台南縣の烏山頭ダムに行ってきました。このダムを訪れたのにはわけがありました。ダムを造ったのは日本人技師の八田与一という人物。「日本人なら一度見に行ってみなさい」と前から台湾の知人に言われていたので、台南を訪れたのを機会に行ってみたというわけです。
烏山頭ダムは予想以上に広くびっくり!「烏山頭ダム風景区」という大きな公園になっていました。入り口を入って更に仰天!園内の移動は徒歩ではとても無理だなと言うくらいの広さだったのです。それで、バイクを降りずに乗ったまま園内に入っていきました。

ダムとはいうものの、こーんなものまで建っていました。これって北京にある天壇じゃないですか??本物そっくり!

ダムは確かに大きく、青い水を満々とたたえていました。お天気が良かったので水面が反射して眩しいくらい。まるで大きな湖のようです。遊覧船も運航しているとのことですから、ホント観光地の湖っていう感じです。

このダムの向かい側に八田与一さんの銅像があると聞き探してみました。
ところで、八田与一さんというのはどういう人なのでしょうか。日本に住む日本人にはほとんど知られていないのですが、台湾では知らぬ人がいないほど有名人なのです。詳しくはこちらのホームページを参考にしてください。 小高くなった丘のような場所に、ありました、ありました、八田さんの銅像!

右手を頭に当てているポーズは八田氏が考え事をしている時のクセだったそうです。パンフレットによると「烏山頭ダムを設計し、ダムの建設を監督した八田技師の偉大な功績をたたえ、後世に伝えるべく建造された」銅像なんだそうです。
私達が訪れた時には銅像のすぐそばに花束が添えてありました。

銅像が建っている場所からはダムが一望できます。八田氏がいつでもダムを眺めていられるようにという配慮でこの場所に建てられたそうです。
銅像のすぐ近くには八田夫妻のお墓もありました。日本のお墓なら字を赤く染めることはありませんが、台湾なので中華風に赤く染めているとのことです。

園内には「八田技師記念室」という資料館もあります。ここもちょっと覗いてみました。

資料館には八田氏に関する資料や、烏山頭ダム建設当時の写真など貴重な資料が展示してあります。
これは土木遺産認定書。“当時のアジア最大のダムで潅漑により嘉南平野を一大穀倉地帯に変貌させる貢献をされました”と書いてあります。

八田氏についても記述がありました。
“1886年日本の石川県に生まれる。1910年、東京帝国大学土木学科を卒業、1920年9月から1930年3月までおよそ10年にわたり、嘉南地帯の潅漑工事の調査をし、企画、設計、建設を行い、見事烏山頭ダムおよび潅漑システムを完成させた。嘉南地域の人々に大きな貢献を果たした記念として、1931年に銅像を建てた”
というようなことが書いてあります。

八田氏のご家族の写真もありました。10人家族だったのですね!

当時のダム工事の様子を写した写真もありました。これだけ規模の大きいダムですから、完成までの道のりは大変だったと思います。
烏山頭ダム:台南縣官田郷嘉南村68-2号
烏山頭ダムは予想以上に広くびっくり!「烏山頭ダム風景区」という大きな公園になっていました。入り口を入って更に仰天!園内の移動は徒歩ではとても無理だなと言うくらいの広さだったのです。それで、バイクを降りずに乗ったまま園内に入っていきました。

ダムとはいうものの、こーんなものまで建っていました。これって北京にある天壇じゃないですか??本物そっくり!

ダムは確かに大きく、青い水を満々とたたえていました。お天気が良かったので水面が反射して眩しいくらい。まるで大きな湖のようです。遊覧船も運航しているとのことですから、ホント観光地の湖っていう感じです。

このダムの向かい側に八田与一さんの銅像があると聞き探してみました。
ところで、八田与一さんというのはどういう人なのでしょうか。日本に住む日本人にはほとんど知られていないのですが、台湾では知らぬ人がいないほど有名人なのです。詳しくはこちらのホームページを参考にしてください。 小高くなった丘のような場所に、ありました、ありました、八田さんの銅像!

右手を頭に当てているポーズは八田氏が考え事をしている時のクセだったそうです。パンフレットによると「烏山頭ダムを設計し、ダムの建設を監督した八田技師の偉大な功績をたたえ、後世に伝えるべく建造された」銅像なんだそうです。
私達が訪れた時には銅像のすぐそばに花束が添えてありました。

銅像が建っている場所からはダムが一望できます。八田氏がいつでもダムを眺めていられるようにという配慮でこの場所に建てられたそうです。

銅像のすぐ近くには八田夫妻のお墓もありました。日本のお墓なら字を赤く染めることはありませんが、台湾なので中華風に赤く染めているとのことです。

園内には「八田技師記念室」という資料館もあります。ここもちょっと覗いてみました。

資料館には八田氏に関する資料や、烏山頭ダム建設当時の写真など貴重な資料が展示してあります。
これは土木遺産認定書。“当時のアジア最大のダムで潅漑により嘉南平野を一大穀倉地帯に変貌させる貢献をされました”と書いてあります。

八田氏についても記述がありました。
“1886年日本の石川県に生まれる。1910年、東京帝国大学土木学科を卒業、1920年9月から1930年3月までおよそ10年にわたり、嘉南地帯の潅漑工事の調査をし、企画、設計、建設を行い、見事烏山頭ダムおよび潅漑システムを完成させた。嘉南地域の人々に大きな貢献を果たした記念として、1931年に銅像を建てた”
というようなことが書いてあります。

八田氏のご家族の写真もありました。10人家族だったのですね!

当時のダム工事の様子を写した写真もありました。これだけ規模の大きいダムですから、完成までの道のりは大変だったと思います。
烏山頭ダム:台南縣官田郷嘉南村68-2号
