Nonsection Radical

撮影と本の空間

我が身の真面目さに気づく

2009年11月08日 | Weblog
某月某日
今日は銀座で開催中の大倉ひとみさんの個展を拝見。
これまで何度か拝見して、小作品も購入したのだが、今回も何点か気に入ったものを見る事が出来た。
会場で少し話す時間があったのだけど、これまでにない「攻撃的な」意見を賜り、我が身の立ち位置に思いをはせる切っ掛けとなった

写真を撮っている知り合いと話していると、どうしても共通の認識で話している部分があり、価値観や興味も似たような部分で話をする事が多くなる。
ところが絵画の分野の人と話すと、自分たちの世界と違う考えで写真を見ている事がわかり、これまでの考え方が揺らぐような思いになる。
もちろん相手に合わせるという事ではなく、自分の考えが思ったよりも「普遍的」でないのだと理解するのだ。
たとえば大倉さんはタテモノをモチーフにした世界を描いているのだけれど、satoboのタテモノ写真などは、あるいはこのブログの口絵などはつまらないと思えるようなのだ。
もちろん撮っているsatoboもそのことを自覚しているのだが、その前の「こういうことをしてやろう」という考え自体の話ではないことが自分にとって重要な事だった。
つまり「コンセプト」と「出来上がり」との関係性が上手くいっていないと思われるのだ。
そういうことはだいたい気がついてはいたのだが、面と向かって「つまらない」「ふざけている」と言われるとなるほどと納得してしまう。
納得はしても反省はしていない。
もっとふざけた「出来上がり」を作るしかないと思ったのだ。
人と見たような写真は撮りたくないといつも思っていたが、どこか影響を受けているのだろう。
それもつまらない部分で似ているのだろう。
そんなのはイヤだ。
日頃ふざけた人生を送っているのだから、それを写真に表現出来ないようでは意味がない。

自分の視点のつまらなさを自覚し、もっと自由な視点を持った写真を撮ろうと思う。
といっても、今日そう思っただけで、ブログの口絵は相変わらず「ありネガ」から引っ張りだしていく事がしばらく続くのだけれどね(苦笑)。
コメント (2)
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