ブログ 「ごまめの歯軋り」

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後期高齢者医療制度改革をめぐり、尾辻氏本当の狙いを吐露

2008年10月23日 | 時事問題
asahi .com 2008年10月23日17時7分
尾辻氏「猟官運動だ」 医療制度改革案巡り厚労相を罵倒
 「総裁選のさなかに、一候補者に過ぎない麻生さんに言った。だから猟官運動と言われる」。22日の参院自民党の政策審議会で、元厚労相の尾辻秀久参院議員会長が、後期高齢者医療制度の改革案を示した舛添厚労相を、数十人の議員らの面前で罵倒(ばとう)した。
 尾辻氏は「(現制度は)10年間議論し、国保は持たないと結論が出た」と指摘。口を極めた批判ぶりに、同席者からは「尾辻さんも大人げない」との声が漏れるほどだった。

「後期高齢者医療制度の紛糾」 本当は医療費削減が狙いだ。一番弱い者を対象に! 

 今見直しがおこなわれようとして「後期高齢者医療制度」の問題点をまとめる。9月22日の新聞によると、舛添厚生労働大臣と麻生自民党幹事長(今では首相・自民党総裁)は「後期高齢者医療制度」の見直しを約束したそうだが、化粧直し程度でお茶を濁すのか、法律を廃止して新法を作るのか、何処をどう改定するのかまださっぱり全貌は見えてこない。

 2006年6月21日第3次小泉内閣は「健康保険法などの一部改正法案」を公布し、2008年4月1日から施行された。その骨子は、
1)75歳以上の高齢者を従前の健康保険から脱退させ新たな「後期高齢者医療保険」に加入させる。65歳以上で障害認定を受けた者も含む。
2)運営主体を都道府県単位とする広域連合が保険者となる。同じ都道府県内であれば同じ保険料となる。
3)保険料の賦課方式は均等法と所得法の2種類で構成される。保険料は年金から天引きする。(介護保険の方式を踏襲)
4)一つの病名で1ヶ月の診療費が決まる「包括性」と、患者自身が選んだ「高齢者担当医」が継続的な管理をおこなう診療報酬。(欧米式診療を採用)
5)財源は医療給付の5割を税金で、4割を現役世代の医療保険負担とし、残りの一割を(現役収入のある人は3割)を高齢者の保険料で賄う。
6)健康保険と介護保険との負担が一定額を超えた人には軽減措置を設ける。被用者保険の被扶養者であったものは新たに保険料を負担するため、激変緩和措置(免除から5割負担まで)が2年間適用される。

 制度施行によって1300万人が国民健康保険から後期高齢者医療制度に移行した。本年4月から実施されたが、扶養家族で世帯主の健康保険に入っていた高齢者が突然高額の保険料を請求され大騒ぎが発生したのである。政府は大半の人の保険料は安くなると云う宣伝をしたが所得の低い人ほど負担料が増えることが判明した。6月6日ねじれ国会の参議院で「後期高齢者医療制度廃止法案」が可決された。途中で75歳以上を後期高齢者と定義する根拠の政府説明が要領を得ず、「痴呆」、「終末期老人」と云う言葉に猛反発がおき、世間の8割が「後期高齢者医療制度」を評価しなかった(毎日新聞アンケート)。地方議会や日本医師会、全国保険医団体も制度の全面見直しを要求する決議や声明をだした。

 この制度の背景には高齢者人口の増加と保険料財政負担の増加がある事は隠す事はできない。現役世代と高齢者を分離した事自体が差別であるが、高齢者の現役世代と相応の負担を求める事も弱い者いじめになった。この制度により高齢者医療制度への支出を求められる健康保険組合の9割が赤字に転落する予定である。


医療問題  10・16読売新聞提言「医師の計画的配置」に反論する

2008年10月23日 | 時事問題
10月16日読売新聞は1面のトップ記事に「医師の偏在は選択の自由から、医師を計画的配置」を書いた。これに対して東大医学研究所の上昌広氏は以下のような反論をした。


10月16日読売新聞1面に「医師を全国に計画配置」と云うトップ提言があった。読売新聞独特の政策「提言」シリーズの一つである。えっと思うような色々の問題を含む提言で、「公的派遣機関を創設」、「医師不足を招いた自由選択」という中見出しについて考えてみよう。この問題の根源は、「臨床研修制度」が大学病院医局から医師のキャリアー育成やエージェント(病院紹介・配置)能力を奪って、厚生労働省の管轄に遷そうとする目論見が失敗し今日の医師不足を招いた事態を打開するための方策にある事は明らかだ。どう見ても読売新聞の提言が厚生労働省の政策の延長線上にあり、メディア・自民党族議員・厚生労働省三者の「出来レース」と云うニューアンスが露骨に出ている。これに対して舛添厚生労働大臣は16日「臨床研修制度のあり方等に関する検討会」で「読売新聞のような医師配置には賛成できない」と反論し、さらに「規制を考える人は自由な社会の大切さが分っていない」と批判した。官僚・メディアに異論を唱える近年稀な見識ある舛添厚生労働大臣はいつか追い出されるのではないかと心配するのは私一人ではないだろう。医師の配置まで国家統制しようとする、戦前の大政翼賛会的中央統制の官僚臭が露骨である。読売新聞は「米や独では計画配置がおこなわれ、医師不足を招いたのは自由選択」であるというが、本当だろうか。米国ではACGMEやAOAというnon-ACGME研修プログラムもあって選択肢がある。米国にも規制があると云う読売新聞の主張は誤りです。ACGMEは適切な研修病院に研修医が配分される事を目指しており、医師の偏在の補正を目的にするものではない。米国には強制的に医師を全国配置するような中央集権組織は存在しません。官僚統制をしきたいとする厚生労働省の目論見こそが今日の医療崩壊をもたらしたことに微塵の反省ない。米国の医療事情はもっと複雑で、流入医師数と流出医師数とが半ばする流動性の激しい「移民医師」体制である。このような激しい流動状態では計画的配置自体が不可能であり、読売新聞の米国認識は当を得ていない。米国ではかかりつけの医師「プライマリーケア」医師は24%(2007年とむしろ減少しており、そのプライマリケア医師は外国人医師に依存しているのである。米国人医師は専門医志向が増大している。日本のように卒後研修で2年間も全科研修と云うプライマリケアを義務つけている国は世界的に見て特殊である。読売新聞の提言の文脈は「自由はよくない、計画にすればいい」という医師から自由を奪う目的である。社会主義計画経済が有効であったのは、原始的資本段階からの計画経済である。現在の医療問題とは全く関係ない。それとも自由を奪うのは日本を昔の官僚統制社会に逆戻りさせようとするものだろうか。あまりに時代遅れな発想である。


開業医と病院との協力関係が完全に切り離されているのは日本の特殊性である。そして病院の医師不足の改善策として、メディア・政治家・官僚・有識者らが「患者に病院来ないように」と云う政策を進めようとしています。極論には「患者に直接病院にアクセスさせるな」と云うことを云う人もいます。ここにも患者から病院アクセス権を奪おうとする意図が明白に読み取れる。これはサッチャー新保守主義が経費節減のため医療制度を崩壊させた英国において、「病院にかかれるのは2年待ち」と云う状況をよしとする論である。米国では研修を終えた医師はすべてが開業し、かつ病院医療を続けると云う制度が確立しているのである。シーラカンスのような開業医と先端医療の病院が完全分離している日本では、医師を増やしてもいつかは開業医になるので、増えるのは開業医ばかりです。病院医療を維持するには、開業医が病院医療に参画する必要があります。そのためにはボランティアではなく診療報酬を二つにわけ、ドクターフィーとホスピタルフィーを支払うことです。


経済問題 中尾武彦著 「アメリカの経済政策」  中公新書

2008年10月23日 | 書評
購買力とドルの信用、先端技術と金融工学といったアメリカの強さは維持できるのか 第6回


第2章 グローバル化と技術革新がもたらす格差 (2)

労働者所得の格差拡大の原因としては、技能者への偏った高賃金給付や、海外アウトソーシングによって国内労働者の賃金低下、アメリカ特有の低技能者移民が賃金を下げている、法令上の最低賃金の改定の遅れが指摘されている。ワシントン郊外に最近「リッチスタン」という新しい富裕層のコミュニティーが出来ているそうだ。高級技術者、ベンチャービジネス成功者、金融投資アナリスト、企業CEO、弁護士、高級官僚などらしい。所得格差を生むことはアメリカ経済の力強さ、アメリカ社会のダイナミズム、経済のグローバル化の進展と深い関係にある。新興国での生産がグローバリズムに組み込まれると、同じ要素価格は均等化する途云う理論がある。アメリカはグローバリズムの最大の受益者である。低廉な生産物は消費者を潤おし、新興国からのドル資金流入はアメリカの消費や投資を援助する。富がアメリカに流れ込んでくるのである。アメリカ自身は金融、IT産業、軍事産業、航空宇宙産業、最高の教育や医療サービス、アミューズメント産業のメッカに世界中の最高の能力を高級で雇い入れて卓越した競争力を得ている。これこそがアメリカ経済のダイナミズムと強さの源泉である。というとらえかたがアメリカ人では一般的である。アメリカが平等な機会の国である事は論を待たないとしても、格差の極端な拡大はミドルクラスの崩壊につながり結局は社会全体が病んでいくのである。アメリカには高齢者向けのメディケア、低所得者向けのメディケイド途云う公的医療保険制度はあるが、国民皆保険でないため人口の15%5000万人ほどは無保険者である。これは高所得者優遇税制とあいまって格差社会の固定につながり、社会の不安定化に流動化する。企業幹部の報酬が高すぎるのも不透明感を増している。優秀な移民はアメリカ社会のダイナミズムの原動力であるが、不法移民は低賃金と結びついて最下層社会の公的負担を増大させている。


読書ノート 盛山和夫著 「年金問題の正しい考え方」 中公新書

2008年10月23日 | 書評
少子高齢化のもとでの年金制度の持続可能性 第20回

第7章 未納は本当に問題なのか (2)

将来の無年金者老人と云う問題は別途考えるべき問題である。未納者の割合は25歳から60歳までの人口の14%である。同じ人がずっと納入しなければ14%の人が無年金老人になるが、将来の老人人口が3000万人とすると無年金者老人は420万人となる。一時的に未納であれば14%少ない加入期間になると云うことである。この人たちを生活保護で救済すると、月額151000円の生活保護費を支払うと無年金者420万人に合計6兆3000万円を支払うことである。この膨大な社会的費用を考えれば、国としてはやはり年金に加入してほしいのである。生活保護(年180万円)よりも少ない国民年金(年79万円)と云う現実は皮相ではあるが。これは財産形成があっての年金支給と云う前提と、高齢化して生活費用は少なくなると云う前提があるから、直接の比較にはならない。

文藝散歩 中世日記文学「土左日記 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記 十六夜日記 」 岩波文庫

2008年10月23日 | 書評
紫式部日記 (11)最終回


和泉式部、赤染衛門、清少納言批判
和泉式部の歌は面白いが感心できぬところがある。歌は正統派のような筋は無く、口先だけですらすら読んでいるようだ。本当の歌人ではないとまで断定している。赤染衛門という歌人は腰折れの歌(上と下の歌のつながりの悪い)になりがちで、わざとらしい風流をみせるだけである。清少納言は高慢ちきな女で、些細な事に風流を言い立てる人だ。というように紫式部の同時代の歌人や風流人に対する批評は厳しい。

紫式部自身のこと 内省
本文74から78ページにかけて難解な文章で、中年になった紫式部のわびしい内面生活が語られている。まるで徒然草の序文のような心境である。人は色々なのだから物いうのも無駄であるとまで云うのである。そのくせ自分を見る他人の目をしきりに気にして、ありたい女の姿を模索している。仏道のこと手紙の書き方について考えをめぐらしている。紫式部は中宮彰子の白氏文集、楽府の書物の進講をしたが、左衛門の内侍と云う女房を評して、源氏物語を読むよりは日本紀を読むべきだといった。紫式部より、左衛門の内侍は学を振り回す厭な女だと嫌われたようだ。