なかなか釣りに行けない

なかなか実釣出来ず、稀の釣行を夢見て、机上の空論を重ねる備忘録です。

連休管釣りの記録(20160430)

2016年04月30日 22時15分38秒 | 実釣
連休管釣りの記録(20160430)

羽化直後のムシ


4月末の国民宿舎直入荘跡。


その前の大分川。


てらとこのニジ。






冬期とは打って変わって瀑釣。
季節でこんなに変るものまのだろうか。
山口さんに聞くと「今日だれも入らなかったからじゃろー!」と。
そ、そんな簡単な理由(( ;゜Д゜))!

九州管釣り「虎の穴」”てらとこ”の「スキを見た」ような気持ち。
でも今のこの時期は、普通皆こうなんだろうなあ。

冬期のてらとこを自在に釣ることに意味が有るのだ。

そういう意味で今日は私にとって久しぶりの晴舞台。

もちろん私一人だけだけれど、本当に良く釣れた。
FFの初心を、心ゆくまで味わえた。
もう本当に感謝。
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弥生時代の高地性集落について(20160430)

2016年04月30日 10時23分18秒 | 日記
弥生時代の高地性集落について(20160430)

弥生時代の高地性集落について

弥生時代-Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/弥生時代

「高地性集落は、弥生時代中期後半 - 末(IV期後半 - 末)、そして後期中葉 - 末(V期中葉 - 末)に瀬戸内沿岸から大阪湾にかけて頻繁に見られるもので、弥生時代の一般的な集落からみて遙かに高い場所(平地からの比高差が50~300メートル以上)に営まれている集落のことである。北部九州から北陸・中部・東海地域などといった広い範囲に分布する。1970年代までは、畿内IV期がおおよそ北部九州の後期前半、畿内V期が後期後半に併行するとされ、実年代では紀元50年 - 250年ごろに比定されていた。」

この弥生時代の高地性集落も津波、洪水、高潮への防災対策として発達した可能性もあるのではなかろうか。
より低地の農耕地には一般民、より見晴らしの効く高地には支配民が居住していたのかもしれない。
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古代日本の人口変動(20160430)

2016年04月30日 08時24分48秒 | 日記
古代日本の人口変動(20160430)

「人口から読む日本の歴史 (講談社学術文庫) 文庫 – 2000/5/10 鬼頭 宏 著」

P39-40;東日本の人口崩壊

縄文時代後半の東日本の急激な人口減少は気候寒冷化(現在の-1度程度)だけでは説明出来ない。
及川昭文氏/小山修三氏による疫病による人口減少仮説が紹介されている。
大津波後の疫病流行がよく知られているが、本著の出版が2000年であり、東日本の地震津波の影響は考慮されていない。
古代の津波研究と人口変動研究がリンクしてくれればよいのだが。

P58-60;稲作社会化と人口規制要因、人口重心は京都北郊

縄文時代は東日本優勢、弥生時代は西日本優勢。
これは長期的な変化として西日本の人口増加率が上回ったから、とのこと。
P6-7;表1日本列島の地域人口:縄文早期~2100年
この有名な表にもあるように、宮崎を中心とする南部九州は縄文晩期までは九州随一の人口を誇っていたらしい。
が、弥生時代では南部九州の人口増加率が激減、九州の人口中心は北部九州に移っている。
この南部九州の弥生時代の人口増加率の抑制が何故かは判っていないようだ。
しかしこの時期に南部九州からの神武東征が始まっている。

神武東征で南部九州の人口がごっそり近畿地方に移ったなんてことはまずないだろうが(^^
ただ神武天皇一族の支配民が南部九州から近畿地方へどんどん移動していったのは確か。
そのような”高級支配民”が権威を保ったまま遠方まで移動出来たことに本当に驚かされる。
でもそのような権威ある”高級支配民”が縄文晩期までは九州随一の人口を誇っていた南部九州を離れる必要があったのだろう。
弥生時代の南部九州の人口増加率減少が、神武東征の結果か原因かは、未だ判らないままだ。
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宮崎平野の研究資料(20160429)

2016年04月30日 00時21分26秒 | 日記
宮崎平野研究(20160429)

大分は被災地でもあり、釣行は憚られる。
今日は休日だったが五ヶ瀬も県内も釣行は断念。

で、宮崎平野研究。
以下はその研究資料。

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「出版物 -津波工学研究室(東北大学大学院工学研究科)」より引用
http://www.tsunami.civil.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/publications/publications.html

第32号 (2015)
11. 宝永地震(1707),安政南海地震(1854)の津波の愛媛県海岸での高さ分布(都司嘉宣, 岩瀬浩之, 森谷拓実, 今井健太郎, 佐藤雅美, 芳賀弥生, 今村文彦)・・・ 77
http://www.tsunami.civil.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/publications/pdf2/vol.32_11.pdf
*宇和島城下佐伯町では宝永地震では5m、安政南海地震では3m程度とのこと。

12. 宝永地震(1707),および安政南海地震(1854)の津波の大分県,および宮崎県沿岸での高さ分布(都司嘉宣, 岩瀬浩之, 森谷拓実, 今井健太郎, 佐藤雅美, 芳賀弥生, 今村文彦)・・・ 111
http://www.tsunami.civil.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/publications/pdf2/vol.32_12.pdf
宝永は別府3m;大分市1m;臼杵市3m;蒲江尾浦7m、安政はこれより小規模とのこと。


16.歴史津波の痕跡記録に対する文献信頼度の判断基準について(松岡祐也, 都司嘉宣, 今村文彦)・・・ 241
http://www.tsunami.civil.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/publications/pdf2/vol.32_16.pdf
*文字通り「文献信頼度の判断基準」の実例が示されている。

20.正平南海地震(1361)の津波に襲われた徳島県美波町由岐,および高知県南国市前浜正興寺での浸水高(都司嘉宜)・・・ 271
http://www.tsunami.civil.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/publications/pdf2/vol.32_20.pdf
*震源正面の徳島県美波町由岐で10m程度、高知県南国市前浜正興寺で5m程度だった。
有名な寺院は津波が達した標高より高い地域に残されている、と。
国土地理院 電子国土基本図(地図情報):地理院地図web版
http://maps.gsi.go.jp/

第30号 (2013)
17.『谷陵記』の記載に基づく宝永地震津波(1707)の高知県における津波浸水標高(都司嘉宣,今井健太郎,今村文彦)・・・ 143
http://www.tsunami.civil.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/publications/pdf2/vol.30_17.pdf
*地域によっては20m近い津波が認められるので「千年震災の津波対策として100年単位の津波とはことなり、人の生命を守ることに専念して、これとは別の防災対策を建てる必要がある」とのこと。

第29号 (2012)
14.再考・1771年明和大津波の遡上高I -85m遡上説の矛盾と問題点-(後藤和久,島袋永夫,島袋綾野,正木護,宮城邦昌,宮澤啓太郎)・・・ 121
http://www.tsunami.civil.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/publications/pdf/vol.29_14.pdf
*石垣島で85m遡上したのは計測違いで実施には33m程度だったと。

15.再考・1771年明和大津波の遡上高II -先島諸島全域-(後藤和久,宮澤啓太郎,安谷屋昭,垣花昇一,久貝弥嗣,島袋綾野,島袋永夫,正木護,松島昭司,宮城邦昌)・・・ 129
http://www.tsunami.civil.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/publications/pdf/vol.29_15.pdf
*津波の遡上高は島の地形で変わり、最大で33mも遡上(宮良付近)する場合が認められると。

16.明治以前諸資料に見る津波(首藤伸夫)・・・ 147
http://www.tsunami.civil.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/publications/pdf/vol.29_16.pdf
*国内外の古文書の記録に津波関連の情報が読み取れるとある。

19.大分県における1596年豊後地震の津波痕跡に関する現地調査報告(都司嘉宜,松岡裕也,行谷佑一,今井健太郎,岩瀬浩之,原信彦,今村文彦)・・・ 181
http://www.tsunami.civil.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/publications/pdf/vol.29_19.pdf
*別府湾入り口の佐賀関と奈多海岸付近で10m、大分市で5m程度とのこと。
しかし最奥の別府市/日出町付近の記録が無い。
より波高が高まる地形なのでより高まる可能性も否定出来ないが、
別府市や日出町では5m程度と考えているらしい(第4章 津波災害対策)。
http://www.city.beppu.oita.jp/04bousai/chiiki_plan/pdf/01/04.pdf
http://www.town.hiji.oita.jp/js/finder/upload/files/soumu/jishintunami.pdf
ちなみに大分市では西暦684年以降の津波の記録を考慮している(大分県沿岸における津波浸水想定 説明資料)。
http://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/shaseishin/kasenbunkakai/bunkakai/dai50kai/siryou3-23.pdf

22.1596年豊後地震における「かみの関」の津波被害(松岡裕也,今村文彦,都司嘉宜)・・・ 225
http://www.tsunami.civil.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/publications/pdf/vol.29_22.pdf
*この時の津波は山口県上関町にも押し寄せたが比較的小規模だったと。
海底傾斜面の地滑りによる津波は被害が狭い可能性がある。

第28号 (2011)
14.高知県土佐清水市内における1707年宝永地震の津波痕跡に関する現地調査報告(岩瀬浩之,原信彦,田中聡,都司嘉宜,今井健太郎,行谷佑一,今村文彦)・・・ 105
http://www.tsunami.civil.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/publications/pdf/vol.28_14.pdf
*この時の高知県土佐清水市の津波の波高は東京湾平均海面を0mとして10m程度、遡上は16m程度だったらしい。

20.文禄五年閏七月十二日(1596年9月4日)豊後国地震津波と瓜生島伝説について(都司嘉宜,松岡裕也)・・・ 153
http://www.tsunami.civil.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/publications/pdf/vol.28_20.pdf
*この時の津波は海底傾斜面の地滑りによる津波が最も考えられるとのこと。
この時に砂州つながりだった瓜生島/沖ノ浜が沈んだと考えられると。
幕末に描かれた有名な大分の地図「豊陽古事談の瓜生島図」は一僧侶の単なる空想図に過ぎないと。

第24号 (2007)
12.津波に対する防潮林の評価ー首藤の収集資料から(羽鳥徳太郎) ・・・85
http://www.tsunami.civil.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/publications/pdf/vol.24_12.pdf
*津波に対する防潮林には一定の効果が期待出来るとのこと。

第22号 (2005)
3.1944年東南海地震津波の目視観測記録(羽鳥徳太郎) ・・・ 11
http://www.tsunami.civil.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/publications/pdf/vol.22_3.pdf
*1944年12月7日の東南海地震津波では、目視と実測の津波波高はほぼ一致するのこと。

第18号 (2001)
5.南海トラフ沿岸域,紀淡海峡友ヶ島において発見された津波イベント堆積物-その予察的検討と今後の研究展望-(七山太・木下博久・佐竹健治) ・・・ 37
(佃栄吉・杉山雄一・中田高・横山芳春)
http://www.tsunami.civil.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/publications/pdf/vol.18_5.pdf
*和歌山県友ヶ島沖ノ島の津波イベント堆積物には4535-4235 cal y BP(Before Present、西暦1950年を起点として何年前かという放射性炭素年代の表記方法)年代から300年以内の間で5回の巨大津波が観察出来る。

第16号 (1999)
8.地震津波による大量土砂移動の可能性(浅井大輔 外) ・・・ 119
-安政東海沖地震津波における伊豆半島入間での場合-
http://www.tsunami.civil.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/publications/pdf/vol.16_8.pdf
*津波での土砂が陸に上がって耕作地を荒らす(宮崎平野の段丘面?)

第15号 (1998)
1.津波来時の土砂移動に関する過去の記録(首藤伸夫) ・・・ 1
http://www.tsunami.civil.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/publications/pdf/vol.15_1.pdf
*津波の高さと土砂の厚さの関係を示す論文

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第四紀研究 Vol. 10 (1971) No. 3 P 99-109
宮崎平野の地形発達に関する諸問題
星埜 由尚
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaqua1957/10/3/10_3_99/_pdf
*P106, L31-36;「以上のような過程ののち, 新田原面が形成され, その後, その規模は不明だが, 海退とそれに引き続く海進が起り,川南原高位面が形成された. その後, 間欠的な海退により,川南原低位面群が形成された.川南原低位面 群は淘汰の悪い粗礫から成る河成堆積物で作られており,その厚さも数mと薄い.」
P108, L22-24;「また, 日向灘に面する海蝕崖の基部には, 高度10m程の沖積段丘と思われる地形がみられる.」
この論文では成因は調査中とのこと。
宮崎平野の低地海岸段丘の成立には巨大津波が関与した?

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3.1996年日向灘津波と九州東部域の放出津波エネルギー分布(羽鳥徳太郎) ・・・ 43
http://www.tsunami.civil.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/publications/pdf/vol.15_3.pdf
*延岡沖が地震津波の空白域とのこと。

4.昭和8年津波と住宅移転(北原糸子 他) ・・・ 51
http://www.tsunami.civil.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/publications/pdf/vol.15_4.pdf
*農業従事者が多い地区は集団移転したが、漁業従事者が多い地区は集団移転が困難だったとのこと。

第9号 (1992)
12.災害と家族(北原糸子) ・・・ 203
http://www.tsunami.civil.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/publications/pdf/vol.9_12.pdf
*津波被害の後にどうやって家族を立て直し地域を復興していったかが論じられる。
津波で幼児一人となった「家」を幼児一人の「家」を継承する意思の有無に関わらず、「家」を存続させねばならないとする社会の意思、言い換えれば社会的規範が作用した結果、その幼児の「家」が継承され、集落の戸数が維持された、とある。


第7号 (1990)
2.南街道地震津波(1707・1854・1946年)の規模と震央の検討(羽鳥徳太郎) ・・・ 45
http://www.tsunami.civil.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/publications/pdf/vol.7_2.pdf
*「南海トラフでは100~150年の間隔で巨大地震が発生し、西日本の地震津波災害が繰り返されてきたことはよく知られている」しかし宮崎平野の最新の記録はわずか1600年代以降のみである。

第6号 (1989)
3.徳島県浅川に遡上した津波の挙動に関する数値実験(相田勇・日比谷紀之) ・・・65
http://www.tsunami.civil.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/publications/pdf/vol.6_3.pdf
*遡上するのは波高の約1.2-1.5倍の高さらしい。

第5号 (1988)
3.徳島における歴史津波(村上仁士・島田富美男・細井由彦) ・・・ 32
http://www.tsunami.civil.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/publications/pdf/vol.5_3.pdf
*日本最古の津波の記録が天武13年10月14日(684年11月29日)の白鳳地震の津波。
日本書紀に記録があり、室戸岬沖が震源、M8.4、津波被害も甚大だったろうが他の各地の記録はないとのこと。
仁和3年7月30日(887年8月26日)のM8.6の大地震で大津波が大阪湾一帯を襲ったのが三代実録にあるが当然被害を受けているだろう徳島にはその記録がない。
徳島の津波の記録は1361年8月3日の紀伊半島沖M8.4の地震による激しい津波以降とのこと。
1605年2月3日のM7.9慶長地震の津波でも大きな津波被害が出た。
1707年10月28日のM8.4宝永地震の津波でも徳島で3-12mの津波の記録が有る。

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宮城県仙台平野の巨大津波から宮崎平野を思う(20160426)

2016年04月26日 23時59分58秒 | 日記
宮城県仙台平野の巨大津波から宮崎平野を思う(20160426)

巨大津波が来たであろう平野部で津波伝説が存在しない場合、その地域の集落はほぼ全滅したのかもしれない。

その可能性をこの著書が指摘する。
「仙台平野の歴史津波 巨大津波が仙台平野を襲う! 単行本(ソフトカバー) – 2011 飯沼勇義」
http://www.amazon.co.jp/仙台平野の歴史津波%E3%80%80巨大津波が仙台平野を襲う!-飯沼勇義/dp/4990602900/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1461619947&sr=1-1

2011年の東日本大震災の大津波は、西暦869年(貞観11年)の地震/大津波の再来とされる。
しかし本著は、西暦700年頃に貞観大津波を上回る大津波が仙台平野を襲った可能性を指摘する。
理由は西暦724年頃、多賀城に国府が移転されたが、それ以前はより標高の低い仙台郡山に大きな役所(大官衙:ダイカンガ)を営んでいたらしい。
発掘で判明、成立は西暦660-670年頃(本著参照p56-75)、その後に貞観大津波を上回る規模の津波で仙台郡山の国府機能を流失させた、とのこと。
それで慌てて高台に造成したのが多賀城らしい。
この西暦700年以前の大津波の記録は非常に乏しく、壊滅的な被害を受けたのではないか、との記述。

九州の宮崎平野はどうだろう。
北浦から宮崎への広大な平野。
仙台平野、関東平野並みの大平野。

耕作地も人口も多い。
でも何故、文化的中心地になっていない?

もちろん大分も現在、九州文化の中心地ではない。
大分は山ばかりで平野部は極端に少なく、石高も決して多くはない。
しかし西暦741年頃から1587年頃の800年間、九州交易の国内要所。
その1587年以降、大分は大友氏と共に極端に衰退。
九州の中心は完全に博多に移り、この約400年間、博多-熊本-鹿児島と続く九州西岸が栄華を極めるに至る。

一方、九州東岸の宮崎平野は非常に広大で大河川の扇状地で肥沃。
今日も盛んな農業が食糧を豊富に供給してくれている。
当然人口も多く、今現在も様々な文化が育まれている。
しかし何故、この千何百年の間、歴史の中心に躍り出なかったのか?
鳴り響く天孫降臨の日向は高千穂以外に。
神武天皇の東征の出発点であった以外に。
(宮崎という地名は宮の前という意味、宮は”皇族”を意味し、日本書紀にもあるように皇族の出身地を示す)

まさか宮崎平野は文化的資産が全て流失する程の壊滅的被害を巨大津波で何度も受けていたのではなかろうか。

大分では少なくとも西暦600年以降の歴史の途絶は無い(古宮古墳大分君~豊後国分寺の頃より始まる歴史記録)。
日本最古の歴史書である古事記の成立が712年とされるのでそれ以前の記録は怪しいものの、少なくとも古事記以前の成立が古宮古墳大分君になる。

その一方で、宮崎平野については歴史記録の連続性はあまりにも脆弱だ。
あんなにも広大で豊かなのにも関わらず。

何故、宮崎平野の歴史が飛躍発展しなかった?
何か他の壊滅的な戦乱があった? いやそのような史実すらない、大友宗麟敗退の記録以外には。

宮崎の歴史書を見ると「塩害との戦い」とのこと。
歴史書では塩害は波浪でもたらされるとの記述。

宮崎沿岸は見ての通り防風林が非常に発達している。
東北の沿岸部もそうだが、この防風林が塩害を防ぐとされる。

なら宮崎平野も防風林で塩害など制御出来るはずだが?
文化文明の発展が損なわれない程度に、それこそ伊達市仙台平野の様に。

この宮崎平野で、一体何があったというのだ?

宮崎平野のボーリング調査結果はどうなのだろう?
大分県佐伯市米水津の龍神池では高知大学がボーリング調査結果を報告している。
http://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/report/kaihou87/12_02.pdf
宮崎県 新富町 日置の湖水(こみず)ヶ池でも高知大総合人間自然科学研究所が同様の調査を行っているが、その結果はどうだったのだろう?
http://ameblo.jp/kowai2/entry-11134177778.html
不思議な事に、この調査結果はネットで検索しても全く見つからない。
調査そのものが失敗だったのか、それとも公開出来る調査結果ではなかったから?
ただ、高知大学理学部災害科学講座の岡村眞先生研究室HPによると「宮崎、湖水ヶ池 2011年12月」とあるので、目下解析中なのかもしれない。
http://sc1.cc.kochi-u.ac.jp/~mako-ok/research/11miy/11miy1.html

現在、宮崎県が「県としての新たな「津波浸水想定」の設定について」との南海トラフ地震の津波被害想定結果を公開している。
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/kiki-kikikanri/kurashi/bosai/page00150.html
更に「県における南海トラフ巨大地震等に伴う被害想定について」では最大津波の予想高を更新している。
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/kiki-kikikanri/kurashi/bosai/documents/4579_20160423041700-1.pdf
この情報は朝日新聞でも「南海トラフ地震の被害想定:朝日新聞デジタル」として報じられた。
http://www.asahi.com/special/nankai_trough/

これらの情報から南海トラフ地震の津波高が、延岡市で14m、宮崎市で16mに達するだろうことが判る。
しかしこの波高は、東日本大震災時の大津波(仙台平野で10m前後)を遥かに超えるのだ。

その対策はどうか。

宮崎市の「宮崎市地震津波対策インフラ構想」がここで閲覧出来る。
http://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/fs/6425/kousou-zenbun.pdf

しかし驚く事に、「1662 年 10 月 31 日 (寛文2年9月 20 日) 午前 0 時頃 (外所地震)」以前の津波の記録が全く無いのだ!
大分県佐伯市米水津の龍神池は津波被害を幾度と受けているのに、
南海トラフにより近い宮崎平野では1662 年以前には津波がなかった、というのか?

津波という用語は慶長年間(1596年-1615年)頃から始まったらしい。
「津波の比較史料学 都司 嘉宣|これまでの企画展示|企画展示|展示のご案内|国立歴史民俗博物館」
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/030708/tsushin/no2/tsuji.html
この1600年代以前の津波は「津波」以外の用語で不統一に記録されているとのこと。

「津波が、古代日本の太平洋岸の文明を滅ぼしたのでは? - 文春新書『英語学習の極意』著者サイト:楽天ブログ」
http://plaza.rakuten.co.jp/yizumi/diary/201204030000/
この筆者の2012/4/3の記事に、「神武天皇の東征は、日向(ひゅうが)の地が津波に遭ったので避難のため移住した」のではないかとある。
何故あの広大で肥沃な平野を神武天皇はお見限られ、かつ東征をご決意なされたのか。

その答案の一つが、飯沼勇義氏の御著書に慄然と示されている。

有るべきはずの津波の記録がない、その”空白の記録”こそ壊滅的な津波被害を受けた明確な左証なのかもしれない。

宮崎平野は今、20m前後の津波被害の脅威の前にあるのではないか。

今、宮崎平野はその備えに万全なのだろうか。

この大分市沿岸も南海トラフ地震の津波は10m程度に達するという。
私達自身も充分に備えていきたい。
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フライはスポーツ(20160424)

2016年04月24日 23時08分31秒 | 机上釣
フライはスポーツ(20160424)

フライのキャスティングはスポーツに近い。

それは誰もが認める。

ではどんな?

私は当初、スキーに似ていると思った。
道具やウェアに左右され、個人でも皆でも楽しく、遠征もあるので。

始めは簡単なスキー場、それから上級者用スキー場、その後は有名処のスキー場、そして最後は「未開拓山スキー」。
この「未開拓山スキー」には危険が伴い、実際に落命される方も少なくない。
でもそこまで行ってしまう。

本流フライもそれに近い。

でも管釣りなら随分イージー。
落水のリスクはあるものの、より安全。

ここで似ているスポーツは「槍投げ」?

ブレのない長く鋭いストロークで投擲する。

これは big distance のスペイキャストそのものかも。

では big distance を狙うには「槍投げ」選手の技術が参考になる?

これは「シルエットデザイン」によるフリー素材のやり投げイラスト。
助走して左足を前に置いて支点にして頭部を弓なりに後屈させて投擲。

これをフライで真似るのは、ちょっと無理かな(^^
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震災支援としての「ふるさと納税」(20160424)

2016年04月24日 22時51分31秒 | 日記
震災支援としての「ふるさと納税」(20160424)

大分の地震はやや鎮化傾向。
しかし熊本ではまだ地震は活発。
http://www.jma.go.jp/jp/quake/quake_singendo_index.html
http://www.jma.go.jp/jma/press/hodo.html

このまま落ち着いてくれれば、来週末のゴールデンウィークには釣り遠出も出来るかな。
釣りという日常、これが早く共有出来る日が来て欲しい。

ところで「ふるさと納税」。
熊本やら大分やらガンガン入れた。
単なる寄付と違い、これは地方自治体へ直接入る。
しかも連続して何回でもいくらでも納入出来る。

今後はこれを使おう。
取り敢えず返礼品有りと無しを半々ずつ。
返礼品は全て東北の親類宛。
5年前のお礼にと。
ふるさと納税サイト [ふるさとチョイス]
http://www.furusato-tax.jp

しかし流石にお世話になった方々へのお中元お歳暮には使い難い。
その理由は、節税対策にもなるという仕組みの後ろめたさ。

でも「ふるさと納税」は復興事業の役に立つはず。
そう信じて、後ろめたいながらも、せっせと入金。
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しばらくはキャス練のみ(20160424)

2016年04月24日 22時11分58秒 | 机上釣
しばらくはキャス練のみ(20160424)

今日は九重てらとこの山口さんに一日券を奉納し、
更に玖珠川年券まで購入しようと思っていたが、家族の反対で断念。

遠くへ行かないで欲しいとのこと。
地震の揺れがトラウマなので、と。

長湯も遠いからダメ、で、近所の大分川でキャス練。

シングルハンドのスペイキャスト。
途中からスマホで撮影する。

帰宅して再生、私のフォルムが随分太い。
「結婚詐欺よ!」と奥。
この太さだと身体のバネが使えないので痩せた上に充分な柔軟体操を要する。

自分の映像を客観的に見ることはむしろ積極的な現実逃避?

下半身は右足前、バックキャストでは重心を左足、体軸を後方へ捻り、強いホールと共に両手を後ろに飛ばす。
その位置でロッドにライン加重を乗せ、体軸の捻りを解消する方向へ右手を伸ばし左手を下に強くホール。
この時の重心は右足に移し、右手首とリールを固定、重心移動でストロークを長く出す。
推定25m、まだ30mには届いていない。

ただ、シングルハンド・スペイのバック/フォワードキャストのリズムのようなものが段々判ってきたような気がする。
本当に判ったときに30mシュートが出て欲しい。
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タイイングキットが(20160421)

2016年04月21日 23時01分00秒 | 机上釣
タイイングキットが(20160421)



とうとう段ボール箱行き。
奥が言うには「揺れて散って危ないから!」と。

確かに。

あーでもこれは使い難い。

箱に大人しく納まる様は、まるで無邪気なペット。
私自身が押し込められているよう。
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ムシとヘビーカッパーチューブ3(20160420)

2016年04月20日 18時28分29秒 | 机上釣
ムシとヘビーカッパーチューブ3(20160420)

何と言うムシ?
羽化直後なのかヨボヨボ。
早く元気になってほしい。


地震の合間に巻いた1インチのヘビーカッパーチューブ、Varivas2410#12のソフトハッックル。
ピーコックハールの胴、アイスダブピーコックアイグリーンの胸、パートリッジのハックルでタイイング。
スレッドはPE。
カッパーチューブの上から直巻き、相当重い分、脆いだろうなあ。
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モヤシ3パック(20160417)

2016年04月17日 23時59分58秒 | 日記
モヤシ3パック(20160417)


「モヤシ買ってきて!」
突然、妻からの電話。
は? そちらで買えば?
「物流が止まっているのかなあ、どこにもないから!」
大分市郊外の大型スーパーに寄ると日曜の夕方にしては空いている。
しかしその客足はいつもより慌ただしい。

品薄の野菜コーナーにモヤシを見付けた。
残りあとわずか、随分くたびれたモヤシ3パック、ようやく入手。


今日は焼肉、毎週日曜はいつもそう。
妻と娘は既に買い込んだとのこと、でも私は追加の食材をショウケースに探す。
私のお目当てはスジコにカモにラムに銀鱈。

ショウケースには金目鯛の干物、サーモン、マグロやボラ、ブリの刺身、ハーブ豚ロース、和牛ロース、サーロインステーキ、そしてチラシ寿司に握り鮨、その他ご馳走がひしめく。
が、お目当ては見当たらず。

ふと、被災した方々を思う。

今、熊本や湯布院で被災した方々の身の回りには何も無い。
私の目の前には、こんなにも多くの食材があるというのに。
私が今、無いと云って探し廻るのは一体何だ?


大型スーパーのショウケースが突然にじみ出す。
何?何事?
こんな公衆の場でみっともないじゃないか!

は?気まぐれな同情?
それともただの感傷? 
もしそうなら失礼千万。
本当に大変なのは私ではなく被災された方々だ。

そう思い直し、自分の感情を押し潰した。


金曜夜からの激しい地震。
一睡も出来ない中、激震の折に娘を庇い、冗談で娘の不安を紛らわす。
でもなかなか笑ってくれない。
「今の揺れは誰の寝返りだ?!」
「ママ、貧乏ゆすり止めて!あ、オレか」
彼女らがようやく笑い始める。

翌土曜は朝から翌日曜夕まで、より激震の別府地区に出勤。
朝の出かけに不安げな妻を眠たげな小4の娘に託す。
「ママを頼む!」
「イエーイッ」
カラ元気を絞り出し娘とハイタッチ。
ひどく憔悴した妻が私を見送ってくれた。


その妻と娘が今、"モヤシがない"と訴える。
今日の大分は青果が品薄、"モヤシ"も例外ではない。

でも震災直後の熊本、物流の止まったスーパーには何もないのだ。
この大分市には、こんなにも沢山の物資にあふれているというのに。

スーパーを散々さまよった挙げ句、モヤシ3パックだけを購入。
それでもレジの方は丁寧に袋詰めしてくれた。
私はとうとう、お目当ての品は買えず仕舞い。


家族より一歩先に帰宅、と直ぐ妻と娘も帰宅、私を見つけ手を振っている。
穏やかな西日、私も手を振り、妻の手一杯の荷物を手伝う。

思えば一日半振り。
あの激震の中、妻も娘も眠れぬ夜を過ごし、その彼女らを残し私は仕事に向かった。
その一日が過ぎた今、私の家族が暖かい日差しの中で微笑んでいる。


モヤシ3パック、家族のために買って帰る。

お目当ての食材は無かったが、
今の私には、これで充分。
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ヘビーカッパーチューブ2(20160412)

2016年04月12日 22時11分47秒 | 机上釣
ヘビーカッパーチューブ2(20160412)



グリーンアクアマリンの変形で、バックヘアーのグリーンがオリーブ、ピーコックのハールがソード、ヘッドがゴールド。
さてどうだろう。

解禁当初は縄張り持ちのヤマメが相手、遊泳層が広いので比較的釣り易い。
その後は、より慎重なヤマメ達が相手、水面のムシにライズする以外は底波に定位。
餌釣りではこの底波で釣果を挙げるとのこと。

ニジマスのベタ底程ではないだろうが、より底層狙いなのは確か。

かといってフルシンクラインのヘビーシンクリーダーでは釣れていない(去年)。
フルシンクラインのフロートリーダーでは3月はテイクが続いたが、そのフルシンクはtype4でも軽過ぎる。
で#6を#8に上げると今度は水面インパクトの餌食。

#6フルシンクラインのノーマルリーダーでヘビーフライパターン。
狙うのは流芯脇の底波、上下ではなく左右の流速差を利用。
なのでヘビーフライが底を転がりながら流芯脇の底波に吸い込まれていくイメージでシステム操作。
具体的にはフルシンクシステムを煽りながら根掛りを避けて流芯まで流し、その脇でシステムを保持して鈎が底波に吸い込まれるのを待つ。
吸い込まれたら水圧を感じながら縦スライドのバイブスイング。
これを3ステップダウン毎に繰り返す。
ポイントは流芯脇の底波一点。

3月はチャンスを2回無駄にした。
1回目はシステムチェックを怠り、2回目はテイクを思い切りアワセた。

本流は繊細さと落ち着きが大切なのかも。

目尻吊り上げガツガツしている間は、まだまだ初心者、、、
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アクアマリン・ヘビーカッパーチューブ(20160410)

2016年04月10日 22時10分02秒 | 机上釣
アクアマリン・ヘビーカッパーチューブ(20160410)

この土日は猛烈な下痢で釣行は断念、体調が少々悪くても釣りには影響しないのだが、流石に下痢だけは、、、
本流中のチェストハイウェイダーで始まればひとたまりもない(T_T

で、夕方からようやくタイイング、これは五ヶ瀬の深い淵への流し込みで使うヘビーカッパーチューブ。
パターンはグリーンアクアマリン、定番中の定番。
HMH・ヘビー・カッパー・チューブ 1inchを使う。



合わせるシステムはType4-8の短いフルシンクラインにフロロ3号リーダーのティペット1.5号かな。
箒川のように淵底に沈めてリトリーブ、チャンスは一回。

なんて今日は、ほぼ机上釣りに終始、、、
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那須白河フォレストスプリング・サードポンドの流れ(20160408)

2016年04月08日 18時56分38秒 | 机上釣
那須白河フォレストスプリング・サードポンドの流れ(20160408)

備忘録として記録。
この流れ(太線)に乗せる、または馴染ませる。
岸から沖25m程度の強い流れ?
シングルハンドでギリギリ届く距離。

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稚鮎チューブミノー補充(20160407)

2016年04月07日 23時38分01秒 | 机上釣
稚鮎チューブミノー補充(20160407)

2mm、35mmプラチューブ。
ダブルバニーに上下にバックヘアーのオリーブ/ホワイトを付け足す。
ジャングルコックアイは依然大きめ(^^

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