ブログ 「ごまめの歯軋り」

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初夏の京都 花園双ヶ丘 「待賢門院御陵」

2008年06月05日 | 京都案内
 花園双ヶ丘の法金剛院の裏山に鳥羽院の中宮待賢門院の御陵があります。
待賢門院は幼少の頃から鳥羽帝の祖父白河法皇の寵愛を受けていたが、女院は鳥羽帝の中宮となって輿入れした。しかし時折白河法皇との関係は続いていた。鳥羽帝と女院の間に崇徳帝が生まれた。実はこの崇徳帝は女院と白河法皇との子であったという噂が専らであったので、鳥羽帝にとってはこの子は叔父にあたる(叔父子)。鳥羽帝は退位を迫られ叔父子の崇徳帝が即位したとき、鳥羽帝の苦しみは頂点に達したようだ。崇徳帝は後になって鳥羽院よりひどい仕打ちを受けることになる。どっちも運命に翻弄される幼帝の悲哀が不幸の種となりそして保元の乱になるのである。そして父の前関白藤原忠実と息子の関白藤原忠通は姉泰子を鳥羽帝の皇后にいれた。こうして鳥羽帝は待賢門院を遠ざけた。待賢門院と崇徳帝に対して藤原頼長、院政側の鳥羽帝と得子が生んだ後の後白河帝に対して関白藤原忠通、葉室顕頼がつき、天皇と上皇側の両陣営での権力の駆け引きが宮廷および武士団も巻き込んで複雑怪奇な権力闘争へ展開してゆくのである。余談ながら待賢門院もさる女で次から次へと男を替えて浮気をしていたようだ。そんな色っぽい待賢門院に西行は恋をするようになった。


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