とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

道具

2010-09-02 09:58:07 | 日記
道具



 いままでの人生の中で、私を強力に支えてくれたものは数限りないほどある。まず家族を初めとしたたくさんの親しい人たちを挙げねばならない。しかし、ここでは、敢えて道具というものに限って三つ挙げてみたい。
 第一に挙げねばならないのが、電子式卓上計算機(電卓)である。算盤の苦手な私は、仕事場で成績処理をするときなどはまことに苦労した。だから、成績一覧表の縦横の合計をはじき出そうと悪戦苦闘した記憶が強烈に残っている。合計がその度に違っていたからである。ところへ、電卓なるものが普及し始めた。高価だったが、私は人より先に飛びついた。数字が表示される部分が真空管みたいなもので出来ていた。おかげで何とか人並みに仕事ができるようになった。
 第二は回転式の電動印刷機である。それまでは、ガリ版の原紙を手動印刷機のローラーに貼り付けて刷っていた。しかし、原稿用紙に鉛筆で書き込んで、それをファックスにかけると印刷原紙がすぐにできた。それを輪転機に巻きつけて、スイッチを押すと、物凄い速さで数百枚の印刷物ができあがった。
 第三は、ワード・プロセッサーである。初めはキー操作に慣れなくて、一字一字入力していた。しかし、熟練すると、数枚の資料でもたちどころに仕上がった。お陰で文字を書くということが疎かになったが、文書を書くという苦痛から解放された。
じゃ、パソコンはどうか? この文章もパソコンのお世話になっている。しかし、道具というより、マジック・ボックスという感じで、私にはまだまだ完全に馴染んではいない。
                                 (2007年投稿)


弟の世代

2010-09-02 09:54:01 | 日記
弟の世代



昭和二十二年に弟は生まれた。私は、座敷で寝ている母の脇で、小さい布団にくるまっている新しい兄弟が珍しくて、ときどき覗きに行った。当時私は三歳だったが、その時何だか気恥ずかしいような気持ちなったことを、今でもうっすらと覚えている。私は母乳で育ったらしいが、弟はいつも代用乳を哺乳瓶で飲んでいた。そのためか、ゴム製の乳首をいつまでも手放さなかった。
 しかし、小学校に上がるころには、私より随分逞しくなっていた。私が友だちにいじめられていると、体を張って助けてくれた。そういう弟をいつしか私は頼りにするようになった。成長してからも、何か問題が起こると、弟に相談した。
その弟は「ベビーブーム」世代の最初の年に属していた。弟は、その激烈な競争社会の波の中で、企業戦士として闘っていたのである。しかし、病を得て、五十五歳で早世した。その弟の世代を別名「団塊の世代」ともいう。私はその同世代数百万の人たちを「団塊」という言葉で一括りする考えが好きではない。人口が激増したのは、当然のことながら、戦争に敗れて、外地にいたたくさんの日本人が、帰還者、引揚者として本国に帰った結果である。先の大戦は多大な問題を未だに残しているのである。負けると分かっていても戦争を始めたのは何故か! 
今年は、その世代がリタイアする年だということで、政治的な側面や経済界的な側面から賑やかにあれこれと議論されている。仕事のノウ・ハウの継承、退職金目当てのビジネス、年金問題……。しかし、私は、今は亡き弟と同じ世代の方々に、先ず心から「お疲れ様でした」と述べたい気持ちでいっぱいである。(2007投稿)

鳥たちの河口

2010-09-02 09:48:06 | 日記
鳥たちの河口



 昭和四十八年に、野呂邦暢氏が書いた小説『鳥たちの河口』を今の季節にはふと思い出す。主人公の失業したある男が諫早湾に訪れる鳥の種類を観察していてその異変を知る。徐々に忍び寄る自然界の狂いを感じる。作者は鳥たちの異変を通して、現代の人間存在の危うさを警告しているのである。
今年も宍道湖岸に飛来する冬の渡り鳥を見たいものだ。そう期待に胸躍らせながら先日の日曜日に妻と二人で出かけた。
 先ず宍道湖北西部のグリーンパークの岸辺。ここの観察小屋の二階からコハクチョウの小さな群れを見ることができた。望遠鏡で確認すると、まだ羽根が灰色の幼鳥を交えた十三羽と成鳥だけの三羽のグループが確認できた。またサギ、カワウ、カモなどの水鳥もたくさん認められた。まもなくコハクチョウの群れは、くの字に隊列を組んで整然と東に移動し始めた。
 それから出東地区の農業用水路の河口を通ったところ、バサバサッという激しい羽音がして、黒いマガンらしき水鳥の群れが飛び立った。安心して餌をついばんでいたようで、慌てて不規則に飛び散っていった。
 私は新建川河口に住み着いたコハクチョウのつがいのその後の様子が気になった。ところが、以前居た河口付近では確認できなかったので、不安になってきた。
 総体に、宍道湖の水辺に住んでいる鳥、また、渡りをしてきた鳥は、増えたのかどうか。気にかかってならない。岸辺に葦を植えたり、小島を作ったりして環境を保全する計画の効果が表れていると思われる点もある。しかし継続的に観察はしていないので、軽々に結論は出せない。
湖沼の水鳥の数は環境のバロメーターである。私は引き続き宍道湖の岸辺や河口付近の鳥たちを見守っていきたいと思っている。(2005投稿)