なかなか釣りに行けない

なかなか実釣出来ず、稀の釣行を夢見て、机上の空論を重ねる備忘録です。

五ヶ瀬への鈎2(20210906)

2021年09月06日 22時58分15秒 | 机上釣

五ヶ瀬への鈎2(20210906)





TMC200R#8にてインビクタパーリーパターン、私にしては結構な大鈎。
左にはキングフィッシャーblueを忘れた。
右は白系パートリッジのみ使った。
ウィングは共にヘロン。
リードか思いきってトップにあてる?

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いただいたフライ(20210906)

2021年09月06日 22時49分38秒 | 机上釣

いただいたフライ(20210906)


先日の梅野川で行き交ったベテランフライマン様から戴いたフライ4本。
グレートセッジ、アルダー、ジョックスコット2本。
ほぼ沢田賢一郎師のパターンブックまま。
使うわけにはいくまい。
戴きフライ殿堂boxへ。

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五ヶ瀬への鈎(20210906)

2021年09月06日 20時29分41秒 | 机上釣

五ヶ瀬への鈎(20210906)

来週以降のラストスパート。
高速道路を通るとフロントに虫がぶつかった痕がくっきり。
夏まではgreen系が多かったけれど、今はなぜか赤系統。
まるで血痕と見まごうようなシミがいくつもみつかる。

この血痕シミ、高速近くの道の駅のほぼ全車についているので人身事故ではない。
全て赤系統の虫たちとの事故だ。

でもどんな虫?
体液が赤系統の種類とは?

季節的に秋つまり紅葉シーズンに入るからかそんな擬態が増えるのか。
魚も繁殖期で赤系統の色彩が目立つ時期。

つまり赤や茶をあしらったインビクタまたはフェザントゴールド系のパターンが効くのでは?

そんな鈎を#10以上の針に巻いてみよう。
とにかく今期、ラストスパートにはいる。
去年は大水で出来なかったから、しっかり集中し存分に経験値をかせごう。

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勘と自己責任(20210906)

2021年09月06日 07時05分05秒 | 日記

勘と自己責任(20210906)

勘は個人の経験の記憶に基づく未来の予測だ(中山正和氏)。
現場での経験豊富で記憶が確かならより正確な未来の予測にたどりつける。
では現場が違えばどうだろう。
当然、現場での経験がないに等しい場合、正しい勘などはたらくはずがない。
多くは、迷い、こまり、はたらかない勘のかわりに、ほかに助言を求める。
でもそれが経験のない場合の最適解であって、それ以外の解決法などない。
そんな時の救世主は、先輩だったり上司だったり、その道のマイスターだ。

一方で、経験の質そのものが違う場合、この勘はやっかいだ。
実務に基づく経験、つまり業務体験、情報収集や業績評価などがそれ。
よりよい成果に結びつく経験が連続していれば所属する組織は発展する。
もし思わぬ結果に終わった努力でも、経験や情報を評価し直すことで失敗しない新しいスキームが手に入る。
しかし、経験の質そのものが違った場合、どうなるだろう。

現場の声を収集すべきところを現場以外から集めてしまった場合、権威ある正しい情報を集積すべきところをせまい体験と個人的な願望からなる情報ばかり集めてしまった場合、そして実体験ではなく妄想のみから情報を集めてしまった場合、その時にはたらく勘は、ほんとうにやっかいだ。
その勘にしたがい行動しても期待した結果など得られないからだ。
これはリーダー選びを間違ったときに如実。
例えば間違った船頭は間違った航路をとおり乗客を波間に放り出してしまう。
間違ったタクシードライバーは間違った道をとおり列車に間に合わなくなる。
間違ったシェフは間違ったレシピを使い、期待したのと違う味に心底驚愕する。
間違った勘は間違った道を選び、期待したのと全く違う結果に打ちひしがれる。

統合失調症の場合、個人的に収集する情報に妄想由来が入るから、現実にない経験の記憶から構成された勘は、正しい未来予測などできるはずがない。これが統合失調症の社会的問題を引き起こす真相なのであり、だからこそ統合失調症患者を手厚く保護する必要がある。
ほおっておけば死んでしまうからだ。
これはあくまで病的な状態であって、そうではない場合が一番やっかい。
簡単にいえば情報と体験が偏っている場合だ。

異なる意見を否定する硬直したコミュニティーや個人から得られる情報や体験に基づく記憶を積み重ねると、そのコミュニティーでは通用する勘は育成されるだろうが、その壁の外では「船頭を間違う」。
その場合、統合失調症なら医療的に保護できるが、そうではない場合。
完全な自己責任になる。

日本赤軍という組織があった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/日本赤軍
共産革命を信念とした集団であり、共産革命の達成が彼らの正確な未来予測、つまり勘だった。
この勘を信じ、また勘の示す未来を実現するために彼らなりに真摯に努力した。
合法非合法を問わず。
結果、日本赤軍は彼らなりの自己責任として2001年に解散し消滅した。
ここに勘の自己責任が見える。
ロシアではウラジーミル・レーニンらの率いるソビエト連邦共産党が共産革命に成功している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ソビエト連邦共産党
これは勘の成就した好例。
こうして大きな社会的事件を復習してみると、その中心はゆるぎない勘に突き動かされた数少ない人物だ。
成功例は、マハトマ・ガンディー、マーティン・ルーサー・キング、エイブラハム・リンカーン、日本では坂本龍馬だろうか(異論はある)。
失敗例は、アドルフ・ヒットラー、日本ではオウム真理教もこれに入る。
*ベニート・ムッソリーニは決して失敗者ではない
https://ja.wikipedia.org/wiki/ベニート・ムッソリーニ
成功例も失敗例も、予測した未来が実現すると信じ行動していたことが共通項。
信念つまり勘が指し示す未来予測の完全な実現を目指し、日々努力するのは当然として、その努力している内容と目指す未来について自己責任が生じる。
ひるがえって考えれば、自分で責任とれるなら勘に突きうごかされ前進しつづけることは、けっして悪いことではない。
そうすると、テロや暗殺など極度な犯罪行為も、勘の示すよりよい未来を得る目的で実行されるなら、結果しだいで美談化されることに納得がいく。
しかし、それはあくまで他人の勘の世界であり、こちらの勘とは全くいや正反対なことがある。
その場合、正反対の勘の持ち主、さらに正反対の未来予想図を成就させようとする努力に対し、どう対処したらよいのか。
戦うしかない。
戦って正反対の勘、未来予想図に勝利するしかない。
こちらが勝てばこちらの勘は善、しかし負ければ完全な悪となる。

政治活動や経済活動における意思決定はその集団の勘の総和またはリーダーの勘しだい。
もし同じ組織でもリーダーが間違った勘に従うのなら、これと戦ってリーダーを交代させねばならない。
一個人のなかでも同じ。
私の勘が間違っていた場合、これを排斥しなければならない。
でも自分自身の勘の間違いにどうして気づくことができるだろう。
ほとんどの場合、他人から指摘されるか逮捕・裁判・処罰されるかして、あとづけでしか気づけないのではないか。
だからこそ勘に基づく行動はリスクが伴うのだし、勘による判断に慎重過ぎることはない。

勘には自己責任が必ずともなう。
人間の怖さの本当の一面かもしれない。

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