『狂いのすすめ(ひろ さちや著.集英社新書)』
『閑吟集』。室町後期に編纂された歌謡集。
その一節『何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え』
(まじめくさって生きて何になろうか 人間の一生なんて夢でしかない。ひたすら遊び狂え)こんな意味なのだそうです。
とにかくこの本、のっけからふざけたことが度々出てくるわけですが、読み進むうちに『なるほどね、結構真理を突いてますな』と実感する。
目的意識を持つな!
幼稚園の運動会での徒競走。誰かが転ぶと先頭を走っていた子が戻ってきて倒れた子を助け起す。『大丈夫、痛くない?』と。転んだ子を無視して一着を目指す子と助けに戻る子とどちらが正しいか。こんな時、大人はどのように教えるのが正しいのだろうか?
精神病院の浴室で、一人の患者が浴槽に釣り糸を垂れていました。通りかかった医者が『どうです、釣れますか?』『釣れるわけがないじゃないですか。ここは風呂ですよ』。魚を釣るために釣りをする。これは真面目な大人の論理ですね。釣り糸をたれるのは魚を釣るためですが、むしろ本当に釣りを楽しんでいる人は、魚が釣れようが釣れまいがどちらでも良い訳です。ただそこで釣り糸を垂れる。なんかこれ私のこと言ってるのかしらん。
目的意識があると、人間はその目的を達成することだけに囚われれてしまい、毎日の生活を灰色にすることになる。つまり人生を幅広く楽しむことができなくなってしまうと言うことかも。
生き甲斐は不要!
世の中の役に立つ人間になろうとする、その卑屈な意識がいけない。私たちが生き甲斐を持とうとしたとき、私たちは世間の奴隷にされてしまいます。世間は私たちに生き甲斐を押しつけますが、それに騙されてはいけません。人は生まれ、苦しみ、そして死ぬ。人生の意味など、そんなものは何もない。そして人間の一生もまた何の役にも立たないのだ。彼が生まれてこようと来なかろうと、生きていようと死んでしまおうと、そんなこと一切何の影響もない。→だから世間に気兼ねなく自由に生きよということだろうか?
孤独を癒してくれるもの!
『人、世間の愛欲の中にありて、独り生まれ、独り死し、独り去り、独り来る』
人間は根源的に孤独です。ひとりぼっちで寂しい。だから何かを求めます。何か癒すものが欲しいのです。でも結論的に言えば、人間の根源的な孤独を癒してくれるものなんてありっこないのです。したがって、孤独の癒しを求めてはいけません。癒される訳がないのです。そのことをしっかり認識し『孤独に生きるのではなく、孤独を生きる』のです。
結論!
私たちは仏(ほとけ)のシナリオの中で役を演じているのです。演じるという言葉はplay、つまり遊びです。遊びに目的を持ってはいけないのです。あなたの人生は、あなたのものではありませんか。世間に気兼ねしながら生きるなんてもったいないもったいない。世間を気にせず主体性を持って自由に生きる。そういう生き方を仏教は教えてくれています。つまり自由人になれと、、、、、。
と、こんな内容です。な~んだ、仏教の教えを優しく説いた本だったのね。
俗世界に生きる人間の生き方とは、まるで真逆の生き方をせよと言っているが、逆もまた真なり。こんな生き方ができればホントに楽なのだろうな。本来、人間はこんな生き方をすべきなのかもしれませんね。
『閑吟集』。室町後期に編纂された歌謡集。
その一節『何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え』
(まじめくさって生きて何になろうか 人間の一生なんて夢でしかない。ひたすら遊び狂え)こんな意味なのだそうです。
とにかくこの本、のっけからふざけたことが度々出てくるわけですが、読み進むうちに『なるほどね、結構真理を突いてますな』と実感する。
目的意識を持つな!
幼稚園の運動会での徒競走。誰かが転ぶと先頭を走っていた子が戻ってきて倒れた子を助け起す。『大丈夫、痛くない?』と。転んだ子を無視して一着を目指す子と助けに戻る子とどちらが正しいか。こんな時、大人はどのように教えるのが正しいのだろうか?
精神病院の浴室で、一人の患者が浴槽に釣り糸を垂れていました。通りかかった医者が『どうです、釣れますか?』『釣れるわけがないじゃないですか。ここは風呂ですよ』。魚を釣るために釣りをする。これは真面目な大人の論理ですね。釣り糸をたれるのは魚を釣るためですが、むしろ本当に釣りを楽しんでいる人は、魚が釣れようが釣れまいがどちらでも良い訳です。ただそこで釣り糸を垂れる。なんかこれ私のこと言ってるのかしらん。
目的意識があると、人間はその目的を達成することだけに囚われれてしまい、毎日の生活を灰色にすることになる。つまり人生を幅広く楽しむことができなくなってしまうと言うことかも。
生き甲斐は不要!
世の中の役に立つ人間になろうとする、その卑屈な意識がいけない。私たちが生き甲斐を持とうとしたとき、私たちは世間の奴隷にされてしまいます。世間は私たちに生き甲斐を押しつけますが、それに騙されてはいけません。人は生まれ、苦しみ、そして死ぬ。人生の意味など、そんなものは何もない。そして人間の一生もまた何の役にも立たないのだ。彼が生まれてこようと来なかろうと、生きていようと死んでしまおうと、そんなこと一切何の影響もない。→だから世間に気兼ねなく自由に生きよということだろうか?
孤独を癒してくれるもの!
『人、世間の愛欲の中にありて、独り生まれ、独り死し、独り去り、独り来る』
人間は根源的に孤独です。ひとりぼっちで寂しい。だから何かを求めます。何か癒すものが欲しいのです。でも結論的に言えば、人間の根源的な孤独を癒してくれるものなんてありっこないのです。したがって、孤独の癒しを求めてはいけません。癒される訳がないのです。そのことをしっかり認識し『孤独に生きるのではなく、孤独を生きる』のです。
結論!
私たちは仏(ほとけ)のシナリオの中で役を演じているのです。演じるという言葉はplay、つまり遊びです。遊びに目的を持ってはいけないのです。あなたの人生は、あなたのものではありませんか。世間に気兼ねしながら生きるなんてもったいないもったいない。世間を気にせず主体性を持って自由に生きる。そういう生き方を仏教は教えてくれています。つまり自由人になれと、、、、、。
と、こんな内容です。な~んだ、仏教の教えを優しく説いた本だったのね。
俗世界に生きる人間の生き方とは、まるで真逆の生き方をせよと言っているが、逆もまた真なり。こんな生き方ができればホントに楽なのだろうな。本来、人間はこんな生き方をすべきなのかもしれませんね。
>だけに囚われれてしまい、毎日の生活を灰色にする
>ことになる。
言えますね。企業が社員の人事考課に目標管理等を取り入れるようになって久しいですが、これが或る意味きついんですね。自ら目標を立て、実行し、評価する。まさにPDCAですね。それが賞与、昇給、昇格のかなりの部分を左右する。以前は上司の評価が主体でしたが、自らの申請による目標管理が加わることにより、様々な評価データがデジタル化されました。その結果、目標管理の結果を重視し過ぎる業務活動や、マネジメントを嫌う社員の流出なども目にしてきました。
自身のスキルアップや人生設計を目指してあらゆる目標を立て、それに向かい努力することが本来の理想型なのでしょう。それが出来ていないから企業が社員の尻を叩いて管理する。管理職達もそのデータが無いと評価が出来ない程、部下を把握していない、見ていないのが実情といったところでしょうか。
↑確かにそうですね。
だからこそ、人との繋がりの大切さを知るのだろうと思います。
>こんな生き方ができればホントに楽なのだろうな
↑理想と現実という感じですね。
ただ、実践しようと思ったら楽ではなさそうですよ。
今日も勉強になりました。いつもありがとうございます!
社員は上手に管理される権利がある、どなたかが言っておりました。私も勤務時代に部下を持っていましたが管理することが苦手、と言うよりも嫌いでした。評価に好き嫌いが出るし、直前の印象が評価に影響してしまう。人間なんてそんなものだと思いますし、当てにならないものだと思いますね。
今でも同じです。
スタッフにある程度のスキルがあれば、一つのデスクが独立した一つの事務所、自由にやれという感覚でやって行きたいと思いますね。
自分の夢や生き甲斐などは自発的なものでないと意味がありませんね。エトワ-ルさんのプロジェクトも自発的なものだから燃えるのですよ。
これが、会社や上司から仕向けられた、つまり利益や成果を上げるための目標設定というのはねえ。
商売や仕事は利益を上げるためにやるのではなく、その商売や仕事がおもしろいから。ここからスタ-トできればベストなんですがね。
コンサルを生業にしている私が言うのもなんですが、私の本音はここにあるのですがね。