アントンの存在をヴィンセントの前に立ち塞がる最大の障害と捉えている人も多いようですが、自分の見解は違います。
アントンはヴィンセントの最大の理解者だった、というのが自分の考えです。
アントンは夜の海でヴィンセントと遠泳競争をすることが嫌で嫌でたまりませんでした。
何を言っている、アントンが遠泳競争を嫌がるシーンなんて作中ないじゃないか、そう仰る方もいるかもしれません。
確かに作中そのようなシーンはありません。
しかしそれは常識で考えればわかることです(というか常識以前の問題)。
もしあなたに生まれつき心臓に重い障害を持つ兄がいて、その兄が夜の海での遠泳競争の勝負を挑んできたら、あなたはその挑戦を受けますか?
受けないでしょう。
少なくとも受けたくはないはずです。
誰だっていつ心臓が止まるかわからない相手と遠泳競争なんてしたくないはずです。
いや、自分だったら喜んで受けるよ、そしてコテンパンに叩きのめしてやる、という方がいたら遠慮なく申し出てください。
自分も遠慮なくその方を「人でなし」と呼ばせてもらいます。
アントンは遠泳競争をするのが嫌だった、けれども実際にはその勝負を受けています。
遠泳競争をするのが嫌だったのなら、どうしてアントンは勝負を受けたのでしょう?
自分には堪えは一つしか思いつきません。
アントンは断るすべを知らなかったのです。
仮に「いつ心臓が止まるかわからない相手と遠泳競争なんてしたくないんだ!」と言えばアントンは遠泳競争をせずに済んだでしょう。
しかしそんなふうにストレートに言えばヴィンセントを深く傷つけることがわかっていました。
アントンはヴィンセントを傷つけることが忍びなかったのです。
ここからさらに想像の翼を広げます。
ヴィンセントとの遠泳競争をしたくない、けれど断るすべを知らないアントンは一計を案じます。
そう、遠泳勝負で故意に負けたのです。
仮に故意に負けたとしたら、その心情は理解し難いものでしょうか。
いえ、充分理解出来るものですよね。
この先長くは生きられない兄に遠泳勝負で勝ちを譲ったとしても、それで彼のプライドが傷つくわけでもありません。
むしろ善行を施した、とでも思っているのではないでしょうか。
一つ計算違いがあったとすれば、遠泳勝負で勝った(と思い込んでいる)ヴィンセントが妙な自信をつけ、家を出てしまったことです。
アントンもさすがにそこまでは読めていなかったでしょう。
すべてはあなたの勝手な想像ではないか、そう仰る方もいるでしょう。
しかしもちろんそう主張する根拠はあります。
ヴィンセントが勝利した二度の遠泳競争はまるで再現フィルムを見るかのように酷似しています。
まるで誰かがそうなるように仕組んだかのようです。
そしてより強い根拠としては作中アントンがプールで泳いでいるシーンがあることです(より正確にはプールから上がるシーンがあります)。
殺人事件の捜査中にもかかわらずプールで泳いでいたのであれば、彼にとってそれは習慣的なトレーニングだったのでしょう。
習慣的に泳いでいる人間が泳ぎが苦手とか、遠泳の最中に溺れてしまうといったことは非常に考えにくいです。
もし本当にアントンがヴィンセントの宇宙行きを阻止したかったのであれば、夜の海での遠泳競争といった酔狂に付き合う必要はありません。
ただ適当な罪名をつけて二、三日拘留しておけばそれで済む話です。
彼はそれが出来る立場でした。
遠泳競争の前にも後にも彼がヴィンセントを拘束しようとはしていません。
それはつまり彼が本気でヴィンセントの宇宙行きを阻止したかったわけではないということです。
ではなぜアントンは遠泳競争をしたのでしょう?
それはヴィンセントが勝利した一度目の遠泳競争の結果を考えればわかります。
遠泳競争に勝利したヴィンセントは奇跡が起きたのだと思いました。
そして自分にも可能性はあるのだとも。
アントンはもう一度ヴィンセントにそう思わせたかったのではないでしょうか。
半ば死んだと思っていた兄と10年ぶりに再会したアントンは最初驚愕したことでしょう。
そして宇宙飛行士になるという子供の頃からの夢まであと一歩のところまで来ている兄に感動すらしたかもしれません。
しかし兄の様子はひどく不安定に見えた。
兄を励ましたい、どうすればいいか。
こんなとき凡百なドラマであれば、「すごいじゃないか兄さん、宇宙飛行士になるという夢まであと一歩だ。兄さんなら出来る、絶対出来る」というふうに励ますでしょう。
しかし『ガタカ』では、「兄さんには宇宙飛行士になるなんて兄さんには無理だ。それを証明してやる。(キ遠泳競争で勝負だ)」になるのです。
何だ、すべては想像じゃないか、そう思われる方もいるでしょう。
それは否定しません。
ただ、間違いなく言えるのは、心臓に障害を抱えるヴィンセントが適正者であるアントンに遠泳競争で勝つのは現実的には不可能だった、ということです。
ヴィンセントがたったの20分すらもまともには走れなかったことを忘れてはいけません。
映画『ガタカ』のキャラクターについての考察は以上です。
アントンはヴィンセントの最大の理解者だった、というのが自分の考えです。
アントンは夜の海でヴィンセントと遠泳競争をすることが嫌で嫌でたまりませんでした。
何を言っている、アントンが遠泳競争を嫌がるシーンなんて作中ないじゃないか、そう仰る方もいるかもしれません。
確かに作中そのようなシーンはありません。
しかしそれは常識で考えればわかることです(というか常識以前の問題)。
もしあなたに生まれつき心臓に重い障害を持つ兄がいて、その兄が夜の海での遠泳競争の勝負を挑んできたら、あなたはその挑戦を受けますか?
受けないでしょう。
少なくとも受けたくはないはずです。
誰だっていつ心臓が止まるかわからない相手と遠泳競争なんてしたくないはずです。
いや、自分だったら喜んで受けるよ、そしてコテンパンに叩きのめしてやる、という方がいたら遠慮なく申し出てください。
自分も遠慮なくその方を「人でなし」と呼ばせてもらいます。
アントンは遠泳競争をするのが嫌だった、けれども実際にはその勝負を受けています。
遠泳競争をするのが嫌だったのなら、どうしてアントンは勝負を受けたのでしょう?
自分には堪えは一つしか思いつきません。
アントンは断るすべを知らなかったのです。
仮に「いつ心臓が止まるかわからない相手と遠泳競争なんてしたくないんだ!」と言えばアントンは遠泳競争をせずに済んだでしょう。
しかしそんなふうにストレートに言えばヴィンセントを深く傷つけることがわかっていました。
アントンはヴィンセントを傷つけることが忍びなかったのです。
ここからさらに想像の翼を広げます。
ヴィンセントとの遠泳競争をしたくない、けれど断るすべを知らないアントンは一計を案じます。
そう、遠泳勝負で故意に負けたのです。
仮に故意に負けたとしたら、その心情は理解し難いものでしょうか。
いえ、充分理解出来るものですよね。
この先長くは生きられない兄に遠泳勝負で勝ちを譲ったとしても、それで彼のプライドが傷つくわけでもありません。
むしろ善行を施した、とでも思っているのではないでしょうか。
一つ計算違いがあったとすれば、遠泳勝負で勝った(と思い込んでいる)ヴィンセントが妙な自信をつけ、家を出てしまったことです。
アントンもさすがにそこまでは読めていなかったでしょう。
すべてはあなたの勝手な想像ではないか、そう仰る方もいるでしょう。
しかしもちろんそう主張する根拠はあります。
ヴィンセントが勝利した二度の遠泳競争はまるで再現フィルムを見るかのように酷似しています。
まるで誰かがそうなるように仕組んだかのようです。
そしてより強い根拠としては作中アントンがプールで泳いでいるシーンがあることです(より正確にはプールから上がるシーンがあります)。
殺人事件の捜査中にもかかわらずプールで泳いでいたのであれば、彼にとってそれは習慣的なトレーニングだったのでしょう。
習慣的に泳いでいる人間が泳ぎが苦手とか、遠泳の最中に溺れてしまうといったことは非常に考えにくいです。
もし本当にアントンがヴィンセントの宇宙行きを阻止したかったのであれば、夜の海での遠泳競争といった酔狂に付き合う必要はありません。
ただ適当な罪名をつけて二、三日拘留しておけばそれで済む話です。
彼はそれが出来る立場でした。
遠泳競争の前にも後にも彼がヴィンセントを拘束しようとはしていません。
それはつまり彼が本気でヴィンセントの宇宙行きを阻止したかったわけではないということです。
ではなぜアントンは遠泳競争をしたのでしょう?
それはヴィンセントが勝利した一度目の遠泳競争の結果を考えればわかります。
遠泳競争に勝利したヴィンセントは奇跡が起きたのだと思いました。
そして自分にも可能性はあるのだとも。
アントンはもう一度ヴィンセントにそう思わせたかったのではないでしょうか。
半ば死んだと思っていた兄と10年ぶりに再会したアントンは最初驚愕したことでしょう。
そして宇宙飛行士になるという子供の頃からの夢まであと一歩のところまで来ている兄に感動すらしたかもしれません。
しかし兄の様子はひどく不安定に見えた。
兄を励ましたい、どうすればいいか。
こんなとき凡百なドラマであれば、「すごいじゃないか兄さん、宇宙飛行士になるという夢まであと一歩だ。兄さんなら出来る、絶対出来る」というふうに励ますでしょう。
しかし『ガタカ』では、「兄さんには宇宙飛行士になるなんて兄さんには無理だ。それを証明してやる。(キ遠泳競争で勝負だ)」になるのです。
何だ、すべては想像じゃないか、そう思われる方もいるでしょう。
それは否定しません。
ただ、間違いなく言えるのは、心臓に障害を抱えるヴィンセントが適正者であるアントンに遠泳競争で勝つのは現実的には不可能だった、ということです。
ヴィンセントがたったの20分すらもまともには走れなかったことを忘れてはいけません。
映画『ガタカ』のキャラクターについての考察は以上です。