母が召されて早や7年の歳月が過ぎました。
ふる里への愛着は今でも変わることはありません。
事あるごとにお墓に参り、ふる里の山を歩き、小川でヤマメと戯れています。
でも、何かが足りないのです。
ふる里の家で迎えてくれる父と母のぬくもりが無いのです。
実家に帰って一人ぽつねんと炬燵に胡座をかいて煙草をくゆらす
母の手料理が並んだ卓上に、あの懐かしい味が無いのです。
思い切って実家を取り壊すことにしました。
今日は一日かけて家財の整理をしてきました。
頼みもしないのに隣近所の人たちが手伝いに来てくれたり
10時と3時のお茶を用意してくれたり、昼食に呼んでくれたり。
たった25軒の集落は今でもみな親戚のような関係が続いています。
母が大切に残してくれた写真が何百枚も出てきました。
懐かしくてしばらく手を止めてノスタルジ-に浸ってしまいました。
花壇の前で母の膝に抱かれている子供の頃のものや
動物好きだった父と芝生の上で愛犬や愛猫と戯れているもの
今が一番いいと思っていたのに、今日ほどあの日に帰りたいと思ったことはありません。
一番輝いていた学生時代。
懐かしい面々が並んでいます。
授業など受けることもなく日がな一日、哲研の部室に屯して書を読み議論を交わしたものでした。
この写真の中にいない約10名は、授業を真面目に受けていた大馬鹿者だと言っておきましょう。
これが毎日お世話になった学食
我らメンバ-は50円のうどんか70円のカレ-ライスしか喰った覚えがありません。
これは多分、後輩(野沢温泉の旅館の息子)の罰当たりメニュ-です。
今のおしゃれで豪華な学食と比べると隔世の感がありますねえ。
学部長室を占拠して学部長を吊し上げたり大衆団交に打って出たり。
今から思えば他愛も無いことなのにと恥ずかしくなるようなことを真面目に真剣に取り組んでいた訳なんですねえ。
あの頃は、純粋で青臭かったんだなあ。
でも、あの頃の熱き想いがあったからこそ今でも同じように政治を語れるのかもしれません。
そして旧友との絆も切れることなく続いているのかもしれません。
35年前、あの頃はみな若かった!
ふる里への愛着は今でも変わることはありません。
事あるごとにお墓に参り、ふる里の山を歩き、小川でヤマメと戯れています。
でも、何かが足りないのです。
ふる里の家で迎えてくれる父と母のぬくもりが無いのです。
実家に帰って一人ぽつねんと炬燵に胡座をかいて煙草をくゆらす
母の手料理が並んだ卓上に、あの懐かしい味が無いのです。
思い切って実家を取り壊すことにしました。
今日は一日かけて家財の整理をしてきました。
頼みもしないのに隣近所の人たちが手伝いに来てくれたり
10時と3時のお茶を用意してくれたり、昼食に呼んでくれたり。
たった25軒の集落は今でもみな親戚のような関係が続いています。
母が大切に残してくれた写真が何百枚も出てきました。
懐かしくてしばらく手を止めてノスタルジ-に浸ってしまいました。
花壇の前で母の膝に抱かれている子供の頃のものや
動物好きだった父と芝生の上で愛犬や愛猫と戯れているもの
今が一番いいと思っていたのに、今日ほどあの日に帰りたいと思ったことはありません。
一番輝いていた学生時代。
懐かしい面々が並んでいます。
授業など受けることもなく日がな一日、哲研の部室に屯して書を読み議論を交わしたものでした。
この写真の中にいない約10名は、授業を真面目に受けていた大馬鹿者だと言っておきましょう。
これが毎日お世話になった学食
我らメンバ-は50円のうどんか70円のカレ-ライスしか喰った覚えがありません。
これは多分、後輩(野沢温泉の旅館の息子)の罰当たりメニュ-です。
今のおしゃれで豪華な学食と比べると隔世の感がありますねえ。
学部長室を占拠して学部長を吊し上げたり大衆団交に打って出たり。
今から思えば他愛も無いことなのにと恥ずかしくなるようなことを真面目に真剣に取り組んでいた訳なんですねえ。
あの頃は、純粋で青臭かったんだなあ。
でも、あの頃の熱き想いがあったからこそ今でも同じように政治を語れるのかもしれません。
そして旧友との絆も切れることなく続いているのかもしれません。
35年前、あの頃はみな若かった!
思い出多き優しく美しい人が去って、その美しい想い出はどこまでも残る、そしてそれに気づいた頃は、自分の順番で天国の閻魔様がそろそろとお迎えにいらしゃるのがこの世の定めである。
だから山親爺はその世代世代に何かをしなければならないと思って実践してる、人は不完全燃焼ではダメだ、いつでも何事も完全燃焼して結果を出す事に心がけております、残された方に美しい想い出をつくるために人生とはこんなもんで良いと思っております。
包容力のBBさん、切れ味鋭いNGさん、田園調布の自宅から通ってたブルジョアのNJさん。
私、こんなに髪の毛濃かった?
後輩のニーチェ狂いのT君、私にアルバイトを紹介してくれた長野出身のもう一人のT君。問題児ID君。
そして、若き日のご夫妻、ホントに色男とマドンナのカップルだったですね~
70円の「半ライスカレー」、昼の定番でした。でも、夜の酒は節約せずにせっせと飲んだんです。
ご老体の学部長を拡声器片手につるし上げるWさん。(個人的にはシャイな優しい人でした。)
拘置所からもらった葉書も懐かしい。
この夜学部長がくたくたになって、トイレまで付き添ってお連れした思い出があります。ホント若気の至りでゴメンナサイ・・・
あの頃のことを思い出すと血が体中を駆け巡ります。
それから、自分は変っていないなあ~
生活するための色んなものを付け足して、(ごまかして、)大人のふりは出来る様になったけど、あの血湧き肉踊る日々の自分が原点なのですよ。はぁ~ウンチキパ!
僕よりひと世代先輩の山親爺さんも
東京の大学生活の中で、友と酒を酌み交わして語らい、山に入り浸っていたのですね。
古き良き一番輝いていた時代でしたよね。
あの時代の写真はすべてモノクロなんですわ。
熱血漢のF井を忘れてるぞ。
Tは寅さんの地元の区役所に、もう一人のTは信州の温泉旅館を継いでる。
S村が映ってない。チャコがいないから多分砧公園でいちゃいちゃしてたんだな。
K泉も女闘士も写ってないね。
あの頃の君はとにかく交友関係が広くて大学中の主要メンバ-と人脈を通じてるような男だったよね。
みな高校時代まではバリバリの体育会系の連中だった。それが哲学やって書を読みあさるようになるなんて信じられん。
いつも金欠病だったのに何で酒だけは呑み続けられたんだろう。全く不思議だよね。
とにかく良い時代でしたね。
4年になった君は学生運動のトップに立ってバリバリ、もとい中翼(なかよく)やっていたとカミさんから聞いてたよ。
発狂会でのウンチキパ、よくもまああれだけ呑んで騒げたものだと反省しきりです。
砧の飲み屋さんにはご迷惑をかけました。
出入り禁止になるのもうなずけます、ハイ。
これからも仲よくやろうね。
昨夜は、昔のことが思い出されてなかなか寝付けませんでしたヨ・・・
そう、同級生のF井は吉田松陰のファンだった。
I女史、元気でした。なんで、「哲学研究会」などというシリアスなサークルにこんなに沢山の(それもユニークな)メンバーがいたんだろう?不思議です。
この時代、色んな良いこと、悪いことをしてきたけど、唯一私が自慢に思っている事は「自己批判」「総括」やテロ、内ゲバで失われた仲間が一人も出なかったこと・・・
11・3襲撃の際にK泉に鉄パイプを捨てさせ現場から連れ帰ったり、パチンコ屋の地下でOフラクションのつるしあげを受けていた映画研究会のO君を救い出したり、フラクションのボスIさんを酒の勢いで殴ってしまったN瀬をかばったり・・学校前で布教活動をしていて「安保研」部室に拉致された統一教会の女学生達を尋問するするふりして逃がしたり・・・
「だれにも人の人生を奪う事は許されない!」という信念だけは曲げられなかった・・・
随分過ちもして来たけど、それだけが自慢できるささやかな善行でした
博愛精神と中翼主義が君の行動原理だったよな。
他のセクトのトップ達と酒を飲みながら取り入って、仕舞いには君の話術と憎めないスマイルで丸め込んで人脈を広げて行ったことも知っている。
俺たちが卒業してあと君が学生運動のリ-ダ-になってからは過激に走らず、しかし活動と主張はシッカリやっていたことも知ってる。
俺たちは先輩面をしてたけど、君を認め、尊敬もし、一目おいていたものだ。
君がひときわスケ-ルのデカイ男だったと言うことを息子達が知らないのは実に残念であるねえ。
人間誰しも旧き良い時代が有りますよね!
戻れるものなら戻りたいです無理なので、今が一番良いと思える様に努力しています!
いやあ鋭いツッコミ!
本音で生きている熊さんの事だから
スバリやられると思っていましたわ。
マイッタまいった。
ところで釣りには行ってないんじゃない?
使ってあげないと竿が乾いて折れますぞ。
今夏の僕はテント担いでちょくちょく山へ入って釣りたいと思うちょり鱒。
一度行きませんか?
授業に出なくても勉強しなくても大学って卒業できちゃうのか?でも良い仲間が沢山いてそれだけでも一生の財産だよね。
覚えてる?
中学の時、教頭の遠山先生がセイ君のことを
お前は東大に行ける頭してるんだから陸上なんかやってないでもっと勉強しなきゃ勿体ないって言ってたよなあ。
コメント読んでると、真面目で正義感の強かったあの頃とちっとも変わってない感じがするなあ。
ところでいよいよ家を取り壊すんだね。
寂しいけど時々寄ってよね。
日曜は実家にいるから茶飲み話しでもしたいなあ。
おちょくるのもええ加減にしてちょ。
まったくKちゃんの誤解だす。
確かに教頭先生が言ってたわね。
でもね、あれは俺の頭の中身が良いってことじゃなくて頭の形のことを言ったんだぜ。
あの頃は陸上やっててイガグリ頭だったから頭の形が分かる訳よ。
つまり、顔の割に頭がデッカかったからさ、
東大生なみに脳みそが一杯入ってる筈だってことを言いたかった訳ですよ教頭先生は。
それが証拠に俺は東大行ってませんよ~。
もしかしてガリ勉してたら行けたかもねってムリだす絶対に!
大学生活はええよ~。
出来るものならまたやってみたいなあ。
今度寄るね。