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なかなか釣りに行けない(goo版)

なかなか実釣出来ず、稀の釣行を夢見て、机上の空論を重ねる備忘録です。

Hatenaブログへ完全移行(20250423)

2025年04月23日 06時06分42秒 | 日記

Hatenaブログへ完全移行(20250423)

先日から始めたgooからHatenaへのデータ移行、まだ終わらない。
テキストデータは案外早かったが、写真データはかなり時間がかかる、たぶん数週間単位。

gooブログは表をつくるのが大変だったけれど、その他は何も覚えずに済み、本当に楽だった。
だから長く続けられた。
NTTのgooブログ運営に深く感謝。
ありがとうございました。

今後は下記のHatenaブログに完全移行する。
https://sc2sc.hatenablog.com/
gooブログ版の閲覧は11月18日まで。

コメント (2)

期待(20250422)

2025年04月22日 08時22分39秒 | 日記

期待-心地よさとは何か19(20250422)

ヒト最大の弱点は希望願望、その期待感だ(20250219)。
期待していたのに裏切られた、と途方に暮れる、その瞬間だ。
この場面は、個人的な関係や仕事上の契約関係以外に、折角の休日に雨天、花見で花がない、そして釣りに行って魚がいないなどもそう。
期待外れから、下手すると相手を恨み出す。
アイツがアノ会社が悪い、天気が恨めしい、なぜ花が咲かない魚がいない、そういって相手に恨み辛みをぶつける。
これは何事でもそうで、アウトドアなら「折角来たのにクマの足跡、まあ大丈夫っしょ!」と奥地へ進むのと同じ。
茂みの奥から突然駆け降りてきたクマに「冗談!話が違うっしょ!」といいながら、無惨にもその餌食になってしまう。
アウトドアで大自然に相対する時、私たちの希望願望など通用するだろうか。
大自然を前に私たちに出来ることは、目の前の変化へ確実に対応し続けることしかない。
大自然のなかで、次の瞬間私たちに起きることは、地滑り巨岩崩落獣害蜂害そして地震雷など、ほぼ予測つかない。
出来ることはただ一つ、その予兆に素早く対処することだ。
山岳釣行中に雨天あり、濁水増水にそなえ退渓路を確保する、など。
もしその対処に失敗した場合、その責任は自分自身にこそある。
他の誰でもなく。

街中の日常生活でも全く同じ。
期待していたのに裏切られた、その責任は自分自身にこそある、他の誰でもなく。
相手に自分の希望願望を乗せて被せたのは、他でもなく自分自身なのだから。
その相手とは、他人であり社会の仕組みであったり、ヒトの営み全てが相当する。
一番の失敗は、勝手な自分の希望願望を、無責任に相手へ押し付ける点。
「クマなんか大丈夫っしょ!」と何ら変わらない構図。
つまり大切なことは、相手の変化に確実に対応し続けることだ。
その時の主語は私にあり、相手にはなく、その意味で充分にマネージ出来る。
だってボールはコチラにあるのだから。

「相手に期待する」ことは一見優しげで微笑ましく感じられるが、実は無責任な押し付けでしかない。
あくまで主語は私自身にあり、その「私の心地よさ」に相手を受け入れる、そのことのみが正解。
そしてその作業は、個々刻々の対応にこそある。
この次に起きる出来事は実は誰にもわからない。
だからこそ個々刻々の対応が大切になる。
いたずらに相手に、期待してはいけない。

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全部やる(20250421)

2025年04月21日 08時17分22秒 | 日記

全部やる-心地よさとは何か18(20250421)

2択で迷ったら「全部いい」が正解だと考えた。
でも今年2月に少し迷い「どーでもいい」にちょっと傾いた(20250223)。
渓流解禁日を前に弱気になったのか、めずらしく「問題回避」を見直していた。
20250210の記録にも"決められなかったら「もうどうでもいい」じゃなく「敢えて決めず持ち越す」のが正解は、以前考えた通り(20241216)"とあるように。
でも「問題回避」は何の解決にならず、先送りした問題が深刻化していくだけだった。
結局「残った問題」を全部やるハメになった。
その通りで、先送りしたところで結局全部やることになるのだ。
なら最初っから、全部やってしまった方が良い。
つまり"先送り"一切なしの「全部やる」が正解なのだ。

もちろん迷ったら「全部やる」のは、非効率的で非現実的。
かならず順番があり取捨選択もある。
やる順番は下記。
1)いまできること
2)より実効的なこと
3)大変だが避けられないこと
捨てる基準は下記(これは最初から悩まない)。
4)ダメなこと
5)危険なこと
6)悪意あること
かといって期限内に全部できるわけはなく、「全部やる」と決めたことの1割も完了すれば充分だ。
次の時間で残り9割こなせば良いから。
たぶん一生かかっても「全部やる」ことの全ては叶わないかもしれない。
でも最初から「先送り」するよりハナから全部取り掛る方が健康的だ。
たとえ全部できなかったとしても。

考えてみれば、全部叶うヒトなど、唯の一人もいやしない。
なら全部やってしまえばいい。
なにを躊躇している、出来るとか出来ないとか、やりもしない結果に悲観し手を止める、そんなことは愚の骨頂だ。
出来る出来ないではない、全部やる。
それのみが正しい。

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gooブログが11月18日で終了する(20250415)

2025年04月15日 08時11分32秒 | 日記

gooブログが11月18日で終了する(20250415)

NTTによるgoo運営、とうとう損切りされる。
NTT収益で、SNSがブログに勝ったのだろう。
7ヶ月後にgooブログは全部なくなる。
メジャーなブログ運営は、Ameba、note、はてな、WordPress、ライブドア、SeeSaa、楽天などがある。
gooブログは2012年から始めて13年が経った。
シンプルで簡単だったので、課金までして重宝していた。

ブログ運営の終了例はyahooブログがそうだし、今後、FC2そしてgooへ続く。
広告収益目的で運営する企業視点では、収益の上がらないブログより華やかなXやインスタ、メタの方が魅力なのだ。
「より永く運営する企業はどれか」で次のブログ運営を選ぶ方が良さそう。
すると、広告収益に頼らない企業がベストになる。
その視点なら「WordPress」がweb収益一本だから安心。
でも、、、「WordPress」への移行、けっこうキツい。
不安しかない。

追記)
gooの「引越しデータ作成」サービスが始まった。
行き先は2つ、AmebaとHatena、その他は対応外。
すると当然「WordPress」は選択外になった。
仕事が暇で釣り記事も減る真夏に対応予定。

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今年の夜桜(20250406)

2025年04月06日 23時02分01秒 | 日記

今年の夜桜(20250406)


たぶん大分市の最終便。

キャス練からの帰り、抹茶片手に一人鑑賞会。
奥は新生活を始めた娘のもとへ出張中。

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3月31日朝(20250331)

2025年03月31日 07時34分14秒 | 日記

3月31日朝(20250331)

21時過ぎに寝て5時には目が覚めてしまった。
畳の寝床でそのままPCを開いた。
いつものモーニングワーク、朝の情報収集。
実家で酒盛りしている間にあまり世相は動いてないらしい。
運営方針が変わったのかXを流れる刺激的な情報も少ない。
たぶん平和な年度末日。

鳴子の宿で朝風呂入りゴミを片付け着替えていたら、7時半を回ってしまった。
早朝−5度からいくぶん上がり今−1度、昼近く雪が降る予報、やはり過酷。
リスク回避からゆっくり出かけキャス練に専念する。
しかし東北入りはタイミングを本当に選べない。
逆に考えると、東北の好条件は意外と短いかもしれない。

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宮城なか4日(20250327-30)

2025年03月30日 20時18分32秒 | 日記

宮城なか4日(20250327-30)

到着してすぐ親戚周り、それから実家、夜は酒盛りして終わり。
翌日は実家のゴミ200kgを搬出、その後、また親戚の訪問あり。
翌々日は朝から法事、終わって直ぐ実家の家族旅行、夜酒盛り。
そして今日、旅行から実家帰着、昼過ぎ解散。
私はとりあえず鳴子方面へ出発。
諸事済ませながら荒雄へ向かう。
荒雄着、曇り、気温4度、雪が舞う。
鳴子ダム水位249.78m、轟橋水位0.34m、雪白濁り。
 

荒雄川と鳴子ダムの階段堰堤がかなり沈み、轟堰堤下のメガ虹も水路を登った?
百目木(どうめぎ)橋の上下。

明日の日の出05:23、日の入り17:59、日照時間12時間36分。
とはいえ水温はかなり下がっている。
気温予報−5度〜4度、かなり厳しい。

追記)20250331
アルコールは自発性を低下させる。
飲酒後24時間経っても、寝ている間、起きる直前に考えているアイテム数が極端に減る。
経験上これが2−3日続くから、その間に判断ミスや見落としはかなり増える。
要注意、とくにアウトドアでは。

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宮城へ(20250327)

2025年03月27日 07時18分57秒 | 日記

宮城へ(20250327)

0330起床、0530出発、博多経由で仙台へ。
大分駅からJRで博多駅へ、別府湾が黄砂でかすむ車窓に雨脚が伝う。
今日の九州は雨らしい。
昨日の東北は低気圧で猛烈な風、風速20−30mで新幹線が止まったらしい。
今日は岩手北海道に抜けるらしく、まだましな天候とのこと。
今週末の宮城の天気はやや下り坂、気温も下がり、鬼首方面は最高4−5度、最低−3度と真冬の湯布院並み。
荒雄川はまた過酷な釣りになるだろう。
タイミングを選べないだけに、これは仕方ない。
県南も最高10度、最低0度とあまり変わらない。
宮城のサクラマス情報は少なく山形赤川でよく釣れているらしい。
まあ、何も考えずキャス練に明け暮れれば良いだけのこと。
あまり計画しないで行動しよう。
鳴子宿のキャンセル料もこの際惜しくない。
折角の宮城だから自由を優先する。

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闘い(20250325)

2025年03月25日 08時28分22秒 | 日記

闘い-心地よさとは何か17(20250325)

避けて通れないこと、闘いについて。
争いはお互いの否定から始まる。
お互いの未来にお互いが居ない、そこから争いが生まれる。
コチラはアチラが邪魔、アチラはコチラが邪魔、その邪魔を退かすために争いが始まる。

その邪魔な対象は、その存在そのものから単なる言葉や想いだったりする。
例えば「アナタの発言はワタシにとって強い違和感がある」という具合に。
そしてお互いの否定が争いに発展していく。
どう対処するべきか、少なくともコチラが否定された時に。

キーワード「アンガーマネジメント」で整理したが(20250317)、不意な攻撃は復唱がベストだ。
「バカ!」といわれたら「バカとは何だ!」が大正解なのであって、狼狽えるのが破局的大失敗。
殴られたら蹴られたら、殴り返す気持ち蹴り返す気持ちが大切。
それは相手に「アナタの希望願望はコチラに通じませんよ」との応えになるから。
山中でクマに襲われたらクマを斃す気迫で立ち向かってこそ助かる可能性がある。
「ワタシはアナタの餌ではありませんよ」とキッチリ伝えるのだ。

ヒトはしょせん野生動物なので、野生の法則がまかり通る。
弱肉強食、生きるか死ぬかの瞬間が続いていると考えていい。
ヒト社会でも全く同じ「生きるか死ぬか」の瞬間が続く。

家庭友人職場ではお互いを否定することない時間が過ぎていく。
それはそんなコミュニティを築いているから。
そのコミュニティ外で「野生の法則」に遭う。

初対面または短い付き合いでのお互いの印象が、お互いの価値や役割を"決めつけ"ていく。
その"決めつけ"がお互いに受け入れられない場合、不幸な争いへ進む。
この"決めつけ"こそ争いの原点とすれば、"決めつけ"を避ければ争わず済む。
だから「アンガーマネジメント」で相手の復唱が大切になるのだ。
復唱そのものが"決めつけ"を避ける行為なので。

程度の軽い争いは"決めつけ"から始まるので対応可能だが、深刻なのは次の場合。
お互いの価値や役割の"決定"だ。
こうなるともう折り合うことがない、なぜなら決定事項なので、アチラとコチラの敵対関係が。
すると対処法は徹底的な排除であり「闘わば必勝あるのみ」と社会的な生死を賭けた争いになる。
現代日本での武力対決はスポーツ以外存在しない。
他は社会闘争や法廷闘争、公権力行使だ。

日本の法律外に「私刑」がある。
社会闘争・法廷闘争・公権力行使で解決しない対立の解決を求めて。
闘争の一切が相手(その存在または発言や意思)の排除にあるから、その手段として暴力を使う。
簡単に言うと、相手の隙を犯罪として突くのだ。
突く方は犯罪者だし、突かれる方は油断がある。
お互いの理解の乖離がそこにある。

例えばヒトとクマは互いに理解し合えない、それと全く同じ構図だ。
無防備にクマの巣に入れば餌食になる、それは当然の摂理で大自然の法則の発動だ。
相手をよく見ることが大切、それが日常生活でも野外活動でも。
その注意深さが結局、我が身とコミュニティを守ることになる。

"決めつけ"から始まる対立にもし巻き込まれた時、どうするか。
アチラはコチラを"決めつけ"てくるので、その"決めつけ"を復唱し充分に距離を空ける。
あくまでもコチラからアチラを"決めつけ"ないことが大切、不意の攻撃を避けるために。
そして常にアチラを観察し続けることだ、嫌々ではなく、興味を持ち心底凝視し続ける。
たとえ立ち上がったクマでも怯まず観察し続ければ一瞬でも勝機が見えるかもしれない。
さもなくば一撃でコチラが斃され餌になるままだ。

野生の法則で考えれば、Fight or Flight:闘うか逃げるか、その瞬間に我を失い狼狽えるのが最悪手中の最悪手。
そんな場面つまり"決めつけ"のチャレンジ(クマでいうところのお前は餌だ)を受けた場合、我を見失わず「私」であり続けることが大切だ。
どんな場面でも「私」であり続けるにはどうするか、その保つべき「私」とは何か。

それは野生動物と同じ「心地よさ」だ。
「心地よさ」の一環として、死を賭して闘う、命からがら逃げ去る。
「心地よさ」を見失い混乱し錯乱すれば、なにもかも失いかねない。
この今の瞬間の「心地よさ」を保ち続けることだけが大切。
その意味で、薬物または「希望願望」「痴情劣情」で「心地よさ」を見失った時が人生最大のピンチ。
桜の季節そして実家で酒盛りの日々。
大丈夫か私。

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大分の桜開花(20250325)

2025年03月25日 08時24分49秒 | 日記

大分の桜開花(20250325)

通勤路の桜が始まっていた。
その傍の梅もまた咲いていて、めずらしく両花競演。
今年の冬は寒かったからか。
そういえば湯布院オイカワも深場に落ちたし、五ヶ瀬ヤマメも芳しくなかった。
でもようやく新しい季節が始まる。

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信頼(20250321)

2025年03月21日 08時29分01秒 | 日記

信頼-心地よさとは何か16(20250321)

多くのヒトに信頼され頼りにされているという。
その意味を考えた。
私の大ボスもそう、そして私にも何人かの信頼出来るヒトたちがいる。
共通項は安定した情緒、そして私たちの未来を裏切らないこと。
不安定な情緒は浮石と同じで全体重かけるにはあまりに危険。
そして予測可能な未来、魚の滅んだ水域で釣りは成立しない。
その視線で「心地よく生きていく」のに何が役立つか考えてみる。
するとコチラにも安定した情緒と確かな未来が必須なのがわかる。
コチラが信頼されるされないとは無関係に。
まずは自分自身の足元の確かさが必須。
アチラの評価など二の次だ。

ヒトは他人を見ていないという。
自分で思っているほど周りは自分のことを見ていない「スポットライト効果」
https://nazology.kusuguru.co.jp/archives/136889
有名な研究で、実生活も全くこの研究通りだ。
自分がどう見えるかどう思われているか考えても仕方ない。
私への他人の解釈を変える、なんて不遜も不遜。
ヒトの心を変えるのは神の御業なのだから。
他人の心を欲することは「希望願望」の悪手でしかない。

結局、ヒトは強いからこそ信頼される。
その強さとは「心地よさ」の確かさだ、決して誰かと争うでなく。
他人はそのヒトの「心地よさ」を頼ってくる、決して見返りを求めるでなく。
相手が心地よければ自分も心地よく、自分が心地よければ相手も心地よい、そんな純真無垢な信仰。
「心地よさ」は命そのものであって健康の証し(20221011、20250213、20250214、20250215)。
なので健康を害し「心地よさ」を損なった場合、私以外の他の誰かを頼れば良い、本当にそれだけだ。

そう考えれば信頼され頼られるのは、ただの役割分担だとわかる。
今がそのお役目にあるなら、精一杯そのお務めをさせていただく。
それがかなわなければ、お役目返上し、誰かの世話になるまでだ。

命は栄える方に進む。
「心地よさ」は「心地よさ」をさらに繁栄させる。
その役目が務まるうちは、迷わず進もう。
私の心地よさが相手の心地よさの支えとなるよう。

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金曜朝(20250321)

2025年03月21日 08時19分21秒 | 日記

金曜朝(20250321)

無風快晴、気温10度。
今日は20度まで上がる予報、来週は25度を超えるらしい。
桜開花が一気に始まる。
日本気象協会の予報だと例年通り、なので3月24日、来週月曜頃。
宮城の開花予報は4月6日なので実家では花見はできない。
大分に戻る時は桜の散る頃、大分の桜になんとか間に合う。
明日から土日は終日仕事、月火水も終日仕事、木出発。
今回の宮城では親戚周りと実家の整理が主。
両親の介護に向けて改築改装の準備に取り掛かる。

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寒の戻り(20250319)

2025年03月19日 23時35分20秒 | 日記

寒の戻り(20250319)

昨日から今朝は3月中旬なのに吹雪き、寒の戻りへ。
気温は日中もそう上がらず、川の中の魚も驚くような寒さ、今日もキャス練は断念。
明日は少し緩むらしく、キャス練再開へ。

明日は中潮、干潮05:20/86cm、 満潮11:00/169cm、干潮17:39/31cm、北西の風、気温14度、晴れ。

水位は大して上がらず、稚鮎の遡上は午前、午後は海へ引き戻されると予想。
落鮎時期のようにギガシーバスが入る条件でもなく、良くてフッコな河川域。
それでもかなりなキャス練になる。

ところで来週の宮城、そろそろ荷造りの時期。
日曜夜がデッドライン、それまで必要物品を見定める。
まずフライボックス。
1)自然河川管釣り用Box1個
2)自然河川クイルウィングBox2個
3)鹿革太長v4Box1個
4)極細短チューブフライBox1個
5)極細長チューブフライBox1個
6)極細チューブフライ乾燥Box1個
7)スプーンフライ/セイゴ鈎Box1個
さらにシングル針セット1個、チラシ針セット1個、ドロッパーbox1個追加で合計11個になる。
次にメインラインワレット。
1)400grセット
2)Rio-ScandiShortVersiTip#6F-370gr(10m24g), Tip10ft
3)550grセット
4)Rio-ScandiShortVersiTip#8F-485gr(10m31.4g), Tip10ft
5)kencube-PH6セット
6)kencube-PH8セット
そしてリール。
1)アーバーテンペストBlue:ナイロン6号
2)アーバーテンペストBlue:ナイロン30号
3)スペクトラムLTモレル:ナイロン8号
4)スペクトラムLTモレル:ナイロン35号
5)東洋工業:ファイヤーライン4号
フロロラインは10号、5号、3号、2.5号、2号、1.75号、1.5号の7巻のみ。
TGショットはラウンドアイBoxのみ。

同じランでDH#6と#8を使い分けないから、25Lスリングバックの中身はフライBoxが主になる。
すると不必要なリールとメインラインワレットは荷下ろし出来て、その分バック内が片付く。
リール/メインラインは薄い袋にまとめると収納は楽かもしれない。

今不足しているのはサクラマス用の単針とチラシ針のみ。
明日明後日で追加作成する。

追記)
自然河川クイルウィングBoxの一つの記録。
AHREX FW580#10のインビクタPが減ってきた。
補充作業に取り掛からねば。

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みかえり(20250317)

2025年03月17日 08時29分03秒 | 日記

みかえり-心地よさとは何か15(20250317)

ヒトはみかえりを期待する。
予定調和的な日常生活の一環として、ではなく、行為の結果としての見返りを期待するのだ。
たぶんそれは希望願望の延長にあり、ヒトとしての定め、人間の証明、あらがえない現象。
でもその結果「みかえり」を秤り、軽ければ不満を、十分なら満足を、感じてしまう。
その現象そのものは人間の証明なので無くならない。
怒りや憤りや恨み辛みが無くならなのと一緒だ。
ただし、そのネガティブな感情に拘り続けると社会生活が破綻する、最悪の場合、犯罪者となる(入門犯罪心理学、原田隆之著)。
ヒトも野生動物なのだから、その群れの中で暮らしていく、そのために必要な事。
「みかえり」軽重の計測を、危険行為とすることだ。
山中の突然の豪雨で釣り続ける、開けた河川敷で雷鳴雷光のなか釣り続ける、などに匹敵するリスク。
それは物理的な死を、そして「みかえり」の計量は社会的な死を、それぞれ招く。

アンガーマネジメントについて考えた(20250117、20250119、20250125)。
腹立たしい相手の言葉や行為をそっくりそのまま相手に返すことが、自分と相手の気持ちを切り離し、客観的な冷静さを保つ方法になる。
せっかく釣りに行ったのに全然釣れない、そのみかえりなさへの落胆憤慨、その時の対処方法。
それがその時の答えの全てだ。
全く釣れない、うんともすんともいわない、カスリもしない、その結果こそありのままの現実。
めくるめく大爆釣を希望願望する方が間違っている、それはこの世に存在しないので。

「みかえり計量」はヒトとして避けられない。
ならばその使い方に気を付けていくしかない。
軽い重いが現実そのまま、ならその上に次の瞬間を載せればよい。
間違った「みかえり計量」は、その上に築く未来を壊すから、特に慎重に評価する。
つまり「みかえり」の計量と評価に一喜一憂してはいけないのだ。
あくまでも「みかえり」の質は、その対象が将来役に立つか見極める材料になる。
すると「みかえり」の評価では、冷たくも透徹した判断が必要。
嬉しいとか悲しいとか悔しいなど、子供じみた気持ちを弄り回す場合ではない。
しかもその方向はネガティブな感情に支配される時間を短縮し、結果として「心地よい時間」を永続させる。
当たり前のことだが、子供じみた闇に落ちないよう、特に気をつける。

追記)
私の大ボスは、部下が意にそぐわない場合、言葉と時間をかけ全力でコミュニケートしていた。
すぐ切り捨てず、全知全能で対処していた。
それは大ボスの人徳と才能の賜物で、私には真似できない芸当だが、ものすごく参考になる。
自分に出来る範囲で全力で対応してダメなら、それが現実、それ以上でもそれ以下でもない。
その事実の上に、新しく次の未来を築けば良い。
たぶん私の大ボスはそう考えておられる。
だからこそ大ボスはいつも「心地よい」。
そんな気がする。

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月曜朝(20250317)

2025年03月17日 08時26分00秒 | 日記

月曜朝(20250317)

気温3度、昨日からの強い風が背の高い竹林の笹の頂きを揺らしている。
その向こうに、快晴の青空が見える、もう8時近く、かなり出遅れた。
通勤路から見える山々は高崎山以外、鶴見岳由布岳全部冠雪していた。
去年から立つ果樹園ののぼり旗が、ものすごい勢いではためいている。
寒の戻りだ。
ここ数年、今頃何をしていただろう。
たぶん、五ヶ瀬の山奥で夜明け前から水に浸かり岩を乗り越えていた、野生動物さながらに。
今年は普通にアーバン生活、3月なのに年休使わず朝から出勤してPCをいじり倒す毎日。
この時間の流れは震災前のスケジュール、つまり14年前に私の日常が戻りつつある。

2011年、震災で私の故郷と思い出が破壊され、亡くなった二万人の方々のように私も今死ぬことがある、その現実を思い知った。
もし今死ぬとしたら私は何が心残りか、それを考えた。
日常生活は何一つ不自由なく、取り立てて不満がない。
でももしあるとしたら、それはずっと我慢し続けた事、それが「釣り」だった。
「釣りしてる」のを知られると「穀潰し」と面罵される(これは実体験)。
なので極力控え続けた、本当は釣りに行きたいのに。
もし今死ぬとしたら最大の心残りが「釣り」なことに気付いた。
今死んで心残りなく成仏するには「釣り」が足らないと。
それで2012年秋頃から本気で釣りを再開した。
私自身が気持ちよく死ぬために、死んで心残りないために、またそうすることが、亡くなった二万人の方々の供養になればと願い。
そんな理由で3月初日から山に入り水をかき分け岩肌を乗り越え続けた。
「心残りなく気持ちよく死ぬために」だ、亡くなった二万人の方々を想いながら。
結局、それで私は五ヶ瀬の谷底で滑落し一瞬でも気を失った、つまり死の底に落ちてしまったのだ(20220314)。
当時の記録に恥ずかしくて書けなかったが、その後、助かったことを実感した瞬間、私は泣いていた。

 自分の死に直面したことでようやく私はあの震災と同じ体験を持てた
 でも私が死なずに助かったことは、亡くなった二万人の方々に申し訳ない
 その一方で、私は今生きている、それが純粋に嬉しい、不謹慎かもしれないが

そんな思いが一気に押し寄せた、ベースの車に戻り、ピーナッツチョコレートの甘さに驚いた瞬間のこと。
まるで山林の春風に包まれた花粉症の様に、涙が止まらなくなった。
その瞬間から少しずつ気持ちの整理がつきだし、遠隔地に暮らす東北人としての震災復興がゆっくりと進み始めた。
そんな十数年間の記憶がいっぺんによみがえった。

車窓に映る七分咲きの梅林、その向こうに震災前の日常が待っている。
私はずいぶん永い間、私自身の震災とその復興に時間を遣った。
社会人として暮らす時間はそう残っていない。
今この時を大切にしよう。

そうおもっていると職場に着いた。
なぜかここを懐かしく感じる。

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