Nonsection Radical

撮影と本の空間

パトロン気分

2009年11月01日 | Weblog
某月某日
今日は多摩美の芸術祭に行って来た。
家を出た時には曇っていて、夕方から雨になるという予報だったのでデジカメだけ持って出たのだが、すぐに晴れ渡り、フィルムカメラの方が良かったと後悔。
電車の中で寝てしまい、気がつくと駅に停車中。
あわてて降りるとひとつ手前の駅だった。
今日はロケハンを兼ねるつもりで本来降りる駅から歩いて多摩美までいくつもりだったので、ついでと思って一駅分余分に歩いた。
そのおかげでいろいろな新発見をした。

多摩美は昔と違ってすっかり校舎がきれいになり、学生もきれいな服装で、その分面白味のない作品ばかりをこざっぱりと創るようになってしまった。
上手なんだけどつまらない。
面白いなあと思うのはみんなジョシの作品だというのはどういうわけだ。
ダンシでいいなと思ったのは、というより、いいなあと思った中にはダンシが一人しかいなかった。
ジョシってある部分で壊れているのが多いみたいだね。
そこからドロドロしたものがわき上がってきて面白いものになっているみたい。
その点ダンシは自己を制御して(カッコつけてという意味)狭い自己の枠内で創ろうとするからつまらないものになるのだと思う。
これはsatoboにも当てはまるので反省。

造形、絵画はほとんど見るものナシ。
油絵の山岸結さんとか前田麻綾さんなどは良かった。
版画にきた時には、ホッとした。
ホッとするほど個性的なものが多い。
そのくせ製作者の外見は個性的ではない。
つまり自己の外見を飾っているものは、神経がそちらに向かっていて、内面に神経が向かっていないのではと考察する。
版画をやる人ってきっと、版画に出会った時に「これこそ私の表現方法だ」と感じるのではないのかな。
それぞれの自分世界が押し詰まっている。

ひとつの版画の前で足が止まり、「これエエなあ」と眺めていた。
そして少し先に行くと、これは多摩美版画のいいところなんですが、学生の小作品を売っているんですね。はがきサイズからA4サイズぐらいまで。
つらつらと見ていると、ひとつ気になる作品が・・・
裏に書いてある作者名を見て、さっき眺めた版画のところへ引き返すと、同じ作者だったのですよ。
これは買いだなと思い、水性木版画2/30のエディションを選んだ。
そして店番しているジョシに手渡し、代金を1000円!!!払うと、そのジョシはスゴくうれしそうな表情で、「これ私の作品なんです」と言うではないか。
satoboはビックリして、さっき見た版画を指し示して「あれ、あなたの?」と確認すると、「そうです!」と笑顔で答える。
「スゴくいいね。これからも頑張ってね」というと「ありがとうございます!」とまた笑顔。
今度作品展をする時にDMを送ってもらう事に。
乞うご期待 神山千晶さん。

そして教室の展示を見て回り、もう一点購入1000円也。(各教室でも売っている)
宮崎ももさんのウォーターレス リトグラフ。エディションは2/7。
さすがに今度は本人ではなかった(笑)。

こうやって作品を買う事で(satoboは貧乏だから安いのしか買えないけど)作者の励みになるのなら、ちょっとしたパトロン気分だなと思うのであった。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする