KFくんは、小学校5年生の8月から伸一塾に通って来ました。
彼は、受験日記TYくんの従兄弟です。
彼は、父親が医師であることをきっかけに、
自分も医者になることを決意し、
中学受験をすることになったのです。
伸一塾に、来る以前は、大手中学受験専門に行っていました。
しかし、まったく成績が伸びないということで、
従兄弟のTYくんの母親から私のことを聞き、
通うことになったのです。
彼は、行きたい中学校がきまっており、
それは武蔵中学校でした。
こうして、KFくんと私の、1年6ヶ月の挑戦が開始されました。
この学校の特徴は、考えさせる問題が非常に多く、
難易度は全国トップレベルです。
特に、国語と算数のレベルは群を抜いて高く、
この二つの科目の攻略が合格への必須条件なのです。
国語は、小学校4年生の『応用自在長文読解の特訓』を使用し、
丁寧に丁寧に解いていきました。
一問解くたびに、要旨をまとめさせる根気強い作業をしていったのです。
また、算数は徹底的に計算を鍛えるところから始めました。
こうして彼は、6年生になる頃には超受験人間に大変身していたのです。
受験の楽しみを覚えた彼にとっては、
もはや武蔵中学校は敵ではなくなりました。
こうして彼は、無事中学受験に成功し、
そののち、6年間私の塾に通い、見事徳島大学医学部に合格したのです。
彼が、徳島大学を選んだ理由は、
センター試験において、国語と理科の配点が高いことが、その理由でした。
彼は、国語と理科がとてつもなく得意だったのです。
また、英語は高校2年生の時、準一級に合格した実力の持ち主でした。
ここまで見ると、順調に合格したように見えますが、
彼にはとてつもない弱点があったのです。
それは、アレルギー性鼻炎のため、
いつも鼻をかまなければならない状態だったのです。
このため、集中力は本当になかった。
わたしは、元鍼灸師であるという経験をいかし、
彼にアレルギー性鼻炎を改善するツボを教え、
塾に来るたび、30本ゴムで縛った爪楊枝で刺激させました。
彼は、徐々によくなり、3ヶ月もたった頃、良くなっていました。
このことによって、彼はとても東洋医学に興味を持つようになりました。
また彼のお父さんは、とても優秀な人だったので、
彼に対し非常に厳しい状態でした。
そのため、大変なプレッシャーをいつも感じていました。
しかし、彼は、持ち前のど根性で、
そのプレッシャーを見事はねのけました。
結局、彼と私は7年半の受験生活を共にしたわけですが、
挫折しかけていた状態から、見事蘇生し、医学部に合格したのです。
どんなに、困難な道でも歩き続ければ、必ずゴールに到達します。
彼は、受験日記TYくんの従兄弟です。
彼は、父親が医師であることをきっかけに、
自分も医者になることを決意し、
中学受験をすることになったのです。
伸一塾に、来る以前は、大手中学受験専門に行っていました。
しかし、まったく成績が伸びないということで、
従兄弟のTYくんの母親から私のことを聞き、
通うことになったのです。
彼は、行きたい中学校がきまっており、
それは武蔵中学校でした。
こうして、KFくんと私の、1年6ヶ月の挑戦が開始されました。
この学校の特徴は、考えさせる問題が非常に多く、
難易度は全国トップレベルです。
特に、国語と算数のレベルは群を抜いて高く、
この二つの科目の攻略が合格への必須条件なのです。
国語は、小学校4年生の『応用自在長文読解の特訓』を使用し、
丁寧に丁寧に解いていきました。
一問解くたびに、要旨をまとめさせる根気強い作業をしていったのです。
また、算数は徹底的に計算を鍛えるところから始めました。
こうして彼は、6年生になる頃には超受験人間に大変身していたのです。
受験の楽しみを覚えた彼にとっては、
もはや武蔵中学校は敵ではなくなりました。
こうして彼は、無事中学受験に成功し、
そののち、6年間私の塾に通い、見事徳島大学医学部に合格したのです。
彼が、徳島大学を選んだ理由は、
センター試験において、国語と理科の配点が高いことが、その理由でした。
彼は、国語と理科がとてつもなく得意だったのです。
また、英語は高校2年生の時、準一級に合格した実力の持ち主でした。
ここまで見ると、順調に合格したように見えますが、
彼にはとてつもない弱点があったのです。
それは、アレルギー性鼻炎のため、
いつも鼻をかまなければならない状態だったのです。
このため、集中力は本当になかった。
わたしは、元鍼灸師であるという経験をいかし、
彼にアレルギー性鼻炎を改善するツボを教え、
塾に来るたび、30本ゴムで縛った爪楊枝で刺激させました。
彼は、徐々によくなり、3ヶ月もたった頃、良くなっていました。
このことによって、彼はとても東洋医学に興味を持つようになりました。
また彼のお父さんは、とても優秀な人だったので、
彼に対し非常に厳しい状態でした。
そのため、大変なプレッシャーをいつも感じていました。
しかし、彼は、持ち前のど根性で、
そのプレッシャーを見事はねのけました。
結局、彼と私は7年半の受験生活を共にしたわけですが、
挫折しかけていた状態から、見事蘇生し、医学部に合格したのです。
どんなに、困難な道でも歩き続ければ、必ずゴールに到達します。