではない。ただし、それが本宗の大事たる「師弟の筋目」を違えたものであってはならない、と指摘するのである。
 中野氏及び創価学会首脳にあっては、現在進められている、単独の在家教団確立への暴走、大聖人の仏法破壊の行為等の非に、一刻も早く気付き、大聖人の仏法の本義に還られんことを望むものである。

  以  上

 


最近の学会における「追善供養の考え方」を破す

1991-05-09 | 時局資料

   最近の学会における「追善供養の考え方」を破す

              時局協議会文書作成班3班  

1.化儀の変更は御法主上人が御裁断

 『聖教新聞』紙上における、前代未聞の不遜な御法主上人批判、宗門僧侶への誹謗・中傷、あるいは世界宗教の名のもとに在家主義に傾く不解・浅識の言論など、これらの記事を平然と掲載できる原因を辿れば、間違いなく池田名誉会長並びに学会首脳の、教義と信仰に対する根本的な誤りへと行き着くのである。
 また、最近では、塔婆供養をはじめとして、本宗の化儀に対する軽視発言が盛んに行なわれ、葬儀・法事などの儀式は、仏教本来のものではないとの、伝統儀式無用論が吹聴されている。これらの化儀軽視、儀式無視の言行は、やがて日蓮正宗の三宝を破壊するという、根本謗法へ行き当たるのである。
 そうした状況を踏まえ、本稿においては、最近の学会における「追善供養の考え方」に対し、その基本的な誤りを糾しておきたい。
 平成3年(1991年)3月20日付『聖教新聞』の7面には、「先祖供養について」と題して、「唱題・弘法こそ追善の根本」「彼岸会は本来、仏教と無関係」「習俗を仏教の本義とみる錯覚が定着」「回向は必ずしも塔婆を要しない」という見出しを掲げて、日本仏教学会会員・小林正博氏に聞くという体裁を装い、問答形式で論じられている。この小林氏の所論について率直にいえば、正宗寺院における化儀・儀式は、重要なものではないという誤った考えを、意図的に読者に植えつけようとしたものである。『聖教新聞』は、本来ならば、正宗信徒の信仰を高めるための機関紙であるから、氏の所論に対する直接的な掲載責任は、氏のみならず学会首脳部にあると判断できる。また、それを裏付けるように、同日付『聖教新聞』の「社説」にも「回向の真義を考える」「自行化他の仏道修行が前提」「追善供養の塔婆は慣習」の見出しのもとに、従来と異なる追善回向についての論説がなされている。
 本宗において、御本尊をはじめ仏法の本義の一切は、唯授一人の御法主上人が御所持あそばすのである。これは、御本仏大聖人の絶対的な御遺誡である。故に、創価学会における今までの教義や指導の展開も、一応は日蓮正宗の教義と三宝を遵守するという大前提のもとに、御法主上人より特別に許されてきたと拝すべきである。したがって、もし御法主上人の御指南により、学会に糾すべき教義や指導があれば、学会首脳がただちにその教義と信仰の誤りを反省し、糾していかなければならないのである。このことは、むしろ当然のことである。
 宗祖大聖人よりの、
「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(『一代聖教大意』)
との御仏誡、また日興上人よりの、
「当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝し」(『日興遺誡置文』)
との御遺誡のままに、血脈付法の御法主上人の御指南を拝してこそ、大聖人の仏法の極理は、僧俗に正しく伝わり、仏法の功徳が具わるのである。
 本宗の葬儀・法事・塔婆供養にしても、衆生にとってみれば、成仏のための大事な化儀である。その化儀の儀式形態を、時代に応じて変更することがあっても、それは血脈を根底とした御法主上人の裁断によるものであるから、そこには何ら問題はない。したがって、このことを謗法の既成宗教教団などと同次元で論じたり、あるいは民衆の多数決という次元などで論じられる問題ではないのである。


2.本宗の化儀は御本尊を根本とした報恩行と折伏行

 小林氏の所論においては、先祖の追善回向の本義に関して、
  「『自身仏にならずしては父母をだにもすくいがたし』と大聖人が仰せのように、自身が御本尊に勤行・唱題し、折伏に励んで、その功徳善根を故人に回向することです。」
  「この成仏の法、正法への強い清らかな信心を教えないでは、」
  「単なる形式、習俗にとどまり、“彼岸の仏教性”はきわめて薄いといわざるをえません。」
と述べているが、その趣旨とするところは、「唱題・弘法こそ“追善”の根本」という見出しに、そのまま表われている。便宜上、氏の一連の文章を、   の文章に区切りながら紹介した。まず、氏の  の見解は、宗門僧侶が常日頃述べていることであり、特に でいう「強い清らかな信心」は説いているのである。したがって、僧侶が  を教えていないことを前提とした の見解は、撤回し破棄されなければならない。
 本宗の化儀における彼岸法要は、単なる形式、習俗にとどまらず、むしろ他宗謗法の彼岸会を破折して、衆生の報恩による真実の追善供養を行じているのである。
 また、あえていうならば、本宗の御本尊を根本とする、四力成就の追善回向の本義に対し、衆生の功徳善根、あるいは衆生の唱題・弘法の一面のみを取り上げ、それを追善供養の根本とするところに、氏の仏法に対する致命的な信心の誤りが隠されているといえる。この氏自身も気がつかないであろう不遜な見解は、平成3年3月20日付『聖教新聞』の「社説」に、次のように論じられている。
  「自分自身が仏道修行することによって得た功徳を他者にさしむけるという回向の意義に照らして、まず自らがしっかり自行化他にわたる仏道修行に励んでいることが回向の大前提となる。自らの修行なくして他に功徳を与えることなど、できる道理はないからである。」
 この論説の何が不遜かといえば、御本尊と、衆生の修行と、その功徳との次第が、全く整理されていないことである。すなわち、御本尊よりも、むしろ衆生が中心となった功徳論に堕しているのである。
 衆生自身が、御本尊を受持信行することによって、その功徳が他に回向されるということには、何も異論がない。しかし、衆生自身の力のみで、功徳を得るのではない。仏法の追善回向は、あくまでも御本尊に具わる法仏の力用が根本である。衆生の側にとっては、この御本尊を根本とした、報恩行としての信力・行力が必要なのである。この受持即観心の修行のところに、四力が成就され、はじめて真実の追善の功徳が顕われるのである。しかも、衆生側の報恩の信心を受け止め、その功徳を顕わすことのできるのは、本宗の御本尊と、一体不二の血脈相伝以外にないのである。仏法の追善供養の本義は、御本尊を根本とし、衆生の成仏を旨とする報恩行であることを、決してなおざりにしてはならない。
 それ故に、日寛上人は、
「凡そ当家の観心はこれ自力の観心に非ず。方に本尊の徳用に由って即ち観心の義を成ず」
「若し仏力、法力に依らずんば何ぞ能く我等が観心を成ぜんや」
と仰せなのである。確かに同日付「社説」の中にも、
「御本尊を信受して、南無妙法蓮華経の題目を唱える功徳を他にさしむけることをいう。」
と、御本尊受持のことに触れてはいる。しかし、残念ながら、「社説」全体の論調には、衆生自身の修行の功徳は、自らの修行が前提になるのだと誇示するばかりで、それらの衆生の功徳善根の源は、御本尊即三宝尊の徳用にあるのだという、第一義の信仰が見受けられないのである。
 このように、先の小林氏の所論、及び社説の 見解は、御本尊を信受するといいながらも、その信仰の姿勢には、衆生の修行を尊ぶことはあっても、仏法に対する報恩の念を少しも感ずることはできない。常盆・常彼岸の日常の信心はもとより尊いが、本宗の化儀・儀式は、全て御本尊を根本とした報恩の信心による、衆生成仏のためのものである。父母先祖の供養をしたいという衆生側の願業は、御本尊への報謝を根本とした葬儀・法事・盆・彼岸などの儀式において、四力成就の功徳のもとに追善回向されるのである。それは、また亡者のみならず、自身の善根を積むことにもなるのである。
 また、本宗の葬儀・法事・盆・彼岸の儀式のときに、末寺僧侶が白袈裟と薄墨の衣を纏い、御法主上人の名代として導師を務めるのは、下種三宝の御本尊の功力を根本にした、真実の追善回向を行なうためである。しかし、それはまた、同時に『当家三衣抄』に示されているように、他宗謗法の黒紫金襴の法衣を簡別し、本宗の薄墨の名字本因下種の仏法を表明し、参列の衆生をして順逆二縁を結ばせる、折伏行でもある。
 こうした、本宗の化儀即化法のあり方を、世間や謗法の学者の意見を借りて、既成宗教の形式・風俗と同列にし、しかも混同して論ずるのは、本宗の教義と信仰に対する不解・浅識の暴論でしかない。本宗の化儀は、宗開両祖の化儀・化法をもととするのである。この御本尊を根本として、衆生を成仏へ導く本宗の化儀には、必ずそこに報恩行と折伏行が具わることを忘れてはならない。また、本宗の化儀を通して、僧俗ともに正しい信心の筋目と功徳とを、自然に身に具えていくことができるのである。


3.本宗の化儀と葬送儀礼無用論

 小林氏の所論に出ている、「彼岸会は本来、仏教と無関係」「習俗を仏教の本義とみる錯覚が定着」との見出しの内容について、氏の所論の中では、「(質問者)この彼岸会というのは、仏教本来のものなのですか。
 いいえ。この習俗はインド、中国にはなく、日本独自のものですから、本来、仏教とは無関係であることが明らかです。」
と、まず彼岸会の時節に合わせてか、彼岸会を日本の風習に過ぎないと論じている。また、仏教学者の中村元氏の次のような見解も載せている。
「仏教では儀式で人を縛ることはしない。原始仏教は葬儀に否定的だった。日本では、徳川時代にキリシタン禁制と結びつき檀家制度が確立、葬儀は寺でやることが決まりになった。その名残が今日まで及んでいる」(3月18日付『朝日新聞』)
 以上のように、世間の学者の見解を取り入れながら、葬儀も法事も彼岸会も、全て本来は、仏教に無関係であると述べている。そして、それらの葬送儀礼は歴史的所産であり、結局それらの真義は、「衆生の信心の深化と故人への温かい心にある」などと、邪宗の輩のいう心情論と、同じ程度のことを述べているのである。
 宗祖大聖人は、『太田左衛門尉御返事』の中で、世間の厄年のことに寄せて、
「予が法門は四悉檀を心に懸けて申すならば強ちに成仏の理に違わざれば且らく世間普通の義を用うべきか」
と仰せである。すなわち、本宗の彼岸会の法要が、先祖に対する正しい追善供養であることはもちろんである。また、たとえ彼岸会が、本来仏教と関係がなかったとしても、日本中で先祖を敬う一般的な行事となっていたならば、世間普通の義を用いて、謗法の他宗で行なう彼岸会の意義を破折し、また正宗信徒が謗法の儀式に与同しないように、防非止悪のためにも、本宗としての彼岸会を修する必要性があろう。
 日本人は、特に故人先祖に対する愛惜の念が深いといわれる。故人の葬儀を執行し、法事を営み、墓参りをするのも、その現われである。また、日本人の多くは、こうした慣習の中で、先祖を拝むことが正しいとも思っている。他宗の多くは、仏法の基本的なことさえわきまえず、このような日本の慣習に、そのまま同化している。しかし、大聖人の仏法では、故人先祖を拝むのではなく、正しい御本尊に帰依すべきことを教えるのである。
 それを、小林氏は、平成の時代に入って、突如として仏法の化儀・儀式を無用なものと否定し、しかも日本人の宗教心までも、根こそぎ刈り取ろうとしているのである。そうしなければならない理由は、宗門に対して、ためにする以外、全く見当たらない。
 宗祖大聖人が、三大秘法の御本尊を建立され、衆生が帰依すべき尊い仏法を説かれていても、それを修行する方式・方法がなければ、衆生は成仏することができない。この修行のあり方を説いたのが本宗の化儀である。すなわち、御本尊を絶対と信じ、余念なく下種の題目を唱えること、これは大聖人が定められた根本化儀である。この化儀を軽んじたり、己義をもって勝手な方法に変えてしまうことは、そのままが既に謗法であり、到底、成仏は遂げられないのである。
 同じように、本宗の化儀即化法に基づく総本山の儀式法要は、全て宗開両祖を嚆矢としているのである。したがって、宗開両祖以来、嫡々付法の御法主上人がその根本化儀を伝承されているのである。宗内の僧俗は、それら総本山の化儀を中心として修行し、成仏の境界を開いてきたのである。
 総本山700年来の丑寅勤行、あるいは古式ゆかしい御大会や御霊宝虫払大法会に参列すれば、宗開両祖の尊い御精神を、誰もが心に深く拝するはずである。
 その他の、本宗における葬儀・法事・塔婆供養等の化儀においても、宗祖大聖人の御在世には、例えば富木常忍氏に与えられた『始聞仏乗義』に、
「青鳧七結下州より甲州に送らる其の御志悲母の第三年に相当る御孝養なり」
とある。これは、富木氏が、大聖人のもとへ御供養を奉り、母の三回忌の追善を願い出られた現証である。ほかにも、『曽谷殿御返事』『忘持経事』『千日尼御返事』『四条金吾殿御返事』『中興入道消息』などを拝せば判るように、弟子檀那達は年忌・盆・彼岸の折に、宗祖大聖人へ故人の追善回向を願い出ているのである。また、日興上人の書状を拝しても、「御霊供料」「盆料」「彼岸御仏料」等の表現が見られ、日興上人やその弟子達が、故人の追善供養のために、御本尊の前で、読経を行なうことを述べられているのである。
 このように、宗開両祖の時代においても、僧俗両者にわたり、僧侶による読経回向と、檀那の供養を伴う追善仏事がなされたのである。それがまた、宗開両祖の折々の御教化とともに、弟子檀那との深い信仰の絆を結びつけたのである。こうしてみれば、本宗の化儀を、江戸時代の悪しき遺風などということは、見当違いの謬論であり、むしろ宗開両祖の化儀を冒涜するものである。
 なお、小林氏は、中村元氏の所論を引き、檀家制度に絡めて、本宗寺院の儀式の形骸化を目論んでいるが、この点について、ここでは詳述しない。ただ一言だけいえば、師弟相対の仏法上の法義に照らしても、また歴史的事実からいっても、江戸時代の檀家制度よりはるか以前、宗開両祖の時代において、本宗の本末関係や師檀関係の基礎は整えられていたのである。したがって、江戸時代の檀家制度をもって、宗門儀礼を誹謗しようとも、何らその正当な根拠がないのであるから、その誹謗は全く成立しないのである。


4.時代遡及による安直な化儀否定は、仏法への誹謗

 平成3年3月20日付『聖教新聞』の「社説」には、次のように論じられている。
「塔婆供養の風習は日本だけの、しかも平安時代から始まったもので、仏教の本質でも何でもないからである。
 日蓮大聖人が御書において塔婆供養に言及された例もわずかながら存在するが、それは、仏教の本義にたがわない限り、各時代や地域の風習を否定せず、時と場所に応じた弘法を行っていく『随方毘尼』の例として拝すべきであろう。」
 この塔婆供養については、最近の『聖教新聞』では、およそ考えつく限りの誹謗を尽くしている。塔婆供養の意義については『草木成仏口決』『中興入道消息』などに説かれているが、本宗の化儀を誹謗する者に対して、ここで塔婆供養の功徳を述べても無意味かもしれない。
 ただ言えることは、大聖人自らが、
「そとばをたてて其の面に南無妙法蓮華経の七字を顕して・をはしませば」
と仰せになり、その功徳を教示せられているのである。その大聖人の塔婆供養の尊い化儀を、ひとつの慣習に過ぎないとし、「仏教の本質でも何でもない」と否定する暴言は、決して許されるものではない。
 たとえ、塔婆供養の風習が、かりに「日本だけの、しかも平安時代から始まったもので、仏教の本質でも何でもない」としても、御本尊を根本とする本宗の塔婆供養の化儀を、他宗謗法の塔婆供養と同じ次元で扱うこと自体、間違いなのである。また、こうした短絡的な時代遡及による考えで、本宗の化儀を冒涜する所論が、仏法それ自体の誹謗につながることに気付かないのであろうか。
 それと同じような考えをした他宗仏教の文献学者がいた。仏典の中でもより古い経典のなかに、釈尊の真意が説かれているに違いないとして、古き阿含経典を、さらに時代遡及して調べていくうちに、阿含仏教の諸説にも混乱して、ついに釈尊の生存説まで否定せざるをえなかったという、実際にあったお粗末な話である。
 その論法からいくと、創価学会では、宗祖大聖人の大慈大悲の三大秘法の御施化も、「日本だけの、しかも鎌倉時代から始まったもので、仏教の本質でも何でもない」ということになるが、そうなれば、仏法誹謗どころでは済まされないことにもなる。
 このような、時代遡及による幼稚な策を弄して、本宗の化儀を誹謗しても、何の価値的意味も持たない。大聖人の仏法の本質は、久遠元初の宗旨に立つものであり、その化儀は宗開両祖に始まるのである。大聖人の化儀・化法は、他宗でいう本質でないことは当然のことである。いやしくも大聖人の仏法を信仰する徒であるならば、あくまでも大聖人の仏法の宗旨の上から、本宗の化儀を拝すべきである。小林氏の所論の中でも、
「塔婆に限らず、現在寺院が執行する葬送儀礼のほとんどは、室町期後半から次々に準備され、江戸時代にその形が整ったもので、いわば仏教界がつくりあげた経営安定のための一大葬送体系ともいえるものだったのです。」
と述べて、本宗の葬送儀礼も経営安定のためであると、ほのめかしている。しかし、本宗の化儀は、先に述べた史実にも明らかなように、大聖人の御在世からの化儀を受け継いでおり、しかも爾前迹門の仏教の化儀を破折して、衆生の成仏のために定められた重要な化儀なのである。


5.儒教は現世ばかりの孝養、仏法は三世の孝養を説く

 小林氏の所論では、仏教の先祖供養は儒教儀礼であるとする加地伸行氏の所説を紹介している。
「お葬式をし、墓参りをするのは仏教の教えに基づくと日本人は思っている。しかし葬式で死者を拝んだり、墓を作ったりの先祖供養の実質は、実は儒教儀礼である。本来的には仏教に関係のないこと」(3月13日付『毎日新聞』夕刊)
 小林氏は、この見解を受けて、葬式仏教と端的に称される江戸期以来の日本仏教は、むしろ儒教等のやり方をとり入れたものであるから、そういう風俗を仏法の本義と誤ってしまえば、本末転倒も甚だしいと述べている。
 つまり、本宗の化儀に対し、先祖供養の実質は儒教儀礼に過ぎず、本来仏教とは関係がない。したがって、先祖供養の儀式は、取り立てて必要なものではないという意向を示している。しかし、加地氏の所説における、仏教と儒教儀礼との関係についての学問的な見解の是非はどうであれ、大聖人の仏法の化儀と他宗の仏教儀礼とを、同列に扱うこと自体愚かなことは、すでに述べてきた通りである。
 小林氏の所論では、先祖供養は儒教儀礼に過ぎないと、先祖供養の化儀を否定するのである。しかし、大聖人の仏法は、儒教の現世孝養を破折して、仏法の三世の孝養を説くのである。この仏法の立場を看過して、本宗の先祖供養の化儀を否定することはできない。
 宗祖大聖人は、報恩を極めて大切にされ、『報恩抄』をはじめ諸御書の中で、四恩報謝の教えを繰り返し、力説されている。例えば『報恩抄』には、
「いかにいわうや仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか」
また、『開目抄』にも、
「何に況や仏法を学せん人・知恩報恩なかるべしや、仏弟子は必ず四恩をしつて知恩報恩をいたすべし」
と仰せである。しかし、大聖人は儒教と仏法を、決して同一視されたのではない。『開目抄』の趣旨に沿っていえば、確かに儒教は忠孝の教えを説くが、それは、
「但現在計りしれるににたり、現在にをひて仁義を制して身をまほり国を安んず」
のみで、
「いまだ過去・未来を一分もしらず」
「過去未来をしらざれば父母・主君・師匠の後世をもたすけず不知恩の者なり」
と破折されるのである。つまり、儒教の恩は、現世に限るのに対して、仏法の恩は、父母の三世を救う孝養を説くのである。
 宗祖大聖人は、『法華経』を「内典の孝経なり」と規定されている。本宗の血脈相伝の仏法から拝せば、御本尊はまさに主師親三徳を兼備されている。したがって、その御本尊に対し奉る報恩感謝の信心が、何よりも尊いのである。その真実報恩の信心の功徳の発露は、必ず本宗の先祖供養の化儀の上にも顕わされ、さらに自他ともに功徳を成じていくのである。『聖愚問答抄』にも、
「今生の恩愛をば皆すてて仏法の実の道に入る是れ実に恩をしれる人なりと見えたり」
と説かれている。現世における諸々の恩愛は、仏法の真実の報恩行によらなければならないのである。そして、それが転じて、また自他の成仏の道へと入っていくのである。小林氏は、学会組織内における、誤った今生のみの恩愛を捨てて、御法主上人の御教示のままに、仏法の実道に入り、真実の報恩の功徳を知るべきである。


6.回向の本義は、御本尊と唯授一人の血脈におわす

 以上のように、最近の学会における「先祖供養の考え方」の誤りを指摘してきたが、本宗の化儀に対する誹謗は、大聖人の仏法上の本義をも否定する大謗法につながることを、深く自覚しなければならない。
 世界の外道宗教にしても、それぞれ独自の葬送儀礼の形式はある。学会の目指す世界宗教が、いかなるものかは定かではないが、そうした宗教儀式などは、一切必要ないというのだから、現在の世界宗教とも、方向性が異なるといえる。しかし、少なくとも、大聖人の化儀をことごとく否定し去ったならば、いくら世界宗教たる仏法と称しても、それは大聖人の仏法から道を踏み外し、ただの理念信仰へと転落するものだと指摘できる。
 昭和57年3月20日付『聖教新聞』の社説には、彼岸の意義について、次のように本宗の正論が述べられている。
「正宗と他の宗派の彼岸は根本的に違い、生きている我々自身がまず成仏への善根を積み、これを先祖に回向すべきであり、日々の信仰実践が到彼岸の修行という意味をもっている。なかんずくお彼岸の日には、先祖の追善と自身の彼岸を真剣に願って正宗寺院に参詣し、御本尊に御供養申し上げ、塔婆を立てて回向し、広布への強き決意を新たにすることが望まれる。それが真実の報恩であり先祖も自身も福徳を得る道なのである。」
 それが、平成3年3月20日付『聖教新聞』の社説になると、追善回向の真義に対し、意図的な変節が見られる。
「回向とは、彼岸や盆などの特別の時だけに行うものではなく、日常的に毎日の勤行の際にしていくことが、その基本となる。大聖人の仏法において『常盆、常彼岸』といわれるのも、その意義である。彼岸に故人の追善を行う風習が日本だけのものであることを考えれば、世界宗教である日蓮大聖人の仏法において、回向が盆・彼岸に限定される道理はない。」
「我が国では、しばしば故人追善の祈願を僧侶のみに依頼する姿があるが、そのような在り方は、自身の仏道修行を棚上げして安直に『追善』だけを行おうとするもので、回向の本義をゆがめるものといわざるをえない。」
 昭和57年3月の「社説」では、日々の修行実践を尊びながら、なかんずく彼岸等の特別の折には、正宗寺院へ参詣し追善回向を願うことが、真実の報恩であると述べている。しかし、それから9年を経た平成3年3月の「社説」では、本宗の常盆・常彼岸の精神を逆手にとり、本宗僧侶による化儀・儀式を軽んじているのである。すなわち、朝夕の勤行の際に、追善供養を行なうのだから、故人の年忌や盆・彼岸などは、付随的なものでしかないという論旨である。
 本宗の化儀・化法の上からは、当然、昭和57年の社説にある追善供養の考え方が正しいのである。しかし、ここに至って、なぜ突然に回向の本義を改変しなくてはならないのか。これは、天魔と化した学会首脳の画策である。すなわち、一般会員に対して、宗門不信、僧侶不信をあおり、寺院への参詣を阻止せんとして画策されたものであり、畢竟、学会全体の宗門離れを目的とするものなのである。そこには、当然、唯授一人血脈付法の御法主上人への誹謗の罪過がある。唯授一人の血脈を誹謗するものは、必ず師弟相対の信心を否定し、化儀・化法もなおざりになり、破仏法の罪過を生ずるのである。
 総本山への登山や、末寺の参詣は必要ないと指導し、またその指導を鵜呑みにする人は、その時点で本門戒壇の御本尊を根源とする、血脈の信心が希薄となる。そして、「御本尊はもはやどれも全部同じである」などの根本的な誤りを犯し、やがて御本尊に対する不信謗法を来すのである。すなわち、「自らの修行なくして他に功徳を与えることなど、できる道理はない」
と、自らの修行実践を誇る前に、既に御本尊を拝する師弟相対の信仰が、根底から崩れ始めていることに気が付くべきなのである。宗祖大聖人以来の血脈を相承あそばされた御法主上人を誹謗しながら、いくら修行をしてみても、そこに功徳はないのである。本宗の相伝によらず、身延流や新たな池田流で御本尊を拝する限り、自身が回向したくとも、既に回向すべき功徳はないのである。
 本宗の御本尊と、血脈相伝の二大事の上から、御本尊を正しく受持しなければ、必ず信心の道を誤るのである。本宗における回向の本義は、御本尊と唯授一人の血脈におわすことを肝に銘じ、自らの犯していることに対して、率直に自省すべきである。

 以  上