山と溪を旅して

丹沢の溪でヤマメと遊び、風と戯れて心を解き放つ。林間の溪で料理を造り、お酒に酔いしれてまったり眠る。それが至福の時間。

ノスタルジ-

2009-07-08 23:40:26 | 独り言
母が召されて早や7年の歳月が過ぎました。

ふる里への愛着は今でも変わることはありません。
事あるごとにお墓に参り、ふる里の山を歩き、小川でヤマメと戯れています。

でも、何かが足りないのです。
ふる里の家で迎えてくれる父と母のぬくもりが無いのです。

実家に帰って一人ぽつねんと炬燵に胡座をかいて煙草をくゆらす
母の手料理が並んだ卓上に、あの懐かしい味が無いのです。

思い切って実家を取り壊すことにしました。
今日は一日かけて家財の整理をしてきました。

頼みもしないのに隣近所の人たちが手伝いに来てくれたり
10時と3時のお茶を用意してくれたり、昼食に呼んでくれたり。
たった25軒の集落は今でもみな親戚のような関係が続いています。


母が大切に残してくれた写真が何百枚も出てきました。
懐かしくてしばらく手を止めてノスタルジ-に浸ってしまいました。

花壇の前で母の膝に抱かれている子供の頃のものや
動物好きだった父と芝生の上で愛犬や愛猫と戯れているもの

今が一番いいと思っていたのに、今日ほどあの日に帰りたいと思ったことはありません。



一番輝いていた学生時代。
懐かしい面々が並んでいます。

授業など受けることもなく日がな一日、哲研の部室に屯して書を読み議論を交わしたものでした。
この写真の中にいない約10名は、授業を真面目に受けていた大馬鹿者だと言っておきましょう。





これが毎日お世話になった学食
我らメンバ-は50円のうどんか70円のカレ-ライスしか喰った覚えがありません。
これは多分、後輩(野沢温泉の旅館の息子)の罰当たりメニュ-です。

今のおしゃれで豪華な学食と比べると隔世の感がありますねえ。





学部長室を占拠して学部長を吊し上げたり大衆団交に打って出たり。
今から思えば他愛も無いことなのにと恥ずかしくなるようなことを真面目に真剣に取り組んでいた訳なんですねえ。





あの頃は、純粋で青臭かったんだなあ。
でも、あの頃の熱き想いがあったからこそ今でも同じように政治を語れるのかもしれません。
そして旧友との絆も切れることなく続いているのかもしれません。


35年前、あの頃はみな若かった!
コメント (12)
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