なかなか釣りに行けない

なかなか実釣出来ず、稀の釣行を夢見て、机上の空論を重ねる備忘録です。

大分駅アミュプラザ3F火竜(20240601)

2024年06月01日 15時50分01秒 | 日記

大分駅アミュプラザ3F火竜(20240601)


用事あり、午後から駅へ、ついでにアミュプラザ3F「火竜」。
この「火竜」も"古典系"豚骨ラーメンで、たぶん長い骨と関節の靭帯と軟骨をふんだんに使っている。
大分市府内大橋元の「一骨家」(20240416)そして長湯温泉の「隼」(20240509)と同じ系統だと思う。
でも、長い骨つまり長幹骨な豚骨スープが本物かどうか、全部飲み上げないと分からない。
骨粉が残れば本物、残らねば本物認定は保留。
はたしてどうか。


本物認定。

辛子高菜は豚骨スープで炒めてはいない様子、ここも"古典系"かもしれない。
豚骨スープの味はゼラチン質で、塩味を抑えた深く甘いダシの味わいを感じる。
もしかしたら鶏ガラも和えている?そう感じさせるほど。

いずれにせよ、これで長幹骨の"古典系"豚骨ラーメン店のレパートリーがまた増えた。
そんな情報を、血圧が上がらない程度に時間をかけて集めていきたい。

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贈り物について4(20240529)

2024年05月29日 19時17分05秒 | 日記

贈り物について4(20240529)

今回、私は「贈り物」について考えてみました。
「贈り物」とは、
もらって迷惑にならない、
そして、すくなくともこちらの持ち出しになる、
つまり、貰い手が迷惑しない程度の、贈り手の自腹、だと思います。
いいかえれば、贈り手の献身、です。

今日このような場で、私はいつも、すこし「おかしな」ことをいうのが常です。
ですが今日この晴れの席上、私は敢えて私の常を封印することといたしました。
そしてまことにおはずかしながら、私の正直な気持ちを贈りたいとおもいます。

以下、予定通り。

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贈り物について3(20240529)

2024年05月29日 18時07分30秒 | 日記

贈り物について3(20240529)

今回、私は「贈り物」について考えてみました。
「贈り物」とは、
1)もらって迷惑にならない、すくなくとも厄介じゃない
2)無償の持ち出し、すくなくともこちら側が損をする
つまり、貰い手が迷惑しない程度の、自腹で用意した大切なもの、となる。
いいかえると、贈り手の無償の献身、です。
いつもなら皆様がご列席されるこのような場で、私はすこし「おかしな」ことをいう。
そのささやかなチャレンジを、私は楽しんでいましたので。
とはいえ、今日この晴れの席上、私は敢えて、その個人的な楽しみや遊びを封印することにしました。
そしておはずかしながら、このお祝いの言葉を贈りたいとおもいます。

以下、予定通り。

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「贈り物」1(20240528)

2024年05月28日 08時14分02秒 | 日記

「贈り物」1(20240528)

これは完全な備忘録、「贈り物」の定義と解釈のまとめ。

「贈り物」は、こういうものであるべき。
「受け手」にとって「贈り物」とは。
1a)有難くても迷惑にならないもの
2a)多少は役に立つが害のないもの
3a)無意味だけれどゴミではないもの
つまり、その「贈り物」が意味あるかどうか「受け手」が決めるのであって「贈り手」ではない。
それを理解して贈る必要がある。
では「贈り手」にとって「贈り物」とは。
1b)大切なものであって処分物などではない
2b)確実な損失でしかなく利益にはならない
3b)それは「私」の大事なものの一つである
4b)それは「私」からの押し付けでしかない
このa-b)をまとめ直すと、「贈り手」が用意する「贈り物」とは少なくとも、
「迷惑にならない程度の善意の出費」
となる。

それはあくまで「私」にとっての損失で、それが善意として「相手」に伝われば良い。
日本の戦国時代、謀反を疑われた家臣が自ら進んで切腹し、主君に裏腹ないその善意を伝える、のと基本同じ。
つまり極論すれば、「贈り物」とは「善意の切腹」なのだ自腹を進んで切るという意味で。
しかし、お祝いの場で、もし仮に善意だったとしても「切腹」して見せれば大惨事になる。
なので、「善意の切腹」は心中深く押し込めて、その奇譚ない誠意を開陳すればよい。
でもその「善意の切腹」を「奇譚ない誠意の開陳」と読み替えても、実際やることは「切腹」と同じ。
その血生臭さをよりマイルドな表現に置き換えなばならない、お祝いの席に相応しくあるように。
どうする?

「贈り物」「贈る言葉」とは本来「贈り手」による誠意の持ち出しであり、それを受け取る側がどう解釈するか問題ではない。
あくまでも「贈り手」による我が身を切り詰めた最善の持ち出しで、その誠意のみ、受け取る側にとって受け取る意味がある。
受け取る時は気が重くても、受け取った後は気が晴れる、そんな「贈り物」「贈る言葉」こそ最善。

でもその仕組みをより簡単にどう説明する?
3秒から5秒で口語表現し尽くす、それはそもそも可能か?

例えば「贈り物を私はこう考える」という祝辞の入りと掴みにおいて。

まだまだ考えねばならない。

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火曜朝(20240528)

2024年05月28日 05時55分47秒 | 日記

火曜朝(20240528)

0530、外を見ると激しい雨足が竹林を音を立て打っている。
厚い雨雲で暗く、雨粒はよく見えないけれど。
五ヶ瀬川、大野川、大分川、筑後川の水位計では、まださほど増水していない。
増水はこれからだ。
午前中は続くらしく、1−2mは急増水するだろうから、本流筋は2−3日は無理かもしれない。
とすると、出来ることはタイイング、ハックルミノーの改良版だろうか。
リバーシーバス、リバーコチ、その他のマスでも鉄板鈎なら釣れるから、ハックルミノーに拘らなくてもよいのだけれど、そこは敢えてのハックルミノー、だって夢があるから。
こんなペラペラのただの羽根1枚で釣れてしまうんだから、巻いてすらいなくても。
その衝撃はかなりのもの、フライでもなく、ルアーでもなく、本当にただの羽根1枚なのだから。
それをベイトと間違いテイクしてくる魚を釣る。
羽根1枚だからフライラインでしか遠投できないのも逆に面白い。
その形状と性質から日本古来の弓角と同系統なのもさらに面白い。
なにより、チューブフライとしてハックルミノーに取り組んでるのが私一人というのもまた面白い。
誰もいない道をたった一人で前進し続けるのも実にまた痛快。
なにより、たった一人でこれが最先端と思い込めるのがさらにまた良い。
本来、趣味とはそんな独りよがり的なもの、このハックルミノーこそ趣味の私の王道。
この数日はそれに没頭しよう、雨で増水、キャス練すら出来ないのだから。

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月曜朝(20240527)

2024年05月27日 08時17分33秒 | 日記

月曜朝(20240527)

例によって0630出勤、職場着0700前10分。
夜半の雨がわずかに残る路面、ヒト通りない街路樹の下、蒼黒い雨雲の向うに青空、ひんやりした空気。
朝7時前の出勤路、山合いではなく普段は混雑する街中を通る。

今は仕事がかさみ、かなりハードな内容が続く。
一年で一番大変な時期、気の緩みやミスが許されない。
そのせいか、日々の感情でお気楽さよりシリアスなムードばかりが続く。
「勘」が、ミスれば深刻な未来を招くと、アラート出しまくっているのだ。
こんな時、先日の「河原忘れ物」と一緒で、安直な願望より勘に従うのが面倒でも絶対な正解。
そう考えると、こんなまとめが思い付く。
「願望」は過去「勘」は未来「創造性」は私、そして「感情」は現状認識。
つまり今現在の状況を、かなり喫緊だと評価していて、それは完全なる大正解。
もし今この状況を楽勝と判断すれば、絶対つまづき大怪我不可避。
今の現状認識としての私の「感情」は、実に正しく機能している。

この現状認識としての「感情」に狂いが生じると、いわゆる「うつ」や「心身症」になる。
そんな状況で社会生活が営めるはずがなく、一時休養が絶対不可欠。
で、今の私の状況、一時休養など絶対許されるはずがなく、死んでも前進し続けねばならない、いや、死ぬとしても、今の仕事を、次の方に託す万全の準備を整えながら死ぬしかない、そんな状況。
つまり、死んでも休めないのが今の私。
とすると、このままひた走るしかなく、シリアスな感情も現状認識が正しく出来ているとポジティブに解釈出来るから、そのシリアスな感情のまま、全方位気をつけながら、全力で爆走する以外ない。
だから釣りも危険を避け、安全な場ばかり選ぶ、五ヶ瀬や筑後川水系を控えつつ。
そのため、かなりの欲求不満が溜まるけれど、これはもう、致し方なし。
今の仕事に穴を開けたりミスる地獄よりは、もうずいぶんマシなので。
でも、行きたいなあ、あの雨雲向うの青空の下、五ヶ瀬そして筑後川水系。
今はあの遥か彼方の青い雲間を、ただこうして眺めるしかない。
そして、今日も一日仕事する。
全力尽くしようやくまっすぐ、ミスらず穴を開けないことだけが私の業務内容。
当り前で無難な結果を残すためだけに、この全力を尽くす。
ああ、それはまるで私の釣りそのもの、結局、何もかも全部同じ。
報酬があるとすれば、それは「全力を尽くす」そのただ一点だ。

そんなことを、今朝の出勤路で考えた。

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日曜朝(20240526)

2024年05月26日 06時45分07秒 | 日記

日曜朝(20240526)

来週から高校総体が始まる。
今日はその前の最終日曜日。
娘は朝練があり、9時前に出かけていく。
日曜朝に部活で出るのは、今日が最後。
そう考えると、見送ってあげたい気がする。
当の娘は、それほど節目な日と思ってないだろうが。

こうして節目節目が終わり、そしてついに巣立っていく。
その日がドンドン近付いてきている。

当の娘は、その巣立ちの日が新しい未来を手にいれる記念日。
でも私たちにとって、その日から、娘のいない時間が始まる。

そんな決定的な瞬間に、今日また一日、近付いた。
娘は私たちの寂しさを知らない、また知らせてはならない。
なぜなら、娘の未来にあるのは、ただただ眩いばかりの幸せだから。
そんな未来を前にする娘に、私たちの寂しさを伝えてはならない。
ただただ明るく見送るだけだ。

今日はその予行日になる。
しっかり見送ろう。

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弱点(20240523)

2024年05月23日 08時25分11秒 | 日記

弱点(20240523)

私の弱点は「希望願望」だ。
叶わないのに求め続ける。
そこに弱さがある。
でも「希望願望」がなくなることはない、それがヒトとしての宿命だから。
その「希望願望」を否定しても始まらない、なぜならそれが私の本質だから。
だからこそ「希望願望」が叶わないと煩悶し苦悩し、そこで立ち止まる。
その「希望願望」が無理筋なのを知っていても、「もしかしたら」と苦悶する。
私の「勘」が、私の未来に出来ること出来ないことを、既に仕分け済んでいる。
それなのに、無理筋の「希望願望」という際限ない闇が、私をそそのかす。
その「希望願望」をお手軽に叶えたら、と囁く、ドス黒く執拗な欲望。
そんな欲望に従えば、身の破滅は確実、そんな「勘」すらはたらく。
危険だ危険だ危険だ危険だ、と、猛烈なアラートを出し続ける。
でも「希望願望」は、敢えて危険な闇の底へ、私を誘い続ける。
お前の欲望は、そこで叶うと。

そんな時、どうするか。
「希望願望」に囚われそうになったとき。
「勘」と「欲」の天下分け目の大いくさ。

こここそ至極の宝刀を抜く時。

ひとこと。
「成仏!」

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海碧し(20240516)

2024年05月16日 15時20分31秒 | 日記

海碧し(20240516)

移動開始。
年休とはいえ、今日は大切な会食、たぶん深夜まで。
本当の年休は明日、東京から始まる。
実家に寄るのは未定、宮城滞在は3日間、その正味2日間が釣り。
釣具はもう全部送ってしまって手元にない。
なので、これから釣りするなんて気が全くしない。
私は本当に釣りするのか、そんなとぼけた気すらある。
ただ、シミュレーションはもう済んでいて、あとは無心に川へ向かうだけ。
見通しがあるとすれば、それは河原でスペイかメンディングする姿のみで、残念だけれど、釣れるイメージは全くない。
釣れることを敢えて避けているのか、と思うほど。
五ヶ瀬があまりに釣れず、釣れることを忘れたのか、キャストやメンディングのイメージしか浮かばない。
でも、それで良いのだ。
もう本当にそれで良い。

そんな気持ちに驚いている。
空港から見る海は碧く、大分の山々もまた蒼い。
もう全部それで良い気がする。

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山蒼し(20240516)

2024年05月16日 08時07分41秒 | 日記

山蒼し(20240516)

朝の気温17度、少し肌寒い。
薄着の小学生が駆け足で横断歩道を渡る、しっかり手を挙げながら。
その学童を見守る青少協の方々が行き交う車列と会釈を交わす。
ここはそんな皆の地元、そこを朝陽が照らす。
車を進めると、眼前に由布岳鶴見岳、それが全部、碧く輝いている。
いつのまにか、もうそんな季節になっていた。

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衣食住(20240513)

2024年05月13日 06時12分44秒 | 日記

衣食住(20240513)

先週土曜朝の音声記録ネタ。
ヒトは衣食住で足りるのか、ということ。

野性動物も「衣食住」の世界。
複数で暮らす習性と繁殖本能は「住」に分類。
野性動物は衣を着たり脱いだりしないけれど、体毛の生え替わりがあるから、それを「衣」に分類。
といっても、日々の「食」と繁殖を伴う「住」で一日を過ごす。

ヒトには「衣食足りて礼節を知る」ことわざがある。
「衣服や食糧が十分あって初めて礼儀や節度を期待できる」というもの。
https://ja.wiktionary.org/wiki/衣食足りて礼節を知る
最近では暮らし向きも大切とされ、衣食+住環境の充足が求められる。
つまりヒトも「衣食住」の充足が大切、野性動物と同じで。
でも、それだけだろうか?

野性動物とヒトの決定的な違いは脳の形と大きさ、特に大脳の表面積。
大型の霊長類と比べても、ヒトの大脳の表面積は圧倒的に多い。
その大脳でヒトは何をしているか、それを簡単にいうと「創造」だ。
でも、その「創造」の見返りが、よく分からない。

「衣食住」の見返りは、即物的で分かりやすい。
身に纏うもの、食べ物、住まい、そして伴侶と仲間。
これがヒトと野性動物の共通項。
でもヒト特有の「創造」な場合、その見返りは何か。
スポーツ応援、読書、音楽漫画絵画映画鑑賞、ハイキング、登山、マラソン、水泳、筋トレ、ペット。
その特徴は、それが衣食住の充足と無関係なこと。
もちろん、日常生活が充実するので衣食住がより豊かになるのだけれど、ここが野性動物と決定的に違う。
その本質は「創造性」の愉しみだ。
例えば、推しチームを応援し一体感に浸る愉しさは、推しと自分を同一視するヒト特有の創造性でもある。
この「創造性」は、読書、鑑賞、アスレチックやアウトドアなど、ほとんど全ての余暇がこれ。
つまり、私たちの衣食住以外の悦びの正体が、実は「創造性」で、直接実利ないものを愉しんでいる。
この「創造性」は野性動物からみれば「無意味」に見えるだろうけれど、それは興味ない他人にとっても同じ。
興味ない「創造性」に打ち込む姿など、哀れで無意味で価値のない存在に感じるだろう。
興味ないヒトにとっては大正解で、なぜならそのヒトにとって、それなぞ完全に無意味かだら、野性動物にとっても、そうであるように。

なにが言いたいのか。
ゲームフィッシングの「C&R」こそ、この「創造性」だ。
その他一般のヒトから見れば、完全に無意味で無価値な行為、それが「C&R」。

なにが言いたいのか。
だからこそ、価値があるのだ、「C&R」こそ「創造性」である私たちにとって。
しっかり装備を整え自然に入り美しい魚を釣り、そして逃す。
その行為を私たちは創造し鑑賞する、まるで芸術家が芸術作品を作り上げ、そして鑑賞家がその芸術に心を酔わすように。

私たちの「C&R」は、芸術を創造し鑑賞する行為そのものだ。

そんなことを、先週土曜朝の通勤路で、私は考えた。

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雨の一日(20240512)

2024年05月12日 07時02分24秒 | 日記

雨の一日(20240512)

雨の一日が始まった。
今日午前は仕事、午後からフリー、しかし明日朝から激務。
なので今日午後は明日の準備が必要だけれど、折角の日曜、もったいない。
とはいえ、あれこれ計画しても役立たないのは、20240506に考えた通り。
ベストなのはシミュレーションで、これを何パターンか立ててみる。
1)職場に直行し仕事する
1−2時間ほどで終わり、その後、橋桁の下でキャス練、雨でも大丈夫な場所。
ヒップブーツでOK、傘で橋桁の下に入り、30分ほどキャス練。
でも対岸が近いので高番手向きではない。
帰宅して宮城準備、荷出しは月曜夜。
2)大分川府内大橋直下に入る
昼から直で向かい、ウェーダー、ゴアジャケットで股下ウェーディングし、橋桁直下に入る。
ある程度雨風は防げるけれど、今日も南南東風速6で昨日と同じ、ちょっと無理。
このパターンは却下。
3)大野川白滝橋上に入る
ここなら南南東風速6でもキャス練可能。
でも雨は吹き曝し、けっこうタフなコンディション、しかもリバーシーバスはまだ早い場所。
それでも広々として、左右シングルスペイにはもってこい。
車から河原の距離も割りと近い。
4)自宅に直帰
もう何も考えず、自宅に真っ直ぐ帰ってしまう。
何より今日は雨だから無理しない選択。
キャス練なし、買い出しなし、仕事もなし。
そしてまず、宮城準備から始める。
明日は激務、そして夜には荷出しなので、準備するとしたら今日しかない。
あいだに雨のキャス練を入れれば、数時間はかるく失う。
ちなみに、練習に終わりなどなく、十分過ぎて必要ない練習もない。
つまり、どんなに不完全でも、今の技術でいくしかないのだ。
とすれば、今は宮城の準備を入念に進めるのが先決、そしてそれは、キャス練よりはるかに大切。
キャス練している場合ではない、今の状況は。

シミュレーション終了。
今日は午後から直帰の荷造り決定。
余裕があればキャス練から仕事準備。

追記)
計画は希望願望まみれになる。
その点、シミュレーションは成功失敗の見通しだから安心で安全。
ここが20240506に考えたこと、こんな細々したことを片付けておくのは、意外と役立つ。

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辛子高菜は辛いから(20240509)

2024年05月09日 20時42分21秒 | 日記

辛子高菜は辛いから(20240509)

先日、温泉場でラーメンを頼んだ。
GW中なので混み合い、大テーブルの相席で、そこで80歳過ぎのお婆さんに注文するシステム。
雨の中、大テーブルに3組ほど着席させられ、お婆さんが注文をとっていく。
「あれ、私たちの方が先やけど」
先に着いていたお父さんお母さんが小言いう、けれどお婆さんは耳が遠いらしい。
3番目の客が一番先で2番客は私だけれど、一番客のお母さんがそうゴネている。
ここは私も聞こえないふり、お婆さんが振り向いた瞬間、私は下を向きゴソゴソ。
そこでようやくお婆さんが1番客へ向かった。

結局それで最後の私、満を持し「とんこつラーメンチャーシュー5枚にライス、それと辛子高菜が二つ」と注文。
すると、それを書き留めるお婆さんの手が止まった。
「辛子高菜二つ? 辛子高菜は辛いけん、一つにしよ」
愕然とした。
辛子高菜が底をついた、というわけではなく、単にお婆さんの、それこそ老婆心。
「辛子高菜は辛いから」という親心で私の二つはキャンセル、一つになった。
お金を払えば手に入る、と思った辛子高菜二つ、それが老婆心でたったの一つ。

客に小言を言われながら、繁忙期でテンテコ舞いするお婆さんに、私は無理を言えなかった。
そればかりか大好きな辛子高菜を、お前は一つで充分と、お婆さんに押し切られてしまった。
気を遣ったといえば気を遣ったけれど、せっかく来店したのに、お婆さんに気遣い我慢する。
かたや正面のご夫婦はお婆さんに遠慮ない。
そしてお婆さんも私に遠慮ない。
しかも他の客はもう食べていて、入店2番目の私が最後になった。
気を遣った私が一人で損した、その全体の構図が滑稽に見え、笑えてきた。
でも、一人で笑っていると薄気味悪いだろうから、それを必死に噛み殺し。

15分ほどで、豚骨ラーメンチャーシュー5枚ライスと高菜キムチ一皿、到着。

高菜キムチ、少なっ!
写真だと大きく見えるが、これはコンバージョン効果、実際はかなり小さい。
お婆さん、オレ、これを二皿、食べたかったよ。
そう思いながら食べる、一番気を遣い一番損した私。
するとまた笑いのツボにハマり、むせそうになった。

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ボイスメモ(20240509)

2024年05月09日 19時48分44秒 | 日記

ボイスメモ(20240509)

今朝の出勤時、運転しながら考えたことを、音声記録しようと思い立った。
でもiPhoneでSiriは使わないし、音声SNSは送信してしまう。
なので音声記録ソフトをハンズフリーで奥に訊ねた。
両手はハンドルで塞がっている。

音声記録は何でするん?
「ああ、ボイスメモ」
ボイスメモ?どこにあるん?
「ちょっと待って、画面の4ぺージ目の左から4番目の上から4番目にあるよ」
ああ、ありがとう

赤信号の一時停止、私のiPhoneで確認すると、それは2ぺージ目の左から3番目の上から2番目だった。

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バーナード組織の3要素(20240509)

2024年05月09日 12時59分27秒 | 日記

バーナード組織の3要素(20240509)

仕事続きで空き時間がなかなかない。
土日の空き時間は日曜午後のみ、でも雨予報。
月曜から平日が始まり木曜には東京出発、帰宅は日曜深夜。
で月曜からまだ怒涛の平日が始まる。
この時期はどうしてもそうなるから仕方ないのだ。

社会生活は、上手くいくいかないは別として、全力を尽くす。
一番危険なのは、「期待や願望」に少しでも軸足を置くこと。
足元から必ずブレるので。
なのでベストは、「見通し」に軸足を置くこと。
そうすると、多少の不具合や意外な成功に惑わない。
見つめるものは、そんなところにないのだから。
それより、「見通し」がより良い形でより確実に実現するよう、今できることを丁寧に行うべきだ。
それなら、思いがけない失敗や成功に、一喜一憂せずに済む。

これを集団で考えたのが「チェスター・バーナード」の「経営者の役割(1938年)」。
そのなかで、
『彼は組織をシステムとして定義し、「意識的に調整された2人またはそれ以上の人々の活動や諸力のシステム」とした。
これは公式組織の定義であるが、その成立のための条件として組織の3要素:共通目的(組織目的)・協働意志(貢献意欲)・コミュニケーションを示した。』
https://ja.wikipedia.org/wiki/チェスター・バーナード

つまり、「共通目的」「貢献意欲」「コミニュケーション」の3要素が、組織の運営に役立つという。
バーナード組織の3要素とは?わかりやすく解説」by 武蔵野コラム様
https://www.m-keiei.jp/musashinocolumn/management/barnardorganization

この3要素を組織リーダー目線で見ると下記となる。
「見通し(ビジョン)の提示」「見通し(ビジョン)の共有」「作業経験の活用」
この組織メンバー目線が下記。
「ゴールの周知」「ゴールへの個人努力」「ゴールへの集団協力」
だからもし、2人以上の集団を統率する際に、
1.ビジョンを示す
2.ビジョンを共有する
3.ビジョンに関連した経験を集合知化する
ことが大切になる。
この時のメンバー目線は下記となる。
a .分かり易いビジョン
b .報われる個人努力
c .心地よい集団協力
だから監督する方は、メンバーの努力が報われ、快く協力し合える環境の構築が重要になる。
ここをしくじると組織はクラスター化し、千々に崩壊する。
その多くの場合、ビジョン提示ビジョン共有が最初から失敗している気がする。
だから逆に考えると、提示したビジョンを共有できるメンバーを集めることが大切で楽、当たり前だけれど。
メンバーがただの寄せ集めで一定の方向性を持たない場合、リーダーは個々のメンバーへ「一対一の対話」を通じ、向かうべきビジョンを提示し支持を得る必要がある。
「一対一の対話」これは昨日考えたように、相手以外一切見ない対話姿勢のこと。
対話の効果やその自分の姿について一顧だにせず。
そんなハートフルな運営ができれば最高だと思う。
けっして希望や期待に浮かれることなかれ。

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