川面一面に花びらが…
短い命、あれほど待った桜なのに…
2015年今年の桜は可哀想でした~
桜が満開、咲いて晴天だったのは二日程、雨に叩かれ短い持命でした~
寒く長かった冬がやっと遠のいて待った春、桜なのに無情なお天気さん
朝日歌壇選にもれたユニークな歌が…
永田和宏選者よる「番外地」なる記事が有りました。
朝日歌壇には特徴が有る。
投稿者の批評意識、批判意識が特に強いことである。そんな批評や批判は時に渋い笑いを誘発すると…
★有馬さん
ぽっちゃりは気になるだろうでっぷりはなってしまえばそれだけのこと
★小島さん
就活と朝日花壇は狭き門息子百社に私百通
★岡田さん
経読みて過分のお布施いただけば嬉しくもありやましくもある
お決まりの喪主の挨拶聞いており決まり文句の引導渡して
★草間さん
悪きテスト隠すがごとくわが歌の載らぬ朝刊妻の目遠ざけ
追記
第七回万葉こども賞コンクール作文の部
最優秀賞
富山市立堀川中学一年松田わこ さん
▼立山に降り置ける雪を常夏に見れども飽かず神からならむ(大伴家持)
私は、この歌が大好きだ。なぜなら、家のベランダからいつでも見ることができる立山が歌われているからだ。立山は、富山の人々にとって本当に身近な存在だ。小学六年生で立山の山頂を目指す学校も多い。
私は、大伴家持が夏の立山を歌の題材に選んでくれたことを、とてもうれしく思う。でも、どうして家持が立山に夏も残る雪に、それほど心動かされたのかが、どうしても分からない。もしかしたら、家持はそれまでの人生で、高い山を見たことがなかったのだろうか。そして、暑い夏に、冷たい雪があるということに心底びっくりしたのだろうか。私達にとって、山といえば立山。では家持にとっての山はどのようなものだったのだろうか。
私は、どうしても、いにしえの時代に家持が見ていた山を、自分の目で見てみたくなった。私がその話をするとすぐに、夏休みの家族旅行の行き先が、奈良県に決まった。
八月のある暑い日、私達四人は、きらきらと輝く白い雪が残る立山に見送られ奈良に向かった。私達が降り立った駅は、かって平城京があったところだ。駅から少し歩き、ゆっくり周りを見回した私は、とても驚いた。そこには山があった。優しい緑色をした、とても穏やかで、なだらかな山々が。立山がベートーベンの迫力ある交響曲だとしたら、目の前の山は、メンデルスゾーンのやわらかなピアノ曲のようだ。山と山は手をつないで笑っているように見えた。その時、今まで味わったことのない不思議な感覚が、私に訪れた。私の心が、山の向こう側に、生き物や自然の息づかいを感じたのだ。立山は私達の前に高くそびえ立ち、その向こう側の世界など想像したこともなかった。家持が、神の存在すら感じたことも納得できる。しかし奈良の山に向かって「おーい」と叫べば、山の向こう側から「よく来たねぇ」という声が返ってきそうだった。もしかしたら、私も、家持も、今まで見たこともないような「山」に初めて出会い、心地よい驚きを味わった仲間同士なのかもしれない。うれ
しすぎる発見だ。
ベートーベンの山と、メンデルスゾーンの山。私と、家持。四人で出かけた旅は、いつの間にか五人での旅になった。
朝日新聞社賞を受賞したのは
京都同志社中学三年長谷部依央さん
▼この世にし楽しくあらば来(こ)む生(よ)には虫に鳥にもわれはなりなむ(大伴旅人)
現代は、先の見えにくい時代だとよく言われる。
こうしたら成功するといった決まったコースが存在しなくなり、自分で模索しながら人生を描かなくてはいけない。
こうした状況が、大伴旅人の歌とぴったりとくる。
目標や計画をたてることはとても大切だが、その通りにいかないこともあるだろう。
時には割り切って楽観的になれる余裕を持ち、しなやかな生き方がしたいと思った。
おめでとう~
短い命、あれほど待った桜なのに…
2015年今年の桜は可哀想でした~
桜が満開、咲いて晴天だったのは二日程、雨に叩かれ短い持命でした~
寒く長かった冬がやっと遠のいて待った春、桜なのに無情なお天気さん
朝日歌壇選にもれたユニークな歌が…
永田和宏選者よる「番外地」なる記事が有りました。
朝日歌壇には特徴が有る。
投稿者の批評意識、批判意識が特に強いことである。そんな批評や批判は時に渋い笑いを誘発すると…
★有馬さん
ぽっちゃりは気になるだろうでっぷりはなってしまえばそれだけのこと
★小島さん
就活と朝日花壇は狭き門息子百社に私百通
★岡田さん
経読みて過分のお布施いただけば嬉しくもありやましくもある
お決まりの喪主の挨拶聞いており決まり文句の引導渡して
★草間さん
悪きテスト隠すがごとくわが歌の載らぬ朝刊妻の目遠ざけ
追記
第七回万葉こども賞コンクール作文の部
最優秀賞
富山市立堀川中学一年松田わこ さん
▼立山に降り置ける雪を常夏に見れども飽かず神からならむ(大伴家持)
私は、この歌が大好きだ。なぜなら、家のベランダからいつでも見ることができる立山が歌われているからだ。立山は、富山の人々にとって本当に身近な存在だ。小学六年生で立山の山頂を目指す学校も多い。
私は、大伴家持が夏の立山を歌の題材に選んでくれたことを、とてもうれしく思う。でも、どうして家持が立山に夏も残る雪に、それほど心動かされたのかが、どうしても分からない。もしかしたら、家持はそれまでの人生で、高い山を見たことがなかったのだろうか。そして、暑い夏に、冷たい雪があるということに心底びっくりしたのだろうか。私達にとって、山といえば立山。では家持にとっての山はどのようなものだったのだろうか。
私は、どうしても、いにしえの時代に家持が見ていた山を、自分の目で見てみたくなった。私がその話をするとすぐに、夏休みの家族旅行の行き先が、奈良県に決まった。
八月のある暑い日、私達四人は、きらきらと輝く白い雪が残る立山に見送られ奈良に向かった。私達が降り立った駅は、かって平城京があったところだ。駅から少し歩き、ゆっくり周りを見回した私は、とても驚いた。そこには山があった。優しい緑色をした、とても穏やかで、なだらかな山々が。立山がベートーベンの迫力ある交響曲だとしたら、目の前の山は、メンデルスゾーンのやわらかなピアノ曲のようだ。山と山は手をつないで笑っているように見えた。その時、今まで味わったことのない不思議な感覚が、私に訪れた。私の心が、山の向こう側に、生き物や自然の息づかいを感じたのだ。立山は私達の前に高くそびえ立ち、その向こう側の世界など想像したこともなかった。家持が、神の存在すら感じたことも納得できる。しかし奈良の山に向かって「おーい」と叫べば、山の向こう側から「よく来たねぇ」という声が返ってきそうだった。もしかしたら、私も、家持も、今まで見たこともないような「山」に初めて出会い、心地よい驚きを味わった仲間同士なのかもしれない。うれ
しすぎる発見だ。
ベートーベンの山と、メンデルスゾーンの山。私と、家持。四人で出かけた旅は、いつの間にか五人での旅になった。
朝日新聞社賞を受賞したのは
京都同志社中学三年長谷部依央さん
▼この世にし楽しくあらば来(こ)む生(よ)には虫に鳥にもわれはなりなむ(大伴旅人)
現代は、先の見えにくい時代だとよく言われる。
こうしたら成功するといった決まったコースが存在しなくなり、自分で模索しながら人生を描かなくてはいけない。
こうした状況が、大伴旅人の歌とぴったりとくる。
目標や計画をたてることはとても大切だが、その通りにいかないこともあるだろう。
時には割り切って楽観的になれる余裕を持ち、しなやかな生き方がしたいと思った。
おめでとう~