闘う社長の再起編

大きな夢を持って、日々、いろいろな事と格闘しています。
このブログは、そんな私の毎日の成長記録です。

目標というもの

2009年01月08日 10時12分55秒 | Weblog
今朝の読売オンラインに「ITの安全 「事故前提」の備えが大切だ」
という社説が掲載されています。

この記事では、政府が打ち出した情報セキュリティ基本計画で
「IT障害の発生を限りなくゼロにする」などおよそ不可能な目標を
掲げていたのに対し、第2次情報セキュリティ基本計画では、どの程度の
トラブルなら問題がないかなど現実的なものに変更されたと報道している。

私達は個人単位、何かの団体単位、会社単位、行政・政府単位など
様々な単位において様々な目標を掲げたりしますが、
現実的な目標を掲げる事が意外と少ない。
少し頑張れば到達できる目標ならまだ許容範囲なのだが
第三者が見ても、およそ到達できないような目標を掲げている場合が非常に多い

例えば、気候変動枠組条約で打ち出した「京都議定書」だ。
理想としては素晴らしいものでしたが、批准した国の殆どで目標を
クリアする事が難しいどころか、全く不可能なものだ。
それで現在では、もっと実現可能な「ポスト京都議定書」をつくろうとしている
最初から実現可能な目標を立てていれば、二度手間は回避できたはずだ。

私達はしばしば根拠もなしに「頑張ればできる」とか「多分できる」
という言葉とともに、不可能な目標を受け入れる事がある。
そこで数字を持ち出して不可能だという事を主張すると
「頭の固いヤツだ」とか「理屈っぽい」とか言われるのはまだ良い方で
目標を立案するグループから外されたり、考え方がおかしいなど人格まで
疑われてしまう場合もしばしばだ。

確かに経験に基づいた第六感の方が、鋭い場合もたくさんある。
しかし、それはあくまでも「経験」に基づいたものですから
人並みの経験しかしていない場合や経験が浅い人の場合
頓珍漢な目標を立案してしまう事が多いにもかかわらず
本人はそれが正しいものだと誤解しているからクセが悪い。

中でも特にクセが悪いのが、政府や行政の掲げる目標や計画だ。
立案する際、一応は調査などを行い、有識者の意見を聞いたりするのだろうが
それらに偏りがあるのか、それともそれらは形式的の行って
その実、自分達の偏見の中で立案するのか、どー考えても無理な目標の方が多い

企業の中でも、すべからく「少し高い目標を立てた方がレベルアップする」と
信じている脳ミソの堅い人が立案する目標に従わされる部下は悲惨だ。
確かに「少し高い目標を立てた方がレベルアップする」場合もあるのだが
それは時と場合によるし、環境や支援体制などにも関係する。

目標というものは、その内容について細心の注意を払いつつ、
取り巻く環境や体制などを考えながら、実現可能な線を導き出す事が
結果的、目標を達成でき、また次のステップにつながるものだと思います。

決して「ソフトウェアのバグをゼロにする」という事は努力はするとしても
目標とはせず、「もしバグが出ても、問題が最小限に収まる」様な方策を
考える方が現実に則していると思いますよ。


今日目に付いた記事:
 ・【新・成長産業】衰えない「美への投資」 超高級化粧品にシフト
  ご婦人の欲望には脱帽させられますねー

今日の気持ちステータス:

今日の一言:
 しばしば、目標を立てる事が目標になる