PEチラシ針(20230531)
PE50lb27mm、スーパー山女魚8.5号。
1本針はバーブを削ったC&R用の極細チューブ針。
C&R用針(20230530)
サクラマスSP11号(OH社)とPEの「バリバス セリオラ アシストライン PEノット 120lb」を使用。
このPEにブレイデットリーダーと同じ要領でループを作成、そこにチモトを差し込みスレッドで固定。
仕上げにグラインダーでバーブを削り完成。
チューブで使うC&R専用のシングルフック。
コクワガタ飛来(20230530)
朝一番の窓に小さなコクワガタ。
こんなところに珍しい、それで写真撮影。
でも本当に小さい、子供の頃を思い出した。
タイイング(20230530)
大分は昨日(20230529)から梅雨入り、去年より13日早い。
天気予報でもしばらく雨が続く。
五ヶ瀬水系は火山灰でまた白濁るだろうけれど、大分は若干増水する程度か。
降り出しはさすがに濁るだろうけれどじき落ち着き、やや高水位で安定すると予想。
そう考えると、鮎は番匠川が面白そうだし、大分市近郊も濁りが落ち着けばどこでも大丈夫。
本流ヤマメは少しお休みとして濁らない支流が取り敢えずの選択肢。
7月上旬、関東方面の出張がある。
旅費支給は片道航空券のみ、あとは全額自費、まあ当たり前だけれど。
なので新幹線で7月ヤマメ狙いで東北入り、タイトな日程だから実家には秘密。
でもそのための鈎は十分あるだろうか。
日曜五ヶ瀬で3本ドロッパーで対岸をキレイに釣りロストしている。
2週間前もやはり五ヶ瀬でドロッパーをロストしたから合計6−7本は欠けてしまった。
補充が必要、でも何を巻く?
インビクタP極細チューブ、グリキン、エルクヘアカディス、カネマラB、ブラックフェアリー、など。
東北はオイカワが多くちょうど婚姻期だからピーコックソードを多用してみる。
スロートはイエローのギニア、テイルは金のクレスト。
九州とちがい東北では樹々から落ちる昆虫の量が多いので小型が多数となるらしい。
なのでAhrexの#10程度が主になる。
また、荒雄川も選択肢に入るからAhrexの鹿革太長verも十分量用意する。
それとチラシ針もシングルとダブルの大中小を各20組ほど。
この1ヶ月間はその作業に追われそう。
よく考えれば完全自費だが7月末にも関東に出れるチャンスあり、でも梅雨明けの盛夏、どうなるか未定。
いずれにせよタイイングが滞っている。
これは前に進めよう。
勘と願望と道と(20230529)
釣れない五ヶ瀬を釣り歩きながら考えた。
結局のところ釣りは魚を手に入れてこそ、またそれが願望。
でも釣れないのは情報と経験から予測済み、正にこれが勘。
この勘はヒトのなかに宿る野性そのもの、生き残るための大事な機能。
なら願望は何か。
ヒトがヒトである理由、またはヒトの証明。
願望は一般的にヒトのみがもつ高次脳機能なので、裏返せば、ヒトは願望から逃れられない。
かといって願望ままに行動すれば命が危うい(20220314)。
だから野性の勘をはたらかせ危険を未然に防ぐ。
その意味で、願望はアクセル、勘はブレーキだ。
五ヶ瀬を歩く私の願望はやはり「ヤマメを釣りたい」。
でも「現実は非常に難しい」ことは勘がしめす通り。
なのに五ヶ瀬を歩き続ける。
その行為そのものが心地良く、好きだから。
それが私の個性の決めた「道」なのだ。
結局私の釣りは「サーモンフィッシング」へ向っている。
この九州でサーモンフィッシングなんてバカバカしいけれど。
それでも本州遠征や東北帰省から、本州の本流に立つ機会は増えていく。
なのでフライでサーモンといえばサクラマスだから、そんな釣りになる。
八王子Oさんの
「サクラマスはルアーの方が確実に釣れる」
という感想は現実的で、サクラマス狙いならどう考えてもルアーが手軽で確実。
そこにフライな立ち位置は「もの好き」以外の何者でもない。
フライが釣るマスはテリトリーの広い食欲と活動性の高い個体、もちろんそんなマスは餌やルアーにも当然掛かってしまう。
餌は活動性が低くテリトリーが狭くても目の前にくると食い付くし、ルアーは魚食魚としての本能をとらえる。
その点、フライが対象とするマスは随分狭く、しかもそのマスは群れの一部でしかなく、なおかつその群れが小さければ苦戦は不可避。
ただしこれは本流ウェットに限った話で、源流や本流イブニングのドライなら餌・ルアーの釣果超えが十分狙える。
でも私の「道」は本流のサーモンフィッシング、まったくバカバカしいけれど本当に。
「蓼食う虫も好き好き」という諺がある。
https://ja.wiktionary.org/wiki/蓼食う虫も好き好き
そこに心地良い感動や満足があるのだからしょうがない。
それこそ"個性"なのであって他人からは修正できない。
その方向で行動する事そのものが目的であり結果になる。
一般的にそれを「道」という。
その意味で私の「道」はサーモンフィッシング。
九州にサーモンはいないので擬似になるけれど、それでも五ヶ瀬本流とか大野川大分川リバーシーバス・リバーコチなど、歩む「道」はいくらでもある。
たぶん私はそんな「道」が見つかっただけ幸運と思う。
けっして思うように釣れないし危ないところばかり歩くけれど。
結局はヒトの宿命である十字架つまり「願望」を背負い、自然の一員である野性つまり「勘」をはたらかせ、特定の方向を目指す行為つまり「道」を実践し続ける。
それが私にとっての本流ウェットフライ。
それはそうとして、今週木曜から大分市でも鮎が解禁する。
おりしも台風2号接近中、梅雨前線も活発化し、大分市はしばらく雨天予報。
でももし可能なら6月1日0500-0700の出勤前2時間、鮎フライを試したい。
テンカラ竿にナイロン10号のチンチン釣り、ショット下の3本ドロッパーで5ロストまで準備する。
でも現実は、雨でどうにもならないだろう。
そんな気がする。
五ヶ瀬18日目(20230528)
目覚ましは0330、でも2度寝で0415起床、0508宿発、0530現地着。
既に先客あり、大慌てで次の場所へ移動、なんとか間に合い一番乗り。
0600-0800、2時間、日之影橋水位−1.79m、曇り、気温17度。
1)DH13.3ft#7、kencube-SSL#8(11.5m28g)、フロロリーダー9ft、フロロ2号3本マルチ(#6)
ノーテイク、ノーフィッシュ。
鹿革太長黄まで出したけれど完全なスカ。
次、星山ダムインレット。
0900-1100、2時間、日之影橋水位−1.79m、曇り、気温23度。
1)DH13.3ft#7、kencube-SSL#8(11.5m28g)、フロロリーダー9ft、フロロ1号3本マルチ(#10)
ノーテイク、ノーフィッシュ。
ザ五ヶ瀬中流域という広大な場、ドストライクだ。
ここで竿洗い、大分の大野川へ転出。
1430-1630、2時間、白滝橋水位不明、小潮下げ5−8分、曇り、気温25度。
2)DH13.3ft#7、Rio-3D-SIS3S5(520gr)、フロロリーダー、フロロ4号チューブフライ
タッチ一回、でも針先が曲がったままでフックアッせず。
慌てて研ぎ直したけれど時すでに遅し。
左岸なので右投げの練習にはなった。
ラインが重いのでリフト/スイープをしっかり区別しメリハリある竿運びでほぼ対岸まで。
シーバスのボイルもあったけれどリップなしのチューブ、水流変化ないと難しいか。
その後、洗車し18時に帰宅。
追記)
リバーシバスにはDH#8/9と640grainの組み合わせの方が良いかもしれない。
シーバスのボイルは対岸際で繰り返し、そこに確実に何度も届く強度が欲しい。
キャストが上手になればある程度届くのは確認できたが、でもそれも風向き次第で難しくなる。
強い向い風でも確実に届けるため、今後はDH#8/9と640grainの組み合わせも準備しよう。
ああ、車中がまたロッドだらけになってしまう。
五ヶ瀬17日目(20230527)
2週間ぶりの五ヶ瀬川。
北方の道の駅「よっちみろ屋」で昼食。
いつもの「林さんち」鯵寿司と鳥モノ弁当、これをイートインスペースにて。
ここで食べるのが好きでいつも利用してしまう。
日之影から五ヶ瀬入り、既に15時過ぎ。
星山ダムまで降ると路肩に何台もの車、人気のエリアらしい。
左岸に砂浜発見、これはよいキャス練ポイントになりそう。
まかりまちがえばヤマメが釣れるかもしれない。
他の方と重ならないよう上流域に入渓。
でもそこにも真新しい足跡がいくつもあった。
1630−1800、日之影橋水位−1.78m、晴れ、気温24度。
1)DH13.3ft#7、kencube-SSL#8(11.5m28g)、TGショット、フロロリーダー9ft、フロロ1.5号4本マルチ(#6)
テイク1回のバレ、ミニヤマメ、ノーフィッシュ。
鈎が大きすぎたのかバレてしまった。
夕方はココという瀬尻にて。
その後もう1箇所回る。
1830−1900、しかし完全なノータッチ。
空はまだ明るいけれど手元足元は暗く、ストップフィッシュ。
宿入りは20時、21時就寝へ。
善さの正体(20230527)
個性を決める感性の方向「美しさ」「善さ」「尊さ」とは何か。
考えてみれば、それは余韻の心地よい感動。
それさえあれば何もいらない、というかその「心地よい感動」そのものが目的。
だからこそ釣れない1匹のマスを大本流の碧い色の中に求め続けられる。
そうしてみると釣れる必要はますます無くなってくる。
五ヶ瀬で私が好きなロケーションはほぼ決まっている。
そこに没入し心地よい感動に浸り続けることが目的で、それが私の方向性。
つまり「美しさ」「善さ」「尊さ」を求める行為そのものが目的であり結果であり自己完結した道そのものだ。
とすると「勘と願望」にもうひとつ加えるならそれは「道」だ。
「道」とは各々の「美しさ」「善さ」「尊さ」を目指した心地よい感動を伴う行為であって、その「道」に乗ることそのものが目的の完遂された結果になる。
勘と願望を区別し踏み外さぬよう歩んでいく方向そのものが「道」。
そこにある「心地よい感動」が目的かつ結果。
湯布院オイカワは四束五束と延々釣り上げる瞬間の連続が目的であり結果。
五ヶ瀬ヤマメはド本流にラインを通し続ける時間そこ目的であり結果。
もちろん釣りなので魚が釣れる最低限の準備は必要、でもそれさえ整えば釣果縛りから開放される。
「心地よい感動」さえあれば善いのだから。
大分川水系七瀬川(20230525)
同時期の去年よりは水質はよくみえるが単に水位が落ちてるからか。
七瀬川胡麻鶴橋水位−0.03mとやや渇水。
小さな鮎が見えて、これも例年通り。
でも砂で石がかなり埋まり。これでは鮎はこの場に着けない。
今年の七瀬川もまた鮎は難しいだろう。
大分鮎のチンチン釣りでは、鈎を川底に這わせて成鮎を釣った。
なので鈎ロストが本当に多く、夜はそのタイイングに追われた。
たまらずダウンショットの胴突きにしたけれど今度は釣れない。
鈎は小さいから石を引っ掛けても外れやすいが、ショットが噛むともうダメ。
なので噛まないショットが本当はベスト、でもそれがうまくいかなかった。
今季は短いシンクリーダーの下に鈎を出して川底を引いてみよう。
3本鈎だとロストが辛いから2本で我慢。
フライラインも使わず(影で逃げる)ナイロンを使用する。
リール禁止の河川ではテンカラロッドを使い、フライロッドを使う場合はオイカワメインで鮎が釣れてもキャッチしない。
テンカラロッドはナイロン6号、フライロッドはナイロン10号を使う(消耗品なので何でも可)。
メンディングステイで水底で踊らせるかルースニングで石脇を通す釣り方。
もし可能なら脈釣り/アウトリガーが確実だけれど、そこはフライ/テンカラ縛り、あえて難しい方を試す。
シンクリーダーはRio In Touch Level T−20(30cm1.3g:4B相当)なら10cmでガン玉1号(0.4g)相当。
なので中通し本流ウキを使えばルースニングは可能だし、もしナイロン6号でキャストできなければナイロン10号に切り替えれば良い。
癖がつかないようラージアーバーフライリールに巻き込み保管する。
リーダー/ティペットはフロロ1.0号/0.6号メイン。
体力以上の労働で「走れメロス」化(20230525)
「走れメロス」は太宰治による短編小説、義務教育の国語教材に使われる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/走れメロス
上のwikiによると史実に即した作品とのこと、その歴史はおそろしく長い。
で、太宰治の短編小説「走れメロス」に戻ると、どんなに健康な精神でも肉体の疲労に蝕まれる、という内容。
この1週間、午前午後の通しで肉体労働し続けるスケジュールだった。
疲労困憊で夜9時には眠くなり、よく寝た朝でもスッキリしない。
新しいことに取り組む気もなく、話すことも笑うことも面倒になる。
そのピークが昨日の水曜日、もう何もかもが面倒に感じた。
でもまあ、予定の仕事は夜半でもキッチリこなすけれど。
するとどうだろう、今朝スッキリ目覚めた。
筋肉の痛み、身体のダルさをほとんど感じない。
金土日月火とハードワークだったけれど、水曜ディスクワークの休養で肉体が回復したらしい。
この今朝からの爽快感はどうだ。
水曜までのダルさ億劫さがまるでなく、疲労が残っていないといえば嘘になるけれど辛さをほとんど感じない。
このシフトは何事だ。
ああ「走れメロス」だ。
肉体の疲労は精神を蝕む。
柔道合宿でもそうだ。
始まって数日間はうつ状態になるけれど、身体が馴れれば途端に爽快感に切り替わる、あれと一緒。
普段しない肉体労働が続くと疲労で抑うつ状態になるから、そのつもりで淡々と作業する必要がある。
なぜなら身体が馴れればいつもの快調が必ず戻るから。
逆に普段から身体を鍛えていれば急の労働でも絶倫観を失わない。
男であるからには絶倫でありたい。
そう願うのも私の個性で美意識のひとつ。
何に美しさを感じるかが個性(20230524)
「勘と願望」シリーズ。
勘は経験と学習に即した非情な宣告、願望は浅はかな甘え、そして方向性は個性そのもの。
今回はその個性という方向性について考えてみる。
ヤマメを釣って釣って釣りまくりたい、これは願望。
でも今季五ヶ瀬はどうあがいても釣れない、これは勘。
なので下した私の決断は、釣果をあきらめ雄大な本流の清冽な流れを釣り続けること、これは私の個性。
この個性の正体について考える。
個性とは結局、「美しさ」「善さ」「尊さ」を何に感じるかで決まる。
つまり個性とは、特定のことに「美しさ」「善さ」「尊さ」を感じ取るメカニズムを指すのだ。
(何に恐怖や忌避を感じるかはヒトも動物もほぼ変わらない)
だから今回、ヤマメを釣りたいけれど釣れない五ヶ瀬本流で釣り続ける方向を選んだのは、そこに「美しさ」「善さ」「尊さ」を感じたから。
なぜそう感じるのか、それが私の個性だから。
結果的にまったく釣れず苦行荒業の連続になるだろうけれど、それを「善い」と感じる。
そう感じてしまうのは私の個性で修正しようがない。
この週末も五ヶ瀬本流詣で、釣れないだろうけれど。
でもそれで善いのだ。
「勘と願望」で大きく迷った場合、選択するのは「善い」と感じること、そしてその方角に「美しさ」があると信じること。
たとえ「願望」が示す思い通りにならないことが「勘」で分かり切っていても、進む先に「善さ」「美しさ」そして「尊さ」が見えている。
その進む先が失敗に終わったとしても。
たとえ失敗しても私の釣りはそれで良い。
なんなら鈎すら無くて良いけれど、でもそうだと英国の Fly Fishing にならない。
私が五ヶ瀬でしたいのは「太公望」ではなくあくまで「ウェットフライ」その基本縛りは忘れない。
大分川キャス練(20230521)
仕事明けの夕、一路大分川下流域へ。
府内大橋水位−0.06m、1730-1830、1時間、晴れ、気温24度。
1)DH13.3ft#7、kencube-SSL#8(11.5m28g)、TGショット、フロロリーダー9ft、フロロ4号、シーバスチューブフライ
ノータッチノーフィッシュ。
川幅90mに立ち込むと対岸は70m先だからちょっと投げてもかなり飛んだと錯覚できるキャス練向きな場。
今日もセイゴやウグイがボイルして魚っ気十分、"ひょっとしたら"という緊張感も楽しめる。
で、いつものように左右で投げ比べ、するとやはり右投げでラインが歪んでしまう。
左投げなら素直に飛ぶのだけれど。
それで何度も投げ比べていると、どうも上手の握り込みが違う。
右投げ上手の右手がロッドをガッチリ握り込むけれど、左投げ上手の左手は小指薬指除いた3本だけで軽く摘んでいる。
下手の使い方は左右とも小指を使い、これはリフト・セットの共通点。
なので右投げ上手の握りを3本だけで軽く摘むとラインのブレが止まった。
もしかしたら上手の支点は親指と人差し指中指だけの方がロッドが死なない、というかロッドを活かせるのかもしれない。
それからしばらく左右で投げ込み。
ふと見るとチューブフライが絡んでいる。
なので外してまた投げ込み。
するとラインが不安定になった。
つまり鈎はラインを安定させるアンカーの一部として大切らしい。
なのでロッド/ラインのバランスに鈎抵抗も組み入れる必要がありそう。
今日のシステムバランスはシーバスチューブフライを遠投できた。
もしかしたら小型で軽過ぎる鈎だとシステムが不安定になる?
逆に今日システムバランスで小型鈎を遠投する場合、エルクヘア系のmossyパターンだとラインがより安定する?
つまり遠投にはペラペラのウェットよりモッサリした鈎が適する?
リバーシーバスというかリバーセイゴにもそれが当てはまる?
そんなことを考えた。
追記)
キャス練時の鈎代わりに毛糸などがよく使われる。
井上忍氏の動画でもそう。
https://www.youtube.com/watch?v=4_bXe2rK20Q
ここは大切なところかもしれない。
方向性(20230521)
まとまった時間がとれるのは久しぶりだからついアウトプットし続けてしまう。
昨日(20230520)に引き続き自分の行動の方向性について。
ヒトの行為の方向性を決めるのは何だろう。
調べると哲学的な意味合いが強いらしく、その他、宗教や生物学が関わってくる。
例えば漫画「君たちはどう生きるか」の原作は吉野 源三郎氏の同名ご著書。
これが2023年7月14日に同名のアニメ映画化されるのだそうだ。
「宮崎駿監督の新作「君たちはどう生きるか」23年7月14日公開 ストーリーは未発表も「若々しいファンタジー作品になる予感」」
https://eiga.com/news/20221213/13/
私はこのご著書を読んだことはないし「何のために生きるのか」など深く考えたこともない。
生きていくのに精一杯だから、という理由で。
もし頭を使うとしたら「何故生きているのか」ではなく「どう生き抜くか」であって、その考察は必ず実用的でなければならない。
じゃなければ死んでしまうから、こと深山幽谷では。
とはいえ私を含めたヒトの行為の方向性について、一応の考察は不可避。
なぜなら「勘と願望」だけでは行動予測が立たないからだ。
例えば「山に入りいざ釣ろうとした瞬間、クマの気配に気付いてしまった」事案。
襲われる事前確率が飛躍的に上昇する瞬間、私はどう判断しどう行動するだろう。
"まあ大丈夫だろう""気を付けて行こう""もし襲われたらペッパースプレーがある"と釣り続けるか、もしくは"死の5秒前(5 seconds from death)と踵を返すかの二択しかない。
「5 SECONDS FROM DEATH! GRIZZLY BEAR CHARGE! pt.3 (CC)」
https://www.youtube.com/watch?v=CVKmHaNSTTs&t=1s
かといって私には他人の一般的な行動の方向性を考えるほどの学はない。
なのでヒト最小単位の私をモルモットにして、その方向性を考えてみる。
行動を選ぶ時、その見返りを期待する。
その見返りこそ行動を選ぶ動機になる。
なので何がその見返りか見極めることが大切だ。
何が見返りか。
ああ、笑顔かな皆の。
和が見返りだ。
たとえ五欲が満たされようと笑顔なければ失敗だ。
この「和」が見返りなのは社会生活の上での話、ならもし一人の時はどうなる?
たぶんそれは視覚聴覚または文芸的な美的感覚。
なので他人とあれば和を、一人なら美を、それぞれ尊ぶ。
その一方、1週間のうち9割近くを社会生活が占めるから一人の時間など実に1割しかない。
だから普段は和を尊ぶよう行動選択するけれど稀な一人の時は美の追及に費やしている。
たぶんその行動規範は我が奥も同じ、その彼女の美的感覚は彼女なりのものだろうけど。
家での和の尊重は私も奥もおそらく同じ、だからこそ家族が保てている。
そう考えると、個々人の方向性の違いは「社会生活における和の尊重」より「美的感覚」にこそあると考えられる。
となると、その個々人の美的感覚の正体は何か。
たぶんそれを考えるのは甚だしく馬鹿げていて時間の無駄かもしれない。
何故なら個々人の美的感覚の違いは取りも直さず個々人の個性の違いであり、それが存在すること自体、当たり前すぎるからだ。
顔が同じなら同一人物ではないように美的感覚が同じなら同一人物では決してない。
一個人は一個人でしかなく、それ以外の何者でもない。
なので個々人の美的感覚をうんぬんすることの意味を私はまるで感じない。
でもそう考えてしまうと表題名「方向性」を取り扱う意味がまるでなくなる。
いや、もしかしたらそれはそれで良いことかもしれない。
個々人の方向性の特異性は「美的感覚」にあるとしてそれ以外の方向性は「和を尊ぶ」などほぼ同じ、とすると個々人の「美的感覚」こそ個々人の方向性を決めるものであって、その内容は個々人が自己責任をもって決めていくもの(この自己責任とは法律の遵守を意味する)。
そうすると個々人の「美的感覚」とはその個々人の自己責任に裏打ちされた個性そのものであり、顔形背格好が個々人で既に決まっているように、その個々人の方向性とはその人の個性そのものなのだ。
言い換えれば、個人の方向性を考えることそのものが彼れ彼女の個性を考えることを同じ作業であって、それを一般的な尺度に押し込もうとする試みそのものが馬鹿馬鹿しく思える。
つまり私自身の方向性を考えることすら無駄なのだ。
何故ならその方向性は私の美的感覚のもと既に決まっているから。
そんな決まりきったことをためつすがめつ眺め返したところで何も変わらない。
自己責任で突き進むまで。
でもまあ、そんな結論に至れたことでこのアウトプットは無駄にならなかった。
これはこれでよしとしよう。
追記)
でも上の考察が正しいなら、学校で教える最優先項目は「美的感覚」となる。
私たちの「美的感覚」を命懸けでも若者達に確実に伝え続けることが、よりよい明日を築くのだ。
その意味で「勘と願望」は「美的感覚」による行動選択の自己責任を伴う遂行を補佐してくれる。
「勘と願望」そして「美的感覚」の関係が少しずつ見通せ始めた。
明日からまたこころしてとりかかろう。
「美的感覚」がおそらく最優先だ。
くま(20230521)
2023年5月14日に発生した北海道朱鞠内湖のヒグマ食害事件。
被害に遭われた方のご冥福を祈り、ご遺族のご心痛を察し申し上げます。
ヒグマは北海道の固有種、ツキノワグマは本州と四国の固有種、でもこの九州にクマはいない。
私はほぼ一日、深山幽谷で過ごす。
とはいえ源流域ではなく民家の散在する場。
滑落や溺水に気を付ければほぼ間違いなく生還できる。
でもこれが本州四国ならどうだろう。
ツキノワグマとはいえ猛獣、至近距離で出会えば生還確率は極端に減る。
もちろんそのリスク対策として熊鈴や大声の独り言などが知られていて、私も熊鈴は持っている。
でもこの九州で使うことはなく、今年3月末の雪の荒雄川で使ったのが直近、それ以外の対策は完全にゼロ。
それでもコロナ明けの今年から本州遠征が多くなる。
私の「好み」から本流域とはいえ深山幽谷系に入るのは眼に見えていて、そこはまさにクマのテリトリー、そこで食害に遭う可能性は九州に比べ天文学的に増えてしまう。
私の準備がないからだ。
「ループジャグラー」氏の動画「ヒグマが生息する北海道で釣りをするという事」から学び直すことは多い(20230403)。
https://www.youtube.com/watch?v=2Bpcwi6NXgw
氏はヒグマに出会わないことを優先すると力説する。
事前情報、足跡、臭い、木々の爪痕などのある場は論外と。
ベイズ推定の事前確率が少しでも増える場だとクマ加害を受ける事後確率が飛躍的に増してしまう。
クマ加害の事後確率など日常生活では確実にゼロなのだから、その事前確率のわずかな揺らぎが命を残酷にも終わらせるのだ。
獣害ことクマに関して、クマ接近の事前確率だけが全てを決める。
襲われて一度でも咀嚼されれば、その事後確率など私にはもはや何の役にも立たないのだから。
(私の食害死を検証する研究者には役立つだろうけれど)
やはり生きて還ってこそ。
本州の釣りでは獣害事前確率の正確な判断に努めよう。
その判断を狂わせるのはループジャグラー氏の指摘通り、「せっかく」や「でも」で始まる安易な思い込みだ(私はそれを願望だと考える)。
願望は勘を狂わせる。
重々用心しよう。
北海道「亀甲縛り事件」の続報(20230521)
「北海道の観光施設トイレで下半身露出の男を逮捕 亀甲縛りのような器具も着用」
2023年04月09日 15時10分
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12184-2273540/
以下は一部抜粋:
『 この事件に、ネットユーザーからは「すごすぎる。自分で縛ったのか、他人に縛られたのか気になってしまう」「見せつけるのが趣味なんだろうか。かなり理解できない」「露出して誰が得するんだろう。見せつけるのが快感なら、そういう店に行けばいい」「こんなギャグ漫画のような人間が本当にいるんですね」「亀甲縛りに手錠が追加されてご褒美状態だったかも」などの声が上がる。
また、「こんな変態見たことがない。もう恥ずかしくて会社には行けないね」「今後、この男はどうするつもりなんだろうか。狭いコミュニティに住んでいると、どうやっても亀甲縛り男として認知される」などの指摘も出ていた。
亀甲縛りをした上、トイレで下半身を露出していた男。その心理状態やそこに至るまでの過程などを気にする声が相次いでいる。』
一番心配なのはこの33歳男性介護職員の今後の社会生活について。
現在、LGBT法案が国会で審議されようとしている。
https://lgbtrikai.net/zoshinho/index.html
その要点は「性的指向および性同一性に関する国民の理解増進に関する法律」とのこと。
つまりくだんの33歳男性介護職員がこの法案の保護対象者に相当する。
現時点でわかっている彼の逮捕容疑は「公然わいせつの疑い」その科料は「6か月以下の懲役もしくは30万円以下の罰金または拘留もしくは科料に処する(刑法第174条)」だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/公然わいせつ罪
たしかに彼の行為は同じ男性にとってただの迷惑でしかなく、ご自慢の亀甲縛りはしかるべきところでしかるべきヒト達にご披露すればよく、それを無関係で無防備な一般男性に「これ見よ」と一方的に鑑賞を押し付けるのは本当に迷惑で腹立たしくすらある。
でも他方、誰かを傷付けているわけでもなく、つまりは傷付くのは他ならぬ彼自身だ。
最悪の事態、彼の行為に激昂した誰かが彼を傷付けようとするかもしれない。
その時、彼を守るべき法律は今、あるのだろうか。
おそらくLGBT法案いわゆる「性的指向および性同一性に関する国民の理解増進に関する法律」が保護しようとしているのは、まさに彼なのであって、その性癖ゆえの加害から彼を守るための法案なのだ。
たしかに無関係の私からすれば、美幌峠での彼の自縛的な亀甲縛り行為は滑稽であり、純粋な笑いの対象でしかない。
しかしその背景はもしかしたらもっと複雑かもしれない。
精神疾患があるとか誰かと何かの約束をしたとか、純粋に「見て欲しい」動機だけではないかもしれない。
でももし私の同僚がそんな行動履歴を持ち、かつ皆に周知されているとしたら、「いよう、かめだこうじくん!」くらいは言いたくなるけれど、一番大事なのは「他人とくに入所者を縛ってはならない」という最低限の行動規範の確認だ。
そのツボだけは確実に押さえた上で彼の性癖をむしろ受け入れ共有し楽しみながら、私は一同僚として彼と付き合っていくことになる。
例えば宴会芸で「亀甲やって!」とか「待ってました○メダ○ウジ!」とか、そんな掛け合いを共に楽しんで行けたらと思う。
彼も彼なりに「自分は縛るが他人は縛らぬ亀甲縛り!」とか前向きに取り組んで欲しい。
つまりは特殊な性癖を他人に押し付けなければよいわけで、今回の事件を通じ、彼にはそれを十分に学び、むしろ前向きに歩み出すことを願う。
おそらく特殊な性癖を他人に押し付けさえしなければ、この日本に暮らす限り何不自由なく円満に過ごしていけると私は信じる。